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恐れにみちた世界で勇気を得るものみの塔 1965 | 7月15日
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惑い,人々は世界に起ろうとする事を思い,恐怖と不安で気絶するであろう。もろもろの天体が揺り動かされるからである」。(ルカ 21:25,26)人類は明るい前途と将来の目的を見失って,苦悩と絶望感を味わっています。あと二,三年のうちにどんな事態が起こるかを考えるだけでおそろしくなります。「海と大波とのとどろき」は,原子時代が進むにつれ,また恐怖の時代からぬけ出すための空しい努力がつづけられるにつれて,いっそうの意義を持つようになるかも知れません。天のしるしと地上の事態のなりゆきは,神を知らず,希望を持たない人々を恐怖に陥れます。
あいつぐ災によってこの時代の人々が恐怖におとしいれられた真の原因を見落としてはなりません。神のことば聖書だけがその原因を明らかにしています。人々が認めても認めなくても,人類は見えない悪霊の影響をこうむっています。1914年を過ぎて間もなくしてから,人類はこの見えない力の影響を,かつてないほどに受けてきました。聖書の預言によれば,神の支配を度外視してつづけられてきた国家ないし帝国の支配は1914年に終わりを告げるべき時を迎えました。その年,天のキリストの国が支配を始めたからです。使徒ヨハネが霊感によって見た幻は,その年,キリストおよび天使の軍勢が,サタン悪魔および悪鬼の軍勢と天において戦ったことを示しています。ヨハネはこの戦いの結果を次のように描写しました。「この巨大な龍,すなわち,悪魔とか,サタンとか呼ばれ,全世界を惑わす年を経たへびは,地に投げ落され,その使たちも,もろともに投げ落された。その時わたしは,大きな声が天でこう言うのを聞いた……地と海よ,おまえたちはわざわいである。悪魔が,自分の時が短いのを知り,激しい怒りをもって,おまえたちのところに下ってきたからである」― 黙示 12:9,10,12。
今日の人々を支配している恐れを取り除くことができないのも,不思議ではありません。恐れと苦しみをもたらして圧迫を加え,全人類を神に敵対させようとしている見えない敵の手だてに,人間は対抗できません。(ヨブ 1:9-11)神の助けがなければ,人間は「この世の神」のなすがままになってしまうでしょう。
しかし人間が神を無視しているにもかかわらず,神は人間を見捨てません。神のことば聖書は,この恐れの時代の意義を明らかにしています。そのうえ神は全世界に証人を遣わしました。これらの証人の伝える音信は,恐れが今日の人々の心をとらえているわけを説明し,また恐れと悪の支配が間もなく終わって,キリストの国の治める平和と正義の世の到来することを告げています。現在の状態は,その事の証拠です。この利己的な事物の制度の下にある人々は支配者も国民も,エホバの証者が指摘するこれらの証拠を見てはいても,それを悟りません。彼らの心は利己的な考えと望みでふさがれているからです。(マタイ 13:22)それでイエスの次の預言をこの意味に解さなければなりません。「そのとき,大いなる力と栄光とをもって,人の子が雲に乗って,〔見えないさまで〕来るのを,人々は見るであろう」。(ルカ 21:27)人々はその事を告げられ,証拠を目のあたりに見ても信じません。そのために悩みとおそれにつきまとわれているのです。
どのように勇気を得るか
しかし死に至る恐れの道を歩む必要はありません。おそれに満ちた世にあっても勇気を出せるのです。イエスから次の慰めの言葉を受けた人々と共に歩むならば,勇気を得ます。「これらの事が起りはじめたら,身を起し頭をもたげなさい。あなたがたの救が近づいているのだから」。(ルカ 21:28)エホバを忠実に崇拝するエホバの証者は,世の多くの人々のように恐れに打ちひしがれてはいません。むしろ喜びと希望を抱いて,全人類の唯一の希望である神の国の福音を宣べ伝えています。自分たちの神エホバを知り,指導者,指揮者キリスト・イエスを知り,また愛の創造主に献身したこれらの人々は聖書の次のさとしに喜んで従いました。「彼等のおそるゝところを汝等おそるゝなかれ をのゝくなかれ なんぢらはたゞ万軍のエホバを聖としてこれを畏みこれを恐るべし」― イザヤ 8:12,13,文語。
それで増し加わる災や恐れは,おそれにとりつかれた人々の中にあって神の国を宣明する神のしもべのわざが間もなく成し遂げられること,世の支配者たちの加える圧迫と迫害から神のしもべの救われる時が近いことを物語っています。神のしもべは頭をあげています。災と苦しみと恐れと死を約束するに過ぎない,この事物の制度の支配者悪魔にもはやつながれていないからです。この悪しき支配者は間もなく活動を封じられ,1000年間,死の状態におかれるでしょう。大きな希望を持つ彼らは,キリストの治める勝利の御国の福音を全地に大胆に宣べ伝えるわざにますます励みます。
この幸福な民と共に歩む人は,窒息させるような恐れを捨てることができます。神とキリストのことを学ぶのは第一歩です。イエスは祈りの中で次のように言われました。「永遠の命とは,唯一の,まことの神でいますあなたと,また,あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります」。(ヨハネ 17:3)またこの世から離れ,神のみ心を行なうために無条件の献身をしなければなりません。献身してのちは,生命のあるかぎり献身を全うしなければなりません。主イエスは次のように励ましています。「あなたがたは,この世ではなやみがある。しかし,勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」。(ヨハネ 16:33)世に勝ったイエスは,イエスの足跡に忠実に従おうと努める人を常に助けます。ゆえに確信を抱いてエホバの民と積極的に交わり,おそれにみちた世にあっても,エホバの民と共に勇気を得て下さい。
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イスラエル人はあざらしの皮をどのように手に入れたかものみの塔 1965 | 7月15日
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イスラエル人はあざらしの皮をどのように手に入れたか
◆ あざらしというとすぐ北極や南極大陸を連想しますが,聖書によると,イスラエル人がシナイ半島で幕屋を作った時にあざらしの皮を用いたと述べています。(出エジプト 36:19)どのようにそれが可能でしたか。ある種のあざらしは温暖な気候を好み,今日でも地中海の一部その他の温暖な場所であざらしが棲息しています。何世紀にもわたって,人間はあざらしや鯨の数を減らしたのですから聖書時代には地中海や紅海であざらしが多くいたに違いありません。マクリントック・ストロング百科事典は古代ギリシャの地理学者ストラボのことばを引用し,シナイ半島の沿岸にはあざらしが多くいたと述べています。(ストラボの地理学16巻776頁)カルメット聖書辞典は1832年頃でさえ「紅海のシナイ半島附近の多くの小島にあざらしがいた」と述べています。
むかしのエジプト人は紅海で貿易を行ない,さらに地中海の各地方からも商品を輸入していましたからエジプト人は容易にあざらしの皮を入手する事ができました。その皮は耐久性があるため,貴重な物を悪天候から保護するのに用いられました。イスラエル人がエジプトを去った時に,すでに所有していたあざらしの皮を持ち運んだに違いありません。その上イスラエル人がエジプト人から高価な物を多く受け取った時に,さらに多くの皮を入手した事でしょう。後日,エホバの導きの下に幕屋を作った時にそのあざらしの皮が使われたのです。
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