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    ものみの塔 1956 | 1月15日
    • 噂話はあなたを亡す

      『あなた方に言う。裁きの日に,人は自分の語る無益な言葉に責任を取らねばならぬ。あなた方は,その語る言葉で正しいとされ,その語る言葉で罪に定められる。』― マタイ 12:36,37,新世。

      1 噂話をする人々の特徴は何ですか? 私たちはなぜ噂話に対して用心しなければなりませんか?

      噂話は悪魔サタンから始まりました。エバは,悪魔の話したヱホバについての悪口を聞いて,その話を信じました。それから,悪魔の話した言葉通りに行動し,そしてその話を自分の夫にも知らせました。その結果,人類の最初の夫婦は,最善の友から分け離されてしまいました。その時から現在にいたるまで,人々は噂話をしており,そして噂話のために苦しんできました。噂話をしない人は,まず居ません。また噂話の害を受けない人も,まず居ません。いつも噂話をする人々は,自分が噂話の害をうけると,いちばんひどく怒ります。人は,自分についての噂話を憎みます,でも,人は自分が語る噂話には,言い繕います。多くの人は,噂話を始める前になんらかの言い訳を述べます。それは,悪いことをしているという良心の苛責を感じているからです。たいてい,このように始めます。『どうも言いたくないんですが,……』と言いながら,面白がつて語り続けます。またはこんな風に始めます『ほんとか,どうかは,よく知らないんですが,……』と言いながら,偽りではないかと思うことを語ります。まつたく,私たちはサタンの企みを良く知るべきであります。悪魔の武器である噂話に用心すべきです。

      2 この記事を学ぶときに,何を銘記しなければなりませんか?

      2 いつたい,誰に用心すべきですか? 自分自身に対してです。この記事を読む時に,考えて下さい。自分の隣人ではなく,自分自身にどう適用するかを考えて下さい。たしかに,これはあなたの隣人にも適用します。隣人もそのことを認めます。しかし,大事なことは,それがあなた自身に適用することをあなたが認め,そして実際あなた自身に適用することなのです。あなたは自分自身を変えることができます。しかし,あなたの隣人を変えることはできないかもしません。それで,ただ自分自身のことだけに専心しなさい。あなた自身が欠点を持たなくなつたなら,次に隣人をも助けて隣人の欠点を無くさせなさい。あなたの目から梁を取りのぞいた時に,隣人の目の藁を取り除くことができます。ややもすると,私たちは自分に甘くて,他人に厳しくし勝ちです。しかし,自分の身を守るために,その反対でなければなりません。つまり,自分に厳しく,他人には甘くすべきです。―マタイ 7:1-5。

      3 噂話をする人々は,なぜ物事を誇張して話しますか? 秘密を洩らす人々はどんな人々ですか?

      3 噂話とは何ですか? それは,害をもたらす話です。害をもたらそうとする悪意から噂話はされますが,多くは,人を傷つけようとする気持なしに噂話はされています。害の無い話も,繰り返して語られている中に,話に興を添えるため,いろいろと着色されたり,ねじ曲げられたり,誇張されてきます。それで,その話は害のあるものになります。別段なんの悪意をも感ぜずに人はそのことをします。そして,話を面白おかしくして,人の耳をそばだたせ,話しを聞く人の驚き,びつくり,またドキンとした様子を見てよろこびを感じます。噂話をする人は,話に興を添えようと努めるため,関係者に及ぼす害については,決して考えません。噂話をする人の口は,罠となり,その人自らその中に落ちこみます。そして,ヱホバの次のいましめを破つています。『あなた方の民の間を歩き廻つて,人の悪口を言つてはならない。』『あなた方は偽りの噂を立ててはならない。』『あなた方は群衆に従つて,悪しきことをしてはならない。』たとえ,多くの人が偽りの事柄を述べていようとも,私たちがその群衆に従つて兄弟の悪口を言う必要はありません。話が正しいか,どうかはつきりした確信が持てない時,私たちはその話を言うべきではありません。そして,時には,たとえその話が正しい場合でも,私たちは言うべきではありません。『往きて人の是非を言う者は,密事を洩らし,心の忠信なる者は事を隠す。』『あるき廻つて噂話をする者は,秘密を洩らす。愚かな話をする者と交つてはならない。』他人に何の関係もない秘密の事柄を洩らすことは,愚かな話をしており,干渉して,話を言い触らし,そして噂話をしていることです。その人は信用を破つており,悪をなしています。―レビ 19:16。出エジプト 23:1,2。シンゲン 11:13; 20:19,改訳。

      4 何時そして誰に,秘密は時々報告されねばなりませんか? そのような報告は害をもたらす噂話ですか?

      4 しかし,人が害を受けようとも,秘密を言わねばならぬ時があります。ある人が秘かに罪を犯していて,ヱホバとの関係を危険にし,また会衆の清さを汚しているとき,あなたは語らねばなりません。誰に語りますか? 会衆内のすべての人に語るのですか? そうする理由はひとつもありません。会衆内にひろめることは悪いことであり,かつ関係者と会衆両方に害をもたらすものです。ある場合には,関係者に話すだけで充分です。しかし,多くの場合に,会衆の委員になつている僕たちに話すことは必要かも知れません。そのような報告をすれば,罪を犯している人に害が及ぼされるように見えるかもしれません。でも,実際から見ると,それはその人の益になるものです。こらしめを受けた当座に,よろこびは感じません。しかし,こらしめを聞いて訓練される者は,遂にはこらしめの益を刈ります。次のことを記憶しましよう。すなわち,事態を矯正し得る権限を持つ人々に秘密を告げるべきであつて,噂話をしてはならないということです。パウロはコリント人にこう書きました。『私の兄弟たちよ,あなた方に分裂のあることをクロエの家の者が私に知らせてくれた。』クロエの家の者は,コリントの兄弟たちについて噂話をしていましたか? いいえ,その報告は,コリント人の益のためにつくられたのです。その報告は事態を直し得る人になされました。その人は彼らを矯正する権威を持つており,彼らをして再び生命の道に歩ましめ,イエスの足跡に従わしめることができたのです。―コリント前 1:11。ヘブル 12:11,新世。

      5 ある人々は,なぜ友人についての報告をしませんか? そのような人々は,実際に真実の友ですか?

      5 ヱホバの律法によると,悪を行う者たちにたいして,証言がなされました。証言することが禁ぜられているのではありません。ただ,偽りの証言をすることが禁ぜられているのです。この世では,他の者を曝くのを『密告』と考えられ,多くの人に非難されます。特に暗黒社会の掟によると,犯罪者をかばうためには口をつぐむか,偽りの証しをすべきであつて,真実を語つて犯罪者を発くことは憎まれます。しかし,クリスチャン会衆内で,ひとりの兄弟が自分の生命と会衆の清さを危うくする罪を犯すとき,その罪をかばつて隠そうとするのは,かえつて間ちがつた兄弟愛の考えです。ヱホバの会衆の真実の友はその兄弟を叱つて誡るでしよう。また,もし必要なら,罪人を正気に返させるため,会衆の委員に報告して,もつと効力のある叱責がなされるようにします。真実の友は,罪人を永遠に癒すために一時的の傷を加えます。『友の加える傷は誠実にして,敵のする接吻は欺きなり。』それで,罪の行をかくす友は,真実の友ではなく,実際には敵です。暗黒社会の掟から見るとき,その人は賞められるかもしれませんが,しかし新しい世の霊的な原則から見るとき,その人は罪に定められます。―シンゲン 27:6,アメリカ訳。

      6 どんな話は噂話でありませんか? 何時それは噂話になりますか? どんな質問を考えてみるとき,私たちの話が正しいか,正しくないかが分つてきますか?

      6 それで,続けて行われている罪の行を,適当な僕たちに告げることは噂話ではありません。しかし,矯正する立場にいない会衆の他の人々に,その罪の行を言い広めることは,噂話です。また,心から悔い改めて,その行を改め,そして正しい道を歩んでいる兄弟の過去の罪を,他人に言い触らすのは悪いことです。しかし,兄弟たちについて話し,兄弟たちが何をしており,何処に行き,またどうなつているかなどを話すのは噂話ではありません。私たちは,人々に関心を持つています。特に兄弟たちに関心を持つています。それで,なんの害も及ぼさない場合,兄弟たちの活動について正しく話し合うことは,決して悪ではありません。しかし,もし個人的な事柄を穿つてみたり,兄弟たちの動機に疑をかけてみたり,その行為に疑惑や疑念を投げかけると,その話は噂話になります。あなたの話は,その人の名誉を傷つけていますか? その人の評判を傷つけますか? あなたの話のために,友人たちはその人と交るのを避けるようになりますか? あなたの話は,その人の感情を害するか,不和を播きますか? その話のために,その人は奉仕の特権を失いますか? その話は真実ですか? 真実のものにしても,それを誇張したり,着色したりしたため,その話から受ける印象はまるで偽りのようになりますか? その人よりも勝れているとか,得意,ねたみ,悪意,そして皮肉の気持ちを感じながら話をしますか? その話は潔白で間ちがいがないと,あなたは良心の咎めなしに言えますか? まつたくのところ,その人の面前で,同じ調子,同じ言葉でその話を言うことができますか? あなたの話の結果は何ですか? あなたの話の実は良いものですか,それとも悪いものですか? その実によつて,あなたの話を判断することができます。

      7 女は男よりも舌の過ちを犯すと,何が示していますか?

      7 すべての人は同じ弱点を持つていません。弱点に対抗するため,まずその弱点を知らねばなりません。あなたは噂話をする弱点を持つていますか? もし持つているなら,そのことを認めなさい。幾百万という他の人々もあなたの仲間です。そのことを認めなさい。そして戦いなさい。認めて戦わないなら,どのようにしてその弱点に打ち克てますか? 女の方の耳には快よく聞えないかもしれませんが,女は男よりも舌の過ちを多く犯すと,聖書は示しているようです。といつて,男は噂話をしない,ということではありません。男も噂話をします。ある男は女よりも多く噂話をします。しかし,全般的に見て,女は男よりも噂話をします。聖書は女を特に戒めています。『年老いた女たちに,その振舞をうやうやしくし,人をそしつたりすることのないように,命じなさい。』また『女は真面目に行い,そしつたりしてはならない。』次の聖句は,女についての言葉です『その上,彼らは何もしないで,家々を遊び歩いている。何もしないだけでなく,噂話をしたり,他人の事柄に干渉しており,口にしてはならないことを語つている。』家庭内でイラ立たせるものは,男の舌ではなく,女の舌です。『妻の相争うは雨漏のたえぬにひとし。』また『相争う女は雨ふる日に絶えずある雨漏のごとし。これを制うる者は,風を制うるがごとく,右の手に油をつかむがごとし。』― テトス 2:3。テモテ前 3:11; 5:13,新世。シンゲン 19:13; 27:15,16。

      8 女はなぜ男よりも噂話をしますか? しかし,女の人が良く話すことは,どのように天与の賜ですか?

      8 なぜですか? このことについて,男は女よりも高い節義を持つているからですか? 必らずしもそうではありません。男にはなにごとにも積極的に行う気質があるため,男の過ちは女の過ちとはちがうものになるのです。一般に見て,男は女よりも腕力を振つたり,殺人したりする傾向が多いものです。しかし,女は男よりもお話を好みます。そして,人々のことや,人々の活動や,問題や,ロマンスに深い関心を持ちます。女の人が話をすると,自分の関心を持つことがらについて話をします。つまり,人々について話をします。すると,その話から噂話になる危険がいつもあるということになります。男はいろいろな事柄,科学,世界の出来事,経済,または自分の仕事に強い関心を持つています。それで,そういうことについて話をする時に,噂話をする危険は,人々について話する程大きくはありません。話すこと自体は悪くありません。話にたいする女の良い感覚は,しばしば善用されることができます。女の人の語る言葉によつて,小さな子供たちは話をすることを学びます。女の人は何の苦もなく話を始めることができるため,男よりもたやすく真理を人に話せます。また,会衆の集会で,聴衆の参与が求められるとき,女の人は自発的に進んで註解を述べ,大きな貢献をします。しかし,なんのしまりもなく話をして,噂話をするようになると,この天与の賜も罠となります。それで,男も女も,自分は果して噂話をする弱点を持つているかどうかを調べてみなさい。もし,その弱点を持つているなら,自分の話に特別の注意を払わねばなりません。

      噂話の悪

      9 余計な世話をする者や,お節介をする者について,聖書は何と言つていますか?

      9 ヱホバの御言葉は,噂話をすることに対して,くり返し警告を与えておられます。噂話をする人は,他人の事に干渉して,余計な世話をやき,自分の為すべき事をも打ち棄てて他の人にお節介をする人です。クリスチャンたちは,次の警告をうけています『あなた方の中のある者は,だらしない生活をしており,働くことをしないばかりか,自分に関係ないことに余計なお節介をしている。』私たちがクリスチャン忠実を守るために苦しむことがあつても,余計な世話をやいたために苦しんではなりません。あなた方は,『殺人,盗人,悪を行う者,または他人の事柄に余計な世話をやくために苦しむことがあつてはならない。しかし,クリスチャンであるために苦しむなら,恥ずかしく思つてはならない。』事やかましく,他人の事柄に干渉するようなことをせず,むしろ『静かな生活をなして,自分の仕事に身を入なさい。』『愚か者は,他人の事柄に干渉する。』と聖書は述べています。何を好んで,愚か者になりたいのですか?―テサロニケ後 3:11。ペテロ前 4:15,16。テサロニケ前 4:11,新世。シンゲン 20:3,欽定。

      10 噂話をする人々は,どのように問題を起しますか? 彼らはなぜ友ではないのですか?

      10 他人の事柄に干渉する噂話は,問題をひき起します。その噂話は,他人の事柄についてお喋べりし,話に色を着けたり,誇張したり,悪く話したり,また事実を曲げて話します。そして,その噂話によつて問題をひきおこします。『薪なければ火はきえ,人の是非をいう者なければ,争論はやむ。煨火に炭をつぎ,火に薪をくぶるがごとく争論を好む人は争論を起す。人の是非をいうものの言葉はたはむれのごとしと雖もかえつて腹の奥に入る。』人の面前ではつきり言わず,人のうしろに隠れてこそこそと囁きます。そして,噂話をよろこんで聞く人々は,その悪口を一も二もなく受け入れてしまいます。その噂話のために生ずる印象は,うわべだけで止まらず,身内深く達して,全部噛みつくされ,そして消化されます。『友は何の時にも愛す。兄弟は危難の時のために生る』しかし,噂話を言う人は,友ではありません。問題があつて悩んでいたり,また,危難で苦しんでおり,友人か兄弟の援助を最も必要とするとき,噂話をする人は一番悪い噂をまきふらし,その人の友人たちを遠ざけてしまいます。『噂話をする人は親しき友を離れしむ。』『人の事を言いふるる者は,友を相離れしむ。』― シンゲン 26:20-22; 17:17; 16:28; 17:9,改訳。

      11 この終の日には,どんな種類の話が行われると予言されていましたか? 知らずに偽をひろめ,噂話をする者の責任は何ですか?

      11 『悪口を言う者は,愚かなる者なり。』大部分の噂話は悪口です。かりに真実があつたにしても,まもなく大袈裟に言い触らされ,その話の大部分は偽りになります。友たちは,悪口の言われている人から遠ざかります。そして,ヱホバの憎しみは,会衆内の『兄弟の間に不和を播く』噂の語り手にのぞみます。悪口を言うことは,終りの日に多くなされると予言されていた罪の一つです。そのわけからも,この古い世は亡びをうけるのです。それで,クリスチャンたちは,『偽善や,しつとや,あらゆる種類の悪口』を特に避けるべきであります。(シンゲン 10:18; 6:19。ペテロ前 2:1。テモテ後 3:3,新世。)多くの場合,なんの悪意もなく,また人を傷つける気持なしに,噂話がなされます。しかし,それには係りなく害がなされます。ふとしたはずみで過つて人を殺したにせよ,故意に殺した場合と同じくその人は死んでしまいます。たとえ,自分で真実だと考えながらも偽りのことをひろめるならば,それは実際には偽りであり,あなたは偽りを言つていることになります。責任を他の者になすりつけようとして,ある人がその話を語つてくれたのだと言うかもしれません。それでは,その人はまちがいなく偽りを言いました。しかし,あなたがその話をくり返して語つたとき,あなたは偽りを言つたことになります。毀損法によると,もし人が偽りを印刷して繰り返し述べるなら,その偽りを最初に言つた者が誰であろうと,また誰の言葉を引用しようとも,そういう事には関係なく,その人は有罪となります。結局のところ,噂話を始めて言い出した者だけが話すなら,噂は遠くにひろまらず,それに多くの害もなされないでしよう。幾世紀も昔に始められた宗教的な偽りを繰り返し言う者に対して,ヱホバは今日その責任を問うてはいませんか? また偽りを始めるにしても,又はひろめるにしても,ヱホバは噂話をする人の責任を問うております。

      12 噂話をする人々は,何を忘れるように見えますか? たとえ,思い出すとしても,何と言いますか?

      12 もし知らないで偽りをひろめるなら,その人は故意に偽りをひろめる人程の重い責任はありません。しかし,その人も無罪というわけには参りません。もしその人が真実に悔い改めるなら,必らず注意深くなつて,将来,話を繰り返すことをしないでしよう。でも,噂話を愛する人は,そのような注意を払いません。パウロは自分の信仰を証明するのに関連して,こう述べました『後のものを忘れて,前のものに向つて進み続ける。私は上からの召の賞を得るため目標にむかつて走り続ける。』パウロは過去を忘れて将来を見ましたが,それは良い目的を考えていたからでした。しかし,噂話をする人々は,昔自分の話した偽りの話を忘れてしまい,将来ますます熱心に話を言い触らしたいようです。そのような人は,自分で昔に話した噂話が何度偽りであつたかを憶い出し,多分これから先は,もつと注意深くなるべきであろうと,あなたは考えることでしよう。しかし,注意深くなるような人はまずいません。かりに過去の偽りを考えることがあるとしても,それはその偽りを正当化するためです。そのような人は,偽りを言つたことを否定します。または,他の人の言つた事をただ繰り返して語つただけと,言います。あるいは,別の偽りを語つて最初の偽りを隠してしまいます。かりに,そのような人が,二人は結婚するだろうという噂をひろめると仮定してごらんなさい。時が経つても,結婚が行われません。すると,噂を始めた人々は,あの二人は仲違いして結婚を止めたのだと言います。でも噂話をした人は,最初から頭の中の空想と疑いから話をつくりあげたのであつて,たしかな根拠はひとつもないのです。もし,その偽りが為した害をよく見るならば,これからも,もつと多く噂話をしようなどという気持はなくなるはずです。

      13 噂話はなぜ,卑怯なもので,人を殺すものですか? 噂話を行い続ける人には,どんな結果が生じますか?

      13 噂話は悪いものです。噂話は,卑怯なものです。噂話は人を殺します。噂話は良い名前を殺し,良い評判を台無しにし,また人々の心を毒しますので,噂話の犠牲者は害をうけるようになります。『かれらは蛇のごとくおのが舌を利くす。その口唇のうちに蝮の毒あり。』話は死をもたらすことがあります。『その歯は戈のごとく,矢のごとく,その舌は利き剣のごとし』ある人の舌は剣のように鋭く,その吐き出す言葉は矢のように突き刺さります。そした彼らは待伏せしていて,犠牲者の背後から,その言葉の矢を放ちます。『かれらは剣のごとくおのが舌をとぎ,その弓をはり,矢をつがえるごとく苦き言をはなち,隠れたるところにて全き者を射んとす。俄にこれを射ておそるることなし。』しかし,人の後に隠れて噂話する卑怯者は,ヱホバと向い合うことを忘れてはなりません。かりに噂話の犠牲者が,その噂を聞かなくても,ヱホバは聞いておられます。『かれらの舌の故に,神かれらを亡ぼさん。』噂話するその舌は,生ける者の地より,根だやされてしまいます。『なんぢの舌は悪しきことをはかり利き剃刀のごとくいつわりをおこなう。なんぢは善よりも悪をこのみ,正義をいうよりも虚偽をいうことをこのむ。セラ,たばかりの舌よ,なんぢはすべての物を食い亡ぼす言葉をこのむ。されば神とこしえまでも汝をくだき,またなんぢをとらえてその幕屋よりぬきいだし,生けるものの地よりなんぢの根をたやしたまわん。』― 詩 140:3; 57:4; 64:3,4,8; 52:2-5,改訳。

      14 噂話は何に通じますか?

      14 噂話はまつたく悪いものであり,また多くの害を与えるため,噂話する人は会衆から除名されるべきです。会衆内の冗舌家には亡びが来ます。『その口を守る者はその生命を守る。その口唇を大きくひらく者には亡びきたる。』その噂話のために友たちを離れさせるでしよう。しかし,続けて噂話をするなら,その人自身がヱホバの制度より離されてしまいます。『ヱホバよ,なんぢの帷幄のうちにやどらん者はたれぞ。なんぢの聖山に住まわんものは誰ぞ。その人は舌をもてそしらず,その友をそこなわず,またその隣りをはぢしむる言葉をあげもちいず。』『我は虚偽の口を憎む。』とヱホバは言われています。もしヱホバが憎まれておられるなら,私たちも憎むべきです。そして,ヱホバの憎しみをうける事柄は会衆内にあつてはなりません。私たちは次のように祈ります『ヱホバよ,ねがわくは虚偽のくちびる欺詐の舌よりわが魂をたすけ出し給え。』もしそのようなくちびると舌が会衆内にあるなら,会衆はそのような者を除名することによつて救われるでしよう。―シンゲン 13:3。詩 15:1,3。シンゲン 8:13。詩 120:2。

      15 なんのために,噂話は危険なものになりますか? 噂話をする人は,どんな質問を考えねばなりませんか?

      15 多くの場合に,噂話は小さな事柄についてなされます。でも,それを大袈裟に誇張して話すため,不和が生じます。噂話は,針小を棒大にし,棒大を針小にしてしまいます。噂話をする人は,不和を播くというような重大な事柄には全く無頓着です。むしろ,小さな事柄を取り上げて,大げさに吹聴します。しかしその結果は,不和を播くという重大な事柄が生じてくるのです。そのような無意味な話は,なんと危険なものなのでしよう! マタイ伝 12章36,37節(新世)には,こう書かれています。『あなた方に言う。裁きの日に,人は自分の語る無益な言葉に責任を取らねばならぬ。あなた方は,その語る言葉で正しいとされ,その語る言葉で罪に定められる。』裁きの期間中,噂の言葉はどう裁かれると,思いますか? あなたの噂は正しいと証明することができますか? 別段害を加える積りでなかつたというあなたの口実は充分でしようか? あなたの話は偽りと分つた後でも,なお噂話をし続けたと,記録が示すとき,あなたの口実は真実味のこもつたものでしようか? あなたの口から出た言葉についての責任を転嫁することができますか? あなたの言葉が噂話であるならば,必らず罪に定められます。害を与える舌ではなく,癒しをもたらす賢明な舌をいま養うことは,どれ程良いものでしようか。『妄りに言葉をいだし,剣をもて刺すが如くする者あり。されど智恵ある者の舌はいやす。』― シンゲン 12:18。

  • 噂話を打ちつぶす
    ものみの塔 1956 | 1月15日
    • 噂話を打ちつぶす

      『北風は雨をおこし,かげごとをいう舌は人の顔をいからす。』― シンゲン 25:23。

      1 ヤコブは,どんな例を引合に出して,舌の力と,また舌を用いて祝福と呪の言葉を述べる矛盾さを示しましたか?

      弟子のヤコブは,人間の舌に注意を払いました。彼は著しい例を引合に出しつつ,舌というこの体の小さな器を制御することがどれ程難しいかを強調しました。馬の口にくわえさす轡は,馬の全身を変えさせることができます。小さな,舵も,大きな舟の向きを変えます。それと同じように,小さな舌は大言を吐きます。小さな火も森を燃しつくしてしまうように,小さな舌は全身を燃しつくして,体を汚してしまいます。人間は地上の動物を制することができますが,『ひとりとして,舌を制することはできない。』まつたく,『言葉に躓かない人は,完全な人である。』泉は甘い水と苦い水の両方を噴出することができません。いちぢくの木はオリブの実を結ばず,ぶどうの木はいちぢくの実を結びません。塩水は甘い水を出すことはできません。しかし一つの同じ舌は,祝福と呪いの両方を出すことができます。これは正しいことではありません。完全な人はひとりもおらず,また完全に舌を制御する人はひとりもいませんが,それだからといつて噂話をしたり,淫猥の話をしても良いというわけにはなりません。私たちはその害を最小限にすることができます。舌が毒で充ちるのを避けて,人の気持ちを毒するのを止めることができます。舌が人を切る剣になつたり,人に突き刺す矢になるのを防ぐことがです。つまり,噂話をして他の人の良い名前をこわすようなことをいたしません。舌が真理の水で忙しく動いているなら,噂をすることによつて燃え上るということはありません。なんらかの手段で舌を制御すべきであると,ヤコブは示し,こう言いました。『私の兄弟たちよ,このような事はあつてはならない。』― ヤコブ 3:2-12,新世。

      2 人は批評することは早くても,賞めるのはおそい理由はどのように説明されますか?

      2 なぜ私たちが噂話をするのか,その理由を理解するなら,噂話は起らないでしよう。実際のところ,人間は他の人をすぐ批判しますが,しかし,賞めるのはおそいものです。人間は悪いことならすぐ語るのに,なぜ良いことには黙つているのですか? 良いことは当然なものであつて,賞める必要のないものと考えますか? 悪いことには,腹が立つて義憤を感ずるので,悪いことを特別に取上げますか? ある場合には,このことが言われます。なにか極端なものについて話をする時に,私たちの注意が集められるのでしようか? 私たちは,特別に際立つような良いことについて話をなし,また極端に悪いことについても話をします。しかし,噂話はもつと些細なことや,こまかい事についてなされます。噂話は,私たちが注意を払わねばならない程の極端なことや,義憤を感ぜしめる程の重大な過ち以外のことについてなされます。

      3 私たちが現在持つているどんな自然の状態は,噂話をしようとする傾向を説明しますか? その結果,どんな争が生じますか?

      3 人間は社会的な存在であるため,社会の中でたがいに結合します。人間はたがいにその考えを伝え合おうと欲し,自分の学んだものを他の者に是非知らせたいと思います。他の人の知らないものを知つて,それからその知つたことを人に告げるとき,私たちは賢い者であるように感じます。しかし,ちよつとの噂話は,なぜいちばん重大なことを知らせてしまうことになりますか? まつたく,『心からあふれることを,口が語るものである。』また堕落した人間の心については,聖書にこう書かれています。『心は万物よりも偽る者にしてはなはだ悪し。誰かこれを知るを得んや。』あるいは『心は万物よりも欺くものであり,極めて危険である。誰がそれを知り得るであろうか?』 その聖句の続きは,ヱホバは心を知つており,私たちはその心を医して頂くようヱホバに祈らねばならない,と示しています。生まれながらに罪をうけついでいる堕落した人間は,ともすると悪を行おうとします。そして,動機と愛の源である心は,欺きに充ちたものであり,我儘で,病気なものです。そして,堕落した人間のこの弱い器官の考えるものを,人間の口は語ります。罪を持つ人間は,罪の悪を語ろうとします。しかし,ヱホバの御言葉の教をうける心は,ヱホバの律法に従おうと努めます。その結果,心の中の神の律法と,肉の中の罪の律法とのあいだには争いが起ります。『私は自分の欲する事は行わず,かえつて自分の憎むことをしている。』私たちは,噂話をした後に,悪いことをしたと悔い,黙つていた方が良かつたと思います。私たちは噂話をして人の耳に聞かせたという自分の弱さを悔います。私たちはヱホバの律法によつて心を強め,私たちの心を医して頂くようヱホバに祈らねばなりません。そのようにして,私たちの肉の中にある罪の律法を打ち砕き,その律法に打ち勝つことができます。病気にかかつている我儘な心は,他人の持つ病と我儘を見ようとします。そして,気持が溢れてくるときに,口は語ります。多くの新聞は,ひどい犯罪を大見出しに出したり,噂<ゴシツプ>欄を設けたりして,人間のこの気持ちにつけこんでおり,人々を悪事へと誘つているのです。―マタイ 12:34。エレミヤ 17:9,10,14。ロザハム訳。ロマ 7:15。

      4 噂話をする時そのうしろにある動機は何ですか?

      4 噂話は時折りに悪意をもつてなされることがあり,他の人を落して,噂話をする当人自身が昇格しようと仕組む場合があります。悪口を言う人は,他の人の立場を危うくして,その人の仕事を奪い取つたり,または友人を盗んだり,あるいは会衆内の奉仕の立場を取ろうとします。嫌いだからという理由で,ひとりの人に対する反感や反対の気持ちをひき起します。多くの場合,人の陰口を言う時には,ねたみか,しつとの気持が働いているものです。噂話をする人は,その被害者の高い地位とか,名声とか,又は良い業をねたむかもしれません。噂話をする人は自分と被害者とを比較してみたときに,とうてい優位に立てないからです。カインはなぜアベルを殺しましたか?『彼の業が悪く,その兄弟のわざは正しかつたからである。』噂話は,それと同じ理由でなされます。そして,噂話は自分を高めて他の人を低めようとします。しかし,自分を高めようと努める者は,必らずいやしめられ,低くされます。同じように,ねたみの気持から悪口を言いふらして,自分を高めようとする者たちもいやしめられ,低くされます。ある人のお気に入つて,自分の益を図ろうと思い,陰謀家はその人の嫌いな者について噂話するかもしれません。それは,へつらいの話であつて,聞く者と悪口の言われている人とをくつきり対照させることにより,聞く者の御機嫌を取ります。そのような陰謀家についての聖書の言葉は,まつたく真実なものです『その口は大言を吐き,利のために人にへつらう者である。』クリスチャンは次の言葉を述べたパウロに倣います『私たちは,あなた方が知つているように,けつしてへつらいの言葉を用いたこともなく,口実を設けて,むさぼつたこともない。それは,神があかしして下さる。』ヱホバは『悪しき謀計をめぐらす心』を憎みます。―ヨハネ第一書 3:12。ユダ 16。テサロニケ前 2:5。シンゲン 6:18。

      5 自分に注がれる注意を逸らすために,噂話はどのように用いられますか?

      5 人は,自分に注がれる注意を逸らさせるために噂話をします。他の人を批評することがあつても,自分を批評しようとはしません。他の人の顔に泥をなすりつけて,自分の悪をかくそうとします。あるいは,他の人々も自分と同じ罪を犯したと批評するかもしれません。その人は仲間が欲しいのです。そうすれば,自分ひとりに非難が集中することはなく,非難は群全部に行き渡ることでしよう。もし非難されると,他の人も同じ事をしていると言い,自己弁護できると考えます。ついでのことですが,噂話をする人々は,多くの場合一番最初に,噂話をする他人を非難します。自分が罪を犯していると知つているため,自分勝手に他の人を裁いてしまいます。しかも,他の人を裁くときには,自分自身を裁くよりもずつと厳しくいたします。いつも他の人が裁きを始めます。それで,聖書の次の言葉はまつたく正しいものです。『だから,ああ,すべて人をさばく者よ。あなたには弁解の余地がない。あなたは,他人をさばくことによつて,自分自身を罪に定めている。さばくあなたも,同じことを行つているからである。』― ロマ 2:1。

      6 ある人々は,どのような狡猾な手段を用いて自分を高めますか? その結果はどういうことになりますか?

      6 人は多くの場合,自分自身を高めようとして,他人についての噂話をします。人はこのことに気ずかないかもしれませんが,その話の背後には狡猾な考えが潜んでいるのです。他の人を批評することは,実際には自分自身を高めることです。つまり,他人の誤ちを非難することは,自分がその過ちを犯していない,という風に人は考えます。この種の噂話は,自分自身についてのホラ話しとも言えます。他人は罪を犯していると言い立てて,自分は勝れた者のように感じます。そして,得意な気持を感じます。そうする人は,パリサイ人たちと同じようです。パリサイ人たちは神に祈りを捧げ,その祈りの中で他人について噂話をし,自分たちがそのような者でなかつたことに感謝していました。彼らはこう祈りました『神よ,私はほかの人のような貧欲な者,不正な者,姦淫をする者ではなく,また,この取税人のような人間でもないことを感謝します。』ところが,取税人は『胸を打ちながら「神様,罪人の私をおゆるしください」』と祈りました。この取税人は,他人よりも勝れているなどとは感ぜず,むしろ謙遜な気持から自分の罪深いことを歎き悲しみました。この話のすぐ後に,神のおきてが記されています『おおよそ,自分を高くする者は低くされ,自分を低くする者は高くされるであろう。』噂話という狡猾な手段を用いて,自分を高くする者は,低くされます。ヱホバによつて高めてもらうために,謙遜な気持からあなた自身の欠点を考えなさい。他の人の欠点を考えるべきではありません。―ルカ 18:9-14。

      7 他のどんな事柄は噂話を始めさせますか? 噂話の覆いを全部取り剥いでしまうとき,噂話の実体は何ですか?

      7 他の多くの事柄も噂話を始めさせるものです。もしなんらかの理由のためにある事柄に失敗して,できないときは,その事柄を為し得る人々を批評します。そして,そのような行は悪いものだと見せかけます。あるいは,どうも自分は確でないと感ずると,他人の欠点を見つけ出して自分を安心させようとします。また,ある一つの点に強い場合には,その点に弱い人をきびしく批評するかもしれません。そして,愛の心などは全く持たず,自分こそ人々の模範になるべきだなどと,利己的に考えます。他人のこの弱さを批評することによつて,その人は狡猾にも自分自身の優越さというものを誇示しています。噂話は多くの場合に,人の注意を得て,人に聞いてもらいたいためになされるものです。他人の知りたいと欲しているものを知ると,得意な気持ちになり,なにか賢くなつたような感じを持ちます。しかし,実際にはそのような人は浅い人です。そのような人は浅い人か,または怠け者であつて,深く考えようとはしないのです。そして,人の注意を得るための理智のある話ができないのです。噂話をしたり,批評したり,悪口を言つたり,大げさな事を言うのは難しいことではありません。それで,そのような人は,ちよつとした面白い話を聞きたいと願う人々の耳をくすぐるために,噂話をしたり,批評したりします。噂話をする人は,2と2を足して,5にします。そして,繰り返してしている中に,答は6となり7となります。噂話の理由は,多いもので,しかもその理由はいろいろと組み合わされています。しかし,あらゆる覆いを取り剥いでみると,噂話の実体をはつきりと見ます。―すなわち,噂話は不親切,不公正,有害,憎むべきもの,浅いもの,人をそしるもの,悪意のもの,人を殺すものです。ヱホバがなぜ噂話を忌み嫌い,又クリスチャンは,なぜ噂話を避けねばならないかが,分ります。

      噂話を言つてもならず,聞いてもならない

      8 何の理由で,噂話は卑怯者のするものですか? 何を考えるときに,舌はつぐみますか?

      8 噂話の実体を知るとき,噂話が口から出ることはありません。噂話は卑怯な話であつて,その多くは偽りの話です。卑怯者と偽る者を好む人は,誰ですか? ヱホバはそのような者を好みません。ヱホバの言葉は,こう述べています『しかし,卑怯な者……すべて嘘を言う者は,燃える火と硫黄の池とにあつて,その報いを受ける。これは第二の死である。』人のまともに立つては,とうてい言えないようなことを,人の陰で言うのは卑怯者のすることです。陰口をして,人の背後を襲うべきではありません。非難をうけている者は,自分の身にふりかかつている非難を聞く権利がないと,あなたは言われますか? その人に,自己を弁護し,自分の立場を語り,事態を明らかにし,噂話を打ちつぶし,虚偽に対して反論するだけの機会を与えないのですか? もしあなたがその人に会わないなら,その人はどうしてそうすることができますか? あなたは自分の兄弟に対して公正であり,正直ですか? ある人について何かを語ろうとするとき,まず,その人の面前でもそう言えるだろうか,と自問しなさい。もしその話が噂話なら,あなたの答は多分『否』でありましよう。もし,あなたが噂話をする人なら,恐らくそのことを言うでしよう。人に語るとき,どうかその話を他の人に言わないようにと,あなたは誓わせるかもしれません。しかし,聖書の言葉によると,そのような話は,悪口を言われている人のところに伝わつてしまいます。『なんじ心の中にても王たる者を詛うなかれ。また寝室にても富者を詛うなかれ。天空の鳥その声を伝え,翼ある者その事を布るべければなり。』それについて,あなたは不平を言いますか? あなた自身,秘密を守ることができなかつたではありませんか? それなら,他人が秘密を守るのをなぜ期待するのですか? 自分自身よりも,なぜ他人に多くの期待をかけるのですか? あなたには,黙つていることができなかつた。それであるのに,他人には黙つていてもらうようなぜ期待するのですか? さらに,あなたが悪口を言う者を,その他人は好んでいるかもしれません。そしてその人に自己弁護の機会を持たせたいと思うことでしよう。それは当然なことです。それで,噂話を言うとき,犠牲者が,誇張されて伝えられるその噂話を聞いてどう感ずるかを考えなさい。そのことを考えるならば,あなたは口をつぐんで黙つていることでしよう。―黙示 21:8。伝道之書 10:20。

      9 噂話を止めるどんな勝れた理由がありますか? いろいろなどんな方法を用いて,私たちは習慣を破ることができますか?

      9 私たちは,口をつぐんで噂話をすべきでありません。しかし,その理由は,被害者がその噂話を聞いて私たちに食つてかかるのを恐れるからという理由より勝れたものであるべきです。噂話はサタンをよろこばし,ヱホバをよろこばしません。私たちは誰をよろこばしますか? 私たちはどちらに仕えますか? あなたは,あなたの従う方に仕えます。あなたが噂話をすれば,それは,サタンの思う壺に入ります。ヱホバの御意は,あなたが噂話をうちつぶすことです。噂話は習慣になります。噂話をすればする程,その習慣は根ずよいものになります。習慣を打ち破るためには,つねに気をつけていて,倦まず弛まず,かたい決意をもつて,熱心な努力が必要です。あなたは自分自身を甘やかすことができません。次第次第に止めようなどと努めてはなりません。いま止めなさい! ひるまずに,戦いなさい! 噂話をしたいという気持を押えつける度ごとに,その習慣の力は弱まつて行きます。しかし,噂話をしたい衝動に駆られて,つい話をする度ごとに,その習慣の力は強まつてきます。死にものぐるいになつて戦いなさい。一歩といえども引きさがらず,すこしも譲歩せず,また後退してもなりません。噂話の源と戦いなさい。その根をすなわち心と精神のなかにある噂話の根を亡してしまいなさい。心から噂話を追い出すだけでなく,心の中に良い考えを入れなさい。汚れた霊が人から追い出されても,もしその人がヱホバの霊で充されないなら,その汚れた霊は7つの他の汚れた霊を伴つて帰つてくるであろう,とイエスは示しました。(マタイ 12:43-45)それで悪い噂話を心の中から追い出して,それから良い考えで心を充しなさい。ヱホバの助けを祈りなさい。『ヱホバよ,ねがわくはわが口に門守をおきて,わがくちびるの戸をまもり給え。』噂話をする人は,人の悪を探します。人の善を探す習慣をつくりなさい。悪い人々の模範に目をとめず『あなた方の模範にされている私たちにならつて歩く人たちに目をとめなさい。』とパウロは言つています。―詩 141:3。ピリピ 3:17。

      10 たとえ私たちが噂話の犠牲者になろうと,どんな考えを持つときに,私たちは噂話をしませんか?

      10 さて,ある人が私たちについての噂話をするとき,私たちは何をすべきですか? 私たちは自分自身を守るために戦うことができませんか? もちろん,真理でもつて戦うことができます。しかし,噂話をして自己弁護することはできません。『かれら神の霊にそむきしかば,モーセその口唇にて妄にもの言いたればなり。』とあるようにモーセは他人の影響をうけて罪を犯しました。それと同じように,私たちもなぜ他人の影響をうけて罪を犯すようにするのですか? 噂話をする人の思う通りに,なぜあなた自身も噂話で言い返すようなことをなし,その悪い像に似る者になるのですか? この弱点に打ち克ち得ることを示しなさい。『悪をもつて悪に報いず,悪口をもつて悪口に報いず』『悪をもつて悪に報いず』噂話の火に油を注ぐようなことをしてはなりません。そして,気持を刺戟するような話をして,熱してはならず,むしろ冷静を保つて,静かな気持を持ちなさい。『気の短き者は愚なることを顕す』ダビデは,逆上した答の持つ危険を良く悟つていました『われさきにいえり。われ舌をもて罪を犯さざらんために,我がすべての途をつつしみ,悪しき者のわがまえに在るあいだはわが口にくつわをかけんと。われ黙して啞となり,善言すらことばに出さず,わが憂なおおこれり。わが心わがうちに熱し,おもいつづくるほどに火もえぬれば,われ舌をもて言えらく。』ダビデは,心の中が煮えくり返つていたと考えましたが,しかし口から語つたときには反対者に対する熱した悪口ではなく,ヱホバへの願いの祈りでした。―詩 106:33。ペテロ前 3:9。ロマ 12:17。シンゲン 14:29。詩 39:1-3。

      11 噂話を聞くのは,なぜ悪いことですか?

      11 あなたが,噂話をする時,その噂話は何人をも益さず,そして,噂話は少くとも3人の人を傷つけます。噂話をされている人,噂話を聞く人,そしてあなた御自身です。あなたが噂話を聞く時も同じ3人の人を傷つけます。噂話を打ちつぶす確かな方法を知つていますか? 噂話を聞くのを拒絶しなさい。噂話をする人は,あなたに聞いてもらいたいと願つています。噂話を聞いてはなりません。その話は,汚れたもので充ちています。そして,一度聞いたからには,その汚れを他の人にもひろめたいという誘惑にあなたは駆られるでしよう。噂話を聞くのを拒絶して,その人をも助け,かつ自分自身をも守りなさい。もし,噂話に聞き入るならば,あなたは罪の無い傍観者ではありません。噂話を語つてもならず,聞いてもなりません。そして噂話を止めるべきです。もし噂話を語るなら,あなたの舌は罪を犯しています。もし噂話を聞くなら,あなたの耳は罪を犯しています。もし噂話を聞いてそれを信ずるなら,一方の側だけを聞いてその事柄に肯定の答を与えることになります。両方の側を聞いてこそ,はじめて全部を聞いたことになるからです。それで,聖書によれば,あなたは不公平な者であり,愚かな行をしていることになります。『いまだ事をきかざるさきに応うる者は愚かにして辱をこうぶる。』このわけで,噂話を聞いてはなりません。次のことを考えてごらんなさい。もし,噂話があなたについての悪口であるなら,その噂話を止めさせたいとは思いませんか。自分にしてもらいたいように,他の人にもしなさい,とイエスは言われました『だから,何事でも人々からしてほしいと望むことは,人々にもそのとおりにせよ。』― シンゲン 18:13。マタイ 7:12。

      12 噂話をする人々について,何を記憶すべきですか? どうするならば,噂話をする人々を匡正することができますか?

      12 噂話をする人は真実の友でないということを,いつも憶えていなさい。もし,あなたに噂話を語るなら,あなたについても噂話をするでしよう。その人はあなたに噂話を語ることにより,あなたにも噂話を話させるように仕向けます。そしてその人は『外に出でては,これを述ぶ。』これは狡猾な偽善です。噂話をする人が二枚舌を用いるからといつて,二枚の舌を必要とするわけではありません。誰彼の差別なしに噂話を語るからです。それは,もう抜き難い習慣になつてしまつています。もし,その言葉に耳を傾けないなら,あなたはその人の抑えることのできない舌を止めることができます。そして,あなたはその人を助けることになり,彼も後日にはそのことを感謝するでしよう。『人をいましむる者は,舌をもてへつらう者よりも大なる感謝をうく。』しかし,噂話をする者が後に感謝しようと,しなかろうと,ヱホバの僕であるあなたは,その噂話を拒絶し,眉をしかめて噂話を断らねばなりません。『北風は雨をおこし,かげことを言う舌は人の顔をいからす。』もしその人が,行を改めようとせず,また愚かな言葉をも止めず,かつ知識と智恵の言葉を語らないならば,聖書の命ずる通りにしなさい『なんじおろかなる者の前を離れされ。ついに知識の彼にあるを見ざるべし。』けつきよく,類は類を呼ぶように,噂話しをする人々だけが,その噂話を聞きます。『悪を行うものは,偽りのくちびるにきき,偽りをいう者は,あしき舌に耳を傾く。』慢性の噂話を止めて,私たち自身を守らねばなりません。『騙されないようにしなさい。悪い交りは良い習慣を壊す。』― 詩 41:6。シンゲン 28:23; 25:23; 14:7; 17:4。コリント前 15:33。

      愛は噂話を根絶する

      13 愛はどのように噂話を根絶しますか?

      13 噂話は弱点や欠点につけこんで行われます。しかし,愛はこれらの短所をかくすため,噂話を生ぜしめません。『愛は多くの罪をおおうものである。』愛のあるときに噂話は根絶されてしまい,話が噂話になることはありません。そのわけで,クリスチャンたちはその短所をおおう愛を持つようにと命ぜられているのです。『何よりも先ずお互に対する愛をしつかりと保ちなさい』あなたは自分自身を愛しています。それで,あなた自身が間ちがえれば,その言い訳を見つけたり,その間ちがいに対する口実を探したりしますが,それはとりもなおさず,あなたが自分自身を愛しているからです。その愛のために,なんでも自分の良い方にと事柄を扱い,その結果,自分自身の欠点を見ることは難しくなります。さて,『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ。』あなたの短所をおおう同じ愛を,自分の兄弟たちにも適用しなさい。そして,その愛により兄弟たちの欠点をもおおいなさい。あなたは自分自身を愛する故に,自分自らに対しては理解の心を持ち,憐み深く,また自分の罪をもゆるします。それと同じことをあなたの兄弟にもいたしなさい。『ヱホバはわれらのつくられし状をしり,われらの塵なることを念いたまえばなり。』あなたは,ヱホバがあなたのことを念い,分以上のことをあなたから要求していないことにうれしく思つていませんか? それなら,あなたの兄弟も同じく塵であることを念つて,分以上のことを兄弟から期待してはなりません。自分が許されるためには,兄弟を許さねばなりません。イエスの模範の祈によると,あなたが他の人たちを許すときにヱホバからの許しをうけるようお願いすることができます。もしあなたが他の人を許さないならば,神からのゆるしを願つてもそれは無益なことです。人のあやまちをゆるすとき,そのあやまちを忘れなさい。もし後になつて,そのあやまちを繰り返して語り,噂話するなら,あなたが許したということは二枚舌からなされたのであり,誠実な心からなされたのではありません。あなたには,多くの罪をおおう愛が不足しています。―ペテロ前 4:8。マタイ 19:19。詩 103:14。

      14 シンゲン 16章2節は,どんな良い助言を与えていますか? それが私たちの心に充ち溢れるなら,何が噂話を打ちつぶしますか?

      14 シンゲン 16章2節(ア標)は,こう述べています。『人の途はおのれの目にことごとく潔しと見ゆ。ただヱホバ霊をはかりたもう。』ヱホバの秤は狂のないはかりです。そのはかりは,偏愛とか,依怙贔屓とか,偏見などで不正な目盛を示すことはありません。ヱホバはそのはかりを用いて,人の霊,すなわち気質とか,また人間の考え,話,行動を起させる動機をはかります。人間は自分のことを愛するために,何事も自分の都合良いようにといたします。そして,自分の道は清いと見えます。しかし,ヱホバの公正なはかりは,人間の考え,言葉,または行為のうしろにある動機というものをしらべ,はたしてその動機が清いものか否かを試します。それで,良く注意いたしなさい。他の者は汚れているが,自分は清いなどとうぬぼれてはなりません。ヱホバが,そのはかりの目盛を読まれるとき,ヱホバの御目はすべての者に対する公正な慈悲で充ちています。あなたが自分自身と他の人を見るときに,公正な慈悲の心を持つようにしなさい。自分には甘くして,他の人に厳しく行つてはなりません。『愛はすべての愆をおおう』ヱホバはその愛の御心からキリストの贖を備えられ,従順な人類のすべての愆をおおいます。私たちは,その種の愛を養わねばなりません。そして,私たちに対する兄弟たちの愆をゆるし,かつおおわねばなりません。その種の愛について,聖書はこう述べています。『愛は寛容であり,愛は情深い。また,ねたむことをしない。愛は高ぶらない。誇らない。不作法をしない。自分の利益を求めない。いらだたない。恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして,すべてを忍び,すべてを信じ,すべてを望み,すべてを耐える。』私たちの心が,この種の愛に充ちるなら,私たちの話は決して噂話にならないでしよう。―シンゲン 10:12。コリント前 13:4-7。

      15 私たちは,いつもどんな負債を持つていますか? 私たちは,どんな間ちがいを避けるべきですか?

      15 さて,どれ程長く私たちが生きようと,たとえ永遠にわたつて生きようと,私たちは負債を払いつくすことはできません。私たちは,いつもその負債を持つています。その負債とは何ですか? ロマ書 13章8節はこう答えています。『互に愛し合うことの外は,何人にも借りがあつてはならない。』私たちはつねに愛し合わねばなりません。私たちは今からその負債を払い始めるべきであつて,その払いを止めてはなりません。払い始める一つの方法は,噂話をすつかり止めることです。もし,ある人についてのあなたの話は清いものと考えても,ヱホバはあなたの霊を測るということを忘れてはなりません。あなたの話がすこしでも汚れているなら,その汚れは,ヱホバの秤の上に表われます。それで,人についての話をする前に,そのことを良く考えて下さい。羊と山羊についてのイエスの譬話を思い出して下さい。その譬話の中で,山羊級の者たちは,キリストにたいする無関心と無頓着を告げられた時に,驚きを感じました。それから,山羊級の者たちは,兄弟たちに対して行つたことや,行い得なかつたことは,キリストに対して行つたこと,そして行い得なかつたことに見なされると,知りました。さて,あなたはキリストについての噂話をしますか? キリストの欠点を見つけますか? キリストについての陰口を言いますか? もしキリストにたいして,そのようなことを行わないならば,キリストの兄弟たちに対しても行つてはなりません。山羊級の者のする間ちがいを行つてはなりません。兄弟たちに対して行うことは,つまりはキリストにたいして行うことです。実際のところ,もしヱホバを愛すると言いながら,自分の兄弟を憎むなら,あなたは嘘言者であると,聖書は述べています。『現に見ている兄弟を愛さない者は,目に見えない神を愛することはできない。』それで,兄弟たちに負うている愛の負債を今から払い始めなさい。そして,その払いを止めてはなりません。―ヨハネ第一書 4:20,新世。

      神の与え給うた心を尊重せよ

      16,17 どんな例を見るとき,心を噂話に用いる愚かさが分りますか? 引用されているどんな言葉は,心のすばらしさを示していますか?

      16 かりに,あなたが1台の立派な自動車を持つているとしましよう。そしてその自動車は,丹念な工作が施されたものであり,しかも車体は新しくてピカピカ磨かれており,流行の先端を行くようなものであるなら,その良い自動車を用いて鋤を引ぱつたり,又は肥料を曳かせますか? あるいは,かりにあなたが1軒の美しい家を持つているとしましよう。その家は近代的な家で,大きな窓には絵が画かれており,美しい布がかけられています。その家の装飾は,申し分ない程に整つており,どの部屋も品の良い立派な家具や調度品が備えつけられています。そしてある部屋の床には,磨き抜かれてピカピカ光る堅木が敷かれており,別の部屋では,一方の壁から他方の壁までに達する部屋一杯の厚いクッションの絨毯が敷きつめられています。あなたは,そのような家に豚を住まわせますか? あなたは立派な自動車や美しい家を間違つた仕方で用いることをしないでしよう。それらは,もつと立派な事柄のために用いられるべきであり,大事に取り扱うべきです。

      17 同じことは人間の心についても言えます。人間の心に噂話を充したり,悪口を充満させたり,また泥をつめこんで,それから舌を用いてこの汚れを他人に散らす,というのは正しい仕方ではありません。もつと立派な仕方で,人間の心を用いなければなりません。頭脳はヱホバから与えられたすばらしい贈物です。頭脳は非常に複雑で込み入つているため,賢人という人でもその働きを充分知ることはできません。ある科学者の言葉によると,人間の頭脳は,アメリカの議会図書館にある知識の50倍もの知識を持ち得るとのことです。1954年7月号の『リーダーズ・ダイジェスト』誌の一記事は,こう記しています。『頭脳と脊髄の中で,絶えず何が行われているかを少しだけ理解するため,1000の電話スイッチ板を考えてごらんなさい。そのスイッチ板一つ一つは,ニューヨーク市のような大都会にも充分間に合うほど大きいものです。その1000のスイッチ板は目も止まらぬ程の早さで要求や,質問や,注文を受けたり,他のところへ伝達したりするのです。……頭脳には信ずることのできない程のすばらしい力があつて,アッという間に数千の反射回路を結び合わせることができます。―その回路一つ一つは記憶とか,考えを表わしています。―かくして,頭脳は,考えたり決定をつくるのに必要な資料を一つの大きな回路に集めることができます。私たちの生涯の中に持つどの経験も,これらの電気的な回路により記録され,保存されると多くの科学者は信じています。たとえ,すつかり忘れてしまつたと思える幾百万という経験も記録されているのです。精神病医者は,次のことを発見しました。すなわち,患者は「私はすつかり忘れてしまいました」と最初言うにしても,もし毎日毎日憶い出そうと努めるなら,その幼少時代の埋もれた出来事を憶い出す,ということです。』この記事は,次のように結論しています。もつとも賢いと言われる人でも『その一生の生涯中,自分の持つ頭脳の能力を極く僅かしか用いない。』ということです。

      18 ある人々の言うごとく,私たちは『流れ漏る器』ですか?

      18 『私たちの生涯の中に持つどの経験も記録され,保存されている』という説に注意して下さい。これから見ると,人間が『流れ漏る器』であるという主張は,まつたくの間ちがいということが分ります。それらの人々は,その主張をヘブル書 2章1節の欽定訳(英文)の欄外からつくり出しています。その聖句は,こう述べています。そのわけで,私たちは聞いたことがらに十分の注意を払わねばならない。さもないと,流れ漏る器のごとき私たちは,それを流してしまうであろう。』しかし,新世訳(英文)は,その点をはつきり示しています。『それで,私たちは聞いた事柄に,なみなみならぬ注意を払わねばならない。さもないと,私たちは押し流されてしまうであろう。』私たちの聞く真理が,私たちから流れ去つて行くのではなく,押し流される危険があるのは私たち自身のことなのです。もし私たちが,その学ぶことに十分な,なみなみならぬ注意を払わないならば,私たちは押し流されてしまいます。それで,私たちの心は流れ漏る器ではありません。学ぶところのいろいろの事柄は,記録され,保存されます。しかし,もし学んだ事柄に『なみなみならぬ注意』を払わないならば,折角学んだことも,ほとんど忘れてしまつて,無のものになつてしまうかもしれません。その記憶を掘り出すことは難しいものであり,大変な努力を必要とします。その記憶を掘り出し得ないといつても,その記憶がないというわけではありません。すばらしい具合につくられている心は,感謝の念の中に述べたダビデの言葉のうちに,はつきり表わされています。『われなんじに感謝す。われは畏るべく奇しくつくられたり。』― 詩 139:14。

      19 何でもつて私たちの心を充すべきですか?

      19 あなたは,畏るべく奇しくつくられた心について,ヱホバに感謝しますか? どのように感謝しますか? 心を噂話で充し,それから噂話を吐き出すことによつて感謝しますか? あなたは,そのような感謝を神に捧げていますか? もしそうなら,今こそ噂話を止め,人を悪く言う考えを棄てさりなさい。かえつて,心を良い道と高い考えで充し,神の道とヱホバの考えで充すことにより,神の与え給うた心への尊敬と感謝を示しなさい。『悪しき者はその途をすて,よこしまなる人はその思をすててヱホバに反れ。さらば憐憫をほどこし給わん。我らの神にかえれ。豊かに赦をあたえたまわん。ヱホバ宣く,わが思はなんじらの思とことなり,わが道はなんじらのみちと異なれり。天の地よりたかきがごとく,わが道はなんじらの道よりも高く,わが思はなんじらの思よりもたかし。』ヱホバの道と考えは,聖書の中に述べられています。そして,ヱホバは聖書を通して私たちに語られています。ヱホバは何を語つておられますか? マタイは,最後の晩,誰と共に一緒に出かけていたか,ということですか? あるいは,プリスラについての一番新しい噂話ですか? そのようなことは,まずあり得ません。ヱホバが私たちの心を堕落させることはありません。また堕落した肉の罪の傾向を奨励するようなことはありません。ヱホバは私たちを高め,正義の中に私たちを建て起して強めようとしておられます。ヱホバの御言葉は,高い考え方の標準を示しています。『すべて真実なこと(噂話とか悪口でなく),すべて尊ぶべきこと(些細なことでなく),すべて正しいこと(不正なものや悪でなく),すべて純真なこと(悪い疑惑や噂話の汚れでなく),すべて愛すべきこと(けいべつしたり,憎んだりしないこと),すべてほまれあること(名誉を傷つけず,悪しざまに語らないこと),また徳といわれるもの(悪ではない),称讃に値するもの(非難しない)があれば,それらのものを心にとめなさい。』― イザヤ 5:7-9。ピリピ 4:8。

      20 質問 この研究の結論は何ですか?

      20 噂話はサタンから始まりした。そのことを忘れてはなりません。噂話をしないように,注意しないさい。噂話は害をもたらします。ヱホバは噂話を禁じています。噂話の後にある悪い動機を見定めなさい。噂話で,あなたの舌も耳をも汚してはなりません。あなたが,ある人のした噂話の犠牲者になつたとしても,あなた自身噂話をしてはなりません。いつも真実の親しさと愛を持ち続けなさい。噂話をする人は真実の親しさもなく,また愛をも持つていません。そして,畏しく,かつ奇しくつくられた心を正しく取り扱いなさい。心を善で充しなさい。ヱホバの御言葉の乳と肉は,人間の心を養つて強めるものです。あなたの心を大きくして深めなさい。そして,滋味のある食物を感謝する程の円熟さを得なさい。噂話をする心は,浅い心であり,その頭は空つぽで,舌はおしやべりをします。心の中に何も無いおしやべりより,口数少くても多くのものを心に持つ方がずつと良いものです。私たちは噂話の悪をたしかに知つています。噂話をおさえつける仕方や,正しい舌の用法を知つています。弟子のヤコブは『人がなすべき善を知りながら行わなければ,それは彼にとつて罪である。』と言いました。(ヤコブ 4:17)ヱホバの律法を私たちの心の中にいれるならば,肉に根ずくこの罪に対しての戦うことができます。噂話をするために,神が私たちの生命を打ちつぶす以前に,私たちは噂話を打ちつぶさねばなりません。

  • ヱホバの証者の信仰自由への戦
    ものみの塔 1956 | 1月15日
    • ヱホバの証者の信仰自由への戦

      「一個人又は団体が,長い年月に亘つて,憲法の尨大な条令の文章を形成し得る力をもつとは,たとえあつたとしても,真に稀なものであろう。しかし,このようなことは起り得るし,事実,起つているのである。その団体はヱホバの証者である。ほとんど絶えざる訴訟により,この制度は,言論と宗教の自由についての第14副令の適用を用いて,沢山の勝利の判決記録を着々と築き上げている。……ごく最近にも,第14副令の適用で,試練と見られる州訴訟がおきている。このようにして,州が手を出すことができる限界を定めた法律を要約した数々の判決が重ねられてきた。この点でもヱホバの証者は,その数についても,その意義についても,最大の貢献をなしてきている。』― 米国憲法改正法回顧第2巻

      『……ヱホバの証者について何んと批評しようとも,ともかく彼らには,殉死するのもいとわぬ勇気をもつている。しかも,証者は法律家をやとつて,法廷で戦う資金をもつている。結果として最近には,たくさんの他の宗派とか団体に勝つて,ヱホバの証者は,宗教の自由についての憲法の育成に貢献してきた。驚くことに,彼らは実によく,絶えまなく活動している。時に,証者は勝利を得,時に,敗北している。』― ビアード著『共和国』(又37頁を見て下さい)

  • その14 戦いは法廷にまで及ぶ
    ものみの塔 1956 | 1月15日
    • ヱホバの證者の近代歴史

      その14 戦いは法廷にまで及ぶ

      1933年以来のヱホバの証者の蓄音機による活動は,ラジオ検閲という手段に頼つていた彼らの激しい迫害者の計略の裏をかきました。しかし今度は,ものみの塔協会の宗教反対者たちは,証者の雷鳴をとどろかすような音を法律の手段に訴えてしずめさせようと迫つてきたのです。コネクチカット州の法廷で,二人のローマ・カトリック信者の告発により,ヱホバの証者は平和撹乱のかどで1938年4月26日有罪判決を与えられました。それは,ローマ・カトリックの教職制度の活動をあからさまに曝露した『敵』という名の判事ルサフォードの講演を,そのカトリック信者の面前でレコードにより,聞かせたからです。不当なる判決は上訴されて,合衆国の最高裁判所にまでその事件は持ち出されました。1940年,5月20日,最高裁判所の9名の判事(主席判事チャーレス・エブアンス・フューゲスを含む)は,こぞつて,ヱホバの証者に勝利の判決を与えました。法廷によると,すべての宗教,特にローマ・カトリックに対して強い攻撃を吹き込んだレコードをカトリック信者の前でかけても,合衆国の憲法に何ら触れるものでなく,平和撹乱罪も構成せず,また,その意図を持つものでもないことが明白にされました。法廷は次のよう述べました。

      『宗教上の信仰と政治上の信念には,著しい相違が起ることがある。両方の分野においても,ある一人の信条は,彼の隣人から見ると許すべからざる誤りに見える。自分の見解に他人を説得するため,上訴者は ― 我々の知つているとおり,時に,大げさの形容を用いるが ― 教会又は国家において,著名であつた,又は現在そうである人々の悪口を云つた。あるいは,偽りの言明をなした。しかし歴史の教えるところにしたがつて,この国の人々は次のような結論を抱いている。これら言論の自由は,過度又は乱用と見えても,長い目で見るとき,民主主義国家の市民の啓発された意見とか,正しい振舞の上に肝要なものであると。』― キャンテウエル対コネクチカット州310ユー・エス・

      1948年に,ヱホバの証者は最高裁判所において,もう一つの凱歌をあげました。法廷の論告は次のようです。

      『拡声器は今日,効果ある公開講演で欠くことのできぬものである。音響自動車は政治運動においても公認の方法となつている。これは,公衆に呼びかける手段と認められている。……騒音迷惑という主張のうらに,思想上の不一致がかくされていることもある。この種の条令につきものの検閲の力は,害を及ぼすものである。』― サイア対ニューヨーク334ユー・エス・

      かくして,1940年からの10年に亘つて,キリスト教国の戦士は,ヱホバの民が全世界的規模をもつて遂行していた音声による証言の業を喰い止めることに

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