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『幸福な神からの栄光ある良いたより』ものみの塔 1977 | 2月15日
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『幸福な神からの栄光ある良いたより』
「また,あらゆる国民の中で,良いたよりが宣べ伝えられねばなりません」― マルコ 13:10。
1 聖書はこの時代に関するどんな(イ)悪いたより(ロ)良いたよりを予告していますか。
わたしたちは皆,良いたよりを喜び迎えます。そうではないでしょうか。しかし今日,一体どこに良いたよりを見いだせるでしょうか。世のニュース機関にそれがないことは明らかです。人類の上には暗い雲が垂れ込めており,大多数の人々にとって,その雲にいわゆる銀の裏張りなどありません。雇用状態は不安定なものになりました。食品の値段は依然上がっています。犯罪と暴力は増大しています。道徳水準は一層低下しています。世界の軍備拡張競争は,報じられるとおり,「制御不能」です。a まさに,聖書がこの時代について予告したとおりです。『諸国民の苦もんがある……同時に人々は,人の住む地に臨もうとする事がらへの恐れと予想から気を失う』。しかし,この時代にはただ悪いたよりしかないのでしょうか。そうではありません。同じ聖句は,クリスチャンである人々に対してさらにこう告げています。「あなたがたは身をまっすぐに起こし,頭を上げなさい」。なぜ?「あなたがたの救出が近づいているから」です。―ルカ 21:25-28。
2 なぜこれは最良のたよりですか。(ルカ 2:10)
2 ゆえに今,良いたよりがあるのです。それをつぶさに調べるとき,それがまさに最良のたよりであることが分かるでしょう。それは,あなたを幸福にする良いたよりです。
3 ギリシャ語聖書の中で「良いたより」は,どのように様々に描写されていますか。
3 「良いたより」という言葉は,クリスチャン・ギリシャ語聖書の中に120回以上も出て来ます。福音書筆者のマタイとルカは,「王国の良いたより」について語りました。マルコの福音書は,「イエス・キリストについての良いたより」を告げるものです。使徒パウロは,「幸福な神の栄光ある良いたより」について述べています。また使徒ペテロは,その「良いたより」のことを,『永久に存続するエホバのことば』として記述しています。―マタイ 4:23。ルカ 8:1。マルコ 1:1。テモテ第一 1:11。ペテロ第一 1:25。
4 聖書は「良いたより」がとこしえに及ぶものであることを,どのように強調していますか。
4 この「良いたより」がとこしえに及ぶものであることは,使徒ヨハネに与えられた「啓示」の中でも強調されています。そこには,「永遠の良いたより」のことが記されており,一人のみ使いが,「地に住む者たちに,またあらゆる国民・部族・国語・民に喜ばしいおとずれとして」それを宣明しています。そのみ使いは,すべての人に,「神を恐れ,神に栄光を帰(する)」よう,そうです,「天と地と海と水のわき出るところとを作られたかたを崇拝(する)」ようにと呼び掛けています。これは,ヨハネが書いているとおり,「神による裁きの時が到来した」からです。―啓示 14:6,7。
5 一般の人類はなぜ「良いたより」を受け入れませんか。それはどんな結果に終わりますか。
5 すべての事の最高潮と言えるこの時代に,「栄光ある良いたより」は目ざましいまでに光り輝いています。しかし,人類一般はそれを良いたよりとみなしていますか。パウロはコリント第二 4章3,4節でこう答えます。「良いたよりに事実上ベールがかけられている……それは滅びゆく者たちの間においてベールがかけられているのであり,その者たちの間にあって,この事物の体制の神が不信者の思いをくらまし,神の像であるキリストについての栄光ある良いたよりの光明が輝きわたらないようにしている」。この良いたよりはサタンの事物の体制を裁きに直面させます。その体制を支持する者たちは滅びを被りますが,それはその者たちが,「わたしたちの主イエスについての良いたよりに従わない」ためです。―テサロニケ第二 1:8。
6 「良いたより」に耳を傾ける人には,将来どんな祝福がありますか。(詩 37:11,29)
6 しかしながら,その良いたよりに注意を払う人々は,死すべき人間が現在のところははかり知ることのできない,まさに驚嘆すべき祝福を享受することになります。パウロが次の感嘆の言葉を述べたのは,この良いたよりに対する深い認識によるものでした。「ああ,神の富と知恵と知識の深さよ。その裁きはなんと探りがたく,その道はなんとたどりだすことのおよばないものなのでしょう」― ローマ 11:28,33。
「良いたより」の本とその著者
7 なぜ聖書は史上最も崇高な書と言えますか。
7 今日,その良いたよりはどこに見いだされるのでしょうか。ただ神の言葉なる聖書の中,限りない知恵を秘めたこの特異な本の中にのみ見いだされます。聖書はなんと雄大なパノラマを眼前に展開させてくれるのでしょう。創造の始まりから書き出し,人類の全歴史を通過して今日の危機の時代に至り,さらに,キリストの栄光ある統治の千年期全体に及んでいるのです。しかしそれでも,この良いたよりの本は,わたしたちと同じようなごく普通の人々によって記録されました。エホバによって選ばれた,献身した人々であり,神からの音信を書き記すべくエホバの霊によって力を与えられていたのです。エホバはまた,それを不純にさせまた消し去ろうとするあらゆる企ての中にあって,それがわたしたちの時代まで保存されるように取り計らわれました。「良いたより」は,全部で66冊の「小本」の形で幾世紀ものあいだ伝えられてきました。その長さと内容はそれぞれに異なりますが,各本は,地の表に登場する文学書の中で最も崇高な書とされるもの,すなわち聖書の中の,欠くことのできない部分を成しているのです。―詩 19:7-11。
8 (イ)「良いたより」の本は何をすべてのものに勝ってほめたたえますか。(ロ)神の名はどのように神を他のすべての神々と区別しますか。
8 何よりもまず,この「良いたより」の本は,生ける真の神エホバのみ名と主権を大いなるものとしてたたえています。(啓示 4:11)この書は,エホバがとこしえの幸福な神であることを見事に描き出しています。『エホバ,エホバ あはれみあり 恵みあり 怒ることの遅く 恵みと真実の大いなる神 恵みを千代までも施し 悪ととがと罪とを赦す者』。(出エジプト 34:6,7)わたしたちは,この,宇宙の主権者なる主に全き信頼を寄せることができます。エホバは同情心に富む父親のような神であり,キリスト教世界の説明の付かない三位一体の神,またキリスト教以外の諸宗教で崇拝される幾百幾千万の先祖神や無生の偶像とは全く異なっています。エホバは全能の神,全地をしろしめす至高者であり,その際立った名エホバは,エホバを愛する者たちをこのサタンの世から救い出す神の目的を象徴しています。―詩 83:17,18。エゼキエル 38:23。
神の創造の驚異
9 地球を創造するに当たり,エホバはどんなすばらしい特性を示されましたか。(エレミヤ 10:10-12)
9 エホバの知恵と先見と愛,そしてそれがどのように働いているかを深く考えると,非常な喜びが湧き起こります。(詩 40:5)わたしたちの“宇宙船”とも言うべきこの地球を造り成し,それを天に置いて人間の永遠の住みかとしての備えをされた時,エホバは最も微小な点をさえ見過ごしにはされませんでした。この20世紀の住宅設計者は,エホバがこの地球を築き上げ,それに必要な備えをされた際のその洞察力から多くを学ぶことができます。エホバは,わたしたちの住まいであるこの地球に,決して動かされることのない土台を,また,言わばその天井として,星を散りばめた美しい空,万世にわたってエホバの栄光を宣揚するものをお与えになりました。箴言 3章19節にはこう述べられています。『エホバは知恵をもて地を定め さとりをもて天を据えたまえり』。
10,11 (イ)人間を創造するずっと前に,エホバは人間のためにどんな準備を行なわれましたか。(ロ)地はどのようにして悪いたよりで満たされましたか。(申命 32:5)
10 さらにエホバは,ご自分の被造物なる人間の将来の幸福のために,その住まいとなるこの地球を豊かな色どりで飾られました。野や森を与えて鮮やかな緑のじゅうたんとし,安らかな美しさをかもすだけでなく,太陽からのエネルギーを吸収貯蔵するところともされました。こうしてわたしたちの住みかなるこの地球は,造り付けの動力供給装置を備えています。エホバは,すべての生物がこの動力供給装置を利用できるように取り計らわれました。様々な穀物・木の実・野菜・その他の食物をそろえて,地球の食糧貯蔵庫に十分の備えをされました。これは人間を創造するずっと以前のことです。この貯蔵庫は常に満ちているでしょう。エホバは後にこう言明されたのです。『地のあらん限りは 種まき時 かりいれ時……やむことあらじ』― 創世 8:22。詩 104:14,15,24。
11 エホバはまた,貴金属・宝石類,価値ある鉱物類や放射性の諸元素,および石炭・石油などの埋蔵物資を備えられました。創造の際,人間の住みかであるこの地球に必要な装備がいかに見事に施されたか,人間がそれを悟るようになったのはごく最近の事です。人間がこうした備えのすべてをただ人類の益と神の栄光のために用いていたなら,新しい発見がなされるごとにそれは良いたよりの源となったことでしょう。(申命 8:6-9と比較してください)ところが,貪欲な人間は地球の設計者また造り手に対する感謝を怠ってきました。エホバの栄光ある創造物を誤用,悪用して,さながら蛮人のごとくに振る舞ってきました。地を汚染させ,その資源を損ない,核兵器の武器庫を築いて人類を自滅の縁に立たせています。彼らはまさに,この地を悪いたよりで満たしたのです。しかし,いつまでもこうなっているのではありません。
12 なぜ人間は「畏るべく」造られている,と言えますか。
12 エホバのあらゆる地上創造物のうち最も見事なものは人間です。人がいかに形造られているかを見てください。初めの完全な人間はどんなにか優れた創造物であったことでしょう。神の霊的「像」に造られ,その設計と作りの点で,人間がかつて考案し建造したいかなる機械をもはるかにしのぐ身体を付与されていました。(創世 1:27)まことに,わたしたちもエホバに向かって言うべきです,『エホバよ……我なんじに感謝す 我は畏るべくくすしくつくられたり なんじのみわざはことごとくくすし 我が魂はいとつばらにこれを知れり』。(詩 139:1,14)しかも,考えてください。一個の人間としてのあなた,その全体は,針の先ほどのごく小さな卵細胞から成長してきたのです。偉大な設計者であるエホバ神は,あらゆる部分を備えたあなたの体を造るその青写真とも言うべきものを,そうした小さなものの中に書き込まれました。この事を考えると,わたしたちは自分の微小さを感じるではありませんか。―伝道 11:5。
「良いたより」のすべて
13 (イ)人間の体がもはや完全に作動しないのはなぜですか。(ロ)わたしたちは,わたしたちの住まいであるこの地球について,どんな強い確信を抱くことができますか。(詩 145:17-20)
13 最初の人間男女がエホバの主権に逆らう道を選んで罪に陥ったのは本当に災いでした。受け継いだ罪のために,くすしく設計されたわたしたちの体はもはや完全には作動せず,やがてわたしたちすべては死んでゆきます。(ローマ 5:12)人類のうちの多くの者は,自らの身体を誤用し,自分の思いを汚すことによって,この不完全性をさらにひどいものとしました。「神の像」を反映するどころではありません。人間社会は自己本位となり,腐敗しています。しかし,神を愛する今日のわたしたちは,神の性質を反映すべく励むことができます。そして,神がわたしたちの住まいであるこの地上の物事を正し,地上を損なった蛮行者たちを放逐し,地上の状態を一新してついに美しいパラダイス,人類すべての喜び,神の栄光となる所としてくださることを強く確信することができます。「良いたより」はまさにその事を中心としているのです。―啓示 11:18。詩 37:37,38。
14 「胤」に関してどんな「良いたより」がふれ告げられましたか。
14 この極めて特別な「良いたより」をふれ告げることは,罪が世に入ったその時から開始されました。その時,エデンにおいて,エホバは,「胤」すなわちメシアなる救出者を起こして「初めからのへび」サタンを打ち砕き,その悪の働きをことごとく除き去る,というご自身の目的を発表されたのです。(創世 3:15。啓示 12:9-12)アベル,エノク,ノアはこの良いたよりに信仰を働かせ,また神は不敬虔な世界を大洪水で滅ぼされましたが,それでも約束された「胤」はまだ到来しませんでした。その後,数々の約束がアブラハムとその胤とに語られました。―創世 22:15-18。
15 「胤」はどのように明らかにされましたか。(ルカ 24:25-27)
15 この「胤」は一体だれでしょうか。文字どおり幾百もの預言を通して,神の霊感を受けた筆記者たちは,メシアの到来,その宣教,苦しみと死,復活して神の右に高められることに関し極めて詳細な点を予告しました。そうです,わたしたちの住まいとしての地球を整え,それに必要な備えをする点で驚くべき先見を示されたその同じ神が,この地球にパラダイスの美を最終的にもたらすために用いる者についても,ずっと以前から予告されたのです。
16 「胤」はいつ,どのように出現しましたか。
16 およそ四千年ほど待った後,約束された「胤」の主要な者であるイエス・キリストが登場しました。(ガラテア 3:16)イエスが人間として誕生したことを発表するに当たり,エホバの使いは謙遜な羊飼いたちにこう語りました。「わたしはあなたがたに,民のすべてに大きな喜びとなる良いたよりを伝えてい(ま)す。きょう……あなたがたに救い主,主なるキリストが生まれたからです」。(ルカ 2:10,11)30歳の時,イエスはバプテスマを受けて神の霊によって油そそがれ,次いで自分の郷里の町ナザレの会堂で自分が地に来た目的を公にしました。預言者イザヤの言葉を読んだのです。「エホバの霊がわたしの上にある。貧しい者に良いたよりを宣明させるためわたしに油をそそぎ,捕われ人に釈放を,盲人に視力の回復を宣べ伝え,打ちひしがれた者を解き放して去らせ,エホバの受け入れられる年を宣べ伝えさせるために,わたしを遣わしてくださったからである」。そうして,席に着いてから,イエスは自分の町の人々にこう言いました。「あなたがたがいま聞いたこの聖句は,きょう成就してい(る)」。(ルカ 4:18-21)人々は良いたよりを聞いて喜びましたか。そうではありません。逆に,イエスを殺そうとさえしたのです。
17 イエスが知らせたように,「良いたより」はどんな明るい希望をもたらしましたか。
17 やがて,「イエスはすべての都市や村を回る旅に出かけて,人びとの会堂で教え,王国の良いたよりを宣べ伝え,あらゆる疾患とあらゆる病を治」しました。(マタイ 9:35)こうしてイエスは,人類に壮大な祝福をもたらす王国の支配について話し,また人々の病気や病弱をいやすことによってそうした祝福がどれほど驚嘆すべきものかを示しました。(ルカ 7:22)そうです,その「良いたより」は,罪と死から,サタンと人間による悪の支配から,また偽りの宗教の束縛からの釈放という,輝かしい希望をもたらしたのです。
神とキリストに感謝すべき理由
18 神とキリストが人類のために本当に配慮を払っておられることを,何が証明していますか。
18 この「良いたより」は,地上の被造物である人間に対して神がいかに配慮を払っておられるかをも明らかにしています。「というのは,神は世を深く愛してご自分の独り子を与え,だれでも彼に信仰を働かせる者が滅ぼされないで,永遠の命を持つようにされたからです」。(ヨハネ 3:16)この愛の備えに対してわたしたちはどのように感謝したらよいでしょうか。また,み子イエス・キリストに対しても感謝すべきこといかばかりでしょう。イエスは自分自身の行なう事についてこう語りました。「友のために自分の魂をなげうつこと,これより大きな愛を持つ者はいません」。(ヨハネ 15:13)この自己犠牲的な愛こそ,聖書の「良いたより」の根幹をなしているのです。
19 (イ)イエスの死は何を成し遂げましたか。(ロ)イエスはなぜご自分の人間の家族をもうけることに関心を持たれませんでしたか。
19 イエスは最も残虐な死に自らを委ねましたが,それも「良いたより」のためであったのです。そして,その死は何を成し遂げたでしょうか。死に至るまでもみ父の主権を堅く擁護したその不動の忠誠によって,イエスは,天の王国における支配者という高められた地位に全くふさわしいことを実証しました。また,死に至るまでも罪のない状態を保ったことによって,イエスは完全な人間の命に対する自分の権利を守り通しました。今彼は,それを“手もとにある現金”のごとくに使って,アダムが人類に対して失ったすべてのものを買い戻すことができました。(ヘブライ 5:8,9。ローマ 5:19)イエスは結婚して自らの完全な人間家族をもうけることもできました。しかしイエスはその事に関心を抱いてはいませんでした。わたしたち,自らは助けのすべを持たないアダムの家族に,またみ父のご意志を行なってわたしたちを罪と死から贖い取ることに関心を払っていたのです。『神が彼をさらに上の地位に高め,他のあらゆる名にまさる名をすすんでお与えになった』というのはいかにも当然ではありませんか。―フィリピ 2:9-11。
20 (イ)イエスは現在の奉仕の立場において何を成し遂げることができますか。(ロ)「見いたより」は,『うめいている創造物』にどんな希望を差し伸べますか。
20 今イエスは,その「滅びることのない命の力」により,天にあって『永久の祭司』として仕えておられます。そのために,受け継いだ罪による影響を永久に取り除くことができます。この事をイエスはすでに,自分の油そそがれた追随者でなる「小さな群れ」のために行なわれました。その「小さな群れ」は最初にユダヤ人の中から選び取られ,次いで異邦人の中からも取られました。それらの人々は「新しい契約」に入れられ,霊の被造物への復活によって天の王国でイエスと共に治めるとの見込みを有しています。これが,パウロおよび他の弟子たちが一世紀に精力的にふれ告げた良いたよりです。(ローマ 1:15,16。ヘブライ 7:16,21; 8:7-13)しかし,その「良いたより」は,ハルマゲドン生存者の「大群衆」,また死んだ人類で復興したパラダイスに復活してくる人々のさらに大きな群衆が受けるとこしえの命の希望についても明らかにしています。これは,『うめいている創造物』のために,まさに驚嘆すべき「良いたより」です。―ローマ 8:20-22。
21 (イ)サタンの手にかかって特に苦しんだのはだれですか。(啓示 6:9)(ロ)なぜ今は神の王国支配が全地に回復される正しい時なのですか。(啓示 11:17,18)
21 そうです,人類は苦しんできました。この事は,神の忠節なしもべたちの場合に特に真実でした。神の忠節なしもべたちは,サタンとその宗教上の代理者たちによって迫害され,その命をさえ奪われてきました。しかし,彼らの忠誠は必ず報われます。(啓示 2:10)彼らはイエスと共になり,神はいかなる試練の下でも忠節を守る人間を地上に置くことはできない,というサタンの挑戦に対する答えを提出してきました。人類史の過去六千年にわたり,彼らは,いかなるものも,神の真のしもべを神への愛と献身から引き離し得ないことを実証してきました。これらエホバの忠実な崇拝者たちは,人間による支配が人類に一致と幸福をもたらし得ないことを十分に認識しています。ただ義に基づく神の主権のみそれを果たし得るのです。そして,人間による支配の全き失敗が示された今,エホバがご自分の忠節なしもべたちを救出し,ご自分の主権を立証して,全地にご自分の王国支配を再興する時が近づいているのです。
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全地に良いたよりを告げ知らせるものみの塔 1977 | 2月15日
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全地に良いたよりを告げ知らせる
「その音は全地に出て行き,そのことばは人の住む地の果てにまで行った」― ローマ 10:18.
1 (イ)わたしたちは何が頂点に達する時代に生きていますか。(ロ)「用意のできていること」をどのように示しますか。(マルコ 13:32-37)
時は急速に尽きようとしています。1914年以後の世代は,「事物の体制の終結」を物語るイエスの預言的な「しるし」の主要な部分が成就するのをすでに目撃してきました。「世のはじめから今に至るまで起きたことがなく,いいえ,二度と起きないような大患難」は最大の勢いをもって今や全地を打とうとしています。わたしたちは常に用心し,目ざめており,注意を怠らず,用意を備えていなければなりません。イエスは言われます。「このゆえに,あなたがたも用意のできていることを示しなさい。あなたがたの思わぬ時刻に人の子[イエス・キリスト]は来るからです」。サタンの世に対してエホバが最後の審判を行なう時刻は迫っています。―マタイ 24:3,21,22,34,42,44。
2 どのようにして,大いなるバビロンの罪にあずかることを避けますか。(エレミヤ 51:6)
2 用意を備えることには,この世の偽りの宗教すべてから完全に離れ,その離れた状態を保つことも含まれます。(ヤコブ 1:27)実際,神と真理とを愛する人々は,はっきりとこう告げられています。「わたしの民よ,彼女[大いなるバビロン]の罪にあずかることを望まず,彼女の災厄をともに受けることを望まないなら,彼女から出なさい。彼女の罪は重なり加わって天に達し,神は彼女の数々の不正な行為を思い出されたのである」― 啓示 18:4,5。
3 偽りの宗教が滅びに値するのみであることを,どんな記録が示していますか。
3 キリスト教世界においても,非キリスト教諸国においても,この偽りの宗教の世界帝国は驚くような記録を築き上げてきました。彼女は生ける真の神エホバを退け,その名を口に出そうとさえしません。魂は本来不滅であるとか,死者は地獄で火の責め苦を受けるといった,悪霊的な教理を彼女は教えてきました。彼女の異端審問所,戦争,抑圧は,幾百幾千万の人々に苦痛と悲哀をもたらしてきました。今世紀に生じた二つの世界大戦を思い起こしてください。6,900万の人命を奪ったこれらの戦争は,キリスト教世界において,キリスト教を標ぼうする国どうしの間で始まったのです。キリスト教世界の持つ流血の罪はなんと大きいのでしょう。偽りの宗教に伴う迷信,占い,心霊術,麻薬使用,これらもまたエホバの目に憎まれるものです。―申命 18:9-13。イザヤ 65:11,12。
4 真の崇拝者にはどんな積極的な行動が要求されていますか。
4 といっても,偽りの宗教から出るだけでは足りません。エホバが今日備えておられる霊的保護の箱船の中に入ることが必要です。これは物質の構造物でも,なんらかの神殿でも,あるいは地球上の特定の場所でもありません。神の子キリスト・イエスが言われたように,「神は霊であられるので,神を崇拝する者も霊と真理をもって崇拝しなければならないのです」。(ヨハネ 4:24)したがって,神の真の崇拝者は,すべての偶像崇拝や迷信的な習慣から離れるだけにとどまらず,さらに神の言葉を勉強し,それを生活に当てはめるようにします。そしてクリスチャンとしての人格を養い,奉仕においては『生気にあふれ』,心と魂をこめて神と隣人に愛を示します。―マルコ 12:28-31。
神の敵の処刑
5 偽りの宗教はどのように処刑されますか。(エレミヤ 25:34,36)
5 エホバは,偽りの宗教の世界帝国に対して驚くほど突然に裁きを執行します。啓示 18章21節はその様をこう描写しています。「強い使いが,大きな臼石のような石を持ち上げ,それを海に投げ込んで言った,『大いなる都市バビロンはこのように,速い勢いで投げ落とされ,二度と見いだされることはない』」。彼女に対する司法上の処罪は迅速かつ決定的なものとなります。
6 なぜ「十本の角」は「子羊」の追随者たちを攻撃して失敗しますか。(マタイ 10:28)
6 しかし,その後に続くものがあります。野獣の十本の「角」は次に真の宗教に向かい,こうして「子羊[イエス・キリスト]と戦」います。(啓示 17:12-14)いいえ,彼らは天の王座にいるキリストに触れることはできません。彼らはただ,一見無防備に見える地上の弟子たちを攻め得ると思うのみです。それら政治上の「角」はその攻撃に成功するでしょうか。いいえ! エホバの忠節なしもべたちはこの悪霊的な最終攻撃に抗してしっかりと立ち,アフリカ,東洋,共産主義世界の多くの国々で現在行なっているのと同じように行動するからです。
7 ハルマゲドンのときとその後の出来事はなぜ「良いたより」と言えますか。(啓示 14:6,7)
7 その時,「人の住む全地の[政治上の]王たち」は,自分たちが,ハルマゲドンと呼ばれる世界情勢に位置していることを知ります。「主の主,王の王」である「子羊」は,その所で「彼らを征服」するのです。(啓示 16:14,16; 17:14)最後に,勝利を得たキリストは,サタンと配下の悪霊を行動不能の底知れぬ深みに投じ,全人類の祝福を目ざすその栄光ある千年統治を開始するための道を開きます。このすべては,心の躍る「良いたより」ではありませんか。
喜びのパラダイス!
8 エホバを愛する人々にとっては,どんなパラダイスの喜びをすでに得ることができますか。(イザヤ 35:10)
8 エホバを愛する人々の前に開かれるのはこれです。しかしそれは,ハルマゲドンの大いなる戦いの後に初めて存在するものではありません。今でもあるのです。すでに,この終わりの時に,「エホバの家の山」[エホバに対する真の崇拝の場所]は『もろもろの山のいたゞきに堅く立』っています。その『もろもろの山』とは,大いなるバビロンがそれぞれの宗派的な儀式を行なっている所を指します。何という幸福ではありませんか。多くの国から来た人々が,王国会館その他の場所に群れをなして流れのごとくに集まっており,そこでエホバの民が行なう真の崇拝に加わっています。次の預言の通りです。『おほくの民ゆきて相語りいはん いざわれらエホバの山にのぼ(らん)……神われらにその道ををしへ給はん われらその路をあゆむべしと』― イザヤ 2:2,3。
9 霊的パラダイスは今どの程度回復されていますか。
9 油そそがれたエホバの証人たちのうちの忠実な残りの者,「終わりの時」の初期に業と迫害の重圧に耐えた人々に対しては,まぎれもない「大群衆」がこれに加わっています。彼らは群れをなして集い来ています。それを示すものとして,1976年,年ごとになされるイエスの死の記念の式には,全地にある3万9,600以上のエホバの証人の会衆に,合計487万を上回る人が集まりました。確かに,霊的パラダイスは全地球的な規模に広がっています。―ダニエル 12:4。啓示 7:9。
10 (イ)霊的パラダイスはどのように箱船のような役をしますか。(イザヤ 26:20,21)(ロ)どのように全地は霊的パラダイスを反映するものとなりますか。(詩 72:18,19)
10 この霊的パラダイスは,だいじな乗員を乗せ,「大患難」を通過して,その後の汚染のない地に入る,保護のための箱船のような働きをします。その時,残虐な支配者たちが抑圧したり迫害したりすることはもはやありません。エホバの崇拝者たちがサタンとその不道徳な世界に対して戦う必要はもはやなくなります。「大群衆」には,健全で,報いの大きい,心を鼓舞する仕事があります。全地を文字どおりの麗しいパラダイスに変えることです。それは霊的パラダイスの喜びを反映する所となります。その霊的パラダイスについてイザヤはこう書きました。『荒れ野とうるほひなき地とは楽しみ 砂漠は喜びてさふらんの花のごとくに咲きかがやかん 盛んに咲きかがやきて喜びかつ歌ひ……彼らはエホバの栄えを見 我らの神の麗しきを見るべし』― イザヤ 35:1,2。
11 聖書は,死者が忘れられることはないというどんな保証を与えていますか。
11 死者が忘れられることもありません。今日,百年前の父祖たちのことを思い出し,あるいはその名を挙げられる人がどれほどいるでしょうか。ほとんどいません。しかし神はそれを覚えておられます。わたしたちのすべての父祖たち,人類史のこれまで6,000年のあいだ労し苦しんだすべての人々を覚えておられます。(ヨハネ 5:28,29。マルコ 12:26,27)イエスの愛の犠牲を基として,愛の親切に富まれる偉大な神エホバは,それらの人々を,大いなる者も小なる者も復活させます。その人々はエホバのみ座の前に立ち,永久に続く,幸福な満ちあふれる命に入るための一層の要求に自分を合わせる機会を与えられます。(啓示 20:12)このすべてはまさしく壮大な良いたよりではありませんか。わたしたちの際立った神,この良いたよりすべての源である方にわたしたちは大いに感謝すべきです。
わたしたちの家族にとっても「良いたより」
12 コロサイ 3章には,家族のための愛ある助言がありますが,それを幾つか挙げなさい。
12 わたしたちは,自分の家庭の中でも,この「良いたより」に従いたいと思うはずです。その良いたよりは,今また将来に至るまで,幸福な家族の生活を送るようにわたしたちを助けるものであるからです。良いたよりの書である聖書は,この点で本当に優れた原則を示しているではありませんか。その一例はコロサイ書の第三章ですが,同章全体を一読してみれば,どんな家族をも助けてこの「終わりの時」のあらしを切り抜けさせる,愛のこもった助言をそこに見いだすことでしょう。この危機の時にあっても一つの家族として共に成功を収めるのは難しすぎることではありません。それはとりわけ,「愛を身に着け(る)」場合です。愛は「結合の完全なきずな」です。―コロサイ 3:14。
13 子供を幼い時から導くことの価値を示すどんな例が聖書にありますか。
13 また,わたしたちの幼い者,子供たちはどうでしょうか。わたしたちは子供たちを愛し,また子供たちがわたしたちに愛を示すことを願っています。それで,わたしたちのため神の言葉の中に備えられた,子供の訓練のための優れた規範,それ以上に親の従い得るものが外にあるでしょうか。それは,サムエル,ダビデ,バプテストのヨハネ,テモテ,そしてもとよりわたしたちの主イエス自身など,真理の強固な擁護者たちを生み出したと同じものなのです。しかしわたしたちは自分の幼子たちを見守り,クリスチャンの資質を培う点で幼い時から導いてゆくことが必要です。この不完全な世界の中にあって完全な結果を期することはできませんが,それでもエホバがわたしたちの努力に祝福を注いでくださることを期待できます。詩篇 127篇(3節)が述べるとおり,わたしたちの子供は「エホバのあたへたまふゆづり」であり,エホバの道に従ってこれを訓練する親たちにとって祝福となるものだからです。
王国をしっかりと支持する
14 どんな生き方は永遠の幸福につながりますか。
14 わたしたちは,エホバとそのみ子を知るようになったことを幸福に思っていないでしょうか。それによってわたしたちは,とこしえの幸福に至る生き方に導き入れられたのです。それは活動的で意義ある生き方です。それは,エホバに対する深い愛,また自分の隣人,とりわけ自分の家族また兄弟たちに対する自己犠牲的な愛を働かせることを中心としています。この真理に従って生きる際に,長々とした“すべからず集”があるのではありません。わたしたちを霊的に損なうものとして当然に避けるべき「必要な事がら」が幾つかあることはあります。その一例として,使徒 15章28,29節には,偶像礼拝,血,淫行が挙げられています。しかし,クリスチャンとしてのわたしたちの生き方は,真理を実践する積極的な生き方,献身してバプテスマを受けた神の奴隷としての,幸福で喜びある生活の仕方です。それは目的ある生活です。「何をしていても,人にではなくエホバに対するように魂をこめてそれに携わりなさい。あなたがたは,しかるべき報いである相続財産をエホバから受けることを知っているのです」。(コロサイ 3:23,24)このパウロの言葉に堅く従うとき,わたしたちの喜びは,今も,またパラダイスの地に至っても大いなるものとなります。そして,今日なされねばならない大きな仕事は,終わりが到来する前に,「王国のこの良いたより」を証しとして全地に宣べ伝えることです。―マタイ 24:14。
15 「良いたより」の,これから成就するどんな点は,わたしたちの心を賛美で満たしますか。
15 わたしたちは,『義の宿る新しい天と新しい地』をエホバが創造されるのを待ち望んでいます。霊の復活を通して,キリストの「花嫁」を構成する14万4,000人の全員が天でキリストと共になり,また,新たな清い人類社会が地上で全面的に活動を始めるその日は,どんなにか輝かしい日となることでしょう。この「良いたより」の確かさを思うとき,わたしたちの心は,「すべてのものを新しく」し,「すべての涙をぬぐい去って」,叫びや苦痛の原因となるいっさいのものを除き去るとの約束をしてくださる大いなる神に対する賛美に満たされます。そうです,キリストの王国による栄光ある支配の下では,敵である死でさえ消滅するのです。今は,その王国の側にしっかりと立ち,エホバの主権を擁護しつつ,最終的に「汚点もきずもない,安らかな者」として見いだされるよう力を尽して励んでゆきましょう。―ペテロ第二 3:13,14。啓示 21:1-5。コリント第一 15:25,26。
なすべき仕事がある
16 まだどんな偉大な業を完成しなければなりませんか。(ヨハネ 14:12)
16 地上におられた時,イエスは一つの事を始められました。それはやがて地を満たすまでに拡大する事柄でした。その世代のうちにさえ,「その良いたよりは天下の全創造物の中で宣べ伝えられた」と言われるまでになりました。(コロサイ 1:23)しかし,イエス自身は,「事物の体制の終結」の時になされるべき事としてさらに大々的な証しの業について予告し,「あらゆる国民の中で,良いたよりがまず宣べ伝えられねばな(らない)」と言われました。(マルコ 13:10。マタイ 24:3,14)その宣べ伝える業は今や完了したのでしょうか。いいえ,そうではありません! 終わりはまだ到来していないからです。
17 エホバの証人が「大患難」の臨むその時まで忙しいのはなぜですか。(イザヤ 6:8,11)
17 時が満ちているとわたしたちが考えるがゆえに,あるいは区域をもう何度も回ったとわたしたちが感じるがゆえに終わりが来るのではありません。エホバが王国伝道という偉大な業を望まれるだけ果たされた時にそれは到来し,その時に「大患難」をもたらされるのです。その時まではなすべき仕事があります。そうして,エホバの証人であるわたしたちがそれを行なうべく割り当てられているのです。「大患難」が到来するその時,その伝道の業は前進の絶頂にあり,全地にわたって最も大々的になされているべきなのです。裁きを執行するための主イエスの到来,それはエホバの民に対してさえ全く突然に来るでしょう。それが来る時,エホバの民は最も忙しく活動しているはずだからです。
18 なぜ「ずっと見張って」いることが必要ですか。(ルカ 21:34-36)
18 イエスはこう言われます。「ずっと見ていて,目を覚ましていなさい。あなたがたは,定められた時がいつかを知らないからです。……ずっと見張っていなさい」。(マルコ 13:32-37)仮に,「大患難」に対する期待のために,エホバの証人が,1914年,1925年,1975年,あるいは他のいずれかの時に手をゆるめ,見張ることを怠って前途のための計画を立てなかったとすればどうだったでしょうか。それによって,今日わたしたちが見る大々的な霊的パラダイスができていたでしょうか。エホバがご自分の民を動かして,良いたよりを全地に告げ知らせる業を続けさせてこられたことを,わたしたちは本当にうれしく思います。
19 今の時代に,霊と真理とをもって神を崇拝するとはどういう意味ですか。(啓示 7:15)
19 エホバの前進する神権社会は,「大患難」に至るまで,また「大患難」の間も活動し,絶えず進み行く組織となります。霊と真理による神への崇拝は,積極的なもの,熱心なもの,生気のある,前進的なものであるからです。西欧諸国,東洋,その他の土地など,地上のより多くの場所が今や徹底的な証しを受けるようになりました。今後,終わりが来る以前に,「栄光ある良いたより」がどれほど告げ知らされるのかだれにも分かりません。パウロの述べたとおり,良いたよりを宣べ伝えなかったとすれば,わたしたちにとっては「災い」となります。それは,わたしたちの時代に対する神のご意志,また意図しておられる仕事なのです。―コリント第一 9:16。
20 どのようにして『信仰は聞く事がらから生じ』ますか。(ローマ 10:10)
20 イエスは,良いたよりを告げ知らせるための手本を自ら示されました。その油そそがれた追随者たちは今日に至るまでその足跡に倣ってきました。使徒パウロは,この点に言及しつつ,イザヤ 52章7節を引用して,「良い事がらについての良いたよりを宣明する者の足はなんと麗しいのだろう」と書きました。今では,全地において,「大群衆」が油そそがれた残りの者に加わって共に良いたよりを告げ知らせています。しかし,すべての人が音信に注意を払うわけではありません。パウロはこう述べます。「しかしながら,すべての者が良いたよりに従ったのではありません。イザヤは,『エホバよ,わたしたちから聞いた事がらにだれが信仰を持ったでしょうか』と言っているからです。ですから,信仰は聞く事がらから生じるのです。一方,聞く事がらはキリストについてのことばによるのです。しかしながら,わたしは言います。彼らは聞かなかったわけではないでしょう。実に,『その音は全地に出て行き,そのことばは人の住む地の果てにまで行った』のです」― ローマ 10:15-18。イザヤ 53:1。詩 19:4。
21 「良いたより」が征服されないものであることを何が物語っていますか。(啓示 10:7)
21 今日,事情はパウロの日と似ています。キリストに関する「幸福な神の栄光ある良いたより」は地の隅々に告げ知らされています。冷酷な支配者また根深いバビロン的な宗教が真理の光に対する障壁となっている国もあります。しかし,良いたよりは引き続き告げ知らされており,より多くの場所で,『信仰が聞く事がらから生じ』ています。
22 「良いたより」の勝利を予期してわたしたちは今何をしているべきですか。
22 わたしたちは引き続き「平和の良いたよりの装備を足に」はいていますように。そして,パウロの行なったとおり,『神の過分のご親切に関する良いたよりについて徹底的な証し』を続けてゆきますように。(使徒 20:24。エフェソス 6:15)そうです,わたしたちは,「キリストについての良いたよりにふさわしく行動し……一つの霊のうちにしっかりと立ち,一つの魂をもって良いたよりの信仰のために相並んで奮闘し,いかなる点でも,あなたがたの敵対者たちのゆえに恐れ驚いたりは」しませんように。(フィリピ 1:27,28)「良いたより」は必ず勝利を収めるのです! わたしたち一人一人が,『良いたよりを全地に告げ知らせる』業に熱心に携わりますように。そうするときにわたしたちはいつも幸福であることができ,また多くの他の人々をも,非常に幸福にするのです。
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