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  • 問題に対処するのに何が助けになりますか
    目ざめよ! 1977 | 9月22日
    • 身なりの子供が二人,遠くから彼女をじっと見ていました。この女性は二人が孤児であることを知ると,何かを食べさせるために軽食堂へ連れて行き,子供たちとおしゃべりをし,また贈り物を買ってやりました。これは,夫を失った悲しみに立ち向かうのに助けとなりましたか。彼女はこのように続けています。

      「その二人の幼い孤児たちは,私がその子たちにしたよりもはるかに多くのことをしてくれました。自分が幸福になるには,他の人を幸福にさせねばならないことを,私はその経験から再び学びました。幸福は人から人へと伝わるものであることを知ったのです。与えることによって私たちは受けるのです。愛の動機から人を助けたり,与えたりすることによって,私は悩みや悲しみや自分を哀れむ気持ちを克服し,自分が別人になったように感じました。そしてそのときだけでなく,その後も長年にわたって全く別人のようになりました」。

      もはや問題に対処できないと考える人々は,自分が援助を差し伸べる立場にあると感じるより,むしろ援助を必要としていると感じるかもしれません。それでも,他の人に親切を示すなら,必ず元気が出てきて,生活の問題に対処しやすくなります。イエス・キリストは,「受けるより与えるほうが幸福である」と言われました。(使徒 20:35)しかし,人に与える金銭や他の物質上のものがない場合にはどうしたら良いでしょうか。思いがけない仕方で,失意のうちから立ち上がった人の次の経験を考慮してみてください。

      「私にとって少女期から思春期に悲劇的な要素となったのは,うちが貧乏だということでした。私たちは,社交上の付き合いをしていた他の少女たちのように人を楽しませることはとてもできませんでした。着ている服はいつも余り上等なものではなく,だんだん小さくなって私には合わなくなり,しかも大抵流行遅れのものでした。恥ずかしさの余り,泣き寝入りしたこともよくありました。

      「失意のどん底にあった私は夕食パーティーの際相手に自分の経験や考え,将来の計画について,いつも話してもらうことをやっとのことで考えつきました。こうしたことを尋ねたのは,その答えに特に関心があったからではありません。自分の粗末な衣服を相手に見られないようそうしただけでした。

      「ところが不思議なことが起きました。この若い男の人たちの話に耳を傾け,彼らについて知るにつれ,そうした話を聞くのが本当に興味深くなったのです。余りにも興味深かったので,自分の衣服のことを忘れてしまうこともありました。ところが驚くべきことが起きました。良い聞き手となって,青年たちに彼ら自身について話させたので,彼らに喜びを与えることになったのです。やがて私はその社交グループの少女たちの中で一番の人気者になり,これらの青年たちの三人から結婚を申し込まれました」。

      三番目の経験は,霊的に与えることの価値に関するものです。これもまた思いがけずに,持病という不快な経験に一層良く立ち向かえるよう助ける結果となりました。イリノイ州のあるエホバの証人は次のように語っています。

      「つい最近,持病が非常に悪化したので再び,10日から12日ほど入院しました。家に帰ってからは,隣人に聖書の真理を分かつためもう一度家から家へ出かけることを計画しました。しかしその日が来ると,とても憂うつな気持ちになりました。とにかく出かけることに決めましたが,一緒に奉仕してくれる人にこう話しました。『今朝は聞くだけにさせてください。友人にすら話せそうもないので,まして見知らぬ人には話せません』。

      「相手はこれに同意してくれました。彼女はドアをノックし,一人の女性と話し始め,やがて家の人は私たちを中に招じ入れました。すぐに私も話し合いに加わり,家の人に聖書の考えを伝えました。その女性が聞いた事柄を理解していることに気付くと,私の憂うつな気分はすっかり喜びに変わりました。その家を出たときには,自分が憂うつだったことなど全く忘れていました。聖書の真理を分かち合う喜びは,口には言い表わせないものです」。

      あなたは時折り失意を味わうことがありますか。そうであるなら,他の人を助ける方法を考え出すことによって,自分を過度に哀れむ気持ちに敢然と立ち向かってください。これは悲しみの原因を取り除くことにはならないかもしれませんが,あなたが問題に立ち向かう上で確かに助けとなるでしょう。―ルカ 6:38。フィリピ 4:8,9。

  • こころある裁判官は少数者の権利を守る
    目ざめよ! 1977 | 9月22日
    • こころある裁判官は少数者の権利を守る

      見識の高い,ある有名な裁判官は,「人気のない市民を差別から守るために既成の概念や一時の気まぐれを打破するときほど法律が本領を発揮することはない」と語ったことがありました。a

      このような偏ぱのない裁判のかがみとも言うべき判決が,最近,米国ワシントン州タコマ市で下されました。

      ある少数派の宗教団体は,タコマ市近郊に神を崇拝するための建物を建てることに決めました。その建物はタコマから13㌔ほど離れたピアース郡に建てられることになっていました。この建造物は,エホバの証人の幾つかの会衆が宗教的な集会を合同で開くためのもので,1,800人を収容できるはずでした。人口密度の希薄なこの地域には“教会”,つまり崇拝の場所を建てることが都市区画条例で認められており,3.6ヘクタールの土地が購入されました。

      注意深く準備された設計図や書類が正式に提出されましたが,それは専門的な要件を十分満たすものでした。当局者に対して,あらゆる点で協力が示されました。保健所の許可が下り,わずかな修正を加えた後に,工務局の許可も下りました。また,環境査察委員会は,大会ホールが「環境にこれといった悪影響を及ぼすことはない」と裁定し,許可を与えました。すべては順調に進んでいるように思えました。

      不当な制限が加えられる

      1976年1月に,建築検査部長ビル・P・ホーン

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