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  • 「私たちの神の家をなおざりにしない」
    ものみの塔 1966 | 2月15日
    • 27 「『〔エホバ〕の御名を呼び求める者は,すべて救われる』とあるからである。しかし,信じたことのない者を,どうして呼び求めることがあろうか。聞いたことのない者を,どうして信じることがあろうか。宣べ伝える者がいなくては,どうして聞くことがあろうか。つかわされなくては,どうして宣べ伝えることがあろうか」。―ロマ 10:13-15。

      28 神の家の人々は宣べ伝えるためにつかわされることをまじめに考えています。それはどのように示されますか。

      28 神の家族の成員は神の御名を宣べ伝え,全人類を祝福するメシヤによる神の国を知らせるためにつかわされることをまじめに考えています。それゆえ,この者たちが神の家の活動に熱心に参加するのも不思議ではありません。彼らは神の家の成員の中で任命され,これらの活動を率先する者を忠節にまた私心なく支持します。また彼らは,使徒パウロの宣教活動をおしみなく助けた1世紀のピリピ会衆の人々にも似ています。(ピリピ 4:14-16)神の家の活動に加わるのは大切なことであり,彼らはこれを怠って,「わたしたちの神の家」をなおざりにしないようにと注意しています。

      29,30 「聖なる祭司」の活動が拡大された結果,黙示録 7章の預言どおり,どんなことが見られますか。

      29 1918年の第一次世界大戦終結以来,神の家における「聖なる祭司」の活動が拡大したことの結果として,全地のあらゆるところから実に多くの人々が神の霊の家に集まって来ています。この人々が最終的にどれほどの数になるかは今わかりませんが,黙示録 7章9-15節はこの人々を預言的に描写していました。

      30 「見よ,あらゆる国民,部族,民族,国語のうちから,数えきれないほどの大ぜいの群衆が,白い衣を身にまとい,しゅろの枝を手に持って,御座と小羊との前に立ち,大声で叫んで言った,『救は,御座にいますわれらの神と小羊からきたる』。……『彼らは大きな患難をとおってきた人たちであって,その衣を小羊の血で洗い,それを白くしたのである。それだから彼らは,神の御座の前におり,昼も夜もその〔宮〕で彼に仕えているのである。御座にいますかたは,彼らの上に幕屋を張って共に住まわれるであろう』」。〔新世〕

      31 (イ)どの期間にこの「大ぜいの群衆」は出てきましたか。(ロ)彼らはエホバ神をどのように認めていますか。どんな生活の基準に彼らはもはや従いませんか。

      31 この雑誌を読んでおられるあなたはこの「大ぜいの群衆」にはいっていますか。もしはいっているなら,ここに出てきた「大きな患難」が,「世の罪」を清める神への犠牲としてご自分の血を流された「小羊」,すなわちイエス・キリストの予告通り,1914年から1918年までの「産みの苦しみの初め」と共に始まったことを知っておられるでしょう。(マタイ 24:8。ヨハネ 1:29)諸国民に加えられる「産みの苦しみ」の終わりはまだ来ていません。この終わりは現存する事物の制度の完全な滅びとなります。しかしこの「大ぜいの群衆」は神への奉仕を始めることを「大きな患難」の終わりが来るまで待っていませんでした。彼らは,ひとたび犠牲となられた「小羊」イエス・キリストによる天と地の神の救いを求めて,「産みの苦しみの初め」以来出てきています。この者たちは,エホバ神が天の御使いと地上の人間の正しい統治者であることを認めています。また世俗的なこの事物の制度の道徳と宗教との基準をもはや受け入れません。かわりに,黙示録 7章9節から15節に描写された通り,自分たちが罪人であることを認め,汚れたよそおいを取り去ろうとしています。

      32 彼らは「小羊」の血で自分の衣を洗って白くします。このことを説明しなさい。

      32 それゆえ,この人々は「小羊」が流された血で自分の衣を洗います。みにくい罪の汚れを去るためです。これはイエス・キリストが神の大祭司であることを認め,この大祭司が罪のためにささげられた犠牲に信仰を持ち,ついで,もはや自分のものでも,この世のものでも,またサタン悪魔のものでもなく,神によって買われたエホバ神のものとして自らを完全に神にささげることによってなされます。

      33 この者たちが神の霊の家に集まるのはなぜですか。夜奉仕することについてこの者たちはどんな態度を取りますか。

      33 それゆえこの者たちが今,神に是認された立場にあるのも不思議ではありません。彼らはしゅろの枝を手に持つように,喜んで神をたたえます。この人々が,昼も夜もエホバ神に聖なる奉仕をささげるために,イエス・キリストを「隅のかしら石」とする神の霊の家に集まっているのも不思議ではありません。彼らは神の家の「霊的な祭司」に言います。「夜,〔エホバ〕の家に立って〔エホバ〕に仕えるすべてのしもべよ,〔エホバ〕をほめよ。聖所にむかってあなたがたの手をあげ,〔エホバ〕をほめよ」。霊的な祭司はこれに答えて言います。「どうぞ〔エホバ〕,天と地を造られた者,シオンからあなたを祝福されるように」。―詩 134:1-3,〔新世〕。

      34 彼らは神の宮において目ざとくなにをつづけますか。1日24時間のいつ?

      34 それゆえ,神の家に集合を続ける「大ぜいの群衆」は神の宮における集会に行く以上のことをします。すなわち,神への奉仕に活発に加わるのです。彼らは昼も夜も神の霊的な宮の「生ける石」のうちまだ地上に残っている人々に力を合わせます。総督ネヘミヤの時代のユダヤ人は神の崇拝のためのみつぎを怠り,宮で仕えたレビ人をしてやむなく宮を去らせ,生活のために自分の畑で働くことを余儀なくさせて,「わたしたちの神の家」をなおざりにしましたが,今日,これらの人々はこの昔の例にならおうとは思いません。(ネヘミヤ 13:10,11)それゆえ彼らは,神の「小羊」イエスによる救いを神に永遠に負っていることを認め,神の宮にあって,日夜目ざとく神に仕えます。

      35 (イ)黙示録 7章9-15節の預言的な言葉が無意味なものでなかったことを説明しなさい。(ロ)大ぜいの群衆と霊的な祭司の残れる者はどんな決意を実行しますか。それはどんな結果をもたらしますか。

      35 黙示録 7章9-15節の預言的な描写は無意味なものではありませんでした。そこに預言された事柄は今日,わたしたちの眼前で実現しているのです。それは地上で救われた人々の「大ぜいの群衆」が今日取るべき道を示しています。彼らは,「大きな患難」の「産みの苦しみ」の終わりが到来し,偽りの宗教とその人工の宮すべてに滅びがもたらされる前の今,これに実際に従います。神の霊の宮において,「大ぜいの群衆」と霊的な祭司の残れる者とは生きた,唯一まことの神に清い奉仕をささげます。彼らは,「わたしたちの神の家をなおざりにしない」との不変の決意を,昼も夜も実行します。その喜ばしい結果として,エホバ神の崇拝は続けられ,その活気は保たれ,従順な人々すべての祝福と永遠の命の源であられる方にいっそうの賛美がささげられるのです。

  • 創造者をたたえる少女
    ものみの塔 1966 | 2月15日
    • 創造者をたたえる少女

      ◆ オランダ領アンチル(キュラソー)の一女生徒は聖書の主題に基づく作文を書きました。受け持ちの先生は,むずかしい問題を非常によくまとめてあるこの作文が,彼女によって書かれたとは思いませんでした。しかし,創造に関する問題を話し合った結果,先生はその子が自分でそれを書いたことを確信しました。その生徒は自分の話すことをよく理解していたからです。それから先生は,どうして聖書のことをそんなによく知っているのかとその若い伝道者に尋ねました。その子が自分はエホバの証人であると話した時,先生は「それでわかった」と言いました。彼女は聖書,集会また神の組織の活動などについてくわしく話すことができました。そして先生を大会の映画に招待しました。その先生は,自分は神の道から迷い出ていたが彼女の作文と説明によって信仰がよみがえってきたとその若い伝道者に話しました。

      ― エホバの証人の年鑑から

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