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  • 敬虔の形を持つ
    ものみの塔 1955 | 6月15日
    • 教会員の増加する率と同じように上昇しているように見える。』

      明らかにそれは『敬虔の形を持つていても,その力にたいしては偽りであることを証明している』例です。そうでなければ,そのような悪い実が結ばれる筈がなく,私たちが終の日に生活しているしるしの一つにはなりません。

      心理上の理由や,実務や社会上の成功のために,人々は聖書を読む時,祈る時,教会に行く時,自分自身を欺き,それは適用されたキリスト教であると考えます。収得を敬虔と見ることにより,自ら腐敗した心の者と示しています。また表面だけ敬虔の形を装いながら,その行は敬虔の真の力に欠けていることを示すとき,人は自分自身を欺いているのです。そのようなものは,実際偽善以外の何ものでもないのです。

      適用されたキリスト教と真正な敬虔は,ヱホバの是認を得ることだけに関心を持ち利己的な収得を得ようとする欲望や偽善とは関係のないものです。たしかに,『神は霊であられ,神を崇拝する者は,霊と真をもつて崇拝しなければならない。』― ヨハネ 4:24,新世。

  • 『ヒリッピン群島にて』
    ものみの塔 1955 | 6月15日
    • 『ヒリッピン群島にて』

      バタンガスを訪問していたひとりの人は,宿舎で何の気なしに協会の出版物1冊を取りあげました。宿舎の主人は,ヱホバの証者からその本を入手しましたが,興味を感じなかつたのです。訪問客は,その本を読み通し,非常な興味を感じました。後日,マニラの地域大会のことを聞き,その大会に出席するためその人は一人で来ました。大会で強い感銘をうけました。後に,クエゾン,ルセナの巡回大会のことを聞きました。その大会にも出席し,今度は友人二人を連れて来ました。そして巡回の僕と会見し,援助を求めました。現在一人の開拓者は,その人と二人の友人が自分たちの町で証言するのを援助しています。できるならば,文書をすべての家に配布することは良いものです。家の人が興味を持たなくても,だれかがその文書を読むかもしれません。

      ダバオ,ロレットの市長は,ヱホバの証者のことを聞きました。市長は,アブサン河を約200マイル旅行して,ブツアン市の地域大会に出席しました。支部の僕と話しながらこんな風に言いました。『ヱホバの証者について,ごく最近知りました。良い感銘をうけたので,いつたいその話は果して本当であろうか,自分の目で確めに来ました。その話は本当です。これは,真実のクリスチャン一致と平和の制度です。ロレットに代表者を派遣して,そこの人々に,あなた方の生活を教えて頂きたいと思います。私は人々を集めましよう。そして,話のときの翻訳を全部いたしましよう。』その場で取り極めはつくられました。伝道者はその遠い場所に出かけ,公開の集会で講演を行い,ロレットの人々を助けることになりました。(1955年度のヱホバの証者の年鑑から)

  • 不平を取り除いて幸福を保つ
    ものみの塔 1955 | 6月15日
    • 不平を取り除いて幸福を保つ

      『神の御言葉を聞いて,それを守る者は幸福である。』ルカ 11:28,新世。

      1 どのような面でヱホバは幸福ですか? 人間はまたどのように幸福を得ることができますか?

      ヱホバは幸福な神です。(テモテ前 1:11,新世)ヱホバの幸福は,正義に全く専心していることと,御自身の被造物に愛ある仕方で幸福をもたらすことから来ます。ヱホバは無私の御気持から,人間が地上で幸福な生活をするために必要なすべての御準備をつくられ,またその御目的のために人間の必要とするものを与えておられます。真実の幸福を得るために,人間は神の与える教えに注意を払い,その教に従つて生活しさえすれば良いのです。

      2 現在のこの世の組織制度は幸福な状態ですか? なぜそうですか?

      2 現在のこの世の組織制度が不幸と悲しみに充たされていることを否定し得る人はいるでしようか? この世には,不平を述べる多くの事柄があり,この世は,黙示録 12章12節(新世)の予言をまつたく成就しております。『地と海とは災である。悪魔は自分の時の短いのを知り,大きな怒りをもつてあなた方のところに来たからである。』『終の日には非常に苦しい時が来るということを知りなさい。』この予言は全く真実なものでありました。(テモテ後 3:1,新世)ある政治家は高慢になつて,いま程良い時はないと誇るかもしれません。しかし,人々は非常に悲惨な状態におり,それに原子核戦争によつて地球全体が亡びる脅威,犯罪および道徳腐敗の恐ろしい増加,最近の科学の発見を無視する危険な病気の拡大,そして一般の不安などで苦しみなやんでいます。人々の顔色は,この世の全組織制度にひろく行き亙つている不満の精神を反映しています。

      3 幸福はいまどのようにひろめられていますか? 誰がそれに答え応じており,その結果は何ですか?

      3 ヱホバは幸福であつて,しかも無私のかたであられ,人々に栄光ある良いたよりを聞かせるような備えをつくられています。その良いたよりは,証言のために全世界で伝道されています。(マタイ 24:14,新世)エゼキエル書 9章4節に『行わるるところの諸の憎むべき事のために歎き哀しむ人々』と述べられている人々は,この音信を聞き,この苦しみ悩む古い組織制度から出てきます。彼らは自分の心を入れ変え始め,神の幸福な状態に達しようと,その個性を変えます。(ロマ 12:2。エペソ 4:24,31,32)それで,神の御言葉の真理を理解し,また心から悟るようになると,その人の人生観はまつたく一変します。その人は多くのよろこびに溢れてきます。いまは新しい友,すなわちヱホバの証者という幸福な民の社会を持つています。ヱホバの証者は霊的に繁栄して,増加しており,そして,絶えず新しい世の生活原則を多く学び,それを自分の生活に適用しようと努めています。彼らは楽観と熱心を発散しています。彼らが幸福でいるのはまつたく,当然至極なことなのです!

      4 神の御言葉を聞いて,それを守る人の将来の見込みは,不平を言う理由になりますか?

      4 ヱホバはそのような者が御自分の新しい世で,永遠の幸福を得るため,備えをつくられましたが,それはほんとうに『幸福な希望』です。(テトス 2:13,新世)最初の両親アダムとエバにより人類にもたらされた病気,悲しみ,そして死のつきまとうこの終りの日の悲しみの状態は,もはや不平を言う理由にはなりません。神が道を備えて下さつたために,彼らはなんと幸福なのでしよう! 永遠に続く幸福な生活という見込みは,彼らの歓喜の理由であります。神の善をしみじみ深く悟るときに,感謝は彼らの心に湧き出てきます。そして神のために何かをしなければならぬ,つまり神の崇拝ということが認識されます。心の底から感謝の念を持つとき,その人は自分の身をヱホバの奉仕に献身いたします。彼らは「御業を行う人」となり,「それを行うのに幸福」であります。彼らは神の御言葉を聞いて,それを守ろうと心に決めたために,幸福についての彼らの見込みは果てしなく永遠に延びています。―ヤコブ 1:25。

      5 新しくヱホバに献身した人の生涯にどんな圧迫が加えられますか? 見たところどんな変化が生じますか?

      5 しかし,不幸なことに,ヱホバに献身するすべての人が幸福の中に永久に生活し,そのおのおのの割当で,ヱホバに奉仕するわけではありません。しばらくのあいだ,神の言葉と目的についての新しい真理を学ぶ楽しみ,そして又これらの良い事柄を他人に伝える深い感謝は,その人々のすべての関心事となります。しかし,これら新しく献身した人々の生活に,不思議なことが時折生ずるようです。状態が変るように見えます。ヱホバの証者になりヱホバに奉仕する生活は,安楽なものではないと思われます。つらいことが降りかかつたり,またひどい迫害が生じて,新しく見出したよろこびをその人より奪いとります。ヱホバ神に毎日奉仕すること自体も,重荷に感じられてきます。毎日毎日伝道することは,ますますつらく,苦しくなつてきます。宣教の野外で会う家の人々は,御国の音信に無関心であり,興味を示しません。それに伝道するとき,多くの難しい問題がともないます。伝道には多くの仕事が必要であり,細心の注意を払わねばならない細い事柄が果てしなくともなうように見えます。あるいは,新しい証者が新しい崇拝の仕方をする結果,家庭の問題が起きたのかもしれません。それで,それと共に家族の結合にひどい緊張が加わり,大変な結果を生ずるか,または家族の分裂すらひき起しそうに見えます。ヱホバへの献身と,最近になされた献身の誓に対して圧迫が加えられます。

      6 ヱホバの新しい証者が,会衆の事柄を非難し,批判し始めますと,何が生じますか?

      6 それから,新しいヱホバの証者は熱心に充ちています。先に立つて奉仕をし,業を押し進めて行こうとする意欲が盛んです。恐らくは小さな会衆で,自分の身のまわりを見る時,進歩が殆どされていないように見えます。事柄は明らかに正しく運営されていないからだと独り合点してしまいます。幾人かの不注意な無関心な者が会衆と交つているのを見ます。伝道の業については多くの進歩がなされていません。ある事がなされねばならず,しかも急速にされるべきであると彼は感じます。それで,彼は非難をし批評をし始めます。間もなくして,自分は初めの頃程に幸福ではないと悟ります。神に奉仕するよろこびは,なくなつて行きます。

      7 新しい世の社会と交つて最初経験した幸福は,なぜそしてどのように時々消えて行きますか?

      7 その新しい兄弟は初めの中,理解することができないでしようが,その態度を急激に変化しているのです。崇拝と奉仕のために,会衆のつくつた取り極めに,彼は全然同意いたしません。彼は自分といつしよに奉仕する人々を批評します。よろこびと満足の心持ちでヱホバに奉仕する代り,彼はいまや取り極めについてなにかを要求しており,不平を言つています。事柄がもつと便利で容易であるようにと欲します。他の者の間違いや不注意がもたらす仕事や,厄介とか不便を不愉快に思います。次のようなことを独り言に言うか,または他の人の聞えるところで言います『正しい仕方ですれば良いのになあ! そうすればどれ程容易になることか!』 しかしその間,最初経験した幸福は,全然消えてなくなりました。それがいつたいどのように,またなぜ起つたかは,必ずしも明白でありませんが,しかしよろこびを感じていないということだけは確かなことです。彼の幸福とよろこびは消えてなくなりました。そして,古い世の愚痴をこぼして,不平を言う仕方に逆戻りしてしまいました。ヱホバのつくられる取り極めを非難するのが癖です。『ヱホバとその制度は,当然これよりもつと良いことをすべきである。』と独り言を言います。彼は決定と取り極めの賢明さを疑い,自分の気に入る仕方で物事をしようと欲します。制度を通して述べられるヱホバの御意を行う意欲はなく,ただ不平を言います。伝道を止めることすらして,みじめな状態となります。気落ちしてしまい,歩く時にはいやな渋い顔色を示します。その人は,ヱホバとヱホバの新しい世の社会と交るよろこびを本当に急速に失いました。

      8 不平を言うものは,どんな基礎的な理由で,自ら不幸をもたらしましたか?

      8 わざわざ不幸を欲する人はいるでしようか? それでは,不幸を必らずもたらす不平をなぜ言うのですか? 不平を言う者は,自分自身に不幸をもたらし,利己主義の生ずるのを許しました。試験がなぜ自分に来るのか全く理解することができません。自分の上に降りかかる重荷や,困難や,迫害についてもはや正しい見方を取りません。彼はペテロの書いた次の言葉を忘れました。『愛する者たちよ,あなた方を試みるために降りかかる火のような試錬を,なにか見知らぬことが起つたかのように驚きあやしんではならない。むしろ,キリストの苦難にあずかればあずかる程よろこぶが良い。それは彼の栄光の現われる際,よろこびに充ち溢れることのできるためである。キリストの名のために,そしりをうけるならば,あなた方は幸福である。なぜならば,栄光の霊,すなわち神の霊はあなた方に宿るからである。』(ペテロ前 4:12-14,新世)クリスチャンが正しい心構えをもつて忠実を保たねばならぬ基礎的な理由と必要性が,ここに述べられています。しかしこのことから,忠実を保つための戦を期待しなければなりません。―ヨブ 1:6-12。

      9 (イ)どんな警告を考えてみるとき,クリスチャンは重荷や困難に不平を言つたり反逆してはなりませんか?(ロ)クリスチャンはヱホバに献身して後,どんな種類の経験を期待することができますか?

      9 イエス・キリストも,弟子たちは何を予期せねばならぬかを警告しました。『私がこれらの事をあなた方に語つたのは,あなた方が躓かないためである。人々はあなた方を会衆から追い出すであろう。実際に,あなた方を殺す者は誰でも神に聖なる奉仕を捧げたと思う時が来る。彼らは御父を知らず,また私を知らないために,これらのことをなすのである。しかし,あなた方にこれらの事を語つたのは,彼らの時が来るとき,私が話したことをあなた方が思い出すためである』(ヨハネ 16:1-4,新世)ヱホバへの忠実を守る理由について,一人として自己中心になつたり,不合理になつたり,または忘れることのないようにしましよう。そして,不平を言つたり,また極端にも重荷や困難に反逆することなどないようにしましよう。かえつて,事柄についてよくよく考えてごらんなさい。あなたは,ヱホバへの奉仕の生命に献身したとき,贅沢,安楽,そして怠慢の生命を期待しましたか? 休暇を望む者は,働きを求めません。また,軍籍にいる者は,恩賜休暇を期待しません。クリスチャンは霊的な戦に自ら進んで志願した者です。―コリント後 10:3,4。エペソ 6:13。

      10 クリスチャンの生涯は,たとえ難しいものであつても,なぜみじめに思う必要はありませんか? すべての辛さや,問題を考えてみるとき,その幸福は失われていますか?

      10 ヱホバの証者は,キリストのくるしみにあずかつていますが,しかし自分のその運命をみじめに思う必要はありません。不平を言う者は,いつも不幸です。ヱホバを崇拝する者は幸福であるとヱホバは約束されており,しかも,彼は偽を言われたことがありません。苦しみを耐え忍んで難しい問題を克服し,迫害をうけても忍耐しなければならない,といつてそれが何でしよう? くるしい辛さは,不幸ということですか? その答は,絶対に『否!』であると,経験は異論を許さずに示しています。あなたは最近ヱホバの証者の大会に出席したことがありますか? その大会は地方的にも,または国家的,国際的な規模で定期的に行われています。大会には多くの不便がつきまとい,しばしば出費が嵩むものです。大会に行くため,長い危険な旅行が必要となります。大会出席者が,全く不便な状態で,野営をすることはしばしばのことであり,それに,毎日の集会に出席するため長い道程を混んだバスや地下鉄で通い,それから幾時間ものあいだ満員の野球場に坐ることもあります。しかし,ヱホバの民の大会に出席することは,生涯決して忘れることのできない程のよろこびの経験であることを否定する人はいるでしようか?

      11 キリストに従う者の正しい心持ちは何ですか? そのような行はヱホバの御旨にかないますか?

      11 辛い事は幸福をとりさるものでないと知り,勇気をもつて,そしてよろこびつつ辛いことや迫害を耐え忍ぶことは,クリスチャンの正しい心持ちです。それで,ヱホバに忠実を保つ最重要の理由をしつかりと心に持ち,それに私達には大きな特権がある故に,弱くなつたり,落胆したり,また不平を言つてはなりません。迫害を耐え忍ぶことはヱホバの御意にかなうことであるということを忘れないようにしましよう。ヱホバの御子は特別に際立つ例を残しました。御子は迫害を耐え忍ぶという点で私たちに模範を残されたのであると,即座に気がつくものです。良く知られている聖句の中に,私たちは彼の足跡にしつかりと従わねばならないと録されています。『もし神への良心を保つ故に苦しみをうけ,また不当に悩まされるならば,それは良いことである。罪を犯して打ちたたかれ,それを耐え忍んだとしても何の手柄になるか。しかし,善をして苦しみ,しかも耐え忍ぶならば,それは神の御旨にかなうことである。実際に,この道のためにあなた方は召されたのである。キリストはあなた方のために苦しみを受けられ,あなた方が彼の足跡にしつかりと従うようにと手本を残されたのである。彼は罪を犯さず,その口に欺きはなかつた。罵りをうけたとき,彼は悪口で言い返すことをなさらず,苦しみをうけられたときも,脅かそうとはせず,義しい裁きをされる方に御自身を委ねておられた。』― ペテロ前 2:19-23,新世。

      12 私たちがヱホバの御意をなすとき,何が私たちを助けて幸福を保たせますか?

      12 クリスチャンが,自分の身にふりかかる試錬について狭い,浅はかな見方をすることは良くありません。実際に言いますと,そのような辛さは,最大のよろこびをすらもたらすものです。現在でも将来でも,降りかかつてくる試錬や苦難に正しい見方を取ることは非常に重要です。伝道の業をすることによつてのみ,私たちはヱホバをよろこばすことができます。『わが子よ,智恵を得てわが心を悦ばせよ。さらば,我を謗る者に我こたうることを得ん。』(シンゲン 27:11)不平を言わずにヱホバの御意に従順に従い,そして彼への奉仕を忠実になし続けることによつてのみ,私たちは幸福を保つことができます。

      13 献身をした理由を考えてみるとき,現在苦しいことがらがありますか?

      13 事態を良く考えてみるときに,現在のものごとはそう難しくなく,苦しいものではありません。特に,忠実を保つ必要性とヱホバに献身する理由を考えるときに,このことは真であります。パウロほど虐待された人がいるでしようか? 彼は『飢え,かわき,裸にされ,打たれ,そして宿なし』でした。このイエスの熱心な使徒は,決して不平を言わず,そのような試錬の全部を耐え忍び,さらにこう言い続けました『罵られては祝福し,迫害されては耐え忍ぶ。悪口を言われては,懇願をする。私たちは今にいたるまで,この世のちり,あらゆることのごみのようになつている。』― コリント前 4:11-13,新世。

      14 パウロはあらゆる重荷や不運にもかかわらずどんな気分の中にコリント人への第二の手紙の結びを書きましたか?

      14 まつたく,現代のクリスチャンの生涯は,かならずしも安易なものでありません。パウロの時代でも同じく安易なものでなかつたのです。『彼らはキリストの奉仕者であるか。……私は彼ら以上にそうである。働いたことはもつと多く,投獄されたことはもつと多く,むちうれたことは甚だ多く,死に瀕したことはしばしばであつた。ユダヤ人から四十に一つ足りないむちをうけたことは五度,杖で打たれたことは三度,石打ちされたことは一度,難船したことは三度,そして一昼夜海の上を漂つたことがある。しばしば旅行をなし,河の難,盗賊の難,自国民の難,異邦人の難,都会の難,荒野の難,海上の難,偽兄弟の中にいる難,労し苦しみ,眠らない夜はしばしばであり,飢えとかわき,食物のないことは多く,寒さに凍え裸でいたこともあつた。それら外面上の事がらの外に,毎日私の心にせまつてくる全会衆への心配がある。』(コリント後 11:23-28,新世)パウロはそのすべての重荷や不運をうけても,気落ちすることはなかつたのです。その手紙の結びで,彼は幸福な気分で次のように書いています『最後に兄弟たちよ。よろこび続けなさい。回復しなさい。慰めあいなさい。おたがいに一致の心を持ち,平和に生活しなさい。そうすれば,愛と平和の神はあなた方と共にいるであろう。』― コリント後 13:11,新世。

      15,16 (イ)不平を言う者は,幸福を失い,ついには生命自体を失うということは,強く言い過ぎることですか?(ロ)不平を言うイスラエル人の警告の前例は,誰にそして何時適用されますか?

      15 不平を言うこの問題について,ヱホバの証者が見逃してはならぬ重大な点がいくらかあります。つまり,こうです。ヱホバの制度内の者が不平を言うとき,その者は神の御意に反対して不満と憤懣を述べているということです。それで,不平を言うことは,実際にヱホバに反対することです。不平を言う者は,必らず幸福を失うということを示す非常に顕著な聖書の例が二,三あります。不平家が生命自体をなくしたこともしばしばであります。それで,ヱホバに反対し,あるいはヱホバの制度とその指示に反対して不平を言うことは全く重大なことであると知ります。不平は悲しみと,最後に死をともなう悲哀をもたらすからです。そんなことはないとあなたは考え,強く言い過ぎていると考えますか? あるいはその警告は誇張であると考えますか? もしそうならば,別の聖句に注意してごらんなさい。それは,イスラエルの昔の国民の経験したことに関係し,しかも現在いまの出来事を予表したものでした。おそらく,あなたは幾度もこの聖句を参照されたことでしよう。その聖句は,不平の精神を取り除くということに深い関係があるということを悟られましたか?『彼らのある者が不平を言つたように,不平を言つてはならない。不平を言つた者は,亡す方によつて亡びをうけた。さてこれらのことは前例として彼らに起つたのであり,この世の組織制度の全き終に臨む私たちへの警告のために書かれたのである。』(コリント前 10:10,11,新世)彼らはいつたい何について不平を言わねばならなかつたのですか? ヱホバは彼らをエジプトの圧迫から救い出され,そして,飢えることもなく寒さで苦しむとか,裸でいることのないように愛のある仕方で彼らを保護して養つたではありませんか? 彼らは何一つ心配する必要はなかつたのです。しかし,このことが全部なされた後であつても,ちようど甘やかされた泣きむしのように彼らは不平を言いました。イスラエル人の前例は,今日いまの不平家に適用することを決して忘れないで下さい。

      16 約束の地に入る間際のイスラエル人が直面したそのような生命,そのような安全な見込みが前にくりひろげられているならば,誰でも満足であるとあなたは考えるかもしれません。ところが,彼らはそうではなかつたのです! 彼らはヱホバの贈物をけいべつし,絶えず不平を述べて,自分自ら不幸な気持をいだくようになりました。イスラエル人が自分たちのためになされたヱホバの業を認めなかつたことは,まつたく愚かであると私たちは容易に理解することができます。しかし,当然になすべきことですが,私たちはその教訓を今日の状態に適用し,不平を言うことはどれ程重大なことであるかを理解していますか?

      17 幸福を保つため,神の備えものと運営について不平を言うことは,いまなぜ愚かですか?

      17 幸福を得ようとするためには,ヱホバの備え物を鼻であしらつたイスラエル人のように,ヱホバからより多くのもの,より良いものを要求すべきではありません。イスラエル人は愚かにも,それは良くもなければ,時機に適わず自分たちの気にいらないと泣き叫びました。それで,もはやヱホバが与えるため導かれていた相続を得ることはできなかつたのです。彼らは荒野で死ぬことになりました。それと同じく,いま神の運営の仕方に不平を言う人々も,間近かに迫つている新しい世の祝福を得ることができず,そして現在の幸福をも失います。ヱホバは新しい世を不平家で充たしません。そのことは丁度その時代の全部の者が不平を言つたために約束の地に入れなかつたという予言的劇の示す通りでした。―民数紀略 13,14章。

      18 将来を深く考えるとき,どんな行は愚かですか? これと関連して,誰の経験を想い起しますか?

      18 新しい世の祝福を深く考えることは,心を躍ろかすものであり,口や筆で言い表わすことができません。かつて,昔象徴的に言われたように,新しい世は『乳と蜜の流る地』に必らずなるでありましよう。(民数 13:27)そのような輝かしい将来を前に持ちながら,この世に後戻りしようなどと考える人は,いつたいいるでしようか? 約束の地に入るその間際になつて,辛いことと困難に直面したため,イスラエル人の全員は泣き叫びましたが,いま彼らの経験を思い起して下さい。『それで全会衆は声をあげて叫び,人々はその夜中泣き叫んだ。イスラエルの子はみなモーセとアロンに不平を言い始め,全会衆は二人にむかつてこう言つた。「ああ私たちはエジプトの地で死ねば善かつたものを。荒野で死ねば善かつたものを。ヱホバはなぜ私たちをこの地に導いて,私たちを剣で倒させるのか。私たちの妻や子は掠奪されてしまうであろう。エジプトに戻る方が良いではないか?」互にこうまで言いました「一人の長を任命し,エジプトに戻ろうではないか」』― 民数紀略 14:1-4。

      19 あらゆる民の中で,なぜヱホバの証者は不平を言わず幸福ですか?

      19 不平を言うことは,イスラエル人の場合のように憫めな存在に導きます。ヱホバは御自身の今日の証者を悪い世の圧迫から救い出されたということを忘れないで下さい。ヱホバの証者はこの悪い世の恐れを恐れず,そのわずらいに加らず,その重荷の下で働きません。私たちもまた保護をうけており,すばらしい霊的な仕方で養われており,そして栄光に充ちる新しい世は私たちの目標であることを記憶いたしましよう。なにか不平を言いたいと強く感ずるならば,私たちの動機を調べ,そして泣き叫んだイスラエル人のしたように,ヱホバを度外視することのないようにしましよう。ヱホバは私たちを何処に導き,また御自分の制度をどのように運営されるかをたしかに知つておられ,それにはあり余るほど多くの証拠があります。制度にかたくつき従い,制度の指示を忠実に守る人々は,非常に幸福な満足した民であります。この見方を持ち,神がむかし御自分の民のために成しとげられたすばらしい事がらを常に心に留めましよう。私たちのために神が今日なされていることと,そして私たちのものである将来の明かるい前途を決して忘れません。これら幸福な考えを心に思いつつ,私たちの忠実をかたく守ろうと決心しております。それに,過去の出来事を考えてみるとき,あらゆる民のうちでヱホバの証者は不平を言う理由を持たない民であると結論いたします。まつたく,ヱホバの証者は,キリスト・イエスのしたごとく,『幸福な神』を反映しつつ,不平を言うことなく,幸福であります。

  • 徳を高めるものを追い求めよ
    ものみの塔 1955 | 6月15日
    • 徳を高めるものを追い求めよ

      1 すべての人は幸福を欲していますが,クリスチャンには,なぜ他のすべての人よりも,物事の明るい面を見る理由があるのですか?

      ヱホバは御自身の像にしたがつて人間を創造されている故に,すべての人は幸福になることを欲します。クリスチャンは一般の人よりは,より一層幸福な者であります。クリスチャンは,物事の明るい面をいつも見ていますが,それは当然の理由があるのです。クリスチャンだけが,真正なよろこびをもたらす良いたよりの真実の源を持つているのです。(マタイ 5:3; 24:14,新世)神を崇拝し,忠実に神への奉仕をするとき,現在および永遠の幸福をたしかに受けることができます。(ヨハネ 13:17。マタイ 7:24)神に善意な気持ちを持つ多くの人にとつて,その結果は地上における永遠の生命であり,果てしない祝福をうけることです。『なんじ御手をひらきてもろもろの生けるものの願望をあかしめたもう。ヱホバはそのすべての道に正しく,そのすべての御業にめぐみ深し。』― 詩 145:16,17。

      2 私たちはヱホバの善に,どのように答え応ずることができますか?

      2 私たちはみなヱホバの善にたいして,まつたくうれしく感じます。さらに,感謝の心を持ちつつ次のイエスの言葉を守ることができます。『受けるよりは与える方が幸福である。』(使行 20:25,新世)幸福な人々,つまり親しい態度を持つていて他の人をも,自分たちの幸福に参加させようと強く願う人々を,ヱホバは御自分の崇拝のうちに共に召し集めておられます。それらの人々の会話は徳を高めるものであつて,彼らは他の人に不備の点が一つもない神の御国について良く語り,そして教えます。

      3 ヱホバの証者は,どんな態度をもつて,霊的に奪われ,裸にされ,そして打たれている者を慰めるべきですか?

      3 この希望を持つて奉仕の行をするとき,悲哀,悲しみそして苦難でくるしむ不満の人の充ちるこの世に生活していても,人は幸福を保つことができます。それは慰めをうけたいと欲する人々に慰めとよろこびが与えられるということです。この世にいるそのような多くの人は,善い隣人サマリヤ人についての譬話の中でイエスの示した級の者たちです。不運な『ある人』のように,彼らは霊的に奪われ,裸にされ,そして打たれています。この世の人々は偽りの宗教,貧乏,そして他の個人的な問題の重荷を背負わされている故に,クリスチャンは伝道をする際,人々に憐れみの気持ちを持つべきであります。それらの人のところに行き伝道しなければならないことは,丁度この世の重みが自分の肩の上にのせられているかのように,重荷が課せられているなどとクリスチャンは感ずべきではありません。人々は渋い顔付きをしていやいやながらの施しものを頂く『多くの乞食』ではないのです。それで,ヱホバの証者は不平を言わず,すべての人に憫れみの行をなし,よろこびの音信でもつてその霊的な傷を治療し,善い隣人であることを立証しております。―ルカ 10:33-37。

      4 (イ)イエスはどんな昔の予言を成就しましたか?(ロ)よろこんで豊かに与えるならば,その報いは何ですか?

      4 ヱホバを讃えるときに,私たちはヱホバの御子の心持を模倣いたします。御子は昔の予言を実に良く成就しました。『主ヱホバの霊われに臨めり。こわヱホバわれに膏をそそぎて貧しき者に福音をのべ伝うることをゆだね,我を遣して心の傷める者をいやし,……すべて哀しむ者をなぐさめ,灰にかえ冠をたまいてシオンの中のかなしむ者にあたえ,悲哀にかえて歓喜のあぶらを与え,うれいの心にかえて讃美の衣をあたえしめたもうなり。』(イザヤ 61:1-3)御子がなしたと同じように,私たちはヱホバを多く讃美することから豊かな報いを苅りとることができます。『少しだけ播く人は,また収穫も少しであろう。豊かに播く人は,また豊かに収穫するであろう。その心に決めた通り,おしむことなく,また強制されずに行いなさい。神はよろこんで与える人を愛されるからである。』― コリント後 9:6,7,新世。

      5 伝道したキリスト・イエスの心持ちは何でしたか? 彼は何を避けましたか?

      5 私たちはキリスト・イエスの心持ちを模倣することができ,そして,それから多くの益をうけます。利己的な見地から見ると,イエスには不平を言う多くの理由がありませんでしたか? 彼はまつたく大きな犠牲を払われました。ひとりだけで地に遣わされ,大きな全世界にわたる証言の業を始めるのにただひとりだけだつたのです。苦しみ,反対,そして迫害という面で,彼は私たちが経験し得るもの,あるいはそれ以上のことをみな経験されました。彼の伝道した人々は,無関心であつて,大部分の者は貧乏に苦しみ,しかも偽りの宗教を行つていました。しかし,イエスは自分の困難を嘆かず,また不平を言わず,そしてそのような民に伝道する割当を悲しむことなどをしなかつたのです。イエスは御父の御意にかなう仕方の中に,まつたく不平を言わず,心から進んで行いました。そして次のように人々を招きました『荷を負つて疲れている人々は,私のところに来なさい,私は生気づけよう。私のくびきを取つて弟子となりなさい。なぜならば私は温和であつて,心のへりくだつた者であるからあなた方は魂の生気を得るであろう。私のくびきは親切のものであり,私の荷は軽いのである。』(マタイ 11:28-30,新世)彼の音信は元気づけるもので,また慰めを与えるものでした。彼は本当に『やさしい恵みを持つ御父,そしてあらゆる慰めの神』を正しく反映していました。―コリント後 1:3,新世。

      6,7 良い隣人であるために,クリスチャンたちは自分の兄弟たちにたいしてどのような振舞をしますか?

      6 すべての人にむかつて推奨し得るなんという立派な態度でしよう! ヱホバの祝福をいただくことはたしかです。詩篇 41篇1,2節は,こう述べています。『よわき人をかえりみる者はさいわいなり。ヱホバかかるものを禍の日にたすけ給わん。ヱホバ之をまもり,之をながらえしめたまわん。かれはこの地にありて福祉をえん。』真の幸福とは,自分の隣人に愛と援助を示す道を探すことにあります。そしてそれは,彼らの不幸や弱点について不平を言うことではなく,慰めを与え,かつ徳を建てる真理でもつて彼らを強めることであります。

      7 キリスト・イエスは二つの大きないましめの2番目のいましめを与えられたとき,隣人に対するクリスチャンの苛評の態度および不平を言う態度を禁じております。『自分自身のごとくあなたは隣人を愛さねばならない。』(マルコ 12:31,新世)自分について正直であれば,私たちは自分の間ちがいや欠点を認めます。私たちが間ちがいをするとき,自分を嘲笑したり,侮辱しますか? 自分自身を愛する故に,自分自身を直そうと正直に努め,そして正しい道を歩もうとします。これは心の平和と幸福を与えます。私たちにごく近い隣人,つまり兄弟たちと共に奉仕して行くとき,私たちは同じ原則を守ります。兄弟たちに愛と援助を差しのべる道を求めるならば,私たちは幸福です。

      8 会衆の中で間ちがいがあるとき,誰から非難と批評をうけますか? 誰が直す手段を設けられますか?

      8 会衆内の僕が間違いをすると考えるとき,あなたは怒りを感じ,他の人にむかつて不平を言いますか? そのような場合であつても,非難をしたり公やけに批評することは正しいと認められるものではありません。『あなた方は神に悪を述べてはならず,またあなた方の民の中の長を呪つてはならない。』(出エジプト 22:28,新世)ペテロはキリストを二度否認しました。(マタイ 26:69-74)別の時に,ペテロは『良いたよりの真理に従つて正しく歩んでいなかつた』こともありました。(ガラテヤ 2:11-14,新世)しかし,御自分の制度を正しく直される方はヱホバであります。正しく直すことは,不平を言つたり噂話をすることでなされるのではなく,ヱホバが御自身の制度を通し,御自分の時と仕方にしたがつてなされるのです。―ペテロ前 1:17。

      9 幸福に住み,また私たちの会衆が栄えるのを見るために,私たちはどんな道を追い求めるべきですか?

      9 すべての者が次の原則を記憶するならば,非常に良いことでありましよう。つまり,私たちの兄弟を信仰に建てることは,幸福を保つ道であるということです。『それで,平和をつくる事がらや,また互いの徳を高めるものを追い求めて行こうではないか? 神の業をこわすことを止めなさい。』(ロマ 14:19,20,新世)この道を追い求めることは,非常に良いことであり,また良い結果を得るものです。私たちはみな兄弟たちと仲良く平和に,またよろこびのうちに行つてゆきたいと欲しており,そして自分たちの会衆が栄えるの見たいと欲します。『それで,主にあつて囚われ人である私は,あなたがたに勧める。あなた方が召されたその召にふさわしく歩みなさい。また,まつたくへりくだつた心と温和さを持ち,寛容を示し,たがいに愛の中に忍び合い,平和のきずなで結ばれて聖霊による一致を守るよう熱心に努めなさい。すべての意地悪さ,怒り,憤り,さわぎ,そしてそしりを悪意とともに捨てさりなさい。お互いにあわれみを持ち,親切でありなさい。そして神がキリストにあつてあなた方を許したように,あなた方も互いにゆるし合いなさい。』― エペソ 4:1-3,31,32,新世。

      10 兄弟たちの徳を高め,そして自分自身の幸福のために,私たちはどの面で兄弟に対する愛を表明することができますか?

      10 『愛は徳を高める。』(コリント前 8:1,新世)これは兄弟たちと行うすべての交りの鍵であり,兄弟たちの徳を高めるだけでなく,また私たちの幸福にもなります。小さい事柄で,おたがいを啓発し,徳を高める機会は多くあります。私たちは,無作法であらあらしく,またとやかく批評をするこの世の態度を避けねばなりません。私たちはみな,宣教を改善するために養うある種の賜物を持つています。(ペテロ前 4:10。ロマ 12:6)私たちはこれらの賜物を用いて,兄弟たちに対する愛を表明することができます。『御霊の賜物を熱心に追い求めている以上,あなた方自身その賜物に富み,会衆の徳を高めるように努めなさい。』(コリント前 14:12,新世)毎週の『ものみの塔』の研究や他の会衆の集会で,兄弟たちの準備を助けたり,または註解をつくることを助けたりして,援助することができるでしよう。また年若い兄弟とか,または言葉の不自由な兄弟たちを援助して,神権宣教学校の研究生の割当の準備を助けるという機会もあります。家々で提供して行く際に,人はみな3分から8分の聖書の話を必要とします。兄弟たちにこの援助をさしのべることは,愛の表現ではないでしようか? しかもその援助は,兄弟たちを間ちがいなく幸福にするものなのであります。

      11 不和をなくすために,私たちはなぜ愛を働かすべきですか?

      11 クリスチャン愛を働かして,兄弟たちとの不和や論争をなくすることは,非常に実際的なことです。いまやそのことをなそうと心から強く欲しています。『しかし,万物の全き終は近づいた。それで,健全な心を持つて注意し,祈に精進しなさい。愛は多くの罪を覆う故に,なによりもまずたがいに熱く愛し合いなさい。不平を言わずに,お互いに仲良くしなさい。』― ペテロ前 4:7-9,新世。

      12 (イ)神によるどんな教を,私たちは行うべきですか?(ロ)会衆内の悶着を直し,問題を解決する正しい仕方は何ですか?

      12 愛の御心を持たれる私たちの創造者は,人間が幸福を得て保つために何を必要とするかを知つておられます。創造者のなされている仕方,つまり友なる人に愛を示すことにより幸福を得る方法を教えることは,創造者の御心をよろこばすものです。私たちはこの教えを熱心に行い,そして良く学びたいと欲します。『さて,兄弟愛については,いまさら書く必要はない。お互いに愛し合うようにと,あなた方自身神より教えられているからである。実際のところ,あなた方はそれをすべての兄弟たちに行つている。……しかし,兄弟たちよ,あなた方に勧める。ますますそれを行い続けなさい。そしてあなた方に命じたように,静かな生活をなし,自分のことだけに気をつけ,自分の手ずから働くことを目標としなさい。』(テサロニケ前 4:9-11,新世)私たちが模範を示してその徳を高め,とやかく探つてけなすということをせず,いつしよに定期的に働き,そしてヱホバ讃美のその進歩を賞めるという援助の仕方で愛の心からその徳を高めるならば,会衆内の兄弟たちは,私たちと共に働くことをまつたく感謝するでしよう。会衆の中になにかの悶着あるいは問題があれば,兄弟たちを急いで責めたり,非難したり,そして公やけの叱責をうけさせてはなりません。なにかが悪いのであつて,ある人は非難されるべきであるなどという態度を取つてはなりません。きびしい叱りの言葉を言つて脅しつけるようなことをせず,むしろヱホバがすべての者に豊かに与えられた慈悲の精神を表明し,愛のある模範によつて正しく直すことができます。

      13 ヱホバの証者の会衆内に,どんな精神が存在していますか? 監督の地位を持つ者が正しい模範を示すことは,なぜ非常に大切ですか?

      13 今日ヱホバの証者の会衆を見てみますと,大部分の多くの会衆の中にすばらしい精神が存在しています。特に兄弟たちがたがいに愛し合い,親切であるところ,そして不平を言わず嘲笑したり馬鹿にすることがないところでは,ヱホバは多くの祝福を与えました。クリスチャン会衆に来る善意者は,不平を言わない態度を直ぐ学んで実践し始めます。『最後に,兄弟たちよ,主にあつてよろこび続けなさい。……私たちの多くは円熟しているのであるから,このような心を持とうではないか。どの面にしろ,これとは反対のことを考えるならば,神はあなた方に上なる態度を示されるであろう。兄弟たちよ,どうか私にならう者になりなさい。私たちの模範に一致して歩く人たちに目をとめなさい。』(ピリピ 3:1,15,17,新世)兄弟たちは正しい模範に従うものです。それで,円熟している者,および監督の責任を持つ者たちが不平を言わず,兄弟たちの徳を高める正しい模範を示すことは非常に大切なことです。

      14 ヱホバの制度に,不満を唱えたり不平を言う習慣を持ちこむことは,ヱホバによつてなぜ許されませんか?

      14 イエスの時代と同じく,クリスチャン奉仕の道に努めて従おうとするすべての人にとつて,業や問題,苦しいことや艱難は当然普通のことであります。おそらくは,不平を言いたいような事柄があるでしよう。しかし,あらんかぎりの力でもつてこの誘惑に反抗しなければなりません。そうしないと,その誘惑は,人生における唯一の価値あるもの,つまり神に奉仕する幸福を私たちから遂には取りさつてしまうでしよう。ヱホバの欲しておられることは,私たちがこの世と違うものになることです。そしてヱホバは御自分の民をこの世から分けています。彼は御自分の民を分離し,新世社会として生活するよう教えています。そのように分離されるとともに,不平を言い欠点を探すという精神はなくなつて行きます。ヱホバの制度は,新しい世の標準に従つて生活しようとますます努める,忙しいかつ幸福な民で成り立つています。どんな人であつても,不満を唱えたり不平を言う古い世の習慣を新しい世に持ちこむことは,ヱホバの許すところではありません。ひとりが不平を言うと,すぐに他のものも不平を言い始めます。そして,不平を言う者はたいていの場合,伝道していない人,あるいはごくわずかだけ伝道している人であるということに,あなたは気がついていますか?

      15 さらにどんな助言が与えられていますか? その助言に従うとき,どんな満足が結果として得られますか?

      15 私たちは不平を言わず,むしろヱホバが私たちに置く責任を心から進んでよろこんでひきうけます。私たちはヱホバに確信を置きつつ,ヱホバの望まれるような生活と奉仕を行つて,満足を得ようと努めます『不平を言わず,また言い争いをしないですべてのことを行い続けなさい。それは,この邪しまな悪い時代にいて,あなた方が,汚れを持たず非の打ちどころのない神の純真な子供となるためである。あなた方はこの時代の中で世の光として輝いており,生命の言葉をかたくしつかりと保つている。それで,私の走つたことは無駄でなく,熱心に働いたのは無駄でなかつたため,キリストの日に大いによろこぶことができるのである。信仰があなたがたを導いた犠牲および公共の奉仕の上に,私の血がたとえ注がれるにしても,私はよろこび,あなた方すべてとともによろこぶのである。さて,同じようにあなた方自身もよろこび,私とともに大いによろこびなさい。』(ピリピ 2:14-18,新世)このようにして,ヱホバの御意がなされていると知り,私たちは全く満足することができます。

      16 欠点を探したり,噂話をする人がいる会衆では,何が欠けていますか? さらにどんな危険がありますか?

      16 あなたの会衆は,ヱホバのよろこびに充ちみちる祝福された兄弟たちの交りですか? 民主主義の国にいる兄弟たちは,時折これを持たないことがあります。その会衆を訪問してみると,なにかが甚しく欠如しているように見えます。物質上の進歩とか伝道の大きな自由という恵まれた環境を持ち合わせながら,なにかが欠けているように見えます。そこに,欠点を探す人や噂話をする人がいることはたしかです。人を怒らせたり,分裂を引き起す人は目立つています。そのような環境の中では,大部分の兄弟はヱホバに奉仕するよろこびを奪われています。それに,多くの場合,伝道者は円熟にむかつて,殆ど進歩せず,会衆は増加していません。そのように不満を言つたり,不平を言うことは,ヱホバの心をよろこばしません。それはすべての人からよろこびをなくします。それはヱホバを毎日讃美する者の現在の生活より,よろこびを取りさり,それにもしそれが続くものならば,それは生命自体をも取つてしまうでしよう。

      17 全体主義の国のように迫害の大きいところで,兄弟たちの状態はどのようですか?

      17 大きな迫害がなされているところでは,愛・調和,そして幸福という真実の精神が充ち充ちているという事を,しばしば気づいたことがありませんか? おたがいに定期的に集まつたり,伝道したりすることには,恐ろしいほどの障害があります。しかし,兄弟たちはその障害を克服し,しかも幸福に感じているのです。兄弟たちは圧迫から解放され,悪い古い世から自由にされたことを真実に悟り,感謝しています。迫害にもかかわらず,ヱホバは彼らを保護しておられ,霊的に養われるよう取計らつておられます。それで,これらの兄弟は自分をあわれむことをしません。誠実に忠実を守る故に,長く牢獄に入れられるかもしれませんが,しかしそれでもつて絶望したり,あるいは不平を言うことはありません。それどころか,ますますもつて,いただいたところの祝福や恵みをみとめ,またそれはみな過分のものであると考え,動かざる信仰を保ちます。彼らはいつも走りまわつて,どれ程自分はつらい時にぶつかつているかを他人に知らせることなどはせず,それに自分の難しい問題を滔々と述べたり,不平を言うことはありません。これらの兄弟は,難しいことがあつてもぜんぜん失望することはありません。難しい問題や迫害にもかかわらず,業は中止せず,それに妨害をうけてはいません。良いたよりは伝道されています。善意者は良いたよりを聞いており,全体主義の国の中であつても,新しい世の社会の中に来て交つております。

      18 そのような環境にいるヱホバの証者の経験から,どんな教訓が得られますか? そして,他の者にどんな利益を与えますか?

      18 ヱホバは不平を言わないそのような証者たちに,御自分の霊を豊かに注がれました。彼らは栄え,その結果はすばらしいものでした。多くの自由を持つ国々にいる兄弟にとつて,これ ― つまり,不運な環境にいる兄弟たちの示すこの愛と一致のすばらしい霊は,なんという教訓なのでしよう! 自分たちだけがヱホバを崇拝して幸福になるだけでなく,実際に自分たちのよろこびや幸福を他の人にのべひろめるという真実の望みがあるのです。伝道をする際に,真の慰めをもたらす心気一新の音信をたずさえ,彼らはイエス・キリストに模倣しています。彼らの経験談や,また忠実を保つていることを聞いて,すべてのものの心は大いによろこびます。―テサロニケ前 3:4-10。

      19 不平の精神を取り除き,謙虚な精神を保つために,何を記憶しなければなりませんか?

      19 今日のヱホバの僕たちが悲しく思い,不平を言う理由はまつたくありません。ヱホバの愛ある御準備,僕たちに対するヱホバの関心,また絶えず注意を払われていることからして,僕たちは当然にいつ幸福であるべきです。それは僕たちを援助して,不平の精神を取り除き,ヱホバの制度に全く献身しつつ,謙虚と柔和の精神を保たせるでしよう。『それであるから,神の力ある御手の下に自らを低くしなさい。神は正しい時にあなた方を高め,そして神はあなた方に関心を持たれているのであるから,すべての思いわずらいを神にゆだねなさい。』(ペテロ前 5:6,7,新世)つぎに私たちはヱホバにむかい同じく関心を持つべきです。そして,自己本位や利己的にならず,また何事も当り前であるなどと感じたり,あるいはヱホバとその制度は私たちに何かする義務を負うているなどと感じてはなりません。あなたにとつて最善と思われる仕方で事柄がなされないならば,新しい世の社会にいないなどという僭越な考えを避けなさい。ヱホバは何人に対しても,まつたく義務を負つていないのです。『あなた方は本当にこの過分の御親切により,信仰を通して救われたのである。それは義務的なものではなく,神の贈物である。』(エペソ 2:8,新世)私たちはみな非常に価値あるものを与えられました。生命と毎日の讃美の奉仕に導くものは,真理であります。私たちのもつすべて,および私たちが得ようと希望するすべては,みなヱホバのお蔭によるのです。忘恩者にならないようにしましよう。そして,弱少な人間である私たちがより多くのものを期待するとか,あるいは人間自身でより良いことができるなどと考えて,ヱホバの贈物をけいべつすることなどがないようにしましよう。何ごとよりもまず,不平を言うのを避けましよう。というのは,もし不平を言うならば私たちは伝道を止めるようになり,そして必らず不幸になるからです。

      20 クリスチャンが幸福を保つて栄えるためには,何が必要ですか?

      20 これらの事がらを正しく考えてみると,次のような結論が得られます。つまり,幸福を保つ道は不平を避けることであり,兄弟たちの徳を高め,会衆の徳を立てることです。すべての困難に打ち勝つために,私たちはただヱホバの指示に従い,またよろこびの気持の中にその指示を行い,そして何をすべきかについて不平の態度を取り除くべきであります。私たちが栄えて満足するのに必要な指示をヱホバは与えておられます。永遠の福利のために,私たちは心から進んで従順に従い,つねに指示を敬つて,かつその指示通りに歩まねばなりません。

      21 物事を正しく見るとき,ヱホバに献身した私たちはどれ程幸福ですか?

      21 正しい見地を取るときに,たとえ試錬や,苦痛や迫害が伴うとも,ヱホバの崇拝と奉仕は,もつとも幸福な経験であります。今日の世界を見まわしてみるとき,ヱホバに献身した私たちは,それと比較してみてなんと幸福な者たちであるかを悟ることができます。私たちの運命について不平を言う理由は,まつたくありません。『それで,神の御意にしたがつて苦しみをうける人々は,善を行うかたわら自分のたましいを忠実な創造者にゆだねなさい。』(ペテロ前 4:19,新世)ヱホバの御目的は,ヱホバおよび新しい世についてのヱホバの取り極めを罵つて「主を無視する」すべての人に裁きを執行し,御自分の幸福な讃美者を救つて,生きたまま正義の新しい世に入れることであります。―ユダ 8,9,14-16,新世。

      22 ヱホバの制度になされる圧迫にもかかわらず,私たちはなぜよろこび,勇気を得ますか?

      22 「悪魔の世」は悲哀と悲しみで充ちており,不幸な状態におります。といつて,ヱホバの証者が不幸になる理由はありません。良いたよりに反対する者がヱホバの制度にもたらすあらゆる抑圧にもかかわらず,私たちはヱホバの制度の繁栄と増加に驚嘆します。私たちはかたく立つて伝道の業を続け,そして私たちに与えられたヱホバの保証から勇気を得ます。『私の兄弟たちよ,いろいろな試錬に会うとき,それをみなよろこびと考えなさい。またあなた方の知つているように,あなた方の信仰のこの試験された性質は,忍耐を産み出すのである。試錬を耐え忍ぶ者は幸福である。善しと認められたときに,その者はヱホバを愛する者たちに約束された生命の冠をうけるからである。』― ヤコブ 1:2,3,12,新世。

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      『そこで,あなた方の歩き方によく注意して,浅はかな者のようでなく,賢い者のように歩き,今の時を自分のものにしなさい。現在は悪い時代なのである。それであるから,無分別な者にならずヱホバの御意が何であるかを悟りなさい。』― エペソ 5:15-17,新世。

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