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ヒッピー ― どんな人々ですか?目ざめよ! 1970 | 5月8日
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事の大小を問わず,政府や親また伝統的な宗教制度による指導を退け,また,経済機構を軽べつします。
いったいヒッピーはどこから生まれるのですか。彼らはいたずらにふける愚かな,もしくは無知な人間にすぎないとして,問題を簡単にかたづけることもできるでしょう。それに,他の社会的集団の場合と同様,その種の人々がヒッピーの中に多数いることは確かです。
しかし,初期のヒッピーの多くは,中流の“良い”家庭の出で,なかには裕福な家庭の子女もいました。多くは,相当の教育を受けた知識人で,実際のところその批判者以上の知識人さえいました。ある調査によると,68%は大学教育を受けており,大学卒の父親を持つ者44%,母親が大学卒の者46%という結果が得られました。
ヒッピーの中に精神の錯乱した若者がいることは確かです。一研究者が述べたとおりです。「一部の若者に見られる,うつろな目つきは,麻薬中毒患者のそれではなく,精神病患者のものに似ている」。しかしそのような人が大多数を占めているわけではありません。それは,他のどんな社会的集団でも,精神的な平衡を失った人が多数を占めていないのと同じです。
それでヒッピーの多くは,ライフ誌,1969年11月7日号が指摘したように,「中流家庭の白人の若者」から生まれた「文明否定者」と言えます。それにしても,裕福で,良い教育に恵まれた家庭から,年配の世代の人々が価値ありとみなすものを完全に退ける若者が生まれるのはなぜですか。
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ヒッピーはなんと言っていますか?目ざめよ! 1970 | 5月8日
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ヒッピーはなんと言っていますか?
それら若者の多くは,いったい何に動かされて,ヒッピーの異様なむずかしい生活に身を投ずるのですか。
ヒッピー自らが語るところを聞くと,ひとつの型を見いだせます。どんな型ですか。なぜそうした生き方を好むのかと尋ねると,ヒッピーの多くは一様にひとことでこう答えます。「世の中の状態のためです」。
世の中の状態
今日の若者はかつてないほど物事によく通じています。そして,世の中の事柄を実によく知っています。また,人類の中に深い苦悩・不正・貧困・憎しみ・偽善があることに気づいており,世界の指導者たちが人類の諸問題を平和裏に解決するどころか,しばしばこの地を血染めにすることも知っています。しかも特にだれの血が流されるのですか。ご承知のとおり,それは若者の血です。他の人間の犯すまちがいのために若者が最高の犠牲を払わされるのです。
アメリカの前閣僚のひとり,J・W・ガードナーが次のように語ったのもそのためです。「この世代の人間は,既成秩序の裏口でおぜん立てされた解決策を受け入れないであろう」。そうです,今日の若者の多くにとって,この時代に生じた恐るべき事柄に関する普通の釈明など,とても認められるものではありません。
このことを端的に示すものとして,ある若い女性は,自分や他の若者たちがヒッピーになったのは,世の中の状態のせいであることを認めて,次のように語りました。
「わたしは裕福な“恵まれた”家庭の娘でしたが,家を飛び出しました。なぜですって? 住み良い落ち着いた郊外住宅地に偽善と偏見がはびこっているだけでなく,たいていの人が世の中の状態について,まったく無関心で無感覚なことを,そのときになっていやというほど知らされたからです。
「この人たちは世の中がどうなっているのかわからないのでしょうか。社会のひどい不正に気づかないのでしょうか。何もせずに,考えることさえもしないで,どうして平気でいられるのでしょうか。第三者にはそれがたとえ奇妙な生き方と思えても,わたしは,少なくとも答えを求めようとする人々のもとに行かざるを得ませんでした。
「わたしはヒッピーでしたから断言できるのですが,それら若者の多くがこうした道に飛び込む理由はここにあるのです。わたしはグレニチビレジ,ハイト-アシュベリー,ホウピ・インディアンの保護区などをすみかにしました。
「わたしが麻薬を用いたり,いわゆる“ヒッピーの生活”をしたことを,両親は,“年ごろのせい”にしたがっていました。しかしわたしは,週末だけの遊びをしていたのでもなく,ヒッピーの生き方や習俗に完全に心酔していたのです。
「わたしがマリファナを吸いはじめたのは,16歳の時分でしたが,当時すでに権威者・親・宗教その他いっさいのいわゆる“既成秩序”なるものに幻滅を感じていました。また教会の行事にも活発に参加していましたから,副牧師に会って,わたしの疑問や問題を話しましたが,納得のゆく答えは一つも得られませんでした。
「それで宗教にいっさい背を向けたわたしは,『人生をせいぜい楽しむ』ことにしました。もはや何ごともたいした意味をなさなくなり,経験することが意味のあるもの,つまり“神”でした。わたしは求め続けましたが,なんのためにそうするのかはわかりませんでした」。
この女性の説明は決して特異なものではなく,ヒッピーになる人の多くにあてはまるものです。
しかし,世の中の状態はいつもこのようなものである以上,ヒッピーの生まれる原因は昔よりも現代のほうが多いとどうして言えるのか,と問う人もいるでしょう。しかし,世の中の状態はいつもこうであるとは言えません。あなたの生きておられる今世紀ほど苦難に満ちた時期は,人類史上一度もありません。ナチ戦犯を扱ったニュルンベルク裁判でジャクソン判事が語ったとおりです。
「二度の世界大戦は,古代と中世の歴史上の戦争に参加した兵士の総数を上回る死者を出した。半世紀間に,これほどの規模の殺りく,これほど残忍非道な行為,国民をこれほど大量に奴隷状態に追いやり,かつ少数派に属する者をこれほど絶滅させた事件を目撃した時代はかつて一度もなかった」。
ジャクソン判事がこのことばを述べて以来,人類の諸問題は増大してきました。ご存じのとおり,今日,人間は自ら人類を絶滅することさえできるのです。それに,貧困・飢え・社会不安・汚染・人口過剰その他の問題は減少どころか増大しています。
世界的な傾向
世の中の状態のために悩み,現代の社会を否定するのは,ごく少数の人々だけではありません。そのような人々は世界じゅうに相当数います。デトロイト・ニューズ紙の一記者はかつて,「あらゆる国々の最も頭の良い若者たちが,周囲を見まわして,何もかもくたばってしまえと一斉に叫ぶ」ような時代は史上まさにその例を見ないと述べました。
人類が,これほど苦悩に満ちた世紀を迎えたことはかつてありません。このことを否定できるのは,事実に目をつぶる人だけです。しかし多くの人は事実から目をそむけていません。ですから,これまで受け入れられてきた生き方が,人間の記憶に関するかぎり一度もないほどの世界的な反動を招いたのです。ドイツのデル・シュピーゲル誌の一記者は,「このことは,国家社会主義を唱える国々のほか,資本主義諸国にあてはまる」とし,さらに,「その動機づけとなったのはおそらく,現代文明の構造の根底に宿る欠陥であろう」と報じました。
それでどこでも多数の人々,特に若者が現在の事物の体制に対する嫌悪の情を表わしているのです。したがって,こうした幻滅感の一つの表われとしてヒッピーが生ずるのも不思議ではありません。
それにしても,今日の親は,自分たちの若いころに比べて,生活上のより良いものを子どもに与えてきませんでしたか。現代の多くの国の若者は,親たちの時代よりも食べ物に恵まれ,りっぱな家に住み,高い教育を受けています。ところが,生活程度の向上した所ほど,ヒッピーの勢力が大きいのです。
物質主義
中産階級の若者はたいてい良い教育を受けているため,多くの場合,世の中の状態にいっそう通じています。そして若い時代の理想主義に動かされ,現代社会の重大な問題を見つめます。また,貧しい家庭の若者と違って,衣食住のことをあまり考える必要がないので,他の問題を考える余裕があります。
しかし,生活水準の向上した家庭環境こそ,前述のデル・シュピーゲル誌のいう,「現代文明の構造の根底に宿る欠陥」の一部なのです。物質的に恵まれた生活と,ヒッピーになる多くの若者とのあいだにはどんな関係があるのですか。カリフォルニア出のひとりのヒッピーは仲間の若者の考え方をよく言い表わしました。彼女は5万ドル(1,800万円)相当の家に住み,相続財産もありました。この女性は両親についてこう語りました。
「親は,わたしのほしいものをなんでも与えてくれました。わたしは車も持っていました。しかし,むなしいものでした。万事,お金が中心でした。……それでわたしは,家を飛び出してしまいました」。
したがって,親の驚きをよそに,多くの若者は,親の愛や関心また指導などの暖かいものの代わりに与えられる冷い物質の富を退けるのです。
ヒッピーの中には,1929年の経済恐慌後,何年かの不景気の時代を物質的な物に恵まれないまま,どうにか切りぬけてきた親を持つ者がかなりいます。それらの親は,『自分たちが育った当時,恵まれなかった物すべてを』わが子には持たせてやりたいと決心しました。それはけなげな考えですが,多くの場合,親はお金を得ようとするあまり,人格形成期の子どもとともに過ごすべき時間を犠牲にしました。
こうして,利潤追求をこととする社会にヒッピーが生まれました。お金が神とされ,多くの若者があまりにも多くの物を突然に得たのです。そのうえ悪いことに,放任主義の風潮が広まり,しつけは古い考えとされるか,それを施す時間さえない時世となり,生活上の地位の向上を図ることが主眼とされました。
カナダ・トロントのヒッピー問題に関し,トロント・デリー・スター紙の一記者はこう述べました。
「ヒッピーの問題は,われわれが時々忘れる事柄を思い起こさせずにはおかない。それは,住宅・就職・教育などの問題を改善しても,それだけでは,60年代の非人道的で,むなしい社会に生活する人々を癒すことはできないという事実である。物事の価値をすっかり変えて,人間が無条件で受け入れられる,つまり愛されるようになって初めて,人生は生きがいのあるものになるのである」。
望まれる新しい社会
ゆえに,ヒッピーの多くは新しい社会を求めています。お金や地位を重視し,仲間の人間を愛するかわりに踏みにじる社会を退け,偽善・不正・まやかし・不公正のあふれる世界を彼らは否定します。一記者が述べたとおりです。「アガペー[原則に基づく愛]また敬虔などの古来の価値を再興する霊的な美質に富む,まったく新しい社会を,ヒッピーは生み出したいと願っている」。
しかしヒッピーは,現在の秩序をどれほど改革しても,このことは達成できないと考えており,この社会から自らを解放する道は,社会を否定し,その慣習を打破することであるとみなしています。そして,人生の簡素な物事や人生の美しさ,また,快さを楽しむには,物質主義の束縛から解放されねばならないと考えています。
それで,ヒッピーはお金や仕事を,腐敗した商業制度に結びついているものとみなし,それらを偽りの神々として挑戦してきました。カナダのヒッピーの一指導者が語ったとおりです。「仕事がすべてじゃないし,仕事は神聖なものじゃない」。仕事は,自分がしたいと思う時に,自分のペースですべきものだとされています。
ヒッピーの世界では私有権はほとんど認められていないようです。所有物はすべて,グループの益を図るためのものとされ,子どもさえ,「その世話は,生みの親のみならず,すべての者の責任とされている」のです。
ヒッピーの社会では,場合によっては結婚関係を維持できますが,配偶者の一方が,別に配偶者を持つことにするなら,その人とも“結婚”できるとされています。自由な性関係は当然のこととして容認されています。
以上のさまざまな考え方に驚いておられますか。あらゆる権威を否定するその生き方を憂慮しておられますか。好きな相手であれば,だれとでも性関係を持てるという彼らの考えにろうばいされますか。マリファナその他の麻薬におぼれすぎていると思われますか。
ヒッピーの生き方は,多くの人,特に年配の世代の人々にとっては,あまりにも極端で理解できないものでしょう。年配の人が,「いったい彼らは,そんなばかな考えをどこから得たのだろう」と言うのを,お聞きになったことがありませんか。
ではいったい,そうした考えをどこから得たと,あなたは思われますか。彼らの信念や行動に対して大きな責任を負っているのは,いったいだれですか。
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人は自分のまくものを刈り取る目ざめよ! 1970 | 5月8日
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人は自分のまくものを刈り取る
麻薬を用い,乱脈な性関係をもち,権威を否定するヒッピーの生き方を多くの人は非としており,それはあまりにも極端すぎると考えています。
しかし,そうした考えをどこから得たのですか。彼らにはどんな手本が示されましたか。聖書の次の原則を心にとめてください。「何ごとでも,人は自分がまいているものを刈り取る(のである)」― ガラテヤ 6:7,新。
さて,権威に対する不敬の種を最初にまいたのはだれですか。国々が平和条約を破棄し,罪のない婦女子を含めて多数の人間を互いに殺し合うことにより,権威に対するどんな尊敬の念をつちかえましたか。今世紀だけで1億余の人々を殺傷した幾つかの戦争を引き起こした年配の者たちは,若者にどんな手本を残しましたか。
高い地位にある人間がうそをつき,不正や盗みを働くのを見聞きする若者の心に,権威に対する尊敬の念が培われますか。巨万の富を持つ者が税金を免れ,貧困生活者とみなされる人々が税金を払わされる事態をしばしば放置しておく当局者を,物事を考える利口な若者が尊敬できるでしょうか。
最高の権威者つまり神に対する敬意についてはどうですか。神の至上権と権威,またその正しい律法と原則を軽視することに率先したのはだれですか。ここ数十年来,この至上の権威に対する確固とした信仰を若者から奪ったのはだれですか。神の存在を“不要”にする進化論を推し進めたのはだれですか。
手本
ご存じのとおり,手本を示すのは,若者ではありません。それは年配の人々です。嘆かわしいことに,年配者はみじめな手本を残しました。自らあらゆる種類の権威に対し不敬を表わしたのです。世界の指導者の多くは国際法を踏みにじり,他国の権利を軽視しました。
科学者はもとより,教育者また牧師さえ進化論を推し進めました。進化論は神の存在を“不要”にするので,神の権威をひそかに傷つけます。また,多くの牧師は若者の面前で聖書をないがしろにし,聖書を卑しめて,その一部を神話・伝説呼ばわりしました。聖書のある部分を信用してはならないとすれば,どの部分も信用できないのではなかろうかと若者は考えます。そして,人間および神の法と権威の尊重を説く聖書の教えをなぜ守らねばならないのかと考えます。
年配の世代の人々が,法と権威,なかんずく神の法と権威をひとたび退けたのですから,若者がその手本をまねるのは,いとも容易でした。つまり,神とそのみことばである聖書そして国際法を退けることが年配者に許される以上,それらより下位の権威である親や政府の役人を敬う動機づけとなるものは若い人々にはほとんどありません。
年配の世代の人々は,権威に対する不敬の種をまいたのです。そして今や,利息つきでその実を刈り取っています。自らの権威が若者の手で退けられているからです。
道徳的な価値
ヒッピーは,“フリー・セックス”つまり自由性愛を唱えます。これはざん新な考え方ですか。いったい,聖書の道徳規準を最初に捨てたのはだれですか。高く評価されている一“知識人”の述べた次のことばは,多数のおとなの態度を端的に示しています。「われわれが聖書の道徳に反対したのは,それが性的自由の妨げとなったからである」。
数々の調査が明らかにしたとおり,淫行や姦淫をするおとなは,父親や母親を含めて相当数に達しています。大都市の郊外居住者のあいだで,さまざまな形の“夫婦交換”の行なわれているところがあります。
多くのおとながこうして“世なれた”仕方で行なったり,唱えたりしていることを,ヒッピーはあからさまに反映しているのではありませんか。現代の敏感な若者は,うわべを正しそうに装ったおとなの,みだらな性関係を決して見のがしません。ヒッピーのことばや行動によく見られる異様な率直さは,おとなの偽善に対する軽べつの表われです。
また,おとなの世界は,不道徳な生活をする俳優や女優を英雄に仕立てる映画・テレビのショー・舞台劇などを助長しています。それは青少年の,道徳を重んずる気持ちを高めるものですか。しかもその内容の多くは,ともすれば若い観客層の風紀を乱すものではありませんか。
マリファナの使用についてはどうですか。では,喫煙を奨励したのはだれですか。それは,おとなの手で,また映画や広告を通し,さらにおとなの手本により,これまでずっと若者の心に押しつけられてきました。おとなが有害なタバコをあい変わらずのんでいるのですから,マリファナを吸ったところで,何もおかしくはないと若者は考えます。
また,麻薬を用いることは,おとなが緊張や心配を和らげるためにさまざまな鎮静剤を服用するのと大差はないと考えます。それに,アルコール飲料にふけるおとなも多いのです。アルコール分を取りすぎると,その効果は麻薬のそれとあまり異なりません。それで,おとなが酔って“いい気分”になれるなら,どうして若者がそうしてはいけないのかと言うわけです。
牧師の手本
牧師の多くが,いわゆる“現代的な”考えを受け入れて,淫行・姦淫・同性愛・麻薬の常用などを大目に見,あるいは奨励しさえして,人に良く思われたいとする努力は,逆効果を招きます。まだ最近のことですが,なぜ教会に行かなくなったのか,と尋ねられた若者たちのひとりはこう答えました。
「わたしの属していた団体の牧師は,彼の知っている人で,“ポット”(マリファナ)を吸っている者すべてのことを,いつもわたしたちに話していました。若者たちはかげでその牧師のことをあざ笑いました。彼をいかさま師と考えたのです。牧師は,神の存在および,わたしたちの従うべき道徳律に強い関心をいだく人でなければなりません」― 1969年3月8日付,トロント・デーリー・スター紙。
したがって今日の多くの若者は,古い世代の人々と違って,伝統的な宗教を少しも重視しません。牧師はパリサイ人に似て,人からされたいと望むとおりに人に対して行なえと説く「黄金律」を口では「言うが,実行しない」とヒッピーは考えています。(マタイ 23:3,新)インタビューを受けたひとりのヒッピーは言いました。「わたしの知っているかぎり,神から最も遠く離れている人間といえば,それは司教です。人々が飢えているのに,イエスはビロードの衣を着て歩き回っていたとは考えられません」。
しかしこうした理想主義を唱えることによって,ヒッピーはより良い社会を自分たちの力で築いていますか。人類を苦しめている諸問題の解決策を持っていますか。彼らは自分たちのしあわせを図っているのですか。
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『ありのままを語る』ヒッピー目ざめよ! 1970 | 5月8日
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『ありのままを語る』ヒッピー
ヒッピーは問題の答えを見いだしましたか。その生き方は,幸福に通ずる道となっていますか。その人間関係は,純粋の愛に基づく,徳を高めるものですか。生活の面で自分のまいているものから何を刈り取っていますか。
ヒッピー自身が語ることを聞くのは,興味深いことでしょう。彼らは,『ありのままを語れ』ます。もちろん,全部が全部同じ経験をしたというのではありません。しかし次に掲げる話は,多くのヒッピーが語っていることをかなりよく表わしていると考えられます。
問題の答えを見いだしているか
アメリカのある若い女性は,他のヒッピーと同様の理想主義をいだいて,その仲間にはいりました。問題の答えを得るためでした。この「目ざめよ!」誌のために話された彼女の経験をお読みください。
「わたしたちみんなは,人生の途方もない大きな問題に対する答えを見いだそうといっしょうけんめいでした。わたしは答えを求めて,麻薬と性崇拝に関係し,やがて,密教や神秘主義と魔神信仰に深く関係するようになりました。
「ところが,そのどれをしてみても,何一つ意味をなしませんでした。わたしは,“導師”といわれる人を通して,神秘主義・密教・麻薬の使用などにますます深入りしましたが,何をしてみても,いよいよたえられなくなるばかりでした。やがて,ひどい憂うつ状態に陥るようになり,橋の上から身投げをしたいという衝動を何度も押えねばなりませんでした。
「わたしの友人の多くはやがてヘロインやアルコールの中毒にかかり,ある者は汚い注射針で麻薬を打ったことがもとで,敗血病になり,えそにかかって死にそうになりました。別の人はついに銃を手にいれて,自らの命を断ちました。特にわたしたちの上には,異様な霊の力が働いていたので,その人はどうすることもできなかったのです。
「このことで大きな衝撃を受けたわたしは,その生活をそれ以上続けることはできないと感じました。それは自分が求めていた答えを確かに与えるものではなかったからです。わたしは,『聖人』と呼ばれている人々の手で“ひどい目”に会わされました」。
この女性は,捜し求めていた答えを見いださなかっただけでなく,ヒッピーとして生活しても,より良い生き方はできず,将来に対する希望も幸福も得られませんでした。
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