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  • あなたは生活から本当の満足を得ていますか
    目ざめよ! 1974 | 11月22日
    • 守ること」であり,「そのおきては重荷で」ないことを知っているからです。―ヨハネ第一 5:3。

      どの大陸に住む人びとも,どの階層に属する人びとも,神のことばの正確な知識から生まれた神への愛こそ,満足のゆく生活を送るかぎであることを知りました。神の戒めは『重荷でない』ばかりか,それを守る者に今必ず益をもたらします。そのいくつかを考えてみましょう。

      「新しい人格」からくる益

      使徒パウロは,コロサイ 3章9,10,12,13節でこう助言しています。「古い人格をそのならわしとともに脱ぎ捨て,新しい人格を身に着けなさい。……優しい同情心,親切,へりくだった思い,柔和,そして辛抱強さを身に着けなさい。だれかに対して不満の理由がある場合でも,引き続き互いに忍び,互いに惜しみなくゆるし合いなさい」。あなたはあるいは,なんといったってわたしはそういう人間ではないんだ,と言われるかもしれません。しかし,聖書はあなたが変わるように助けることができるのです。そしてそれはなんと大きな価値があるのでしょう! こうした敬神的な特質は,毎日人にふりかかってくる多くのやっかいな問題に,たとえそれが,この記事の冒頭で述べた婦人の場合のように困った問題であっても,平静な態度でそれに立ち向かう助けになります。―エフェソス 4:20-32もごらんください。

      また,「淫行,汚れ,性欲,有害な欲望,また強欲……に関して,地上にあるあなたがたの肢体を死んだものとしなさい」という聖書の命令に従うときの益も考えてください。(コロサイ 3:5)また,「今は,そうしたものを,憤り,怒り,悪,ののしりのことば,またあなたがたの口から出る卑わいなことばを,ことごとく捨て去りなさい」という教えを守れば,なんと著しい祝福があるのでしょう。(コロサイ 3:8)そのような変化の結果当人とその愛する者たちが,清い良心や自尊心を持ち,健康になり,感情が安定してくるのであれば,あらゆる努力を払うだけの価値は十分にあります。

      生活必需品のことで「思い煩ってはなりません」

      食物や衣服のような必要物を手に入れるための思い煩いも,多くの人びとの生活から満足を奪い取っています。しかしイエス・キリストは,聖書のマタイ 6章31節から33節に記録されているとおり,こう助言されました。「思い煩って,『わたしたちは何を食べるのか』,『何を飲むのか』,『何を身に着けるのか』などと言ってはなりません。……王国と神の義をいつも第一に求めなさい。そうすれば,これらほかのものはみなあなたがたに加えられるのです」。クリスチャンは,自分からはなんの努力もせずに,神が奇跡的に備えてくださるのを期待しているというのではありません。聖書の規則は,「働こうとしない者は食べてはならない」です。(テサロニケ第二 3:10)しかし聖書は,神に強い信仰を置くように彼らを助けました。ですからそうした問題のために取り乱すようなことはしません。

      真に価値のあるものは何かにかんして聖書的な見方が深まると,さらに多くの欲求不満が解消されます。詩篇 119篇72節には,『なんじの[神の]口の法はわがためには千々のこがね白銀にもまされり』と記されています。物質よりも霊の事がらを高く評価する人びとは,使徒パウロと同じ思いを持っている人びとです。彼はこう言いました。「命を支える物と身を覆う物とがあれば,わたしたちはそれで満足するのです」。(テモテ第一 6:8)そういう人たちは,どんな境遇にあろうと,その中でじょうずにやってゆくのです。

      彼らは生活に満足を見いだした

      全世界200以上の国々で,聖書は人びとが欲求不満を克服して真に満足のゆく生活をするように助けてきました。カナダ海軍を退役したある在郷軍人の経験は,そのことを示す一つの例です。

      「第二次世界大戦中の4年にわたる戦争経験は,わたしを若い純真な志願水兵から,政治意識の強い,そして自分たちがそのために戦ってきた ― そう思っていた ― 自由と正義を守るために民間戦線で奮闘することに熱心な退役軍人に変えてしまいました。

      「自分の目標を達成するためには高等教育が不可欠のように思われました。そこでわたしはさっそく大学にはいりました。しかしまもなく次のことに気づきました。つまり,現行の政治制度や経済制度は,公平な裁判,機会の均等,純粋の友愛といった,人びとが必要としているものを満たすにはあまりにも不備であるということです。わたしは幻滅し,ざせつ感に襲われました。

      「大学の過程も半ばになったころ,妻とわたしはエホバの証人と聖書の勉強をはじめました。ついにわたしたちは,いだいていた疑問に対する答えを得はじめました。人間の支配は,人間の必要を満たすことができないのだということをわたしたちは学びました。『自分の歩みを定めることさえ,歩む人によるのではない』からです。(エレミヤ 10:23,新)エホバ神の天の王国政府だけが,地の事がらを正しく管理することができるのです。神の王国はまもなく,腐敗した現体制を,『義が宿る』新しい体制と置き替えます。―ペテロ第二 3:13。

      「神が与えてくださった新しい体制についての希望は,わたしたちの生活の中の大きな空隙を埋めました。また,エホバのクリスチャン証人たちの中に,その新秩序で普及する聖書の原則によって支配される組織があることも知り,胸をおどらせました。これによって,過去23年にわたる正義に対する渇きはいやされました。

      「南アメリカに移住することを決意したとき,わたしたちの生活はさらに大きな満足を味わえるものとなりました。ここではわたしたちは,『へりくだるもの』を尋ね出して,その人たちが,きたるべき神の王国下の祝福を期待しながら意義ある生活を送るよう助ける特権を,あますところなく楽しんでいます。―詩 25:9。

      「現在の事物の体制を正すために空しい努力をする人びとが経験するざせつ感から救い出されたことを,わたしたちは本当に感謝しています」。

      財産は少なくても幸福

      4年前のこと,構成人員8人のある家族は,他の人びとが神のご意志を学ぶのを援助することにもっと多くの時間を用いたいと考えて,いろいろな事がらを調整しました。その結果,個人的に多くの満足を得ました。年上の5人の子どもたちは今,神のことばを他の人びとに教えることに全時間をささげています。どんなことからこの家族はそのようにしたのでしょうか。母親は次のように語りました。

      「第二次世界大戦後,夫とわたくしは経済的安定を求めて,オランダからカナダに渡りました。わたしたちの目標は,カナダに農場を持ってそこで子どもたちを育てることでした。農業はいちばん自然な生き方であり,農地はわたしたちが子どもたちに残してやることのできる最良の相続財産である,とわたしたちは考えていました。

      「しばらくの間,ことは順調にいっているように見えました。しかし生活費は上がる一方でした。家族は銀行預金よりも速く増えました。はたして目標は達成できるのか,それともわたしたちは風を追いかけているのだろうか,とわたしたちは考えました。

      「そのうちに,わたしたちの生活に大きな変化が生じました。エホバの証人との聖書研究を通して,神の約束された新しい事物の体制が,この世代のうちに実現するということを学んだのです。これによってわたしたちの人生観は完全に変わってしまいました。

      「子どもたちのために,相当の大きさの物質の財産を築き上げることに力を使い果たす必要はもはやないということにわたしたちは気づきました。近い将来に神は,みんなが快適な家と十分の食物を持ち,それとともに真の平和と安全を得るようにしてくださるのです。今重要なことは,出かけて行って,わたしたちが学んだすばらしい聖書の真理を隣人に知らせることです。

      「わたしたちのささやかな収入では,世の高価な品物を買うことはできませんが,食べる物と着る物が十分にあり,住む家もあるのでそれで満足しています。わたしたちは,『受けるより与えるほうが幸福である』ことを,個人的に経験しました。―使徒 20:35。

      「大家族の世話をする場合につきものの数限りない仕事の中にはまり込んでいる,という感じはもはやなくなりました。子どもたちが,料理,せんたくその他の家事を,自分から進んで手伝ってくれます。そのためにわたしたち全部が,『人びとを自由にする真理』を学ぶよう他の人びとを援助し,彼らも真に満足のゆく生活を楽しむよう助ける最も重要な活動に参加する時間を持つことができます」― ヨハネ 8:32。

      あなたの生活は本当に満足できるものですか。エホバの証人との無料の家庭聖書研究によって生活を満足できるものにするよう手段を講ずるのはいかがですか。お近くのエホバの証人と連絡をお取りになるか,または当誌の発行者に手紙でお申し込みください。

  • 印刷術,極東の古代産業
    目ざめよ! 1974 | 11月22日
    • 印刷術,極東の古代産業

      ヨーロッパで活版印刷が発明された西暦15世紀の半ばよりずっと前,極東ではすでに印刷が行なわれていました。早くも8世紀の終わりまでに,木の版を紙の上に押し付ける方法で幾十万部もの印刷がなされていました。

      日本の称徳天皇が「百万塔陀羅尼」という仏教の護符を印刷するように命じたのもその世紀のことです。西暦770年ごろに印刷が完成したものであるにもかかわらず,その護符のあるものは今日でもまだ残っています。

      中国にそれほど古い印刷物は残っていませんが,同様の印刷は中国でも行なわれていました。中国で印刷が行なわれたことを確証する最古の日付は西暦868年です。このこと,そして印刷産業の水準の高さを証明するものとして中国の敦煌付近で,洞穴の密閉された部屋の中から一冊の書物が完全な形で発見されました。

      それから二百年もたたないうちに,中国では活版印刷が行なわれるようになりました。活版印刷の発明者は畢昇でした。畢昇と同時代の人沈括は,次のように書いています。

      「慶暦[西暦1041-1049年]のころ,木綿の衣を着た人[つまり一般庶民]である畢昇は,活版印刷をも作り出した。……もし二,三部印刷するのであれば,この方法は便利でも速くもない。しかし,幾百幾千部も印刷するのであれば,すばらしく[字義通りでは『神わざのように』]速い」。

      印刷術が著しく発達した東洋のもう一つの国は朝鮮です。十世紀の終わり近くになって,そこで木版印刷業が行なわれるようになりました。高麗の顕宗(1007-1031年)の治世中,仏教の経典を集成した「高麗版 大蔵経 開板」の初版が印刷されました。1251年9月25日に発行されたこの印刷物の第三版は,合計5,200万字を含む8万1,137の木版を用い,約16年間の準備をかけて印刷されたものでした。現代の彫刻家が一日に彫れるのが漢字にして十字と考えられますから,その仕事はまさにとほうもないものでした。

      「高麗版 大蔵経 開板」の第三版が発行される17年ほど前に朝鮮でも活版印刷が始まったことを示す歴史上の形跡があります。その後1390年に高麗の王は活字鋳造場の設置を命じました。この王立活字鋳造場で,今日知られている最古の金属活字,キェミ・フォントが鋳造されました。これは1403年のことで,ドイツ,マインツのヨハン・グーテンベルクが活版印刷を発明したと思われる時より数十年前のことです。

      こうして活版印刷は,ヨーロッパよりも前に東洋で使われるようになったものの,それは極東の地では永続的なものとはならず,またヨーロッパにおける印刷術の発展と何ら関係を持ちませんでした。活版印刷が本当に経済的かつ実用的なものとなる点では,漢字を使う中国語,日本語,朝鮮語の文字は大きな障害となったのです。一方アルファベットで書かれるヨーロッパのことばは活版印刷にまさに最適でした。ですから,ヨーロッパにおける活版印刷の発明は,人々を知的に啓発する面で,すでに極東でなされていたその発明以上の影響を与えることになりました。

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