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  • 頭痛がするときにはどうすればよいか
    目ざめよ! 1972 | 11月8日
    • は自著「偏頭痛,病気の進展」(1970年)の中で次のように述べています。「激情は他のすべての激烈な状態にまして偏頭痛という反応を起こさせやすい。そして多くの患者,とりわけ典型的な偏頭痛に悩まされている患者の場合は,激情がほとんどすべての発作の原因となっている。…実際にわれわれは,突然の激怒が,急に偏頭痛を引き起こす最も普通の原因であることを知っている。しかし若い患者の場合は,恐怖(恐慌)も同じほどの影響があるかもしれない。(勝利を得た瞬間や,思いがけない幸運にめぐりあった時のように)急に得意になることも,同様の影響をおよぼすことがある」。感情のストレスのほかに,明るい光やひどい騒音にさらされるとか,空腹であるとか,アルコールを飲んだとか,チーズ,チョコレート,キュウリ,トマト,油っこい食物,小麦,タマネギ,オレンジなどを食べたことが原因となる場合もあります。

      よくあることですが,もしこれらの素因のひとつ,またはそれ以上があなたの場合にあてはまるなら,それらのものを避けるかまたは完全に除くなら,頭痛のひん度を少なくし,また予防することさえできるかもしれません。

      頭痛の予防

      頭痛の素因となるものは,生活のほとんどあらゆる面に影響をおよぼしますから,生活活動をある程度再調整する必要があるでしょう。食物や食習慣だけでなく,職場や家庭での状態,休息,気晴し,レクリエーション活動にも注意を払う必要があります。そして生活に対する見方や態度はさらに重要と言えるでしょう。

      平衡のよくとれた食事を規則正しく,節度を保ってとることは,食べ過ぎや消化不良にもとづく頭痛,または空腹がもとで起こる偏頭痛の予防に役だちます。自分の頭痛と関係があると思われる特定の食物またはアルコール飲料を避けるのはたやすいことです。

      もし職場の状態や仕事の性質が過度のストレスと疲労をもたらすものであれば,それを変える必要があるかもしれず,もしそれができなければ,仕事の予定を改善する必要があるかもしれません。健康をそこなうほど時間外労働をするのは確かに賢明とは言えません。家にいて家事にいそしむ主婦の場合は,毎日の仕事の実際的な予定を立てることが,過度のストレスや疲労を避けるのにたいへん役だちます。また職場でも家庭でも,適度の通気と正しい照明を確保することがたいせつです。

      睡眠を十分とることが必要ですが,熟睡することもたいせつです。そのためにまくらをもっと柔らかいものに,あるいはもっと堅いものに取り替えるか,もっと高くするかあるいは低くする必要があるかもしれず,また頭痛の原因の一部となりうる悪い姿勢や筋肉の緊張を避けるために,あるいは新しいマットレスを求めなければならないかもしれません。

      あなたの活動の再調整をするには,毎日少しの時間,たとえば食後10分か15分間,くつろぐことが必要かもしれません。もし,からだの全部の筋肉,とくに顔の筋肉の力を抜くことができれば,筋肉の緊張は大いに和らげられます。

      レクリエーション活動を行なうことも,楽しいばかりでなく,有益です。望ましいレクリエーションは,家族とともに楽しめるもの,エネルギーを過度に必要としないもので,きまりきった日常の生活に楽しい変化を添えるものです。たとえば,動物園とか海岸に行くこと,あるいは,さまざまな種類の創造物を観察する機会のあるいなかを散歩するなどは,その部類にはいるでしょう。

      必要かもしれないいちばんむずかしい変化,そして緊張やストレスや疲労などを相殺する最も大きな可能性をもつ変化は,人生と人生の諸問題に対する見方,もしくは態度の再調整でしょう。もし『柔和で静やかな霊』をつちかい,人びとや情況にいらいらさせられるような場合でも平静を保てるようになり,財産や快楽のあくなき追求と比較して,満足するということに価値があるのを認めることができ,他人の福祉にも無私の関心を払って自分のことばかり心配しすぎないようにすることができれば,緊張性頭痛や偏頭痛の原因となる感情的ストレスや緊張を除くのに大いに役だつことでしょう。―ペテロ前 3:3,4。テモテ前 6:6-8。

      圧迫の多い現体制のもとでは,頭痛の原因になる事柄を避けたり,根絶したりするのはたいへんむずかしいことかもしれません。器質性のものにせよ,機能性のものにせよ,治療法や予防法はたくさんありますが,苦痛へのすべての束縛の最後的な除去は,神の王国の支配下のこの地上に復興する楽園の中で人間が再び完全にされるまで待たねばなりません。その時が来て初めて人間は,あらゆる頭痛から完全に解放された生活を楽しむことが期待できるのです。―黙示 21:4,5。

  • 献血者?
    目ざめよ! 1972 | 11月8日
    • 献血者?

      ● ロンドン大学のリチャード・チトマス教授は,その著書「贈与関係」(1971年版)の中で,輸血のために得た血液に関しこう述べている。「すべての国の社会には多くの神話があるが,アメリカもその例外ではない。今日,その国できわめて根強く受け入れられている神話の一つは……自発的供血がおもな方式で,供血の大半は有志者による献血であるということである」。

      この著者は,「供血者」の八つの異なった分類を示唆している。次のとおりである。「市場の受け入れに応じて自分の血を売る」報酬を受ける供血者。「登録がしてあって,半永久的,または半ば給料の支払いを受ける定期的な取り決めに従って,血を譲る」職業的供血者。「現金の支払いを受けるが,そのおもな動機は,報酬ではないと唱える」報酬の勧誘による自発的供血者。手術のさい,自分の『借りた』血液の料金を請求された人で,血液を返してその料金を払い戻してもらうことのできる,義務料金供血者。「毎年570ミリリットルの血液を預血し,その代わりに…一年の間,本人と家族の者の血液の必要量が『保証』される」という家族信用貸し供血者。「献血するよう要求また期待される」,軍隊や刑務所内の人びとのような,捕虜自発的供血者。「もし献血をしないなら,彼らは非難や侮辱にさらされるかもしれないし,あるいは,そうした拒絶行為が彼らの将来に,不利な影響を及ぼすと信じこまされるかもしれない」。恩典自発的供血者とは,たとえば仕事の休みや休暇の延長など,「非金銭的な形で……有形の報酬を受けるという期待によって,引きつけられたり,誘われたりする」人びとのことである。自発的社会供血者とは,「『無償の人的贈物』という抽象概念に,現実の社会で,最も接近した」人のことである。

      同教授は,1965年から1967年までの間に,アメリカで採血された血液の推定量の一覧表を,前述の本の中に載せている。その表は,「自発的社会供血者」から採血された血液は,全体の7%にすぎないことを示している。このことから,著者は次のように述べている。「『献血』するとは,愛他的な動機を暗示することばである。厳密に,しかもより客観的に言えば,この学問の語いの中で,「供給者」が「献血者」にとって代わるべきである」。―71-96ページ。

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