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神の新秩序のための基礎を据えるものみの塔 1972 | 4月15日
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25 「新しい地」はどうして創設途上にあるといえますか。古い「地」には何が起きようとしていますか。
25 「新しい地」は今やすでに形成途上にあります! 献身してバプテスマを受けたクリスチャンのこの形成途上にあるグループを構成する人たちは,神から離反した邪悪な人類社会の一部として留まることを選ぶ人びと,つまり人類の『不敬虔な世』から別れています。この古い比喩的な「地」を除き去るということは,間近に迫った「大かん難」,つまりイエス・キリストが予告された,世界の歴史上,空前絶後の世界的大災害となるかん難において,その比喩的な地が滅びるという意味です。
26 神の新秩序への人類の救出は神のどんな思い切った行為によってのみ可能になりますか。
26 そのかん難は非常に広範に及び,また非常な破滅をもたらすので,神がその日を短くされないかぎり,肉なる人間はだれも救われないでしょう。(マタイ 24:21,22。マルコ 13:19,20)そのかん難は現在のこの事物の体制の徹底的な滅びをもたらしますが,それはこの地球と,わたしたちの頭上の無数の星のある大空を滅ぼすものではありません。そののち,悪霊で成る古い「天」は取り除かれ,サタンとその悪霊たちは束縛されます。つまり底なき所にいれられたような監禁状態のもとに置かれます。(黙示 19:11–20:3)神のこうした思い切った行為による以外に,地上の人びとの神の新秩序への救出はありえません。
27 もしわたしたちがその新秩序をほんとうに欲しているなら,黙示録で予見されているどんな人びとのひとりでありたいと願いますか。
27 『義の住むところの新しい天と新しい地』で成る神の新秩序へのそのような救出をわたしたちは欲していますか。わたしたちはそうした輝かしい救出にあずかるに足る者であることを実証する覚悟をかため,また実証するよう努力していますか。正しい天の統治を受けて,広大な園と化してゆく地上で完全な健康に恵まれた幸福な正しい生活をしたいとせつに願う人は,きたるべきその「大かん難」を生き残る人びとのひとりになりたいと思われるでしょう。「速かに起るべき」事がらにかんする黙示を収めた,聖書巻末の書は,その世界的な「大かん難」を生き残る,あらゆる国・部族・民族・国語からの人びとの「大なる群衆」が神の保護と恵みのもとにその「大かん難」から出てくるさまをさし示しています。
28,29 そのかん難の生残者たちに関する黙示録の説明によれば,彼らはだれを崇拝し,また救いのためのどんな備えを受け入れますか。
28 生残者たちのその群衆にかんする説明からすれば,それらの人びとは,宇宙主権者として宇宙の御座に座しておられる,ただひとりの真の神の崇拝者であることがわかります。注目すべきもう一つの点は,彼らは神のみ子によって備えられた贖いの犠牲を受け入れているということです。そのみ子は,「世の罪」のために,きずも罪もない小羊のようにささげられました。このことに留意しながら,次のことばに耳を傾けてください。
29 「[彼ら]大声に呼はりて言ふ『救は御座に坐したまふ我らの神と羔羊とにこそ在れ』……『かれらは大なる〔かん難〕より出できたり,羔羊の血に己が衣を洗ひて白くしたる者なり。この故に神の御座の前にありて昼も夜もその聖所にて神に事ふ』」― 黙示 7:9-15〔新〕。ヨハネ 1:29,36。
30 この幻は『大いなる群衆』が,新秩序の特色となっている何を支持していることを示していますか。また,彼らは何に至る道を歩んでいるということがわかりますか。
30 この預言的なことばからすれば,献身してバプテスマを受けたこの「大なる群衆」は,小羊イエス・キリスト,およびあの天的な嗣業を継ぐべく「新に生れ」た14万4,000人の忠実な弟子から成る神の「新しい天」を確かに支持していることがわかります。(黙示 7:1-8; 21:1-14)彼らは「羔羊の血」で衣を洗って,死をもたらす罪を洗い去ってもらいます。そうすることによって,新しい天により地球全体が美化されてエデンの園のようになるこの地上での永遠の命に通ずる道を歩むのです。
31 そのかん難を生き残るこの『大いなる群衆』は,新秩序の特色を成すどんなものの基礎を形成しますか。
31 事実,かん難を生き残るこの「大なる群衆」は,神の創造物である「新しい地」の基礎としての役割を果たします。彼らはそのかん難の始まる前の今でさえ,滅びに定められた古い「地」から,つまり悪魔に制御される今日の人間製の事物の体制を固守する現代のこの世的な人類社会から別れています。ゆえに大かん難によってこの古い「地」が取り除かれたのち,それら生残者は新しい天のもとに組織される社会の基盤となるでしょう。こうして,人類家族は新秩序で新たな門出を迎えます。
32 そのかん難が終わり,サタンが束縛されたのち,「新しい地」はどのようにして増大し,広がりますか。
32 大かん難が終わり,サタン悪魔とその使いである悪霊たちが底なき所に監禁されたのち,この「新しい地」は疑いもなく,生まれ出る相当数の人間によって増大し,広げられてゆきます。が,そうした仕方だけで増大するわけではありません。なぜなら,小羊イエス・キリストは単にそれらかん難の生残者とその子孫のためだけに死なれたのではないからです。イエス・キリストは人類の『世の罪を除く神の小羊』であり,「凡ての人の〔ための対応する〕贖価」としてご自身をお与えになったのです。そして,完全なアダムと同等の人間であられたゆえに,『万民のために死を味わう』にふさわしい者とされました。(テモテ前 2:5,6〔新〕。ヘブル 2:9)19世紀前に死なれたこの小羊の恩恵にあずかれる人類家族の圧倒的大多数の人間はすでに死にました。それらの人びとはキリストの死の贖いの価値の恩恵にどのようにして実際にあずかるのでしょうか。驚くべき奇跡によってです。つまりイエス・キリストと栄光を受けたその会衆,すなわち「新しい天」による千年統治の期間中に死人の中から復活させられることによって恩恵にあずかります。
33,34 (イ)王としてのイエス・キリストが行なう復活のわざは,地上で生活しておられた当時になさったものとどのように異なりますか。(ロ)かん難を生き残る『大いなる群衆』は,復活させられる人たちに対して何を行なう機会に恵まれますか。
33 イエス・キリストは完全な神の子として地上におられた当時,何人かの人を復活させましたが,それらの人は後日,その世代のうちに死にました。しかし,王イエス・キリストがその千年統治の期間中に,贖われた人類を復活させる場合は,全地におよぶエデンの楽園で永遠に生きられるよう,それらの人を復活させるのです。永遠に生きられるかどうかは,復活させられる人の態度いかんにかかっています。その正しい「新しい地」の成員になることをよしとしますか。それとも,現在のこの事物の体制の中で追い求めた以前の悪の道に戻りますか。この後者の道を取る人たちは裁かれて,人間としての完全性と神聖さとを備えた永遠の命の賜物を得るに値しない者として有罪の宣告を受けるでしょう。
34 裁きという問題について話したイエス・キリストが,「墓にある者みな神の子の声をききて出づる時きたらん。善をなしし者は生命に甦へり,悪を行ひし者は審判に甦へるべし」とおっしゃったのはそのためです。(ヨハネ 5:27-29)「新しい地」の営みを開始する「大なる群衆」は,それら復活させられる人たちを助けて,彼らの復活が有罪の宣告を受ける結果に終わらないよう援助できるでしょう。
35 西暦1914年以来起きてきた事がらを預言されたイエス・キリストは,どんな正しい態度を取るべきことをご自分の弟子たちに告げましたか。
35 わたしたちが生きているこの時代はなんと異常なまでにすばらしいのでしょう。最初の世界戦争の勃発を見た西暦1914年以来,著しい,しかしきわめて重大な事がらが起きてきました。イエス・キリストはそうした事がらを,この古い事物の体制の終結をしるしづけるものとして予告されました。その真の弟子たちすべてがこの時代において取るべき正しい態度について語ったイエスは,こういわれました。「これらのことが起こり始めたら,身をまっすぐに起こし,頭を上げなさい。なぜなら,あなたがたの救出が近づいているからです」。―ルカ 21:28,新。
36 そのことから考えて,わたしたちはどんな特権にあずかるにふさわしい者であることを実証したいと願いますか。わたしたちは何を行なうよう決意すべきですか。
36 神の新秩序へのこの救出は,わたしたちの多くがそれら預言された事がらの「起こり始め」るのを初めて見た時よりも今はずっと近づきました。わたしたちがこの待望の救出を経験するにふさわしい者であることを実証するのに今は確かに一刻の猶予も許されません。今やわたしたちには,二度と繰り返されることのない機会が差し伸べられています。わたしたちは意を決してその機会をとらえるとともに,「新しい天と新しい地」で成る神の新秩序への,間近に迫った人類の救出について,義を愛する他の人びとすべてに宣明します。
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妻と子供たちはすっかり変わっていたものみの塔 1972 | 4月15日
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妻と子供たちはすっかり変わっていた
ギリシア人の一家族が南アフリカに移住しました。その移住先で,妻はエホバの証人から伝えられた聖書の真理の音信に非常な関心をいだくようになりました。その後ほどなくして,妻と子供たちは病気の両親を助けるためにギリシアに戻らなければならなくなりました。ギリシアに向けて発つ前に夫は妻に,子供たちをギリシア正教会の教えに従って養育するようにと堅く言い渡しました。しかしギリシアに戻った婦人はエホバの証人との聖書研究をつづけ,聖書の教えにかんする知識の面で急速に進歩しました。今や学んだ事柄を熱意をこめてしたためた手紙が夫のもとに届くようになりました。そこで夫は,「手おくれにならないうちに,妻が関係していることを全部やめさせるため」ギリシアに戻ることにしました。
ギリシアに戻った夫を迎えたのは,大きな変化を遂げた非常に幸福な家族だったのです。以前,妻は人のうわさをふれ回っては問題を起こす手に負えない女でしたが,今やみんなに好かれ,尊敬される女性になっていました。そして,まるで始末に負えなかった子供たちは,今やたいへん礼儀正しい子供になっていました。言うまでもなく,夫はそうした事態すべてに驚くとともに喜びました。にもかかわらず,夫は依然,妻の宗教に関して事態を正さなければならないと考えていました。
そこで,妻の聖書を持ち出して,教会の聖書と妻のそれとの違いを見つけるために村の教会に出かけて行きました。違う点は何も見いだせませんでした。実際のところ,問題を調べているうちに,イェホバ(エホバ)の名を教会の聖書の中に見いだした夫は,司祭がその名をなぜただの一度も指摘しなかったか不思議に思い,すっかり考えさせられて,家に戻りました。そして,「おまえの宗教は良い宗教だ。おまえが妻として私にいつも忠実であってくれることと子供たちがこれまでになく良くなってくれたことを私は今よくわかった。この宗教をこれからも続けなさい。そして私にも何か読ませてほしいものだ」と妻に言い,次いで南アフリカに戻った夫もエホバの証人とともに聖書の研究を始めました。
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