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災害を恐れない楽観主義者ものみの塔 1955 | 12月15日
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災害を恐れない楽観主義者
ある人々は,人生を呑気にくらし,楽しむだけ楽しみ,気楽に過そうという主義で暮してます。このような人々は,この世の状態に全く頓着せず少しも心配しません。しかし世界の情勢によく注意している人々は,未来をたいへん心配しています。
1955年の6月12日の『ニューヨーク・タイムス』に次のような社説がかかげられてありました。『我々は久しいあいだ,この近代世界のいわば冬の時代に住んでいる。恐怖は我々体内の血管を凍えさせている。奇妙に聞えるかも知れぬが,いまは体を暖める憎悪すらも充分にない。いまは,大闘争の時代ではなく,むしろ,憂慮に閉ざされた時代と云えよう。このような状態であるから,終りがくれば,かえつて幸運かも知れぬ,世界はもうその憎悪を示すこともできないであろうから。―実際のところ今の憎悪は自殺的のものであつて,死の直前の冷さである。しかしながら,人類の過去の誤ちを顧りみるとき,自殺的の憎悪が悪事態を回避できるという楽観的な希望を抱くことは困難です。
コロンビヤ大学の附属牧師クルム博士は,これと同じような意見を,卒業する160名の学生の前で述べました。今日,歴史に目を開いているものは心の底から楽観主義者になれない,また,聖書の示すところによると,未来は『奥義』のうちに秘められていると彼は語つています。『我らはこの地球を無人の球と化す能力を有している。その運命から我らを辛じて保つているのは,人類とその指導者がいままで養つてきた,いたわしきほど少量の叡智と忍耐と善意のみである。』彼の意見によると,この20世紀で一番珍しいことは楽観主義です。―ニューヨーク・タイムス,1955年5月30日。
では,楽観主義者は絶えてしまいましたか? つい最近に,少くとも50万名の楽観主義者がおります。それらの人々は,この地球と人類を待つている明るい未来についてのヱホバの約束に信仰をもつています。人類はこの地球を無人の地と化すことができるでしようか? いいえ。神は,「地を人のすみかに造られた」また,「はかつたことを必ず行う」と云われております。未来は,奥義のうちに秘められていますか? いいえ。神の予定のときがくると,『水の海をおほへるごとく,ヱホバをしるの知識地にみつべければなり。』『人の目から涙を全くぬぐいとつて下さる。もはや,死もなく,悲しみも,叫びも,痛みもない。』
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教育の基礎ものみの塔 1955 | 12月15日
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教育の基礎
何年たつても,聖書が時代遅れになることは決してありません。聖書は教育のための基礎ですから,いつも近代的なものです。ドイツの有名な著者,ヨハアン・ボルフガング,フォン・ゲーテは,聖書と教育について述べましたが,世界文学者のうちでも第一人者である,このゲーテは次のように語つています。『聖書は,その理解を深めれば深めるほど,美しいものであることを余は確信する。文化とか科学がどれ程発達し,人の心も進歩したところで,福音書のうちに燦然と輝いているキリスト教の水準と道徳文化を決してこゆることはないであろう。聖書は幾世紀ものあいだ,幾多の国々の人々によつて尊敬されてきたが,それは,いつも聖書のもつ真価のお蔭である。それは,たんに評判のよい本にとどまらず,人々の本である。時代が智的発達をとげるにつれ,教育の基礎として,教育の道具として,聖書は,ますます活用されるであろう。この真の教育は,学者ぶる者ではなく,まことの賢人を養成するものである。』― 聖書の卓越性(英文)28貢。
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