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真のクリスチャンは王国伝道者ですものみの塔 1985 | 8月1日
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真のクリスチャンは王国伝道者です
「王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです」― マタイ 24:14。
1,2 (イ)今,王国の音信が全世界で宣明されなければならないのはなぜですか。(ロ)エホバの証人各人はどんなことを自問できますか。
エホバの王国を告げ知らせる。幾十年もの間これは本誌の主要な目的となってきました。実際この言葉は,版権を取得してある,本誌の表題の一部となっています。そして,今全世界で王国の音信が宣明されるのは肝要なことです。なぜでしょうか。イエス・キリストが,目に見えないご自分の「臨在」と,この体制の終わりに関する「しるし」を成す他の特色を挙げた後に言われた事柄のためです。イエスはこう言われました。「王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しとして,全世界にふれ告げられるでしょう。それから終わりが来るのです」。―マタイ 24:3,14,エルサレム聖書。
2 今日,「終わり」は正に近づいています。ですから,エホバの献身した証人一人一人が次のように尋ねるのは良いことでしょう。自分は王国を宣べ伝える業についてどう感じているだろうか。自分はその業に定期的に参加しているだろうか。自分は巧みに,また熱心にその宣教を行なっているだろうか。
宣べ伝えるという任務
3 マタイ 5章14-16節に記されているイエスの言葉は,ご自分の追随者についてどんなことを示していますか。
3 真のクリスチャンで,他の人に「良いたより」をふれ告げる特権的な業を正当に退けることのできる人はいません。イエスは弟子たちにこう言われました。「あなた方は世の光です。都市が山の上にあれば,それは隠されることがありません。人はともしびをともすと,それを量りかごの下ではなく,燭台の上に据え,それは家の中にいるすべての人の上に輝くのです。同じように,あなた方の光を人々の前に輝かせ,人々があなた方のりっぱな業を見て,天におられるあなた方の父に栄光を帰するようにしなさい」。(マタイ 5:14-16)この言葉は,イエスの弟子たちが王国伝道者となることを示していました。
4 主要な王国宣明者についてどのようなことが言われていますか。
4 主要な王国伝道者に関して,次のようなことが言われています。「我々の主は王国を伝道した際,王国に関する宣教を準備することと組織することを……お始めになった。……主は預言的な意味を持つ宣教を開始され,……それから十二使徒と70人の参加者にも同じことを行なわせた。主は,来たるべき王国を伝道し,“さまざまなしるし”を行なうに当たって,ご自身の前から同様の音信と同様の力を与えて彼らを派遣された。詳細にわたるすばらしい教えの課程により,……後に与えられることになっていたより高い信頼の立場に備えて,それまでの間彼らを訓練された」― ミロ・マハン著,「教会史」。
5 王国の伝道に関して,イエスは何を行なわれましたか。
5 イエスは,ご自分が派遣した使徒たちと70人の弟子たちに優れた指示をお与えになりました。(ルカ 6:12-16; 10:1-22)さらに,わたしたちの模範となっておられる方ご自身も,「都市から都市,村から村へと旅をされ,神の王国の良いたよりを宣べ伝えまた宣明された」のです。この方と共に使徒たちがおり,「自分の持ち物をもって彼らに奉仕をしていた」ある女たちがいました。(ルカ 8:1-3)そうです,イエスは良いたよりの熱心な宣明者であられ,王国を宣べ伝える組織を創始するための手段を講じられました。
6 イエスは天に上る前,ご自分の追随者たちにどんな任務をお与えになりましたか。
6 3年半にわたる宣教の後,イエスはご自分の地上での歩みを終えられました。しかしイエスは天に上る前,追随者たちに次の任務をお与えになりました。「行って,すべての国の人々を弟子とし,父と子と聖霊との名において彼らにバプテスマを施し,わたしがあなた方に命令した事柄すべてを守り行なうように教えなさい。そして,見よ,わたしは事物の体制の終結の時までいつの日もあなた方と共にいるのです」。(マタイ 28:19,20)彼らはまさに王国伝道者となるのです。
7 当初イエスの弟子たちには王国に関する正確な知識が欠けていたのに,首尾よくイエスの証人となることになっていたのはなぜですか。
7 イエスがまさに地を去ろうとしていた時,弟子たちが,「主よ,あなたは今この時に,イスラエルに王国を回復されるのですか」と尋ねました。イエスはそれに答え,「父がご自分の権限内に置いておられる時また時期について知ることは,あなた方のあずかるところではありません」と言われました。当時の弟子たちには王国に関する正確な知識が欠けていましたが,イエスは彼らが王国宣明者となるよう割り当てることができました。弟子たちは,自分たちの任務を果たすために必要な助けを得ることになるからです。「しかし,聖霊があなた方の上に到来するときにあなた方は力を受け,エルサレムでも,ユダヤとサマリアの全土でも,また地の最も遠い所にまで,わたしの証人となるでしょう」と,イエスは付け加えられました。(使徒 1:6-8)イエスの追随者たちは,聖霊の導きを受け,王国が天的な政府であることをやがて理解するようになりました。(ヨハネ 16:12,13)そして,王国に関するこの事実は,最終的に「地の最も遠い所にまで」ふれ告げられることになりました。
8 1世紀の伝道の業はどの程度の成功を収めましたか。
8 これらの証人たちは非常によく自分たちの業を行ないました。もちろん,エホバが彼らと共におられ,彼らには栄光を受けたイエス・キリストの支えがありました。(使徒 8:1-8; 11:19-21)早くも西暦60年から61年に,使徒パウロが,「良いたより」はすでに「天下の全創造物の中で宣べ伝えられた」と言い得たのも不思議ではありません。―コロサイ 1:23。
9 ここで言及されているように,クリスチャン会衆の主要な業とは何ですか。
9 証言の業に関しては,次のように記されています。「福音をふれ告げることは……新約[聖書]の教会が携わる数多くの活動の一つなのではなく,その教会の基本的で不可欠な活動である。……イエスは[使徒 1章8節で],あなた方はわたしのために証言する,あるいはあなた方はわたしのために証しするとは言われず,あなた方はわたしの証人となると言われたことに十分注目するとよい。動詞『なる』がここで用いられていることには,十分に,また文字の意味を真剣に考慮すべき価値がある。[ギリシャ語における]この表現は,教会が何を行なうかだけではなく,教会が何になるかを述べている。……イエス・キリストの教会は……証言を行なう団体である」。(ハリー・R・ボア著,「ペンテコステと,教会の宣教師による証言」,110-14ページ)そうです,証言することは真のクリスチャン会衆の主要な業です。
神慮によって
10,11 (イ)基本的に,1世紀の王国宣明者はどのように組織されましたか。(ロ)新たな状況が生じた時,どんなことが起きましたか。
10 1世紀の王国宣明者たちは統治体から指示を受けました。旅行する長老たちが組織の中で仕え,監督たちと奉仕の僕たちが会衆のさまざまな責任を担いました。(使徒 15:1,2,22-36。フィリピ 1:1)しかし,新たな状況が生じた時にはどうなりましたか。
11 では,西暦33年のペンテコステの直後に生じた事柄を考慮してみましょう。ギリシャ語を話すユダヤ人はヘブライ語を話すユダヤ人に対してつぶやくようになりました。「そのやもめたちが日ごとの分配の面で見過ごされていたから」です。使徒たちはこの問題を解決するため,食物の分配を世話する「確かな男子七人」を任命しました。(使徒 6:1-8)この点について次のような記述があります。「我々に知らされている限り,最初は公の日ごとの食物が偏ぱなく分配されるように世話することがすべてであり,そのために『七人』が取り分けられた。しかし,ほかの務めが生じればその務めが加えられたことは言うまでもない。というのは,新たな信仰に関する原則は不変のものであったが,それらの原則が最も効果的に確立され拡張されるような提出の機構や様式は,その後に続く世代の知恵と実際的な経験に任されたからである。……ささいな細かい事柄が改められ修正されることは……大きな組織であればどうしても避け難いことである」― カニンガム・ゲーキ著,新約聖書シリーズ,2巻,「聖書と共に過ごす時間」。
12 (イ)初期キリスト教の進展に貢献したものは何ですか。(ロ)イエスの追随者たちはどこで,またどのようにクリスチャンと呼ばれるようになりましたか。
12 祈りのこもった態度で神に信頼を置いたこと,および統治体の「知恵と実際的な経験」は,初期キリスト教の進展に貢献しました。そして正に物事は神慮によって生じていました。例えば,イエスの初期の追随者たちは,「この道」に属すると言われていました。(使徒 9:1,2)しかし,恐らく早くも西暦44年にはシリアのアンティオキアで「弟子たちが神慮によってクリスチャンと呼ばれ」ていました。(使徒 11:26)これは神から与えられた名であり,彼らはそれをすぐに受け入れました。―ペテロ第一 4:16。a
13 今エホバの証人が現代的な出版の手段を用いているように,初期クリスチャンも王国伝道の業において何を用いるようになりましたか。
13 これら初期クリスチャンの間で,神慮による別の事態の進展も見られました。例えば,今エホバの証人が現代的な出版の手段を用いているように,初期クリスチャンも率先して冊子本を使用しました。この冊子本は彼らの熱心な王国伝道の業にとってまさに一つの恵みでした。この点に関してC・C・マカウンはこう書いています。「クリスチャンの宗教書である旧約聖書,および……新しい著作は金持ちの暇つぶしのための読み物ではなかった。勤勉な事業家たちは,1冊の本の中にできるだけ多くを入れたいと考えた。彼ら,および誠実なクリスチャンの宣教師たちは,パピルスの巻き物を何フィートもほどかずに,証拠となる聖書のどの一節でもすぐに引用できることを願ったのである」―「聖書考古学者読本」,261ページ。
14 イエスの使徒たちは,どんな状況のもとで熱心に伝道しましたか。
14 「証拠となる聖書のどの一節でもすぐに引用できる」ことは,初期クリスチャンの採用した王国伝道の方法ゆえに非常に重要でした。もちろん彼らは,現代のエホバの証人がしばしば行なうように,時々非公式にも人々に証ししました。その点に関しては次のように言われています。「使徒たちの伝道に関する一つの独特な面は,それが偶然の機会に行なわれるという特色であった。使徒が大きな機会を待っているということはなかった。使徒に与えられた唯一の公式の機会は,フェリクスの前に出たパウロのように,紫の衣を着た支配者の前に囚人として連れてこられ,自分自身の弁明を行ない,法律違反の嫌疑に答える時であった。機会がなかったわけではないが,そのような機会は獄中で,路上で,夜を過ごしたようなあばら家で与えられた。……使徒は,群衆に音信を示すことも等しく喜びとしたが,自分の音信は主に少人数のグループに対するものであると考えていた。そして,どのような聴衆に対しても同じ親しい態度を取った。キリストの模範を忘れることはなかった。……[キリストの活動した]柱廊はほこりっぽい道であり,混雑した街路であり,ユダヤのガリラヤの小石の多い岸辺であった。……[使徒たちは]キリストと共に行動した最初のころに,キリストがご自分の教理を伝道する最善の方法に関して特別な指示をお与えになり,これら最初の教訓を他の教訓によって強化され,昇天の直前には彼らに世界を畑として,またすべての被造物を聴衆として指し示されたことを忘れなかった」― ジョン・F・ハースト著,「キリスト教会史」,第1巻,96ページ。
「家から家へ」
15 使徒たちは西暦33年のペンテコステ後の日々,どのように宣べ伝える業を行なっていましたか。
15 西暦33年のペンテコステの時,イエスの弟子たちはすでに「良いたより」を宣べ伝える非常に優れた方法を用いていました。迫害を受けた使徒たちがイエス・キリストの名のために辱められたあと,彼らは何をしましたか。「彼らは毎日神殿で,また家から家へとたゆみなく教え,キリスト,イエスについての良いたよりを宣明し続けた」のです。(使徒 5:41,42)確かに使徒たちは家から家に証言しました。
16 パウロはどんな伝道活動において,エフェソスの長老たちに訓練を施しましたか。
16 後に使徒パウロは,エフェソスから来た油そそがれた長老たちに次のことを思い起こさせることができました。「わたしは,何でも益になることをあなた方に話し,また公にも家から家にもあなた方を教えることを差し控えたりはしませんでした。むしろ,神に対する悔い改めとわたしたちの主イエスへの信仰について,ユダヤ人にもギリシャ人にも徹底的に証しをしたのです」。(使徒 20:20,21)パウロは,自分が油そそがれた長老たちを彼らの家で教えたと述べたのではありません。むしろ,エホバ神に対する悔い改めとイエス・キリストへの信仰について未信者のユダヤ人とギリシャ人に証言したのです。家から家に証言する方法についてもパウロがこれらの長老たちに教えたことは間違いありません。
17 さまざまな学者たちは,エフェソスにおけるパウロの家から家の宣教について何と述べていますか。
17 エフェソスにおける同使徒の宣教に関しては次のように言われています。「パウロは日の出から午前11時までその手職に携わるのが常であった。(使徒 20:34,35)その時刻までに,ツラノは自分の講義を終えていた。それで,午前11時から午後4時までは,その講堂で伝道し,また他の援助者たちと協議をし,志願者と個人的に話し,内陸部への延長を計画した。そして最後に家から家への福音宣明活動をし,それが4時から夜遅くまで続いた(使徒 20:20,21,31)」。(A・E・ベイリー)別の学者たちはこのように述べました。「彼は,公の集会で話をするだけにして他の方法を省いてしまうことには満足せず,個人的に,家から家で,自分の大きな業を熱心に追い求め,天の真理を文字通り家庭に携えて行き,それをエフェソス人の炉端と心へ伝えた」。(A・A・リバーモア)「彼は公に,家から家に,町中で,そして州全体で福音を伝道した」。(E・M・ブライクロック)「あらゆる伝道者の中で最も偉大なこの人が,家から家に伝道し,自分の訪問を単なる社交的なものにしなかったことは注目に値する」― A・T・ロバートソン。
18 (イ)エホバの証人の家から家の宣教にはなぜ確固とした聖書的な根拠があると言えますか。(ロ)イエスや初期の弟子たちと同じように,エホバの証人はどこで,またどのように王国の音信を宣べ伝えますか。
18 家から家の証言は,西暦33年にイエスの使徒たちによって行なわれました。それは,エフェソスでも,そして間違いなく他の場所でもパウロの宣教の一部でした。ですから,エホバの証人の行なう家から家の宣教には確固とした聖書的な根拠があります。そして,証人たちが王国の音信を広めるために用いている他のさまざまな方法に関してもこれは真実です。興味深いことに,マクリントクとストロングの「事典」はこう述べています。「我々の主とその使徒たちは,人々が集まる所であればどこででも宣べ伝えるための場所を見いだした。山腹,海や川の岸辺,公の通り,個人の家,神殿の玄関,ユダヤ人の会堂,その他さまざまな場所が福音をふれ告げるのにふさわしい所とみなされた」。(第8巻,483ページ)エホバの証人はイエスやその初期の弟子たちに倣い,王国の音信を「公の通り,個人の家,……その他さまざまな場所」で宣べ伝えます。例えば,街路での雑誌の業(本誌と姉妹誌の「目ざめよ!」誌を用いる)に携わっており,家から家の証言は特に知られています。
19 今エホバの証人によって用いられている伝道方法に関しては,どのように決定が下されますか。
19 現在エホバの証人によって用いられている宣教の基本的な型は1世紀に十分確立されていました。また,その点に加えて,油そそがれたクリスチャンの現代の統治体が今の時代にどんな伝道方法がふさわしいかを決めるのは正しいことです。そのような決定はある程度そうした人たちの「知恵と実際的な経験」に基づいていてもよいのです。しかし特に,彼らは1世紀のクリスチャンの統治体が行なったのと同じような仕方で決定を下します。どんな伝道方法がこの「終わりの日」に最もふさわしいかを決めるに当たっては,神の指示と聖霊の導きを祈りのうちに求め,聖書中の先例に従います。―テモテ第二 3:1。使徒 15:23,28。
20 (イ)エホバの証人によって用いられている伝道方法が確かに神の是認を受けていると言えるのはなぜですか。(ロ)エホバの僕は皆,王国伝道の業に対しどんな態度を執るべきですか。
20 エホバの証人によって用いられている伝道方法が神慮の範囲内にあることは明らかです。神はその努力を大きな成功と祝福をもって飾ってくださったからです。(箴言 10:22)エホバの聖なるみ名に誉れを帰し,設立された天の王国に関する良いたよりを恐れずにふれ告げる唯一の組織の一部として,大勢の人々が真の崇拝を受け入れ,イエスの油そそがれた追随者たちに加わっています。ですから,この体制の終わりが近づいている今,エホバの僕は皆,これからも弟子を作る業において努力を続けたいものです。わたしたちはこれを忠実に行なわなければなりません。真のクリスチャンは間違いなく王国伝道者だからです。
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熟練した技術と熱心さをもって教えなさいものみの塔 1985 | 8月1日
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熟練した技術と熱心さをもって教えなさい
「それゆえ,行って,すべての国の人々を弟子とし……わたしがあなた方に命令した事柄すべてを守り行なうように教えなさい」― マタイ 28:19,20。
1 箴言 22章29節は何を推奨していますか。どうしてそう言えますか。
エホバの言葉は,熟練した技術と勤勉さを推奨しています。例えば,「あなたは自分の仕事に熟練した人を見たか。その人は王たちの前に立ち,凡庸な人たちの前には立たない」と記されています。(箴言 22:29)もちろん,「凡庸な人たち」のために働くのは少しも卑しいことではありませんが,熟練した職人の立派な仕事が隠されたままでいることはありません。なぜなら,その熟練のほどを伝える知らせは王の耳に達し,王がその職人に仕事をさせようとすることも十分考えられるからです。
2 (イ)どんな職業であれ,技術を磨いて熟練するには何が必要ですか。(ロ)クリスチャン奉仕者の,教え手としての効果性が非常に重要なのはなぜですか。
2 どんな職業にも知識と熟練が必要とされます。人は大工の仕事を研究し,さらにその職業において熟練した人々を観察することからも多くを学ぶかもしれません。しかし,自分で技術を磨いて熟練するには,得た知識を仕事で実地に活用しなければなりません。外科医は教育を受けなければなりませんが,有能な医師になるためには自分の知識を手術室で用いなければなりません。しかもこの職業の場合,熟練は欠かすことのできないものです。有能であるかどうかによって患者の生死が分かれることもしばしばあるからです。しかし,それよりはるかに重要性が高いのは,奉仕者としての技量です。なぜでしょうか。なぜなら,教え手としての奉仕者の効果性は,良いたよりに対する人々の反応の仕方に大きな影響を及ぼし得るからです。次いで人々の反応は,彼らが永遠の命を得るか,それともとこしえの死に至るかという相違を生みだします。―申命記 30:19,20。ヨハネ 17:3。
3 弟子を作るには何が求められますか。
3 イエス・キリストが追随者たちにお与えになった使命には教えることが含まれています。イエスはこう言われました。「それゆえ,行って,すべての国の人々を弟子とし,父と子と聖霊との名において彼らにバプテスマを施し,わたしがあなた方に命令した事柄すべてを守り行なうように教えなさい。そして,見よ,わたしは事物の体制の終結の時までいつの日もあなた方と共にいるのです」。(マタイ 28:19,20)言うまでもなく,イエスがお命じになったことのすべてを心の正直な人々に教えるには熟練が求められます。
4 (イ)熟練した教え方には,どのような態度が伴わなければなりませんか。(ロ)アポロはアクラやプリスキラのところへ行ったことからどのような益を得ましたか。
4 そうした熟練した教え方には熱心さが伴わなければなりません。確かにクリスチャンは「りっぱな業に熱心」でなければならず,その業には宣教と会衆において霊的な教えを分け与えることが含まれるに違いありません。(テトス 2:14)熟練した教え手であったアクラとプリスキラは,「[アポロ]を[エフェソスの]自分たちのところに連れて来て,神の道をより正しく説き明かし」ました。アポロはそのことから大いに益を受けました。後日アカイアで「彼は,ユダヤ人の誤りを熱烈な態度で公にまた徹底的に証明し,いっぽうでは,イエスがキリストであることを聖書から論証した」からです。(使徒 18:24-28)明らかにアポロは熟練した技術と熱心さをもって教えました。
『自分の教えに注意を払いなさい』
5 テモテ第一 4章16節によれば,わたしたちが熟練した仕方で,また熱心に教えなければならないのはなぜですか。
5 使徒パウロはクリスチャンの友であったテモテにこう語りました。「自分自身と自分の教えとに絶えず注意を払いなさい。これらのことをずっと続けなさい。そうすることによって,あなたは,自分と自分のことばを聴く人たちとを救うことになるのです」。(テモテ第一 4:16)教え手と研究生双方の救いそのものがかかわってくるので,確かにそのような教えは熟練した方法で,また熱心に与えられなければなりません。
6 どうすれば聖書の扱い方において熟達した者となれますか。またどんなふさわしい質問を考慮できますか。
6 大工も外科医も確かに自分自身に注意を払わなければなりません。自分たちの道具や器材を十分に使いこなせなければなりません。『霊の剣,神の言葉』を主要な道具とするクリスチャンの奉仕者も同じようにしなければなりません。(エフェソス 6:17)どうすれば聖書の扱い方において非常に熟達した者となれるでしょうか。もちろん,定期的に研究し,定期的に用いることによってです。ではあなたは,聖書の最上の諭しについて黙想するための時間を取り,その全巻を通読しましたか。聖書を毎日読んでいますか。野外宣教で聖書を定期的に用いていますか。エホバが「忠実で思慮深い奴隷」を通して備えておられる豊かな霊的食物を十分に活用していますか。―マタイ 24:45-47。
7 研究のための時間についてどんな提案がされていますか。そのようにする必要のあることを聖書的にどのように示せますか。
7 神の言葉と真のキリスト教の出版物を研究するための時間を確実に取るようにしましょう。そうすれば,あなたに益を与え,誠実な質問に答える際に用いられる健全な情報が思いに満ちることになります。(ペテロ第一 3:15。コロサイ 4:6)研究と黙想のための時間は家庭により,また個人により異なります。一日の終わりに研究するのが有益だと感じる人もいれば,起きたばかりの時の方が頭が良く働くという人もいることでしょう。また別の人は,日中の時間が自分にとっては最適だと感じるかもしれません。いずれの場合にせよ,最も重要なのは定期性と勤勉さです。ヨシュアとイスラエルの王たちは神の言葉を日々読まなければなりませんでした。―ヨシュア 1:7,8。申命記 17:18-20。
より良い教え手となるよう励みなさい
8 他の事柄と関連させる方法を用いるなら,教える技術をどのように改善できますか。
8 教える技術を改善するには懸命な努力が求められます。教え手としての自分の能力を高めるための一つの方法として,聖書やキリスト教の出版物を研究する際,頭の中で他の事柄と関連させる方法があります。新しい考えを既知の考えと関連させるのです。この方法は,他の人を教える際に問題をはっきり説明できるよう頭の中で情報を明確にさせる助けになります。皆さんは恐らく,以前の研究の際にも他の事柄と関連させるこの方法を用いてきたことでしょう。例えば,クリスチャンが政治上の「上位の権威」に対して相対的な服従を示すべきことを一時期理解していなかったかもしれませんが,今では神への従順を生活の中で第一にすべきことを知っています。(ローマ 13:1-8。マルコ 12:17。使徒 5:29)そのような理解が得られたのは,新しい点を既知の点と関連づけたからです。
9 聖書に記録されている出来事をどのように思いに描くことができるか,例証してください。
9 教える能力を高める別の方法は,聖書に記録されている出来事を思いに描くことです。では,裁き人 7章19節から22節までを使って実際にそれを行なってみるのはどうでしょうか。ギデオンと300人の男子は夜陰に紛れ,歩哨をそれぞれの位置に就かせたばかりのミディアン人の陣営を囲んでいます。突如として,100人から成るギデオンの隊が角笛を吹くのが聞こえ,自分たちの持っていた大きな水がめを砕くのが見えます。他の200人のイスラエル人も同じことをします。そして,彼らすべてが燃え盛るたいまつを高くかざすと,「エホバの剣,ギデオンのもの!」という彼らの叫び声が聞こえてきます。恐れをなしたミディアン人が逃げ始める時にギデオンの三つの部隊は角笛を吹き続けます。エホバは,逃げてゆく敵の剣が互いに向かい合うようにされました。この出来事を思いに描いていれば,この出来事のことをあざやかに思い起こし,他の人を教える際にそれを用いることができるに違いありません。確かに,この出来事が教えている一つの教訓は,エホバは強力な人間の軍勢が存在しないとしても,ご自分の民を救出することがおできになるということです。―詩編 94:14。
10 教える際,裁き人 9章8-15節にある例えをどのように用いることができますか。
10 聖書中のものを含め,優れた例えも教え手としてのあなたの技術を高めることができます。一例として裁き人 9章8節から15節を考慮してください。ギデオンの息子ヨタムは,木々が自分たちを治める支配者に油をそそぐために出かけて行ったときのことを述べました。オリーブの木,いちじくの木,そしてぶどうの木が支配者の立場に就こうとしなかったのに対して,身分の低い野いばらは願ってもないこととばかりにそれを引き受けました。有用な植物は,仲間のイスラエル人に対する王位を求めなかった立派な人物を表わしました。一方,燃料としてしか使いみちのない野いばらは,尊大かつ極めて残忍なアビメレクの王政を表わしていました。アビメレクは他の人々を治めることを望みましたが,ヨタムの預言が成就して大変な最期を迎えました。(裁き人 9:50-57)この例えは,正しいことを行ない,尊大ではなく謙遜であることの必要性を強調するために用いられるかもしれません。―詩編 18:26,27。ペテロ第一 5:5。
11 (イ)マタイ 13章45,46節に記されているイエスの例えはどんな点を強調していますか。(ロ)前述の例えに見られる特色はクリスチャンの教え手が用いる例えについて何を示唆していますか。
11 偉大な教え手であられるイエス・キリストは,そのとりわけ優れた例えでよく知られています。例えば,イエスの次の言葉を考慮してください。「天の王国はりっぱな真珠を探し求める旅商人のようです。価の高い真珠一つを見つけると,去って行って自分の持つすべてのものを即座に売り,それからそれを買いました」。(マタイ 13:45,46)イエスはこのように,王国が貴重なものであることを例えで話され,それを得ることの真価を認める人は,そのためなら何でも快く手放すことを示されました。その例えには少しも込み入ったところがないので,クリスチャンの教え手が教える時の助けとして例えを用いる際,この規準を覚えておくのは良いことです。
集会はわたしたちを一層熟練した者にする
12 公開講演に出席することは,教える能力を向上させる上でどのように助けとなりますか。
12 クリスチャンの集会はエホバの僕たちを熟練した熱心な教え手にする面で重要な役割を果たしています。イエスの山上の垂訓からも分かるように,公開講演は霊的な教えを与える優れた手段です。(マタイ 5:1-7:29)ですから,公開講演は今日のエホバの証人の集会の一つとなっています。あなたは定期的に出席していますか。注意深く耳を傾けていますか。話し手が聖書を読む時には自分の聖書を調べてみますか。ノートを取る習慣がありますか。これらは教え手としての能力を向上させるための方法であり,聖書的な優れた教えによって,弟子を作る者としてのあなたの技術と熱心さは高まってくるはずです。
13,14 (イ)エホバの僕たちの間で弟子を作る業が特別な意味を帯びるようになったのはいつですか。(ロ)「ものみの塔」研究と会衆の書籍研究についてどんなことを自問するのは良いことですか。
13 弟子を作る業は,『王と王国を宣伝しなさい』という呼びかけと共にエホバの僕たちの間で特別な意味を帯びるようになりました。その呼びかけは1922年,米国オハイオ州シーダーポイントでの大会で初めて発せられたもので,その年には「ものみの塔」誌のグループ研究が初めて組織されました。確かにこの雑誌は,聖書の教えと王国を宣べ伝える業を絶えず前面に掲げてきました。同誌の名称そのものが,「エホバの王国を告げ知らせるものみの塔」となっています。あなたは「ものみの塔」誌を助けとして,神の言葉をむさぼるように読みますか。毎週の「ものみの塔」研究に活発に参加しますか。
14 毎週行なわれる会衆の書籍研究も,良いたよりを教える者としての能力を改善するための機会となります。あなたは,「ものみの塔」研究の場合と同じようにこの小規模な集まりで質問に答える時,内容を自分自身の言葉で言い表わしますか。あなたの注解は,心の中で信じている事柄を反映するものですか。
15 奉仕会の目的は何ですか。その指針はどのように与えられていますか。
15 エホバの僕たちには1922年より前,週中の“祈りと賛美と証言の集会”のために集まる習慣がありました。それは,歌を歌い,証言を行ない,祈りをささげる機会でした。しかし,家から家の王国宣明の業がますます強調されるようになって,この集まりは宣べ伝える業に重きを置く奉仕会へと発展しました。特に大きな助けとなったのは,宣教で用いることのできる野外奉仕の指示と“キャンバス”,つまり証言を収めた「会報」でした。今日,「わたしたちの王国宣教」は同様の助けと,毎週開かれる「弟子を作るのに助けとなる集会」の指針を与えています。あなたはこの集会に定期的に参加していますか。熟練した技術と熱心さをもって教えるのを助けるよう意図された助言を当てはめていますか。
16 神権宣教学校の目的は,発足当時に述べられたように,どのようなものですか。
16 熟練した教え方を促進するため,1943年にはエホバの証人の諸会衆で神権宣教学校が発足しました。その学校の主要な目的について最初の案内書は次のように述べています。「この課程は野外奉仕に費やされる時間を奪うために備えられたのではなく,野外奉仕において一層熟達した者となるために取り決められました。より明確な言い方をすれば,この『神権宣教課程』の目的は,神の言葉を聞き,その点で自分たちの信仰を証明してきたすべての『忠実な人々』が,戸口から戸口へ行くことにより,再訪問を行なうことにより,模範的な聖書研究と書籍研究を司会することにより,そして,手短に言えば,王国奉仕のあらゆる面に携わることにより『他の人を教えることのできる』者となるよう備えさせることです。このことは,各人を主のみ名の誉れとなる,より有能な神権的奉仕者にするという一つの目的にかないます。それは各人が,自分の内にある希望を公に示すためのより良い備えをし,『教える才能があり,辛抱し,柔和をもって教える』者となるためです。(テモテ第二 2:24,25)だれもこの課程の主要な目的を見失ってはなりません」。(「神権宣教課程」[英文],4ページ)これは今も神権宣教学校の主要な目的となっています。あなたはこの学校の教科書a に出てくる事柄に関する優れた情報を,教えること,朗読,公開講演などに適用してきましたか。この学校に入っていますか。学校の予定に関する自分の割り当てを感謝して受け入れ,果たしますか。エホバがご自分の組織を通して設けておられるこの備えは,あなたが熟練した熱心な奉仕者となるための助けとなります。
熱心に教えるための訓練
17 エホバの神聖な真理を他の人に教える人々に対して,エホバはどんな霊的な備えを設けておられましたか。
17 エホバは,ご自分の神聖な真理を他の人に教える特権にあずかる人々のために霊的に豊かな備えを設けておられます。例えば,聖書文書や毎週の集会,それに大規模な大会を備えておられます。それらの優れた備えによってエホバの献身した証人たちは熟練した熱心な教え手になることができます。
18 イエスやパウロの模範に倣い,今日,野外奉仕を推し進めるために長老たちはどんな取り決めを設けることができますか。
18 では,わたしたちが任命された長老,あるいは長い経験を持つエホバの証人であるならばどうですか。そのような場合,わたしたちは他の人々への愛に動かされ,新しく,経験の浅いクリスチャンが一層熟練した熱心な教え手となるよう助けるはずです。確かにこれは正しいことです。イエスは宣教に関する指示を与えてから初めて70人の弟子たちを派遣されたからです。(ルカ 10:1-24)パウロはエフェソスの監督たちを「公にも家から家にも」教えましたが,このことには野外宣教で戸別訪問をする際に,未信者に証しをするよう彼らを訓練することが含まれていたことでしょう。(使徒 20:20,21)今日でも同様に,長老や開拓者,それに経験を積んだ他のクリスチャンは,野外宣教において喜んでほかの人々を訓練するでしょう。あなたはそうした訓練の必要性を感じていますか。では,是非その訓練を求め,受け入れてください。あなたは長老ですか。では,ご自身も野外奉仕で熱心に率先しつつ,宣教で他の人々を助けるため,できる限りのことを行なってください。
熟練した技術を培い続けなさい
19 わたしたちの宣教について祈るべきなのはなぜですか。
19 外科医や大工といった人々は,研究を続け,得られた知識を適用し続けることによって,一層熟練した者となることができます。クリスチャンの奉仕者にも同じことが当てはまります。ですから,献身したエホバの証人各々が,良いたよりを教える者として熟練の度を増し加えるよう懸命に努力するのは本当に肝要なことです。しかもこれはエホバの業ですから,わたしたちの真剣な祈りの主題としなければなりません。もし神の助けと導きを求めるなら,神がわたしたちの熱心な宣教を祝福してくださるという確信を抱くことができます。使徒ヨハネが述べた通りです。「わたしたちが何を求めようと,[エホバ神]から頂くことができます。それは,わたしたちがそのおきてを守り行ない,神の目に喜ばれることを行なっているからです」― ヨハネ第一 3:22。
20 この体制がその終わりに近づいている今,わたしたちはエホバの証人としてどんな決意を抱くべきですか。
20 ですから,現在の邪悪な事物の体制がその終わりに近づいている今,宣教において精力的に努力しましょう。わたしたち自身の救いと王国の音信に注意を払う人々の救いのため,「自分自身と自分の教えとに注意を払い」たいものです。そうです,熟練した技術と熱心さをもって教えるために,ありとあらゆる努力を払ってゆきましょう。
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