-
栄光をもつて家に満たすものみの塔 1954 | 2月1日
-
-
ました。それは何でしよう?『万国の願うところのもの来らん』そう英文欽定訳とダーベイ訳は言つています。ロザハムの翻訳は『また万国の喜ぶところのものが来るであろう』と言つています。最初にこれは,震われない神の国の来ることに適用されました。1886年にものみの塔聖書冊子協会は『代々に亙る神の経綸』という書籍を出版しました。その266頁にこう記されていました,『このように人間が極端に落入ることが,神の好機会となるでしよう。そして「万国の願うところのもの来らん」― すなわち権力と偉大な栄光を持つた神の御国が来るでしよう。―ハガイ 2:7』。45年後にこの予言は或る個人に,すなわち主なるイエスキリストに適用が狭められました。1931年2月15日号の雑誌ものみの塔(英文)は『神の宮』という記事を掲げました。その33節にこう書かれています,『キリストの体の頭であるキリストが,神の代表者であることを知る時,彼こそまず第一に「万国の喜ぶところのもの」でなければなりません。イエスキリストはヱホバの名代として宮に来ました。彼こそ「約束の裔」であり,また万国と諸民はまだそのことを知りませんが,彼こそ万国と諸民の願うところのものであります。』
23 その解釈は聖書のどんな古代訳に基いていましたか? ここに述べられたその出来事は何故1918年に起らなかつたのですか?
23 この後者の解釈は一般に用いられている英文欽定訳に基いたものであつて,それはハガイ書 2章7節を古いラテン語訳聖書から翻訳しました。ラテン語訳聖書を再現したカトリック・ドウエイ訳は『また万国の願うところのお方来らん』となつています。ローマカトリックの祈禱文の中のキリスト降臨の部で,この聖句はイエスが宮に来ることには適用せずに,彼が地に来ることに適用されています。イエスが審判の仕事のために偉大な霊的の神の宮に来ることは,1918年の春に目に見えぬように行われたものと理解されています。しかしハガイ書 2章7節は神の民の回復期に関する予言ですから,彼らが回復される以前の1918年にさかのぼることは出来ません。古代ユダヤ人の遺れる者の場合に,ハガイ書 2章7節は彼らが神の家を再建するまでは実現出来ませんでした。彼らの16年間にわたる恐怖と怠慢によつて,彼らの宮再建は彼らがバビロンから復帰してから21年後であることが分ります。同様に今日の霊的遺れる者の場合,願うところのものが来ることは,彼らが1919年に奇怪なバビロンから復帰する以前に適用することは出来ませんし,また彼らが丁度宮の仕事を始めた1919年のその年にさえ適用することは出来ません。
24 何故ヘブル語原文自体はそのような解釈を許しませんか? ギリシャ語七十人訳はそのヘブル語をどのように翻訳しましたか?
24 注目する価値のある或る他の事があります。本来のヘブル語原文は,ハガイ書 2章7節を1918年に宮に来る主イエスに適用することを許しません。どうしてそうなのですか? それは次のようなわけです。『願うところのもの』又は『喜ぶところのもの』と翻訳された言葉は単数になつていますが,それに伴うヘブル語の動詞は複数です。ラテン語訳聖書より数世紀前に,ギリシャ語七十人訳を翻訳したヘブル人達はこの事実に注意しました。そこで彼らはその単数のヘブル語の名詞を正確な意味に翻訳しました。彼らの翻訳はこうなつています。『また万国の選ばれたものども〔又は,選り抜きのものども〕来らん』。
25 従つて,実際にすべての現代的翻訳はヘブル語の言い廻しをどのように翻訳していますか?
25 実際に,ユダヤ人やカトリックやプロテスタントのすべての現代的翻訳は,ギリシャ語七十人訳に一致して本来のヘブル語原文の真意を現わそうと務めていますa 1884年の英語改訳はこう訳しました。『またわれ万国を震わん。また万国の願わしいものども来らんまたわれ栄光をもつてこの家に満たさん,と万軍の主言い給えり』。1901年のアメリカ標準訳と1905年のリーサー訳と1948年のナカル・コランガ訳は『万国〔民〕の貴いものども』と訳して居り,ヘブル語のソンシノ版は『万国の最も精選されたものども』と訳して居り,アメリカ訳と,リナート及びクランボンは『万国民の財宝(複数)』と訳して居り,またマデドソウスは『万民の富める者ども』と訳して居ります。
26 震う結果として,そのようなものが来ることを,他の現代訳はどのように示していますか?
26 ヱホバが万国を震う目的は,そのようなものが来るためであると,他の翻訳は示しています。ドイツ語のカウチ及びフランス語のレコール・ビブリケと一致して1952年の改訂標準訳(英文)はこう訳しています。『また私は万国を震おう。その結果万国の財宝(複数)が来るであろう。また私は輝きをこの家に満たそう,と万軍の主が言われる』。モハットは更に進んで訳しています。『万国の財宝(複数)が来るまで万国を震い,また此処にある私の家に輝きを満たす,(と万軍の主が言われる)』。すなわちヱホバが万国を震うことは神の宮に或る結果を生ぜしめることになります。それは何でしようか?
成就
27 ヱホバはこの預言の成就をどのように探すべきかを,私共にどう示していますか? 遺れる者が何を見るとイザヤ書 66章10-14節は言つていますか?
27 ヱホバの口によつて語られた同趣旨の予言は,ハガイ書 2章7節の予言の成就をどのように探すべきかを私達に示しています。その点について現代の歴史の発展を見ることにより,ヱホバの予言が真実であることが立証されます。ヱホバは神の婦であり,神の宇宙制度であるエルサレムに関する大復興の予言を与えましたが,婦の裔の残つている者達を1919年以降一つの神権政府の国民として生み出した時に,ヱホバは,予言者イザヤにこう叫ばせました。それは神の民が今日聞くようにです。『エルサレムを愛する者よ,皆彼と共に喜べ。彼のゆえをもつて楽しめ。彼のために悲しめる者よ,彼と共に喜び楽しめ。そは汝ら乳を吸うごとくエルサレムの慰めを受けて飽くことを得ん。また乳をしぼるごとくその豊かなる栄を受けて,おのずから心さわやかならん。ヱホバかく言い給う,見よ,われ河のごとく彼に平康〔繁栄 ― アメリカ訳〕を与え,みなぎる流れのごとく彼にもろもろの国の栄を与えん。しかして汝等これを吸い,〔愛される子のように〕背に負われ,膝におかれて楽しむべし。母のその子を慰むる如く,我も汝らを慰めん。汝らはエルサレムにて慰めを得べし。汝ら見て心よろこばん。汝らの骨は若草の栄ゆる如くなるべし』(イザヤ 66:10-14)。エルサレム即ち神の婦の裔の遺れる者は今この事を見てその心は喜びます。そして彼らはヱホバの御手がその事を成したことを認めます。
28 遺れる者に関聯してイザヤ書 61章1-7節は何と預言していますか?
28 同じ予言者はまた別の予言を述べていますが,それは,ヱホバが油注いだ証者達を奇怪なバビロンから回復される事を予言し,またヱホバが彼ら証者に,善い音信を宣べ伝え,心の傷める者を医やし,捕われ人に解放を告げ知らせ,縛られている者らのために牢獄を開き,そして悲しむすべての者を慰めさせることを予言しています。次に彼はこう附け加えています。『外人は立ちて汝らの群を飼い,異邦人は汝らの畑を耕やす者となり,葡萄を作る者とならん。されど汝らはヱホバの祭司と称えられ,我らの神の役者と呼ばれ,もろもろの国の富を食い,彼らの栄を自ら誇るべし。さきに受けし恥に代え,倍して賞賜を受け,辱しめに代え,嗣業をえて楽しむべし。しかしてその地にありて倍したる賞賜を保ち,とこしえに喜びを得ん』(イザヤ 61:1-7)。1919年に誕生した神権国土の中で,油注がれた遺れた者は第一次世界大戦中に受けた恥と不名誉と圧迫の合計の倍の霊的の繁栄を楽しんでいます。
29 遺れる者のこのような繁栄を何がはつきりと反映しますか? 善意ある大羊衆は何故遺れる者が神の役者であり祭司であると認めますか?
29 このような繁栄をはつきりと反映しながら,善意ある外国人と異邦人は,農夫として,葡萄を作る者として,また群を飼う者として奉仕をなします。そして霊的の意味でのヱホバの『役者』と『王なる祭司』の成員達は,このような奉仕から助けと利益を受けます。その奉仕は彼らにとつて,決して終ることのない喜びの源泉です。これらの善意ある外国人と異邦人の一人として今自分自身を示す者は誰でも,遺れる者と共に神に奉仕する準備を整えており,また奉仕することを喜びます。この善意ある群衆がどんなに大きくなろうとも彼らはそうすることを喜びます。しかしキリストの下にある『王なる祭司』はそのように増加しません。彼らの成員は14万4000の成員に制限されています。彼らはその独特の祭司体に入れられるように聖別されます。そしてその高い霊的の職務に召される人々を,ただヱホバ神だけが聖別することが出来ます。善意ある外国人と異邦人はこの事を認め,そして霊的遺れる者が神の役者であり,ヱホバの祭司であることを認めます。
30 ゼカリヤ書 8章20-23節によれば,どのようにして10人の人が一人のユダヤ人の裾をつかまえて,一緒に崇拝するために行きましたか?
30 ヱホバが1919年にバビロンから遺れる者を奇蹟的に回復して,彼らを神の崇拝者として,また神の僕として宮の活動を行わせるために遣し給うた時,その事を学んだ万国の誠実な心の民たちにとつて,その事は,ヱホバの証者が真の神を有していること,そしてこの神が本当にヱホバの証者と共に居つて彼らを救い,彼らを祝福したということの一つの証拠であつたのです。彼らは,心の内でユダヤ人であるところの油注がれた遺れる者がヱホバの宮に上るためにお互いにこう励まし合つているのを聞きました。『いざ我らヱホバに歎願し,万軍のヱホバを求めるためにすみやかに行かん。我もまた行くべし。』その時彼らは一緒に行こうとして,霊的のユダヤ人の遺れる者をつかまえました。『万軍のヱホバかく言い給う。その日にはすべての国語の民十人が一人のユダヤ人の裾をつかまえて言わん。われらは汝〔民〕と共に行かん。そは我ら,神が汝らと共にいますと聞きたればなり』(ゼカリヤ 8:20-23,ダ訳)。ヱホバと呼ばれる神,そしてその仕業とお約束と御目的とが聖書に記録されている神は,引力を有する磁石であつて,この神こそ彼らが霊的ユダヤ人の遺れる者と共に崇拝のためにその御許に引き寄せられた御方なのであります。このような善意者の数は,このような一人の霊的ユダヤ人に対して10人以上の数になつています。この事は,油注がれた遺れる者がヱホバの家に上つて,宮の仕事を行うまでは,決して起らなかつたでしよう。
31 イザヤ書 60章1-16節によれば,ヱホバは誰の上に栄光を照らし,どんな御命令を与えましたか? そしてこの御命令に従つた結果何が生じましたか?
31 第一次世界大戦の期間中,神が彼らを怒られた時『上なるエルサレム』である神の婦の裔の遺れる者は濃いくらやみと暗黒の中に居ました。しかし1919年にヱホバは起きて,神の婦の上に恵みを与え,その恵みの光は地上の油注がれた遺れる者の上に反射しました。神の婦に対する神の御命令はまた彼女の遺れる者にも適用されました。そして彼らが御命令に従つたために生じた結果は何とすばらしいことでしよう!『起きよ,光をはなて。汝の光きたり,ヱホバの栄光なんぢの上に照りいでたればなり。見よ,暗きは地をおおい,闇はもろもろの民をおおわん。されど汝の上にはヱホバ照りいでたまいて,その栄光なんぢの上に現わるべし。もろもろの国は汝の光に行き,もろもろの王は照りいづる汝が光輝に行かん……その時汝見て喜びの光を現わし,汝の心驚きあやしみ,且つひろらかになるべし。そは海の富は移りて汝につき,もろもろの国の貨財は汝に来るべければなり……異邦人は汝の石垣を築き,彼らの王たちは汝に仕えん。そは我怒りて汝を打ちしかど,また恵みを以て汝を憐れみたればなり。汝の門は常に開きて夜も昼も閉ざすことなし。こは人,もろもろの国の貨財を汝に携えきたり,その王たちをひきい来らんがためなり。汝に仕えざる国と民とは滅び,その国々は全く荒れすたるべし……汝またもろもろの国の乳を吸い,王たちの乳房を吸い,しかして我ヱホバが汝の救主,汝の贖主,ヤコブの全能者なるを知るべし』― イザヤ 60:1-16。
32 その質問に答えて。万国の願わしいものどもは来ましたか? ヱホバは1953年のヤンキー,スダジヤムで目に見える答をどのように与えられましたか?
32 解釈されたこれらの予言によつて目を開かれた私共は,「万国の願わしいものども,貴いものども,財宝,最も精選されたものどもが来ましたか?」と尋ねる時が参りました。今日ここに居るあなた方,何千人のヱホバの証者の油注がれた遺れる者よ,あなた方の目を上げてこの宏大なヤンキー・スタジヤムの建物を見渡し,そしてもろもろの国々と国語から集つて来た十数万の善意者達をご覧なさい。その質問に対する万軍のヱホバのお答はこれです。ヱホバは御国の善い音信を万国に証言のために全世界に宣べ伝えることによつて,万国を震いました。そして諸国民の中の願わしいものどもは既に来ています。そしてヱホバが,ハルマゲドンの戦を行つて,震動している悪魔の制度の天と地を全部取り除いてしまつて,大震動を完成し給う以前に,更に数え切れないほどの願わしいものどもが来るでしよう。ハガイ 2:20-23。
33 霊的遺れる者が最後まで競走を走るための刺戟となるために,古代の証者達の模範と共に,ヱホバは今日誰と共に霊的遺れる者を取り囲みましたか? 何故ですか?
33 遺れる者の最大の試験,最後の試験の時に,ハルマゲドンの前か最中に,ヱホバ神が古代の『雲のように多くの証人たち』即ち『君たち』(全部で丁度70人と見積られていた)を死より甦えらせて,霊的遺れる者の最も激しい試練の最中に彼らを力づけ,神の保証を与えることが必要だと,曾つて遺れる者の私共はいつも考えていました。しかしあなた方遺れる者よ,目を上げて,ヱホバと共にあなた方を取り囲んでいる雲のように多くの現代の証者たちをご覧なさい。たとえ『鉄のカーテン』の彼方やその他の場所で証言のために死のうとも,彼らのすべてはアブラハム,イサク,ヤコブ及びすべての予言者達と同じ純正の信仰を示しています。神の奇蹟に関して,これ以上の奇蹟を今油注がれた遺れる者は求めることが出来ますか? 現代のヱホバの証者達のこの『大なる群衆』の忠実な友交と支持と,そして神命を守る彼らの熱心と忠実さとは,古代の『雲のように多くの証人たち』の模範と共に,私共の前に展開している競走<レース>を私共が最後まで,勝利を得るまで走るための力強い刺戟であります! ―ヘブル 12:1,2,口語。
34 ヱホバは彼らをどのように万国から引き出されましたか? 彼らは誰にとりて願わしい者ですか?
34 ヱホバは遺れる者に油を注いで,御国の証言を宣べ伝えさせるために派遣しましたが,そうすることによつてヱホバは,御自身の願うところの者ども,そして遺れる者が本当に願うところの者ども,そして今統治しつつある王なるキリストを通じてヱホバに献身する善意者達を万国から引き出しました。これらの人々は多分貧しく,謙遜で,そして平凡な人々でしよう。したがつて諸国民はこれらの人々を多くの価値ある者とは評価しないでしよう。しかしヱホバの目から見れば彼らは諸国民の中の最も精選された者どもです。何故なら彼らは御国の証言に応じ,彼らもまたその証言を取り上げて,更に他の人々に証言を宣明する油注がれた遺れる者の仕事に参加するからです。ヱホバにとりて彼らの生命は貴いものであつて,ヱホバはハルマゲドンにおけるヱホバの執行軍から彼らを保護して,新しい世で生命とそれに伴う快い特権を彼らに授け給うでしよう。彼らはヱホバにとりて,古代の忠信な証者達にも比すべき真の宝であります。
どのように満たされましたか?
35 金銀についてヱホバが述べられたことを彼らがありがたく感じているということを彼らはどのように示しましたか? ヱホバはどのようにして『栄光をもつてこの家に満た』しましたか?
35 ヱホバは彼らをまつすぐに宮の中に連れて来ます。それは彼らが油注がれた遺れる者の側にあつて,清く汚れのない宗教に基いて崇拝出来るようにするためです。何故なら彼らの心が宮にあるからです。彼らは次の神の声明をありがたく感じます。『銀もわがものなり。金もわが物なりと万軍のヱホバ言いたもう』(ハガイ 2:8)。それ故崇拝の宮に入つて来る時,彼らは金銀の財宝を携えて来ます。何故なら彼らが献身する時,それらすべての財宝もまたキリストを通じて神に献げる筈であるからです。彼らは,ハルマゲドンで世の終りが来るまで,全世界におよぶ御国の宣教を押し進めるために,それらの財宝を財政上に,又はその他に喜んで使います。このように万国の願わしい者どもが来ることによつて,油注がれた宮の働き人の遺れる者に対するヱホバの次のお約束は成就しました。『またわれ栄光をもつてこの家に満たさんとヱホバ言い給う』(ハガイ 2:7,ア標)。前に戻つて1919年は宮の働き人達にとつて小さい事柄の時代でした。その事柄は高慢な諸国が見くびるほど,明かに小さいものでした。しかしヱホバの予言は,その宮の仕事が,神の清い家における崇拝を取り戻すという大きな結果を生むことを保証しました。『この家の後の栄光は従前の栄光より大いならんと万軍のヱホバ言いたもう』(ハガイ 2:9,ア標)『この家の未来の光輝は過去の光輝よりも大いならん』― ア訳
36 「この家の後の栄光は従前の栄より大いならん」という御言葉を,ヱホバは既にどのように成就されましたか?
36 その事が今日すでに実現しているということは全く本当です! その願わしい人々がまごころこめてその所有する財宝を献げながらヱホバ崇拝の家に来て,そこで『昼も夜も』神権的奉仕をすることによつて,神の家は栄光をもつて満たされました。その栄光はソロモンの宮が有していた栄光よりも優つているばかりでなく,また,ヱホバが完全な宮,即ち『霊の家』を建てるために『生ける石』を御準備された19世紀間にわたつて有していた栄光よりも優つています。このようにヱホバ崇拝の家を美しく飾り,崇め高めたことは,他には決してありません。霊的遺れる者の数は,ヱホバが彼らの或る者らをこの地上の準備の石切場から取り去つて,『生ける石』として天の宮に据えられるために,年に少くなつて行くでしよう。しかし今ヱホバ崇拝の家に群がつているところの,万国から精選された級の人々の何十万の群衆よ! そしてこれらの群衆は年々何千人も増加しつつあります! これはヱホバの家に,何という栄光,何という感銘的な重みを与えることでしよう! この栄光は決して減少することなく,反つてハルマゲドンへと進むにつれてますます増加するのです。まことに万国は今こそ,ヱホバが崇拝の家を有していられるということと,その家は崇拝者達で満ちているということを知らなければなりません。ヱホバ崇拝は実在です。人々が『生ける石』から成る神の宮即ち『霊の家』を踏みつぶすことが出来ない以上に,ヱホバ崇拝は踏みつぶすことが決して出来ない実在です。
平和
37 外部の諸国の紛争や争闘もこの家を侵すことはないであろうと,ハガイの予言は私共にどんな保証を与えていますか?
37 外部のこの世の諸国の論争や紛争や争闘も決してヱホバの崇拝の宮の神聖な境内を侵すことはないでしよう。国際的不和と戦闘は,決して油注がれた遺れる者と善意ある願わしい仲間の崇拝を破つて,神の家の最も秀でている栄光を奪うことはないでしよう。『この家の後の栄光は従前の栄光より大いならんと万軍のヱホバ言いたもう。またこの処においてわれ平和を与えんと万軍のヱホバ言いたもう』(ハガイ 2:9,ア標,ダーベイ訳)。国際連合ではなくて,ヱホバの崇拝の宮こそ,今日地上の唯一の平和の場所であつて,この世の諸国民はこの平和を奪うことは出来ません。この平和はヱホバ神が私共に与えて下さる賜物です。
38 ゼカリヤ書 9章9節の予言の成就として,ヱホバはどのようにエフライムとエルサレムから戦車と馬と戦争弓を絶ちましたか?
38 王なるイエスキリストがどのように来り,そして新しい世の試みられ,験された基礎としての天的シオンをどのように据えるかをヱホバが予言した時,ヱホバはこう言明しました。『われエフライムより戦車を絶ち,エルサレムより馬を絶たん。戦争弓も絶たるべし。かれ国々の民に平和を諭さん。その政治は海より海に及び,河〔曾つてバビロンによつて支配されたユフラテ河〕より地の極におよぶべし。』(ゼカリヤ 9:9,10)戦車や馬や戦争弓はすべて肉の武器の古代的象徴でした。エフライムを頭とする王国とエルサレムを頭とする王国とに分裂したイスラエル人達は,時々これらの戦争の道具を用いてお互いに兄弟殺しの争闘を行いました。しかし終にヱホバはエフライムとエルサレムを一つの民として結合させて,お互いに戦うために用いる戦争の武器を絶ちました。霊的イスラエルの遺れる者も同様です。彼らが以前どんな宗教的又は政治的言明や忠実さを示したにも拘らず,ヱホバは王を通じて彼らを一つの国民に結合させ,平和に神を崇拝し,神に奉仕出来るように聖霊を以て彼らを助けます。霊的イスラエルは一致結合してヱホバの王を支持します。
39 ヱホバの王が今日平和を語るのは,何故この世の諸国民に向つて語るのではありませんか? この故にヱホバの証者は何を行うことを抑制されていますか?
39 『平和の君』である王はその平和の統治を一致結合し,平和を保つている霊的イスラエルだけに制限しないでしよう。ヱホバは言い給う。『かれ国々の民に平和を語らん』。イエスキリストが今日この世の諸国民に向つて平和を語らない以上,どうしてそれがあり得ますか? 彼はハルマゲドンで万国を,ほんの陶工のうつわもののように,こなごなに打砕くために鉄の王杖を揮います。彼は諸国民に対するヱホバの次の宣言に基いて,ハルマゲドンで御自身と戦うように万国に戦いを挑みます。『もろもろの国に宣べ伝えよ。戦争の準備をなし,勇士をはげまし,軍人をことごとく近かより来らしめよ。汝らの鋤を剣に打ちかえ,汝らの鎌を鎗に打ちかえよ。弱き者も我は強しと言え。四周の国々の民よ,汝らいそぎ上りて集れ』(ヨエル 3:9-11)。万国に対するこの戦争宣言の命令に基いて,ヱホバの証者は,どのような平和主義者の制度にも参加出来ませんし,また参加しないでしよう。彼ら平和主義者の制度は,キリスト教の名で行う戦争を止めさせようと国家政府に督促しています。今年の4月8日に国際連合の通常会議は,この世の諸国民の間の恒久平和のために努力するという妄想の下に,軍備縮小の決議を可決しましたが,ヱホバの証者はこの決議を少しも支持しないでしよう。第一に,そんな事をするのは無益です。第二に,そしてそれは更に重大ですが,それは証者達に対するヱホバの御命令に反します。
40 王が諸国民に平和を語ることについての私たちの質問に対する答を探す時,イザヤのどんな特別な予言に耳を傾けるように呼び掛けられますか?
40 では,王が諸国民に平和を語るということは何を意味するのですか? それは何時適用されるのですか? 次の御言葉をお聞き下さい。そしてお聞きになつたら,万国の願わしい者がヱホバの崇拝の家に来ることをお考え下さい。『末の日にヱホバの家の山はもろもろの山の頂きに堅く立ち,もろもろの嶺よりも高くあがり,すべての国は流れのごとくこれにつかん。多くの民ゆきて相語り言わん,いざ我らヱホバの山に登り,ヤコブの神の家に行かん。神われらにその道を教え給わん。われらその道を歩むべしと。そは法律はシオンよりいで,ヱホバの言葉はエルサレムより出づべければなり。ヱホバはもろもろもろの間を裁き,多くの民を責め給わん。かくて彼らはその剣を打ちかえて鋤となし,その槍をうちかえて鎌となし,国は国に向いて剣をあげず,戦争のことを再び学ばざるべし』― イザヤ 2:2-4。
41 この世の国々の完全な,そして永久の軍備撤廃は何時でしようか? 何故ですか?
41 この世の諸国民はヱホバの審判に注意を払う人々ではなく,またヱホバの叱責に気を付ける人々でもありません。彼らの軍備縮小の会議や決議は決して完全な軍備撤廃のためのものではなくて,単に軍縮制限のためのものに過ぎません。そしてこれらの会議と決議は,諸国民が剣を鋤に打ちかえ,鎗を鎌にうちかえ,そして剣を下に置いて,戦争を学ぶことを止めるように,今まで決して導かなかつたし,またハルマゲドンの始まる以前決して導かないでしよう。『全能の神の大いなる日の戦』が彼らを撃つ時,彼らは現代科学によつて改良されたすべての兵器で充分に武装するでしよう。その兵器の多くについての知識を私共は今まだ持つていません。しかしハルマゲドンが成し遂げられる時,ヱホバの王は御国に敵対するそれらのすべての国々をこなごなに打砕くでしよう。その時はじめて私共は完全に軍備を撤廃し,そして永久にそうなるでしよう。
42 では今ヱホバの審判と叱責に気をつける者は,諸国民の内の誰ですか? そして彼らはハルマゲドンでさえも如何にしてそのように行いますか? 何故ですか?
42 この故に今ヱホバの審判と叱責に注意し,今ヱホバがシオンとその宮から彼らを教え給う道に歩む者は,このようなすべての国々と国民の中から出て来た願わしい者らの『大いなる群衆』であります。これらの者は今完全な軍備撤廃を行います。即ち彼らは以前決死的争闘のために専用されていた兵器類を平和的な,生産的な用途に変え,実際にお互いに振り廻し合つていた剣を下に置き,もはやそのような肉の戦争のことを学びません。ハルマゲドンが始まつて,ヱホバが敵共を狼狽させる時,それらの敵共のおのおのはおのが兄弟に叛いて手を振り上げるでしよう。しかし万国から出て,高くそびえている『ヱホバの山』に来たこの『大いなる群衆』はそんな事をしません! 彼らすべては『すべてのものよりも優る平和の神』と一致して堅く立つことが出来るように,おのおのがその兄弟に援助の手を貸すでしよう。彼らは皆共々に『ヤコブの神ヱホバの家に流れのように集まつて来たのですから,その通り行うでしよう。そしてヱホバの家でヱホバは次の御目的を励行致します。『この処においてわれ平和を与えんと万軍のヱホバ言い給う』― ハガイ 2:9,ア標。
43 どんな光景を目撃する私共は如何に幸福ですか? そしてこれに関聯して私達はどのようにして更に幸福になれますか?
43 では,ごらんなさい。今日ヱホバの崇拝の家は栄光に満ち,神の平和が与えられています。ヱホバの御言葉の証明であるところの,この光景を目撃するために生きている私達は何と幸福なことでしよう。『清き美わしきものをもて』清く神を崇拝し,そして地の極にまだ残つているすべての願い求めつつある人々を助けることによつて,更に大なる栄光をもつて神の家に満たすために,絶えず休みなく働きながら神の家に住むことは私達にとつて何と幸福なことでしよう。
-
-
『チエツコの共産主義者はヱホバの証者を迫害する』ものみの塔 1954 | 2月1日
-
-
『チエツコの共産主義者はヱホバの証者を迫害する』
『チエツコの共産主義者はカソリツクのみならずヱホバの証者をも迫害する』という見出しの下に,合衆国のカソリツクの週間紙,我等の日曜訪問者は,1953年5月17日に,ロンドンからの次のようなニユースを出版しました。
『チエツコスロバキアでは,カソリツク教会と教会の最大の反対者であるヱホバの証者達の群上に,非常なそして残酷な抑制が加えられている。此処で得た報告によると,チエツコスロバキアでは2260名のヱホバの証者 ― その中460名は婦人 ― が拘引されている。彼等の指導者ボミル・ミラーは最近15年の重労働という刑を宣告された。前の指導者であるジヤン・セビンは18年の禁錮の刑を宣告された。ナチの時代には,セビンはデカウとブケンワルドの収容所で6年を過した。1950年,彼の監督の地位を無理に止めさせようした結果,彼は病気にかかり,不具になつて仕舞つた。欧州では国際聖書研究生協会としてよく知られているヱホバの証者達は,他の鉄のカーテンの国々,特に東部ドイツでひどい迫害を受けている。その運動の指導者達が語るのに彼等はプラグの当局が取つた処置はチエツコスロバキアでのその派を殆ど消滅させてしまつたことを信じている。』
前述の報告によると,共産主義者はカソリツクとヱホバの証者との間に区別なく迫害していると述べながら,刑務所にいるカソリツクの数が発表されていないことは興味深いことです。1951年度のヱホバの証者の年鑑に出ている最も最近に発表された数字によると,チエツコスロバキヤにいる証者達の9割が今刑務所に入つています。
-