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  • 歴史から学び取られなかった教訓
    目ざめよ! 1984 | 6月8日
    • 教訓 その4 ― 社会の向上。人々がよくならずに,世界がよくなることはあり得ません。事実,歴史は,「人が人を支配してこれに害を及ぼした」ことを証明しています。(伝道の書 8:9)確かに,奴隷廃止のような事態の推移は社会の向上に役立ちました。しかし,さまざまな人間的要素のために,依然として幾百万もの人々が非人道的な戦争で命を失っています。真の意味で社会が向上するためには,仲間の人間に対する愛が教えられなければなりません。(マタイ 22:39)確かに,イエス・キリストとその油そそがれた共同支配者たちの王権の下で人類が完全性にまで引き上げられるには一千年かかることを聖書は示唆しています。しかし,その期間は間もなく始まろうとしており,それは神の王国の成し遂げる数多くの事柄の一つになるでしょう。―啓示 20:4-6; 21:1-5。

      疑いもなく,わたしたちは人間の歴史から数多くの教訓を学べます。とはいえ,ここに挙げた四つの教訓についてはどうでしょうか。個人としてそうした歴史の教訓をどのように適用することができますか。

  • 教訓から学べる事柄
    目ざめよ! 1984 | 6月8日
    • 教訓から学べる事柄

      歴史は繰り返すように思えるとしたら,その背後に,目には見えない,人類の悲惨な歴史の考案者がいるということはないでしょうか。その者の業は邪悪な性質のまぎれもない刻印を明らかにしているのではないでしょうか。聖書の答えははっきりとしています。

      クリスチャンの使徒パウロは,人類の不幸な歴史のこの考案者が,「この事物の体制の神」,サタン悪魔であることを明らかにしています。(コリント第二 4:4)『全世界は邪悪な者の配下にある』のです。(ヨハネ第一 5:19)ですから,歴史の中で専制が専制に続いたとしても不思議ではありません。邪悪な霊である「この闇の世の支配者たち」は必ずそうなるようにするからです。(エフェソス 6:12)そうであれば,本当に満足のゆく政権の交代はただ一つしかあり得ないことを歴史から学べるはずです。神の王国の支配の下でのみ,専制は過去のものとなるでしょう。

      宗教と政治に関する教訓その2はどうでしょうか。偽りの宗教がこの世との交友を持っているからといって,使徒パウロがこの体制の「終わりの日」の特色として挙げた道徳の退廃が相殺されていないことは明らかです。使徒パウロは,人々が ― 自ら敬虔であると唱えている人々までが ―「自分を愛する者,金を愛する者」,そして「神を愛するより快楽を愛する者」になるであろうと述べました。そうした者たちは,「敬虔な専心という形」しか持っていません。―テモテ第二 3:1-5。

      この世の宗教の僧職者たちは,なぜこの霊的でないすう勢を食い止められないでいるのでしょうか。それができないでいる理由の一つは,彼らが宗教と政治を結び合わせようと絶えず努めてきたことにあります。それにより彼らは神の目に汚れた者となっています。このことから,エホバ神の友になりたいのなら,そのようなかかわり合いを絶たなければならないことを学べるはずです。―啓示 17:1,2,5。ヤコブ 4:4。ヨハネ 15:19。

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