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  • 草原から石炭を掘る
    目ざめよ! 1971 | 2月22日
    • 保っている。しかも,近い将来に石炭資源が枯渇するおそれはまずない。一部の権威者によると,今日知られている石炭の埋蔵量からすれば,現在の割合で使用しても,今後5,000年間はまに合うとされているからである。石炭が重要かつ貴重な天然資源であることには,いささかも変わりがない。

      地球の資源を正しく評価する

      発電所を去るにつれて,例の“山々”が遠くなってゆくとともに,草原の地下に秘められている資源を思い起こさせる,泥土の積み上げられた荒涼とした丘のことを考えさせられた。現在の事物の体制下では,地上の鉱物資源はおもに商業上の利潤を得るために採掘されており,したがって,捨てられた泥土の山を平らにして,肥沃な土でおおうことは法律で要求されていないため,普通,そうした余分の費用のかかることは行なわれていない。

      人間の住む,この美しい地球に備えられている天然の富があまり正しく評価されていないのは,なんと悲しむべきことであろう。しかし,まもなくエホバの正義の新秩序によって,この地球の美しさが保持されることになるのを思えば,感謝せざるをえない。そのとき,地球上の資源は正しく用いられるので,いっそうの荒廃がもたらされるかわりに,楽園が広がり,砂漠にさえバラのごとくに花咲くことであろう。―イザヤ 35:1。

  • 英米世界強国の興隆
    目ざめよ! 1971 | 2月22日
    • 英米世界強国の興隆

      第二次世界大戦が終わってからというもの,西欧諸国と東欧の共産主義陣営とは,互いに抗争を続けてきた。それは時として,戦闘状態に発展したこともあった。西欧諸国を率いて,共産主義の拡大をはばむ指導的な役割を果たしてきたのは,連合あるいは二重世界強国である,大ブリテンとアメリカ合衆国である。

      冷たい戦争,両陣営からの挑発的行為,熱い戦争などがしばしば行なわれて,25年を経た今日,中東,東南アジアその他の地域の状況からわかるとおり,世界情勢には依然として緊張と危険が絶えない。将来はどうなるのか。全地は核戦争に巻き込まれて,世界は滅びてしまうのであろうか。恒久平和を実現する希望はいったいあるのだろうか。英米世界強国に関する幾つかの事実を検討すれば,そうした問題に対する手がかりが得られよう。

      密接な関係

      英国と合衆国は,長い間,密接な関係を維持してきた。この点に関して1946年,ウィンストン・チャーチルは,“特別な関係”また,“友愛同盟”という表現を使った。

      両国のそうした密接な関係は,第一次および第二次世界大戦中,明らかに識別された。両大戦において,ドイツとその同盟国の武力を打破しえたのは,それら二つの国が共同して武器や経済資源を投じたためであった。第二次世界大戦の結着をつけるのに,非常に重要な役割を演じた原子爆弾は,英国とアメリカの科学者たちの共同研究の成果であった。しかし,それだけではない。

      世界貿易や財政のための諸制度を樹立するにあたり,主要な役割を果たしたのは,英米間の親善関係と両国の進取の態度であった。事実,国際貿易で流通している基本通貨は,英貨ポンドと米貨ドルである。英米両国が世界的な影響力を持っていることを示す別の事実は,国際連盟ならびに国際連合の設立に,それら両国が率先して働きかけた事実である。

      英米世界強国が,20世紀の世界情勢にじん大な影響力を及ぼしていることには疑問の余地がない。多少の意見の相違はあるにしても,英国と合衆国は概して密接な関係を保持しており,歴史上類例をみない世界二重強国を成してきた。この点に関して,1967年7月1日付,サタデー・イブニング・ポスト紙はこう評している。「合衆国とブリテンがともに力を合わせると,対抗しうるものはない,ということを,ウィンストン・チャーチルは好んで口にした。帝国か否か,金の流出の有無といった問題にかかわりなく,このことは依然として真実である」。

      両国の親密な関係に言及しながら,駐米英国大使は,1963年5月22日の演説の中で次のように述べた。「両政府間の相互協力関係は,平時に結ばれた自由諸国・自主諸国間のいかなる二国同盟よりも親密なものであると信じます。……1941年,両国がともに武器を取って敵に当たって以来の英米連携に匹敵するほどの力を発揮した同盟は史上存在していません」。両国の提携関係は意義深い。聖書の預言の中に予告されていたからである。

      早い始まり

      英米世界強国の種は,実際にはローマ帝国によって,遠い昔にまかれた。聖書歴史によると,ローマ帝国は,古代エジプトをもって始まる一連の世界強国の中で6番目,バビロンから数えるならば4番目に当たる。予告されたところによると,『大なる事を言ふ角』として描かれている英米世界強国は,ローマ帝国から出ることになっていた。(ダニエル 7:7,8,23,24)それはどのように事実となったか。

      西暦前1世紀にブリテン島に到着したローマ軍隊は,ブリテンをローマ帝国の一部にした。その結果,現在のコールチェスターに当たるカムロドヌムをブリテン島の首都として,第六世界強国はそこに確固とした地歩を築いた。ローマ人が来る前,同国は約30の部族民に分割されていたが,それら部族が征服されるに及んで,その地帯は,ヨーロッパにおけるローマ領域の西方区域を成すに至った。

      ローマの保護を受けて,ブリテン島は繁栄を見,約92の都市が興隆した。ローマによる占領を大ブリテン島の歴史の初めとしながら,H・S・ウィリアムズによる「歴史家の世界史」と題する本はこう述べている。「大ブリテン島の歴史は,シーザー配下の軍団が,英国の南部海岸に上陸した時をもって始まったと言えよう」。こうして,ローマ帝国と英米,つまり第七世界強国の間につながりのあることがわかる。

      1763年のもつ重要な意義

      第七世界強国が初めて登場したのは1763年,つまり大ブリテンが世界第一の商業国にのし上がった時である。この年に七年戦争が終結し,北米のフランス領植民地の大部分が英国の手に渡った。同戦争は,ヨーロッパのほとんどの国を巻き込み,インド・北米・ドイツ,さらに公海にも波及し,世界的な規模に広がった。ローマ帝国によってまかれた種は,この時までには巨大な組織へと発展しており,やがて,聖書の黙示録 13章11節で,「こ羊のごとき角二つありて竜のごとくに語(る)」野獣の象徴のもとに予告されている,二重世界強国になるはずであったのである。

      1756年に始まって1763年に終わった七年戦争が,世界強国としてのブリテンの出現を画するものであることは,大英百科事典の第11版の中で次のように論じられている。「この戦争は,大英帝国の基礎を築いた。……パリ(1763年2月10日)とフベルツスブルグ(2月15日)で結ばれた条約は,ヨーロッパ史上重要な意味を持つに至った。その戦争の結果,大ブリテンは,最初の条約により,世界じゅうに領地を有する強力な帝国として出現した」。

      1775年に始まった独立戦争によってアメリカの植民地を失ったとは言え,大ブリテンは世界強国として他の地域に勢力を拡張した。1798年から1805年にかけて,インドにおける支配領域を4倍に拡張し,1818年までには事実上,インドを支配するに至った。ビクトリア女王の治世中(1837-1901),インドのさらに広い地域,およびビルマ,アフリカの拡大な区域が英国の支配下に置かれた。

      同女王がなくなった当時,英国は約10平方キロにつき1平方キロの割合で,全世界の陸地を所有していた。そのため,“大英帝国に日没はなし”と言われたほどである。世界人口のうち,5人にひとりは英国の属国民であると言われた。英国は海軍力のゆえに,“ブリタニアは海洋を制覇する”とまで言われた。しかし,第七世界強国としての大ブリテンが,今日の世界のできごとにおいて重要な役割を演ずる二重強国へと,どのように発展したのであろうか。

      英米二重強国の出現

      変化が見られはじめたのは,もともと英国に属していたアメリカの植民地が分離し,別の国家,すなわちアメリカ合衆国を作った時である。ほどなくして,つまり,モンロー主義の発表された1823年以来,大英帝国とこの新興国家は提携するようになった。

      当時,ヨーロッパの幾つかの政府は,スペインおよびポルトガルの王政をラテン・アメリカに再興するための一助として,軍隊を派遣するようフランスに要請した。その事態を警戒した大ブリテンは,ヨーロッパ政府が中南米に干渉を加えないよう,共同声明を出すことを合衆国に提案した。

      しかし,合衆国は独自に行動することを決定して,モンロー主義を発表した。その内容は,中南米を植民地化し,または支配しようとするヨーロッパ諸国のいかなる試みにも,合衆国は反対する,というものであった。この点に関して,1966年版のワールド・ブック百科事典はこう述べている。「同主義が効を奏したのは,アメリカの政策の力というより,英国の海軍力に負うところのほうが大であった」。当時の合衆国は,まだそれほど強力な存在ではなかったのである。

      1898年の米西戦争は,英国と合衆国とをさらに近づけるものとなった。G・N・クラーク著の「ニュー・ケンブリッジ現代史」の580ページには,その点が次のように指摘されている。「その後,合衆国がスペインを相手に戦った戦争は,その感情を強いものにした。合衆国政府ならびに人民は,大ブリテンの善意を得ていれば,危難の時に得策であることを悟り,両国の関係は非常に緊密となった。それ以前,これほど親密な関係を二つの国が結んだことはないように思われる」。両国のそうした親密な関係は,わたしたちが目撃してきたように,20世紀に至るまで持続され,世界二重強国を生みだした。

      この世界強国が,世界情勢の中で依然として強力な地位を占めている事実を示すものとして,1969年9月28日付,ザ・ワシントン・ポスト紙は,合衆国軍隊の他国における駐留問題を取り上げた。アメリカの駐留軍が68か国に配置されていることを報じた後,同紙はこう述べた。「驚くばかりのアメリカの軍事介入は,とどまるところを知らないかのようである」。つまり,大ブリテンが,かつての広大な帝国ではないとは言え,英米世界強国の及ぼす影響力は依然,世界じゅうで感じられている。しかし,その勢力は今や,共産主義諸国家の挑戦するところとなっているのである。

      そうした事態は何を意味するか

      今日わたしたちは,英米世界強国と共産主義陣営の諸国家との間に展開されている“抗争”から影響を受けている。それが世界的な規模の核戦争に発展するようなことになれば,だれひとりとしてその恐ろしい結果を免れえないであろう。

      両陣営の抗争が英米世界強国の経済的な崩壊を招来するようなことになれば,だれも経済的な影響を受けずにはおられないであろう。なぜなら目下のところ,自国の経済的安定がなんら英米世界強国の経済的繁栄に依存していないという国は少なくないからである。

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