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支部の手紙王国宣教 1979 | 7月
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支部の手紙
王国伝道者のみなさん:
再び夏の暑い日々と,地域大会の時季になってきました。海老名ベテルでは多くの変化が急速に起きています。この手紙がみなさんに読まれるころには工場一階の約半分にコンクリートが打たれていることでしょう。また,地域大会の前までにはさらにその南側半分に二階までコンクリートが打ち込まれていることでしょう。
4月の野外奉仕の報告は本当に立派なもので,5万人の伝道者まであと1,177名に迫ってきました。昨年4月は前年の平均の10%増加でしたが,今年は12%になりました。みなさんの野外奉仕への熱意がこうした良い結果をもたらしたことは確かです。また,全伝道者の27%にあたる1万3,075名が開拓奉仕に参加したこともその一因でしょう。わたしたちの区域でこれほどの賛美の声があがっているのですから,エホバ神が栄光を受けておられるのは確かなことです。―ヨハネ 15:8。
今年の「主の夕食」,つまり記念式もすばらしい集まりでした。16%増加になる11万8,494名がこの聖書に基づく集まりに参加できたのです。
今年の春の特別な活動のひとつは地帯監督の訪問でした。フィリピンのデントン・ホプキンソン兄弟はわたしたちの東京,沼津そして海老名ベテルで奉仕し,そのうえ,福岡,札幌,沼津,東京で励みある講演を行ないました。「エホバをより良く知る」との主題で,本当に神を個人として親しく知ることの大切さを強調されました。神の存在を認め,そのお名前がエホバであることを知ることは第一段階ですが,さらに親しくエホバ神を認め,愛し,その方に倣って生活しなければなりません。エホバ神に近づくことが必要ですが,神もわたしたちを引き寄せてくださいます。(ヨハネ 6:44)そして真にエホバをよりよく知っているかどうかを確かめるために自問することが勧められました。取決めや規則に従っているのか,あるいはエホバを喜ばせたいので奉仕しているのか。仲間の人々や会衆外の人々をも本当に愛しているだろうか。
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喜びをもって良いたよりを広める王国宣教 1979 | 7月
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喜びをもって良いたよりを広める
1 「行きなさい。あなたの息子は生きます」。ひん死の息子をかかえた王のある侍者にこの慰めの言葉を語った時イエスがお感じになった喜びを想像できますか。しかも,子供は本当に生きたのです!(ヨハネ 4:46-53)このような良いたよりをイエスは繰り返し語られました。(マタイ 8:13; 15:28)使徒たちも,「ナザレ人イエス・キリストの名において,歩きなさい!」と言って良いたよりを告げました。すると,足なえの男が歩いたのです! 他の人々に良いたよりを告げた時の彼らの心は,きっと暖かい喜びに満たされたに違いありません。―使徒 3:1-10; 5:15。
今日,同じような良いたよりがあるか
2 今日のわたしたちは,これと似た良いたよりを本当に伝えることができますか。確かにできます!『贖われたあなたの息子は生きます』とか,『あなたはまた歩けます。そうです,雄じかのように跳んだり走ったりするようになります』と人々に告げることができるのです。確かにイエスや使徒たちが語った時のように,口にするや否やこうしたことが生じるというわけではありません。しかし,神の王国の統治下でそれは本当に生じるのです。しかも,それが起こる時には,もっとすばらしいものとなるでしょう。なぜなら,その時には,いやされた人が再び病気にかかることもなければ,死ぬことさえもなくなるからです。わたしたちは神の言葉を開いて,だれも病気にならず死ぬこともなくなるという証拠を示すことができます。―啓示 21:3,4。
3 王国についてのこの音信こそ,人に聞かせることのできる最良のたよりではありませんか。事実,その通りです。人に与えることのできるものでこれ以上に価値あるものはありません。金の延べ棒も,山ほどのダイアモンドも「良いたより」の価値には及びません。神のお目的に関するこの音信を広めるという特権は,当然,わたしたちに喜びをもたらすはずです! では,良いたよりを携える人たちの中に喜びを欠く人が時として見られるのはなぜでしょうか。
喜びを妨げるもの
4 喜びが欠けるのは,主として良いたよりに対する反対または無関心のためです。大多数の人はそもそもそれを聞きたがりません。ひやかしたりあざ笑ったりします。しかし,『滅びゆく者たちの間において良いたよりにベールがかけられている』と使徒パウロが述べたことを忘れないでください。だれがベールをかけるのですか。サタンです。そうです,サタンは「栄光ある良いたより…が輝きわたらないように」人々の思いをくらましているのです。(コリント第二 4:3,4)この事実を思いに留めておくなら,喜びを保つのに役立ちます。どのようにですか。
5 長年の間巡回奉仕に携わったブルックリン・ベテルの忠実な一人の兄弟は,人々と話す時,自分は悪霊に霊感された考えや態度と戦っているのだということを絶えず思い起こすようにしている,と語っています。サタンとその悪霊にあやつられている邪悪な影響力とのこの戦いにおいて,神の側にいるということを自覚する時,喜びが得られるのです。
6 喜びを妨げる別のものが,疑い,すなわち信仰の欠如であることもあります。それは,使徒パウロが述べた「容易に絡みつく罪」です。(ヘブライ 12:1。ヤコブ 1:5-7)あなたは「王国の良いたより」を本当に信じておられますか。神の王国が間もなく邪悪な古い体制を,それにしがみつく者たちもろとも一掃し,わたしたちが熱望するあのすばらしい状態をもたらすことを確信しておられますか。一部の伝道者は疑いが大きくなるにまかせ,結果として喜びを失いました。しかし,神の約束を本当に信じているなら ― そしてそれをあなたの思いに鮮明に描き続けるなら ― 喜びをもって良いたよりを広めるのに助けとなるでしょう。
7 とはいえ,前にも述べたように,福音宣明の努力に対する人々の無関心や反対は一部の伝道者たちの喜びをくじいています。そのような伝道者たちは喜びを生き生きと保ってゆくためにどうすればよいのでしょうか。
多くの人はどのように喜びを保っているか
8 多くの人は,自分のものとなったすばらしい聖書の真理を絶えず思いめぐらし,他の人々がそれを聞くことがいかに大切かを熟考することにより喜びを保ちます。(エレミヤ 15:16)考えてみてください。「主イエスについての良いたよりに従わない者」は,『永遠の滅びという司法上の処罰を受ける』と聖書は述べているのです。(テサロニケ第二 1:6-9)そうした人々は,王国の音信に答え応じる機会を繰り返し与えられる必要があります。なぜですか。それは,ほかならぬ彼らの反応に基づいて,神が彼らを命に値する者とも滅びにふさわしい者とも裁定なさるからです。(テモテ第一 4:16)この事実を自覚するなら,羊のような人々の命を保護し得る知らせをたゆまず伝えることに喜びを見いだせるのではないでしょうか。
9 人々の福祉に純粋な愛と関心を抱いているなら喜びを見いだせます。あなたはその愛と関心を抱いておられますか。わたしたちの崇拝する神エホバはそうしておられます。一人も滅ぼされることを望まれず,かえってすべての人が答え応じて命を得るよう望んでおられるのです。(エゼキエル 33:11。ペテロ第二 3:9)エホバが良いたよりを宣明させておられる一つの理由はそこにあります。人々への優しい愛情に動かされた使徒パウロとその同行者たちは,その述べるところによれば,良いたよりばかりではなく,「自分の魂をさえ」分け与えました。(テサロニケ第一 2:8)人々を助けようとの同様の願いも,喜びを保つようわたしたちを助けます。
10 加えて,一人の兄弟が語ったように「喜びは多くの場合,成功と結び付いており,成功は良い準備と結び付いています」。そうです,話し合うために良く準備された聖書の話題を持っていれば,宣べ伝える業に成功する助けとなり,ひいては喜びに寄与します。家の人が耳を傾け,会話に応じ,聖書の真理を受け入れるなら,宣べ伝える業は楽しいものとなります。さらに,再訪問で,聖書を読み,研究するようにとの勧めに家の人が答え応じる時,喜びは増します。
11 しかし,次の事も大切な点です。わたしたちの喜びは単に良いたよりに対する人々の反応にかかってはいないということです。区域によっては,数週間どころか,数か月あるいはことによったら幾年もの間,ごくわずかの人しか答え応じないところもあります。(エレミヤ 7:27)それでも,喜びを保つことはなお可能です。「わたしは午後を宣べ伝える業に費やした後はさわやかな気持ちになります。神が使命として与えてくださった仕事に参加しているということを自覚するだけでうれしくなるのです」と,ある兄弟は語っています。
12 ますます多くの人が,弟子を作る業に参加する喜びを知りますように! あなたの携える良いたよりは人に与えることのできる最も貴い贈り物であり,エホバはあなたの業を喜んでおられるという確信を持って,喜びを保ってください。―ヘブライ 6:10。ネヘミヤ 8:10。
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目的をもって証言していますか王国宣教 1979 | 7月
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目的をもって証言していますか
1 マタイ 24章14節および28章19,20節のイエスの言葉はあなたにとってどんな意味がありますか。神のみ子の弟子であるわたしたちは,「良いたより」を宣べ伝える必要に加えて,答え応じる人々を弟子とし,イエスの命令を守るよう教える必要にも迫られていることを理解しているでしょうか。この使命を遂行する時,わたしたちが野外奉仕で行なっていることには真の目的が加わります。わたしたちは,文書を配布するためだけでなく,人々と聖書について話し合うためにも訪問するのです。わたしたちの主な目的は,真の弟子となるよう人々を助けるために,彼らと聖書研究を始めることにあります。このことが念頭にあるなら,王国の音信にごくわずかな関心しか示さない人にも注意を向けることでしょう。
2 わたしたちの態度は重要です。わたしたちはキリストの弟子を作りたいと本当に願っているでしょうか。進んで努力を払うでしょうか。野外奉仕にたまに参加し少しの時間を費やすだけというのではなく,聖書研究を司会するために喜んで定期的に時間を取りますか。そのようにすれば,自分の証言が一層目的を持ったものとなることに気付くでしょう。
3 羊のような人々を見いだし,聖書研究を持ちたいということを,わたしたちは祈りに含めているでしょうか。(ヨハネ第一 5:14)祈った後,そのような祈りがある期間答えられていないように見えると,容易に気落ちしてしまいますか。それともたゆまず祈り,祈り求めたことに調和して努力しますか。
4 もちろん,だれもかれもが家庭聖書研究に同意するわけではないことをわたしたちは知っています。話をしても王国の音信の価値を認めない人は少なくありません。わたしたちはそれであきらめてしまいますか。40年間宣べ伝えながらほとんど応答が得られなかっ
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