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娯楽を制御していますか それとも娯楽に制御されていますかものみの塔 1971 | 12月1日
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娯楽を制御していますか それとも娯楽に制御されていますか
気楽な娯楽やゲームその他,気持ちをさわやかにさせる種々の遊びをするのは確かに楽しいことです。娯楽には実にさまざまのものがあり,娯楽に費やす時間はもとより,ゲームなどに対する見方を制御さえすれば,結構益があります。ところが,度を過ごすと,娯楽が逆に生活を制御し,時間と注意力が意外なほど奪われる場合があります。
リーワード諸島,セント・キッツのエホバの証人の一奉仕者は,チェッカーの大好きなある男の人との無償の家庭聖書研究を司会していました。その人がチェッカーをすると,近所の人々が大ぜい集まって見物したものです。あまりチェッカーにこった彼は,洋服仕立ての家業をおろそかにして経済的に困ったこともありました。また,チェッカーにこりすぎて,その奉仕者との聖書研究をする約束の時間を破ったりさえもしました。確かにこの人の場合,娯楽はもはや制御されるどころか,当人の生活を制御するものとなっていました。
ついにその証人は問題を率直に彼と話し合うことにしました。その人は神のみことばの研究で霊的に進歩していなかったからです。チェッカーその他のゲームそれ自体は悪いものではなく,適度に行なえば,楽しみと益をもたらすが,娯楽には危険がひそんでおり,楽しみや友情を失うほどにゲームを重視し,口論やけんかを引き起こしたりするおそれのあることが指摘されました。聖書で非とされている,『互いに挑む』ようなことが起きやすいのです。(ガラテヤ 5:26)さらに,神の恵みととこしえの命を欲する人すべてにとって肝要な聖書の研究が娯楽のために妨げられてきたことも指摘されました。(ヨハネ 17:3)彼はどうしましたか。
ゲームにとりつかれていたことに気づいた彼は,そのゲームからいっさい手を引くことが最善の道と考えて,チェッカー用の盤を処分してしまいました。そして,彼の家にしばしばつめかけた人々も寄りつかなくなり,いっそう多くの時間を家業にあてるとともに,十分の時間をかけて平安のうちに神のみことばを研究しました。こうして再び霊的に良く進歩しはじめ,その後ほどなくしてエホバの証人の大規模な大会でバプテスマを受けて,任命された神の奉仕者となりました。
スポーツ,趣味その他,自分のしている娯楽を吟味して,それが制御されているか,それとも,自分が娯楽に制御されてはいないだろうかと自問するのはたいせつなことです。
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読者からの質問ものみの塔 1971 | 12月1日
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読者からの質問
● ペテロ後書 3章10節(新)はこう述べます。「エホバの日は盗人のように来て,その日に諸天はしゅうと鳴る騒音とともに過ぎ去ります。しかし極度に熱い諸要素は溶解させられ,地とその中のわざは明かされるでしょう」。この句は何を意味しているのですか。物質界の天と地は神の創造物の一部として永遠に存続するものではないのですか。―アメリカの一読者より
使徒ペテロのこの陳述の意味を決定するにさいしては,「天」と「地」という語は多くの場合,神の創造物の永続的な部分である物質界の天と地をさしてはいないということを想起しなければなりません。(詩 104:5)この点で注目すべき例は,バビロンに対するエホバの勝利の日にかかわるイザヤ書 13章13節のことばです。「われ万軍のエホバの忿恚のとき烈しき怒りの日に天をふるはせ地をうごかしてその処をうしなはしむべし」。
古代バビロンの倒壊ゆえに物質界の天 ― 太陽,月,恒星,惑星 ― がふるい動かされたり,文字どおり地球がゆり動かされ,その位置から締め出されたのでないことは明らかです。しかし,象徴的に言って,天と地は影響を受けました。どうしてそう言えますか。バビロニア人は恒星や惑星はもとより太陽や月を神々また女神として崇拝していたことを思い起こせるでしょう。それで,最悪の危急の時に面したバビロンを助ける点でそれら神々が無能と判明するや,「天」はふるい動きました。同時に,バビロン帝国の「地」はその場所からゆり動かされ,締め出されました。バビロンは,敗北を喫し,ペルシア帝国の一州になりさがるや,地のその広大な領域に対する支配権を失ったのです。
バビロンの例は,天体が人間より高い力,つまり人類を制御する影響力を行使する権力を表わすものとみなされていることを示します。そうした天体にささげられた崇拝は,実際には人間より高い見えない霊の勢力,すなわちサタン悪魔とその悪霊たちにささげられているのです。このことは使徒パウロの言明したことばから見て明らかです。「異邦人の供ふる物は神に供ふるにあらず,〔悪霊〕に供ふるなり」― コリント前 10:20,〔新〕。
確かに神のみことばは,サタンとその悪霊が,エホバ神から離反した人類社会を支配する「天」を構成していることを明示しています。一例として,使徒パウロは,政府・権威・世の支配者たちとともに,「天の処にある悪の霊」を引き合いに出しています。(エペソ 6:12)また,ヨハネ第一書 5章19節は,「全世界は悪しき者に属す」と述べています。
ゆえに,「しゅうと鳴る騒音とともに過ぎ去」るのは,サタンとその悪霊で構成される天に違いありません。いっさいを焼き尽くすような烈しい大規模な火焔は,家屋や森林の火事の場合のように,しゅうという大きな音を発します。もちろん,文字どおりの火は,サタンとその悪霊の存在を終わらせるものではありません。とはいえ,邪悪な天は,聖書の中で燃えさかる火として述べられている,神の憤りの表明を免れることはないでしょう。(詩 89:46。イザヤ 30:27)黙示録はサタンと悪霊の天が過ぎ去ることを確証しています。使徒ヨハネは,サタンの勢力が完全に敗北し,サタンが底のない穴に投げ込まれる幻を見たのち,「前の天と前の地とは過ぎ去(れ)り」と述べています。―黙示 21:1。
「前の天」が文字どおりのものでないのですから,「前の地」もやはり文字どおりの地ではありません。黙示録 19章19-21節によれば,滅びに向かっているのは,物質界の地ではなくて,地の王たちおよびその軍勢です。したがって,「前の地」は,サタンとその悪霊の支配下にある邪悪な人類社会を表わしています。地をこうした意味に解することは,聖書の語法において「地」という語が地の住民を意味する場合かあるという事実とも合致します。―詩 96:1。
したがって,象徴的な天と地の「諸要素」(もしくは構成成分)は,燃えるような神の怒りの高熱に耐えられるものではありません。それらは完全に「溶解させられ」てしまうでしょう。ペテロのこのことばはマラキ書 4章1節に示されている考えとやや類似しています。「萬軍の エホバ いひたまふ視よ炉のごとくに焼る日来らん すべて驕傲者と悪をおこなふ者は藁のごとくにならん 其きたらんとする日彼等を焼つくして根も枝ものこらざらしめん」。
地,つまり不敬虔な人類社会と,そのわざは「明かされる」でしょう。(「明かされる」と訳されているギリシァ語が,現在の最も古く,かつ最も信頼できる聖書写本つまりバチカン写本1209およびシナイ写本に出ている。)これは,邪悪な人類社会とそのわざがその仮面をことごとく焼き払われて,エホバ神とキリストによる神の王国に敵するもの,またそれゆえに滅びに値するものとして暴露されるという意味です。エホバ神はそのみ子キリスト・イエスおよび忠実な天使の大群を用いて,邪悪なわざが一つとしてあらわにされ,かつ処罰されずにすむことのないようにされます。これに類似した考えがイザヤ書 26章21節に述べられています。「エホバはその処をいでて地にすむものの不義をたゞしたまはん 地はその上なる血をあらはにして殺されたるものをまた掩はざるべし」。
古い天と地に対して燃え上がる,いっさいのものを焼きつくす熱気に耐えたいと願う人は,エホバ神の是認される道を知り,かつそれに従う決意をいだかねばなりません。次のように述べて,ペテロが仲間のクリスチャンを励ましたとおりです。「汝等…神の前に汚点なく瑕なく安然に在らんことを勉めよ。…慎みて無法の者の迷に[無知で落着きのない人々とともに]さそはれて己が堅き心を失はず,ますます我らの主なる救主イエス・キリストの恩寵と主を知る知識とに進め」― ペテロ後 3:14-18。
● サムエル前書 18章10節および19章20-24節の『預言者のようにふるまう』という表現は何を意味していますか。―アメリカの一読者より
エホバ神は聖霊によってご自分の預言者たちを派遣されました。預言者ミカは自分自身についてこう述べました。「我はエホバの御霊によりて能力身に満ち公義および勇気衷に満ればヤコブにその愆を示しイスラエルにその罪を得」。(ミカ 3:8)とはいえ,ミカや他の預言者たちが絶えず霊感を受けて語っていたのでないことは明らかです。むしろ,時おり神の霊が『彼らに臨んで』発表されるべき音信
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