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  • 噂話はあなたを亡す
    ものみの塔 1956 | 1月15日
    • 人の面前で,同じ調子,同じ言葉でその話を言うことができますか? あなたの話の結果は何ですか? あなたの話の実は良いものですか,それとも悪いものですか? その実によつて,あなたの話を判断することができます。

      7 女は男よりも舌の過ちを犯すと,何が示していますか?

      7 すべての人は同じ弱点を持つていません。弱点に対抗するため,まずその弱点を知らねばなりません。あなたは噂話をする弱点を持つていますか? もし持つているなら,そのことを認めなさい。幾百万という他の人々もあなたの仲間です。そのことを認めなさい。そして戦いなさい。認めて戦わないなら,どのようにしてその弱点に打ち克てますか? 女の方の耳には快よく聞えないかもしれませんが,女は男よりも舌の過ちを多く犯すと,聖書は示しているようです。といつて,男は噂話をしない,ということではありません。男も噂話をします。ある男は女よりも多く噂話をします。しかし,全般的に見て,女は男よりも噂話をします。聖書は女を特に戒めています。『年老いた女たちに,その振舞をうやうやしくし,人をそしつたりすることのないように,命じなさい。』また『女は真面目に行い,そしつたりしてはならない。』次の聖句は,女についての言葉です『その上,彼らは何もしないで,家々を遊び歩いている。何もしないだけでなく,噂話をしたり,他人の事柄に干渉しており,口にしてはならないことを語つている。』家庭内でイラ立たせるものは,男の舌ではなく,女の舌です。『妻の相争うは雨漏のたえぬにひとし。』また『相争う女は雨ふる日に絶えずある雨漏のごとし。これを制うる者は,風を制うるがごとく,右の手に油をつかむがごとし。』― テトス 2:3。テモテ前 3:11; 5:13,新世。シンゲン 19:13; 27:15,16。

      8 女はなぜ男よりも噂話をしますか? しかし,女の人が良く話すことは,どのように天与の賜ですか?

      8 なぜですか? このことについて,男は女よりも高い節義を持つているからですか? 必らずしもそうではありません。男にはなにごとにも積極的に行う気質があるため,男の過ちは女の過ちとはちがうものになるのです。一般に見て,男は女よりも腕力を振つたり,殺人したりする傾向が多いものです。しかし,女は男よりもお話を好みます。そして,人々のことや,人々の活動や,問題や,ロマンスに深い関心を持ちます。女の人が話をすると,自分の関心を持つことがらについて話をします。つまり,人々について話をします。すると,その話から噂話になる危険がいつもあるということになります。男はいろいろな事柄,科学,世界の出来事,経済,または自分の仕事に強い関心を持つています。それで,そういうことについて話をする時に,噂話をする危険は,人々について話する程大きくはありません。話すこと自体は悪くありません。話にたいする女の良い感覚は,しばしば善用されることができます。女の人の語る言葉によつて,小さな子供たちは話をすることを学びます。女の人は何の苦もなく話を始めることができるため,男よりもたやすく真理を人に話せます。また,会衆の集会で,聴衆の参与が求められるとき,女の人は自発的に進んで註解を述べ,大きな貢献をします。しかし,なんのしまりもなく話をして,噂話をするようになると,この天与の賜も罠となります。それで,男も女も,自分は果して噂話をする弱点を持つているかどうかを調べてみなさい。もし,その弱点を持つているなら,自分の話に特別の注意を払わねばなりません。

      噂話の悪

      9 余計な世話をする者や,お節介をする者について,聖書は何と言つていますか?

      9 ヱホバの御言葉は,噂話をすることに対して,くり返し警告を与えておられます。噂話をする人は,他人の事に干渉して,余計な世話をやき,自分の為すべき事をも打ち棄てて他の人にお節介をする人です。クリスチャンたちは,次の警告をうけています『あなた方の中のある者は,だらしない生活をしており,働くことをしないばかりか,自分に関係ないことに余計なお節介をしている。』私たちがクリスチャン忠実を守るために苦しむことがあつても,余計な世話をやいたために苦しんではなりません。あなた方は,『殺人,盗人,悪を行う者,または他人の事柄に余計な世話をやくために苦しむことがあつてはならない。しかし,クリスチャンであるために苦しむなら,恥ずかしく思つてはならない。』事やかましく,他人の事柄に干渉するようなことをせず,むしろ『静かな生活をなして,自分の仕事に身を入なさい。』『愚か者は,他人の事柄に干渉する。』と聖書は述べています。何を好んで,愚か者になりたいのですか?―テサロニケ後 3:11。ペテロ前 4:15,16。テサロニケ前 4:11,新世。シンゲン 20:3,欽定。

      10 噂話をする人々は,どのように問題を起しますか? 彼らはなぜ友ではないのですか?

      10 他人の事柄に干渉する噂話は,問題をひき起します。その噂話は,他人の事柄についてお喋べりし,話に色を着けたり,誇張したり,悪く話したり,また事実を曲げて話します。そして,その噂話によつて問題をひきおこします。『薪なければ火はきえ,人の是非をいう者なければ,争論はやむ。煨火に炭をつぎ,火に薪をくぶるがごとく争論を好む人は争論を起す。人の是非をいうものの言葉はたはむれのごとしと雖もかえつて腹の奥に入る。』人の面前ではつきり言わず,人のうしろに隠れてこそこそと囁きます。そして,噂話をよろこんで聞く人々は,その悪口を一も二もなく受け入れてしまいます。その噂話のために生ずる印象は,うわべだけで止まらず,身内深く達して,全部噛みつくされ,そして消化されます。『友は何の時にも愛す。兄弟は危難の時のために生る』しかし,噂話を言う人は,友ではありません。問題があつて悩んでいたり,また,危難で苦しんでおり,友人か兄弟の援助を最も必要とするとき,噂話をする人は一番悪い噂をまきふらし,その人の友人たちを遠ざけてしまいます。『噂話をする人は親しき友を離れしむ。』『人の事を言いふるる者は,友を相離れしむ。』― シンゲン 26:20-22; 17:17; 16:28; 17:9,改訳。

      11 この終の日には,どんな種類の話が行われると予言されていましたか? 知らずに偽をひろめ,噂話をする者の責任は何ですか?

      11 『悪口を言う者は,愚かなる者なり。』大部分の噂話は悪口です。かりに真実があつたにしても,まもなく大袈裟に言い触らされ,その話の大部分は偽りになります。友たちは,悪口の言われている人から遠ざかります。そして,ヱホバの憎しみは,会衆内の『兄弟の間に不和を播く』噂の語り手にのぞみます。悪口を言うことは,終りの日に多くなされると予言されていた罪の一つです。そのわけからも,この古い世は亡びをうけるのです。それで,クリスチャンたちは,『偽善や,しつとや,あらゆる種類の悪口』を特に避けるべきであります。(シンゲン 10:18; 6:19。ペテロ前 2:1。テモテ後 3:3,新世。)多くの場合,なんの悪意もなく,また人を傷つける気持なしに,噂話がなされます。しかし,それには係りなく害がなされます。ふとしたはずみで過つて人を殺したにせよ,故意に殺した場合と同じくその人は死んでしまいます。たとえ,自分で真実だと考えながらも偽りのことをひろめるならば,それは実際には偽りであり,あなたは偽りを言つていることになります。責任を他の者になすりつけようとして,ある人がその話を語つてくれたのだと言うかもしれません。それでは,その人はまちがいなく偽りを言いました。しかし,あなたがその話をくり返して語つたとき,あなたは偽りを言つたことになります。毀損法によると,もし人が偽りを印刷して繰り返し述べるなら,その偽りを最初に言つた者が誰であろうと,また誰の言葉を引用しようとも,そういう事には関係なく,その人は有罪となります。結局のところ,噂話を始めて言い出した者だけが話すなら,噂は遠くにひろまらず,それに多くの害もなされないでしよう。幾世紀も昔に始められた宗教的な偽りを繰り返し言う者に対して,ヱホバは今日その責任を問うてはいませんか? また偽りを始めるにしても,又はひろめるにしても,ヱホバは噂話をする人の責任を問うております。

      12 噂話をする人々は,何を忘れるように見えますか? たとえ,思い出すとしても,何と言いますか?

      12 もし知らないで偽りをひろめるなら,その人は故意に偽りをひろめる人程の重い責任はありません。しかし,その人も無罪というわけには参りません。もしその人が真実に悔い改めるなら,必らず注意深くなつて,将来,話を繰り返すことをしないでしよう。でも,噂話を愛する人は,そのような注意を払いません。パウロは自分の信仰を証明するのに関連して,こう述べました『後のものを忘れて,前のものに向つて進み続ける。私は上からの召の賞を得るため目標にむかつて走り続ける。』パウロは過去を忘れて将来を見ましたが,それは良い目的を考えていたからでした。しかし,噂話をする人々は,昔自分の話した偽りの話を忘れてしまい,将来ますます熱心に話を言い触らしたいようです。そのような人は,自分で昔に話した噂話が何度偽りであつたかを憶い出し,多分これから先は,もつと注意深くなるべきであろうと,あなたは考えることでしよう。しかし,注意深くなるような人はまずいません。かりに過去の偽りを考えることがあるとしても,それはその偽りを正当化するためです。そのような人は,偽りを言つたことを否定します。または,他の人の言つた事をただ繰り返して語つただけと,言います。あるいは,別の偽りを語つて最初の偽りを隠してしまいます。かりに,そのような人が,二人は結婚するだろうという噂をひろめると仮定してごらんなさい。時が経つても,結婚が行われません。すると,噂を始めた人々は,あの二人は仲違いして結婚を止めたのだと言います。でも噂話をした人は,最初から頭の中の空想と疑いから話をつくりあげたのであつて,たしかな根拠はひとつもないのです。もし,その偽りが為した害をよく見るならば,これからも,もつと多く噂話をしようなどという気持はなくなるはずです。

      13 噂話はなぜ,卑怯なもので,人を殺すものですか? 噂話を行い続ける人には,どんな結果が生じますか?

      13 噂話は悪いものです。噂話は,卑怯なものです。噂話は人を殺します。噂話は良い名前を殺し,良い評判を台無しにし,また人々の心を毒しますので,噂話の犠牲者は害をうけるようになります。『かれらは蛇のごとくおのが舌を利くす。その口唇のうちに蝮の毒あり。』話は死をもたらすことがあります。『その歯は戈のごとく,矢のごとく,その舌は利き剣のごとし』ある人の舌は剣のように鋭く,その吐き出す言葉は矢のように突き刺さります。そした彼らは待伏せしていて,犠牲者の背後から,その言葉の矢を放ちます。『かれらは剣のごとくおのが舌をとぎ,その弓をはり,矢をつがえるごとく苦き言をはなち,隠れたるところにて全き者を射んとす。俄にこれを射ておそるることなし。』しかし,人の後に隠れて噂話する卑怯者は,ヱホバと向い合うことを忘れてはなりません。かりに噂話の犠牲者が,その噂を聞かなくても,ヱホバは聞いておられます。『かれらの舌の故に,神かれらを亡ぼさん。』噂話するその舌は,生ける者の地より,根だやされてしまいます。『なんぢの舌は悪しきことをはかり利き剃刀のごとくいつわりをおこなう。なんぢは善よりも悪をこのみ,正義をいうよりも虚偽をいうことをこのむ。セラ,たばかりの舌よ,なんぢはすべての物を食い亡ぼす言葉をこのむ。されば神とこしえまでも汝をくだき,またなんぢをとらえてその幕屋よりぬきいだし,生けるものの地よりなんぢの根をたやしたまわん。』― 詩 140:3; 57:4; 64:3,4,8; 52:2-5,改訳。

      14 噂話は何に通じますか?

      14 噂話はまつたく悪いものであり,また多くの害を与えるため,噂話する人は会衆から除名されるべきです。会衆内の冗舌家には亡びが来ます。『その口を守る者はその生命を守る。その口唇を大きくひらく者には亡びきたる。』その噂話のために友たちを離れさせるでしよう。しかし,続けて噂話をするなら,その人自身がヱホバの制度より離されてしまいます。『ヱホバよ,なんぢの帷幄のうちにやどらん者はたれぞ。なんぢの聖山に住まわんものは誰ぞ。その人は舌をもてそしらず,その友をそこなわず,またその隣りをはぢしむる言葉をあげもちいず。』『我は虚偽の口を憎む。』とヱホバは言われています。もしヱホバが憎まれておられるなら,私たちも憎むべきです。そして,ヱホバの憎しみをうける事柄は会衆内にあつてはなりません。私たちは次のように祈ります『ヱホバよ,ねがわくは虚偽のくちびる欺詐の舌よりわが魂をたすけ出し給え。』もしそのようなくちびると舌が会衆内にあるなら,会衆はそのような者を除名することによつて救われるでしよう。―シンゲン 13:3。詩 15:1,3。シンゲン 8:13。詩 120:2。

      15 なんのために,噂話は危険なものになりますか? 噂話をする人は,どんな質問を考えねばなりませんか?

      15 多くの場合に,噂話は小さな事柄についてなされます。でも,それを大袈裟に誇張して話すため,不和が生じます。噂話は,針小を棒大にし,棒大を針小にしてしまいます。噂話をする人は,不和を播くというような重大な事柄には全く無頓着です。むしろ,小さな事柄を取り上げて,大げさに吹聴します。しかしその結果は,不和を播くという重大な事柄が生じてくるのです。そのような無意味な話は,なんと危険なものなのでしよう! マタイ伝 12章36,37節(新世)には,こう書かれています。『あなた方に言う。裁きの日に,人は自分の語る無益な言葉に責任を取らねばならぬ。あなた方は,その語る言葉で正しいとされ,その語る言葉で罪に定められる。』裁きの期間中,噂の言葉はどう裁かれると,思いますか? あなたの噂は正しいと証明することができますか? 別段害を加える積りでなかつたというあなたの口実は充分でしようか? あなたの話は偽りと分つた後でも,なお噂話をし続けたと,記録が示すとき,あなたの口実は真実味のこもつたものでしようか? あなたの口から出た言葉についての責任を転嫁することができますか? あなたの言葉が噂話であるならば,必らず罪に定められます。害を与える舌ではなく,癒しをもたらす賢明な舌をいま養うことは,どれ程良いものでしようか。『妄りに言葉をいだし,剣をもて刺すが如くする者あり。されど智恵ある者の舌はいやす。』― シンゲン 12:18。

  • 噂話を打ちつぶす
    ものみの塔 1956 | 1月15日
    • 噂話を打ちつぶす

      『北風は雨をおこし,かげごとをいう舌は人の顔をいからす。』― シンゲン 25:23。

      1 ヤコブは,どんな例を引合に出して,舌の力と,また舌を用いて祝福と呪の言葉を述べる矛盾さを示しましたか?

      弟子のヤコブは,人間の舌に注意を払いました。彼は著しい例を引合に出しつつ,舌というこの体の小さな器を制御することがどれ程難しいかを強調しました。馬の口にくわえさす轡は,馬の全身を変えさせることができます。小さな,舵も,大きな舟の向きを変えます。それと同じように,小さな舌は大言を吐きます。小さな火も森を燃しつくしてしまうように,小さな舌は全身を燃しつくして,体を汚してしまいます。人間は地上の動物を制することができますが,『ひとりとして,舌を制することはできない。』まつたく,『言葉に躓かない人は,完全な人である。』泉は甘い水と苦い水の両方を噴出することができません。いちぢくの木はオリブの実を結ばず,ぶどうの木はいちぢくの実を結びません。塩水は甘い水を出すことはできません。しかし一つの同じ舌は,祝福と呪いの両方を出すことができます。これは正しいことではありません。完全な人はひとりもおらず,また完全に舌を制御する人はひとりもいませんが,それだからといつて噂話をしたり,淫猥の話をしても良いというわけにはなりません。私たちはその害を最小限にすることができます。舌が毒で充ちるのを避けて,人の気持ちを毒するのを止めることができます。舌が人を切る剣になつたり,人に突き刺す矢になるのを防ぐことがです。つまり,噂話をして他の人の良い名前をこわすようなことをいたしません。舌が真理の水で忙しく動いているなら,噂をすることによつて燃え上るということはありません。なんらかの手段で舌を制御すべきであると,ヤコブは示し,こう言いました。『私の兄弟たちよ,このような事はあつてはならない。』― ヤコブ 3:2-12,新世。

      2 人は批評することは早くても,賞めるのはおそい理由はどのように説明されますか?

      2 なぜ私たちが噂話をするのか,その理由を理解するなら,噂話は起らないでしよう。実際のところ,人間は他の人をすぐ批判しますが,しかし,賞めるのはおそいものです。人間は悪いことならすぐ語るのに,なぜ良いことには黙つているのですか? 良いことは当然なものであつて,賞める必要のないものと考えますか? 悪いことには,腹が立つて義憤を感ずるので,悪いことを特別に取上げますか? ある場合には,このことが言われます。なにか極端なものについて話をする時に,私たちの注意が集められるのでしようか? 私たちは,特別に際立つような良いことについて話をなし,また極端に悪いことについても話をします。しかし,噂話はもつと些細なことや,こまかい事についてなされます。噂話は,私たちが注意を払わねばならない程の極端なことや,義憤を感ぜしめる程の重大な過ち以外のことについてなされます。

      3 私たちが現在持つているどんな自然の状態は,噂話をしようとする傾向を説明しますか? その結果,どんな争が生じますか?

      3 人間は社会的な存在であるため,社会の中でたがいに結合します。人間はたがいにその考えを伝え合おうと欲し,自分の学んだものを他の者に是非知らせたいと思います。他の人の知らないものを知つて,それからその知つたことを人に告げるとき,私たちは賢い者であるように感じます。しかし,ちよつとの噂話は,なぜいちばん重大なことを知らせてしまうことになりますか? まつたく,『心からあふれることを,口が語るものである。』また堕落した人間の心については,聖書にこう書かれています。『心は万物よりも偽る者にしてはなはだ悪し。誰かこれを知るを得んや。』あるいは『心は万物よりも欺くものであり,極めて危険である。誰がそれを知り得るであろうか?』 その聖句の続きは,ヱホバは心を知つており,私たちはその心を医して頂くようヱホバに祈らねばならない,と示しています。生まれながらに罪をうけついでいる堕落した人間は,ともすると悪を行おうとします。そして,動機と愛の源である心は,欺きに充ちたものであり,我儘で,病気なものです。そして,堕落した人間のこの弱い器官の考えるものを,人間の口は語ります。罪を持つ人間は,罪の悪を語ろうとします。しかし,ヱホバの御言葉の教をうける心は,ヱホバの律法に従おうと努めます。その結果,心の中の神の律法と,肉の中の罪の律法とのあいだには争いが起ります。『私は自分の欲する事は行わず,かえつて自分の憎むことをしている。』私たちは,噂話をした後に,悪いことをしたと悔い,黙つていた方が良かつたと思います。私たちは噂話をして人の耳に聞かせたという自分の弱さを悔います。私たちはヱホバの律法によつて心を強め,私たちの心を医して頂くようヱホバに祈らねばなりません。そのようにして,私たちの肉の中にある罪の律法を打ち砕き,その律法に打ち勝つことができます。病気にかかつている我儘な心は,他人の持つ病と我儘を見ようとします。そして,気持が溢れてくるときに,口は語ります。多くの新聞は,ひどい犯罪を大見出しに出したり,噂<ゴシツプ>欄を設けたりして,人間のこの気持ちにつけこんでおり,人々を悪事へと誘つているのです。―マタイ 12:34。エレミヤ 17:9,10,14。ロザハム訳。ロマ 7:15。

      4 噂話をする時そのうしろにある動機は何ですか?

      4 噂話は時折りに悪意をもつてなされることがあり,他の人を落して,噂話をする当人自身が昇格しようと仕組む場合があります。悪口を言う人は,他の人の立場を危うくして,その人の仕事を奪い取つたり,または友人を盗んだり,あるいは会衆内の奉仕の立場を取ろうとします。嫌いだからという理由で,ひとりの人に対する反感や反対の気持ちをひき起します。多くの場合,人の陰口を言う時には,ねたみか,しつとの気持が働いているものです。噂話をする人は,その被害者の高い地位とか,名声とか,又は良い業をねたむかもしれません。噂話をする人は自分と被害者とを比較してみたときに,とうてい優位に立てないからです。カインはなぜアベルを殺しましたか?『彼の業が悪く,その兄弟のわざは正しかつたからである。』噂話は,それと同じ理由でなされます。そして,噂話は自分を高めて他の人を低めようとします。しかし,自分を高めようと努める者は,必らずいやしめられ,低くされます。同じように,ねたみの気持から悪口を言いふらして,自分を高めようとする者たちもいやしめられ,低くされます。ある人のお気に入つて,自分の益を図ろうと思い,陰謀家はその人の嫌いな者について噂話するかもしれません。それは,へつらいの話であつて,聞く者と悪口の言われている人とをくつきり対照させることにより,聞く者の御機嫌を取ります。そのような陰謀家についての聖書の言葉は,まつたく真実なものです『その口は大言を吐き,利のために人にへつらう者である。』クリスチャンは次の言葉を述べたパウロに倣います『私たちは,あなた方が知つているように,けつしてへつらいの言葉を用いたこともなく,口実を設けて,むさぼつたこともない。それは,神があかしして下さる。』ヱホバは『悪しき謀計をめぐらす心』を憎みます。―ヨハネ第一書 3:12。ユダ 16。テサロニケ前 2:5。シンゲン 6:18。

      5 自分に注がれる注意を逸らすために,噂話はどのように用いられますか?

      5 人は,自分に注がれる注意を逸らさせるために噂話をします。他の人を批評することがあつても,自分を批評しようとはしません。他の人の顔に泥をなすりつけて,自分の悪をかくそうとします。あるいは,他の人々も自分と同じ罪を犯したと批評するかもしれません。その人は仲間が欲しいのです。そうすれば,自分ひとりに非難が集中することはなく,非難は群全部に行き渡ることでしよう。もし非難されると,他の人も同じ事をしていると言い,自己弁護できると考えます。ついでのことですが,噂話をする人々は,多くの場合一番最初に,噂話をする他人を非難します。自分が罪を犯していると知つているため,自分勝手に他の人を裁いてしまいます。しかも,他の人を裁くときには,自分自身を裁くよりもずつと厳しくいたします。いつも他の人が裁きを始めます。それで,聖書の次の言葉はまつたく正しいものです。『だから,ああ,すべて人をさばく者よ。あなたには弁解の余地がない。あなたは,他人をさばくことによつて,自分自身を罪に定めている。さばくあなたも,同じことを行つているからである。』― ロマ 2:1。

      6 ある人々は,どのような狡猾な手段を用いて自分を高めますか? その結果はどういうことになりますか?

      6 人は多くの場合,自分自身を高めようとして,他人についての噂話をします。人はこのことに気ずかないかもしれませんが,その話の背後には狡猾な考えが潜んでいるのです。他の人を批評することは,実際には自分自身を高めることです。つまり,他人の誤ちを非難することは,自分がその過ちを犯していない,という風に人は考えます。この種の噂話は,自分自身についてのホラ話しとも言えます。他人は罪を犯していると言い立てて,自分は勝れた者のように感じます。そして,得意な気持を感じます。そうする人は,パリサイ人たちと同じようです。パリサイ人たちは神に祈りを捧げ,その祈りの中で他人について噂話をし,自分たちがそのような者でなかつたことに感謝していました。彼らはこう祈りました『神よ,私はほかの人のような貧欲な者,不正な者,姦淫をする者ではなく,また,この取税人のような人間でもないことを感謝します。』ところが,取税人は『胸を打ちながら「神様,罪人の私をおゆるしください」』と祈りました。この取税人は,他人よりも勝れているなどとは感ぜず,むしろ謙遜な気持から自分の罪深いことを歎き悲しみました。この話のすぐ後に,神のおきてが記されています『おおよそ,自分を高くする者は低くされ,自分を低くする者は高くされるであろう。』噂話という狡猾な手段を用いて,自分を高くする者は,低くされます。ヱホバによつて高めてもらうために,謙遜な気持からあなた自身の欠点を考えなさい。他の人の欠点を考えるべきではありません。―ルカ 18:9-14。

      7 他のどんな事柄は噂話を始めさせますか? 噂話の覆いを全部取り剥いでしまうとき,噂話の実体は何ですか?

      7 他の多くの事柄も噂話を始めさせるものです。もしなんらかの理由のためにある事柄に失敗して,できないときは,その事柄を為し得る人々を批評します。そして,そのような行は悪いものだと見せかけます。あるいは,どうも自分は確でないと感ずると,他人の欠点を見つけ出して自分を安心させようとします。また,ある一つの点に強い場合には,その点に弱い人をきびしく批評するかもしれません。そして,愛の心などは全く持たず,自分こそ人々の模範になるべきだなどと,利己的に考えます。他人のこの弱さを批評することによつて,その人は狡猾にも自分自身の優越さというものを誇示しています。噂話は多くの場合に,人の注意を得て,人に聞いてもらいたいためになされるものです。他人の知りたいと欲しているものを知ると,得意な気持ちになり,なにか賢くなつたような感じを持ちます。しかし,実際にはそのような人は浅い人です。そのような人は浅い人か,または怠け者であつて,深く考えようとはしないのです。そして,人の注意を得るための理智のある話ができないのです。噂話をしたり,批評したり,悪口を言つたり,大げさな事を言うのは難しいことではありません。それで,そのような人は,ちよつとした面白い話を聞きたいと願う人々の耳をくすぐるために,噂話をしたり,批評したりします。噂話をする人は,2と2を足して,5にします。そして,繰り返してしている中に,答は6となり7となります。噂話の理由は,多いもので,しかもその理由はいろいろと組み合わされています。しかし,あらゆる覆いを取り剥いでみると,噂話の実体をはつきりと見ます。―すなわち,噂話は不親切,不公正,有害,憎むべきもの,浅いもの,人をそしるもの,悪意のもの,人を殺すものです。ヱホバがなぜ噂話を忌み嫌い,又クリスチャンは,なぜ噂話を避けねばならないかが,分ります。

      噂話を言つてもならず,聞いてもならない

      8 何の理由で,噂話は卑怯者のするものですか? 何を考えるときに,舌はつぐみますか?

      8 噂話の実体を知るとき,噂話が口から出ることはありません。噂話は卑怯な話であつて,その多くは偽りの話です。卑怯者と偽る者を好む人は,誰ですか? ヱホバはそのような者を好みません。ヱホバの言葉は,こう述べています『しかし,卑怯な者……すべて嘘を言う者は,燃える火と硫黄の池とにあつて,その報いを受ける。これは第二の死である。』人のまともに立つては,とうてい言えないようなことを,人の陰で言うのは卑怯者のすることです。陰口をして,人の背後を襲うべきではありません。非難をうけている者は,自分の身にふりかかつている非難を聞く権利がないと,あなたは言われますか? その人に,自己を弁護し,自分の立場を語り,事態を明らかにし,噂話を打ちつぶし,虚偽に対して反論するだけの機会を与えないのですか? もしあなたがその人に会わないなら,その人はどうしてそうすることができますか? あなたは自分の兄弟に対して公正であり,正直ですか? ある人について何かを語ろうとするとき,まず,その人の面前でもそう言えるだろうか,と自問しなさい。もしその話が噂話なら,あなたの答は多分『否』でありましよう。もし,あなたが噂話をする人なら,恐らくそのことを言うでしよう。人に語るとき,どうかその話を他の人に言わないようにと,あなたは誓わせるかもしれません。しかし,聖書の言葉によると,そのような話は,悪口を言われている人のところに伝わつてしまいます。『なんじ心の中にても王たる者を詛うなかれ。また寝室にても富者を詛うなかれ。天空の鳥その声を伝え,翼ある者その事を布るべければなり。』それについて,あなたは不平を言いますか? あなた自身,秘密を守ることができなかつたではありませんか? それなら,他人が秘密を守るのをなぜ期待するのですか? 自分自身よりも,なぜ他人に多くの期待をかけるのですか? あなたには,黙つていることができなかつた。それであるのに,他人には黙つていてもらうようなぜ期待するのですか? さらに,あなたが悪口を言う者を,その他人は好んでいるかもしれません。そしてその人に自己弁護の機会を持たせたいと思うことでしよう。それは当然なことです。それで,噂話を言うとき,犠牲者が,誇張されて伝えられるその噂話を聞いてどう感ずるかを考えなさい。そのことを考えるならば,あなたは口をつぐんで黙つていることでしよう。―黙示 21:8。伝道之書 10:20。

      9 噂話を止めるどんな勝れた理由がありますか? いろいろなどんな方法を用いて,私たちは習慣を破ることができますか?

      9 私たちは,口をつぐんで噂話をすべきでありません。しかし,その理由は,被害者がその噂話を聞いて私たちに食つてかかるのを恐れるからという理由より勝れたものであるべきです。噂話はサタンをよろこばし,ヱホバをよろこばしません。私たちは誰をよろこばしますか? 私たちはどちらに仕えますか? あなたは,あなたの従う方に仕えます。あなたが噂話をすれば,それは,サタンの思う壺に入ります。ヱホバの御意は,あなたが噂話をうちつぶすことです。噂話は習慣になります。噂話をすればする程,その習慣は根ずよいものになります。習慣を打ち破るためには,つねに気をつけていて,倦まず弛まず,かたい決意をもつて,熱心な努力が必要です。あなたは自分自身を甘やかすことができません。次第次第に止めようなどと努めてはなりません。いま止めなさい! ひるまずに,戦いなさい! 噂話をしたいという気持を押えつける度ごとに,その習慣の力は弱まつて行きます。しかし,噂話をしたい衝動に駆られて,つい話をする度ごとに,その習慣の力は強まつてきます。死にものぐるいになつて戦いなさい。一歩といえども引きさがらず,すこしも譲歩せず,また後退してもなりません。噂話の源と戦いなさい。その根をすなわち心と精神のなかにある噂話の根を亡してしまいなさい。心から噂話を追い出すだけでなく,心の中に良い考えを入れなさい。汚れた霊が人から追い出されても,もしその人がヱホバの霊で充されないなら,その汚れた霊は7つの他の汚れた霊を伴つて帰つてくるであろう,とイエスは示しました。(マタイ 12:43-45)それで悪い噂話を心の中から追い出して,それから良い考えで心を充しなさい。ヱホバの助けを祈りなさい。『ヱホバよ,ねがわくはわが口に門守をおきて,わがくちびるの戸をまもり給え。』噂話をする人は,人の悪を探します。人の善を探す習慣をつくりなさい。悪い人々の模範に目をとめず『あなた方の模範にされている私たちにならつて歩く人たちに目をとめなさい。』とパウロは言つています。―詩 141:3。ピリピ 3:17。

      10 たとえ私たちが噂話の犠牲者になろうと,どんな考えを持つときに,私たちは噂話をしませんか?

      10 さて,ある人が私たちについての噂話をするとき,私たちは何をすべきですか? 私たちは自分自身を守るために戦うことができませんか? もちろん,真理でもつて戦うことができます。しかし,噂話をして自己弁護することはできません。『かれら神の霊にそむきしかば,モーセその口唇にて妄にもの言いたればなり。』とあるようにモーセは他人の影響をうけて罪を犯しました。それと同じように,私たちもなぜ他人の影響をうけて罪を犯すようにするのですか? 噂話をする人の思う通りに,なぜあなた自身も噂話で言い返すようなことをなし,その悪い像に似る者になるのですか? この弱点に打ち克ち得ることを示しなさい。『悪をもつて悪に報いず,悪口をもつて悪口に報いず』『悪をもつて悪に報いず』噂話の火に油を注ぐようなことをしてはなりません。そして,気持を刺戟するような話をして,熱してはならず,むしろ冷静を保つて,静かな気持を持ちなさい。『気の短き者は愚なることを顕す』ダビデは,逆上した答の持つ危険を良く悟つていました『われさきにいえり。われ舌をもて罪を犯さざらんために,我がすべての途をつつしみ,悪しき者のわがまえに在るあいだはわが口にくつわをかけんと。われ黙して啞となり,善言すらことばに出さず,わが憂なおおこれり。わが心わがうちに熱し,おもいつづくるほどに火もえぬれば,われ舌をもて言えらく。』ダビデは,心の中が煮えくり返つていたと考えましたが,しかし口から語つたときには反対者に対する熱した悪口ではなく,ヱホバへの願いの祈りでした。―詩 106:33。ペテロ前 3:9。ロマ 12:17。シンゲン 14:29。詩 39:1-3。

      11 噂話を聞くのは,なぜ悪いことですか?

      11 あなたが,噂話をする時,その噂話は何人をも益さず,そして,噂話は少くとも3人の人を傷つけます。噂話をされている人,噂話を聞く人,そしてあなた御自身です。あなたが噂話を聞く時も同じ3人の人を傷つけます。噂話を打ちつぶす確かな方法を知つていますか? 噂話を聞くのを拒絶しなさい。噂話をする人は,あなたに聞いてもらいたいと願つています。噂話を聞いてはなりません。その話は,汚れたもので充ちています。そして,一度聞いたからには,その汚れを他の人にもひろめたいという誘惑にあなたは駆られるでしよう。噂話を聞くのを拒絶して,その人をも助け,かつ自分自身をも守りなさい。もし,噂話に聞き入るならば,あなたは罪の無い傍観者ではありません。噂話を語つてもならず,聞いてもなりません。そして噂話を止めるべきです。もし噂話を語るなら,あなたの舌は罪を犯しています。もし噂話を聞くなら,あなたの耳は罪を犯しています。もし噂話を聞いてそれを信ずるなら,一方の側だけを聞いてその事柄に肯定の答を与えることになります。両方の側を聞いてこそ,はじめて全部を聞いたことになるからです。それで,聖書によれば,あなたは不公平な者であり,愚かな行をしていることになります。『いまだ事をきかざるさきに応うる者は愚かにして辱をこうぶる。』このわけで,噂話を聞いてはなりません。次のことを考えてごらんなさい。もし,噂話があなたについての悪口であるなら,その噂話を止めさせたいとは思いませんか。自分にしてもらいたいように,他の人にもしなさい,とイエスは言われました『だから,何事でも人々からしてほしいと望むことは,人々にもそのとおりにせよ。』― シンゲン 18:13。マタイ 7:12。

      12 噂話をする人々について,何を記憶すべきですか? どうするならば,噂話をする人々を匡正することができますか?

      12 噂話をする人は真実の友でないということを,いつも憶えていなさい。もし,あなたに噂話を語るなら,あなたについても噂話をするでしよう。その人はあなたに噂話を語ることにより,あなたにも噂話を話させるように仕向けます。そしてその人は『外に出でては,これを述ぶ。』これは狡猾な偽善です。噂話をする人が二枚舌を用いるからといつて,二枚の舌を必要とするわけではありません。誰彼の差別なしに噂話を語るからです。それは,もう抜き難い習慣になつてしまつています。もし,その言葉に耳を傾けないなら,あなたはその人の抑えることのできない舌を止めることができます。そして,あなたはその人を助けることになり,彼も後日にはそのことを感謝するでしよう。『人をいましむる者は,舌をもてへつらう者よりも大なる感謝をうく。』しかし,噂話をする者が後に感謝しようと,しなかろうと,ヱホバの僕であるあなたは,その噂話を拒絶し,眉をしかめて噂話を断らねばなりません。『北風は雨をおこし,かげことを言う舌は人の顔をいからす。』もしその人が,行を改めようとせず,また愚かな言葉をも止めず,かつ知識と智恵の言葉を語らないならば,聖書の命ずる通りにしなさい『なんじおろかなる者の前を離れされ。ついに知識の彼にあるを見ざるべし。』けつきよく,類は類を呼ぶように,噂話しをする人々だけが,その噂話を聞きます。『悪を行うものは,偽りのくちびるにきき,偽りをいう者は,あしき舌に耳を傾く。』慢性の噂話を止めて,私たち自身を守らねばなりません。『騙されないようにしなさい。悪い交りは良い習慣を壊す。』― 詩 41:6。シンゲン 28:23; 25:23; 14:7; 17:4。コリント前 15:33。

      愛は噂話を根絶する

      13 愛はどのように噂話を根絶しますか?

      13 噂話は弱点や欠点につけこんで行われます。しかし,愛はこれらの短所をかくすため,噂話を生ぜしめません。『愛は多くの罪をおおうものである。』愛のあるときに噂話は根絶されてしまい,話が噂話になることはありません。そのわけで,クリスチャンたちはその短所をおおう愛を持つようにと命ぜられているのです。『何よりも先ずお互に対する愛をしつかりと保ちなさい』あなたは自分自身を愛しています。それで,あなた自身が間ちがえれば,その言い訳を見つけたり,その間ちがいに対する口実を探したりしますが,それはとりもなおさず,あなたが自分自身を愛しているからです。その愛のために,なんでも自分の良い方にと事柄を扱い,その結果,自分自身の欠点を見ることは難しくなります。さて,『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ。』あなたの短所をおおう同じ愛を,自分の兄弟たちにも適用しなさい。そして,その愛により兄弟たちの欠点をもおおいなさい。あなたは自分自身を愛する故に,自分自らに対しては理解の心を持ち,憐み深く,また自分の罪をもゆるします。それと同じことをあなたの兄弟にもいたしなさい。『ヱホバはわれらのつくられし状をしり,われらの塵なることを念いたまえばなり。』あなたは,ヱホバがあなたのことを念い,分以上のことをあなたから要求していないことにうれしく思つていませんか? それなら,あなたの兄弟も同じく塵であることを念つて,分以上のことを兄弟から期待してはなりません。自分が許されるためには,兄弟を許さねばなりません。イエスの模範の祈によると,あなたが他の人たちを許すときにヱホバからの許しをうけるようお願いすることができます。もしあなたが他の人を許さないならば,神からのゆるしを願つてもそれは無益なことです。人のあやまちをゆるすとき,そのあやまちを忘れなさい。もし後になつて,そのあやまちを繰り返して語り,噂話するなら,あなたが許したということは二枚舌からなされたのであり,誠実な心からなされたのではありません。あなたには,多くの罪をおおう愛が不足しています。―ペテロ前 4:8。マタイ 19:19。詩 103:14。

      14 シンゲン 16章2節は,どんな良い助言を与えていますか? それが私たちの心に充ち溢れるなら,何が噂話を打ちつぶしますか?

      14 シンゲン 16章2節(ア標)は,こう述べています。『人の途はおのれの目にことごとく潔しと見ゆ。ただヱホバ霊をはかりたもう。』ヱホバの秤は狂のないはかりです。そのはかりは,偏愛とか,依怙贔屓とか,偏見などで不正な目盛を示すことはありません。ヱホバはそのはかりを用いて,人の霊,すなわち気質とか,また人間の考え,話,行動を起させる動機をはかります。人間は自分のこと

  • ヱホバの証者の信仰自由への戦
    ものみの塔 1956 | 1月15日
    • ヱホバの証者の信仰自由への戦

      「一個人又は団体が,長い年月に亘つて,憲法の尨大な条令の文章を形成し得る力をもつとは,たとえあつたとしても,真に稀なものであろう。しかし,このようなことは起り得るし,事実,起つているのである。その団体はヱホバの証者である。ほとんど絶えざる訴訟により,この制度は,言論と宗教の自由についての第14副令の適用を用いて,沢山の勝利の判決記録を着々と築き上げている。……ごく最近にも,第14副令の適用で,試練と見られる州訴訟がおきている。このようにして,州が手を出すことができる限界を定めた法律を要約した数々の判決が重ねられてきた。この点でもヱホバの証者は,その数についても,その意義についても,最大の貢献をなしてきている。』― 米国憲法改正法回顧第2巻

      『……ヱホバの証者について何んと批評しようとも,ともかく彼らには,殉死するのもいとわぬ勇気をもつている。しかも,証者は法律家をやとつて,法廷で戦う資金をもつている。結果として最近には,たくさんの他の宗派とか団体に勝つて,ヱホバの証者は,宗教の自由についての憲法の育成に貢献してきた。驚くことに,彼らは実によく,絶えまなく活動している。時に,証者は勝利を得,時に,敗北している。』― ビアード著『共和国』(又37頁を見て下さい)

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