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    ものみの塔 1968 | 7月1日
    • 真の崇拝に対する挑戦

      「また国が始まってから,その時にいたるまで,かつてなかったほどの悩みの時があるでしょう。しかし,その時あなたの民は救われます」― ダニエル 12:1。

      1 1914年にどんな時代が始まりましたか。この時代の諸問題の解決策はどこに見いだされますか。

      1914年以来,大事件が相ついでいます。2度の世界大戦,古い帝国と国々の崩壊,国際共産主義の台頭,国際連盟,のちに国際連合による平和維持の企て,宇宙時代,ミサイルと核時代の到来など,激動する時代は1914年に始まりました。そしていま人類はその生存をおびやかす複雑な問題に直面しています。この爆発的な事態の背後には何がありますか。その答えを,神のことばに求めなければなりません。

      2,3 (イ)「悩みの時」はどのように始まりましたか。(ロ)ゴグは何者ですか。なぜ神の「民イスラエル」を攻撃するようになりますか。

      2 先に引用したダニエルの預言は,天使長ミカエルがその民を救うために立ち上がる時,「悩みの時」が始まることを述べています。また黙示録 12章7節から9節はこの同じミカエルが立ち上がり,すなわちイエス・キリストが王の位につき,大敵サタンを天から地の近くに放逐することを描いています。こうしてサタンは怒れる悪霊の君ゴグとなり,自分に残された限られた霊界すなわちマゴグの地から,いま神の民が地に占める真の崇拝の領域にむかって最後の攻撃を仕かけます。コグと手下の悪霊および彼らが召集する諸国家の連合核兵力は,神の真の崇拝者すなわちエホバのクリスチャン証人を滅ぼすことができますか。神ご自身のことばから答えを得ましょう。

      3 「是故に人の子よ汝預言してゴグに言へ主エホバかくいひたまふ其日に汝我が民イスラエルの安然に住むを知ざらんや 汝すなはち北の極なる汝の処より来らん衆多の民汝とともにあり皆馬に乗る 其軍隊は大にしてその軍勢は夥多し,而して汝わが民イスラエルに攻きたり雲のごとくに地を覆はん ゴグよ末の日にこの事あらん すなはち我汝をわが地に攻きたらしめ汝をもて我の聖き事を国々の民の目のまへにあらはして彼らに我をしらしむべし」― エゼキエル 38:14-16,文語。

      4 1914年以降の出来事はどのように予表されていましたか。

      4 しかしエホバはゴグをもってどのようにご自身の聖なることを表わされるのですか。紀元前8世紀,ユダのヒゼキヤ王の時代に起こった劇的な事件は,ヒゼキヤよりも偉大なキリスト・イエスが西暦1914年,神の天の国において権を執られてのちに起こる今日の出来事を示しています。

      脅威にたちむかう備え

      5,6 (イ)セナケリブの進撃について述べなさい。(ロ)エホバは何を保証されましたか。それはなぜ今日,興味ある事柄ですか。

      5 アッシリヤ軍は進撃の最中でした。一見すると,当時の国家主義的な争闘の中にあってセナケリブ王はその世界支配を妨げる唯一の敵エジプトを攻撃するように見えました。しかしユダの町々はその進撃の途上にあったのです。押し寄せる全体主義の勢力に,それは一つ一つ呑み込まれました。アイアテからノブに至る町を次々に攻め取ってエルサレムの城壁が見えるところにまで押し寄せたアッシリヤ軍について,イザヤ書 10章28節から32節はこう述べています。「彼はシオンの娘の山,エルサレムの丘にむかってその手を振る」。エルサレムの人々は恐れおののきましたか。いいえ。「主万軍のエホバ」ご自身からすばらしい保証を与えられていたからです。

      6 「シオンに住むわが民よ,アッスリヤびとが,エジプトびとがしたように,むちをもってあなたを打ち,つえをあげてあなたをせめても,彼らを恐れてはならない。ただしばらくして,わが憤りはやみ,わが怒りは彼らを滅ぼすからである」。(イザヤ 10:24,25)現代において国家主義の脅威に直面しても,わたしたちはこの預言的な保証のことばから慰めを得られます。

      7,8 (イ)復興した残れる者に攻撃を加えるため,サタンは何を企てましたか。(ロ)他のどんな預言に一致してエホバの証人は,この攻撃に備えることに努めましたか。

      7 それはなぜですか。現代において,統治する王イエス・キリストが,1919年,エホバの証人の油そそがれた残れる者を真の崇拝の地位に回復させるやいなや,サタンは彼らに猛烈に反対しはじめました。ドイツの「北の王」は第一次世界大戦で頭に痛手をこうむったにもかかわらず,世界を征服して真の崇拝を地から絶とうとするサタンの新たな全ての有力な担い手になりました。(黙示 13:3)1920年代と1930年代の歴史は,ナチス-ファシスト-カトリック・アクションの台頭を記録しています。この勢力は「南の王」エジプトによって予表された民主主義諸国を打ち負かそうとしただけでなく,熱心な少数者グループであるエホバの証人にも攻撃のほこ先を向けました。

      8 これら真の神の崇拝者は,神の別の預言者のことばが成就することを信じていました。「アッスリヤの人我らの地に攻いり我らの境を踏あらす時には彼[キリスト]その手より我らを救はん」。そこで彼らは宣教に励み,「七人の牧者八人の人君を立てこれに当」たりました。すなわち崇拝に率先するための,じゅうぶんな,またそれ以上の献身した監督がたてられたのです。(ミカ 5:1,5,6,文語)そのうえ1938年までに全世界のエホバの証人の会衆には神権的な機構が回復され,エホバの過分の恵みによって「アッスリヤの」攻撃に耐えるだけの備えができました。

      9 ヒゼキヤはどのようにして目前の脅威を除きましたか。それは今日どんな意義がありますか。

      9 ヒゼキヤの時代の侵略について次のことが記録されています。「ヒゼキヤ王の第14年にアッスリヤの王セナケリブが攻め上ってユダのすべての堅固な町々を取った」。目前の脅威をそらすために,ヒゼキヤはセナケリブに貢を出し,課せられたものを支払うためエホバの神殿の戸および柱から金をはぎ取ることさえしました。(列王下 18:13-16)疑いなくこれは時をかせいで敵と組み合う姿勢をととのえるための,ヒゼキヤの神権的な戦略でした。同様に今日でもエホバの証人は,神から授けられている真の崇拝の権利を守るため,時に用心深く行動しなければなりません。国家主義の強い国々において公の戸別訪問また雑誌配布による証言は時に不可能であり,エホバの民はこの奉仕の門戸を敵に渡さなければならないかもしれません。しかし偶然の証言,公園での証言,関心を持つことが知られている人への再訪問と聖書研究また他の方法により,多くの場合,個人的に大きな犠牲を払っても,エホバへの貴重な奉仕をつづけます。

      10,11 (イ)ヒゼキヤは他にどんな賢明な手段をとりましたか。なぜですか。(ロ)その成就において,今日の残れる者はどのように行動しましたか。

      10 しかしヒゼキヤはエホバの都と崇拝の宮が守られることを期待して,他の賢明な手段をとりました。「ヒゼキヤはセナケリブが来て,エルサレムを攻めようとするのを見たので,そのつかさたちおよび勇士たちと相談して,町の外にある泉の水を,ふさごうとした。彼らはこれを助けた。多くの民は集まって,すべての泉および国の中を流れる谷川をふさいで言った,『アッスリヤの王たちがきて,多くの水を得られるようなことをしておいていいだろうか』」。(歴代下 32:1-4)これらの貴重な水はトンネルによって町の中に汲みとられました。―列王下 20:20。

      11 同様に,1919年に真の崇拝が復興されてのち,地上でキリスト・イエスを代表するエホバの証人の油そそがれた残れる者は,エホバが御子をとおして供給される御国の真理に注意を向けました。生気を与えるこの真理の水は,全能の神にあえて敵対する者を益するために流れるのではありません。敵の干渉を受けないようにそれを隠すことが必要です。それでも残れる者は工場を建設し,公にであろうと,ひそかにであろうと,全世界で印刷の事業をつづけ,地上にいる神の家の者のために「時に応じて」霊的な食物を供え,「忠実な思慮深い僕」としての預言的な使命をはたしてきました。警察国家においては,それは激しい反対にあいながらも行なわれたのです。―マタイ 24:45-47。

      12,13 (イ)ヒゼキヤのその後の勇敢な行動は何を表わしていますか。(ロ)エホバのしもべは,今なぜ喜ぶことができますか。

      12 「ヒゼキヤはまた勇気を出して,破れた城壁をことごとく築き直して,その上にやぐらを建て,その外にまた城壁を巡らし,ダビデの町のミロを堅固にし,武器および盾を多く造(った)」。(歴代下 32:5)その成就において,キリスト・イエスは,霊的な戦いに備えてエホバの証人の組織を強め,何世紀にもわたるキリスト教国の背教および第一次世界大戦中エホバの証人が大胆に伝道しなかったことによって生じた破れをつくろうことをされました。そのうえ王は「信仰のたて」と「御霊の剣,すなわち,神の言」をご自身の追随者に与えて神権的な奉仕のために彼らを活気づけられました。―エペソ 6:16,17。

      13 この霊的な武具を与えられ,また真理の水をふんだんに供給されて,残れる者とその仲間の崇拝者は確かに祝福されています。彼らは,ヒゼキヤの時代にエホバの宮で歌ったコラの子たちと同じく歓喜します。「一つの川がある。その流れは神の都を喜ばせ,いと高き者の聖なるすまいを喜ばせる。神がその中におられるので,都はゆるがない。神は朝はやく,これを助けられる」。(詩 46:4,5)昔も今もこれは真実ではありませんか。

      14,15 (イ)時宜を得たどんな励ましが次に与えられましたか。(ロ)それと似たどんな備えが今日設けられましたか。それはどんな成果を生みましたか。

      14 「ヒゼキヤ……民を集めてこれを労ひて言ふ,汝ら心を強くし且勇めアッスリヤの王のためにも彼とともなる群衆のためにも懼るゝ勿れ慄く勿れ我らとともなる者は彼とともなる者よりも多きぞかし 彼とともなる者は肉の腕なり然れども我らとともなる者は我らの神エホバにして我らを助け我らに代りて戦ひたまふべしと民はユダの王ヒゼキヤの言に安んず。(歴代下 32:6-8,文語)この集まりは,定めし励みを与えるものであったでしょう。今日のエホバの証人の大会におけると同じく,励みを与えることばはユダの人々の胸をうち,「からだを殺」してもそれ以上何もできない者たちの国家主義的な脅威に直面して恐れることのないように人々を強めました。―マタイ 10:28。

      15 現代においてナチス-ファシスト-カトリック・アクションの脅威が増大するにつれ,エホバは地上の経路をとおして時宜にかなった励みを与えられました。1933年11月1日号「ものみの塔」誌に出た記事「彼らを恐るるなかれ」は,大きな励みとなるものでした。ドイツおよび他の全体主義国においてエホバの証人が強制収容所に入れられ,苦しめられるようになった時,ダニエルの預言に関する記事をのせた,1934年10月,11月,12月号の「ものみの塔」誌は,迫害の試練に耐え,“獅子の穴”にも生き延びるように彼らを励ましました。洪水のような全体主義的国家主義もクリスチャンの忠実をまげさせるには全く無力でした。30年後の今日でもそれは同じく無力です。

      論争を明らかにする

      16 (イ)ユダにおける事態は今やどんなでしたか。(ロ)今日,サタンの宣伝の背後には,悪霊のどんな目的がありますか。

      16 しかし今やセナケリブはユダの多くの町を荒廃させ,「その全軍をもって」エルサレムの南西50キロほどに迫り,最後の前哨地点の一つラキシを囲みました。(歴代下 32:9)同じく今日においてもサタン悪魔はエホバの崇拝の地を侵略し,「全地の王」たちを集めました。それは神の民に敵対させ,ハルマゲドンにおける「全能の神の大なる日(の)戦い」の時サタンの側につかせるためです。この目的を成就するため,サタンは悪霊の宣伝をあおりたててきました。それはサタン自身である竜の口のみならず,「獣[獣的な地上の政治組織]の口から,にせ預言者[大きな発言をする英米帝国]の口から」出てきます。(黙示 16:13,14,16)よろめいている国家主義的な諸政府,分裂している国連その他人間の機関を支持するやかましい宣伝は,結局のところ,エホバの建てられた,キリストによる御国に反対を表明するものです。

      17 現代のラブシャケはどのようにその宣伝をエホバの証人に聞かせようとしましたか。

      17 しかしサタンの宣伝には,地上の崇拝の場所で神に真に奉仕する人々を気落ちさせ,おびやかす意図も含まれています。セナケリブがタルタン,ラブサリス,ラブシャケを大軍とともにつかわし,エルサレムに閉ぢ込められたユダの人々をあざけらせたことは,それを示しています。ラブシャケの名は,「洒人の長」を意味する称号と思われます。彼は一団の代弁者となり,ユダヤ人に対するアッシリヤの宣伝をとうとうと述べたてました。ヨセハスによれば彼は裏切り者のユダヤ人であり,「ユダヤの言葉」を話すことができました。ラブシャケのようなサタンの洒人たちは今日,エホバの証人に接近して彼らをおびやかし,神への忠実をまげさせようと努めています。

      18 第二次世界大戦中の宣伝のために,どんな忌まわしい行為が生まれましたか。それらの行為は目的を達成しましたか。

      18 これは1930年代の終わりから1940年代の初めにかけての苦難の時期に相当します。キリスト教国の僧職者をも含めてサタンの宣伝者たちは,エホバの証人に対する激しい憎しみをあおりたて,ナチスのかぎ十字章その他,国家主義の表象である国旗の敬礼を要求しました。独裁主義の支配下でエホバの証人は投獄され,殺されました。民主主義国においても彼らは暴徒に襲われ,家や集会場所を破壊され,子供たちは放校されました。そのすべては国家主義的な宣伝の結果です。しかしそのおびやかしにもかかわらず,現代の“ラブシャケ”は神の証人の忠実をくじくことができませんでした。彼らは神への奉仕を熱心につづけ,その結果,第二次世界大戦勃発前の1939年,7万1509人を数えた奉仕者は,大戦の終わった1945年までに14万1606人に増加しました。

      19,20 (イ)ラブシャケはどのようにエホバをあなどりましたか。(ロ)その成就において,彼の高言はどのようになかば真実であり,なかば偽りでしたか。

      19 ラブシャケは真の神エホバをあなどりました。「アッスリヤの王セナケリブはこう言います,『あなたがたは何を頼んでエルサレムにこもっているのか。ヒゼキヤは「われわれの神〔エホバ〕がアッスリヤ王の手から,われわれを救ってくださる」と言って,あなたがたをそそのかし,飢えと,かわきをもって,あなたがたを死なせようとしているのではないか……わたしの先祖たちが滅ぼし尽したそれらの国民のもろもろの神のうち,だれが自分の民をわたしの手から救い出すことのできたものがあるか。それで,どうしてあなたがたの神が,あなたがたをわたしの手から救い出すことができよう。それゆえ,あなたがたはヒゼキヤに欺かれてはならない。そそのかされてはならない。また彼を信じてはならない。いずれの民,いずれの国の神もその民をわたしの手,または,わたしの先祖の手から救いだすことができなかったのだから,ましてあなたがたの神が,どうしてわたしの手からあなたがたを救いだすことができようか』」― 歴代下 32:10-15,〔文語〕。

      20 その成就においても,確かに世界の諸宗教や神々は,国家主義の犠牲にならないようにその帰依者を守ることができませんでした。いざとなると,カトリック信徒,新教徒,ユダヤ教徒,仏教徒その他は,国家主義的戦争にまき込まれました。しかしエホバに信頼し,神から力を与えられたキリストに信頼する霊的なユダ人すなわち真のクリスチャンは嘲笑やおどしを恐れません。彼らは忍耐強くエホバにより頼みます。

      21,22 (イ)セナケリブは次にどんな誘惑的な申し出をしましたか。(ロ)人々はどのように応じましたか。それは今日のわたしたちにどんな先例となっていますか

      21 アッシリヤの王は妥協とひきかえに誘惑的な報いをさしのべました。「あなたがたはわたしと和解して,わたしに降服せよ。そうすればあなたがたはおのおの自分のぶどうの実を食べ,おのおの自分の井戸の水を飲むことができるであろう。やがてわたしが来て,あなたがたを一つの国へ連れて行く。それはあなたがたの国のように穀物とぶどう酒のある地,パンとぶどう畑のある地,オリブの木と蜜のある地である。あなたがたは生きながらえることができ,死ぬことはない。ヒゼキヤが『〔エホバ〕はわれわれを救われる』と言って,あなたがたを惑わしても彼に聞いてはならない」。隣国のイスラエルさえ,アッシリアの前に倒れたのです。しかし「民は黙して,ひと言も彼に答えなかった。王が命じて『彼に答えてはならない』と言っておいたからである」― 列王下 18:31-36,〔文語〕。

      22 同様に今日のエホバの証人も,サタンの宣伝者と言い争ったり,論じたりしません。彼らはヒゼキヤまたその有名な先祖ダビデ王の手本にならいます。ダビデ王は次のように述べました。「悪しき者のわたしの前にある間はわたしの口にくつわをかけよう」― 詩 39:1。

      23 現代のエホバの証人は,セナケリブのそれに似た申し出をどのようにしりぞけましたか。

      23 ドイツの強制収容所においてエホバの証人がナチスから受けた誘いは,アッシリヤ王の申し出たことと似ています。ナチスの“神”をたたえることを拒絶して何年も投獄されてのち,彼らは信仰を否定するという条件の下に自由を提供されました。彼らはどう答えましたか。目撃者は次のように書いています。「信仰を否定しさえすれば,彼らはすぐに釈放されたのです。しかし彼らは抵抗をやめず,収容所内に文書を持ち込むことにさえ成功しました。そのため彼らの中のある者たちは絞首刑にされました」。a たとえ死の危険をおかしても,彼らは真の崇拝を堅く守り,至上主権者また復活の神であられるエホバに対する忠実を守りました。

      24 (イ)ヒゼキヤはなぜ憂いましたか。彼は何をしましたか。(ロ)ヒゼキヤが預言者イザヤに頼ったことは,何を予表していますか。

      24 ヒゼキヤはラブシャケのことばを聞いて悲しみました。それは「からだを殺」すかもしれない者を恐れ,また残酷なアッシリヤ人が自分やユダの人々に加えるかもしれない仕打ちを恐れたからですか。そうではありません。ヒゼキヤが悲しんだのは,エホバの御名にもたらされた非難のためです。「ヒゼキヤ王これを聞てその衣を裂き麻布を身にまとひてエホバの家に入り(ぬ)」。(列王下 19:1,文語)ヒゼキヤは崇拝の場所でエホバからのお告げを求めました。今日ヒゼキヤより偉大なキリストの下に仕えるエホバの証人の油そそがれた残れる者とその仲間は,苦難の時の慰めを,神への熱心な奉仕および宮における奉仕者との交わりに見いだしています。またイエスの油そそがれた追随者の地上における組織,「忠実な思慮深い僕」に正しい道を尋ね求めます。同じようにヒゼキヤは,エホバの御名にかかわる危機の時にあたり,エホバの伝達の経路すなわち忠実な預言者イザヤから助言を求めました。―列王下 19:2。

      25,26 (イ)神の民は,悩みの時,何に対して無力な存在ですか。(ロ)イザヤはどんな保証を与えましたか。

      25 荒布をまとって身を低くしたヒゼキヤの宮内卿や年長の祭司たちは,イザヤにこう言います,「ヒゼキヤはこう申されます,『きょうは悩みと,懲らしめと,はずかしめの日です。胎児がまさに生れようとして,これを産み出す力がないのです。あなたの神〔エホバ〕はラブシャケがその主君アッスリヤの王につかわされて,生ける神をそしったもろもろの言葉を聞かれたかもしれません。そしてあなたの神〔エホバ〕はその聞いた言葉をとがめられるかもしれません。それゆえ,この残っている者のために祈をささげてください』」。(列王下 19:3,4,〔文語〕)自分の力に頼っても,エホバの民は国家主義の脅威に直面して無力です。しかしエホバの力を忘れてはなりません。イザヤはこれに関してどんな保証を与えましたか。

      26 「イザヤは彼らに言った,『あなたがたの主君にこう言いなさい,「〔エホバ〕はこう仰せられる,アッスリヤの王の家来たちが,わたしをそしった言葉を聞いて恐れるには及ばない。見よ,わたしは一つの霊を彼のうちに送って,一つのうわさを聞かせ,彼を自分の国へ帰らせて,自分の国でつるぎに倒れさせるであろう」』」― 列王下 19:5-7,〔文語〕。

      27 国家主義的な王とサタンの組織の滅びに関する預言はどのように成就しますか。

      27 セナケリブが遂に卑しむべき敗北をこうむって逃げ去るという確かな保証です。今日においても同じくエホバの預言のことばは,サタンとその軍隊が最後には砕かれることを,神の忠実な証人たちに保証しています。国家主義的な「北の王」について言えば,エホバとその王から出て地上の油そそがれた証人により伝えられる「知らせが彼を驚かし」,そのために「王」は神の民に猛然といどみます。しかしその時エホバは行動されます。全体主義の「北の王」は滅び,「彼を助ける者はないでしょう」。「南の王」もまた「人手によらずに」滅ぼされます。(ダニエル 11:44,45; 8:25)サタンの地上の全組織は,永劫の滅びである「火の池に投げ込まれ」ます。これはエホバからの,喜ばしい保証です。―黙示 19:20。

      28 エホバはどんな備えを設けられましたか。エホバの証人は,国家主義の挑戦にどのように答えましたか。

      28 第二次世界大戦の戦雲が濃くなるにつれ,エホバの証人の直面した危機については何が言えますか。全体主義の国だけでなく民主主義の国においても国家主義が大きな問題となった時,エホバの民はエホバの恵みによって備えられる「時に応じ(た)食物」を得て強められました。1939年11月1日号「ものみの塔」誌にのせられた「中立」の記事は,第二次世界大戦中の国家主義のあらしの中で妥協しない道をとるための導きを多くの人に与えました。エホバの証人は,たとえ仲間のクリスチャンであろうと,他国に住む者ならば敵として殺すという考え方を受け入れませんでした。非難され,投獄され,たとえ命を失っても彼らはクリスチャンとしての中立を守り,国家主義的なあらゆる障壁を超越する互いの愛を示しました。そして現代のセナケリブの「世のものでない」ことを証明したのです。聖書の原則を断固として擁護した彼らの立場は,宣伝者たちに完全な答えを与えるものとなりました。エホバの御名が崇められました。―ヨハネ 13:34,35; 17:14。

      29 (イ)予表となる事柄と一致して,エホバの証人は第二次世界大戦の終わりにどんな一時的な救いを得ましたか。(ロ)しかしさらに困難を予想しなければならないのはなぜですか。

      29 記録からみると,セナケリブはラブシャケの高慢な挑戦を直ちに実行に移したのではないようです。それは南方のエジプトの支配者テルハカのために一時的な敗北をこうむったせいかもしれません。これは,油そそがれた残れる者を呑みつくそうとの意図をもってサタンの吐いた全体主義の「川」が,民主主義諸国によって呑みほされたことに相当します。残れる者は,女にたとえられるエホバの組織を地上で代表します。しかし第二次世界大戦の終結の時に得られたこの救いも一時的なものにすぎません。マゴグのゴグは今でも活動しています。それについて預言はこう述べています,「竜は,女に対して怒りを発し,女の残りの子ら,すなわち,神の戒めを守り,イエスのあかしを持っている者たちに対して,戦いをいどむために,出て行った」。(黙示 12:15-17)その結末はどうなりますか。いまそれを調べることにします。

  • 「イスラエルの聖者」をあがめる
    ものみの塔 1968 | 7月1日
    • 「イスラエルの聖者」をあがめる

      「我わが聖き名をわが民イスラエルの中に知しめ重ねてわが聖き名を汚さしめじ国々の民すなはち我がエホバにしてイスラエルにありて聖者なることを知るにいたらん」― エゼキエル 39:7,文語。

      1 人類,とくにエホバの証人はどんな事態に直面していますか

      人類をみぞうの苦しみにあわせた二つの世界大戦は終わったものの,共産主義の「北の王」と民主主義の「南の王」は,国家主義的な宣伝でふたたび地を満たしました。それぞれ核兵器をかかえてにらみ合いながら,両者は“冷たい”戦争と“小規模な”戦争をして押し合っています。(ダニエル 11:40)彼らは競争的な共存について論じますが,実は自分だけが生き残ることを決意しています。緊張が増すと,世界のどこにおいても国家主義的な忠誠心があおりたてられます。その背後であやつっている,いやしめられたサタンすなわち「マゴグのゴグ」は,「大いなる王の都」すなわちエホバが霊によって住まれる天のエルサレムを地上で代表するエホバの油そそがれた証人を最終的に攻撃する態勢をとりつつあります。―詩 48:2。

      2 セナケリブはどのようにふたたびエルサレムをおびやかしましたか。

      2 列王紀下 19章8節から10節の記録によってみると,アッシリヤの王はなおエルサレムに近づき,わずか40キロ離れた「リブナを攻め」ました。王はそこから脅迫的な手紙をヒゼキヤに送り,ヒゼキヤの使いにこう告げています,「ユダの王ヒゼキヤにこう言いなさい,『あなたは,エルサレムはアッスリヤの王の手に陥ることはない,と言うあなたの信頼する神に欺かれてはならない』」。

      3 (イ)共産主義の「北の王」はどんなおどしの手段をとりましたか。(ロ)一解説者によれば,ソ連邦におけるエホバの証人の迫害はどんな結果を生みましたか。

      3 それと同じく第二次世界大戦後の時代にも,高慢なサタンの宣伝者たちは,すべての国の民をハルマゲドンに集めるだけでなく,エホバの忠実な崇拝者をおどして,神の前における彼らの立場を妥協させようと努めています。現在,共産主義者が圧倒的な地位を占めている「北の王」は,特に激しくエホバの証人を攻撃してきました。彼らは苛列な宣伝にさらされてきました。そのうえ1951年の4月までには7000人ものエホバの証人がソ連邦西部の諸共和国で逮捕され,ウラル,シベリア,ボルクタ,カザクスタンの強制収容所に追放された模様です。彼らはクリスチャンの忠実を試みるこのおどしにどう対処しましたか。ウォルター・コラーツは「ソ連邦における宗教」の中で次のように述べています。

      これはソ連における“証人”の最後ではなく,彼らの布教活動に新しい時期を画するものであった。彼らは流刑の地におもむく途中の停車駅においてさえ,自分たちの信仰をひろめようとした。ソ連政府が彼らを追放したことは,信仰をひろめる,またとない好機を彼らに与える結果になった。“証人”は孤立した村から,たとえそれが強制労働の恐ろしい収容所であろうと,広い世界へ連れ出されたのである。彼らがそこで会ったのは幻滅の悲哀を感じ,しいたげられた人々であった。その多くは,現存する世代のうちに世の政治機構が一変するという彼らの約束を受け入れる気持ちになっていた。

      1955年の恩赦令によって,古い“証人”も新しい改宗者も故郷に帰るか,自由労働者として流刑地に残るかした。こうして……エホバの証人はソ連邦の各地にひろがった。彼らはソ連西部の諸共和国にふたたび現われた。また極東やコミ共和国など,以前の強制労働の地区に新しい組織を作りあげた。ボルクタに至る悪名高いペコラ鉄道の沿線には,エホバの証人の支部がある。エホバの証人はシベリア,カザクスタンにも侵入した。彼らはその地方に特に多い……エホバの証人の組織はダゲスタンにも作られた……一言にして言えば,ソ連邦におけるエホバの証人の組織は世界最強であろう。また世俗の権力からこれほど反対の宣伝を受けているものもあるまい。

      エホバの証人の危険と戦うことにおいて,フルシチョフがヒトラーやスターリンよりも成功収めたかどうかは,将来になってみなければわからない。

      ヒトラー,スターリン,フルシチョフの時代はいずれも過ぎ去りました。しかし「北の王」の地でそしられた霊的なユダの人々はその崇拝を拡大し,エホバを賛美しています。

      4 (イ)セナケリブは,どのようにひきつづきエホバをそしりましたか。(ロ)共産主義の宣伝者は,どのように似た手口を用いましたか。どんな結果になりましたか。

      4 エルサレムに対する第二の宣伝の攻撃は,次の記録に要約されています。「セナケリブの家来は,このほかにも多く〔エホバ〕なる神,およびそのしもべヒゼキヤをそしった。セナケリブはまた手紙を書き送って,イスラエルの神〔エホバ〕をあざけり,かつそしって言った,『諸国の民の神々が,その民をわたしの手から救い出さなかったように,ヒゼキヤの神も,その民をわたしの手から救い出さないであろう』と」。(歴代下 32:16,17,〔文語〕)共産主義者の宣伝も同様です。その中には「エホバ神の名によって行く」と題した159頁の本,プラウダ,トラッド両紙に出た非難の記事,「くも」と題してクロコディル誌に出た,さし絵入りの記事,「ハルマゲドン」,「仮面をぬいだ使徒」と題する軽べつ的な映画があり,そのすべてはエホバの御名をそしり,エホバの証人の伝道活動を非難しています。しかしエホバの証人は,共産主義者の攻撃にひるみましたか。ソ連内部からの報告によれば,そのようなことはありません。次にあげるのは,その典型的なものです。

      「北の王」の心臓部にいわば位置している我々の兄弟は,エホバとその真理のために全生活,全財産を犠牲にしても偉大な主権者,神権者であられるエホバ神の側に献身的に,また忠実に立っている。信仰のための,この厳しい,決定的な戦いにおいて,彼らはその神エホバを擁護して戦う。神の国の音信はカルパチアから千島列島に至るまで勝利を収めつつある」a

      5 セナケリブの宣伝者のぼうとくと軌を一にして,共産主義者はどんな愚に陥りましたか。

      5 神をけがす侮りはつづけられました。「そして彼らは大声をあげ,ユダヤの言葉をもって,城壁の上にいるエルサレムの民に向かって叫び,これをおどし,かつおびやかした。彼らは町を取るためである。このように彼らがエルサレムの神について語ること,人の手のわざである地上の民の神々について語るようであった」。(歴代下 32:18,19)彼らはあわれむべき盲目の宣伝者です。彼らは,わたしたちの神を木石の神々,諸国民の無益な偶像と同じに考えています。共産主義者は先祖の行なった偶像崇拝の偽善に気づいたかもしれませんが,国家の英雄や軍事的な「要害の神」をあがめ,科学上の業績を誇る愚に陥りました。(ダニエル 11:38)ちっぽけな宇宙船から神の姿を認めなかったゆえに「エホバはいない」と言うのは,無分別にすぎます。―詩 14:1,新世訳。

      6 だれが宣伝の運動に加わっていますか。それでエホバの証人はだれの助けを求めますか。

      6 世界情勢の悪化に伴って,「南の王」である民主主義諸国もその国家主義的な独自の宣伝を始めつつあります。「北」にも「南」にもつかないエホバの証人は,危機の最高潮の時にどうしますか。ヒゼキヤとイザヤがしたとおりのことです。「ヒゼキヤ王およびアモツの子預言者イザヤは共に祈って,天に呼ばわった」。(歴代下 32:20)今日のエホバの民にとっての良い手本です。

      エホバによりたのむ

      7,8 (イ)ヒゼキヤは何を懇願しましたか。(ロ)ヒゼキヤの祈り,また詩篇 83篇の祈りは,なぜかなえられますか。

      7 列王記下(またイザヤ書 37章)の記録は,事件の経過をさらにくわしく描いています。「ヒゼキヤ使者の手より書を受てこれを読みエホバの家にのぼりゆきてエホバの前にこれを展開げ,而してヒゼキヤ,エホバの前に祈りて言けるはケルビムの間にいますイスラエルの神エホバよ世の国々の中において只汝のみ神にいます也汝は天地を造りたまひし者にいます エホバよ耳を傾けて聞たまへエホバよ目を開きて見たまへセナケリブが活る神を謗りにおくれる言語を聞たまへ」― 列王下 19:14-16,文語。

      8 ヒゼキヤがおもに気づかったのは自分の救いですか,それともエホバの御名にもたらされたそしりを除くことですか。アッシリヤ人に関するヒゼキヤの祈りはそれに答えています。「今われらの神エバホよ願くは我らをかれらの手より拯ひいだしたまへえ然らば世の国々皆汝エホバのみ神にいますことを知にいたらん」。(列王下 19:19,文語)これは「アッスリヤ」をもその中に含む別の有名な祈りを思いおこさせます。「かれらをとこしへに恥おそれしめ惶てまどひて亡びうせしめたまへ,然ばかれらはエホバてふ名をもちたまふ汝のみ全地をしろしめす至上者なることを知るべし」。(詩 83:8,17,18,文語)これらの祈りがかなえられずに終わることはありません。

      9,10 (イ)エホバはその経路をとおしてどんな答えを与えられましたか。この経路はだれを予表していますか。(ロ)残れる者は,サタンの侮りに対してどのように勝ちを得ますか。(ハ)真に侮りを受けるべき者はだれですか。なぜそうですか。

      9 エホバはご自身,神であることを証明されますか。そしてすべての国の前に御名をきよめられますか。預言者イザヤをとおしてヒゼキヤに与えられた答えは,そのことについて疑問の余地を残していません。これは現代の経路である「忠実な思慮深い僕」― 地上における油そそがれた証人の残れる者をとおして宣明されているエホバの音信をよく表わしています。「処女であるシオンの娘はあなたを侮り,あなたをあざける。エルサレムの娘はあなたのうしろで頭を振る。あなたはだれをそしり,だれをののしったか。あなたはだれにむかって声をあげ,目を高くあげたのか。イスラエルの聖者にむかってしたのだ」― 列王下 19:21,22。

      10 サタンとその手先がどんなに試みても,地上の神の民の忠実と崇拝をくじこうとする努力は必ず失敗します。侮りや嘲笑は,なんの役にもたちません。エホバの証人の油そそがれた者である残れる者は,キリストにいいなずけした者としてふさわしく行ない,クリスチャンの処女性を保ちます。(コリント第二 11:2)真に侮られるべき者は,高慢なサタンです。誕生した神の国の上にみずからを高めようと企てたサタンは,キリストによって悪霊もろとも追い落とされ,マゴグの地のゴグと成り下って甚しくいやしめられました。(黙示 12:1-9。イザヤ 14:12-15。エゼキエル 38:2)「処女であるシオンの娘」に対するゴグの企ては,ゴグを不面目な滅びに定めます。彼は肉の戦いによって彼女を奪い去ることはできません。その狂暴な最後の攻撃は,彼が実際には「イスラエルの聖者」エホバご自身に敵対していることを示しています。

      11 現代のアッシリヤ人は何を誇りますか。しかしエホバはどのように答えられますか。

      11 ごう慢なアッシリヤ王にとって,レバノンの香柏の大木を切り倒すことであれ,ナイル川の運河を干すことであれ,不可能なことは何一つないように見えました。同じく現代のゴグも,「北」と「南」の核兵器をもって征服できないものは何もないと考えています。この圧制者をどうにかできるのはエホバのみです。その不動の目的は,昔の預言者をとおして表明されています。「汝聞ずや昔われ之を作し古時よりわれ之を定めたり今われ之をおこなふ」。(列王下 19:25,文語)サタンであるゴグのあと押しをもってしても,エホバの正義のさばきの時に耐え得る地上の組織や人はありません。

      12 偽りの宗教とその帰依者は,“アッシリヤ”の軍勢の手でどうされますか。

      12 ゴグの下にある「北の王」は,現代の偽りの宗教の世界帝国を荒廃させることにおいて確かにその役割をはたすでしょう。黙示録 17章はそれを明らかにしており,エホバが「十の角」すなわち地上の国家の支配者の総数を用いて「御旨」つまり宗教制度を滅ぼすことをも含めてそのお目的を成就することを示しています。(黙示 17:16,17)昔のアッシリヤが,悪霊を崇拝した国々の「堅固な町々」を荒廃させたように,現代の「アッスリヤ」は,今日の偽りの宗教を滅ぼすことに一役買うでしょう。これらの国家主義的な組織が崩壊する時,その中に避難していた人々は「力弱くおののき,恥をいだ」くでしょう。彼らは「野の草のように,青菜のようになり,育たないで枯れる屋根の草のように」なります。(列王下 19:25,26)黙示録 18章9節から19節もごらんください。

      13,14 (イ)アッシリヤ人のまちがいはどこにありましたか。(ロ)エホバはいま何を宣言されましたか。それで今日エホバの証人はどんな保証を得ていますか。

      13 しかしアッシリヤ王自身,大きなまちがいをしました。彼は,エホバが真の崇拝者に対して与えられた土地にはいり込んだのです。リブナに迫った彼は,次はエルサレムであると考えました。セナケリブと「イスラエルの聖者」との対決する時が来たのです。エホバは敵の力を見抜かれており,サタンであるゴグをあざけって言われます,「わたしはあなたのすわること,出入りすること,わたしにむかって怒り叫んだことをも知っている。あなたがわたしにむかって怒り叫んだことと,あなたの高慢がわたしの耳にはいった」。(列王下 19:27,28)マゴグの地に閉ぢ込められて怒り狂うゴグは好敵手にあいます。

      14 アッシリヤの王は,捕虜にした王たちに鼻輪をつけてニネベにひいて行きました。しかし今度はゴグの番です。「わたしはあなたの鼻に輪をつけ,あなたの口にくつわをはめ」と,エホバは言われます。エホバの忠実な証人を無理やりに妥協させようとする卑劣な企ては失敗します。彼らはエホバに祈り,エホバにより頼みました。現代のアッシリヤがいかに兵力を結集し,エホバがキリストによって地に建てられた真の崇拝のとりでに総攻撃を加えるためにいかに多くの兵士を召集しようとも,エホバの証人はクリスチャンの中立の立場を守ります。彼らは国家主義の宣伝に負けず,エホバを堅いやぐらとして安全を得ます。彼らが御名にあげる賛美と崇拝の歌は,妨げられてもやむことがありません。大敵に対するエホバのことばは決定的です。「わたしは……あなたをもときた道へ引きもどすであろう」― 列王下 19:28。

      「あなたに与えるしるし」

      15,16 エホバはその民に対してどんなしるしを与えられましたか。彼らはそれに一致してどのように行動しなければなりませんか。

      15 ついでエホバは預言者イザヤをとおしてこう言われます,「あなたに与えるしるしはこれである。すなわち,ことしは落ち穂からはえたものを食べ,二年目にはまたその落ち穂からはえたものを食べ,三年目には種をまき,刈り入れ,ぶどう畑を作ってその実を食べるであろう。ユダの家ののがれて残る者は再び下に根を張り,上に実を結ぶであろう。すなわち残る者がエルサレムから出てき,のがれた者がシオンの山から出て来るであろう。〔エホバ〕の熱心がこれをされるであろう」― イザヤ 37:30-32。列王下 19:29-31,〔文語〕。

      16 種まきの時期はとうに過ぎていました。アッシリヤの侵入のために,その年に収穫の見込みは全くありません。そこでエホバはその民を奇跡的に養い,「しるし」を与えられました。前年の収穫の落ち穂から生えたものが十分にあったのです。しかしそれだけではありません。その翌年は安息の年であり,ユダの忠実な人々は土地を休ませて,エホバに対する信頼を表わさなければなりません。エホバは備えてくださるでしょうか。エホバに対する信仰は確かに報いをもたらします。また落ち穂から自然に生えたものを「食べ」ることができたのです。3年目にユダの人々はふたたびその働きの実を享受できます。

      17 しるしの初めの部分は,現代においてどのように成就しましたか。

      17 この「しるし」は,西暦1914年以来すばらしい成就をみました。高慢な“アッシリヤ人”とその群衆がエホバ崇拝の聖都を“侵略された娘”とする時,エホバは天のパンの家ベツレヘムから御子の支配を始めさせ,命をささえる霊的な食物をふんだんに備えられます。(ミカ 5:1,2)ゴグとその軍勢はこの奇跡的な備えに対して何の手出しもできません。そのことは,油そそがれたエホバの民が信仰と日毎の従順という安息を守るかぎり保証されています。霊的ユダ人の残れる者は,地上の彼らに対するサタンの攻撃のやむまで,またその後に至るまで養われるでしょう。彼らは神の真の崇拝の地に堅く根を下していることが示され,彼らは神の国において永遠の実を結ぶ者として堅く立てられます。このような残れる者は勝利を得て「エルサレムから」出,このすべてはエホバの御名のあがめられることに関して「しるし」となります。「エホバの熱心これを為べし」― 列王下 19:31,文語。

      18,19 “しるし”の最後の部分は何を予表していましたか。今日その成就はどのように見られますか。

      18 「しるし」の最後の部分として,イザヤはアッシリヤの王について次のことを預言しました。「彼はこの町にこない,またここに矢を放たない,盾をもってその前に来ることなく,また塁を築いてこれを攻めることはない。彼は来た町を帰って,この町に,はいることはない。〔エホバ〕がこれを言う。わたしは自分のため,またわたしのしもべダビデのためにこの町を守って,これを救うであろう」。(列王下 19:32-34,〔文語〕)このことばは,今日,残れる者とその仲間にとって大きな慰めです。ゴグと全体主義的なその軍勢がどんなにおびやかし,またののしっても,彼らはそれ以上近づくことができません。セナケリブの侵入軍は結局のところ,エルサレムから40キロほど離れたリブナまで来てそれ以上は進めなかったようです。彼らは遠くのエルサレムにむかっておびやかし,こぶしをふりあげ,セナケリブはヒゼキヤとその民をおどして屈服させようと,嘲笑する宣伝者をさしむけました。しかし無駄です。アッシリヤは真の崇拝のとりでをおびやかすことにおいて全く無力でした。

      19 現代的アッシリヤ人も真の崇拝にささげられた地に国家主義的な天幕を張ろうとしますが,神のみこころに反対するその企ては無に帰します。その刑務所や収容所はナチス,ソ連,中共のいずれを問わず,エホバの証人の“洗脳”には成功していません。彼らは不屈の信仰を持ち,個人的にも集団的にも敵に対して確固とした立場をとります。エホバは,その民の組織を偽りの,悪霊の宗教と世の不道徳の道から清められました。それで悪霊に支配された国家主義的な支配者が神の民の組織を侵略したり,エホバにとって聖なる真の崇拝を汚したりすることを決して許されません。その偉大な御名のため,また今大いなるダビデ,キリスト・イエスを中心とする御国契約のために,エホバは聖都を地上で代表する者たちを保護されます。(詩 89:34-37)そして現代的アッシリヤ人をその元の所にひきもどす備えをされます。

      20,21 リブナを前にして事態はどのように劇的に一転しましたか。

      20 しかし今やリブナを眼前にした地で起こる劇的な出来事を見てごらんなさい。ヒゼキヤに最後通告をしたセナケリブの家来が,陣営にもどります。最後通告が出されました。シェフラの野には,アッシリヤの精鋭,敗北を知らない軍隊がたむろしています。それはエルサレムに徹底的な打撃を与えようとして振り上げられた槌でした。アッシリヤの誇り高い軍国主義は,大君エホバの都を征服して最も輝かしい勝利を得ようとしているかのようでした。夜のとばりが降りて静けさがあたりを包みました。それはあらしの前の静けさにもにています。

      21 しかし静けさは破られませんでした。夜が明けても,陣営には不気味な静けさがただよっています。なんの物音もしません。遂に何人かのユダ人がリブナを抜け出して偵察にやって来ました。みな来て見なさい。なんという光景でしょう。「その夜,〔エホバ〕の使が出て,アッスリヤの陣営で十八万五千人を撃ち殺した。人々が朝早く起きて見ると,彼らは皆,死体となっていた」― 列王下 19:35,〔文語〕。

      22 これはハルマゲドンにおいてエホバの行なわれることを,どのように予表していますか。

      22 ハルマゲドンの夜のとばりが地の上に降りる時も同様でありましょう。エホバの天使長そして刑罰の執行者であられるキリスト・イエスは速やかに,静かに,盗人のように来られます。ゴグの群衆はひとりとしてのがれることができません。エホバの油そそがれた残れる者の集まりに対して加えられた,彼らの最後の侮りと挑戦ははね返されて,彼らは神の王の鉄の杖で砕かれ,全能の神の怒りの酒ぶねの中で踏みつぶされます。(黙示 19:15)それはヒゼキヤの時と同様でありましょう。「〔エホバ〕はひとりのみ使をつかわして,アッスリヤ王の陣営にいるすべての大勇士と将官,軍長らを滅ぼされた。それで王は赤面して自分の国に帰った」― 歴代下 32:21,〔文語〕。

      23 セナケリブはどんな最後を遂げましたか。それは何を表わしていますか。

      23 しかしごう慢な「アッスリヤ王」は「赤面」するだけですみますか。神の正義のさばきはそれ以上のことを宣告しています。神のことばはセナケリブに関して次のことを記録しています。(これは最近発見されたエサルハドンのプリズムによっても裏づけられていますb)。「王は……その神の家にはいった時,その子のひとりが,つるぎをもって彼をその所で殺した。このように〔エホバ〕は,ヒゼキヤとエルサレムの住民をアッスリヤの王セナケリブの手およびすべての敵の手から救い出し,いたる所で彼らを守られた」。(歴代下 32:21,22,〔文語〕)「偽りの父」サタンも,みずから作った宗教が身の守りにならないことを知るでしょう。キリストは必ずサタンを束縛して,生命のない,底知れぬ所に投げ込み,その中に閉ぢ込めて封印します。(黙示 20:2,3)その時に初めて神の民は至るところに平安を得るでしょう。

      24 型において示されているとおり,エホバとキリストは多くの人にどのように崇められますか。

      24 それはエホバをほめる大いなる時です。歴代志下の記述は次のことばで結ばれています。「そこで多くの人々はささげ物をエルサレムに携えてきて〔エホバ〕にささげ,また宝物をユダの王ヒゼキヤに贈った。この後ヒゼキヤは万国の民に尊ばれた」。(32:23,〔文語〕)神の新しい秩序がハルマゲドン後に到来する時,生き残ったすべての人はエホバと勝利のキリスト,すなわちヒゼキヤより大いなる者をあがめて賛美の犠牲をささげるでしょう。わたしたちはそのことを確信できます。全地は,キリストによる千年の御国の支配の安息を享受します。これは輝かしい前途です! あがない主キリストは,復活によって墓からよみがえる人類の多くの民に尊ばれます。―ヨハネ 5:28,29。

      25 (イ)それでエホバの崇拝者はどんな勝利にあずかりますか。(ロ)いまどんな大きな特権にあずかるべきですか。わたしたちは何に心を傾けるべきですか。

      25 天のシオンの山にとって大いなる勝利です! その城壁の内に安全に住み,真の崇拝を堅く守るすべての人にとって大きな喜びです!「シオンのまわりを歩き,あまねくめぐって,そのやぐらを数え,その城壁に心をとめ,そのもろもろの殿をしらべよ。これはあなたがたが後の代に語り伝えるためである。これこそ神であり,世々かぎりなくわれらの神であ(る)」。(詩 48:12-14)エホバの愛される天のシオンは輝きます。ハルマゲドンを生き残り,全地をめぐる賛美の聖所に永遠の命を見いだす人々の「大ぜいの群衆」に,その栄光を語り伝えるのは,大きな特権ではありませんか。唯一の真の永遠の神エホバの真の崇拝に,わたしたちはこぞって心を傾けます。「イスラエルの聖者」の御名が永遠に立証され,きよめられますように。

      [脚注]

      a 1961年度エホバの証人の年鑑286頁。

      b 法学博士フィリップ・ビバフェルド著「汎ユダヤ史」。

  • 聖書の原則を忠実に守った報い
    ものみの塔 1968 | 7月1日
    • 聖書の原則を忠実に守った報い

      ● ガーナの一エホバの証人は,結婚して5年になりますが,その妻には子供が生まれませんでした。子供が生まれないということは,この国ではきわめて不名誉なこととみなされています。その証人の兄は,あらゆる手を尽くして説得を試みたあげく,エホバに対するその忠節を妥協させようとして最後の手を打ちました。つまり,ある日,ひとりの若い女性を家に連れてきて,こう告げました。「お前は結婚して何年にもなるが,お前の妻はうまずめなのだ。それで,結納金は私が払ってきたから,お前はこの若い女をめとって,子供をもうけなさい」。しかし弟はエホバの証人としてその申し出を拒絶し,結婚および一夫多妻に関するエホバの律法を説明しました。激怒した兄は,弟を家から追い出し,その若い女を3番目の妻にしてしまいました。

      ところがほどなくして,弟の妻が妊娠し,男の子を生んだのです。その二人の喜びを想像してください。しかしその時,兄は困難な事態に陥りました。その年長の妻が病気になり,次に,兄も病気で倒れてしまいました。偶像に犠牲を供えたり,魔よけを通して祈願したりして,あらゆる治療を施したにもかかわらず,病状は少しもよくなりませんでした。こうして兄は魔よけにより頼むことのむなしさに気づきはじめ,こう語りました。「私もエホバの証人の仲間にはいりたい。私の家に来て,偶像をみな焼いてもらえまいか」。そして,いよいよ偶像を焼く予定の日となり,近くの会衆の証人たちが来ました。兄は,それを見守ってもらうため親友を呼び寄せました。証人たちは,御国の歌を歌い,そして同時に偶像にガソリンをかけ,火を放ちました。そして居合わせた人がみな驚いたことに,兄の親友はこう語りました。「みなさんが私の親友の偶像を焼き捨てたのですから,私と一緒に家に来てくださり,私の家にある偶像も焼いていただけまいか。そして私は家族とともにエホバに仕えたいと思います」。

      その兄と親友は今,定期的に集会に出席しており,また,自分たちの結婚関係を正しく処置すべく事を運んでいます。そして,その崇拝のすべての面に十分に参加できる時を待ち望んでいます。結婚に関するエホバの高潔な原則に固く従ったこの証人は,なんというすばらしい祝福を得たのでしょう!―エホバの証人の1968年度年鑑より

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