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  • イエスはいつ生まれたか
    ものみの塔 1981 | 12月15日
    • 示すところによれば,その日は西暦前2年の10月1日ごろということになります。そうであれば,12月25日にクリスマスの行事によってイエスの誕生を祝うのは,聖書を導きとする人にとって全くふさわしくない事になります。

      しかし,イエスの誕生の日が明確にされていないからといって,動揺することはありません。実のところ,聖書に記録されている誕生日の祝いは世の支配者たちのものだけなのです。―創世 40:20。マタイ 14:6。マルコ 6:21-28。ヨハネ 18:36。

      それでも,イエスのことを忘れてもよいというわけではありません。イエスのことを記憶にとどめておくために,その死の記念式がイエスご自身により制定されました。それはしばしば主の夕食と呼ばれています。キリストはその地上での生涯の最後の晩に,「自分の魂を,多くの人と引き換える贖い」として与える直前に,この儀式を制定されました。(マタイ 20:28)イエスは,自分がささげようとしていた体と血を表わす無酵母パンとぶどう酒を象徴物としてお用いになり,その忠実な追随者たちをそれらにあずからせ,こうお勧めになりました。「わたしの記念としてこれを行ないつづけなさい」。(ルカ 22:19,20。コリント第一 11:23-26)このように,真のクリスチャンはイエスがいつ生まれたかについて知ることにある程度の関心を抱いてはいるものの,クリスチャンが毎年記念しなければならないのはイエス・キリストの誕生ではなく,その死なのです。

  • ブラジルで迎えた喜ばしい日
    ものみの塔 1981 | 12月15日
    • ブラジルで迎えた喜ばしい日

      1981年3月21日,土曜日は,ブラジルのエホバの証人にとって喜ばしい日でした。その日は,サンパウロ市から140㌔のところにあるセサリオ・ランジェに建てられたエホバの証人の支部の,新しい,広々とした幾棟かの建物の献堂式が行なわれた日でした。ブラジルの他の人々にとっても,それは注目に値する日でした。なぜなら,それらの新しい建物の中で働く自発的な奉仕者たちの活動は,遅かれ早かれ大多数のブラジル人の生活に影響を及ぼすことになるからです。

      エホバの証人はブラジルで急速に増加しました。1920年代のこと,ニューヨークで聖書の解説書を手に入れた8人の水夫がブラジルに戻り,新しく得た知識を他の人々に伝えました。そのささやかな始まりから,エホバの証人の数は11万7,000人へと急速に増加したのです。

      エホバの証人はクリスチャンですから,隣人に聖書のことをいつも熱心に話します。また聖書の解説書を広く用います。ですから,その活動を組織したり,文書を印刷したりできる支部が必要になります。エホバの証人は各国にある自分たちの支部を“ベテル”と呼びます。

      サンパウロにあった以前のベテルホームと印刷所は,ブラジルのエホバの証人の数が増加の一途をたどっているために手狭になり,一度増築されましたが,また狭くなってきました。それで全く新しい建物が幾棟か1か所に建てられることになりました。その用地として,1977年にセサリオ・ランジェの土地が購入されました。

      115ヘクタールに及ぶその新しい土地は開墾されていない土地でした。そこで,自発的な奉仕者たちは,ヘビの危険やハチに刺される危険をものともせず,その土地の開墾に乗り出しました。そして建築に必要な部分を切り開き,畑や放牧地になる部分を整備しました。しかし,可能なかぎり多くの樹木を残すように努力し,また20ヘクタールの処女林を保存することができました。ですから今ベテルの家族は同じ敷地内に,アルマジロやヤマアラシ,シカ,ヤマネコ,スカンク,リス,

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