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    ものみの塔 1958 | 12月1日
    • 老人も学ぶことができる

      『学ぶのに年が寄りすぎているということはない』という諺は,言いふるされた真実です。年が寄っていても,心と気力を若々しく保つ最良の方法の一つは新しい事がらを学ぶことです。もちろん老人は,この年になつて勉強するのはむずかしいと思うでしようし,変るということも,若い時や,壮年の時ほど容易でないのに気づくでしよう。私たちがもしその老人の部類に入るならば,少しの努力を払つて埋合わせることはできないでしようか。これはそれほど厄介ではないはずです。というのは私たちは,知識のたいせつさについて,おそらく若い時よりもすぐれた理解力と正しい認識をもつているからです。ですから年が寄つているからといつて,進歩を約束する新しい事がらを学んだり,変化するのをためらう必要はありません。

      ヱホバ神は老人でも自分から進んで学び変化する人々を用いられます。ですからヨエルの予言は,私たちの時代に,ヱホバがすべての人に御自身の御霊を注ぎ献身したクリスチャンで年が寄つていても,その知識と理解を増し加えさせて,活動を鼓舞されると予告しているのです。(ヨエル 2:28,29)この同じ原則が善意をもつ人々に適用されることは,事実が明らかに示しています。

      1958年のヱホバの証者の年鑑は,ヱホバの御国に関する良いおとずれを聞いたメソジスト派の65歳になるアメリカ人の牧師について述べています。彼女ははじめの中は,聖書のことなら何でも知つていると考え,どちらかといえば尊大で独善的なようにも見えましたが,実は真理を愛する偏見のない人であることが分りました。わずか何週間かの中に多くの新しい事がらを学んで,彼女の生活は大きく変化しました。その人は自分の属する宗教組織と関係をたつて,ヱホバのために証言をはじめました。

      ヱホバの証者の大きな大会で洗礼を受ける人々の中には,相当年のいつた人々が必ずいく人かいます。代表的なのは,ロンドンの一新聞が『髪の真白になつた76歳のひいおばあさんもいた。』とか『髪の薄くなつた細くて小さい86歳の女』とか報道したことのある人々でしょう。洗礼を受けることによつて彼らもまた,自分たちが多くの新しいことを学んできたこと,生活に大きな変化を来らせたことを認めるのです。

      最近ものみの塔協会は,かつて英国国教会の平信徒の説教者であつた人が,カナダの一ヱホバの証者に送つた1通の手紙を受け取りました。この平信徒説教者は92歳になつてから真理に関する正確な知識を得るようになりました。そしてヱホバとその国の側に立つことにより,自分の生活を大きく変化させました。その結果その人は,過去92年間のどの時よりも最も幸福になりました。年の寄つたクリスチャンで献身したある人々は,全時間奉仕にはいる特権を得て,『受けるより与える方が,さいわいである』ことを味わつています。―使行 20:35。

      年寄りだという理由だけで,新しい考え方をしりぞけたり,変わることを拒否するのはたしかに賢明ではありません。神の御言葉とヱホバの崇拝が関係している場合,特に愚かなことです。正しい種類の知識をとり入れつづけて,生活を変化する人々のみが,ハルマゲドンであらわされる神のいかりをのがれるよう希望を持つことができます。その聖書の預言の成就は目前に迫つています。そういう理由で,神の御言葉は,私たちが,年齢にかかわらず新しい考えを採り入れ,生活を変化するようすすめているのです。『ヱホバの律法を行うこの地のへりくだるものよ汝らヱホバを求め,公義を求めけんそんを求めよ,然すれば汝らヱホバの怒りの日に或いはかくさるることあらん。』― ゼパニヤ 2:3。

  • 太陽は暗くなり
    ものみの塔 1958 | 12月1日
    • 太陽は暗くなり

      ある聖書の預言は,太陽が暗くなると述べています。これらはどう解釈すべきでしようか。文字通りにとるべきですか。それとも比喩的表現と解釈すべきですか。

      地球は人間の住家です。しかし太陽の恩恵がなければ人間はその上に住むことができません。太陽は私たちに光と熱とエネルギーを与えます。地下の石炭や石油,また水力を供給する河川などはすべて太陽によつてでき,私たちの食物もまた太陽に依存しています。太陽のエネルギーに加えて水と炭酸ガスは植物に利用され,その植物は私たちに食糧だけでなく建築材料や,燃料を供給します。そして美観をそえることも見逃すことはできません。太陽はまさに,創造主が人間に与えられたすばらしい贈り物です。ですから人間が真の崇拝から離れた時に,太陽を崇拝したのは何も驚くに当りません。事実,太陽神は,古代の多くの国々の中で顕著な神でした。

      ヱホバ神は過去において,御自身の至上性を示すために,時々太陽の光を暗くされました。エジプトの上にのぞんだ9番目のわざわいは,さわれるほどのくらやみでした。エジプト人たちは,『互に見ることもできず,まただれもその所から立つ者もなかつた。』これが単なる自然の気まぐれではなかつたという証拠は,同じ時に『イスラエルの人々には,みな,その住む所に光があつた』という事実です。同様にイエスが死なれた時も,6番目の時,もしくは正午,または真昼に,『太陽は光を失い,全地は暗くなつて,三時に及んだ。』これらの場合はそれぞれ実際の太陽の光が関係していました。―出エジプト 10:21,23。ルカ 23:44,45,新口。

      神の御言葉は,神が太陽の光を暗くされたと記録しているばかりではなく,再びそうされるであろうとも予告しています。エゼキエルは,ヱホバが,『雲で日をおおわれる』であろうと預言しました。ヨエルは,『日』が『やみに変るであろう』時について書きました。そしてイエスは,この組織制度の終りに関する偉大な預言の中で,『日は暗くなり,月はその光を放つことをやめ』と言われました。―エゼキエル 32:7。使行 2:20。マタイ 24:29,新口。

      これらの預言は,モーセやイエス・キリストの場合と同じように,文字通りの太陽が暗くされることを意味するのでしようか。そうです,と多くの信心深い宗教家たちは言います。セブンスデイ・アドベンティストの出版した「家族のための聖書読物」という本は,そのような聖句が,1780年5月19日の暗くなつた日で成就されたと述べています。その本は,この説を支持するのに用いた多くの参照の中でも,とりわけ1833年発行の省略のないウエブスター辞典1604頁の,『暗き日』に関する次のような説明を引用しています。『ある場所では人々は,数時間のあいだ戸外で普通の活字を読みとることができなかつた。小鳥たちは夕方の歌をうたうと姿をけして静かになつた。家禽はねぐらにつき,牛は裏庭に帰ろうとした。家々にはロウソクがともされた。この暗黒の状態は朝の10時から始まつて次の晩のま夜中までつづいたが,その度合と長さは所によつて異なつていた。……この驚くべき現象の真の原因は知られていない。』そしてまたその前の晩は満月だつたので,太陽が暗くなつた時月は地球の反対側にあつたわけだから,このくらやみを日食と説明することもできない,とも指摘されています。

      太陽を象徴に用いる。

      でも,神の御言葉が,『日は暗くなり』と述べているならば,必ず文字通りの太陽に言及されていたのだということになりますか。そうではありません。特に太陽がひとつの象徴としていろいろに用いられているのに注目するならば,なおさらそういうことはできません。ヱホバ神は太陽になぞらえられていますが,これは最も良くあてはまつています。ヱホバはすべての光,生命,力の本源である

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