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あなたの心はどうですかものみの塔 1971 | 6月15日
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につちかい,かつ保護するか,また心がどのようにわたしたちを動機づけるかは,「心の評価をしておられる」かたにとって決定的な要素であり,それはわたしたちが神の作られる正義の新しい事物の体制に住むか,あるいは,心が霊的に正常な機能を果たさなくなったために無窮の死に至るかを決定するものとなります。―箴言 4:23; 21:2; 24:12,新。
心の奥深くをのぞく
5 “心”は思いの一部ですか。説明しなさい。
5 心とはどこにあり,いったいなんですか。どの心のことを言っているのか,と尋ねるかたがおられるかもしれません。あなたは自分の胸の中に心臓が,つまりからだ全体に血液を送り出し,各細胞すべてに生命の流れを供給する心臓があるのをご存じのはずです。しかし,あなたの頭の中には“心”,別の“比喩的な心臓”があるのですか。それは脳の一部ですか,それともわたしたちが“思い”と呼ぶところの,脳の抽象的な能力のことですか。いいえ。思いの宿る脳と,胸郭の内部にあって動機付けの力を持つ心臓とは別物です。
6 聖書は“心”ということばをどのように用いていますか。
6 聖書の中で“心”ということばは,わずかな例外を除けば,人の欲望・感情・愛情の発生する所,動機付けの能力を包含するに至る所としての,人間の心臓の働きに限って用いられています。聖書は象徴的な思いについて述べていないのと全く同様,生理的な意味のあるいは文字どおりの心臓と対照区別して,象徴的また霊的な心臓については述べていません。したがって,今日の正統的な生理学におけるように,文字どおりの心臓を単に生理的ポンプとする誤った見方をしないようにしたいものです。たいていの精神科医や心理学者は,思いということばを極端に類別し,生理的な心臓からの影響をほとんど認めない傾向を持っており,“心”(心臓)ということばについては,血液を送り出す器官をさして用いるほかには単に比喩的な表現とみなします。
7,8 (イ)個人の心と思いとの相互作用を説明しなさい。(ロ)心は性格に対してどんな影響を持っていますか。
7 しかし,心臓は神経系によって脳と複雑に連結しており,知覚神経の末端が十分に備わっています。心臓の知覚は脳に記録されます。心臓がその欲望と愛情とをもって思いに影響を及ばし,動機付けにかかわる結論が導き出されるのはこの時点においてです。思いは,感覚から伝達された衝動の判断と,その時あるいは記憶から受け取った知識を基にして到達した結論を,逆に心臓に送り込みます。心と思いとの間には密接な相互関係が存在していますが,その機能も,その中心位置もそれぞれ異なっています。心臓は驚くべき構造を持った筋肉のポンプですが,もっと重要なことに,わたしたちの感情的および動機付けの能力がその中に組み込まれているのです。愛,憎しみ,欲望(良いものと悪いもの),あるものを他のものより好むこと,野望,恐れ,つまりわたしたちの愛情や欲望との関係で,わたしたちを動機付けるのに資するすべてのものは心から発しています。
8 聖書は心と思いとの間に明確な区別を設けています。イエスは,わたしたちがわたしたちの「思い全体」ばかりか,わたしたちの「心全体」をもってエホバを愛さねばならないと話した際,同様な区別を設けられました。(マタイ 22:37,新)心においてわたしたちがどんなものであるかが,多分に性格の面でわたしたちがどんなものであるかを決定します。使徒ペテロはこの点に関して,『神の目にきわめて尊い,もの静かで,柔和な霊という朽ちない装いをした,心のうちの隠れた人』について語っています。―ペテロ前 3:4,新。
9 一部の科学者たちは,心臓についてそれが血液を送り出す一種のポンプであること以外に何を信じていますか。
9 わたしたちの胸の中にある臓器,ヘブル語でレイブさらにレイバーブ,またギリシア語でカルディア(英語の“カーディアク《心臓の》”という語はここから来た)と呼ばれる心臓について,重要な点をいくつか考慮してみましょう。一部の医学者や精神科医の信ずるところによると,心臓は血液を送り出す以上の相当な働きをしています。ニューヨークの神経科専門医で精神科医のD・E・シュナイダー博士は,胎芽が育成されてゆく間,心臓と脳は同じ所から発生し,心臓は一部神経組織であり,加えて,この研究によると,脳をも含め,からだに調節の効果を及ぼす強力な特殊化学物質を製造,貯蔵する能力を有する,と指摘しています。彼の結論は,「思いと心との間に相互的な関係の存する証拠」があり,思いが心に対して影響を持つと同様,「心臓[そうです,あなたの胸の中にあるその臓器]が思いに強力に影響しうる」と述べています。他の研究者たちの中にも幾分同様な結論に到達している人がいます。
10 何が心臓移植患者に深刻な精神病的行動を起こさせる原因であると考えられますか。
10 心臓を移植され,心臓と脳とを連結していた神経を切断された患者が,手術後に感情面で深刻な問題を経験するのは意義深いことです。新しい心臓は引き続きポンプとして作用し,心臓の筋肉に衝動を与える全神経組織とは独立に固有の動力源と時間測定装置を持っていますが,今や外部からの影響に緩慢にしか反応しないのと全く同様,新しい心臓は今度は動機付けの明確な要因をほとんど脳に指示しません。からだの神経の末端と新しい心臓とが,時の経過とともにどの程度連結するかは明らかではありませんが,この点が心臓移植患者に観察されると医師が報告している,深刻な精神の異常や混乱を引き起こすいくつかの要因の一つであるという可能性は無視できません。それらの患者は提供者から得た血液用ポンプを持っているわけですが,手術後,“心”を持っていると言うに必要な全要因が彼らにそろっているでしょうか。一つ確かな点は,自分の心臓を失うことにより,何年にもわたってその中に築き上げられてきた“心”の能力,すなわち個性の面でその人をその人たらしめるのに資してきたものが取り去られてしまいます。
11,12 (イ)心臓移植患者の行動に関して何が報告されていますか。(ロ)血液用ポンプとしての働き以外に,心臓の構造と機能に関してどんな意義深い見解が発表されていますか。
11 メディカル・ワールド・ニューズ誌(1969年5月23日号)は,「新しい心臓は思いに何をするか」と題する記事の中で次のように報じています。「昨年スタンフォード大学の医療センターで,45歳の男が20歳だった人の心臓を移植してもらったが,ほどなくして,自分が20歳の誕生日を祝うと友人すべてに告げた。心臓移植を受けた別の人は,その提供者がそうであったように,有名な市民としての評判に恥じない潔癖な生活を送る決意をした。女性の心臓を移植されたもうひとりの人は,自分が女性化しないかと大いに恐れていることを明らかにしたが,女の方が男より長生きすると聞かされて少しは落ち着いた。外科医ノーマン・シャムウエー移植手術陣の顧問のひとり,精神科医のドナルド・T・ランデによると,これらの患者は,過去16か月間にシャムウエーから移植手術を受けた13人の中で,精神の異常がそれなど重症でない若干[傍線は当誌発行者による]の例である」。同じ記事はさらにこう続けています。「その一群の患者たちの中で今月初旬まで生き延びたのは5人で,その中の4人は自宅で比較的正常な生活を送っていた。生き延びなかった患者の中の3人は,昨年死亡する前に精神病になり,他のふたりも今年になって精神病の症状を示すようになった」。
12 ランデ博士はそうした性格上の奇妙な倒錯の主因として,プレドニソーン剤の投与,さらに重い手術と厳重な保護下での長期間の入院生活とからくる思いの疲労をあげていますが,興味深いことに,「ニューヨークの精神科医兼神経科専門医で,心臓 ― 脳の相互作用を研究しているシュナイダー博士は,シャムウエーの心臓移植患者たちのかかった精神病に対するランデ博士の説明を修正するものとして,他の要因を認めている。シュナイダー博士が主張するには……『心臓は鉛管工のポンプ以上のもの ― 神経・内分泌性バッテリーである。それは全く独自の小さな脳,洞房および房室結節,さらに伝導神経線維束を持っており,この神経線維束から出る弱い波は各心臓波とともにECG[心電図]の上に認められる。それに加えて,カテコラミンを活発に製造,貯蔵する心臓の働きは,視床下部における神経刺激ホルモンのレベルに影響を与えているかもしれない』」とのことです。(同誌,18ページ)心臓移植の手術を受けていない多くの患者は,プレドニソーンを投与されても,または長期間の入院生活をしても精神病にならない,とシュナイダー博士は観察結果を述べました。
13 (イ)生きている人が神の目からは死んでいるというのはどういうわけですか。(ロ)より肝要などんな点で,心に関して「命の源がそこに発している」と言えますか。
13 医学が人間の心臓についてこれから先なにを学ぶにしても,聖書は思いと心との間に明確な区別を設け,両者を別々に扱っています。そして,心臓がそれほど肝要な役割を果たしているのですから,単に食事の面での自制や身体面の他の手段によってだけではなく,感覚から,また心と思いとの相互作用の結果,わたしたちの心に印象がもたらされる際,その中に何が浸透するかを注意することによってそれを守るのはきわめて重要です。心臓が止まり,からだが生命を与える血液を得なくなると,心や思いの能力をも含めて,わたしたちは死滅します。しかし,たとえ生きていても,心から正しい動機,欲望,愛情が常に発していないなら,命の与え主であるエホバを喜ばすことは期待できません。「佚楽を放恣にする寡婦は生けりと雖も死にたる者なり」。(テモテ前 5:6)この点から,「命の源がそこに発している」ということはさらに重大な意味を帯びてきます。わたしたちが崇拝するよう動機付けられるのは心からです。「人は,義のために,心をもって信仰を働かせます」。(ロマ 10:10,新)わたしたちはエホバを心全体をもって愛し,「霊と真理とをもって」崇拝しなければなりません。(ヨハネ 4:24,新)エホバは人間を創造するに当たり,人間の心の中にご自分のための特別な場所を設けられました。各自がそれをつちかい育てる必要があるのは言うまでもありません。『「エホバなどいない」と心のうちで言った人』は,愚かな者か浅はかな者です。人がそう望むなら,心の中で神を他の人間,物,概念に置き換えることができます。しかし人間という被造物は,生まれながらに心で創造者を崇拝するように作られているのです。―詩 14:1,箴言 3:1-7,新。
14 心はわたしたちの感情の表現とどんな関係を持っていますか。
14 心臓が感情の状況に最初に影響される器官の一つであることも興味深い点です。わたしたちの心臓は喜びで踊ります。危険に突然さらされると心臓は激しく鼓動します。恐怖にあうと心臓は戦慄し,悲嘆に暮れると心臓は痛みを覚えます。喜びや楽しみの絶頂から絶望や苦しみの淵まで,心臓のさまざまな感覚はからだじゅうで感じられます。適切なことに,“心”という語を含むことばや言い回しがたくさんあります。少しの例をあげると,心に留める,心のいくじない,心のやさしい,心の冷たい,心をこめて,心が破裂しそう,心にかける,心強い,回心などがあります。
心を思いと対照させる
15 思いの働きを述べなさい。
15 英語で用いられている思い(mind)は,思惟または知識を処理する中心です。情報を収集し,それについて考え,ついで推理と論理との作用によって結論に達します。思いは学習と識別の能力を用いて,受け取る情報をつなぎ合わせ,概念や型を作り出します。(テモテ後 1:13,新)各情報が明確に場所を占めるに至った時,ある事柄に関する知識が得られたことになります。この知識を実際的な価値に転じることができ,さらに,関連ある部分がどのように組み合わさって全体をなすかがはっきりとわかり,それが意味,有用性,活用性を帯びてくると,知恵と理解が生じます。
16 荒野におけるイスラエル人に関して,聖書は心の動機付けの点でどんな洞察を働かせていますか。
16 生理的な心臓はそれとは対照的に,愛情と動機付けに密接に結びついています。詩篇記者はこう書きました。「われ汝にむかひて罪ををかすまじき為になんぢの言をわが心のうちに蔵へたり」。(詩 119:11)荒野で集会の幕屋を準備し,組み立てていたイスラエル人の例から,心が人の思いと行動を動機付けるものであることがわかります。記録されているところによると,「その心が自らを促したすべての者」,『その心が自らを鼓舞した』者は全員,材料・技術・作業の面で貢献しました。(出エジプト 35:21,26,29,新)心はこの動機付けの作用を持っているゆえに,その人の内部における実態に注意を集中することができ,それを使徒ペテロは「心のうちの隠れた人」と呼びました。―ペテロ前 3:3,4,新。
17 思いと心との相違を例を使って説明しなさい。
17 簡単な例を用いると,両者の演ずる役割の相違を知る助けとなります。ほとんどだれでも研究と実習を通して機械学の知識を修得することができます。しかしながら,機械の事柄に対する愛を心において育てなかった人には,モーターについて学びたいなどという動機付けはまるでありません。自分の車が動かなくなっても,たぶんどこから修理したらよいか知らないでしょう。その人は訓練を積んだ音楽家かもしれず,あるいは専門の法律家または献身的な主婦かもしれません。おのおのが自分の仕事を愛し,それに従事するのは,それがその人が職業として行ないたいと心で欲していることだからです。しかし,熟練した機械工の背景を詳しく調べてみると,彼がモーターを扱う仕事を愛しており,少年のころにはいつも軽快な音を出す仕掛けについて知りたがっていたことを見いだすでしょう。強力なモーターが始動し,スムーズに回転するのを聞くのは,彼の耳にとっては音楽なのです。さて,わたしたちは何について話しているのですか。そうです,心についてです。わたしたちが討議しているのは,単に機械一般について学ぶ思いの能力ではなく,その人の愛情,動機,欲望です。
18,19 (イ)どういうふうに思いと心とは協働するのですか。(ロ)思いの中に取り入れられた事柄はどのように心に影響しますか。
18 聖書は心と思いが別個のものであることを示してはいるものの,両者の間の密接な相互関係,相互依存,相互作用を否定するものではありません。心は思いによって養われうるのです。なぜなら,わたしたちは実際には意識を有する脳をもって見,聞き,感じ,他の生理的な感覚からの影響を受け取るからです。次いで,脳に位置する思いは,心によって動かされたり動機付けを与えられたりされうるのです。
19 若い時から思いは心に強い影響を及ぼしています。正しい種類の情報が思いの中に取り入れられ,正しい結論と印象が形成され,そしてそれが心に浸透するにつれて,心における動機付け・欲望・愛情を形造り,制御し,導く上での良い影響が得られます。まちがった情報が思いに取り入れられると,まちがった概念が築き上げられ,その結果,偏見・憎しみ・恐れ・誇り・どん欲・強情その他の卑しむべき性向が心に根を降ろし,それは人の性格に反映します。この傾向は,そうしたまちがった結論や印象が幼少期に形成された場合特に顕著になります。それゆえ,クリスチャンになるに際し,人は『自分の思いを作り変えて,自らを一変させ』ねばなりません。パウロは,『あなたがたの思いに働く力において新たにされなさい』とさとしました。この思いの新しい力は,わたしたちが神のことばを思いの中にしっかりと植え込み,神の霊に全く応じ,それ以後わたしたちの思いが,「当然キリストにささげられるべき誠実さと純潔さとから堕落させられ」ないよう注意深く警戒する時に築き上げられます。―ロマ 12:2,エペソ 4:22-24,コリント後 11:3,新。
20 大多数の人々の心や思いを形造る今日の一般環境について述べなさい。
20 今日人類の大多数が成長していく家庭や近所の環境は,学習にとって良いものではありません。家庭や学校の訓練における放任主義の結果として,反抗的でスリルを追い求める世代が生まれています。悪についての学習や悪への耽溺のために思いの中に回路が深く刻み込まれ,個人の心が堕落させられる結果,彼らが成長した時には,自分にとって自然になってしまっていることをするわけです。異常なことが正常なこととなります。性は神が設けられたもの,子どもを生むための結婚のわく内に限られる清く快い行為ではなく,スリルや下劣な冗談の対象となります。楽しい時を過ごす,金をもうける,昇進する,有名になる,他人の干渉はいっさい受けない,自分だけを大事にする,見つからなければ盗みをする ― こうした態度や目標は,人が若い時からこの世の環境によって,抹殺できないほど強く心に印象づけられるもののいくつかの例にすぎません。
21,22 (イ)神から離反する者の心はどのように描かれていますか。(ロ)それとは対照的に,神のことばに答え応じる人々の心では何が起こっていますか。
21 各世代,特に現代の世代は,神から離反し,『自分たちの推理において頭がからとなり,その非知的な心が暗くなっ(て)」いる大多数の人々を生み出してきており,ゆえに「神は,彼らの心の欲望に即して,彼らを不潔な状態にゆだね」ました。彼らは,その罪がダイヤモンドの先によってでもあるように『彼らの心の刻板に彫り込まれて』いるとエホバにより描写された,大半のユダヤ国民のようでした。神が邪悪な者に対する処刑をすみやかにもたらされなかったので,「それが理由で人々の子たちの心は,悪をするよう彼らの中にしっかりと据えられているので(す)」。(ロマ 1:18-32,エレミヤ 17:1,伝道 8:11,新)しかし時の流れを通して,大ぜいの人とは逆に,自分の心の中に神と正義に対する愛をつちかってきた貴重な人々が,少数ではありますがいました。「終わりの時」が相当に進展した今日でさえ,神のことばに答え応じる心を持ち,「すべての汚れ,および,あの無用なこと,すなわち悪を捨て去り,あなたがたの魂を救いうることばが植えられることを柔和に受け入れなさい」との助言に聞き従う人々を,エホバの証人は何千人となく見いだしています。「りっぱな土の上のもの[種]についていえば,これらは,りっぱな良い心をもってみことばを聞いたのち,それを保ち,耐え忍んで実を結ぶ者たちです」。―ヤコブ 1:21,ルカ 8:15,新。
22 不道徳の歩みから離れる,短気な傾向を直して冷静になる,野望を変える,すべての面で正直かつ勤勉な神のしもべとなる,といった徹底的な変化がしばしば要求されるにもかかわらず,彼らは勇敢にもそうした変化を遂げます。わたしたちが「清い心から主を呼び求め」,良い心を得ようと努めるなら,それを得るように助けようとのエホバご自身からの約束を得ることになります。―テモテ後 2:22,新。
23 自分の心に関して何を正直に調べねばなりませんか。
23 それで,あなたの心はどうですか。自分の知っているかぎり,今のところ医学的にはだいじょうぶらしい,と言えるかもしれません。が,さらに重要な質問は,そこから起こる動機・愛情・欲望を考量する時,あなたの心はどうですか,ということです。神のことばに照らし合わせて自分の心を調べる時,それがあなたを正しい方向に動機付けるのを,さらに,それが正しい欲望と愛情とを持っているのを見いだしますか。欠陥があるなら,正しく考えるよう,また不完全な肉の傾向や自分を取り巻く誘惑に抵抗するよう,自分の心および思いを新たにし,強化する点で成功を収めていますか。ある程度の成功を今収めているなら,引き続き自分の心を築き,守ることが肝要です。
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人間の心は不信実ですものみの塔 1971 | 6月15日
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人間の心は不信実です
「心は他の何物よりも不信実であり,必死である。だれがそれを知ることができよう。我エホバは心を探り,…各自にその道にしたがい,その行動の実にしたがって与えるためである」― エレミヤ 17:9,10,新。
1 聖書は人間の心の傾向について,何を率直に告げていますか。
わたしたちは自分の経験や他人の経験を通して,人間が良い心と正義に傾く思いとを生まれつき持っているわけではないことを日々思い知らされます。生まれたばかりの赤ちゃんは無邪気に見えますが,その内には受胎の時からすでに罪と不完全さが働いています。詩篇記者のダビデはこう表現しています。「見よ! わたしは生みの苦しみとともにあやまちをもって生み出された。わたしの母は罪のうちにわたしをはらんだ」。(詩 51:5,新)自分の子どもを「エホバの訓戒と思いの調整とによって」育てようと努力をしている良心的な親でさえ,「愚かさが少年の心と結びついている」ことを何度となく痛感させられ,「それを彼から遠くへ追いやる」には,「懲らしめのむち」をいろいろな方法で用いなければならないことを知らされてきています。(エペソ 6:4,箴言 22:15,新)全地をおおった洪水の後,ノアとその家族の犠牲を受け入れた時のエホバは,親から子に受け継がれるこのみじめな遺伝を次のように慈悲深く注目されました。「我再び人の故に因て地を詛ふことをせじ其は人の心の図維るところその幼少時よりして悪かればなり」― 創世 8:21。
心は欺きうる
2 (イ)どのように『心は他の何物よりも不信実であり,必死です』か。(ロ)使徒パウロは自分の思いを作り変えた後でさえ,何を認識していることを明らかにしましたか。
2 心と協働することは油断を許しません。注意していないと,自己欺瞞の犠牲になります。聖書はこう警告しています。「心は他の何物よりも不信実であり,必死である。だれがそれを知ることができようか」。(エレミヤ 17:9,新)不信実な人は簡単に信頼や誓約を裏切るという特徴を持っており,不忠節で信用できず,実際に反逆的な人です。考えてみてください! 不完全な状態にあるわたしたちは,すべてその胸の中に潜在的な反逆者を囲っているのです。心の中に根ざしはじめる事柄にわれながら驚く,いや,恥じいることさえ,時として実際にあるのではありませんか。そして心が何かを必死に欲する場合,深刻な問題に陥ってしまうことがあります。そのような新しい愛情を静め,そのような突発的な欲望を除去するため,早急に調節の手段を講じることが肝要です。使徒パウロは新たにされた自分の思いが,心から起こる悪い欲望によって戦いをしかけられ,さらには不完全な肉によって課せられる重みを負わされていることを告白しました。「われ中なる人にては神の律法を悦べど,わが肢体のうちに他の法ありて我が〔思い〕の法と戦ひ,我を肢体の中にある罪の法の下に虜とするを見る」。(ロマ 7:22,23〔新〕)彼は,エホバのみがキリストを通して,わたしたちをこのみじめな状態から救出しうることを認めました。自分だけにしかたよれないならば,わたしたちは何度も道を踏みあやまるに違いありません。「人の心には多くの[計画]あり,されど惟エホバの旨のみ立べし」― 箴言 19:21〔新〕。
3 思いは推理から導き出された結論をもって心に影響を与える立場にありますが,それに聞き従う意図が心にない場合には何が起こりえますか。
3 前に学んだように,心が常に思いに聞き従うとはかぎりません。思いの論理の力にもかかわらず,心がそれを圧倒してしまう時があります。忘れてならないのは,心も推理するということです。もっとも,それは論理に関連してというより,わたしたちの動機,愛情,欲望が具体化し,良いにつけ悪いにつけ一定方向にはずみがつく際,心に何が起こっているかに関係してです。ダビデは『わたしの心の黙考を,エホバよ,あなたの前に,楽しみをもたらすものとならせてください」と祈りました。イエスはそれと対照的に,『心から,邪悪な推理が出て来る』と言われました。(詩 19:14,マタイ 15:19,新)思いは心に影響を与え,それに論理的な推薦をし,あるいは過去の経験に基づいて心に訴え,そして時には,引き起こされる危険を知るゆえ,一定のコースを取るよう強く心を促す立場にあります。しかし,一定の物事に対する欲望や愛情が心の中に強力に築かれてしまっているなら,心が勝ちを制することがあります。
4 新しい背広かドレスを買うことに関連して,思いと心の働きを説明しなさい。
4 例として,新しい背広あるいはドレスを買うかどうかについての決定をしなければならない時のことを考えてみましょう。最初に,思いはいくつかの事実に直面します。今の服は着用できないほど古くなったとか,その他なにか十分の理由があって新調する必要があるかもしれません。心もこの点大いに関係してきます。良い服装をしたいという欲望が心にあるからです。新しいドレスあるいは背広を買わねばならないということに,心と思いは同意します。そこで思いは値段・質・スタイルなどについての情報を収集し,買物に行く時にはどの背広,どのドレスを買うべきかだいたいの考えができあがっています。ところがいざ店に着いてみると,ウインドーには人目をひくすてきな服が飾られてあり,衝動的な買手を待ち受けています。それは自分にとってほんとうに実用的とは言えません。高価で,スタイルの面でもやや極端です。しかし,心はそれがほしくてじりじりさせられます。それはほんとうに心を喜ばせます。
5 エホバの意志を行なうべく,わたしたちの心を一つにしつづけるには何が必要ですか。
5 さて何がなされますか。どんな決定がなされますか。それは実際的で,推理から導き出された決定ですか,それとも心のその時の新しい欲望によるものですか。よほど注意しないと,心が思いを圧倒してしまいます。すぐれた判断に逆らう道を取るよう動機付けられるかもしれません。一方,これは時として起こる,心が瞬間的に岐路に立たされる場合かもしれません。そうであれば,心のまさったほうの良い動機と愛情が勝ちを制し,その結果,自分の服装上の必要を満たす最も実際的なアンサンブルを買うという決定を下すことになるでしょう。しかしさらに,正しい決定をまちがいなく下せるようにするためには,前もってエホバの助言で心を強化し,訓練する必要のあることをも思い起こさせられます。「おのれの心を恃む者は愚なり。知恵をもて行む者は救をえん」。エホバの関心事と原則を生活の中で第一にすることを心の中でつちかった人のより強力な欲望は,心の中に突然発する魅惑的な関心事や欲望を制圧することができます。―箴言 28:26。
6 悪い欲望が心に根ざしはじめるなら,直ちに行動することが必要です。なぜですか。
6 ここでこの推理をもう一歩進めて,もっと重要な生活の側面に当てはめてみましょう。不品行を犯す,盗む,他人に害を与えるといった誘惑にわたしたちが直面した時,心はどう反応しますか。さらに重大なことに,心の欲望を満足させようと故意にたくらみ始めると,どんな誤った事態を招きますか。あなたの心は,あなたを誤った道からそらせる動機付けを与えるほど強いものですか。それとも,肉の欲望を充足させる可能性をひそかにもてあそぶことに屈しますか。正しい決定を下すことを延ばすと,悲惨な事態が生じえます。心が何かをもくろみはじめると,強大な力が発生し,感情がかき立てられ,肉体は悪いことに対して備えを開始します。「しかし,おのおの自分自身の欲望[それは心で始まる]に引き出され,かつ誘われて,試みられるのです。次いで,その欲望は,それが熟したときに罪を生み,次に,罪は,それが遂げられたときに死をもたらします」― ヤコブ 1:14,15,新。
7 心が,思いの提出する証明に逆らって進むことを選ぶという点でどのように勝ちを制するか,例で説明しなさい。
7 たとえば,自分の配偶者以外の女性と姦淫を犯す誘惑に直面した,結婚した男の人の場合を考えてみましょう。彼の思いは研究から,また見聞きしたことから,そうした行動を圧倒的に非とする情報を持っているかもしれません。その行動を取った他の人々に及んだ結果を推理し,それが必然的に引き起こす問題や悪影響を考慮することによって,彼の思いはそうした誘惑から離れる方向を強力に指示する証明を,危険区域から出ることを緊急に推薦する情報を提出するかもしれません。しかし,その人の心に誘惑から離れ去る欲望が全くないならどうなりますか。その時には,心は思いが提供し推薦した事柄とは反対の決定をします。つまり,心は,「いや,わたしたちはこちらの方向に行くのだ」と,思いに言っていることになります。彼は自分の心の感情的な力に左右され,思いの助言と推理に逆らって危険地帯にとどまります。
8 人の取る行動を選ぶという心の能力を,聖書はどのように描写していますか。
8 任意の行動を選択し,その一つに欲望を定める心のこの能力から,聖書が人の心について,それが『計画を立てる』とか,「おのれのみちを」,すなわち思いが最初に考えた道でおのれに訴える道を「考へはかる」とかと述べている理由の説明がつきます。(箴言 19:21,新; 16:9)これは道徳的また霊的な事柄に関して特にそうです。
9 心が悪いことを行ないたいとの強い欲望を持っているなら,その影響力を思いに及ぼす際何が起こりえますか。
9 しかしながらそれだけでなく,心は次に思いを動かして,悪い道に進むためのなんらかの言い訳あるいは口実を捜し出させ,誤った推理を採用させはじめます。その人は罪の行為に陥るかもしれず,そして当人が罪を犯しているまさにその時に,心は思いを促して弁明を作り上げさせるのです。彼は神の愛ある親切につけ込み,『神はとても慈悲深いのだから。神は私の肉の弱さゆえに許してくださる』などと言いながら,同時にその悪の道を歩みつづけるかもしれません。彼は,心のうちで次のように言った邪悪な人のようになります。「神はわすれたり 神はその面をかくせり神はみることなかるべし」。(詩 10:11。ロマ 1:21,24と比較)そうであれば,罪深い人間の心は「他の何物よりも不信実であり,必死である」と聖書が警告していることに少しも不思議はありません。―エレミヤ 17:9,新。
10,11 (イ)人が自分の心の中で姦淫を犯すことについて,イエスはなんと言われましたか。(ロ)自分の妻でない人に触れてもいない男が,神の目から見て,どうしてその心の中で姦淫を犯すに至りますか。
10 これはまた,対象となった人に触れてもいないのに,どうして姦淫を犯したものとして神にみなされる場合があるのかを理解する助けとなります。自分の妻ではない美しい女を一目見て,男は心のうちで,「とても魅力的な人だ」と言うかもしれません。これはそれについて考える間もなく起こります。このつかの間の推論は必ずしも悪いとも,不純であるともかぎりませんが,男がその女を『見つづける』なら,欲望が必ずや発生し,彼女に対する情欲が心の中に募ります。イエスはこう助言しました。「しかしわたしはあなたがたに言います,女を見つづけて,その女に情欲をいだく[結婚した]者は皆,すでに[どこでですか?]心の中でその女と姦淫を犯したのです」― マタイ 5:28,新。
11 その人は実際の肉体行為をしたのではありません。事情が許さなかったからかもしれず,多くの不快な問題を経験せずに『うまくやりとげる』のは無理であると,感じているせいかもしれません。思いがこの点の警告を与えたのかもしれません。しかし仮りに事情が変わって好都合に見え,深刻な後作用をまぬがれる可能性が多少でもあると当人が考えるなら,彼の心はもうその行為を犯したがり,そうすることを欲します。動機付けは十分に整っています。足りないのは機会だけです。そうした人は神の目から見てすでに有罪です。(ヤコブ 1:13-15と比較)それと全く同じようにして,人は盗み,または殺人の罪さえ犯すことになります。(ヨハネ第一 3:15)聖書が思いと心との間に区別を設けていること,思いではなくて,心が動機の座であることを明確に認識するのがなぜそれほど重要であるかが,これでおわかりでしょうか。
12 ダビデはヨセフとは対照的に,どのように心に導かれるままに道を踏みはずしましたか。
12 ダビデについて,彼はエホバ自身の心にかなった人と言われています。しかし,ある日彼がたまたま窓から外をながめていると,遠くでバテシバが水浴をしていました。彼女にはなんの悪気もなかったことでしょう。ダビデは自分の心の中に色情的な考えがわき起こる前にそれから目をそらせないで,見つづけ,彼女に対する情欲を募らせました。その結果,それに続いて彼は恥ずべき姦淫を犯し,彼女を自分の妻として迎えることができるよう事をはかり,彼女の夫を殺させてしまいました。ヨセフはそれとは対照的に,自分の主人の妻で,性欲に狂った女から誘惑されたとき逃げました。偽りのとがを受けて投獄され,しばらくの間自由を失ったのは確かですが,清い良心と神との関係とは失いませんでした。
エホバは心とそれが必要とするものとを知っておられる
13 エホバが心を正確にご存じであることに関して,聖書は何を明らかにしていますか。
13 だれが人間の心を知ることができるのでしょうか。不完全な状態にあるわたしたちには,それが十分にできないことを認めなければなりません。しかし,エホバがそれをなしうることはなんと感謝すべきでしょう。「わが視るところは人に異なり人は外の貌を見エホバは心をみる」。「われエホバ心を察り…おのおのに其途に順ひその行為の果によりて報ゆ」。「なんぢわが心をこころみ また夜われにのぞみたまへり 斯てわれを糺したまへ(り)」。(サムエル前 16:7,エレミヤ 17:10,詩 17:3)イエスも人間の心の働きを正確にご存じでした。「口から出るものは心から出て来るのであり,それらのものは人を汚します」。(マタイ 15:18,新)それらのものとは何ですか。
14 (イ)心のなしうることに関して,イエスはどんな適切な分析を行ないましたか。(ロ)良い心を持とうと努力するのは,しょせん不可能なことなのでしょうか。
14 人間の心は最も高尚かつ崇高な動機付けをいだける一方,イエスが列挙されたように,なんと汚らわしい,嫌悪の情を起こさせるものをも出すではありませんか。「内から,人の心から,害になる推理が出て来るからです。淫行・盗み・殺人・姦淫・人のものをむやみにほしがること・邪悪な行為・欺瞞・ふしだらな行状・そねむ目・冒とく・ごう慢・無分別などです。[マタイの記述は「偽証」を加えている。]これら邪悪な事柄すべては中から
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