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「善意の人には平和」,それともハルマゲドン ― そのどちらですかものみの塔 1965 | 1月1日
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からの復活を受ける望みは,全くありません。
もう一つの道
35 (イ)ハルマゲドンにおいて解決されなければならない論争は何ですか。(ロ)神はその時なぜ,力を用いますか。
35 ハルマゲドンの決戦に臨む両方の陣営にだれが加わっているかを見ればわかるように,これは世界支配をめぐる戦いです。ハルマゲドンにおいて解決されるべき問題は,全世界の支配権はだれのものか,腐敗した組織制度の政治家と,神のみ子イエス・キリストと,そのどちらが今よりのち永遠にわたって世界を治めるかという事です。1914年から1918年まで,おもにキリスト教国の国々の間で行なわれた第一次世界大戦は,世界の政治的,経済的支配権をめぐる戦いでした。1939年から1945年まで「これまたおもにキリスト教国の国々が参加して行なわれた第二次世界大戦も,同じ問題をめぐって起きたのです。第三次世界大戦が起きるならば,現代の諸問題を分析して考え得る限り,やはり同じ問題を論争点として戦われることでしょう。この事実と一致して,今日の世界を治める人々は,神の敵である見えない悪鬼の影響に支配され,神の任命した王イエス・キリストに主権を渡そうとしません。そのため神はハルマゲドンにおいて力を用いざるを得ません。こうして国々は,ハルマゲドンにおいて全能の神のみ子による滅びを身に招きます。それは人類史上かつてない大患難の時です。―マタイ 24:21,22。
36 どんなことを真剣に自問すべきですか。聖書は何と答えていますか。
36 ゆえに真剣に次のことを自問しなければなりません。私たちは,「全能の神の大いなる日の戦い」で,諸国家と共に滅びることを望みますか。ハルマゲドンにおいて全能の神に敵対することを望みますか。それを望まないとすれば,何をすべきですか。滅び以外に道は一つしかありません。それはどんな道ですか。神のことば聖書は,「善意の人」に臨む「平和」を求めることを教えています。
37 「善意の人に平和」をさしのべているのは,どなたですか。この平和を享受することは,結局何を意味しますか。
37 「地には善意の人に平和あれ」と歌ったのは,天使の軍勢でした。しかしその前に,「いと高き処には栄光,神にあれ」とも,天使は歌っています。従ってこの平和は,人間の造り出した国連あるいは古代バビロンの宗教に起源を持つ偽りの宗教の世界帝国,大いなるバビロンがもたらす平和ではありません。それは最高至上の神のさしのべる平和です。この神について文語聖書の詩篇 83篇18節は次のことを述べています。「然ればかれらはエホバてふ名をもち給ふ汝のみ全地をしろしめす至上者なることを知るべし」。私たちはハルマゲドンにおいてエホバの敵とされ,エホバの敵にまわることを望みません。私たちの願いは,その危急の時にエホバが私たちに対し平和をもって臨んで下さることです。それは私たちが生命を全うし,救われることを意味します。神の平和は,神の条件に従って「善意の人」にさしのべられます。
38 (イ)天使の述べたこれら「善意の人」は,何時から存在していますか。(ロ)世界平和の促進に努める人々が,その中に含まれないのはなぜですか。
38 それで今度は次のことを尋ねなければなりません。これら「善意の人」とはだれですか。どうすればその一人になれますか。これら「善意の人」は,この時代にはじめて出現したのではありません。イエスのベツレヘム誕生のとき,天使の軍勢が敬虔な羊飼にその言葉を告げて以来,「善意の人」は存在していました。その時以来19世紀にわたって,何時もこのような人がいたのです。人間の歴史上もっとも困難な今の時代にも,このような人々がいます。ただどの時代においてもそうであったように,その人々は少数者です。平和運動や平和攻勢の立て役者としてニュースに広く報道される有名人は,その一人ですか。世界平和を目ざす国連などの政治組織に属する人々も,その一人に数えられますか。そうではありません。なぜですか。このすべての人々は,神の方法による神との平和ではなく,人間の手段による世界平和を求めているに過ぎないからです。
39 これらの人々はどんな意味において,「善意の人」ですか。
39 天使の述べたこれらの人々は,どんな観点から「善意の人」なのですか。それは神に対して善意を持ち,友好的な目で神を見る人という意味ですか。あるいは神がその人々に対して善意を持たれ,従ってそれは神から善意を受けている人という意味ですか。天使が語ったのは明らかに,ふさわしい人に対する神の善意という意味です。決定的に重要なのは,神に対する私たちの善意ではなく,神から善意を受けることです。ご自分の友になる者を決め,その条件を定めるのは神だからです。神に対して信心深い態度を持ち,キリスト教国の教会に属しているから,あるいはユダヤ教を奉ずるからといって,神の条件にかなうわけではありません。
40 エホバ神崇拝を口にするだけでは不十分なことを使徒パウロは,当時のユダヤ人の場合について,どう示していますか。
40 たとえば1900年前,あらゆる国民の中で選民の地位を占めたユダヤ人は,エホバ神崇拝の態度をとり,エルサレムの壮麗な宮を誇りにしていました。それにも拘わらず,かつてのユダヤのパリサイ人で,後にクリスチャン使徒のパウロは,生来のユダヤ人に関して次のように述べています。「兄弟たちよ。わたしの心の願い,彼らのために神にささげる祈は,彼らが救われることである。わたしは,彼らが神に対して熱心であることはあかしするが,その熱心は深い知識によるものではない。なぜなら,彼らは神の義を知らないで,自分の義を立てようと努め,神の義に従わなかったからである。キリストは,すべて信じる者に義を得させるために,律法の終りとなられたのである」。(ロマ 10:1-4)遂に使徒パウロは,救いの音信をたずさえて非ユダヤ人すなわち異邦人に行く必要に迫られました。生来のユダヤ人がキリストによる神の義を拒絶したために,神はユダヤの国民を捨てられました。
41 (イ)神はユダヤの国民を捨てたことを,どのように明白にされましたか。(ロ)では当時の「善意の人」はだれでしたか。
41 イエス・キリストがエルサレムの城壁の外で不当に殺されてから37年後,神はユダヤの国民を捨てたことを,きわめて明白にされました。すなわち西暦70年に神は,ローマ軍がエルサレムとその宮を破壊し,生き残った9万7000人のユダヤ人をローマ帝国各地に奴隷として連れ去ることを許しました。それはこの宗教的な国民に対して,至上の神が善意を示されたことの表われではなく,神の怒りの表われでした。しかしその時にも神は,み子イエス・キリストの追随者となったユダヤ人の残れる者およびみ子に従った多くの異邦人に対して善意を表明されました。これらはその当時の「善意の人」です。彼らはエルサレムの破壊に生き残っただけでなく,みじめな奴隷となって捕われることも免れました。これら善意の人々は,のちに神の国の下で復活を受け,死から救われるにふさわしいことも証明しました。
42 聖書のいろいろな現代訳は,「善意の人」にこの意味があることをどのように示していますか。
42 数多くの現代訳聖書は,天使の軍勢の言葉にこの意味が盛られていることを示しています。ルカ伝 2章14節は,改汀標準訳では「もっとも高いところの神に栄光あれ,地には神のよろこばれる人に平和あれ」,新英訳聖書では「最も高い天では神に栄光,地では神の恵みの留まる人に平和があるように」,ジェイムス・モハット訳では高い天では「神に栄光あれ,地では神の恵む人に平和あれ」,アメリカ訳では「天と地において神に栄光あれ,神の恵む人には平和あれ」などのようになっています。他の現代訳を見てもほぼ同様です。それらはいずれも,神の喜ばれる人,神が善意を示される人に神の平和があることを明らかにしています。
43 (イ)神が当時,善意を示されていた事実に人々の注意をひくため,イエスはナザレにおいて何をしましたか。(ロ)この預言は,神が人間に与えるものをどのように対照させていますか。
43 神の善意は,イエス・キリストが地にこられた時,とくに表わされました。当時のユダヤ人にとって,それは永遠の福祉のために,神の善意をすすんで受け入れるべき時でした。イエスはその事実に人々の注意をひきました。30歳まで大工として過ごしたナザレの町の会堂において,預言者イザヤの書を手渡されたイエスは,その61章1,2節を開いて次のことばを読みました。「主エホバの霊われに臨めり,こはエホバわれにあぶらをそゝぎて貧しき者に福音をのべ伝ふることをゆだね,我を遣して心の傷める者をいやし,とらはれびとにゆるしをつげ縛められたるものに解放をつげ,エホバのめぐみの年とわれらの神の刑罰の日とを告しめ……たまふなり」。(文語)この預言の中でエホバ神の善意すなわちめぐみが,刑罰と対照されています。この事から明らかなように,神の善意はすべての人に示されるのではありません。(ルカ 4:16-19)ハルマゲドンにおいて「全能の神の大いなる日の戦い」が間もなく行なわれるとき,神は神に敵対して戦うすべての人に怒りを表わされます。
44 (イ)イザヤ書 49章8,9節によれば,19世紀前,神の善意はだれに示されましたか。(ロ)イザヤの預言の他の部分が成就するため,神の善意はどのように働きましたか。
44 神の善意は,地上に下って人間となったみ子イエス・キリストに対して表わされました。イザヤ書 49章8,9節はそのことを述べた神の預言です。「エホバかくいひたまふ,われ恵〔善意〕e のときに汝にこたへ救の日になんぢを助けたり,われ汝をまもりて民の契約とし国をおこし,あれすたれたる地をまた産業としてかれらにつがしめん,われ縛められたる者にいでよといひ,くらきにをるものに顕れよといはん」。(文語)救いを祈り求めた忠実なみ子イエス・キリストに対する善意のゆえに,全能の神は3日目にイエスをよみがえらせて死から救いました。こうして天に永遠に生きるイエスは,イザヤの預言のあとの部分を成就できました。―ヘブル 5:7-9。
45 (イ)ゆえに今日,「善意の人」になることを望む人は,どんな事実に喜ぶことができますか。(ロ)使徒パウロは,コリント後書 6章1,2節において,どのようにこの事に注意をひいていますか。
45 このゆえに今日善意の人となって,現在も,ハルマゲドンの危険な時にも平和を享受したいと願うならば,私たちは幸いを得ます。神の敵に刑罰が下される「全能の神の大いなる日の戦い」までに残された今の短い期間は,なお神の「善意の時」です。今はなお「救いの日」であり,滅びから救うために神の設けられたご準備にすがる時です。使徒パウロのことばは,その事に注意をひいています。「わたしたちはまた,神と共に働く者として,あなたがたに勧める。神の恵みをいたずらに受けてはならない。神はこう言われる,『わたしは,恵みの時にあなたの願いを聞きいれ,救の日にあなたを助けた』。見よ,今は恵みの時,見よ,今は救の日である」。―コリント後 6:1,2。
46 パウロの言葉によれば,今日私たちは何をすべきですか。そうする事は,何を意味しますか。
46 使徒パウロがイザヤのこの預言(49:8)を引用して,私たちの益のためにその意味を明らかにしたのは,19世紀前のことです。以来多くの時を経た今日,その言葉はいっそう力強く私たちに訴えてくるはずではありませんか。善意の時がなお残されているいま,イエス・キリストを通して示された神の恵みに十分与りますか。そうすることは私たちの救いとなります。
どのように神の善意を得るか
47,48 どうすれば,すでに何十万人を数える「善意の人」の一人になれますか。
47 今日少なくとも194に及ぶ世界の各地において,あらゆる国民,言語,人種を含む何十万の人々が「善意の人」となっています。この人々は神の恵みの中に留まり,何時までも神に是認された者となるために全力をつくしています。ではどのようにして善意の人となったのですか。それは聖書に教えられている知恵の道に従ったからです。聖書の箴言(8:35)は,天の知恵を得ることについて,次のように述べています。「それは我を得る者は生命をえエホバよりめぐみを獲ればなり」。(文語)
48 何もしないでいて神の善意を得ることはできません。箴言 11章27節にあるように,「善を求める者は,〔神の〕恵みを得る,悪を求める者には悪が来る」からです。必要なのは,バプテスト,メソジスト,長老派など,キリスト教国の教会の会員になることではなく,神の真の民になることです。そうでなければ,神の善意は得られません。詩篇 149篇4節はそのことを示しています。「エホバはおのが民をよろこび,救にて柔和なるものを美しくし給へばなり」(文語)詩篇 147篇11節もごらん下さい。「エホバはおのれを畏るる者とおのれの憐憫をのぞむものとを好したまふ」。(文語)エホバによみされるならば,エホバの善意を得ることになります。
49 (イ)真実の「善意の人」は今日,何をしていますか。(ロ)どのようにその事をしていますか。
49 天国の望みを抱く人も,パラダイスの地を望む人も,真実の意味において「善意の人」は,求める人々が神の善意を得るのを助けるために忙しく働いています。そこで関心をもって求めるこれらの人々に,それぞれの言語の聖書と聖書の理解を助ける手引きを配布することが行なわれています。これらを学ぶとき,神の善意を得るための要求を知ることができます。竜と獣とにせ預言者の口からは,悪鬼に霊感された,蛙のような表現が出てきます。これらの表現にまどわされないようにするには,天からの知恵が必要です。天の知恵は,神の霊感によって書かれた聖書にしるされています。そのため,神の「善意の人」は今日,家庭における個人的な聖書研究を無料で行なって,求める心を持つ人々を援助しています。また聖書を学ぶこれらの人々は,会衆の集会に来て「善意の人」と交わるように招待されます。
50,51 今日,真実の「善意の人」とはだれですか。その人々はどなたの手本にならいましたか。
50 本当の「善意の人」は,キリストを通して神に献身し,水のバプテスマによって献身を公にした人,すなわち神と和解した人々です。時には何千人に及ぶこれらの人々が水の浸礼を受ける光景は,一般の人々に感銘を与えています。一例をあげると,1958年の夏,ニューヨーク市のヤンキー・スタジアムとポログランドで開かれた,エホバの証者の「神のみ心」国際大会において,7136人がバプテスマを受けました。
51 この人々はなぜバプテスマを受けたのですか。いうまでもなく,神の最も偉大な善意の人イエス・キリストにならうためです。イエス・キリストは次の命令を与えて,追随者を全世界に遣わしました。「それゆえに,あなたがたは行って,すべての国民を弟子として,父と子と聖霊との名によって,彼らにバプテスマを施し,あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ,わたしは世の終りまで,いつもあなたがたと共にいるのである」。(マタイ 28:19,20)イエスご自身もバプテスマを受けられ,み心を行なうためエホバ神に献身したことを象徴されました。今日でも同じく,「善意の人」となり,任命されたエホバの奉仕者となった人は,バプテスマを受けて神への全き献身を公に表わしました。
52 これら「善意の人」はどんな態度でハルマゲドンに面していますか。そして諸国民に何を告げていますか。なぜですか。
52 献身してバプテスマを受けたこれらのクリスチャンは,ハルマゲドンにおける「全能の神の大いなる日の戦い」が始まろうとしていても,恐れません。この戦いが神の国を論争点としていることを,その人々は知っています。この戦いは,王の王,主の主であるみ子の治める神のみ国をめぐって,最後まで戦われるでしょう。1900年前にイエス・キリストは,この大問題が今日の全人類の前に明らかにされることを予見されました。そこで組織制度の終結の時を迎えたこの時代に関する預言の中で,次のように言われました。「そしてこの御国の福音は,すべての民に対してあかしをするために,全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである」。(マタイ 24:14)異邦人の時の終わった1914年以来,そしてとくに第一次世界大戦の終結した1918年以来,福音の伝道を命じたこの預言を成就してきたのは,神の「善意の人」です。こうしてすべての国とくにキリスト教国にこの音信が伝えられました。キリスト教国は,メシヤの治める神の国よりも国際連合に頼っています。
53,54 (イ)福音が伝道されるにつれて,大ぜいの人々はどんな選択をしていますか。その人々はどんな人になりますか。(ロ)箴言の言葉に一致して,この人々は支配している王の恵みをどのように受けますか。
53 メシヤである王の即位によって天に神の国が建てられたことを告げる「福音」は,救われることのないこの組織制度が滅びる時まで,なお宣べ伝えられます。伝道がつづけられ,またその規模が大きくなるにつれ,福音を聞いてそれを行動にうつす人は,ますます増加しています。その人々はハルマゲドンにおいて諸国家と共に滅びるよりも,神との平和を保つ道を選んでいるのです。
54 神と神への奉仕に献身し,この献身を公の水のバプテスマによって表わした人々は,神の恵みを得る道をとっています。それは「善意の人」となる道です。いま即位した王イエス・キリストを思い,その人々は霊感による箴言の次のことばを心に留めています。「賢いしもべは王の恵みをうけ(る)」。「正しいくちびるは王に喜ばれる,彼は正しい事を言う者を愛する」。(箴言 14:35; 16:13)そこで献身した人々は賢明に振舞い,いま建てられた神の国をあらゆるところであかしとして宣べ伝えるために舌を用い,喜んで伝道のわざに加わります。
55 (イ)支配している王の霊的な兄弟に対して,彼らはどのように愛を示しますか。(ロ)王の父に祝福された事実から,この人々はだれであることがわかりますか。
55 羊にたとえられるこれらの人々は,王イエス・キリストを愛するだけでなく,霊的な意味でキリストの兄弟となる人々を愛します。キリストの霊的な兄弟のうち,少数の人がいま地上に残されており,福音伝道のわざを指導しています。羊のような人々は,これらの霊的な兄弟に善を行なって王に対する愛を示します。御国を証言するわざを成し遂げようとするキリストの霊的兄弟を助けるのは,愛を示す道です。そこで彼らはキリストの兄弟の残れる者に加わって御国の音信を伝道し,また御国の証者として受ける苦難にもあずかります。そうしながら待ち望んでいるのは,すべての国の人々に証として宣べ伝えるわざが成し遂げられた時です。王はそのとき,この人々に次のことばを与えるでしょう。「わたしの父に祝福された人たちよ,さあ,世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい……あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりに〔善を〕したのは,すなわち,わたしにしたのである」。天の王の父から祝福されるのは,神の「善意の人」の一人に数えられることです。羊にたとえられたこの人々が王の右におかれることは,それを表わしています。―マタイ 25:31-40。
56 山羊にたとえられた人々は,ハルマゲドンでどうなりますか。しかし王の右におかれた羊のような人々は何を受けつぎますか。
56 山羊にたとえられた,神の国の敵は,そのとき永遠に滅び,全く消滅します。羊にたとえられた,正しい人々は,神の国の下で「永遠の生命に入」ります。(マタイ 25:46)そして「善意の人」に与えられる神の平和を何時までも享受することでしょう。神はこれら「善意の人」のことを昔から考慮されていました。それでおよそ六千年前に世の基がすえられた時から,神は,愛するみ子の国の治める清められた楽園にこの人々を住まわせる準備を始められました。天の御国において,王は霊的な兄弟たちと共に治め,全人類を祝福します。「善意の人」に数えられなかった人々は,ハルマゲドンにおいて滅び,こうして清められた地は,天の御国の地的な領域となります。地は楽園となって,神の国に対する賛美と感謝とにみちるでしょう。サタンと悪鬼がそれを妨げることはできません。
57 いまどんな行いをすれば,平和な地上の楽園に住むことが可能となりますか。
57 「善意の人」にとって,楽園の地は栄光と平和のみちた永遠の住みかとなります。読者の皆さんはそれを望まれますか。神の恵みを失った人々と共にハルマゲドンで滅びるのを避けるためにさっそく行動し,いま心からすすんで神の「善意の人」となって神からの平和を享受するとき,楽園の地に住む望みがかなえられます。
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預言に注意しなさいものみの塔 1965 | 1月1日
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預言に注意しなさい
(イ)預言に関してイエスはどんな助言を与えましたか。(ロ)諸国家は導きを得るために何をしましたか。どんな結果を得ましたか。
「よく注意していなさい」。終りの時に関して預言したイエスは,預言に対する正しい態度を弟子たちにさとして,このように言われました。(ルカ 21:34)世界情勢の発展につれて一般の人々や政府も将来を見通す必要を痛感している現在,この警告はきわめて適切です。歴史や政治の研究家,世界情勢を分析し研究する人々,さらには古代バビロンに起源を持つ星占いに至るまで,この世には多くのいわゆる預言者がいます。しかし古代バビロンの預言者と同じく,これらの預言者も失敗しました。またこれからも,将来を確かに預言することはできないでしょう。―イザヤ 47:12-15; 44:25,26。
いま全世界に宣明されている預言
(イ)聖書の預言はなぜまさっていますか。だれでもそれから益を得られるのはなぜですか。(ロ)今日「エホバ」は預言者として,どんな器を用いられていますか。このグループは預言をどのように見なしてきましたか。
いかに専門家のものといえども推測の域を出ない人間の預言とは異なり,エホバの預言は,万物を支配し,預言を成就させる力を持つ宇宙の創造主から出たものです。エホバの預言はそのことばである聖書にしるされているゆえに,だれでも調べることができます。その預言に注目し,それを理解したいと心から願うならば,その機会はだれにでもあります。文字の読めない人でも聞くことができます。初期クリスチャン会衆の時代と同じく,今日でも神の預言者の働きをする組織が存在するからです。(使行 16:4,5)イエスはこれらのクリスチャンを「忠実な思慮深い
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