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  • もし肺がものを言えたら!
    目ざめよ! 1971 | 12月22日
    • 1%しか含まれていない。21%くらいは酸素で,吐き出されたときでもやはり16%の酸素が含まれている。したがって肺は,空気中の酸素を約4分の1しか取りいれないわけである。炭酸ガスはそれに比例してふえる。そのために吐き出された空気には,炭酸ガスが4%以上含まれている。

      空気の調節

      肺がその役目を正しく果たすためには,空気も正しい状態でなければならぬことは言うまでもない。空気はきれいで,湿気を含み,適温でなければならない。そこで,人体の創造者は,人間が「上部呼吸組織」とよぶことを好むものをからだに備えられた。空気が肺に達するまでの通路はすべて,これら三つの重要な条件を満たすのに役だつ。鼻の中には,バクテリアがついているかもしれないほこりの大きな粒子を捕える比較的に長い毛が生えている。鼻腔は,小さな粒子を捕えるような形にできた粘膜でおおわれている。さらに小さな粒子は,気管内の繊毛に捕えられる。繊毛は毛状の突起で,畑の小麦のようにゆれ,この運動によってすべての粒子は,飲みこむか吐き出せる場所である咽喉まで,徐々に追い上げられる。これらの防御装置をうまく通過した小さなバクテリアは,白血球が処理する。

      種々の腺や,湿った気道によって,空気に適量の湿気を与える備えもある。これはたいへん重要である。というのは,酸素と炭酸ガスは,赤血球と小さな肺胞とのあいだを行き来するまでに,湿気をおびていなければならないからである。また,空気は適温でなければならない。このためにも気道は,冷たすぎる空気は暖まるように熱すぎる空気は冷えるように,理想的につくられている。どちらの極端も,肺の敏感な粘膜をいためる。人体の上部呼吸組織の驚くべき能力は,そのために人間が熱帯の砂漠の炎熱の中でも,南極大陸の氷点下の温度の中でも生きのびられることを考えれば,明らかである。

      予防は治療にまさる

      肺は,ぐあいの悪いときだけその存在を人に意識させるものなので,そうならぬうちに気をつけるのが一番賢明である。ことわざにもあるように,「きょうの一針あすの十針」である。自分の健康を,とりわけ肺の状態を真剣に考える人は,もちろんたばこを吸わないだろう。喫煙をやめることは,肺のためによいばかりでなく,心臓や肝臓のためにもよい。そしてもし,空気の汚染の少ないところに住むことができれば,それも肺にとってはうれしいことである。

      肺を良好な状態に保つためにできることのひとつは,十分運動するように気をつけることである。もっとも,歩いて郵便物を配達する郵便配達人や,建築作業をする人たちは,大して心配する必要はない。大きな家と大家族をかかえて,その世話をしなければならない主婦もその必要はない。しかしもしあなたが,一日中,事務所か,仕事場のいすに腰をかけて仕事をしている大ぜいの人のひとりなら,運動することを少し考えなければならない。その運動も,肺のためになるようにするには,もちろん心臓がそれに耐えられる場合の話だが,ふうふう言うぐらいか,深呼吸をするほど激しいものでなければならない。階段の数がひどく多い場合は別として,エレベーターに乗らずに階段を登ることは,余分の時間を多く取らずに運動するひとつの方法である。それを習慣にすれば,運動はまちがいなく定期的にできるわけである。運動は規則的にしなければ効果が少ない。

      からだをゆすり,くつろいで,急がずに走るかけ足も,人気のある運動の一種である。しかし,考えも刺激される運動のほうがいいかもしれない。あまり激しくないスポーツとしては,テニス,卓球,水泳などがある。見落とせないのは,深い腹式呼吸によって肺を運動させることである。胸を満たす深呼吸よりも,模隔膜を下げる深呼吸をする。これはとりわけ最下部の肺胞の助けになる。特によいのは1日に数回,できるところまで空気を吐き出すことである。これは肺の“大そうじ”とよばれているが,まったくそのとおりである。長いすかベッドの上で,寝るのではなく休むときに深呼吸をし,いきを強く吐き出すことを考えよう。もしそれによって,心配事や不満その他の不健全な思いにふけらないよう気持ちを転換させられるなら,そうすることには余分の益さえあるわけだ。深呼吸は,肉体的にも感情的にも気分を良くする場合が多い。

      何かのぐあいが悪いとき

      肺に支障をきたすおそれのあるものがいくつかある。気管支の炎症である気管支炎がある。胸腔の胸膜,または肺を包む胸膜に炎症が生ずると,胸膜炎が起こる。肺炎にはたくさんの種類があると言われており,関係しているもの,または炎症の性質によって区別されている。経済的な事情や環境は人を結核にかかりやすくするかもしれない。肺ガンがふえているのと同様,肺気腫もふえているようである。肺気腫とはなんだろうか。それはぜんそくのような,いくつかの呼吸器疾患の結果起こるもので,小さな肺胞が拡張したままになるために,その機能が減退するのである。肺気腫患者は,吸いこんだいきを吐くのに困難を感じる。ふつうのかぜ,枯草熱,ぜんそく,副鼻腔炎なども,肺に影響する病気である。

      これらの病気には,医学的に言って正統的,また違式の療法がたくさんあるが,すべてを解決できる療法はひとつもないようだから,これらの療法に対しては偏見をもたないのが一番よいようだ。しかし,さきに述べたとおり,予防は最善の治療である。健康なうちに,そして肺に痛みを感じて,その存在を意識するようにならないうちに,賢明な生活習慣を築くことを考えねばならない。できれば,空気の汚染のごく少ない,健全な環境を選んで,そこで働き,また生活する。たばこは吸わないこと。アルコール飲料を飲みすぎるのもいけない。食べることにせよ,働くこと,あるいは楽しみを求めることにせよ,極端をさける。すべてのことに節度を保ち,必要なもの ― 衣・食・住 ― があれば,それで満足することである。「足ることを知りて敬虔を守る者は,大なる利益を得るなり,我らは何をも携へて世に来らず,また何をも携へて世を去ること能はざればなり」― テモテ前 6:6-8。

  • 彼女の牧師の聖書に対する見方
    目ざめよ! 1971 | 12月22日
    • 彼女の牧師の聖書に対する見方

      アメリカのテキサス州に住むあるエホバの証人は,聖書を説明する文書を求めた一婦人を再び訪問しました。その文書を読んで心を動かされた婦人は,エホバの証人は聖書のすべてが神の霊感を受けたものであるということを信じているのですか,と尋ねました。証人が,そのとおりです,と答えると,婦人はさらに続けて,自分の属しているメソジスト教会の牧師は聖書のすべてを信ずるわけにはゆかないと会衆の人々に語ったと言いました。たとえば,なかでもノアの日の洪水やイエス・キリストの処女降誕,聖書に記録されているさまざまな奇跡は真実ではないと牧師は唱えました。ところが,牧師はノアの日の洪水に言及した聖句に基づく説教をしたとのことです。

      「そうした説教をどう考えるべきなのでしょうか。牧師は,真実ではないと語った事柄をわたしたちに教えて,信じさせようとしているのです」と婦人は語りました。しかしながら,この誠実な婦人はもはやその問題で混乱させられてはいません。前述の証人とともに聖書研究を行なって,『聖書はすべて神の霊感を受けており,有益である』ということを学んでいるからです。―テモテ後 3:16,新。

      あなたの教会の牧師が,聖書は真実でないとか,神話でいっぱいだとかと言うのをお聞きになったことがありますか。そのようなことばを信じておられますか。この問題をご自分でお調べになってはいかがですか。エホバの証人は,聖書が真実に神のみことばであることを示す証拠を喜んでご紹介いたします。

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