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あなたは権威をどう見ますかものみの塔 1972 | 8月1日
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の創造者としての神だけが与えうるもの,つまり自分の進路を自分で選ぶ能力,すなわち「自由意志」を理知ある被造物に付与されたからです。この自由のゆえに彼らが二者択一に面することを神は知っておられました。そして,その選択いかんによっては,当事者あるいは他の者の最善の福祉にならない場合もあるのです。ですから,理知ある被造物が平和と公正のうちに生きてゆくには,ある種の指導が必要です。一例として,ある美しい場所に家を建てたいと考えている人の場合を考慮してみましょう。その土地の選定は他人の自由を侵害してはいませんか。その場所はだれか他の人がすでに選んでいたかもしれず,あるいはその地方の住民の益のために共同の公園として残しておくべき良い場所かもしれません。人間は互いに共存しなければならない以上,すべての人に何が最善かを決定する方法がなければならないのは明らかです。そのための神の方法は,かしらの権に関する原則を通してそうすることです。
18 エホバは権威の行使の仕方をどのように取り決められましたか。それはエホバについて何を示すものですか。
18 かしらの権に関する原則はコリント前書 11章3節に述べられています。「我なんぢらが之を知らんことを願ふ。凡ての男の頭はキリストなり,女の頭は男なり,キリストの頭は神なり」。この原則を敷衍して,理知ある全被造物およびその活動を包含させて考えると,それは地上のわたしたちを含め,宇宙を支配するエホバの取り決め全体に行き渡ります。これは無関心な超然とした態度ではなく,被造物に対する神の暖かな関心を明示するものです。それは子供たちに対する愛ある父親がいだくような関心です。使徒パウロは書きました。「そは〔エホバ〕,その愛する者を懲しめ(給へばなり)……神は汝らを子のごとく待ひたまふ」。(ヘブル 12:6,7〔新〕)エホバは,人間の父親が子供に懲らしめを与えるのと全く同様,必要な懲らしめ,もしくは助言を与えるという仕方で権威を行使される場合があります。しかしそれは,エホバが気を使い,関心をいだき,ご自分の導きを受け入れる者のために最善の益を図りたいと願っておられることを示しています。またそれは,神および自分の同胞との平和な関係にも寄与します。同使徒がさらに述べたとおりです。「されど後これ[懲らしめ]に由りて練習する者に,義の平安なる果を結ばしむ」― ヘブル 12:11。
民事上の権威
19 (イ)民事上の権威を持つ人たちはどんな目的を果たしますか。(ロ)わたしたちは民事上の権威を持つ人たちから何を受けていますか。そのお返しとしてわたしたちは何を与えますか。
19 地的統治に関しては,エホバの統治の取り決めが一時的に妨げられ,十全の益がもたらされなくなったとはいえ,エホバは,ご自分の支配がこの地に完全に回復されるまで何らかの形態の権威が存在しなければならないことを認めておられます。そのようなわけで,クリスチャンは,「[現行の民事上の]司と権威ある者とに服し,かつ従ひ」なさいと命じられています。欠点があるからといって,彼らに反抗してはならないのです。(テトス 3:1)それらの「権威ある者」は社会のある程度の秩序を維持することに寄与します。そのような秩序が失われるなら,無政府状態が生ずる大混乱が社会を支配するでしょう。この点で,権威を持つ人たちは,神から付与された人間の良心の名残りを反映しています。(ロマ 2:14,15)彼らは公益事業(衛生・水道・郵便・国道建設・教育),犯罪や火災また司法上の保護制度,政府による生活保護対策および安全処理上の立法(建築・防災・衛生・汚染・食品・医薬品・交通)などの分野である程度の秩序を維持するのに必要な権威を持っています。クリスチャンはそうした益を認めて,世俗の権威に相対的な意味で服従し,税金を支払います。(ロマ 13:6,7。マルコ 12:17)その結果としてクリスチャンは,「権を有つもの」つまり政府当局者のもとで,おおむね,「敬虔と謹厳とを尽して安かに静に」生活し続けます。―テモテ前 2:2。
20 円熟したクリスチャンは権威をどう見ますか。
20 それで,円熟したクリスチャンは権威をどのように見ますか。まず第一に,自分自身の存在のあらゆる面にとってそれが必要であることを認識します。また,創造者による権威の行使の仕方のうちに被造物の福祉に対する創造者の愛ある関心を認めます。また,今日の世俗の権威は創造者の総合的な目的の中でそれなりの役割を果たしているものとして認め,それが「神によりその相対的な地位に置かれて立っている」ことを認めます。(ロマ 13:1,2,新。ヨハネ 19:11)そして,世俗の生活のさまざまな局面で接する人たち ― 教師・雇用者・警官・判事・収税吏などのふるう権威に相対的な意味で服従しなければならないことを認めます。また,現行の権威が明らかに乱用されようと,あるいは欠点があろうと,のそ「位高き人よりも高き者ありてその人を伺へばなり又其等よりも高き者あるなり」ということを知っているので,そうした敬虔な見方を保ち続けます。(伝道 5:8。箴 15:3)エホバの意志は,『時満ちて経綸にしたがって』ご自分の愛ある権威をふるわれることですが,円熟したクリスチャンはこのことを確信しています。(エペソ 1:10)そして,「天と地のすべての権威」が,クリスチャン兄弟たちの間で今一生懸命働いている人たちのような忠実なクリスチャンのしもべたちを通してイエスによって行使される時を待ち望んでいます。―マタイ 28:18
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権威に対するあなたの見方は生活にどのように影響しますかものみの塔 1972 | 8月1日
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権威に対するあなたの見方は生活にどのように影響しますか
1 あなたの生活は権威に関する見方によってどの程度影響されますか。どうすれば,権威に関する自分の見方を評価できますか。
他の人びととのあなたの関係の大半,およびそうした関係から得られる喜びは,権威に対するあなたの見方によって影響を受けます。権威に対する見方は,日常のほとんどあらゆる時間を占めている,家族関係や宗教上また世俗の仕事上の関係に影響します。こうした関係で記憶すべき重要な事がらは,単に権威を認めるということではなくて,そうした権威をどう見るかということです。あなたは権威を必要なもの,そして多くの場合,あなたの益を図る愛ある備えとみなしておられますか。それとも,権威が不都合なもの,自分にとって好ましくないものとなるなら,権威は出し抜いてもかまわないものと考えていますか。権威に関する見方によって影響を受ける生活の種々の分野を簡単に検討し,そうした見方のゆえに生ずるかもしれない事態を考慮すれば,権威に関する自身の見方を明確に評価できます。それら
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