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  • 「ことば」を紹介する愛されたヨハネ
    ものみの塔 1976 | 4月1日
    • 「光」,「命」,そして「愛」などの言葉を度々用いたことにわたしたちの注意を引いています。例えば,「証し」という言葉について言えば,ヨハネの福音書の中には,他の三福音書全体を合わせたより二倍も多く用いられていることが分かります。中でも特に注目に値するのは,ポンテオ・ピラトに対して語ったイエスの次の言葉です。「真理について証しすること,このためにわたしは生まれ,このためにわたしは世に来ました」― ヨハネ 18:37; 1:7,8; 8:14,17,18。

      ヨハネの福音書は,「真理」の重要性をも銘記させてくれます。同福音書は,他の三福音書全体を合わせたより三倍のひん度で,「真理」に言及しているのです。ヨハネの福音書の中には,イエスの次のような言葉が記されています。「神は霊であられるので,神を崇拝する者も霊と真理をもって崇拝しなければならないのです」。「わたしのことばのうちにとどまっているなら……真理を知り,真理はあなたがたを自由にするでしょう」。「真理によって彼らを神聖なものとしてください。あなたのみことばは真理です」。そうです,イエスは「過分の親切と真理とに満ちて」いました。―ヨハネ 4:23,24; 8:31,32; 17:17; 1:14,17。

      ヨハネの福音書には,「光」や「命」という言葉が,他の三福音書を合わせたよりもずっと多く見られます。イエスは,「わたしは世の光です」と言われました。また,イエスの弟子たちは,「光の子ら」になるはずでした。(ヨハネ 8:12; 12:36)そして,イエスが「命」であっただけでなく,神はみ子を世に遣わし,彼に信仰を働かせる者が「永遠の命」を得られるようにしてくださいました。ゆえに,神とそのみ子についての『知識を取り入れること,これが永遠の命を意味している』のです。―ヨハネ 14:6; 3:16; 17:3。

      愛(アガペー)を強調

      同様に,ヨハネの福音書は,アガペー,つまり原則に基づいた無私の愛に,他の三福音書を合わせたよりも多く言及しています。「神は世を深く愛してご自分の独り子を与え」ました。イエスは,『ご自分の弟子たちを最後まで愛され』ました。イエスは,愛がわたしたちに何を行なわせるかを示して,こう述べています。「もしわたしを愛するなら,あなたがたはわたしのおきてを守るでしょう」。最も大きな愛の現われは何ですか。「友のために自分の魂をなげうつこと,これより大きな愛を持つ者はいません」。―ヨハネ 3:16; 13:1; 14:15; 15:13。

      イエスが真のクリスチャンを見分けるしるしとして愛を挙げたという点をヨハネが述べているのはもっともなことです。こう記されています。「わたしはあなたがたに新しいおきてを与えます。それは,あなたがたが互いに愛し合うことです。つまり,わたしがあなたがたを愛したとおりに,あなたがたも互いを愛することです。あなたがたの間に愛があれば,それによってすべての人は,あなたがたがわたしの弟子であることを知るのです」。(ヨハネ 13:34,35)イエスとその弟子たちが「世のものではない」ことを述べたイエスの祈りを詳細にわたって記しているのもヨハネです。その祈りは,イエスの次のような言葉で終わっています。「わたしはみ名を彼らに知らせました。またこれからも知らせます。それは,わたしを愛してくださった愛が彼らのうちにあり,わたしが彼らと結びついているためです」― ヨハネ 17:16,26。

      また,イエスが地上におられた期間中12使徒の先頭に立ち,イエスの昇天後に最初に指導の任に当たった,使徒ペテロに対して,イエスはどんな質問をしましたか。「あなたはこれら以上にわたしを愛しますか」。「あなたはわたしを愛しますか」。「あなたはわたしに愛情を持っていますか」。ペテロが,自分は主人を確かに愛していると自信を持って言うと,イエスは彼に次のような最後の命令を与えました。「わたしの小さな羊たちを養いなさい」― ヨハネ 21:15-17。

      ヨハネの述べる事柄,および述べる仕方を見れば,他の福音書よりもかなり後になって書かれたヨハネの記録が,聖書の中で一番広く出版されている理由を理解できます。ヨハネの福音書は,一巻になった聖書とは別個に,幾百万冊も印刷され,配布されています。もっとも,マルコの福音書は,イエスの地上における宣教に関する最も簡潔な記録であるという理由から,聖書の中で一番多くの言語に翻訳されています。ヨハネの福音書について言えば,イエスの最初の奇跡の時と同じように,最上等のぶどう酒が最後に出てきたかのようです。―ヨハネ 2:10。

      イエスの生涯と業に関して,四つの異なった記録があるのは,何と感謝すべきことでしょう。マタイは,イエスをヘブライ語聖書の預言を成就する約束のメシアとして紹介しています。マルコは,驚くべき奇跡を次から次に述べて,イエスを行動の人として描いています。ルカは,イエスを同情心に富む,情け深い救い主として示しています。そして,愛されたヨハネは,イエスをことば,つまり真理について証しするために天から下って来た,人類に対する神の愛ある贈り物として,また愛のこもった羊飼いとして紹介しています。神がこのすべてを書き記させたのは,『イエスが神の子キリストであることをわたしたちが信じるため,そして,信じるゆえにその名によって命を持つため』です。その命を持つために,わたしたちはイエスの命令された事柄を行なって,自分がイエスの友であることを示さねばなりません。―ヨハネ 20:31; 15:14。

  • 他の人との平和な関係 幸福な生活に欠かせないもの
    ものみの塔 1976 | 4月1日
    • 他の人との平和な関係 幸福な生活に欠かせないもの

      霊感を受けた昔の一詩人は次のように書きました。「見よ,兄弟が和合して共におるのはいかに麗しく楽しいことであろう……ヘルモンの露がシオンの山に下るようだ。これは[エホバ,文]がかしこに祝福を命じ,とこしえに命を与えられたからである」― 詩 133:1-3,口。

      他の人との平和な関係は,確かに幸福な生活に欠かせないものです。神は平和を高く評価しておられます。そうした平和を享受するには,隣人を公正に扱わねばなりません。クリスチャンを自認する人は,だれにもまして,愛と正直さをもって人々に接し,平和を求めるべきです。

      地上におられた時イエス・キリストは,個人間の問題についてユダヤ人の群衆にこう言われました。「それで,供え物を祭壇に持って来て,兄弟が自分に対して何か反感をいだいていることをそこで思い出したなら,あなたの供え物をそこ,祭壇の前に残しておいて,出かけて行きなさい。まず自分の兄弟と和ぼくし,それから,戻って来たときに,あなたの供え物をささげなさい」― マタイ 5:23,24。

      昔の戒めとも調和している

      この言葉を語られた際,イエスはレビ記 6章2節から7節(口)に記されている神の律法を思いにとどめておられたに違いありません。そこにはこう書かれています。

      「もし人が罪を犯し,[エホバ,新]に対して不正をなしたとき,すなわち預かり物,手にした質草,またはかすめた物について,その隣人を欺き,あるいはその隣人をしえたげ,あるいは落し物を拾い,それについて欺き,偽って誓うなど,すべて人がそれをなして罪となることの一つについて,罪を犯し,とがを得たならば,彼はそのかすめた物,しえたげて取った物,預かった物,拾った落し物,または偽り誓ったすべての物を返さなければならない。すなわち残りなく償い,更にその五分の一をこれに加え,彼が愆祭をささげる日に,これをその元の持ち主に渡さなければならない。彼はその償いとして,あなたの値積りにしたがい,雄羊の全きものを,群れの中から取り,これを祭司のもとに携えてきて,愆祭として[エホバ,新]にささげなければならない。こうして,祭司が[エホバ,新]の前で彼のためにあがないをするならば,彼はそのいずれを行ってとがを得てもゆるされるであろう」。

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