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東と西の会う所 スリナム目ざめよ! 1979 | 4月22日
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以外の言語を話す人々にとって最初はおかしく聞こえるかもしれませんが,この地域において東洋と西洋との橋渡しをするのに適した伝達手段となってきました。
信仰のさまざまな証拠
ここスリナムにおける宗教的な習慣や慣行は,住んでいる人々と同じほど変化に富んでいます。興味深い一つの例は,“マルーン”としても知られている奥地のクレオール人が死んだときに起こる事柄です。
それらの人々が自然死とみなすのは老衰だけです。しかし,早死にについてオランダ人の権威者ウィレム・ヴァン・デ・ポルは「死後数日間,死体が抱えられる」ことに言及し,こう述べています。「もし可能ならば,死体が埋葬される前に,この死をもたらした悪霊が見つけられねばならない。死者は,災いを引き起こした[悪霊]の居どころを死体のかつぎ手たちに知らせることができると考えられている」。
これは,聖書に基づく宗教とはきわだった対照を成しています。聖書は,死者が全く無意識であると述べています。(伝道 9:5。詩 146:4)早死にについて言えば,それは大抵の場合,悪霊のもたらした結果ではなく,「時と予見し得ない出来事」の結果なのです。―伝道 9:11,新。
ヒンドスタン人もまた,非聖書的な習慣を守っています。ヒンドスタン人の家の庭には,竹ざおの先に付けられた小さな赤い旗がはためいているのが見えます。旗は魔よけになると考えられているのです。ヒンドスタン人の別の変わった習慣は結婚式に関するものです。家の外には,時折,白い手形が見られます。それは,白米の粉で造ったのりの中に花嫁が手を入れ,家の外側にその手を押しつけたしるしです。これは,花嫁が結婚の誓いをしたことを示すものと思われます。
スリナムにおけるエホバの証人の活動は報いの多いものでした。1946年には,この地方にエホバの証人は20人しかいませんでした。1971年の終わりまでにその数は600人以上に増加し,1978年までには879人の最高数に達しました。それらの人々の大多数は町のクレオール人と,自らを西洋人と考えているムラートです。しかし,彼らは定期的に,東洋人(主としてインドネシア人地区から),土着のインディアン,奥地のクレオール人などを自分たちの交わりに招き入れています。
こうして,スリナムとそこに住む人々のことを考えてきましたが,1975年11月25日に新しい独立国としてスリナム共和国が誕生したことを述べないわけにはいきません。人々はこの変化を切望しました。そして,それは平穏のうちに整然と行なわれました。新共和国の憲法により保障されている自由の中には,信教,言論,報道の自由があります。
スリナムとその住民の歴史,またその発展の様子は実に興味深いものです。それは,東洋と西洋が出会うときに起こりうる事柄の注目すべき例と言えます。
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良識あるドライバーへの提案目ざめよ! 1979 | 4月22日
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良識あるドライバーへの提案
最近の調査によると,100人のドライバーのうち80人までが,休憩せずに長距離をドライブすると集中力が鈍ることを認めました。休止せずに200㌔走るとある種の疲れに襲われる人もいますし,500㌔でそのような疲れに襲われる人もいます。疲労の徴候と肉体の行動,そして誤った食習慣との間には,明確な関連のあることが明らかにされました。
そこで,ドイツ栄養協会は,より安全な運転のために,次のことを勧めています。
● 長旅の前には十分の休息を取る。空腹のままで出発しない。ただし,食べ過ぎてはいけない。脂肪分を避け,ビタミンに富む食物をとる。
● 二時間ごとに休憩する。しかし,車の中に座ったままではいけない。歩き回り,何か食べるようにする。果物,ビスケット,チョコレートなど。ただし,食べ過ぎないこと。
● いつもの時間に食事をとる。軽い食事を,ゆっくりと食べる。食後すぐに運転をしない。まず,「脚を伸ばす」こと。
● 飲み物(牛乳,フルーツ・ジュース,ミネラルウォーター等。コーヒーや紅茶は控え目に)を一度にたくさん飲まないで,一度の量を少なめにひんぱんに飲む。
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