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    ものみの塔 1971 | 7月1日
    • 迫害はエホバの許しによってもたらされる ― なぜか

      「エホバは,敬虔な専念をいだく人々をどのように試練から救出するか,一方,不義の人々……をどのようにさばきの日のために切断されるべく保留するかをご在じです」― ペテロ後 2:9,新。

      1,2 真のクリスチャンを迫害する者たちは,どんな誤った結論を下すかもしれませんか。エホバはなぜ介入されないのですか。

      アダムとエバの2番目のむすこアベルが,しっと深い兄カインに殺された日から,エホバの忠実な証人たちは憎まれ,またきびしく迫害されてきました。西暦1世紀,霊感を受けたひとりの著述家はヘブル人にあてた自分の手紙の中で,証人たちがどのように扱われたかを描写しており,誤導された反対者によって殺されたナザレのイエスご自身,その真の追随者たちに彼らも同様な迫害を受けるであろうと事前に警告しました。(ヘブル 11:4,36-38。ヨハネ 15:18-20)そうした虐待はすべて不当なものであり,主なる神エホバはそれを阻止することができたはずです。なぜそうなさらなかったのですか。―ハバクク 1:13をごらんください。

      2 反逆の精神をもって人を扱う者たちは,偽りの安心感をいだくようになるかもしれません。聖書の詩篇作者はこう書いています。「なにゆえ邪悪な者は神を軽べつしたのですか。彼は心の中で言いました。『あなたは答弁することを要求されない』と」。(詩 10:13; 76:7,新)しかし,答弁を強要することを神が遅らせているのは,弱さからでも,圧迫されている者たちに対する思いやりの欠如からでもありません。イエスの使徒ペテロはわたしたちに次の保証を与えました。「エホバは,敬虔な専念をいだく人々をどのように試練から救出するか,一方,不義の人々…をどのようにさばきの日のために切断されるべく保留するかをご存じです」。(ペテロ後 2:9,新)ゆえに,邪悪な者によって正しい者が迫害されることは,神の目的を果たすものとなります。時には,ご自分を怒らせた民に対する懲らしめとして,神が迫害を許される場合のあることは事実ですが(イザヤ 12:1),迫害はたいていの場合,神の敵(申命 25:17-19),および神に好意的な態度を持つ者(マタイ 25:34-36)がだれかを明らかにする役割を果たしてきました。それは神ご自身の民の忠誠を試み,また彼らの救出によってエホバの名前を擁護する役割を果たしてきました。―ペテロ前 4:1,2。箴言 27:11。

      3 預言的な劇とはなんですか。聖書の中にはその証拠となるどんなものがありますか。

      3 神が過去においてご自分の民と民の敵とにどう対処されたかは,今日のわたしたちに神がどう対処されるかをしばしば象徴的にあるいは描画的に示しており,聖書の最も劇的な記述の一つはエステル書の中に見いだされます。(コリント前 10:11。ガラテヤ 4:24-26。ルカ 17:26-30)その書全体を読めば,大きな益が得られます。それから,詳細が頭の中で生き生きとしてきたところで,わたしたちの時代におけるその預言的な劇の意義を考えることにしましょう。

      4 エステルの劇的事件における時の要素は,現代どのようにその実体を明らかにされていますか。何がアハシュエロス王によって表わされていますか。

      4 話は,インドからエチオピアにまたがる,ペルシアとメデアの膨大な帝国を支配していたアハシュエロス王の王宮から始まります。「その治世の第三年にその牧伯等および臣僕等のために酒宴を設けたり」。(エステル 1:1-9)これは現代において何を示唆していますか。1914年,世界支配をめぐる「異邦人の時」の終わりに,ダビデ王の相続者,イエス・キリストが王としての権力と権限を用いて,自分の全臣民を支配し,敵を服従させ,自分の是認するものを高めるべく,王としての天の権限を執る時が到来しました。(ルカ 21:20-24,詩 110:1,2,コリント前 15:25,マタイ 24:45-47,欽定訳)そして,黙示録 12章10,12節〔新〕に記録されているとおり,使徒ヨハネに与えられた驚くべき予告においては,その後ほどなくして,聖書預言を理解した者たちに大いなる喜びの時が来ました。「我また天におほひなる声ありて『われらの神の救と能力と〔王国〕と神のキリスト[メシア]の権威とは,今すでに来れり。我らの兄弟を訴へ,夜昼われらの神の前に訴ふるもの落されたり。この故に天および天に住める者よ,よろこべ…』と言ふを聞けり」。ですから,少なくとも天の王宮においては非常な歓喜があったのです。したがって,威光のうちに自分の王座に着き,自分の膨大な帝国に関して無制限の権限をふるったアハシュエロス王は,この「終わりの時」にイエス・キリストの手中に置かれた王権をいみじくも表わし示していると言えましょう。―ダニエル 12:1-4,新。

      5,6 (イ)后ワシテは何をするように求められましたか。その結果は。(ロ)それに対比される現代のできごとはどのように認められますか。

      5 さらに,こうしたできごとを予期していた地上の聖書研究生たちは,その喜ばしい祝いに加わることを適切にも期待されていました。(詩 97:1; 96:8)これと同じことがアハシュエロス王の臣民の間でどのように起こりましたか。「第七日にアハシュエロス王酒のために心楽み…后ワシテをして后の冠冕をかぶりて王の前に来らしめよと言り是は彼観に美しければその美麗を民等と牧伯等に見さんとてなりき しかるに后ワシテ侍従が伝へし王の命に従ひて来ることを肯はざりしかば王おほいに憤ほりて震怒その衷に燃ゆ」。(エステル 1:10-12)それは当然のことでした。それが原因で王の威信が大いに傷つけられ,権威に対する侮辱の態度が帝国全土に広がるおそれがあったからです。王は知者から適法な意見を求め,次のような忠言を得ました。「王もし之を善としたまはゞワシテは此後ふたゝびアハシュエロス王の前に来るべからずといふ王命を下し之をペルシヤとメデアの律法の中に書いれて更ること無らしめ而してその后の位を彼に勝れる他の者に与へたまへ」。これは王の気に入るところとなり,彼はその執行を命じました。―エステル 1:13-22。

      6 ワシテは王にとついだ后で,その名は「うるわしい」という意味でした。しかし,自分のものであったその優遇の地位にもかかわらず,喜ばしい祝宴の座に王とつらなるようにとの王の指令に応じなかったため,その地位から退けられました。1914年,メシヤなるイエス・キリストの天における即位にかかわるできごとにおいて,神の王国を待ち望んだ者すべてが王とともにその祝いに加わりましたか。聖書の預言は,現実に成就を見ている諸事実と関連して答えを提供してくれます。

      忠節に関する試み

      7 何が1918年に起こりましたか。「終わりの時」にかかわるエホバの目的は,「奴隷」級に関して何を要求していましたか。

      7 1918年,メシヤなる使者イエスはエホバに伴って霊的な神殿に到来し,突然また不意に神の民に対するさばきを始められました。(ペテロ前 4:17。マラキ 3:1)メシヤなるイエスは,ご自分を求める人たちの中に純粋な動機をもたないでそうする者がいることを予知されました。さばきの一つの目的は,神のメシヤによる王国を求める者たちのこの心の態度を暴露し,そうした態度を示している者たちにそれにふさわしい処置を講ずることでした。(マタイ 24:48-51)主人の奴隷に対するがごとく,聖書によって「奴隷」級として語られている者たちに対処する際,メシヤが自分自身の意志,また自分の神エホバの意志にしたがって行動するのは彼の特権でした。この「終わりの時」に関するエホバの目的は遠い昔に定められていました。(イザヤ 46:8-11)当時,その目的の詳細すべてが地上の「奴隷」級に知られていなかったことは,特に重要な事柄ではありませんでした。彼らはエホバへの献身の誓いゆえに,ご自分のことばである聖書にしたがってエホバとそのメシヤなる王がするようにと命ずることは,それがなんであれことごとく行なう責任を負っていました。さて,エホバの敵が天で処分されるに及んで,メシヤとしての王,また,さばき主が,地に関するエホバの目的を成就しはじめる時が到来しました。彼は地上のこのしもべ級の前途に何があるかを知っており,また,彼らの隊伍に完全な一致が存在し神の目的を遂行するに当たってのひたむきな思いがあってはじめて,彼らは自分たちの分となるべき聖書的な責任を全うしうる,ということをご存じでした。以上の理由から,彼はご自分の指令に応じない者を除去するため,地上でご自分の足跡に従う油そそがれた追随者に非常にきびしい試みを課したと思われます。―マラキ 3:2,3。ペテロ前 2:4-8。イザヤ 8:13-15。

      8 「花嫁」級であると主張する者たちはどのように試みられましたか。その結果は。

      8 メシヤなる王であるイエスにその「花嫁」級としてとついでいる,と主張する各人すべての心の専念のほどを,その全き深みまでも探るある特定の状況がその宗教組織の中で展開することが許されました。(詩 45:10-14。ヨハネ 3:29)特に次の三つの面で彼らの服従はためされました。第一にご自分の伝達の経路を通して啓示される神のみことばの教理を信頼するかどうかについて。第二に,エホバの目的がこの「終わりの時」に完遂される前になされるべき,メシヤの王国の良いたよりの伝道にすすんで加わるかどうかに関して。そして第三に,まだこれから築き上げられ神権的に十全な構造を持つことになっていた ― それはこの「終わりの時」に成し遂げられねばならない ― エホバの地上の組織に完全な忠節を示すかどうかに関して。以上の事柄は,その民がさらに受けねばならないことをイエスが知っておられたきびしい迫害に彼らを立ち向かいうるようにさせるためばかりでなく,迫っている世界的な苦悩にさいして,現在の事物の体制が破壊された後に彼らに託される責任あるわざを同じ民が引き継げるようにさせるためにも肝要でした。1914年から1918年までの第一次世界大戦の期間中,神の民のだれひとりとして,その前途に置かれていた宗教的責任がいかばかりのものかを十分に悟った者はいませんでした。それでも,神を誠実に愛していた者たちは,動揺した組織内から自分たちに臨んだ試練と,預言者マラキによって予告されたとおり自分たちを清浄にするために課された火のような試みとを受けました。しかしながら,それに耐えずに反逆した者がおり,したがって敬虔の美しさとメシヤなる王に対する服従を示すようにとの召しが出された時,彼らはワシテと同様服従の態度を示しませんでした。a ―ルカ 14:17-21。

      9 どんな集めるわざが「終わりの時」に行なわれることになっていましたか。それはどのように予告されていましたか。

      9 さらに詳しい事柄が,畑についてのたとえ話の中でイエスによって語られました。ある人が小麦をまいたところ,敵がその畑にやってきて雑草をまき直しました。その報告を受けた主人はこう言いました。「収穫まで両方をいっしょに生長させなさい。収穫の季節にわたしは刈り手たちに告げます,まず雑草を集め,焼くためにそれを束に縛りなさい,それから小麦をわたしの倉に集め入れなさい」。(マタイ 13:30,新)ここで語られている集めるわざは神殿のさばきの後に行なわれるはずのものであり,キリストの「花嫁」に属する忠実な成員,彼とともに天で支配する油そそがれた追随者たちに適用されることになっていました。(ルカ 22:28,29。黙示 3:21)しかし,このグループだけを集め出すことが神の目的だったのではありません。(ルカ 12:32)油そそがれた者たちは当時気づいていませんでしたが,エホバはさらに別の目的を持っておられました。それは,メシヤによる王国のもとで地上に住むことになる者たち,つまり正義の人間社会の中核として用いようと神が意図されている大群衆をその後に集める,ということでした。(ヨハネ 10:16。ペテロ後 3:13)そのため,油そそがれた者たちには大規模なわざが要求され,しかもメシヤによる王国の伝道のわざは激しい反対のさなかに行なわれることになるので,彼らは一致していなければならなかったのです。(マタイ 10:16-18)この点も,展開してゆくエステルの劇の中に表わし示されていました。

      服従しない者の代わりを立てる

      10 アハシュエロス王はワシテの代わりを立てるためにどんな手段を取りましたか。モルデカイとエステルはどのようにそれにかかわりを持つようになりましたか。

      10 しかしながらアハシュエロス王はまず,その地位を退けられた后の代わりを立てる必要を感じます。最も美しい若い処女たちを国全域からことごとく集めますから,その中からワシテの後継者として最も意にかなう者をお選びになっては,との忠言が王の相談役から出されます。若い女たちはだれでも王の前に連れ出される前に,王にまみえるためのしかるべき準備を整えねばなりません。それには,いろいろな種類の香油を用いてのマッサージを含め,一年にわたる美容法を受けねばならず,王に対する奉仕において信頼されている宦官ヘガイがその厳重な監視に当たりました。そうした女の中に,“天人花”という意味のエステルがおり,彼女はたちまちヘガイから好意を受け,彼は「すみやかに之に潔浄の物およびその分を与へまた王の家の中より七人の侍女を挙てこれに附そはしめ」ました。エステルは自分の民または親族については何も告げてはいませんでした。告げてはならないと,彼女のいとこであるモルデカイから直接命令されていたからです。モルデカイはエステルが境遇のさまざまな変化を経て,養育人である自分が教示した,彼女自身の民の律法から離れ去らせようとする圧力を経験することを知っていました。彼はエステルをそうした結末に至らせまいと決意していました。それでモルデカイは引き続き彼女の霊的な福祉をつぶさに監督したのです。「またモルデカイはエステルの模様およびその如何になれるかを知んため日々に婦人の局の庭の前をあゆめり」― エステル 2:1-11。

      11 (イ)モルデカイ,(ロ)ヘガイによってだれが,あるいは何が表わし示されていますか。

      11 したがって,「純粋の没薬のごとし,つぶした没薬」という意味の名前を持つモルデカイは,第一次世界大戦中の神殿のさばきに忠実に生き残り,ワシテ級の代わりに立てられる者たちが王に受け入れられるため,しかるべき準備を整えるのを見守ることに関心を示した油そそがれた残れる者を表わし示していました。現代,モルデカイ級の者たちが神から与えられた責任を忠実に果たしていることは明らかになっています。(マタイ 24:45-47)しかしこの件に関して,モルデカイ自らが個人的にエステルの直接の監督に当たったのでないことは注目すべき点です。それは王に奉仕していたヘガイを通して成し遂げられました。したがってヘガイはエステル級の者たちを王に正式に拝謁させるための,モルデカイ級の管轄下にある取り決めを表わし示しています。―エペソ 5:26,27。

      12,13 エステルはだれのひな形ですか。彼らはどのように表われましたか。エステルと同様などんな態度を彼らは表わしていますか。

      12 ついにエステルが王の前に出る日が来ました。王の命に応じるに際して自らの理解により頼んだワシテとは異なり,エステルは王の前に出るに当たって,ヘガイ自らが勧めたもの以外は携えようとはしませんでした。今日でも,エステル級の者たちは自分自身の評価において謙遜であり,王に対する奉仕に関して自分たちのために設けられた取り決めにすすんで従う態度を示しています。「王一切の婦人に超てエステルを愛しければエステルはすべての処女にまさりて王の前に恩寵と厚情を得たり王つひに后の冕をかれの首に戴かせ彼をしてワシテにかはりて后とならしむ」― エステル 2:12-18。

      13 王座に着いた自分の前に,このうえなく美しいばかりか,謙遜で,自分との関係に正しい認識を示す女を得たのですから,その日は王にとってまさに喜ばしい時であったに違いありません。今日においても,第一次世界大戦以降,1919年から特に1931年に至る間,新しい信者になった人たち,水の浸礼によりイエス・キリストを通してエホバ神に献身を表わした新しい献身者を見るという大きな喜びがあります。それらはいってきた者たちは,天のメシヤとともに統治するという崇高な召しのとびらがまだ閉ざされていなかったゆえに「花嫁」級のより若い成員として神の霊により油をそそがれました。彼らは服従を欠いた態度のために退けられた者たちに取って代わる者とされたのです。しかし彼らはエステルと同様,新しい地位を得て思いあがるようなことはしませんでした。エステルがモルデカイの取り決めに従ったのと全く同様,彼らは引き続き神の取り決めに従いました。「エステルはモルデカイの言語にしたがふことその彼に養なひ育てられし時と異ならざりき」― エステル 2:19,20。

      忠節の行為が報われないままになる

      14 モルデカイはどのように王に対する忠節を示しましたか。それはどんな結果になりましたか。

      14 さて,この劇的な記述の中で,その時点では話の上でさして重要ではなさそうでいて,実は,できごとが展開していくにつれて驚くべき役割を演ずるようになるあることが起こります。モルデカイは王に対する陰謀を暴露し,それをエステルに報告し,次いでエステルはそれを王に明らかにします。取り調べの結果,暗殺未遂者たちの有罪が判明し,彼らは絞首刑に処せられます。(エステル 2:21-23)王暗殺を未遂に終わらせたモルデカイのこの行為は,その時には報われませんでしたが,彼に有利な報告が記録の中に永久にとどめられることになります。それは現代の対比においても同じです。―ヘブル 6:10。

      15 モルデカイ級は王に対する忠節をどのように示しますか。それはどのように王の知るところとなりますか。

      15 モルデカイ級の者たちは王への奉仕において,組織のことを深く思いに留めています。神殿のさばきが始まって後,組織の構造がさらに神権的になるにつれ,彼らは,それまではエホバの目的の進展に一致しているように見えた,組織の中で顕著な存在であったある人たちが不満をいだくようになり,王国の関心事につながる福祉を危険にさらす行動を取って,王に対する謀反をもたらしている事態にすばやく気づきました。(ユダ 16-19)モルデカイ級はエステル級の注意をそうした事柄に向けさせました。後者は組織ということを学び,王に対する忠節という点で強められる必要があったのです。彼らは新参者であったので特にそうでした。(ロマ 16:17,18)キリストの「花嫁」級のそれら新しく選ばれた者たちが,メシヤなる王と組織に対する忠節を選んだ時に,その事実は彼らを通して王の知るところとなりました。しかしながら,その時,モルデカイ級に特に報いは与えられませんでした。

      古代の敵の登場

      16,17 (イ)ハマンはどのようにして顕著な存在となりましたか。彼の祖先の背景はどんなものですか。(ロ)ハマンはだれを表わし示していますか。どのようにですか。

      16 実際,モルデカイの行為は感謝されないようにさえ見えます。記録は引き続き次のように述べているからです。「これらの事の後アハシュエロス王アガグ人ハンメダタの子ハマンを貴びこれを高くして己とともにある一切の牧伯の上にその席を定めしむ王の門にある王の諸臣みな跪づきてハマンを拝せりこれは王斯かれになすことを命じたればなり然れどもモルデカイは跪まずかずまたこれを拝せざりき」― エステル 3:1-4。

      17 ハマンの名前は,ペルシア語に起源を持つなら,「壮大な,名高い」を意味しますが,ヘブル語との対比語に相当するなら,「騒音,騒動」,明らかに悪い仕方で,「準備をする者」を意味します。彼はアガグ人ハンメダタ(たぶん,「法を乱す者」の意)のむすこでしたから,エサウの孫アマレクの子孫でした。エサウは生得権を自分とふたごの弟ヤコブに売りましたが,モルデカイはそのヤコブの子孫でした。それでいてエサウは,ヤコブが正当に自分に属するものを取ったからという理由で彼にひどく反抗しました。(創世 25:29-34; 27:41)さらに,ヤコブに対するエサウのこの敵意と一致して,アマレクからの子孫は,神ご自身の民イスラエル人に対する憎しみを示しました。それも,エホバ自らがご自分の民をエジプトから救出しておられた時にです。去ってゆくイスラエル人の背後をアマレク人が襲ったため,ヨシュアはモーセの挙げた両手の助けを得て彼らと戦い,彼らを打ち破りました。イスラエル人に対するこのよこしまな攻撃のゆえに,神は彼らが神の王座に向かって手をあげたのだ,エホバはアマレクの子孫に対して永久に,つまりモルデカイとエステルの時代に至るまで戦うであろうと言われました。(出エジプト 17:8-16)現代においてハマンは,この世の王国の間で高められることを求め,それと引き替えに神の王国に関する自分たちの生得権を売り,昔のアマレク人と同様,神とその選ばれた民に激しく戦うキリスト教世界の僧職者をよく表わしていると言えましょう。―マタイ 23:5-7,13-15。ヨハネ 11:48-50,53。

      18 イエス・キリストが全権力と全権限をもって天で支配しているこの「終わりの時」にあって,ハマン級が顕著な立場を与えられるというようなことがどのようにしてありうるのですか。

      18 さて,ハマンはモルデカイの上に高められ,アハシュエロス王はすべての者が彼の前にひざまずき,ひれ伏すように命じました。では,アハシュエロスがイエス・キリストの手中にある王の権力を表わすと,どうして言いうるのですか。聖書は神が,ご自身の組織を明らかに害し,ご自身の民をしばらくの間傷つける特定の悪い事態が起こるのを許されることを述べています。その一例はテサロニケ後書 2章11節(新)に見いだされます。「このゆえに神は,彼らが偽りを信ずるようになるため偽りの働きを彼らのもとに行かせるのです[神は彼らに強力な惑わしを送られる(欽定訳)]」。神は誤りの創造者でも惑わしの源でもありませんが,神はその影響を受けさせることを自ら望んでおられる級に,惑わしが臨むのを許されます。したがって,預言的な劇の成就において,エホバは自らの民にご自分の宇宙主権を擁護することを実証させ,かつ,ご自分に対する真に神権的なクリスチャンの忠誠を証明させるために,彼らを特定の試みのもとに置くことを望まれます。エホバの右で,天と地の全権力をもって支配しておられる主イエス・キリストがこの事態を進展させます。彼は全キリスト教世界の僧職者にこの世において高い地位を得させます。そして,この世のただ中にモルデカイ級とエステル級の者たちは住んでおり,これは地上の主の民の状況に影響を与えます。それはメシヤなる王との彼ら自身の関係を破壊するものではありませんが,危難となり,彼らの命を脅かすことさえあります。―ヨハネ 16:2,3。

      絶滅の危険が迫る

      19 モルデカイはハマンに対してどんな態度を取りましたか。その成就を認識することが,近年のある人たちにとってそれほどむずかしくないのはなぜですか。

      19 しかしながら,モルデカイはハマンに頭を下げることを拒否しました。エホバの証人は今日,キリスト教世界の僧職者に関して同様な立場を取っています。(詩 139:21,22)最近の世界情勢の動きからすればこれは理解しがたいことではないでしょう。ですが,預言的な劇の成就のこの面に関するできごとは,何年も前,すなわち反抗が一般の現象になってはおらず,教会の出席者数の割合が高く,宗教指導者が非常に尊敬されていた時に起こりはじめたことを覚えておかねばなりません。彼らは公務において高い地位を占めていました。そして,自分たちの安全を確保するためばかりでなく,世俗の指導者の関心事を押し進めるためにも世界の指導者たちと政教条約を結びました。モルデカイ級のエホバの証人が大胆に彼らを批判し,彼らが世と友好な関係にあり,そのために自らを神の敵としていることを暴露した時,それら神のしもべたちとキリスト教世界の僧職者との間に,緊張感と敵意がいかに助長されたかは理解しにくいことではありません。b (ヤコブ 4:4)しかしモルデカイ級による家から家の伝道のわざは続けられ,そして僧職者の敵意は増し,ついに彼らがモルデカイ級のわざを完全に打ち砕く決意でいることが明らかになりました。

      20 (イ)ハマンはどう応じましたか。彼は何をすることに着手しましたか。(ロ)今日それに対比される事柄はなんですか。

      20 モルデカイが自分に頭を下げようとしないことで自分の誇りを極度に傷つけられたハマンも,モルデカイだけにかぎらずユダヤ人全員を絶滅させようと決意します。そのためにハマンは,自分の神々から見てその謀略を遂行するのに最も幸運な時を定めるためにくじを引き,そのくじ,つまり「プル」は陰暦の12月アダルの13日を示します。次いで彼はその件を王に提出して,ユダヤ人が王の法に背いているとして訴え,彼らを滅ぼす権限を与える令状を帝国じゅうに告示するよう願い出ます。アハシュエロス王はそれに同意し,自らの認印つき指輪をハマンに与えてその文書になつ印をさせ,それを撤回不可能なメデアとペルシアの法とさせます。(エステル 3:5-15)これは,主イエス・キリストが現代において,ご自分の民を滅ぼそうとの目的を果たすためその敵があらゆる努力を傾注するのを許す,ということを示しています。しかしながら,その最終的な結果がどうなるかは,モルデカイとエステルの場合と同様,イエス・キリストの決めるところです。そうした劇的なできごとが次の記事の要旨となります。

  • 悲嘆から良き日への変化
    ものみの塔 1971 | 7月1日
    • 悲嘆から良き日への変化

      1 真のクリスチャンはなぜ迫害が来ても当惑しませんか。

      真のクリスチャンは,世がイエスを憎み,残酷にも彼を死に処しさえしたことから,自分たちも世から憎まれるのを知っています。(ヨハネ 15:18-25)使徒ペテロはクリスチャン会衆に次のように書き送りました。『愛する者よ,汝らの間の火のごとき〔迫害〕を異なる事として怪しまず,反ってキリスト[メシヤ]の苦難に与れば,与るほど喜べ,なんぢら彼の栄光の顕れん時にも喜び楽しまん為なり』― ペテロ前 4:12,13。

      2,3 (イ)モルデカイとエステルの場合,迫害は彼らに何をすることを許しましたか。しかしなぜモルデカイは悲しみを表わしましたか。(ロ)モルデカイはどんな行動を取ることを決意しましたか。エステルはそれにどう応じましたか。

      2 忍耐を通して,またエホバの救出の力により頼んで,神の名前の擁護にあずかるというこの特権は,ハマンがユダヤ人全員の絶滅をたくらんだ時,モルデカイとエステル両人によって明示されました。アダルの13日を宿命的な日としてしるした令状が,王城のあるシュシャンをも含めて,ペルシアとメデア帝国の管轄下にある127の全地域に告示されました。それを知ったモルデカイは,神のしもべの他の者たちが行なってきたように,明らかに神への嘆願のために荒布と灰をまといます。(ダニエル 9:3。詩 12:1)エステルが彼の深い悲しみの理由を尋ねた時,彼は起きた事柄をことごとく告げ,彼女に王のもとに行って,彼女自身の民のために王の前で直接懇願するよう命じます。

      3 モルデカイのこの命令に深く動揺させられたエステルは,メデアとペルシアの法によると,招かれてもいないのに王の前に出る者はだれでも死に処せられることを彼に思い起こさせます。王がその者に向かって金の笏を差し伸べた時にのみ,当人は死を免れます。しかも,自分が30日間王の前に来るよう招かれていないことをエステルはモルデカイに告げます。招かれてもいないのに,今モルデカイの求めるようにすることは,彼女の死を意味しかねません。しかし,モルデカイは確固とした態度でエステルにこう答えます。「汝王の家にあれば一切のユダヤ人の如くならずして免かるべしと〔魂〕に思ふなかれ,なんぢ若この時にあたりて黙して言ずば他の処よりして助援と極救ユダヤ人に興らんされど汝となんぢの父の家は亡ぶべし汝が后の位を得たるは此のごとき時のためなりしやも知るべからず」。モルデカイに対するエステルの従順と,自分の民に対する彼女の愛が勝ちを制し,エステルは次のように答えます。「なんぢ往きシュシャンにをるユダヤ人をことごとく集めてわがために断食せよ三日の間夜昼とも食ふことも飲むこともするなかれ我とわが侍女等もおなじく断食せんしかして我法律にそむく事なれども王にいたらん我もし死べくば死べし」― エステル 4:1-17〔新〕。

      危険に面しての分別

      4 エステルとモルデカイの両人はどんな態度を示しましたか。彼らが表わし示す者たちによってどんな模範が示されていますか。

      4 エステルは自分と王との関係のゆえに思い上がることはありませんでした。モルデカイも,その時まで報われないままであった自らの忠節の行為を頼みにすることはありませんでした。(エステル 2:21-23)両人ともエホバに全くより頼み,神の民を生き長らえしむるための器として奉仕するに当たり,自分たちの取るべき行動の上にエホバの導きを求めました。いわば自分の命をおのれの手中に握ったエステルは,盛装した姿で王の前に出ます。『王后エステルが庭にたちをるを見てこれに恩をくはへ其手にある金圭をエステルの方に伸せり』。(エステル 5:1,2)今日も,エステル級はモルデカイ級と同様に危険な状態にあります。しかし彼らは退くことなく,神の民すべてに真の愛を示し,この「終わりの時」にご自分を代表させるべく,神が世から取り出されている者たちを生き長らえさせるため,モルデカイ級と完全に一致して働いています。(マタイ 12:30。詩 133:1)これは,より偉大なアハシュエロス,イエス・キリストに依存することによってもたらされる結果に信頼を置いている,エホバの油そそがれた者たちと交わっている人々にとってなんという模範でしょう。

      5 エステルはどんな依頼をしましたか。しかし,ハマンに対する彼女の行動はなぜモルデカイの行動と予盾しませんでしたか。

      5 エステルは王に近づき,王とハマンのために自分の準備した酒宴に出席してくださいとだけ王に依頼します。王は快くそれに応じます。(エステル 5:3-5)エステルはハマンをその酒宴の取り決めに加えることにより,モルデカイと違って,彼に明らかに好意を示そうとしていました。これは対型において,モルデカイ級の指示のもとに行動しているエステル級が,キリスト教世界の自称クリスチャン僧職者を暴力によって滅ぼそうとしない事実に一致しています。彼らは教会・国家同盟の親密さをそこなおうとはしません。(エペソ 6:12)聖書の預言によると,両者の同盟関係は十二分にあらわにされねばなりません。ハマン級は自分たちの実体,つまり世の友であるために神の敵であることを自ら暴露するでしょう。ハマンによって表わし示される者たちは神に対する「不法の人」であり,その滅びは必定であることが十分に明らかにされねばなりません。―テサロニケ後 2:3,4,8。

      6 一見して好意とも思えるこのエステルの招きに,ハマンはどう応じましたか。しかし,彼はモルデカイに対して何をもくろむようになりますか。

      6 しかし,エステルは自分の心にあることを知らせません。その後のできごとが強く示唆しているように,疑いなくエホバの導きのもとに行動したエステルは,二度目の酒宴にも臨んでくださるよう王にお願いし,ハマンにも出席を請います。ハマンは『よろこび心たのしく』出て行きます。しかし,自分のために身をかがめもしなければ身動きもしないモルデカイが王の門の所にいるのを見て,ハマンはたちまち怒りに満たされます。しかし彼は自分を押えて家にはいり,自分の妻と友人たちに自らの偉大さについて自慢します。彼らはハマンとともに歓喜しますが,「ユダヤ人モルデカイが王の門に坐してをるを見る間は是らの事も快楽からず」との彼の不平に同意します。次いで,ゼレシとハマンの友人全員とが彼にこう忠告します。「請ふ高五十キュビトの木を立しめ明日の朝モルデカイをその上に懸んことを王に奏せ而して王とともに楽しみてその酒宴におもむけ」。これはハマンをこの上なく喜ばせ,彼は翌朝早々と王の前に出て,その旨をたって願おうと決意します。―エステル 5:6-14。

      エホバは事を運ばれる

      7 その夜,どんな思いがけないできごとがモルデカイの状態に変化をもたらしましたか。

      7 さて,事件は思いがけない転機にさしかかります。ハマンがモルデカイを不利な立場に陥れる策略を思いめぐらせているその夜,アハシュエロス王は寝床に着いたものの眠れません。何かを怠ったために不履行,怠慢の罪を犯しているのだろうと結論を下した王は,記録の書を持ってこさせ,しもべたちに読ませます。彼らは何かが不履行のままにされてはいないかを調べるため帳簿に目を通します。ついに,「モルデカイ会て王の侍従の二人戸を守る者なるビグタンとテレシがアハシュエロス王を殺さんと謀れるを告たりと記せるに遇ふ,王すなはち言けるは之がために何の栄誉と爵位をモルデカイにあたへしや王に事ふる臣僕等こたへて何をも彼にあたへしこと無しといへり」。王はモルデカイに栄誉を与えることを直ちに決意します。―エステル 6:1-3。

      8 モルデカイがエホバの目的の達成に関して引き続き役割を果たすことを保証する,どんな事態が発展しましたか。

      8 翌朝ハマンは王にまみえるため早々と現われ,アハシュエロス王は彼を自分の前に来させます。しかし彼がモルデカイに対する自分の決心を遂行しえる前に,王の方が先に自分の質問を提出し,さもなくば全く違った結末になっていたかもしれない事態がはばまれます。モルデカイを絞首刑に処すようにとの願いを,もしハマンが初めにすることになっていたなら,モルデカイに栄誉を与えようとしていた王はその時その場でハマンに敵する処置を取ったでしょうし,后エステルとモルデカイの介入する幕もなかったでしょう。その結果,この劇での彼らの役割は予期されながらも,アマレク人に対するエホバの戦いを終結させるために用いられずに済んでしまったことでしょう。―エステル 6:4,5。

      9 ハマンはどのようにモルデカイの前で卑しめられましたか。

      9 エホバの目的どおりに,まず王がこう語ります。「王の尊とばんと欲する人には如何になさば善らんか」。(エステル 6:6)昨夜自分の放った自慢のことばがまだなまなましく記憶に残っているハマンは,王に一番高く評価されている者としては自分自身以外にだれも考えられず,王が喜んで栄誉を与えようとしているのはこの自分であると結論します。そこで彼は自らの野心に基づいて王に次のように忠言します。『その頭に王の冠を戴ける王自らの馬をひき来らしめ,尊ばんとする人を馬にのせこれを王の最も貴とき一人の牧伯の手にわたし,その恵まるる者を邑の街衢をみちびき通り,「王の尊とばんと欲する人には是のごとくなすべし」と呼はらしむべし』。自信満々,ハマンは王の返答を待ちます。が,彼の耳にしたのは次のことばでしかありませんでした。「急ぎなんぢが言しごとくその衣服と馬とを取り王の門に坐するユダヤ人モルデカイに斯なせよ」。ハマンは完全に打ちひしがれてしまいます。しかし従う以外に何もするすべはありません。それを履行しないならば,死を招くことは必定です。こうして,モルデカイの思い出されねばならない最もたいせつな時に,エホバは彼を保護するため,また彼の命を救うために行動されました。それとは対照的にハマンは,王が喜んで栄誉を与えたのは自分ではなく,この憎まれ軽べつされたモルデカイであることを余儀なく認めさせられました。―エステル 6:6-11。

      完全な逆転

      10 何がハマンを失墜へと導きましたか。今日それと対比をなすどんなことが起きていますか。

      10 ハマンは高慢な人でした。箴言 16章18節〔新〕はこう述べています。「驕傲は滅亡にさきだち,誇る〔霊〕は傾跌にさきだつ」。この原則によると,ハマンにとってはただ一つの結果があるのみでした。失墜が起こらねばなりませんでした。今日,それと全く対比をなす事柄が起きています。過去において僧職者たちは,この事物の体制の中で最高の地位に高められてきました。神の恩寵により,その王イエス・キリストによって支配すると主張してはいますが,僧職者たちは神に対しての立場を得ておらず,その事実は偏見のない観察者すべての目にいよいよ明らかになってきています。(マタイ 7:15-23)一方,モルデカイ級はますます主イエス・キリストの好意を得ています。特に1926年,同年1月1日号の「ものみの塔」誌の主要記事「だれがエホバに栄誉を帰すか」の中で,彼らが神に対して好意を持っていることを宣言して以来そうです。その時からの多くのできごとはこうした事実を裏付けています。1922年から1928年にかけて,エホバの証人による一連の宣言が公にされ,それらの多くは僧職者の暴露に直接向けられました。1930年には「光」と題する,黙示録を説明した2冊の本が出版されましたが,それらもキリスト教世界の僧職者を暴露し,同時に主イエス・キリストによる神の王国を高めました。それら宣言や暴露のすべては,キリスト教世界の僧職者の自尊心をいたく傷つけました。しかし,彼らは権力の絶頂にある時でさえ,これらをはじめ他の多くの出版物が何百万部と配布されるのをとどめえなかったのです。a それは依然として記録に残っており,現在のできごとと照らし合わせる時いっそう真実性を帯びてくるほどです。記録を調べてみる人は,聖書に対する僧職者の不信,また,人々の道徳規準を向上させる面での彼らの関心の欠如は別に新しいことではなく,現代の初頭,僧職者にとって不面目にも,彼らの代わりに,神がご自分の真のしもべたちであるモルデカイ級に好意を示された時より,エホバの証人がまさに暴露してきたとおりであることを自ら確かめられます。その不名誉な終わりの前に彼らがこの先どんな恥辱を味わわねばならないか,それは将来が明らかにするのみです。

      11 ハマンの妻や友人たちは今やハマンに対してどんな将来を予見しますか。

      11 ハマンは家族と友人たちのいるわが家にこそこそと逃げ帰りますが,そこでもなんの慰めをも見いだしません。それどころか,「その智者等およびその妻ゼレシかれに言けるは彼のモルデカイすなはちなんぢがその前に敗れはじめたる者もしユダヤ人ならば汝これに勝ことを得じ必らずその前にやぶれんと」。滅亡を告げるそうしたことばが彼らの口から出おわるか終わらないうちに,王の侍従たちが到着し,エステルが王のために設けた二度目の酒宴にハマンを連れて行きます。―エステル 6:12-14。

      自己の証明と暴露

      12 エステルはどのようにハマンを暴露しましたか。彼の結末はなんでしたか。

      12 さて,二度目の酒宴の終わりに,エステルが自分の願いを王に申し出る時が来ました。「王よ我もし王の御目の前に恩を得王もし善と見たまはゞわがもとめにしたがひてわが生命をわれに賜へまたわが願にしたがひてわが民を我に賜へ,我とわが民は売れて滅ぼされ殺され絶されんとす我もし奴婢に売れたるならんには我黙してはべらん敵人は王の損害を債なふ事能はざるなり」。王の気はひどく高ぶります。『之をなさんとたくめる者は誰また何処にをるや,エステルいひけるはその敵その仇人は即ちこの悪きハマンなりと』。王は怒りを押えることができず,冷静さを取り戻すために王宮の庭に退出します。この事態の変転ぶりに恐れおののくハマンは,王の顔が自分にそむけられたのを知ってエステルに命ごいをします。嘆願に必死になるあまり,彼はエステルのいる寝いすの上にひれ伏します。ちょうどそこに庭から帰ってきた王はこれを見て言います。「彼はまた家の内にてわが前に后を辱しめんとするかと此ことば王の口より出るや人々ハマンの面をおほへり時に王の前にある一人の侍従ハルボナいひけるは王の為に善き事を言たりしかのモルデカイを懸んとてハマンが作りたる五十キュビトの木ハマンの家に立をるなりと王いひけるは彼をその上に懸よ,人々ハマンを其モルデカイをかけんとして設けし木の上に懸たり王の震怒つひに解く」― エステル 7:1-10。

      13 (イ)エステル級の身分の証明はいつ行なわれましたか。それはどのようにハマン級をさらに暴露するものとなりましたか。(ロ)モルデカイのために設けられた木にハマンがかけられることは何を表わし示していますか。

      13 ハマンを大敵として暴露することにより,エステルは必然的に自分自身の実体を明らかにしなければなりませんでした。歴史の記録によると,現代におけるエステル級の者たちはいつ自らを証明しましたか。その最善の証拠は,1931年7月26日,日曜日,アメリカ,オハイオ州のコロンバスにおけるエホバの証人の大会で行なわれた身分の証明です。その時彼らは決議を採択し,それをもって自分たちの身分を証し,「エホバの証人」という名前を採用することにしました。(イザヤ 43:10,12,新)その決議を掲載したパンフレットが出版され,広く配布されました。この身分の証明は同時に,僧職者級の暴露に資することにもなりました。神の真のしもべたちにすでに示されていた憎しみは,今やさらに強力な行為となって表われ,ハマン級は前にもまして絶対的に神に敵する者であり,神のしもべたちを滅ぼす覚悟でいることが明らかになりました。(マタイ 23:29-36)エホバの証人は彼らの歴史上かつてなかった激しい反対に当面しました。b モルデカイのために設けられた木にハマンがかけられることの成就は,大いなるバビロンの滅亡まで待つ必要はありません。ハマン級はそうした行動により,その時から,神の目と全世界の心の正しい人の目から見て死んだのです。それに加えて,ハマンの10人のむすこたちは描画の成就をさらに進めるために生き残ります。

      14 今や,どんな仕事が引き続きモルデカイ級の前途にあることが明らかにされましたか。

      14 この同じ1931年に,3冊から成る一連の本の第1巻,すなわち「擁護」(英文)が発行され,その同じ大会で,エゼキエル 9章を詳細に説明する講演が行なわれました。その話の中で,亜麻布を着て筆記者のインクつぼを携えた人の対型の成就における実体,また,嘆き悲しみ額に印をつけられる者たち,さらに,神殿の前でエホバの代わりに太陽を崇拝している25人の人たちが何かが明らかにされました。モルデカイ級とエステル級は今やともどもに,さらになすべきわざがあること,そのためにもうしばらく地上に留め置かれていることを悟りました。それは,神の真の崇拝を堕落させている者たち,太陽を崇拝している25人の者たちで表わし示されている僧職者級によってもたらされた状態のゆえに,嘆き悲しんでいる人たちを見いだすことでした。この命を救うわざが行なわれるのは,額に印をつけられなかった者たちすべてに滅びが臨む前でなければなりませんでした。したがって,エホバの証人という意義深い名前によってエホバの民の実体が明らかにされたのは,神の民にとって非常に危急な時であり,同時に,この「終わりの時」における神の目的の新しい重要な局面が開かれることになりました。

      防御と攻撃に備えて組織される

      15 (イ)モルデカイ級にかかわるどんな事態の逆転をイエスは予告しましたか。(ロ)ユダヤ人の前途には依然どんな脅威がのしかかっていましたか。それを避けるためにモルデカイはどんな手段を講じましたか。

      15 今度はモルデカイが高い地位にあげられ,王の認印つき指輪を授けられます。それはハマンが絞首刑に処せられる前に彼の指からはずされたものです。その成就は,イエスの次の預言と一致しています。「このゆえにあなたがた[つまり,当時の僧職者たち]に言います,神の王国はあなたがたから取られ,その実を生み出している国民に与えられるでしょう」。(マタイ 21:43,新)これは確かにわたしたちの時代に起こっている劇的な逆転です。しかし,ほかにも何かが行なわれる必要がありました。モルデカイ個人の命は救われ,高い地位にあげられましたが,まだハマンの10人のむすこが生き残っており,アダルの13日に帝国全土のユダヤ人を絶滅せよとの法令は依然有効でした。モルデカイは,ハマンの法令に考量されていない一つの逃げ道がユダヤ人のためにあることに気づきます。それは結束して自衛のために戦う権限をユダヤ人に与えることです。そうなれば,自分たちを滅ぼそうとする者たちに対して,ユダヤ人は率先して,措置を講じ,悪意のある敵を反対に滅ぼせます。王はそのただし書きに同意し,この法令は王の指輪をもってなつ印され,その写しが127の管轄地域すべてに送達されます。―エステル 8:1-14。

      16 (イ)ユダヤ人たちの態度に今度はどんな変化が起きましたか。(ロ)それは現代どのように成就していますか。

      16 このために大きな変化が起こります。ユダヤ人の間に非常な悲嘆が見られて断食したり泣き叫んだりするかわりに,彼らは喜びのうちに集合し,自分たちの敵に相対するため結束しはじめたのです。その上,国内の諸民族はユダヤ人に対して恐れの念をいだくようになり,多くの者が自分はユダヤ人だと宣言しはじめました。(エステル 8:15-17)劇のこの部分は1930年代の重大な10年間に劇的な成就を見ました。自分たちの命を保護するため,法律に準拠したすべての平和的な手段を講ずる権利が与えられていることを悟った神のしもべたちは,エホバとその民とに正直な態度を示す人々を見いだす,神から与えられたわざのために,裁判所や政府に上訴しはじめました。さらに統一のための措置が取られ,組織の神権的な構成は1938年までに完全な実現を見ました。神の民は今や十分に一致し,アダル13日の対型的な成就の時が到来した場合の備えができました。c

      17 アダル13日の対型となる日はいつ到来しましたか。何が起こりましたか。

      17 その時は第二次世界大戦の期間に来ました。あらゆる証拠は,神の民の敵がエホバの証人を敗北させ,かつ滅ぼすため,戦争事態とそれに伴う愛国主義,国家主義,偏見につけ込み,また一方では共産主義,他方ではナチズムであるとの偽りの告発を行なったという結論をさし示しています。モルデカイおよびエステル級と,それまでに彼らに加わりはじめた仲間たちの全世界にわたる伝道のわざを,完全に撲滅してしまうかに見える攻撃が全地に繰り広げられるにいたりました。d それは確かにわびしい悲嘆の日になりかねなかったのですが,それら忠実な神のしもべたちは手をこまねいてこうした共同一致の行為に甘んずるようなことはしませんでした。アダルの13日によって表わされたこの時期の間,エホバの証人はかつてなかったほど激しく戦いました。彼らは全世界にわたって自分たちの霊的な命を守るため霊的な戦いをし,中枢をなす本部から敵に対して組織的な戦線を張って戦いました。犠牲者も出ましたが,エホバの証人が肉的な武器を用いて戦うことはありませんでした。(コリント後 10:3,4)強制収容所においてさえエホバはご自分の証人たちの示した勇気を祝福され,その戦いの結果,僧職者が前にもまして神に敵対し,キリストの王国に敵対しているものであることを自らあらわにするのを見,キリスト教世界の中で嘆き悲しんでいる人たちにぬぐい去ることのできない印象が与えられました。e (テサロニケ後 1:4,5)心の正直な人々の目から見て僧職者が引き続き霊的に死んでいる状態は,アダル13日に殺されたハマンの10人のむすこたちの死によってよく表わされています。彼らとともに,神の敵500人がシュシャンで,領国の残り全土にわたっては7万5,000人が殺されました。アダルの14日になっても王城の所在地シュシャンでは戦いが続けられ,ユダヤ人の敵がさらに300人殺されました。一方,郊外の地域ではユダヤ人が自分たちの勝利を祝っていました。―エステル 9:1-19。

      深い悲しみから歓喜へ

      18 神の民を絶滅させようとする敵の努力はどんな結果に終わりましたか。何がこの霊的な戦いの存続を表わし示していますか。

      18 陰謀の企てられたこの日は悲嘆の日になるはずでしたが,それは良き日,雪辱と歓喜の勝利の日となりました。現代でも同様です。1939年に第二次世界大戦が始まった時,7万1,509人のエホバの証人が一致して真の崇拝の防御に当たっていました。この戦争が世界の諸国の間で終わりを告げるころまでには,活発な証人たちの忠実な隊伍は絶滅されるどころか,ほとんど2倍になり,1945年には14万1,606人が神の敵に対する霊的な戦いに携わるにいたりました。しかし,わたしたちの自己防衛のための戦いは終わったのではありません。モルデカイによってすべての民に課せられた,年ごとの「プリム」の祝いで表わし示されているように,その戦いは今日にいたるまで続いています。モルデカイは『アダルの月の十四日と十五日を年々にいはふことを命じ,この両の日にユダヤ人その敵に勝て休みこの月は彼らのために憂愁より喜楽にかはり悲哀より吉日にかはりたればなり』。(エステル 9:20-32)正統派のユダヤ人はことし(1971年),3月10日に「エステルの祝い」を,3月11,12日にプリムの祝いをしました。

      19,20 最終的にどんな結果になることは確実ですか。わたしたちはその成就に,アハシュエロス王の課した「強制労働」を見ます。どのようにですか。

      19 すでに古代と現代の両方の歴史的な記録の一部をなしている,エホバの救出の十分な証拠を手にしているわたしたちは,ハマン級のすべての者とその支持者たちが自分たちのまいてきたものを文字どおりに刈り取る時となる,目前に迫った「大かん難」を自信と強い期待とをもって,待ち望んでいます。それはアハシュエロス王がハマンについて宣告したとおりです。『ハマンがユダヤ人を害せんとはかりしその悪き謀計をしてハマンのかうべに帰らしめよ』。(エステル 9:25。マタイ 24:21,22,新)その時が来ると,より大いなるアハシュエロスは自分の敵すべてに文字どおり終わりをもたらし,モルデカイとエステル両級を,メシアによる王国の,彼らのために保留されている地位に高めるでしょう。―テサロニケ後 1:6-10。

      20 一方,王の臣民のための休みに関する最終的な準備が,この「終わりの時」にかかわるエホバの目的にそって成し遂げられねばなりません。これはエステル書 10章1節に示されているとおりです。『アハシュエロス王国土および海の島々に強制労働を課せり』。今日メシアの「他の羊」に属する者たちにとって,現代の奉仕の使命を全心を込めて忠節に果たすのはなんという特権でしょう。彼らは,モルデカイによって予表されたそれら油そそがれたクリスチャンたちが促進する,この“精力的なわざ”に率先する人たちと協することによって,それを行ないます。そして,それは彼ら自身の永遠の福祉に資するものとなるのです。「ユダヤ人モルデカイはアハシュエロス王に次ぐ者となりユダヤ人の中にありて大なる者にしてその衆多の兄弟によろこばれたり彼はその民の福祉をもとめその一切の宗族に平和の言をのべたり」― エステル 10:2,3。

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