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健康を維持する努力はしがいがあるか目ざめよ! 1972 | 8月22日
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しかし,そうした運動不足はほんとうに心臓まひを早めるだろうか。
証拠が示すところによると,すわった生活をする人たちは,活動的な人々よりも心臓まひにかかりやすい。
たとえば,これはある調査でわかったのであるが,2階建のバスの上と下を絶えず行ったり来たりしているロンドンのバスの車掌が心臓まひにかかる率は,運転手のそれの半分である。また食事も環境も全く同じのある僧院の住人を対象にした調査が行なわれたが,それによると,畑で働く僧侶のほうが,座業の僧侶よりも心臓まひにかかることが少ない。
専門家たちはほとんどみな,運動が健康にとって重要であることを認めている。バーモント大学の心臓血管研究所所長ウイルヘルム・ラーブ博士は,「運動不足は心臓の冠状動脈疾患の主因である」と述べて,そのことをはっきり指摘している。
それにしてもなぜそう言えるのだろうか。なぜわたしたちは生きてゆくために運動が必要なのだろうか。
心臓の機能
わたしたちのからだは600以上の筋肉でできているが,その中でも最も驚くべきものが心臓である。心臓は普通,1分間に約70回,もしくは1日に約10万回拍動する。その間に心臓は,長さ9万7,000㌔ほどの血管を通して,7トン以上の血液を送り出すのである。しかしこの程度では,心臓はまだ働きすぎてはおらず,まだ力の余裕がある。
たとえば,健康な人の心臓は,運動中必要に必じて,拍動するたびに2倍の血液を送り出すことができ,またその速度を非常に早め,1分間に180回くらい拍動して,血液を効果的に送り出すことができる。そういうわけで心臓は,拍出量を5倍にふやし,1分間に27㍑ほどの血液を押し出して,からだの筋肉に栄養を与える能力をもっている。そして,耐久レース競技者の心臓はさらにすぐれた機能を有している。そのように驚くべき働きをする能力をもっているのであるから,すわった生活をする人の心臓は,運動不足という苦しみを味わわねばならない。テキサス・サウスイースタン大学医学部のM・F・グラム博士は次のように述べている。「この驚くべき器官から,長期間最大限の機能を奪うことは,災いのもとである。それは腕につりほうたいをするのによく似ている。これをすると,腕の筋肉はおとろへ萎縮し,やがて腕が使えるようになっても,もとしていた仕事のほんの一部しかできない。また力のいる事態が急に生じても,その場に対処することができない。これが訓練されていない心臓の場合なら,たいてい心臓まひを起こす結果になる」。
心臓にとって必要なこと
心臓の筋肉は,栄養をとるために絶えず多量の血液を要する。重さは体重の200分の1にすぎないが,血液のほうは,からだの全血液量の20分の1を必要とする。心臓は,血液を受け入れたり送り出したりするそれ自身の心室から直接に血液を得るのではなく,二つの冠状動脈を通して得る。これらの大動脈は心臓を取り巻き,次第に細い血管に分岐して,心臓の筋肉の上に分布してゆき,また心筋の中に入り込んでいる。重要なのはこれらの動脈を通して供給される酸素や他の栄養物である。というのは,心臓まひと関係があるのは,これらの動脈だからである。
定期的な運動の価値
すわってばかりいる人にはどんなことが起こるだろうか。筋肉に血液を供給する動脈が細くなり,小さな血管は多く消滅することさえある。したがって筋肉に送り込まれる血液の量は少なくなり,血液の量が少なくなれば酸素の量が減る。からだ全体の血液の量さえ減少する。もし冠状動脈が急に圧力を受けるとか,「つまる」とかして緊急事態が生じた場合にはどうなるだろうか。循環系は心臓に十分の酸素が供給できなくて,心臓まひをひき起こす結果になるだろう。
一方,定期的に活動する人にはどんなことが起こるだろうか。からだが激しく活動しているあいだ,骨格筋の中を流れる血液は約10倍に増加し,それらの筋肉の酸素消費量は100倍ぐらいに増す。このように定期的な運動は動脈を大きくするので,動脈はより多くの血液を運ぶことができる。また,筋肉の細胞の中に多数の血管を開き,より多くの酸素を運ぶ新しいルートをつくる。とくに心筋の場合これは利点である。というのは,たとえ一つの動脈が「つまった」としても,補助的なルートが,心筋に酸素不足や停止をきたさせないだけの血液を供給するかもしれないからである。
定期的なからだの運動はまた,心臓のポンプ作用を強化する。だから同じ結果を得るのに拍動数が少なくてすみ,ある状態にある心臓はもっとよく休むことができる。1分間の拍動数が80回以上の座業者は,定期的に運動することによってその速度を大幅に落とし,心臓をもっと休ませることができるかもしれない。
しかし運動の特別の益は,強化された心臓は圧迫のもとでより効果的に働くということにある。これは容易に実証できる。たとえば,ある調査でホワトカラーの一グループは20分間運動をさせられた。彼らの心臓の1分間の平均拍動数は170回になった。制約のない人間には安全な速さである。しかし,この運動に84日間毎日参加したら,そのあと彼らの心臓の1分間の拍動回数は142回にしかふえなかった。つまり彼らの心臓はより少ない努力で同じ量の働きをしていたわけで,健康が増進したのである。これはストレスに対してより効果的に耐えることができ,またそれに耐えるにさいして心臓まひの危険が少ないことを意味する。
健康を維持するための努力
人間のからだは明らかに運動するようにつくられている。しかし,その必要を満たすさいに限度をわきまえ,からだの鍛練に力を入れすぎて霊的な面をおろそかにしないよう注意するのは賢明である。―テトス 2:2。テモテ前 4:8。
座業に従事する人々が普通感じる疲労は多くの場合運動不足が関係している。だから,からだを動かすことは,精力や疲労の回復に役だつ。手はじめに散歩を習慣にするのはよい方法である。近い所へは車に乗らずに歩いて行くのはどうだろう。ある医師は,「若いときから元気に歩くことを習慣にすれば,それだけで,病弱や冠状動脈心臓病による早死は激減するだろう」と述べている。
他のからだの運動も有益である。水泳,自転車に乗ること,洗車,庭の手入れ,芝刈りなど,からだを活発に動かす活動なら,そしてそれを定期的に行なうなら,座業に従事する人にはたいへん有益である。またエレベーターの代わりに階段を使うことも,健康を増進させるよい方法である。
しかし注意をする必要もある。最初から,つまり循環系が定期的な運動によって強化されていないうちから,過激な運動をするのは禁物である。運動量は徐々に増加させ,一度に多くしようとしないことである。そうすれば心臓や血管は害を受けることなく,徐々に強くなってゆく。健康を維持する努力はしがいがある。問題は,あなたがその努力をするだろうか,ということである。
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パイナップルとココナツ目ざめよ! 1972 | 8月22日
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パイナップルとココナツ
◆ パイナップルとココナツの名前はどこからきたのだろう。ウィルフレッド・フンクの著わした「語源とそのロマンチックな物語」という題の本はこう答えている。
「熱帯の果物であるパイナップルは英国にはかなりおくれてやってきた。パイナップルという名前は『松[パイン]の木の丸い果実[アップル]』という意味にすぎない。パイナップルは松かさにとてもよく似ているからである。ココナツには…ちょっとばかりほほえましいところがある。底にある三つの穴を見ると,それらの穴は人間の顔のように見えるのがわかるだろう。スペイン語とポルトガル語では,ココという語はしかめつらとか,ゆがめ顔の意味である。それでココナツとは,実際にはおかしな顔のナッツというところだ」。
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