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オリンピックへの弔鐘?目ざめよ! 1984 | 11月8日
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多くなっています。テロリストたちはその流血の脚本の中にオリンピック競技場を組み入れてきました。二つの超大国は今や,オリンピックが,覇権をめぐる両国間の闘争の駒になり得ることを示しました。ここで次のような疑問が生じるのはもっともなことです。このすべてはオリンピックの将来にどんな影響を及ぼすだろうか。
長期的な影響
オリンピックはそのイメージをさらに損なうこうした影響にもめげずに生き残ってゆくでしょうか。役員たちの中にはいまだに楽観的な見方を持っている人もいます。米国国内オリンピック委員会の会長であるウィリアム・サイモンは,「オリンピック運動は強力であり,問題点がいかに多くとも,依然として平和への積極的な勢力となっている」と述べたと言われています。しかし,もっと暗い見方をする人もいます。マラソンの世界最高記録保持者,アルベルト・サラザールは,「こんなことになってしまってただただ残念です。そして,これはオリンピックにとって命取りになると思います」と語りました。ニューズウィーク誌は,「これは近代オリンピック運動そのものの最終的な破滅を予示しているかもしれない」という意見をあえて述べました。
確かに,オリンピック大会の今後の開催について今や重大な疑問が投げかけられています。オリンピックが政治的な争いの駒のようになっていつも犠牲にされるのであれば,どの都市や企業集団が,オリンピックを組織するための財政負担を受け入れたいと思うでしょうか。国際政治のために自分たちの参加が保証されないのであれば,選手たちはこれまで通り一生懸命に準備をしたいと思うでしょうか。これらは現在表明されている疑問の幾つかにすぎません。しかし,ほかにも疑問となっている事柄があります。国家主義,薬物の使用,まがいのアマチュア選手の参加などについてはどうでしょうか。言い換えれば,オリンピックの理念は衰えつつあるのでしょうか。それとも消え去ろうとしていますか。
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オリンピック大会 ― 本当に「スポーツの光栄のため」ですか目ざめよ! 1984 | 11月8日
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オリンピック大会 ― 本当に「スポーツの光栄のため」ですか
米国カリフォルニア州ロサンゼルス市で行なわれた競技は読者の関心をとらえたことでしょう。その前身となったのは2,760年以上前にギリシャ南部のオリンピアで開かれた宗教的な祭典でした。この祭典は,オリュンポス山で支配するとされていた神ゼウスのために行なわれました。その祭典からオリンピック競技会が誕生し,西暦前776年に第1回祝典が行なわれました。古代ギリシャのさまざまな都市国家は,4年に一度,その地での競技に参加させるため,自分たちの都市の最も優れた運動選手を派遣しました。
この伝統は西暦393年まで続きましたが,古代オリンピックはその年をもって幕を閉じました。翌年,“クリスチャン”であるテオドシウス帝がオリンピックを禁じました。同皇帝は,ローマ帝国内のいかなる異教(非キリスト教)の習わしをも禁じたのです。では,オリンピックはどうして今日存在しているのでしょうか。
19世紀の後半に,フランスの若い教育者,ピエール・ド・クーベルタンは,英国のパブリックスクールでスポーツが活用されていることに感銘を受けました。そして,平衡の取れた教育にはスポーツが含まれていなければならないと確信するに至りました。一人の伝記作家が書いているように,後日,「クーベルタンはオリンピック競技会[の復興]という考えに取りつかれた」のです。クーベルタンの運動は成功し,1896年にオリンピックは復興され,ふさわしくもギリシャのアテネで開催されました。
クーベルタンはとりわけ,4年に一度開かれるオリンピック大会が世界平和を促進するのに役立つであろうと考えました。その点でクーベルタンの考えは的を外れていました。1896年以来,オリンピックは二つの世界大戦のために二度中断され,しばしば政治に悩まされてきました。1974年に,当時国際オリンピック委員会(IOC)の会長だったキラニン卿は,「私はすべてのスポーツマンおよびスポーツウーマンに,政治的な目的のためにスポーツを利用したいと思うなら,オリンピック大会に参加しないよう要請する」と言わざるを得ませんでした。
1976年と1980年には,この助言は裏目に出てしまいました。多くの国が自国の政治的な不満をはっきりと表わすためにオリンピックをボイコットしました。次いで,1980年のモスクワ・オリンピック大会の終わりに,キラニン卿はもう一つ,「私は,大破壊が臨む前に平和のうちに結び合わされるよう世界のスポーツマンに懇願する……オリンピック大会は政治的な目的のために利用されるべきではない」という要請を出しました。このような要請が必要だったということ自体,政治がオリンピックの理念を脅かす危険なものであることを示唆しています。共産圏の多くの国がロサンゼルス・オリンピック大会に参加しなかったことは,この問題の重みを増し加えています。
「スポーツの光栄のため」?
古代オリンピック競技会は,常にスポーツマンシップとフェアプレーの精神に基づいていたと言えるでしょうか。「オリンピック競技会: その最初の1,000年間」という本についての書評の中で,作家でもあり学者でもある英国のイノック・パウエルはこう評しました。「それらは本質的に言って,スポーツにはふさわしくない,スポーツマンらしからぬものだった。競技の内容はどうでもよく,重要なのは勝利を得ることだけだった。“入賞者”などというものはなかった。ただ勝利のみがあり,罰則の伴う反則をしてその勝利を得たとしても……勝利は勝利であった。それは危険で,残忍なものだった」。事実,この本は,「競技者たちは『[勝利の]花冠か,さもなくば死』を祈り求めた」と述べています。
近代オリンピックは,表向きもっと純粋な動機によって行なわれていることになっています。“オリンピックの理想”は次のように述べています。「ちょうど人生において重要(必要不可欠)なことが,成功することではなく,努力することであるように,オリンピック競技大会で最も重要なことは,勝つことではなく,参加することである。
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