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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1970
塔70 8/15 502–505ページ

広まる同性愛行為

現代を対処しにくい危機の時代としているものの一つに,同性愛行為が広まっているという事態があげられます。『1,200万人のアメリカの男女は同性愛者であろう』と言われています。(タイム誌,1969年10月24日号)オランダにおける同性愛のまん延ぶりは著しく,この国は「同性愛者のメッカ」と言われています。そして,今日の演劇,映画またテレビにいたるまで,同性愛を主題としたり,背景とするものが段々と多くなってきています。

こうした事態を助長するものに,同性愛行為を合法化しようとする動きがあります。英国は数年前,成人が合意の上でなす同性愛行為を合法化しました。カナダと西ドイツも昨年,同じ措置を講じました。また,アメリカの二つの州も同様な法律を制定しました。

この問題に関して無視できないのは,僧職者の間に顕著に見られる態度です。数年前のことですが,監督派教会の90人の僧職者は成人が合意の上でなす同性愛行為はそれ自体悪いものではない,という見解を公にしました。同性愛行為に対する僧職者の態度が柔軟になってきたことは,新教の牧師3,000人を対象に行なわれた調査の結果からも明らかです。その調査を伝えた,1968年2月号のマッコール誌はこう述べています。

「寄せられた3,000通の手紙を,一つの論旨に要約することは容易ではない。しかし,それに相当するとも言える,一つの明白な点が印象的であった。つまり,同性愛者に対する驚くべき同情心が見られることであった」― 147ページ。

同性愛者たちが独自の世界とも言うべきものを築いて,そこで生活している場合さえあります。たとえば,6万ドル相当の家を2軒所有する,ロスアンジェルスのある実業家は,はばからずにこう語りました。「私は陽気〔同性愛的〕この上もない社会に住んでいる。私の弁護士,医師,歯科医,みんなが陽気な連中だ」。

いったい何か

同性愛が何かについてはっきりした考えを持っていない人が多いようです。一般に同性愛と言えば,人々は,ソドミー,つまり男性間の性交だけを連想するようです。ソドミーは同性愛ではありますが,同性愛はソドミーに限りません。ウェブスター第3新国際辞典によると,同性愛は「同性の者との性的行為。……同性の者の間で求められる愛欲〔性・肉欲〕的な満足」です。

したがって,同性の相手の欲情をそそるような行為は,接吻,愛撫,抱擁のいずれを問わず,いっさい同性愛行為です。同性愛者といえば,たいていの人は男の場合を考えますが,このことばは,同様な行為にふける女性にも等しく当てはまります。しかし,女性の同性愛者に限って用いられることばがあります。それはレスボス愛です。

合法化は正当化か

各国の政府が次々に,合意に基づく成人間の同性愛行為を合法化するからといって,それは正当な行為になりますか。同性愛行為を私的な事柄とするか,あるいは風俗を乱す犯罪とみなすかは,政府が責任を取るべき問題であり,各人は,同性愛行為に対する態度を自分で決めねばなりません。神および真理と正義を愛する人々は,使徒パウロと同じ立場を取ります。「人をみな虚偽者とすとも神を誠実とすべし」― ロマ 3:4。

エホバ神のみことば聖書は,3,800年昔のソドムとゴモラの住民を例にとって,警告を与えています。現代の刑務所にいる多くの同性愛者がするように,それらの住民は男に性的な暴行を加えて,自分たちの色情を満足させようとしたのです。その対象となったのはふたりの天使であり,彼らは,アブラハムのおいである族長ロトの家にやってきた訪問客でした。ソドムとゴモラについて,弟子ユダはこう告げています。その住民は,「不自然な肉欲に走ったので,永遠の火の刑罰を受け,人々の見せしめにされている」― ユダ 7,口語。創世 19:1-29。

イスラエルの国民に与えた律法の中で,エホバ神は,同性愛行為を,憎むべきものとして,あからさまに非難し,それに対して死刑を規定することさえされました。「汝 女と寝るごとくに男と寝ることなかれ これは憎むべき事なり」。「人もし婦人と寝るごとく男子と寝ることをせば これその二人憎むべき事をおこなふなり 二人ともにかならずころさるべし その血は自己に帰せん」。―レビ 18:22; 20:13。

同様にクリスチャン・ギリシア語聖書も,エホバ神のみ前に同性愛行為がいかに憎むべきこととしてうつるかを明示しています。「それゆえ,神は彼らを恥ずべき情欲に任せられた。すなわち,彼らの中の女は,その自然の関係を不自然なものに代え,男もまた同じように女との自然の関係を捨てて,互にその情欲の炎を燃やし,男は男に対して恥ずべきことをなし,そしてその乱行の当然の報いを,身に受けたのである……こうした事を行う者ども(は)死に価する」。このように書き送った使徒(パウロ)は,さらにはっきりと告げています。「男娼となる者,男色をする者は……いずれも神の国をつぐことはないのである」。―ロマ 1:26,27,32。コリント前 6:9,10,口語。テモテ前 1:9,10。

そうです,たとえ同性愛行為が合法化されようと,たとえそれがますます流行しようと,たとえ全世界がソドムとゴモラのようになろうと,クリスチャンの指針となるのは聖書の真理であり,それによると,同性愛行為はエホバ神と道徳心のある人間の両方にとって憎むべきものです。

欲求不満に終わる不自然な行為

エホバ神の律法は人間の最善の益を図るものですから,同性愛行為を批判する声が医学関係の人々の間に盛んにあがっても,クリスチャンは別に驚きません。しばしば聞かれるのが同性愛行為者の欲求不満です。ロンドンに住む権威者で,合意に基づく成人間の同性愛は容認されるべきだと考えている,D・J・ウェスト博士はこう述べています。「医師は,まず,同性愛の生活にしょっちゅうつきまとう深刻な欲求不満と,みじめさについて警告しなければならない。それをせずに,同性愛について必要なことはこれだけだから安心しなさい,と若者にいってはならない」。

これが単に異性愛者の見解でないことは,ふたりの同性愛者が最近出版した本からも明らかです。会合の場所に階級があること,つまり最も品位のあるのは『陽気』なバー,最も低劣なのは街路であることを指摘したのち,著者は次のようにしるしています。

「街路で相手を見つけるやり方は,他のやり方より一層機械的である。会話も短く,あまりぶらつくこともしないまま,粗暴な残忍さともいうべき速さで行なわれる。そのため,なんとか長びかないかと,当人同志が望むほどである。

「会って,性交を行なう。相手の名前さえ知らない。する前からわびしかったが,性交をした後の孤独感はさらにひどく,絶望と失望とに襲われる。……あてどもなく夜の町をさまよい歩く。……たぶん最も低劣な場所を求めて……それは,自分自身と自分の追い求めている性生活のありかたとを,まったく下劣なものと考えているからにほかならない」― D・W・コーリー,J・P・ルロイ著「同性愛者とその社会」。

すべての同性愛者の生活がこのとおりではありませんが,これは大多数の同性愛者の生活を描き出したものでしょう。ウェスト博士が述べたように,同性愛の生活には欲求不満とみじめさがしょっちゅうつきまとうのです。

ウェスト博士のことばを裏書きしているのは,現在同性愛行為を続けているある人の発言です。「私の生活はめちゃくちゃです。私が幸福だなどと思わないでください。とんでもないことです。私はみじめです。そして抜け出そうともがいています。…みじめですし,欲求不満で苦しんでいます」。

同性愛行為がしょっちゅう欲求不満に終わるのは不思議なことですか。創造者は,互いに補い合うように二つの性を設けられました。両方とも,『地を満たす』目的のために,そして相手に満足と幸福を与えるために造られたのです。男と女がそれぞれ異性のために意図されたことは,性器の構造そのものから明らかです。夫婦関係が,相手に思いやりを示しつつ保たれるならば,互いの人格ばかりか,結婚のきずなも強められます。夫と妻の双方が,神の定めた標準に従って,それぞれの務めを果たすなら,結婚はうるわしいものまた徳を高めるものとなるのです。―コリント前 7:3-6。エペソ 5:22-33。

性愛の対象を異性に限る聖書の立場が健全であること自体,同性愛の不健全さを強調するものです。同性愛関係において,一方の人は異性を装い,肉体・精神・感情面でも異性の役を演じますから,それは虚偽に基づいた行為と言わねばなりません。精神分析学者たちが組織している医学協会の調査委員会が著わした,「同性性欲倒錯症」と題する本が述べているとおり,「性交の相手となる男性に女性の特質を見いだそうとするのは不合理」です。

同性愛行為が広まっている事態は,欲求不満とみじめさをしょっちゅうもたらす生活を送っている人が多いことを意味しています。神の目から見ても,また正義を愛する人々の目から見ても,それは憎むべきもの,そして,けんおすべきものです。神から非とされる,そうした不幸な結果を避けるすべを知っておくのは,賢明です。次の記事は同性愛行為の原因と,それを避ける方法について取り上げます。

[504ページの図版]

同性愛行為を助長するものに,それを容認する態度を取る牧師がふえていることがあげられる。

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