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「エホバを自分たちの神とする国民」の幸福ものみの塔 1969 | 3月15日
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とするものではありません。多くの国家と国民は,陸海空3軍の支出およびそれら軍事部門からの要求のゆえに課される重荷の下であえいでいます。こうした国の法王,司祭,牧師その他の僧職者がどれほど祈ったところで,それら諸国民はエホバ神が軍事力を用いずに自分たちを救ってくださるという事態を見いだすことはできません。
7 どうすれば詩篇 33篇12節の幸福な国民がだれかを知ることができますか。この点について聖書からどんな事がわかりますか。
7 国家主義や愛国主義的な誇りが全地にはびこっている現在,詩篇 33篇12節が今日,自分たちの上に成就していると指摘できる国民や民が存在しますか。「幸福な」国民,「選ばれた民」とはいったいだれですか。詩篇 33篇の霊感を受けた作者がその一員だった国民を回顧すれば,それを知るのに役だつでしょう。というのは,この作者は自分の属する国民について書いたからです。この国民はその歴史のはじめから,エホバという御名を持たれる唯一の神による奇跡的な救いを経験しました。この国民はまさにその誕生に臨んで,紀元前1513年,過ぎ越しの祝いののちエジプトでのとらわれと使役から救われました。それはなんと劇的な救いだったのでしょう! その後まもなく,紅海の乾いた海底を横切ってシナイ半島に到達する驚くべき救いがもたらされ,一方装備の整ったエジプトの軍勢は,引き返す海水に飲まれ,ねずみのように溺死したのです! 古代および現代のいずれを問わず,これほどの救い,あるいはそれに匹敵するできごとを自国の歴史で指摘し得る国民は決してありません。紅海の東岸には,奇跡的に救い出されたこの国民のたいへん幸福な情景がくり広げられました。確かにエホバ神は彼らを選ばれました!―出エジプト 12:1から15:21。
8 モーセの導きの下にあった民は,いつ一国民として組織されましたか。神から与えられた戒めの最初の部分は何を指摘していますか。
8 エジプトから救い出されて3か月目,この民は預言者モーセの導きの下にアラビアの一半島のシナイ山のふもとに集まりました。ここで彼らは,地上の他の諸国民とは別個の独特な国民として組織されました。その地では,有名な十戒を宣言する神の声を聞く機会に恵まれ,のちに,預言者モーセではなく,「神のゆび」によって石板の上にしるされた十戒を授けられました。これらの十戒は,この国民とその天の救い主との間で結ばれた法的な約束あるいは契約の最初の律法でした。十戒の第1条は,このかたこそ彼らの神でなければならないと次のように断言しています。「我は汝の神エホバ 汝をエジプトの地その奴隷たる家より導きいだせし者なり 汝わが面の前に我のほか何物をも神とすべからず」。彼らの救いに寄与した神はほかにありませんでした。したがってエホバには,彼らに専心の献身を要求する権利がありました。―出エジプト 19:1–20:18。
一国民の死と再生
9 この国民はどのようにすれば引き続き幸福な状態にとどまることができましたか。エホバは彼らをどのように助けましたか。
9 この国民は自分たちの神としてエホバにつき従った間は幸福に過ごしました。そして,預言者モーセを仲介として結ばれた国民的な約束もしくは契約を履行するかぎり,その神によって紀元前1473年に導き入れられた乳と蜜の流れる地で繁栄したのです。困難な事態に陥ったのは,彼らがその律法と国民的契約の戒めを破って,周囲の諸国民の偽りの神々の崇拝をはじめた時でした。ご自分の契約に忠実なエホバ神は,特別のさばき人を起こして,彼らを敵の手から救われました。また,率直に語る,恐れを知らない預言者を起こして,誤った道をとることの愚かさと,それに伴う恐ろしい結果とを警告させました。しかし,生きる唯一のまことの神の崇拝と,偽りの悪霊の神々の崇拝との間を行き来したために,この国民は幾度となく浮き沈みを経験しました。この国民の2代目の王,つまりベツレヘムのエッサイの子ダビデは,その国民の神の恵みのゆえにこうしるしました。「エホバを自分たちの神とする民は幸福である」― 詩 144:15,新。
10 この国民の幸福が最高潮に達したのはいつでしたか。神のこの幸福な国民はどんなできごとのために滅びを受けましたか。
10 神の選ばれた民のこの幸福は,ダビデの子で後継者であるエルサレムのソロモン王の治世中に頂点に達しました。(列王上 4:20-25)そして,支配者たちと民が偶像や悪霊の崇拝に陥ったとき,この国民の幸福は失われました。こうした偽りの崇拝への堕落から何度かもどったものの,それは短期間にすぎず,エホバ神がこの国民と結ばれた厳粛な契約の中に予告された災いから自らを守れるほどの理由とはなりませんでした。神はご自身の述べられた時におよんで事を運ばれ,その選ばれた王統をくつがえし,首都エルサレムを滅ぼし,その国土を荒廃させました。また,ソロモン王によりエルサレムに建てられた名高い宮を崩壊させ,生き残った人々を流刑に処し,はるかバビロニアの地に連れ去らせました。
11 エホバはご自分の民を救うためにどんな努力を払われましたか。しかし彼らはどんな態度をとりましたか。
11 自分たちの神としてエホバを奉じていると唱える国民や民族でさえ,エホバをいつまでも侮ることはできません。この事実は,その自由な独立国の最期をしるした歴代志略下 36章15節から21節に強調されています。それは次のとおりです。「そして彼らの先祖の神エホバは,ご自分の民とご自分の住まい[宮]とをあわれに思われたゆえに,彼らに対してご自身の使者を再三再四つかわされた。しかし彼らはまことの神の使者たちをたえずからかい,神のことばを軽んじ,神の預言者たちを侮り続けたので,ついにエホバの怒りがその民に向かって表わされ,民をいやすことはできなかった。
12 神の祝福を受けていたその国民の終わりを説明しなさい。
12 「そこでエホバはカルデヤ人の王を彼らに攻めきたらせ,彼はその聖所の家で剣をもって若者たちを殺し,若者やおとめも,また年寄りや老衰の者をあわれまなかった。神はあらゆるものをその手にわたされた。そして彼は,まことの神の家の大小さまざまの器物,エホバの家の財宝,[ゼデキヤ]王とその王族たちの財宝などをことごとくバビロンに運んだ。また,彼はまことの神の家を焼き,エルサレムの城壁をくずし,そして破滅をもたらすために,人の住む塔も,また,その中の願わしい品物もことごとく火をもって焼いた。そのうえ彼は,剣をのがれた残りの者たちを捕えてバビロンに連れ去った。そして彼らは,ペルシアの王が統治しはじめるときまで,彼とその子らのしもべとなった。これはエレミヤの口によるエホバのことばが成就するためであった。そして,ついに[ユダの]地はその安息をことごとく払い終えた。これはその荒廃している全期間中,安息を続け,ついに七十年を満たした」― 列王下 24章20節から25章26節までと比べてください。
13 エルサレムの滅びは,エホバの御名と神の民にどんな影響をもたらしましたか。
13 こうして彼らの王国がくつがえされ,エルサレムがその崇拝の宮もろともに滅び,ユダの全地が荒廃し,生き残った者たちが捕えられてバビロンに連れ去られるとともに,この国民は死にました。その神は,アブラハム,イサク,ヤコブの神エホバとしてそれまで国際的に知られてきただけに,この国家的な災いはエホバの御名とその名声に重大な恥辱をもたらしました。バビロン幽囚に関するかぎり,この民の希望は,人間的には復活の見込みのない枯れたがい骨が,ばらばらに積み重なって満たされた谷間のようになりました。(エゼキエル 37:1-12)彼らの祖国ユダとエルサレムは,もはや国民という身分を持つ民の「地」ではなく,正当に「ユダの地」と呼べるところではなくなりました。それは忌むべき地,迷信深い外部の人間の近寄らない土地,野獣や野鳥の出没する場所,荒地そして密林と化したものです。このことは預言者エレミヤおよびミカの警告の中ですでに予告されていました。―エレミヤ 32:43; 33:10,12。ミカ 3:9-12。エレミヤ 26:18。
14 この国民について今どんな質問が出されますか。また聖書の預言はなんと述べていますか。
14 国民の神としてのエホバの御名に対するこの恥辱ははたしてぬぐい去られ,全宇宙の至上者としての御名は再び栄光を帰せられるでしょうか。エホバの御名と支配権のかゝわっていたその国民はいつか再び生まれ出るでしょうか。忌みきらわれ,人の寄りつかない密林におゝわれたその地は,いつの日か廃虚と荒廃の中から立ち直り,ユダの地として再び国際的に知られるようになるでしょうか。異教諸国とりわけバビロンにとっておよそ不可能に見えたものの,その地と国民そして宮におけるエホバの崇拝の再興はエホバ神の御目的の中に含まれていました! エホバ神の聖書預言の中にしるされていたのです!
15,16 感動を受けたイザヤはエルサレムについてなんと予告しましたか。エホバはその民について何を約束されましたか。
15 預言者イザヤは霊感を受けて,この奇跡的な再生について明確に予告した人のひとりです。エホバ神の清い崇拝を固守した少数の残れる者を慰めるため,預言者イザヤは神の感動を受けてあらかじめ次のことを語りました。すなわち,神は紀元前607年審判者として座され,エルサレムとその宮に侵略と破滅の騒乱を満たし,ご自身の崇拝に敵したイスラエル人すべてに当然の報いをこうむらせます。そののち,滅亡した国民とその地は驚くべき仕方で再び生み出されるのです。イザヤは語りました。
16 「みことばを恐れる者たちよ,エホバのことばを聞きなさい。『あなたを憎んでいるあなたがたの兄弟たち,わたしの名のゆえにあなたを除外する者たちは語った。「エホバが栄光を受けられますように」と。彼はまた,あなたの喜びをもって必ず現われる。恥をこうむるのは彼らである』。町から騒乱の声が聞こえ,宮から声がひゞく! それはエホバがご自分の敵に当然の報いを受けさせる声である。シオンは生みの苦しみをはじめる前に生み,その苦しみの来ないうちに男の子を生んだ。このようなことをだれが聞いたであろうか。こうした事柄をだれが見たであろうか。一つの地が生みの苦しみをもって一日のうちに生み出されるだろうか。あるいは一つの国民がひと時のうちに生まれるだろうか。シオン[エルサレム]は生みの苦しみをはじめるやいなや,その子らを生んだからである」― イザヤ 66:5-8,新。
17,18 その「再生」はいつ起きましたか。それは,生みの苦しみが始まる前に生まれるという奇跡にどのように似ていましたか。
17 シオンあるいはエルサレムを軽んじた異邦諸国民がみな驚いたことに,このすばらしい「再生」は紀元前537年,つまりユダの地とエルサレムもしくはシオンの荒廃のちょうど70年後に起こりました。あたかも母体が陣痛で苦しむ前に赤子が生まれたかのように,この再生はあたかも生みの苦しみが何も起こらないうちにすばやく行なわれました。どのようにしてですか。
18 ユダヤ人の捕われからの解放を拒むバビロンが世界支配を保持したのは,ユダとエルサレムもしくはシオンの予告された70年の荒廃の期間の第69年つまり539年チスリ16日(あるいは10月5-6日)まででした。第70年の前半の春のころ,バビロンの征服者,ペルシアのクロス大王は勅令を出し,捕われの身のユダヤ人に祖国への帰還を許し,エルサレムつまりシオンの町を再興し,エホバの宮を再建することを勧めました。その第70年の終わり,つまり紀元前537年[紀元前537年チスリ1日は,537年9月28-29日にあたる]の初秋には忠実な残れる者が自分たちの愛する祖国にもどって定住し,数多くの昔の町のあとに落ち着きました。―エズラ 1:1–3:6。
19 解放後のわずか数か月を経てエルサレムには何が起きましたか。
19 したがって,シオン(あるいはエルサレム)の「子供たち」に関しては,バビロンの束縛を脱し,自分たちの荒廃した地にもどる道を切り開くために戦い,かつ一国民として自らの再興を図るために苦しい反乱などの形で長期間にわたって生みの苦しみを味わうことはありませんでした。クロス大王の解放の勅令が発布されて数か月以内に,エホバ神の真の崇拝者たちの残れる者はその地にもどりました。そしてその地はもはやエホバの忌みきらわれる土地ではなくなったのです。そこは,ユダの王ダビデの子孫のひとりを総督とする地方的な政府,およびエホバ神より権威を授けられた大祭司とを有する民の住む地となりました。こうして,独自の領土とその領土を治める独自の政府を持つとともに,生きる唯一のまことの神を崇拝する国民が再び生まれました。一国の政府としてのシオンあるいはエルサレムは再び存在するようになりました。このシオンには,その領土つまりユダの地を清め,農耕を営む住民もしくは民つまり「子供たち」がいます。そして彼らの神の崇拝はその地に再興されました。
エホバ神は失敗することがない
20,21 「一日」また,「ひと時」のうちにエホバは何を成し遂げられましたか。それは何を立証するものでしたか。
20 こうした事柄をかつて聞いた人がありますか。このような進展を遂げた国家的かつ宗教的な事態を見た人がいるでしょうか。そのすべてはあまりにも突然に,また不意に,そして前例もなく起こりました。そうです。生みの苦しみに悩むことなく,エホバの地上の組織,シオンは,人々の国家的集団という形で「男の子」を現実の領域に生み出したのです。国家的な名称を持つ地が,荒廃の中からまるで「一日のうちに」直ちに生まれ出ました。全能の神エホバはご自分と契約関係にある組織された国民を「ひと時のうちに」生み出させ,そうです,再生させました。エホバの組織シオンは,生みの苦しみをはじめるまさにその時,「男の子」の国民を構成する「その子ら」を生みました。これは,決してむなしく終わることのないエホバのことばを立証する預言の成就以外の何ものでもありません。その地上の組織であるシオンのこの誕生を取り計らわれたのはエホバです。それは次の節で言われるとおり,予告どおりに,流産もしくは死産をすることなく生まれねばなりませんでした。
21 「『わたしが出産にのぞませて,生ませないであろうか』とエホバは言われる。『それとも,わたしが生ませながら,胎を閉ざすであろうか』とあなたの神は言われる」。
22 この驚くべきできごとで,実際に舞台に登場したのはだれですか。だれに祝福がもたらされましたか。
22 イザヤ書 66章9節のこのことばと一致して,最終的な間一髪ともいうべき時点で全能の神エホバが失敗することは決してありませんでした。このことは,記録に残る歴史の証明するところです。この驚くべきできごとにおいては,ほかならぬエホバご自身が国際的な舞台に登場され,「みことばを恐れる者たち」に喜びをもたらしました。彼らに宗教上の憎しみをいだく者たちや迫害者は恥辱をこうむりましたが,「エホバを自分たちの神とする」再生した国民には,言い表わし得ぬ幸福を味わう真の理由がありました!「エホバを喜ぶこと」は彼らのとりでとなったのです。―ネヘミヤ 8:10。
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国民的な幸福の理由ものみの塔 1969 | 3月15日
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国民的な幸福の理由
1,2 (イ)再び生まれたこの国民がその再生後600年余にわたってエホバの祝福を受けたと,どうして言えますか。(ロ)パウロはアグリッパの前で,当時のユダヤ人がまさしく一国民を形成していたことをどのように断言しましたか。
紀元前537年のこうした奇跡的な再生後,イスラエルは605年余の間存続しました。その間エホバ神はさらに預言者をつかわすことをよしとされ,その期間のほとんど終わりに至るまで,この国民は神との間に恵まれた特異な立場を保ちました。この国民の再生後,およそ600年を経て,ベニヤミンの部族の,タルソのサウロという名前の割礼を受けた一パリサイ人は,生まれながらに成員となったその国民の恵まれた特権の数々を次のように要約しました。「ではユダヤ人のすぐれたところは何か。また割礼の益は何か。あらゆる点で非常に多い。まず第一に,神のみことのりが彼らにゆだねられたことである」。「わが兄弟わが骨肉……彼らはイスラエル人にして,彼らには神の子とせられたることと,栄光と,もろもろの契約と,授けられたる律法と,礼拝と,もろもろの約束とあり。先祖たちも彼らのものなり,肉によれば,キリストも彼らよりいで給ひたり」。(ロマ 3:1,2,新; 9:3-5)幸福のなんとさまざまな理由があるのでしょう!
2 この同じ記述者は,自分の民のことを「国民」として語り,カイザリヤの町でアグリッパ王に次のように話しました。「わがはじめより〔国民〕のうちにまたエルサレムにおける幼き時よりの生活のさま……わが我らの宗教の最も厳しき派に従ひて,パリサイ人の生活をなししことをはじめより知れり。今わが立ちてさばかるるは,神が我らの先祖たちに約束し給ひしことの希望によりてなり。これを得んことを望みて我が十二の族は夜も昼も熱心に神に事ふるなり…神は死人をよみがへらせ給ふとも,汝らなんぞ信じがたしとするか…しかるに神のたすけによりて今日に至るまでなほ存へて,小なる人にも大なる人にも証をなし,言ふところは預言者およびモーセが必ずきたるべしと語りしことのほかならず。すなはちキリストの苦難を受くべきこと,最先に死人のうちよりよみがえることによりて民と異邦人とに光を伝ふべきことこれなり」― 使行 26:4-8,22,23。
3 再生したイスラエル国民はどんなさまざまな理由で幸福であり得ましたか。
3 それでこの再生した昔のイスラエル国民にとっては幸福であるべき数多くの偉大な理由がありました。彼らには命の与え主である唯一の生きるまことの神エホバの清い崇拝がありました。それゆえに,「悪霊の君」サタン悪魔の配下の悪霊から神によって保護されました。エホバは彼らの神であるだけでなく,彼らの天の審判者また立法者でした。(イザヤ 33:22)彼らはエホバ神の友アブラハムの子孫で,その子イサク,その孫ヤコブ,そしてヤコブの12人のむすこの生来の子供でした。したがってみな肉によれば互いに関係がありました。それでまさに,兄弟姉妹たちで構成される一つの大きな家族もしくは国民,確かに一つの「民」,一「国民」でした。また,いずれも神の約束を持つアブラハム,イサク,ヤコブの直接の子孫であり,さらに,エジプトの地での使役からエホバ神によりあがなわれたゆえに,この国民は神の選ばれた所有物もしくは遺産でした。彼らはたしかにエホバ神に属していたのです。
4 (イ)「アブラハムの裔」であることは,この国民にとって何を意味しましたか。(ロ)他のどんな著しい祝福がこの国民を通じてもたらされることになりましたか。その最高潮として西暦33年にどんなできごとが起こりましたか。
4 彼らは血筋上,直接「アブラハムの裔」となる立場にありました。地上のすべての国民はこの裔によって自らを永遠に祝福するのです。(創世 22:18,新; 26:2-5; 28:13,14)律法と預言の書そして詩篇から成る聖書を持つことにより,エホバ神の「みことのり」あるいは託宣をゆだねられたのは彼らだけでした。そして,そうした「神のみことのり」のすべてに関して,またその中に含まれている神のすばらしい約束や希望についても教えを受ける特別の恵まれた機会を持っていました。彼らは預言者モーセを通して自分たちの神と国家的な約束あるいは契約を結んでいました。また,忠実なダビデ王の王統に関する神の特別な契約を通して,神のメシヤもしくはキリストの治める永遠の御国に関する神の約束を持っていました。事実,このメシヤあるいはキリストは,この国民のひとりとして生まれ,直接彼らにつかわされると約束されていました。(ダニエル 9:24-26)彼らのメシヤなる王は首都エルサレムに乗り込み,平和と救いを彼らにもたらすとも約束されていたのです。(ゼカリヤ 9:9)歴史によれば,彼はまさしく,また時をたがえず西暦33年に到来しました。―マタイ 21:1-14。ヨハネ 12:12-18。
5 西暦70年,どんな恐ろしい事態がこの国民に生じましたか。どんな憂慮すべき質問が持ち上がりますか。
5 しかしきわめて大きな恵みを受けたにもかかわらず,肉によるこの国民は西暦70年の夏に滅ぼされました。このたびはローマの軍隊により首都エルサレムは2度目の滅びをこうむり,崇拝のための貴重な宮は破壊され,ユダヤの地は荒廃しました。この災害をのがれたユダヤ人は捕虜として連れ去られ,奴隷として国々に売られました。なぜこうなったのですか。肉によるこのイスラエル国民はなぜこうした不幸に陥ったのですか。
6 最初の滅亡と2度目の滅亡の理由にはどんな関係が見られますか。
6 では,これと同様の最初の国家的な災害が彼らにふりかかったのはなぜでしたか。この国民の幸福は自分たちの神としてエホバをあおぐことにかかっていたのですから,彼らの救い主,また保護者であり,祝福の与え主であるこのエホバ神から離れたことがその理由でした。それでこの同じ国民のこうむった2度目の災害も同じ理由によるものでした。彼らは人間の言い伝えや人間の規則の影響を受けて,心をかたくなにし,不信に陥り,「神のみことのり」を退けました。そしてこの事態の危機的な最高潮に至って,彼らは約束のメシヤ,神の御子を拒絶しました。こうしてエホバの「幸福な」国民としてとどまる根拠を失いました。
7 (イ)ここでどんな重大な質問が生じますか。(ロ)生来のイスラエル国民の再生が不要なのはなぜですか。
7 今や重大な質問が生じます。聖書にしるされている神の約束が成就するには,この肉のイスラエル,割礼を受けた生来のユダヤ人からなる国民がもう一度再生しなければならないでしょうか。1948年5月15日のイスラエル共和国の誕生は,預言の現代における成就ですか。また,地のすべての民族や国民を祝福することに関してアブラハムに与えられたエホバの約束は,この民主主義的なイスラエル共和国に成就するのでしょうか。聖書によれば,そうではありません! 割礼を受けた生来のイスラエル国民のそうした再生は少しも必要ではありません。なぜですか。西暦70年のエルサレムとその宮の崩壊の37年前,エホバ神は真の国民をすでに生み出されたからです。神の「みことのり」に関
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