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6,000年にわたる人間の支配は終わりに近づく ― 何が成し遂げられたかものみの塔 1976 | 1月15日
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6,000年にわたる人間の支配は終わりに近づく ― 何が成し遂げられたか
陰暦によるユダヤ人の新年が1975年9月に始まって以来,人類の歴史は重大な時点に達しました。それはどんな時でしたか。聖書に基づく時の計算によれば,人類が地上に生存して以来,6,000年がその時に終わったのです。最初の人間アダムは,神の支配の下でずっと従順を保ったならば今なお生きており,この年の9月で6,000歳に達していたことでしょう。
では,これは神ご自身,大「安息日」として『祝福し,神聖なものとされた』7,000年の期間の中で人類の生存が6,000年に達したということですか。そしてこの「安息日」の最後の1,000年であるキリストの千年王国統治が1975年9月から起算されるという意味ですか。―創世 1:27,31; 2:2,3。啓示 20:1-6。
そうではありません。なぜですか。聖書の記録の示すところによれば,その7,000年の「安息日」のすぐ前の「日」における神の創造は,アダムの創造をもって終了したのではありません。アダムの創造と彼の妻エバの創造の間には時間的な隔たりのあることが示されています。その期間に神はアダムに動物の名前を付けさせました。その期間が何週間,何か月さては何年に及んだものかはわかりません。それでエホバの偉大な「安息日」がいつ始まったのか,正確なことはわからないのです。また,それがいつ終わるのかも,はっきり知ることはできません。キリストの千年統治の始まりについても同じことが当てはまります。日付を確定する方法は聖書中に与えられていません。ゆえにその日付がいつであるか憶測するのは無益なことです。―創世 2:18-25。マタイ 24:42,44。
しかし聖書に記された時の記録は,人類歴史の6,000年が1975年という年に終わることを確かに示しています。神の「安息日」の初めごろにアダムは神の支配に反逆しました。こうして人類歴史が始まって以来の6,000年は,その大部分が人間の支配によって特色付けられています。人間の独立した支配はこの六千年期つまり各千年の六つの区間に何を成し遂げましたか。これらの千年期を順番に概観することにしましょう。
最初の千年
エデンの楽園における人間の幸福は,アダムとエバが創造者エホバ神の主権に反逆したときに終わりを告げました。当然に神は男とその妻を楽園から耕されていない地へと追い出し,彼らが選んだ独立した支配の下で生きるようにさせました。おそらくその支配は族長政治の形をとったことでしょう。しかしアダムに残された900年余の生涯の間,罪にまとわれた人類は暴力,殺人,偽りの宗教,放縦な生き方にますます深入りして行きました。それは死の道にしかすぎませんでした。―ローマ 5:12。創世 3:12,16-19; 4:10,11,23,26。
二番目の千年
人間の支配の下で「人の悪」は増し加わり,遂に神は適当な警告を与えてのち,世界的な洪水をもたらし,世を『乱し』て地を暴虐で満たしていた人々を滅ぼしました。神は忠実なノアとその家族を彼らの義のゆえに生き残らせましたが,彼らの子孫はエホバ神を無視して人間の政治にかかわりました。大洪水から200年たたないうちに,ニムロデはかこくな独裁者また王となっています。彼は至高の神に敵対して自分を高め,そのことから『エホバの前にあるかの力ある狩人ニムロデのごとし』ということわざができたのです。彼が狩ったのは動物だけでなく疑いなく人間も含まれていました。それで彼は暴政によって人類を支配しました。彼の反逆の道がバベルという都市および『頂きが天に達する塔』の建設によって頂点に達したとき,エホバは人類の言語を乱すという奇跡を行なわれました。このために人々は建設計画を放棄することを余儀なくされ,全地に散らされました。人間の最初の独裁支配はあえなく崩壊しました。―創世 6:4,5,11; 10:8-12; 11:1-9。
三番目の千年
部族は部族に,都市国家は都市国家に,王国は王国に敵対して人類の間には戦争がありました。エジプトは支配的な世界強国になりましたが,神の民イスラエルを圧迫したために神から罰せられます。諸国民は異教の偶像崇拝にますます深入りして子供を犠牲にささげることさえしました。圧制的な独裁支配が起こり,大衆は支配者の道具にされて苦しみました。―創世 14:1-16。出エジプト 1:8-11; 6:1-6; 14:26-31。申命 18:9-12。
四番目の千年
エジプトのあと,野心的な王たちの治める世界帝国が相次いで起きました。これらが顕著になったのは第四の千年期です。アッシリア,バビロン,メディア・ペルシャ,ギリシャそしてローマはいずれも強大な軍隊をもって戦い,順次,世界を支配しました。これらの国々はまたイスラエル国民に対する支配権を獲得し,それを行使することを許されました。ダニエルと啓示の預言はいずれもこのように強力な政治国家を「獣」に例えています。偽りの宗教はこれらかこくな独裁支配を支持する点でいつも大きな役割を果たしてきました。―ダニエル 7:2-8,17; 8:3-8,20-22。啓示 13:1,2; 17:3-8,11。エゼキエル 21:25-27。
五番目の千年
ローマ帝国が今や多くの土地をその支配下に収めました。ローマ帝国の領土においてバプテストのヨハネは首を切られ,イエス・キリストは杭につけられ,帝国の軍隊はエルサレムを滅ぼし,クリスチャンは迫害されました。このすべては西暦の第一世紀に起きています。西暦四世紀のこと,バプテスマを受けていなかった皇帝コンスタンチヌスは僧職者を有するキリスト教世界を組織し,ローマの政治宗教的な組織が作られました。そしてカトリックの教階制は暗黒時代をもたらし,大衆とくに神に仕えようとした人々は惨めにも圧迫されました。西暦800年,ローマ法王がシャルルマーニュに神聖ローマ帝国の王冠を与えたとき,教会と国家の連合は光栄を加えられました。―マルコ 6:25,27; 15:25,37。ルカ 21:20-24。テサロニケ第二 2:3。
六番目の千年
ローマ帝国は相対立する圧制的なヨーロッパ諸国に細分化しました。これらの国々は軍艦を海外に派遣して,地球上のいわゆる「異教の」地を植民地にしたのです。英国が支配的な世界強国となります。植民地のアメリカは英国からの独立を宣言し,また獲得しましたが,英米世界強国という形で緊密な同盟関係を続けました。十八世紀は産業革命の時代であり,二十世紀は世界大戦の時代の幕を開けたと言えます。このような戦争はほとんどすべての政治国家を巻き込み,また主要な宗教の支持を得てきました。民主主義の「南の王」の支配はドイツ人の「北の王」によって挑戦されました。しかし今日,共産主義の大国が独裁支配のドイツに代わって「王」の座に就いています。これら政治支配の諸形態のうち,その国民に真の幸福と安全をもたらしたものは一つもありません。そして今や核軍備競争は人類の生存を脅かしています。革命,権威に対する反抗,放縦な社会のまんえん,犯罪と公害の急速な増加は,人間の問題をいやがうえにも増し加えています。―ダニエル 11:27-40。啓示 11:18。
概観
人間生存のこの6,000年の期間は,その初期における楽園の喪失によって特色付けられました。そのとき以来,ざ折を味わった人類は,少なくとも何らかの形の物質的な楽園を回復しようと努めてさまざまな種類の支配を試みて来ました。しかし何が成し遂げられたでしょうか。その結果は世界的な混乱です。今の時代についてイエスが預言したとおり,人類は破滅に直面しています。「地上では……逃げ道を知らない諸国民の苦もんがあるでしょう……同時に人びとは,人の住む地に臨もうとする事がらへの恐れと予想から気を失います」。しかし神のことばは希望を差し伸べています!―ルカ 21:25,26。
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ほとんど6,000年にわたってたてられたエホバのための証しものみの塔 1976 | 1月15日
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ほとんど6,000年にわたってたてられたエホバのための証し
エデンにおける男女の反逆は大論争を引き起こしました。人間はエホバに対する純粋の愛のゆえに創造者また主権者である神に神聖な奉仕をささげることを忠節に選ぶでしょうか。「初めからのへびで,悪魔またサタンと呼ばれ……ている者」は,人の住む全地を惑わすことに取り掛かっていました。エホバの主権に挑戦することにより,この者は人類の中で神に対する忠実を証明する者はただの一人もいないであろうと,ほのめかしました。サタンは,人間が本来,利己的である,つまり人間は物質的な面で得るところがなければ神に仕えることはしないと主張したのです。―創世 3:1-5。啓示 12:9。ヨブ 1:7-12。
その偉大な知恵をもってエホバはご自身の主権の正当かつ義であることを一度かぎり立証することを決意されました。エホバはアダムの子孫である人類の中に,たとえサタンがどんな試練をもたらそうとも喜んでエホバの主権を支持する人々のいることを予見されました。ひとたびこの論争が疑問の余地なく解決されるならば,それによってエホバの主権の立証は永遠に揺るぎないものとなるでしょう。これは将来のどんな挑戦をも直ちに試して退けることを可能にする試金石となるでしょう。しかしこの論争の解決にはおよそ6,000年という期間を必要とします。そして6,000年にわたる人類の歴史は今までに何を示していますか。この全期間を通じて地上には忠実を保ったエホバの証人が存在していましたか。そして神が真実であり,サタンの偽り者であることが証明されましたか。―箴 27:11。
第一千年期
アベルはエホバの主権を支持して忠実を守った最初のエホバの証人でした。(ヘブライ 11:4)彼はエホバに受け入れられる動物の犠牲をささげ,一方,カインのささげものは受け入れられなかったために,アベルはその兄弟カインに殺されました。「世の基」はアダムとエバが息子,娘を持つようになった時に置かれたのです。アベルは,記録されているところでは二番目の息子でした。アダムから七代目の人エノクも忠実な証人として『神と共に歩み』,不敬虔な人々に対するエホバの裁きについて預言しました。その忠実さのゆえに,365年後,生ける者の地より「神が彼を移された」ので,エノクは他の人々と同じような死に方はしませんでした。―創世 4:1-15; 5:1-4,21-24。ルカ 11:49-51。ユダ 14,15。ヘブライ 11:5。
第二千年期
この千年期の初めごろ,メトセラの子レメクは神の霊感を受け,彼自身の息子ノアが人類に慰めをもたらすであろうと預言しました。世界紀元の1056年に生まれたノアは,偉大な信仰の人として950年にわたる生涯のうち944年をこの千年期に生きました。ノアの時代,天使である神の子たちが不従順にも地上で結婚生活を始め,人類が暴力に傾いたにもかかわらず,ノアは『神とともに歩』み,『その世の全き者』であることを示しました。その信仰のあかしとして,彼は神の命令により「自分の家の者たち[忠実な他の七人の者たち]を救うために箱船を造り……この信仰によって,彼は[不敬虔な人々の]世を罪に定め」ました。彼は「義の宣明者」でした。そしてそののち,洪水の時に救われたことを感謝して神に犠牲をささげています。エホバに従い,忠実に奉仕したノアとその家族は,サタンが偽り者であるという生きた証拠となったのです。そしてかの悪しき者をくやしがらせました。―創世 5:28-31; 6:9。ヘブライ 11:7。ペテロ第二 2:5。
第三千年期
ノアはこの千年期に入って六年生きました。彼の死後二年たってアブラハムが生まれています。アブラハムは本当に神を信じ,身体的に楽しみを与えるものよりも創造者に対する従順を大切にし,また神は復活によって命を再び与えることもできるという信仰をさえ示したので,エホバから豊かに祝福されました。「エホバの友」としてアブラハムはメシアが彼の家系から出るという神の約束を得ました。アブラハム,その息子イサク,孫のヤコブ(のちにイスラエルと名付けられた)はいずれも模範的な信仰を示し,どんな人間の王国にも愛着を示すことなく,エホバの建てる象徴的な「都市」を待ち望んで外国に天幕生活をしました。ヤコブの十二人の息子はイスラエル十二部族の頭となります。これら息子たちの中でもヨセフは高い道徳の原則に従うことにより,また(アブラハムに対する約束とかかわりを持つ中心的な家系である)父の家族をききんの時に救って神に対する大きな忠節を示しました。その後モーセはエジプトの栄光を自ら退けて,真の神の崇拝を擁護することを選びました。模型的な「聖なる国民」に組織されるべく神の民をエジプトの捕らわれから導き出すにあたって,モーセは確固としてエホバに従いました。同時代の人であるヨブは持ち物を失い,健康を損なうという苦しみに遭ったにもかかわらず,神への忠実を曲げようとしなかったことで有名です。ヨシュア,カレブそしてイスラエルの裁き人たちも義のための戦士として際立っています。この千年期が終わりに近づいたころ,エッサイの子ダビデは『神の心にかなう人』であることを示し,揺るぐことのない彼の忠節のゆえに神は永遠の王国の契約を彼と結ばれました。―創世 9:28,29; 11:26; 12:1-3。ヤコブ 2:23。使徒 13:22。ヘブライ 11:8-32。ヨブ 1:8; 27:5。
第四千年期
ダビデの子ソロモンの死後にイスラエルの国は二つの王国に分裂します。忠実な王は少数でした。しかしエホバの預言者の中にはエリヤ,エリシャ,イザヤ,エレミヤその他大勢の忠実を守った人々がいました。エリヤの時代,北のイスラエル王国には『そのひざをバアルにかがめ……ざる』忠実な者七千人がいたと記録されています。南の王国においては,忠節な祭司を含む何千人の人々がエルサレムのエホバの神殿で真の神の崇拝を続けていました。北の王国が流浪の身となったとき,北から来た多くの敬虔なユダヤ人はエルサレムで崇拝を続けたのです。そしてエルサレム自体が荒廃したとき,流刑の地バビロンでエゼキエル,ダニエルそのほかの忠実な人々が真の崇拝を守りました。七十年後,ほとんど5万人の献身的なユダヤ人と,彼らに交わる人々がエルサレムに神殿を再建し,そこにエホバの崇拝を再興するために戻りました。このことにおいて彼らを激励したのが預言者ハガイとゼカリヤです。ネヘミヤと他の忠実なユダヤ人もまた,神の民に律法を教えることに励み,その結果,人々は「エホバを喜ぶ事」がまことに「力」であることを認識できました。忠実な書士も手書きの聖書写本を作ることに労し,こうして神のことばはふえ,また広まったのです。―列王上 19:18。ネヘミヤ 8:9,10。ハガイ 1:12-14。ゼカリヤ 1:1-3。ヘブライ 11:32-38。
第五千年期
この千年期はゼカリヤとその妻エリサベツ,ヨセフとマリア,シメオン,アンナおよび他の真の崇拝者に対するエホバの祝福と恵みを述べた聖書のことばをもって始まります。バプテストのヨハネは来て『エホバの道を備え』,恐れを知らぬその奉仕は殉教者として死を招きました。しかし彼は自分自身の安全をおもんばかって妥協するようなことをしませんでした。約束されたメシアご自身が現われ,忠実の完全な手本を残されました。エホバの主権に対するイエスの絶えざる忠実に何かの欠点を見付けようとして,サタンはなんとやっきになったことでしょう! しかしサタンは惨めにも失敗しました。最も苦しい試練の下における,そして残酷な死に至るまでのイエスの忠実は,挑戦者に対して完璧で決定的な答えを与えました。使徒たちを初め他の初期クリスチャンはイエスの足跡に従いました。しかし第一世紀が過ぎると,預言されていたとおり,サタンのまいた「雑草」である偽りのクリスチャンのグループが,「小麦」のクラスつまり真のクリスチャンを迫害し始めました。第四世紀ごろ,異教の三位一体の教理を拒否した一部の人々は「アリウス派」と呼ばれました。キリストの死の記念をニサン14日に忠実に行なった他の人々は「クワルトデシマン」(14日派)と名付けられました。七世紀に「純粋で使徒的な,聖書のキリスト教」につき従った人々は「ポーリシアン」と呼ばれました。しかしこのような悪口そして迫害も,油そそがれた忠実なクリスチャンが忠実を保つのをやめさせることはできませんでした。―ルカ 1,2章。マタイ 13:24-30。
第六千年期
見せかけのキリスト教であるキリスト教世界の広大な領域のただ中にあって,油そそがれた真のクリスチャンはカトリックの僧職者の手による残酷な拷問や殉教にもかかわらず忠節を保ち続けました。十二世紀からフランスのヴァルド派はカトリックの慣行を拒否して聖書に厳格に従う道をとりました。その多くは殉教者となっています。その一人はこう語りました,「十字架に祈るべきではない。それは正しいかたの死の刑具として忌みきらわれるべきものである」。西暦十六世紀に始まった宗教改革の結果,多くの個人また諸国家がカトリック教会の権威から離れ去ることになりました。1870年代になって現代におけるエホバのクリスチャン証人は,組織されたグループとして活発に伝道し始めました。『雑草のような』キリスト教世界の僧職者からの反対にもかかわらず,この「小麦」のクラスの人々は完全に分けられ,彼らは今に至るまでその伝道によって207の国々に証言を行なってきました。とくに両世界大戦中にこれらのクリスチャンは激しく迫害されました。彼らの中には,エホバ神に対する信仰を否定することを拒んでナチスの強制収容所で死んだ人も大ぜいいます。そしてエホバの証人は共産主義や他の国々で今もなお試練に直面しているのです。しかしそのすべてを経験しながらも彼らは忠実を保ち,王国の福音を全地に宣明することに引き続き心を傾けています。1935年以来,200万人を超える人々が数千人の残りの者に加わって神の王国を証しするわざを行なってきました。これはまことに「大群衆」であって,彼らは宇宙主権者としてエホバを仰ぎ,メシアなる王としてエホバのみ子を仰ぎ見ています。―啓示 2:10; 3:10; 20:4; 7:9,10。
エホバの正しさは立証された
これらの千年期が過ぎ去って歴史のページに加えられるにつれ,エデンで起きた論争におけるエホバの側は疑問の余地なく証明されてきました。すべての時代を通じてエホバは地上に忠実な証人たちをお持ちでした。そして今日,彼らはここにあり,その数は急速に増し加わっています。この第六千年期の終わりに当たって,彼らは生命の賜物自体そして神の新秩序における永遠の生命という栄光の前途を含めて,神の設けてくださったすばらしい備えのすべてを神に感謝しています。このすべては,忠実を保った神のみ子,メシアなる王イエス・キリストの犠牲によって可能とされました。彼らはエホバの主権が正当な主権であることを信じています。彼らの唯一の願いは神の正義の道に従うことです。彼らはサタンのために忠実の道からそらされることは決してないという決意を抱いています。彼らはサタンが偽り者であるのを証明することにあずかるのを喜び,確固とした信仰を抱いて,現代における「神の壮大な事がら」を告げ知らせるわざに励んでいます。間近に迫った大いなる日すなわち『エホバの怒りの日』にサタンとサタンにつき従う者,そしてサタンの悪しきわざすべてを除いて,エホバご自身が義をたて,ご自身の主権をあがめるため,まさに行動されようとしていることを知って,彼らはなんと大きな喜びを抱いているのでしょう!―使徒 2:11。ゼパニヤ 2:2,3。
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6,000年にわたり着々と展開してきた,人類に対するエホバの目的ものみの塔 1976 | 1月15日
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6,000年にわたり着々と展開してきた,人類に対するエホバの目的
アダムがエホバの正当な主権を公然と否認した時,エホバは憐れみと愛のこもった仕方で人類を扱われました。神は,アダムを即座に死なせ,この地にアダムの代わりとなる者を創造して始めからやり直すというようなことはされませんでした。むしろ,アダムを生き長らえさせ,人間家族が生み出されることを望まれました。アダムから始まったこの家族は,神によって「虚無に服させられました」が,それはアダムから受け継いだもののゆえに死の宣告下に置かれるようになったからです。人類は,自らの力でこの不幸な状態から抜け出る方法を見いだすことはできませんでした。ところが,虚無に対するこの服従は,「希望に基づいていた」と言えます。神はその比類のない過分のご親切のゆえに,アダムの子孫の中の忠実な者たちを救い出すことを目的としておられたからです。このようにして,それら忠実な者たちは「腐朽への奴隷状態から自由にされ」,元通りの神の子どもとなって,その「栄光ある自由」へと救出されるのです。この壮大な希望は,エホバご自身がエデンにおいて語られた預言の中に表明されていました。それでは,時代を千年ごとに区切って記録を調べ,人類に解放をもたらすご自分の目的を推し進める点で,神の側に少しでも遅れがあったかどうかを確かめてみましょう。―ローマ 8:20,21。創世 3:15。ペテロ第二 3:9。
西暦前4026年から3026年まで
人間の創造に先立つ幾千年もの期間をかけて,神は,人間家族のためにパラダイスの住まいを整えることにより,深い愛と関心を示されました。しかし,エデンで人間が反逆した時,主権を持つ支配者であるエホバは,法廷を開き,アダムとエバに死刑を宣告し,楽しみの園から両人を放逐しました。エホバは,ご自分の特質である公正に従って行動されました。しかし,人類種族を一掃するような仕方で刑を執行したりはされませんでした。今や罪人になったとはいえ,最初の夫婦は子供をもうけることを許されました。アダムとエバに刑を言い渡した際,エホバは,サタンとその追随者を打ち砕く「胤」つまり子孫を起こすことをも宣言されました。これは,神がアダムの子孫に対して憐れみをもって行動し,この約束の「胤」を通して命と回復の希望を抱けるようにしてくださることを示しています。―創世 3:8-24,新。
カインが弟アベルを殺害した時,エホバは,人類が流血の罪に対する責任を問われることを明確にしました。この公正な神は,忠実なエノクに霊感を与え,エホバが『その聖なる巨万の軍を率いて,すべての者に裁きを執行するため,また,すべての不敬虔な者に……そのすべての不敬虔な行為に関して……有罪を証明するため』に来ることを預言させました。ですからエホバは,ご自分が邪悪な者に対して常に公正に,また義をもって行動することを明確にされましたが,その憐れみのゆえに,ご自分を礼拝する人々に栄光ある希望を差し伸べました。―創世 4:9-11。ユダ 14,15。出エジプト 34:6,7。
西暦前3026年から2026年まで
この千年期の初めのころにノアが生まれました。エホバは,ご自分が人類のため最後にもたらす救出を預言的に描写するためにノアを用いました。どのようにしてですか。エホバは,不敬虔な者に対する裁きを執行するため,大洪水による激動をもたらしました。ノアとその家族だけが,つがいになったあらゆる種類の動物と共に箱船に乗って大洪水を生き残り,やがて清められた地に出てきました。それから2,000年以上も後に,メシアであるイエスは,大洪水の預言的な意味を説明し,次のように述べました。「人の子の臨在はちょうどノアの日のようだからです。洪水まえのそれらの日,ノアが箱船に入る日まで,人びとは食べたり飲んだり,めとったり嫁いだりしていました。そして洪水が来て彼らすべてを流し去るまで注意しませんでしたが,人の子の臨在の時もそのようになるのです」。このようにして,「人の子」イエス自身,エホバ神が地に「大患難」をもたらし,不敬虔な者を除き去るよう意図された「日と時刻」について指し示しました。―創世 6:13-22。マタイ 24:36-39。
大洪水のすぐ後,動物の肉を食べる許可を人間に与えた時に,エホバは命を神聖なものと宣言され,何の血であっても食べることを禁じました。しかし清められたはずの人間社会は,ノアがまだ生きているうちに,早くも堕落し始め,専横な狩人ニムロデが自らを地の最初の王としたことにも見られるように,神の律法に対する不敬の念を示すようになりました。エホバは人類社会が全地に広がることを意図しておられました。ニムロデが不敵にもこの目的に反抗し,自らを独裁者また“神”としてその下に人類の世を一か所に集めようとした時,エホバは行動を起こされました。人類の言語を混乱させることによって,人類を『全地のおもて』に散らされたのです。こうして,ご自分の述べられた目的に干渉しようとして成功する者はいないことを示されました。―創世 9:1-7; 10:9,10; 11:1-9。イザヤ 55:11。
西暦前2026年から1026年まで
エホバは,約束の「胤」であり,人類の救出者でもある方が,ノアの息子セムの家系から出ることを明らかにされました。この家系からは,強い信仰によって義とされた人,アブラハムが生まれました。神はアブラハムと契約を結び,アブラハムの胤によって,地の国々の民はみな,「確かに自らを祝福する」であろうと言われました。自分の息子イサクを犠牲としてまさにささげようとする点までアブラハムに行動を取らせることによって,神は,将来ご自分のみ子を人類のための贖いとして犠牲にすることだけでなく,み子の栄光ある復活の希望をも予表しておられました。神はまた,メシアがどのように人類の救い主として立てられるかを予表するため,アブラハムの曾孫ヨセフをエジプトで用いました。近くのウズの地に住むヨブは,サタンが偽り者であることを証明するために,「自分の忠誠を堅く保ち」ましたが,それはメシアおよび神の他の忠実なしもべたちが,神の目的を擁護するために多大の迫害をも忍ぶことを予表するものでした。―創世 22:3-18,新。ヘブライ 11:17-19。創世 47:21-27。ヨブ 2:3,新。
この千年期の半ばに,エホバはモーセの指導の下にイスラエル人をエジプトから導き出し,イスラエル人にこう告げました。「あなたがたはわたしにとって祭司の王国,聖なる国民となる」。神は詳細にわたる律法と共に,幕屋,そこでの奉仕,そして祭司職などに関する指示をモーセに与えました。このすべては,エホバが将来,メシアの下にすべてのものを結び合わせる,物事の管理のひな型となりました。この千年期の終わり近くになって,神は忠実な王ダビデと契約を結び,『ダビデの胤』であるメシアが永遠にわたって神の王国の王座に就くことを約束しました。この千年期の終わりに,ダビデの息子ソロモンはエルサレムにおけるエホバの壮大な神殿の建築を完成させました。確かに神の目的は,完成に向かって堂々と推し進められていたのです。―出エジプト 19:5,6,新。エフェソス 1:9,10。歴代上 17:11-14。歴代下 5:1。
西暦前1026年から26年まで
ソロモンの建てたエホバの栄光ある神殿の献堂式が,第四番目の千年期の最初の年に行なわれました。この年は,アダムの創造と現在のわたしたちの時代の中間点となります。ソロモンは適切にも,エルサレムの神殿があらゆる国民のための祈りの家となるように祈りました。しかしエホバは,人類を最初の状態に戻らせるご自分の神聖な目的を明らかにするための器として,特にイスラエルを選び,イスラエル人を通して将来の出来事の預言的な型を引き続き作られました。―列王上 8:1-66。マルコ 11:17。
しかし,イスラエルは背教に陥りました。西暦前740年,エホバはアッシリアを『ご自分の怒りの杖』として用い,北のイスラエル王国を罰して流刑にしました。同様に,西暦前607年,神はバビロンを用いて,ユダとエルサレムを荒廃させました。70年後,忠実なユダヤ人の残りの者は,神殿を再建し,エルサレムに真の崇拝を復興するため,バビロンでの捕囚から帰って来ました。―イザヤ 10:5-11。エレミヤ 25:8-14。
神は,エルサレムそのものを建て直せとの命令が出されてから69週年後に,『メシアたる君』が現われることを預言するのに,預言者ダニエルを用いました。その命令は西暦前455年に発せられましたから,神の油そそがれた者であるメシアは,西暦29年に現われることになっていました。神はまた,神の許しによって異邦人が地を支配する期間は西暦前607年に始まり,2,520年間続くことも示しました。ですから,その期間は1914年に終わることになります。―ダニエル 9:24-27; 4:16,23,25,32。
ヘブライ語聖書の正典は,この千年期の間の,西暦前五世紀の終わりまでに完成をみました。しかし,言語上の障壁も,それら神聖な巻き物に収められた肝要な情報が広まるのを妨げるものとはなりませんでした。西暦前三世紀には,ヘブライ語聖書のギリシャ語七十人訳がエジプトで作られるようになりました。これは,他の土地に離散した,ギリシャ語を話すユダヤ人のために作られたものです。―ローマ 3:1,2; 15:4。
西暦前26年から西暦975年まで
西暦一世紀の出来事は,人類にとって非常に大きな意味があります。バプテストのヨハネは,メシアの前に「道を備え」るために西暦29年の春から用いられました。その年の秋,ヨハネがイエスにバプテスマを施した際,エホバは「聖霊と力をもって」イエスに油をそそがれました。こうしてイエスは,人類に永遠の救いをもたらすメシア,エホバの選ばれた王また大祭司になりました。イエスは,三年半の特別な宣教期間中,宣べ伝え,奇跡を行なうことによって,ご自分が約束された王国の支配権を受ける際にどのようにエホバの目的を遂行するかを示しました。その中には,死人をよみがえらせ,地上のパラダイスで完全性に達するまで人類をいやし,また回復させることが含まれています。イエスは,ユダヤ人の祭司やローマの権威者から有罪の宣告を受け,苦しみの杭につけられました。イエスの死と埋葬の後,み子を死人の中から復活させて天の命を得させることにより,エホバはイエスを全く義なる者と宣言されました。その後,大祭司であるイエスは,完全な人間としての犠牲の価値を,天の神にささげました。こうして,その犠牲の恩恵は人類のために適用されるようになりました。―マタイ 3:3,13-17。使徒 10:37-43。テモテ第一 3:16。ヘブライ 9:24-28。
西暦33年のペンテコステの日,エホバは,集まったイエスの弟子たちの上にご自分の霊を注ぎ,それらの弟子たちを,霊的なイスラエル人として,キリストを仲介者とする新しい契約に導き入れました。西暦36年にコルネリオとその家の者が改宗して以来,クリスチャンになった異邦人も,「神のイスラエル」の中に導き入れられてきました。これら「小さな群れ」に属する油そそがれたクリスチャンの前途には,天の王国においてキリストにあずかるという壮大な見込みが置かれています。―使徒 2:1-4; 10:24,44-48。ヘブライ 9:15。ガラテア 6:15,16。
西暦一世紀にクリスチャン会衆は確立されました。幾人かの使徒とイエスの他の弟子たちはクリスチャン・ギリシャ語聖書を書き,同世紀の終わりまでに聖書の正典は完成をみました。エホバ神の壮大な目的は,今やすべて書き記されました。霊感による聖書は,神の預言がいかに多く成就したか,あるいは成就しつつあったかを示していました。聖書は,み子の王国を通して,エホバの約束すべてが成就することに対する確かな希望を差し伸べています。―使徒 9:31。テモテ第二 3:16,17。ペテロ第二 1:19-21。
油そそがれたクリスチャンは,良いたよりを純粋なものとして,「天下の全創造物」に宣べ伝えました。しかし,使徒たちの死後,予告されていた大規模な背教が始まり,クリスチャン会衆は,神の過分のご親切を侮る「おおかみ」つまり「不敬虔な者たち」によって汚されました。西暦325年,背教者たちは異教ローマの支援の下に偽善的なキリスト教世界を築き上げましたが,それは霊的に深い暗やみをもたらしました。エホバの栄光に輝く王国の目的に関する理解や認識が非常に衰退したまま,第五番目の千年期は終わろうとしていました。しかし,神の約束は不動のものでした。神は偽ることがありません。―コロサイ 1:13,23。使徒 20:29,30。ユダ 4。テトス 1:2。
西暦975年から1975年まで
第六番目の千年期の期間中,エホバは,ご自分の本当に油そそがれた者たちが迫害に耐える際に,その人々を試みられました。そして,聖書が人々の日常使う言語に訳され,特に16世紀以降,キリスト教世界の中で広く頒布されるに及んで,暗やみの幕はついに引き上げられるようになりました。1870年代には,聖書の基本的な真理に対する認識が胸を躍らすような仕方で回復されました。エホバは,ご自分の油そそがれた者たちを集め始められたのです。「忠実で思慮深い奴隷」級であるこれらの人々は,人々を霊的に養う重要な計画を遂行する点で,再び顕著な存在となりました。熱心なクリスチャンたちは,1914年が異邦人の時の終わる年になるので,大きな期待を抱いてその年を待ち望むようになりました。確かに,エホバがキリスト・イエスを天の王国で,天的シオンの山にある王座に着け,それと共に,「世の王国」に対する所有権を与えたのは1914年のことでした。天的な栄光を伴うご自分の臨在と「事物の体制の終結」を示すものとして,イエスが預言された「しるし」の特色すべては,それが成就し始め,成就してゆくにつれ,非常に明白になりました。これこそ真のクリスチャンが喜びに満たされ,設立された神の王国を力強く宣明する主な理由です。―啓示 20:4。マタイ 24:3-14,32-34,45-47; 25:31-33。
1919年以降,キリストの頭の権の下にある霊的パラダイスは,地上にいる,神の油そそがれた残りの者のために回復されています。そして,1935年以後,他の謙遜な崇拝者からなる「大群衆」の存在が明らかになり,それらの人々もエホバの王国級の油そそがれた残りの者と共に,全地でエホバへの賛美を歌っています。この「大群衆」を集める業は,40年間行なわれてきました。現在,200万人以上のこうした神のしもべたちは,間近に迫った「大患難」を通過して,清められた地に入ることを待ち望んでいます。そこでは,文字通りのパラダイスが,世界的な規模で,永遠にわたって回復されるのです。全世界207の土地の3万5,000余のクリスチャン会衆において,神の熱心な民は,生き残るために,また地上の文字通りのパラダイスと関連して自分たちの前に置かれている一致した業のためにも備えるよう助けられています。―ヨハネ 10:16。啓示 7:9,10,14,15。イザヤ 35:1-10; 65:17-23と比較。
エホバは人類のために漸進的に行動される
確かにエホバは物事を漸進的に行なわれる神です。神は,ご自分の創造物に祝福と益を与えるために,その壮大な目的のすべての面を成し遂げるという点で遅いわけではありません。不敬虔な人々は,統治する王メシアの約束の「臨在」が,わたしたちの時代に起きたという良いたよりをあざ笑うでしょう。しかし,そのあざけりの言葉は,『主イエスがその強力な使いたちを伴って天から』表わし示される時としてエホバが選ばれたその「日と時刻」に,そうした不敬虔な人々自身の上に降り懸かるでしょう。それは,「神を知らない者と,わたしたちの主イエスについての良いたよりに従わない者」にとって,火のような滅びと「報復」を意味します。この点に関して,わたしたちは次のことを確信できます。「エホバはご自分の約束に関し……遅いのではありません」。行動が起こされる,「エホバの日」を辛抱強く待つ間も,わたしたちは,「大患難」を生き延びる「大群衆」が引き続き急速に増加してゆくのを見て喜ぶことができます。確かにわたしたちは,そうした人々を助けるために精力的に努力できます。―テサロニケ第二 1:7-10。ペテロ第二 3:3,4,9。テモテ第一 4:10。
これまで列挙してきた,人類を元の状態に復させる神の一連の行動を見ると,わたしたちは胸の高鳴りを感じます。エホバの壮大な目的すべてが,神を愛する者の上に成就することを全く確信し,わたしたちは,「大患難」の間も,さらに千年王国の支配の間もずっと,神および神が立てられた王イエス・キリストの導きに従ってゆきます。そうです,エホバ神は人類のためにこれまで行なってこられたと同じく,引き続きその業を「みごとに」成し遂げてゆかれるのです。―イザヤ 12:2-5,口。
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困難な状況の下でも良いたよりを分かち合うものみの塔 1976 | 1月15日
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困難な状況の下でも良いたよりを分かち合う
鉄のカーテンの背後の国では,長年にわたって無神論の思想が一般大衆に吹き込まれてきたため,神あるいは聖書に関係のあるものを受け入れることは難しくなりました。人々はしばしば敵がい心を示したり,暴力をふるいかねない態度を取ったりさえします。偏見を巧みに処理して,人々に耳を傾けてもらうためには,伝道者たちは機転を利かせなければなりません。一例として,ある年配の証人の夫婦が,真理に対して幾らかの関心を示した一婦人の住所を受け取りました。その婦人の夫は,その家族の他の成員同様,たいへんな反対者でした。それで,兄弟たちは別の場所でその婦人と会って研究を行ないました。やがて,彼女は真理を受け入れてバプテスマを受けました。さて,この夫婦はその新しい姉妹の夫に近づく種々の方法について彼女と相談し,その兄弟が飼育用にうさぎを2,3匹買いたいという名目で,彼女の夫を訪問することに決め,兄弟はある日の昼食直前に訪ねることになりました。事は予定どおりに運び,夫はその兄弟を招じ入れて食事を共にし,それからふたりはうさぎの飼育について長い時間話し合い,聖書から2,3の考えが引き合いに出されてからその話し合いは終わりました。次いで,その夫はうさぎについての話し合いを続けるため,再び兄弟を招きましたが,その話し合いはほどなくして聖書の真理に関する討議に変わりました。三度目の訪問は,神の真理についてもっと多くを学ぶ必要があることを家の人に納得させるものとなりました。次の折には,兄弟は妻を伴って訪れ,今度は自分たちのところを訪ねるよう家の人を招待しました。こうして,定期的な聖書研究が始まり,ほどなくして神の新秩序における永久の命に対する関心は,うさぎの飼育に対するそれよりもずっと大きなものになりました。また,夫の態度が変化したため,その家族の他の人たちも聖書の音信に関心を持つよう助けられました。
この無神論の国に住む別の夫婦は,唯物論の考え方に従って徹底的に快楽を追求し,放とうの極みを尽くしていましたが,真の満足は少しも得られませんでした。そのため,妻は自殺を考えていましたし,夫もそれに近い精神状態にありました。そのころ,彼は,エホバの証人であった肉親の兄のことを思い出し,ふたりで旅行し,その兄を訪問することにしました。兄の家に滞在した結果,その夫婦の人生観は一変し,ふたりは真理を受け入れ,生活の真の目的,つまり神の義の王国のもとで永久の命を享ける希望をいだいて,神の定めた規準に従って神に仕えるという目的を見いだしました。―「エホバの証人の1975年の年鑑」より
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