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アテネ ―“多くの神々の都”ものみの塔 1981 | 10月1日
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者たちはあざけるようになったが,ほかの者たちは,『これについてはあなたの言うことをまた別の時に聞こう』と言った」からです。その後どんなことが起きましたか。
パウロは彼らの中から出ましたが,その巧みな論議は前述の二つの異なった反応以上の結果を生みました。3番目のグループの人々がいたのです。「幾人かの者は彼に加わって信者となった。その中には,アレオパゴスの裁判官デオヌシオ,ダマリスという名の女,またそのほかの者たちもいた」と述べられているからです。(使徒 17:32-34)こうして,初期キリスト教はこの“多くの神々の都”で伸張していきました。
アテネ市の歴史を振り返る
アレオパゴスの目と鼻の先にアクロポリスがそびえています。私たちはプロピラエ城門の立派な大理石の石段を登ります。それはアクロポリスの頂にあるパルテノンへのすばらしい登り階段です。右側にはアテナ・ニケの神殿がありますが,安置されていた女神は失われてしまいました。私たちはプロピラエ城門の壮麗な柱廊を通り過ぎます。その一部は損なわれていますが,それでもこれがかつては壮大な建造物であったことを十分うかがわせてくれます。階段を登り詰めると,パルテノンの巨大な遺跡が目に飛び込んできます。これはいつごろ建てられ,どんな目的で建造されたのでしょうか。
考古学がアテネの最も古い歴史に幾らかの光を当てているとは言え,その起源はなぞに包まれています。西暦前7世紀に,同市はエウパトリダイにより治められていました。エウパトリダイとは政治権力を振るい,当時の主要な刑事裁判所であったアレオパゴスを動かしていた世襲貴族のことです。次の世紀に,ソロンという名の法律制定者が民主主義の礎を据えました。こうして,アテネは民主的政体を擁する最初の国家の中心地になりました。
メディア-ペルシャ帝国の興隆はギリシャにとって重大な脅威となり,預言者ダニエルが予告していた通り,ペルシャの第四の王は「すべてのものをギリシャの王国に向かって奮い立たせる」ことになっていました。(ダニエル 11:2,新)戦争が繰り返され,最後に「第四の王」,つまりペルシャのクセルクセスが自分の帝国全体を奮い立たせて,西暦前480年にギリシャに侵入しました。同王はアテネにまで軍を進め,アクロポリスのとりでを焼き払いました。しかし,アテネ人たちはサラミスの海戦でペルシャの艦隊を撃ち破り,ペルシャ軍は退却を余儀なくされました。アテネ人はその強力な海軍力によって,ギリシャにおける主導権を握りました。
アテネ市の黄金時代が始まりました。ペリクレスの優れた指導の下で,アテネはすばらしい繁栄を見,同市は古代世界の文化の旗手となりました。アテネは,教師や講師,およびソクラテス,プラトン,アリストテレスといった哲学者たちのあふれる教育の中心地としても栄えました。その地には,哲学の四つの学派,つまりプラトン派,アリストテレス派,エピクロス派,ストア派が確立されました。(使徒 17:18,19)多くの美しい建物や神殿が建てられたのもそのころのことです。その一つが古代異教の主要な記念建造物であるパルテノンです。
聖書対哲学
イエスやその使徒たちがこの地上にいた時,アテネは依然としてその哲学の諸学派のゆえに重要な存在でした。その揺らんの地であるギリシャから,哲学は世界の各地に広がってゆきました。事実,パウロは小アジアのコロサイ会衆のクリスチャンたちにさえ次のように警告しなければなりませんでした。「気をつけなさい。もしかすると,人間の伝統にしたがい……キリストにしたがわない哲学やむなしい欺きにより,あなたがたをえじきとして連れ去る者がいるかもしれません」。パウロはキリストを宣べ伝えていましたが,同使徒が述べるように,「彼のうちには,知恵と知識とのすべての宝が注意深く秘められているのです」。―コロサイ 2:3,8。
ギリシャのコリント人に手紙を書いた際,パウロは非常に強い口調で人間の知恵を非としました。パウロは真のキリスト教を擁護し,人間の哲学をそのあるべき位置において,こう述べています。「あなたがたの中で,自分はこの事物の体制において賢い者であると考える人がいるなら,その人は愚かな者となりなさい。こうして,賢い者となるためです。……『エホバは,賢い者たちの論議がむだなことを知っておられる』」。(コリント第一 3:18-20)単にその論議がむだなものであるだけでなく,その手の業も消えうせてしまいます。アクロポリスを見るとよいでしょう。金で飾られたアテナの像は消えうせてしまいました。今ではパルテノン神殿のごく一部分が残っているに過ぎません。また,アテナとポセイドンを一緒に祭ってあるエレクティウム神殿はどうなっていますか。かつての威容の面影はほとんど残っていません。
アクロポリスをあとにして,見上げるようなプロピラエ城門の階段を降りながら,私たちはアテネの法廷で使徒パウロの語った次の言葉を思い起こしました。「わたしたちは……神たる者を金や銀や石,人間の技巧や考案によって彫刻されたもののごとくに思うべきではありません」― 使徒 17:29。
真のキリスト教は依然として衰えていない
この小旅行を通して,古代および現代のアテネに見られる精神の幾らかをうかがい知ることができたでしょうか。この精神を余すところなく膚で感じるには,言うまでもなくその地の人々と交わらなければなりません。アテネ人が本当にもてなしの精神に富んでいることを感じ取った訪問者は少なくありません。ギリシャ語で見知らぬ人を意味する語が同時に客をも意味するのは決して偶然の一致ではありません。ギリシャ人は見知らぬ人を非常によくもてなすからです。
そうであれば,そのような精神を特徴とする真のキリスト教がアテネをはじめギリシャ全土に再び定着しているのも少しも不思議ではありません。アテネだけでも,7,000人以上のエホバの証人が110の会衆に交わっています。ギリシャ全土には2万人のエホバの証人がいます。パウロ同様,彼らも「異国の神々を広める者」とみなされますが,アテネやギリシャ全土の住民に,「知られていない神」エホバを宣明し続けています。
私たちの訪問は終わり,自分たちの歩みを振り返ってみました。遠くから,アクロポリスを最後にもう一度振り返ると,入り日が同市を見下ろす大理石の建造物をまばゆいばかりの黄金色に染めています。実に見事な景色です。しかし,私たちにとって特に喜ばしかったのは,この古くからの“多くの神々の都”アテネで,今や非常に大勢の人々が真の霊的な啓発を受けていることでした。
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読者からの質問ものみの塔 1981 | 10月1日
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読者からの質問
● 献身し,バプテスマを受けたクリスチャンが,プロボクシングに従事しながら,会衆内で良い立場にとどまることができますか。
クリスチャンがプロボクサーになるなら,神の諭しと真っ向から対立することになるでしょう。聖書の助言を幾つか考慮してみましょう。
聖書が明らかに示すところによると,献身したクリスチャンには,愛,喜び,平和,辛抱強さ,親切,善良,信仰,柔和,自制という神の霊の実を生み出す責務があります。(ガラテア 5:22,23)プロボクシングはこうした実すべてに公然とさからっています。聖書は,「すべての人に対して平和を求め」,争うことなく,「すべての人に対して穏やか」であるべきことを勧めています。(ローマ 12:18。テモテ第二 2:24)同様に,ヤコブ 3章18節には,「義の実は,平和を作り出している人たちのために,平和な状態のもとに種をまかれます」と述べられています。さらに『隣人を自分自身のように愛する』ようにと,また愛は自分の隣人に対して「悪」を行なわないので,隣人に危害を加えたり精神的苦痛を与えたりすることはないと告げられています。―ローマ 13:9,10。
プロボクシングを単に悪気のないスポーツと見ることはできません。ボクサーが,相手を傷付けようという強い
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