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黙示録の騎手ものみの塔 1962 | 5月1日
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がだれであるかをもっと明白に示しています,「見よ,そこに白い馬がいた。それに乗っているかたは,『忠実で真実な者』と呼ばれ,義によってさばき,また戦うかたである。……その名は『神の言』と呼ばれた。そして天の軍勢が,純白で,汚れのない麻布の衣を着て,白い馬に乗り,彼に従った」。
この騎手は,いつ戦争に出かけましたか。成就された聖書の預言によると,それは1914年でした。そのときエホバは御子にむかって,「汝はもろもろの仇のなかに王となるべし」と告げられました。(詩 110:2)神の御国の誕生は,男の子の誕生で示されました。その直後,竜とその悪鬼共はミカエルとその御使たちに手向かって戦争をしました。これらのことはすべて,1914年に,地上の「諸国民」が「怒り狂」ったとき,天で起こりました。―黙示 11:18; 12:19,新口。
他の騎手
2番目の騎手は,赤色の馬に乗り長い剣を持っていました。彼には地から平和をうばいとることがゆるされていたので,その結果として,人々の間で大殺りくがありました。赤は戦争とむすびつけられています。なぜなら,戦争によって血が流され,その血が赤いからです。むかしの人々は,赤色の惑星である土星を戦争の象徴としました。この騎手の働きは,イエスの大預言の中でも述べられています,「民は民に,国は国に敵対して立ち上がるであろう」。たしかに,1914年に始まった第一世界大戦は地から平和を奮い取り,大ぜいの人々は殺し合いました。―マルコ 13:8,新口。
3番目の馬は黒で,その騎手は,はかりを持っていました。彼の出現と共に,「小麦一ますは一デナリ。大麦三ますも一デナリ」という高値が発表されました。一デナリは一日の働きに対する賃金です。(大麦は小麦よりも品質が劣ると考えられました。時々,ローマの兵士たちは罰として小麦のかわりに大麦を与えられました)この騎手は戦争に起因する飢饉を表わしています。馬そのものも黒であったことは適切でした。黒は飢饉の象徴だからです。「今はその面くろきが上に黒く,ちまたにあるとも人に知られず,その皮は骨にひたと貼き……」。イエスは,その大預言の中で,世界戦争と飢饉とをむすびつけました,「国は国に敵対して立ち上がる……またききんが起るであろう」。―エレミヤ哀歌 4:8。マルコ 13:8,新口。
騎手がはかりを手に持っていることも,飢饉の状態を示します。エゼキエルは次のように告げられました,「人の子よ……彼らは食をはかりて惜みて食ひ水をはかりて驚きて飲ん,かく食と水ととぼしくなり……」。―エゼキエル 4:16,17。
この3番目の騎手には,「オリブ油とぶどう酒とを,そこなうな」という特別な命令が与えられました。その命令は,神の御言葉によって解明されます。箴言 21章17節には,「酒とあぶらとを好むものは富をいたさじ」と書かれています。ぶどう酒とオリブ油は,ぜいたく品を象徴します。それがそこなわれないことは,一般の人々に影響する飢饉が起きるにもかかわらず,富める者はぜいたく品をいつも持っていたことを意味します。事実その通りです。
ヨハネの見た第4番目の騎手は,青白い馬に乗っています。それは,疫病を適切に表わしています。ここにおいても黙示録の預言は,イエスの大預言とぴったり一致します,「また……あちこちに疫病……が起り」。(ルカ 21:11,新口)この第4番目の騎手とその馬は,特に世界大戦後の疫病とかその他生命を滅ぼすものを示したことはたしかです。「彼ら〔死と黄泉〕には,地の四分の一を支配する権威,および,つるぎと,ききんと,死と,地の獣らとによって人を殺す権威とが,与えられた」。
この節(8節)に述べられている「獣」とは何ですか。イスラエルの時代には,獣は生命を脅かすものを表わしました。しかし,現代において,実際の獣のために生命が危くなる場所は,主として人里離れたところです。ですから,現代においては,獣には,第一世界大戦によって生じた状態のために,政府あるいは諸組織が人々の生命を取り去った残酷な方法を指しています。「地の四分の一」という表現は,影響が地の四隅に達することを象徴的に述べるものです。しかし,かならずしも全地をおおうという意味ではありません。
第5番目の騎手は,黄泉と示されています。それは,最後の騎手を適切に示しています。彼の直前に出て来た3人の騎手は,死をもたらすいろいろの手段 ― 戦争,ききん,疫病および獣を表わし示しました。この最後の騎手である黄泉は,以前の3人の騎手の犠牲者全部が行きつくところ,すなわち黄泉なる墓を適切に表わしています。
イエス・キリストは,彼の再臨についての大預言 ― マタイ,マルコおよびルカの福音書に記録されている ― と,ヨハネが記録した黙示録 6章の騎手についての大預言の両方を与えられました。福音書の記録の中で,イエスは彼の再臨を戦争,飢饉および疫病とむすびつけられています。同様に黙示録の預言の中では,最初の騎手によって示されるキリストの臨在は,人類の墓を一杯にする戦争,飢饉および疫病を示す,その後につづく騎手とむすびついています。
これらの預言が見事に調和しており,たしかに成就されていることが分かるとき,私たちの信仰は強められます。そして,なおさら,「神を真実なものとすべきである」と言わねばなりません。―ロマ 3:4,新口。
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毎晩の研究ものみの塔 1962 | 5月1日
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毎晩の研究
「いまから4年前,ひとりのエホバの証者が私の家を訪問しました。私は『目ざめよ!』と『ものみの塔』誌を予約しましたが,そのすぐ後に新しい場所に移転しました。その証者は再訪問したときに,私が移転してしまったので,さぞびっくりしたことでしょう。
「6ヵ月前まで ― 私が予約してから3年半たちました ― 私はエホバの証者と会いませんでした。でも毎年,貴重な『ものみの塔』と『目ざめよ!』を再約しました。
「その間,私は妻と二人の子供たちと研究をはじめました。3年間,私は毎晩,家族といっしょに研究しました。ごく稀に訪問者があったときだけ研究ができませんでしたが,そのときには訪問者に証言しました。
「1960年5月15日号の『ものみの塔』(英文)は私の生活に大きな影響をおよぼしました。『私が洗礼を受けるのを妨げるのは何か』という記事を読んで,私は自問せざるを得ませんでした。私に洗礼を施してくれる献身した証者がいない,ということを除いては,何も妨げるものはないことを知りました。しかし,洗礼を受けた時のイエス・キリストと同じぐらいの知識が必要なのかも知れぬとも考えました。エホバの証者が見つかったなら,もっと教えていただくよう証者にお願いして,十分の知識を得てから洗礼を施してもらおうと考えました。
「洗礼についてのその『ものみの塔』が発行されて,さらに9ヵ月たって,ひとりのエホバの証者が,ある日の午後私の家を訪問しました。私はほんとうに幸福でした。私が,さあどうぞおはいり下さい,そして聖書についてもっと教えて下さいとたのんだとき,彼はたいへんびっくりしたにちがいありません。そのときから,私たちは毎週一度の定期的な聖書研究をしました。程なくして,洗礼を受ける前にイエスと同程度の知識を持つことは必要でもないし,不可能であることを私は悟りました。私と聖書研究をしていたエホバの証者は,サリスベリーに大会が開かれることと,大会では洗礼式もあるということを話してくれました。大会まではわずか数ヵ月でしたから,私はその時まで待って洗礼を受けることにしました。
「ついに私が長くのぞんだ日がやって来ました。昨年,洗礼についてのすばらしい雑誌を読んだとき私は心の中で神に献身しました。とうとう洗礼を受けて,その献身を象徴することができた私のよろこびは実に大きなものでした。しかし,私の愛する妻も,私といっしょにプールで洗礼を受けるのを見て,私は心からの幸福感に浸りました。ほんとうにエホバは,私共家族の研究を祝福されました。私たち家族は,いまでも定期的に毎晩研究しています。そして,私たち二人は,子供たちも献身した証者になる時を待ちのぞんでいます。私たちは必要の大きなところへ行きたいと,考えています」。
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