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  • 真の幸福は実現不可能な夢ですか
    目ざめよ! 1977 | 10月22日
    • 一児童心理学者の推定によると,平均的なアメリカ人の子供は高校を卒業するまでに,テレビで1万8,000件もの殺人を目撃します。それは,子供に幸福感を抱かせるのに全く役立ちません。

      では,一世代の間に,戦争,殺人,そして事故などで幾百万もの人が命を失い,犯罪が増大し,人種や国民間の憎悪が続き,病気や老齢や死がすべての人に臨む,この世界で,真の幸福を得ることを期待できますか。現在,あるいはこれから先の将来に,幸福を実現するのは可能ですか。

      問題に満ちた今日の世界にあっては不思議に思えるかもしれませんが,これらの質問に対して肯定の答えを出すことができます。現在でも,本当の幸福をある程度味わうことができますし,将来においては,完全な幸福が現実のものとなるのです。しかし,どのようにしてですか。また,それはどこで,どんな状況の下で現実のものとなるのですか。

  • どのようにして本当の幸福を見いだせますか
    目ざめよ! 1977 | 10月22日
    • どのようにして本当の幸福を見いだせますか

      現在幸福を味わう上で鍵となる要素は何ですか

      現在でも,本当の幸福をかなりの程度見いだせますが,さらに,間近い将来には,それをはるかにしのぐ幸福が必ずもたらされます。

      これは希望的な観測などではなく,世界各地に住む,幾十万もの人々の生活に,今日実際に見られる事柄,および人類の将来に必ず起きようとしている事柄に基づいているのです。

      現在幸福を味わう上で鍵となる要素は何ですか。その答えは,だれが意見を述べるかによって,かなり異なります。例えば,悪など存在せず,したがって,ほとんどどんな事柄にも喜びを見いだせると考える人がいます。しかし,この世の中には非常に悪い事柄が数多く見られるのですから,そのような考えは自己欺まんにすぎません。

      もう一方の極端に走る人もいます。そのような人は,どんなものにも,どんな人にも,ほとんど良い点を見いだすことができません。その理由で,なかなか幸福感を味わえないのです。そうした人々は,「死んでいない者を幸福な者とみなしてはならない」と述べた,古代ギリシャの詩人ソフォクレスと似たような見方をしています。

      しかし,以上の見解はいずれも極端な例です。この両極端の間に,幸福に至る平衡の取れた見方があるのです。一般的に言って,大抵の権威者たちは,大いに必要とされる幾つかの基本的な要素に関して同意を見ています。

      ところが,それと同時に,そのような評論家のほとんどすべては,幸福を味わうための最も大切な要素を見過ごしています。そして,この点が見過ごされると,やがて他の事柄もうまくゆかなくなってしまいます。

      まず最初に,問題に満ちたこの世界にあって,現在でも生活をより幸福なものにするのに役立つ基本的な要素に注目しましょう。それから,より重要な一つの要素を見極め,それが将来のより大きな幸福とどのように関係しているか調べることにしましょう。

      自分にあるものを感謝する

      確かにわたしたちは,日常生活でいやな事柄に数多く直面します。しかし一方では,感謝できる事柄,すなわちそれについて思い巡らす時間を持ちさえすれば,幾らかの幸福をわたしたちに与えてくれる事柄もあります。

      わたしたちが今,ある程度の幸福を享受できることをよりよく認識する一つの簡単な方法は,逆境について考えてみることです。だれしも,今この時に享受している幸福を失わせ得る悲劇について考えることができるでしょう。そうであれば,現在そのような悲劇が起きていないのですから,ある程度の幸福を享受していることになります。ですから,自分の生活状態が余り幸福だと思わなくても,逆境について考えれば,多くの場合,自分が思ったよりも恵まれた状態にあることを認識するのに役立ちます。

      自分にあるものを感謝することには,もちろん命そのものに対する感謝も含まれています。気のめいるような問題をたくさん抱えていても,死んでしまうよりは生きているほうが良いのではありませんか。自殺をするのは精神的に取り乱した人だけです。そうです,命は“慕わしい”ものであり,わたしたちはできるだけ寿命を延ばそうとします。

      生の反対は死であり,死んでしまえば何の楽しみもありません。「死者は何事をも知らない」と聖書の述べるとおりです。(伝道 9:5,口)それゆえ,その前の節には,「生ける犬は,死せるししにまさる」と述べられているのです。(伝道 9:4,口)生きていて,しかも人間であるということは,岩や樹木や動物として存在するよりも,あるいは死体になってしまうよりもはるかに優れています。こうした事柄について考える時間を作りさえすれば,わたしたちは,自分が人間として生きていることに幸福感を抱けます。

      また,正しい見方を持てば,生活上のちょっとした事柄の多くは,幸福を増し加えるのに役立ちます。陽光のさんさんと注ぐ気持ちの良い日は楽しいものです。樹木,花,動物,山,川,湖など自然界の創造物についても同じことが言えます。雑踏している都市にも,気分を浮き立たせる,気持ちの良い日がありますし,気分をさわやかにする快適な場所もあります。

      あなたはものを見ることができますか。中には,盲目であるために,目が見えない人もいます。目の不自由な人に,視力を取り戻せたら幸福だと思うか尋ねてごらんなさい。あるいは,少しの間,目を閉じて,日常の事柄を行なおうとしてみると良いでしょう。そうすれば,視力がどれほど貴重な賜物であるか,より良く認識できるでしょう。

      味覚や嗅覚についても同じことが言えます。これまでに何百回となく自分の好物を食べたことがあるでしょう。それでも,その好物がまた調理されているにおいをかぐと,やはりうれしく思います。

      そうです,わたしたちは生活上の本当に良いものに決して飽きることがないように造られているのです。『自分にとって祝福となっている事柄を数え上げる』なら,わたしたちはそれらの祝福を感謝するようになり,いっそう幸福になれます。

      仕事を楽しむ

      幸福であるためには活動が必要です。なすべき有益な事柄があれば,生活により大きな満足を覚えます。仕事は実際にわたしたちにとって祝福となるのです。

      全然仕事をしなくてもよい状態は望ましいことのように思えるかもしれませんが,実際にはそうではありません。もしすべてのことがなんとなく奇跡的に行なわれるなら,生活は信じられないほど退屈なものになります。わたしたちは適度の活動をして生活してゆくように造られているからです。

      自分のしている仕事が興味深いものではない,あるいは重要ではないと思えても,それは生活の糧を備えるのに役立ち,あなたが生きてゆくのに貢献しているのではありませんか。それでは,その仕事はあなたにとって重要なのです。また,それは社会全体にとっても重要です。きまりきった仕事,つまり“退屈”な仕事と思えるものすべてがなくなったとしたら,社会はどれほどの期間その機能を保ってゆけるでしょうか。

      確かに,あなたの仕事は,他の人の仕事ほど望ましいものではないかもしれません。しかしほとんどの場合,そのような仕事は,自分の福祉だけ

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