-
広まる同性愛行為ものみの塔 1970 | 8月15日
-
-
知らない。する前からわびしかったが,性交をした後の孤独感はさらにひどく,絶望と失望とに襲われる。……あてどもなく夜の町をさまよい歩く。……たぶん最も低劣な場所を求めて……それは,自分自身と自分の追い求めている性生活のありかたとを,まったく下劣なものと考えているからにほかならない」― D・W・コーリー,J・P・ルロイ著「同性愛者とその社会」。
すべての同性愛者の生活がこのとおりではありませんが,これは大多数の同性愛者の生活を描き出したものでしょう。ウェスト博士が述べたように,同性愛の生活には欲求不満とみじめさがしょっちゅうつきまとうのです。
ウェスト博士のことばを裏書きしているのは,現在同性愛行為を続けているある人の発言です。「私の生活はめちゃくちゃです。私が幸福だなどと思わないでください。とんでもないことです。私はみじめです。そして抜け出そうともがいています。…みじめですし,欲求不満で苦しんでいます」。
同性愛行為がしょっちゅう欲求不満に終わるのは不思議なことですか。創造者は,互いに補い合うように二つの性を設けられました。両方とも,『地を満たす』目的のために,そして相手に満足と幸福を与えるために造られたのです。男と女がそれぞれ異性のために意図されたことは,性器の構造そのものから明らかです。夫婦関係が,相手に思いやりを示しつつ保たれるならば,互いの人格ばかりか,結婚のきずなも強められます。夫と妻の双方が,神の定めた標準に従って,それぞれの務めを果たすなら,結婚はうるわしいものまた徳を高めるものとなるのです。―コリント前 7:3-6。エペソ 5:22-33。
性愛の対象を異性に限る聖書の立場が健全であること自体,同性愛の不健全さを強調するものです。同性愛関係において,一方の人は異性を装い,肉体・精神・感情面でも異性の役を演じますから,それは虚偽に基づいた行為と言わねばなりません。精神分析学者たちが組織している医学協会の調査委員会が著わした,「同性性欲倒錯症」と題する本が述べているとおり,「性交の相手となる男性に女性の特質を見いだそうとするのは不合理」です。
同性愛行為が広まっている事態は,欲求不満とみじめさをしょっちゅうもたらす生活を送っている人が多いことを意味しています。神の目から見ても,また正義を愛する人々の目から見ても,それは憎むべきもの,そして,けんおすべきものです。神から非とされる,そうした不幸な結果を避けるすべを知っておくのは,賢明です。次の記事は同性愛行為の原因と,それを避ける方法について取り上げます。
-
-
同性愛のわなを避けるものみの塔 1970 | 8月15日
-
-
同性愛のわなを避ける
悲惨な結果をもたらす事柄を避けるためには,その原因となるものを知っておくことが賢明です。同性愛の原因に関しては,不明な点が多く,現代一般に認められているところでは,からだつきやホルモンなどの肉体的な要素がおもな原因ではありません。では,その重要な原因と考えられているものはなんですか。
アルバート・エリス博士は,自著「同性性欲倒錯症 ― その原因と治療」(1965年版)の中で,原因と思われる事柄を幾つか取り上げて,ある種の恐怖感がおもな原因になっているのではないかと述べています。そうした潜在的な恐怖感を取り除かせることによって,多数の同性性欲倒錯症の患者を治せたと同博士は報告しています。アメリカにおける同性愛運動の指導者のひとりであった,ドナルド・W・コーリーの勧めることから察すると,エリス博士の見解には真実性があるようです。
「治療は,性関係その他の関係を異性と持つことに対する抵抗と恐怖の感情を緩和することを目ざすべきである。……これには二つの理由がある。つまり……問題の核心に同性性欲倒錯症の患者を導き,単に症状だけの処置に終わらないようにする。同性性欲倒錯症の患者の問題は,男性にひきつけられるというより,女性から逃避しようとするところにある」。
また,同性愛者にそそのかされて,少年が同性愛行為を始める場合もあります。その悪質な例は,カナダのバンクーバーで起こった事件です。幾人かの同性愛者が,10歳から14歳までの少年35人をそそのかし,彼らに同性愛行為をさせて商売をしていたのです。
たいていの場合,年配者が少年にぶどう酒その他のアルコール飲料をすすめます。そうすれば,少年は不道徳な誘いに十分に抵抗しえないことを知っているからです。神のみことばはこう述べています。「淫行と酒と新しき酒はその人の心をうばふ」。(ホセア 4:11)預言者ハバククも,人を誘惑に陥れる手段としてアルコール飲料をすすめるやり方を非難して,次のように警告しています。「人に酒を飲せ……これを酔せ しかしてこれが陰所を見んとする者はわざはひなるかな」。(ハバクク 2:15)ですから,見知らぬ年配者が,酒を飲ませてあげようといって少年に近寄るときには,ほかに意図するところがあると思ってよいでしょう。
親の責任
青少年が同性愛行為に走る場合,その不自然な行為の基礎を作り出したのは両親である,という見方が今日一般的です。権威者たちは,子どもが6歳になる前に,両親が同性愛の基礎を作ってしまうこともあると信じています。たとえば,この問題に関する世界的な権威者,アービング・ビーバー博士はこう述べています。『無関心な父親と,おうへいな母親は,むすこを同性愛者に仕立てる完全なコンビである』。そして,さらに次のように付け加えています。「父親が妻とむすこに愛情を示し,むすこに男らしい態度をつちかわせるならば,男娼が生まれることはありえないと思う」。
ビーバー博士によると,「父親はむすこが同性愛者になる傾向をとどめる,絶対的な力を持っているよう」です。正しく育てられた少年が女性をこわがることはありません。
こうして見てくると,人生に伴う他の多くの問題と同様,同性愛行為に関しても,「予防が最善の治療薬」という古いことわざが当てはまります。父親は各々自分のむすこに積極的な関心を示し,力強い男性的な性格を築くよう援助してやる必要があります。それはどのようにすればできますか。最も重要なのは,良い模範を示すことです。使徒パウロはこうしるしました。「目をさましていなさい。信仰に立ちなさい。男らしく,強くあってほしい」。(コリント前 16:13,口語)基本となるのは,自制を働かすことです。力強い男性的な性格の持ち主は,容易に興奮せず,落ち着いており,感情的である代わりに理性的で,家族の者を保護する態度を示します。また,女性をとうとび,敬意を示すことを,父親はむすこに教え込まねばなりません。それは,父が自分の妻に愛ある態度で接することによって教えられます。
同様に,母親も夫の頭の権を尊重し,あれやこれやに指示を与える,出過ぎた態度を取らないように注意すべきです。母親の出過ぎた態度を見るなら,むすこは女性から遠ざかるようになるかもしれないからです。
さらに,同性愛行為の害について,両親は子どもにはっきりと警告を与えることもできます。そのようにして与えられた知識は,身の守りとなります。ところが,両親が正しく教え,また,警告をしないむすこは,同性愛者の思うままになってしまうかもしれません。
個人の責任
両親にも責任があるとはいえ,主要な責任は個人にあります。若者は同性愛のわなに陥らないように注意していなければなりません。強い性的な衝動と性欲,さらに,そのためにあやまちを犯す危険性のあることを,だれも軽々しく考えてはなりません。制御の作用をなす,神に対する恐れ,また善に対する自然な愛がなければ,人の心は情欲の充足を求めて,不自然な手段を求めるかもしれません。官能的な人ほど,正常な事柄からはずれたものに,引きつけられるようです。(創世 8:21。エレミヤ 17:9,10)そうした強い傾向は同性愛者に限ったことではありませんが,同性愛行為のとりこになっている人が非常に多い理由を明らかにしているようです。
言うまでもなく,たいていの青少年は,同性愛行為を忌みきらっていると思われますが,そうした傾向が少しでもあるなら注意し,この点に関する好奇心を払いのける確固とした努力をしなければなりません。使徒パウロの次の忠告に留意する必要があります。『悪は憎み退けなさい』― ロマ 12:9,口語。
ですから,若い人々が,欲求不満を伴う同性愛行為の生活に陥らせるような行ないを憎むのは賢明なことです。この点について,D・J・ウェスト博士はこう述べています。「男にしろ女にしろ,同性性欲倒錯症の生活を始める糸口となる一般的な性愛行為は,接吻・愛撫・親密な肉体的接触また相互的自慰行為などである」。
このことから,次の点を認識すれば,身の守りとなることがわかります。すなわち,自己色情や自慰行為は,害のない単なる慰みではなく,同性愛行為に導く行ないになりうるという事実です。なぜそう言えますか。それは,自慰行為にみずからを誘う人は,一種の同性愛行為である,相互的自慰行為にふける誘惑に陥りやすくなるからです。青少年がこの行ないを避けるため誠実な努力をすることは身を守るのに大きな助けとなるでしょう。
同性愛行為のわなを避けるのに同じく有益なのは,それがいかに不自然で,欲求不満をもたらすかを明らかにした見解を心に留めることです。同性愛者が,見知らぬ人をしつこく悩まし,少年をそそのかし,あるいは同性愛者による暴行が刑務所で絶えないことから,同性愛行為がいかに利己的で,無情なものであるかがわかります。証拠の示すところによると,異常な性欲は,正常な性欲よりもはるかに制御しがたいものです。
その束縛からのがれるには
多くの同性愛者は,自分を変えることができないと主張します。しかし,真に願うなら,自分を変えるのは可能であることを,医学に携わっている人々の多くが明らかにしています。精神分析学者協会の調査委員会の著わした「同性性欲倒錯症」という本は,「すべての同性愛者は,潜在的異性愛者である」と述べています。また聖書も,人間は,いまわしい汚れた行ないをやめて,みずからを変えることができると,あかししています。たとえば,同性愛者は神の御国を相続することができないと述べ,使徒パウロは,こう付け加えています。『あなたがたのある者は,かつてそのようであった。しかしあなたがたは洗い清められたのである』― コリント前 6:9-11,新。
自分を変えたいと願う同性愛者は,その行ないがたとえどんなに安易で,官能的に快いものであっても,それが悪いことを自分自身
-