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あなたは待つことができますかものみの塔 1958 | 3月1日
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あなたは待つことができますか
子供というものは忍耐を持ちあわせていません。それが証拠に,何か欲しい物を待たなければならない時に,耳をつんざくような大声をはりあげます。子供たちには待つということはあり得ないことです。何かほしいと思つたら,来年,来月,来週でなくて今直ぐ手に入れなければなりません。
子供達は将来でなくて現在に生きます。これが円熟した人生の見方と円熟しない人生の見方の違うところです。円熟した大人は,将来のために計画をたて,それが実現するまで忍耐強く待つでしよう。しかし子供はそうではありません。彼らは,将来の長い生活については考えません。
時間は停滞しないということを理解するのは,若い心にはむずかしいようです。時間は同じ速度で過ぎて行きます。時の流れの中にあるずつと先のこともついにはやつて来るでしよう。円熟した人はこれを知つていて待ちますが,未熟な人は待たないでしよう。
多くの大人は子供のようです。彼らは決して待つことを学びません。何かを得たいと思つたら,後でなく,直ぐ手に入れなければ気がすみません。幾年か後の将来に何かがあると言われても,彼らは興味を持ちません。彼らは子供と同じように,将来のことは決して実現しないのだという妄想になやまされます。待つことを知らないのです。
この未熟さは,色々な方法で彼らの行動にあらわれます。列の中に並んで待ちたくないため他の人の前で押しあうのは彼らです。道がよく見通せるまで辛抱づよく待たずに,ゆつくり動いている沢山のトラックを追い越して生命を危くするような危険を冒すのも彼らです。また直ぐに利益を得るためには,地球の天然資源を涸渇させてしまつて,永持ちさせるようにしようとしないのも彼らです。そのような人々は,自分たちが得る物の価値を評価することもできなければ,長い間待つた後に何かを手に入れるよろこびも経験することができません。
子供たちはこのよい実例です。欲しい物が与えられる子供は,その得る物を少しもありがたく思いません。しかし,玩具を貰うのを待たされたり,そのためにいやな仕事さえさせられると,それを貰つた時により一層大切に思うでしよう。自転車を買うために働いてお金をためる少年についても同じことが言えます。彼は,何の努力もなく待つこともなしに自転車を得る少年にくらべて,それにより大きな歓びと愛着を持ち,より大切に取り扱うでしよう。
待つことが,ものの価値を高めるという原理は,結婚にも適用できます。婚約期間のながい人々は大抵,婚約期間の短い人々よりも幸福な結婚をします。お互いに知りあつて二,三時間,二,三日,または二,三ヵ月ばかりの人々が,少くとも1年から2年知り合つている人々と結婚について同じような考えを持つことがどうしてできるでしようか。
性急な結婚は,ある大人たちが彼らの未熟さを示しているもう一つの面にすぎません。彼らは,結婚するときまつたら,それは直ぐに実行されなければならないと考えます。ある所では法律によつて二,三日待つようになつていますが,彼らはそれさえ待つのを嫌います。しかし,あれほど欲しがつていた玩具にすぐ興味を失う子供と同じく,このような人々も,彼らが飛びこんだ結婚というものにすぐ興味を失つてしまいます。そして,間もなく離婚を望むようになる場合の方が多いのです。
神の要求
待つという事は,神の一つの要求であるといえば,ちよつと不可解にきこえるかも知れませんが,事実そうなのです。長い間,神は,人間に待つように要求されてきました。ノアの時代に神は,120年も前からその悪い世界を滅ぼすことを約束されました。その約束された日は長い先のことのように思われましたが,ノアはその時が来るのを待ちました。時は停滞していませんでした。時は同じ速度で流れて行きます。そして,ついに運命の日がやつて来ました。
洪水の後も時は流れ続け,神が人々にあることがらを待てと要求された場合が度々ありました。アブラハムは,彼の妻サラによつて一人の息子が恵まれるには,彼が100才になるまで待つように要求されました。アブラハムの子孫は,神の約束された土地を得るまでに,400年以上待たなけばなりませんでした。彼らの国が荒廃してから後,またエルサレムに復帰するという約束が実行されるまでには,70年間待たなければなりませんでした。そして,エルサレムの石垣が再建されてから後メシヤが来るまで483年間待たなければなりませんでした。しかし,これらは,神が約束されたことを待てと人間に要求された多くの事柄の中の二,三にすぎません。神は,待つことが人間にとつて有益であることを知つておられました。
現在も,私たちが待たなければならない,多くの神の御約束があります。その中のあるものは,現在の組織制度の来るべき破滅や,神の御国による地の正義の支配,永久の平和,楽園の地球,死人の復活や永遠の生命の賜物などです。これらは,神の御予定の時,神の新しい正義の世界で成就する,信頼することのできる御約束です。神が御自分の御約束を果されるのがおそいと思う人々に神の言葉は次のように示しています。『ある人々は遅いと考えているがヱホバは御自分の約束に関して遅いのではない。ヱホバはあなた方を耐忍されているのである。というのは彼は,ひとりでも滅びるのを望まれず,すべての者が悔い改めるよう望まれているからである。しかし,ヱホバの日は……来るであろう。』(ペテロ後 3:9,10,13,新世)待つことによつて,神に対する私たちの信頼と忠実が試みられ,私たちの欲求は増し加わり,私たちが必要とするものをより強く感じます。
あなたはいかがですか。待つことができますか。あなたは,エレミヤ哀歌 3章26節が私たちに告げているように,『ヱホバの救いをのぞみて静かにこれを待つ』ことができますか。詩篇 37篇7節が私たちに忠告しているように,あなたは『ヱホバのまえに口をつぐみ忍びてこれを待ち望』むことができますか。
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私は私の忠実のうちに歩むものみの塔 1958 | 3月1日
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私は私の忠実のうちに歩む
日本において
ヱホバの証者の1958年の年鑑の報告
ヱホバ神は確かに日本でも,良きものをもつてこの年を報いられました。真理がこの『震える』国日本に,着実に拡大して行くにつれて心を躍らす経験が続出しています。ここでは度々地震があります。この国の多くの男女が,神の御国とヱホバの真の崇拝に強い立場をとりつつあることは喜ばしいことです。今こそ彼らは,ヱホバの御言葉を心から味わうことができます,『わが子よ智恵を得てわが心を悦ばせよ,然らば我を謗る者に我こたうることを得ん』。(シンゲン 27:11)そして日本も,常に増加している数字で答を示しています。私たちは,彼らがおさめた良い成果と,彼らの上に与えられたヱホバの偉大な祝福に対して,兄弟たちと共に喜んでいます。支部の僕は,日本の面白い経験を送つてきました。
今年は大会の沢山あつた年でした。去る1月,フランズ兄弟の訪問によりそれは特に顕著なものとなりました。言葉と交わりによつて新世社会が意味するものを示した副会長は,日本の兄弟たちから愛されました。増加は実際にその時からはじまりました。645人の伝道者から,685人,693人,719人,790人,810人,遂に843人になりました。6ヵ月間に200人の増加,1年間に54パーセントの増加です! この増加と同調して214人がこの年に洗礼を受けました。雑誌の配布数も新最高数に達し,すべての奉仕分野はそれぞれの目標を突破しました。はじめて50万以上の雑誌を印刷することが必要でした。これはただの5年間に629パーセントの増加を意味します。
過去8年間に,20人以上の人々を伝道と洗礼までに導いた,名古屋のある宣教者は多くの経験の中でも次のような経験を話しました。一人の主婦が2冊の「ものみの塔」を求めて,それを未亡人の友人にあげました。その友達は次にこの雑誌について自分の牧師に相談しました。牧師はヱホバの証者に近よらないように,そしてもし神に奉仕したいならば病院で働くようにとその人に忠告しまし
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