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    ものみの塔 1955 | 10月1日
    • 果していますか? ヱホバになした誓を忠実に果していますか? イエスが全クリスチャンに与えた任務,つまり,御国のこの良いたよりを全世界に伝道せよという任務を,あなたは果していますか?(伝道之書 5:4,5。イザヤ 61:1,2。マタイ 24:14)たとえ自分の家族の反対をうけようと,信仰を減少してはなりません。人の最悪の敵は,自分の家の者であろうとミカ書 7章6節は示しています。娘は母に,息子は父に反対するかもしれません。イエスはそのことをこう説明しました。たとえ一緒に生活し,一緒に働いているにしても,信仰のある無しにしたがい,この古い世の組織制度の終りにあつて,ひとりは取られ,他のものは捨てられます。(マタイ 24:40,41)家族のきずなによつて,たとえ験されることがあつても,信仰は私たちを守り,私たちを救います。

      25 信仰は山をも動かし得るとは私たちの知るところですが,その信仰でもつて私たちは活動しますか? 真理を聞きたくない人の場合,無理強いに真理を与える必要はありません。それは豚に真理の真珠を与えるのと同じです。しかし,私たちは自分の持つ信仰を人々に知らせるべきです。そうするならば,望む人は聞いて学ぶことができます。そうするとき,私たちはパウロの言葉を言うことができます『彼らには聞えなかつたのであろうか。実際に,「その声は全地に行き亙り,その言葉は地の隅々にまで及んだ。」』(ロマ 10:18-21,新世)パウロは又こう言いました。『あなた方の信仰は,全世界で語られている。』(ロマ 1:8,新世)今日では全くその通りです。というのは,ヱホバの忠実な証者は,全世界160の国々で,真理の音信を,耳をも聾せんばかりに宣明しているからです。そのように私たちの信仰を示して,他の人にその信仰を知らせるならば,ヱホバの御心をよろこばすことができます。そして,善意者を生命に導くよろこびを得ます。―ゼカリヤ 8:23。

      26 救を得るのに,信仰だけが必要ですか?

      26 信仰を持つだけで救われると考える人もいますが,しかし信仰を験して試験し,業によつて証明することは是非必要であると多くの聖句は示しています。信仰は正確な知識に基かねばならず,そして十二分に表明されねばなりません。ヨハネ黙示録 2章25,26節(新世)はこう述べています『ただ,私の来るまで,自分のもつているものをしつかりと保ちなさい。そして勝利を得る者,私の行に最後まで従う者に,諸国民を支配する権威を与える。』神は感傷的な御方であつて,妥協をしたり,その御言葉を変えたり,また永続する信仰と愛を示さない人々に特別な御準備を設けられる御方であるなどと考えてはなりません。神はその正義の御要求を変えません。いま信仰を持つていても,もしその信仰が弱まつて無くなるならば,私たちの救はあり得ません。

      27 『一度の救は永遠の救』ということは真ですか? 聖句を言いなさい。

      27 真理に進歩して神の子という尊い関係を持つようになり,そして正確な知識を有して神の御霊をうけるに至つても,もし神への信仰がくずれてなくなるならば,その人は神の子ではなく,排斥者です。その人は,父のために働くことを約束しながら,その約束を果さなかつた子のようです。その人は,自分の言葉と誓に対して忠実を守らなかつたのです。(マタイ 21:28-31)ヘブル書 10章26節(新世)には,こう書かれています。『真理の正確な知識をうけた後になつても,故意に罪を犯すならば,罪のための犠牲はもはやあり得ない。』ヘブル書 6章4-6節(新世)は明白にこう述べています。『かつては啓発をうけて,天の自由の賜物を味い,そして聖霊をいただいて神の正しい言葉と将来の組織制度の力を味いながらも,しかも堕落して行つた者たちが,再び悔い改めに立ち返ることは不可能である。彼らは神の子を新しく刑柱にかけて,公けの恥にさらしている。』そのような人は信仰を持つていて神より祝福されましたが,しかし神の子になることを否認して,棄てられました。信仰を働かして強めて行くならば,そのような状態にならないでしよう。私たちはいま,ハルマゲドンにおける大いなる試験の時に近づいています。私たちは何らかの積極的な行為によつて,自分の持つ信仰を示さねばなりません。ヱホバに対する私たちの献身が生温いか,あるいは信仰が不足していて行動しないならば,私たちは棄てられるでしよう。―黙示 3:10,16。

      28 人は神の奉仕に参加するのに,なぜ失意落胆すべきではありませんか?

      28 これでもつて,信仰の弱い人や,まだ良く理解していない人でも,失意落胆すべきではありません。むしろ知識と神への信仰を強め,奉仕をますます多くなして神に誉を捧げるべきでありましよう。イエスの御説明の言葉によると,芥種一粒ほどの信仰があるならば,その信仰は山をも動かし得ます。(マタイ 17:20)あなたの心をたえず新にして神の御言葉に専心し,神にたいする信仰の鎖を強めつづけなさい。たえず用いて,束縛のない光り輝くものにしなさい。その悪い箇所を調べて,それから直しなさい。それについてパウロはこう書きました。『あなた方は信仰を持つているのかどうか,いつたいどういう者であるのかを調べ吟味し続けなさい。』― コリント後 13:5,新世。

      29 信仰のほかに,神は私たちに何を要求していますか?

      29 私たちの信仰が深く根差していて,しかも正確な知識に基くものであるならば,信仰の小さな種子は生長して繁茂するでしよう。そして冷い無関心とか,熱い迫害で影響をうけることはありません。私たちがこの信仰を養うとき,それは生長し続け,ヱホバより豊かに祝福されるでしよう。その信仰は,ペテロ後書 1章5-11節(新世)に示されている他の性質と密接な関係を持つています。私たちは多くの努力を払つて,信仰に徳を加え,徳に知識を,知識に節制を,節制に忍耐を,忍耐に敬虔を,敬虔に兄弟愛を,そして兄弟愛に愛を加えねばなりません。『これらのものがあなた方に備つて,豊かになるならば,私たちの主イエス・キリストの正確な知識について,活動しない者,実を結ばない者にはならないであろう。……兄弟たちよ,それであるから,ますます励んで,あなた方の召と選びを確かなものにしなさい。これらの事を行い続けるならば,決して失敗することはない。』それですから,ますますはげんでヱホバに信仰を保ちなさい。クリスチャンに降りかかる試錬にくじけることなく,むしろ神の力と御言葉に頼り,そして神に信頼しなさい。

  • 試される信仰
    ものみの塔 1955 | 10月1日
    • 試される信仰

      1 苦難に対して,私たちはどのように準備しますか?

      ヱホバの証者の信仰は,苦難の時であつても,決してなくならないでしよう。主人より偉大な僕は居りません。それで,イエスが迫害をうけて,その信仰が試されたと同じように,イエスの今日の弟子たちも迫害をうけ,その信仰を試されます。(ヨハネ 15:20)古い世の組織制度から苦難を受けることは,予期しているところであつて,私たちの信仰はそれで強められますが,決してなくなることはありません。予言的にマゴグのゴグと言われているサタンは,地上にいる神の僕たちに反対して,いまにも襲いかかり,戦争をしようとしています。聖書の説明によると,サタンの軍勢は,善意者の集まりつつある無防備のヱホバの民の都を包囲しています。それですから,『愛する者たちよ,あなた方を試みるために降りかかる火のような試錬を,なにか見知らぬことが起つたかのように驚きあやしんではならない。むしろ,キリストの苦難にあずかればあずかる程よろこぶが良い。』(ペテロ前 4:12-14,新世)サタンのそのような企てに怖気づくどころか,ペテロはこうすすめています『信仰をかたくし,同じ苦難は世界の全兄弟にも降りかかつていると知り,悪魔に抵抗しなさい。』― ペテロ前 5:8-10,新世。

      2 (イ)サタンは新しい世の社会に対して,どんな行為を取りますか?(ロ)どんな保証と助言がありますか?

      2 サタンは,信仰の弱い者たちを打ちつぶそうとしています。しかし,ヨハネ黙示録 2章10節(新世)は,こう述べています。『あなたのうけようとする事柄を恐れてはならない。見よ。悪魔はあなた方のある者を試そうとして,獄に入れるであろう。あなた方は,十日間苦難をうけるであろう。死の危険があろうとも忠実であれ。私は生命の冠をあたえる。』悪魔は,今日にいたるまでヱホバの僕に反対して来ましたが,聖書はその記録で一杯です。ヱホバに対する忠実の故に,多くの者は獄に入れられ,苦しめられ,そして家族から引き離されています。しかし,何ものもヱホバ神の真の僕の持つ信仰を破ることはできません。イエスの御言葉を思い起します。『体を殺しても魂を殺すことのできない者たちを恐れてはならない。しかし,魂と体両方をゲヘナで滅し得る方を恐れなさい。』(マタイ 10:16-23,28,新世)ヱホバの僕たちに何が臨むとも,ヱホバは,御自分の僕が堪えられない以上に試験されるのを許しません。ゼカリヤ書 2章5節の示すところによると,神に奉仕し,神の保護と安全を求める人々にとつて,神は火の垣のようであります。信仰の試錬をうける際に,私たちは神の御言葉の保証を持つており,そして神の御霊により支持をうけているということを知ります。迫害をうけても,私たちはひるみません。かえつて,金属が火で鍛錬されるように,信仰も迫害によつて試みられ,証明されます。

      3,4 (イ)過去と現在のヱホバの証者は,迫害を受けてもどのように耐えましたか?(ロ)なぜ彼らは迫害されますか?

      3 むかしの神の僕の持つた揺がざる信仰に関する聖書の記録はすばらしいもので,そして私たちに励ましを与えるものです。嘲笑をうけても笞打たれても,又しばられて投獄されようとも,彼らがその信仰を破らなかつたことは,今日のヱホバの民にたいする模範であります。『彼らは石で打たれ,試みられ,のこぎりで引かれ,つるぎで切り殺され,羊の皮や山羊の皮を着て歩きまわり,物に不自

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