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人気を呼ぶジョギング目ざめよ! 1981 | 3月22日
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人気を呼ぶジョギング
統計によると,ソ連人の3分の1はジョギングを日課にしています。最近の推定では,米国で2,500万人が走っている,と言われています。ランニング熱の第一波は1960年代に押し寄せました。それにはどんな益がありますか。またどんな危険があるでしょうか。
「体をよく動かすネズミは運動をしないネズミよりも25%長生きする」。この結果はすでに実験によって証明されているとのことです。人間の場合もそうだとはまだ言い切れませんが,種々の証拠は運動が長生きに役立つことを示しています。
一病理学者は,自分の執刀した解剖の結果を根拠に,3人の死者のうち二人は早死にで,無精な人の心臓,喫煙家の肺,飲酒家の肝臓などが死因と関係している,と語りました。米国高齢者援護局はこう述べています。「体を使わないことは人体にとって不倶戴天の敵である。高齢には付き物とされる身体的な問題の多くは,当人がどれほど長く生きるかではなく,どのように生きるかに原因がある,ということが今日では分かっている」。同様に,一人の医師は,「大抵の人は疲れはててしまうのではなく,さび切ってしまうのである」と評しています。
どんな人でも何らかの運動を信奉しているものですが,汗をかくことになると二の足を踏む人が少なくありません。見かけ倒しの楽な解決策,1週間に30分間の,汗をかかない運動,それに酒飲み用の規定食 ― これらが今日の“労せずして手に入れる”症候群です。米国医師会の運動・体育委員会は,骨の折れない運動をする人たちの誤りを指摘し,「そうした運動にはいかなる隠れた益も価値もない。その最大の欠点は,そうした運動の大半が心臓と肺の健康の増進にほとんど役立たないことにある。今日最も運動を必要としているのは心臓と肺である」と述べています。その委員会によると,激しい運動を長時間行なうことが必要です。
走ると体重が減ります。これは心臓にとってよいことです。脂肪を完全にエネルギーに換えてしまうだけでなく,空腹感をも抑えます。血糖値が低くなると空腹感を覚えますが,運動をすると,血液の流れの中に脂肪分が出されエネルギー源となるので,血糖値が著しく減少することはないのです。興味深いことに,ブタを使った研究によってこのことが確かめられました。45匹は足踏み車を使ってジョギングをさせられましたが,別のグループは何もせずに暮らしました。どちらのグループの前にもいつもえさが置かれていました。運動をしなかったブタの方がジョギングをしたブタよりもよく食べ,検査が終わった時には,走っていたブタの体重の方が何もしなかったブタの体重より9㌔少なくなっていました。
激しい運動や労働をする人には肉が必要だ,と一般に考えられています。激しい運動に必要とされているのはエネルギーであり,肉を食べてもそうしたエネルギーにはなりません。メキシコの有名なタラウマーラ・インディアンは遊びで険しい山地を240㌔も走りますが,事実上肉も牛乳も卵も全く摂りません。その主食は豆やカボチャやトウモロコシです。このインディアンにはそうした驚くべき耐久力があるだけでなく,平均して非常に長生きします。菜食のメニューもよく計画すれば,体の必要を満たせます。
興味深いことに,ある大学教授の調査では,座業に就いている人に対する4年余りの医療費の請求額は平均400㌦(約9万6,000円)でしたが,日ごろから運動している人への請求額は200㌦(約4万8,000円)にすぎませんでした。心臓と肺を激しく動かす運動を週に3回20分ずつする人には,保険の掛け金を20%まで割り引くという保険会社もあります。
行き過ぎた主張
マラソンをする病理学者,T・J・バスラー博士は,「42㌔の距離[マラソンで走る距離]を歩くだけでもアテローム性動脈硬化症にかかる可能性は生物学的に皆無である」と,熱弁を振るっています。同博士はさらにこう述べています。「マラソン走者がアテローム性動脈硬化症で死んだという検死結果でも出ない限り,この種の病気の予防にこうした生き方を勧めるのは分別のあることであろう」。
ニューイングランド医学ジャーナル誌は,一人の走者の死因がこの病気にあることを示す検死結果とアテローム性動脈硬化症が進行していたことを示す別の検死の事例を挙げて,やり返しました。また,マラソン走者を含む長距離走者が心臓発作で死んだ例も幾つか知られています。運動が有益であるという事実に異論はありませんが,運動の計画はその人に合ったものでなければなりません。
心臓移植をする外科医,クリス・バーナード博士は幾らかジョギングを行ないます。しかし,それが熱狂的な流行になったことには顔をしかめています。同博士は特に,一番よくランニングが行なわれている場所,つまり都会について憂慮しています。「数年前にケープタウン市に提出された一調査によると,同市のハトの骨の中には,田舎のハトの7倍もの量の鉛が含まれていた」と博士は語っています。そして,「目抜通りはどれを取っても,車の排出する有毒ガスの掃きだめになっている」と付け加えています。
幾千幾万ものマラソン愛好家
週に二,三回,数㌔走る人は無数にいますが,幾千幾万もの人々はそれに飽き足らず,42.195㌔を走るマラソンを始めます。例えば,昨年のニューヨーク・マラソンには1万4,012人が参加しました。全員ではありませんが,1万2,622人が完走しました。初めてニューヨーク・マラソンに参加したという人が4,000人いました。参加者の中には44か国から来た幾百人もの外国人も含まれていました。200万人ほどの観客が沿道に並んで声援を送りました。
アルベルト・サラザールが2時間9分41秒のタイムで優勝しました。74位に入ったグレーテ・ワイツマンが女性完走者の中では第一位で,女性の世界記録を破りました。その新記録は2時間25分41秒でした。完走者の中で最年長の人は77歳,最年少は10歳でした。5歳から84歳までの走者がマラソンに参加しました。また,車イスに乗った人,盲目の人,義足を付けた人もいました。
古代の長距離走者
今から2,500年ほど昔,ギリシャの伝令フェイディピデスがマラトンの戦場からアテネまでの22マイル(約35㌔)を走って,ギリシャ軍がペルシャ軍を撃ち破ったとの勝利の知らせをもたらしました。伝説によると,フェイディピデスは息を切らせてこの吉報を伝えた後,卒倒絶命しました。マラソン競走はこの出来事を記念したものです。
しかし,そのような長い距離を走ったのはフェイディピデスが最初ではありません。このギリシャの伝令に先立つこと400年,預言者エリヤはマラソンで走る距離とほぼ同じ距離を走破しました。地中海にほど近いカルメル山からエズレルまでの距離は40㌔ほどあります。エリヤはエホバの力によってこの距離を走破しました。「また,エホバの手がエリヤの上にあったので,彼は腰をからげて,エズレルまでずっと[兵車に乗った]アハブの前を走って行った」― 列王上 18:46,新。
走るのは良いことです。それには数々の益があります。またそこには危険もあります。よく注意して,度を過ごさないようにするのは賢明なことです。また,ある人々のように,それを宗教にしてしまってはなりません。この点について続く三つの記事は,さらに説明を加えています。
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走るのはいやですか目ざめよ! 1981 | 3月22日
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走るのはいやですか
激し過ぎますか。あまりにも単調ですか。おもしろくありませんか。時間を取り過ぎますか。ジョギングの場所がありませんか。では別の有酸素運動をすることにしましょう。
有酸素運動(エアロビクス)ですって? 走ることに精を出している人々であればこの言葉をご存じでしょうが,そうでない人々にはなじみの薄い言葉かもしれません。ブリタニカ百科事典(英文)はこう説明しています。
「エアロビクス,体が酸素を取り入れる効率を上げるために開発された健康法。代表的な有酸素運動(例えば,歩行,ランニング,水泳,サイクリングなど)は,体に有益な変化(トレーニング効果)を生じさせるに足るほどの時間,心臓と肺の活動を刺激する。ある運動で消耗されるエネルギーの量を示すために,点数表が用いられている」― 1976年版,小項目事典第1巻,113ページ。
有酸素運動の表は個々の人の進歩の度合を測るためのもので,年齢層や運動の種類別の異なった表が作られています。上記の定義の中の「体に有益な変化を生じさせるに足るほどの時間」という一節は,ある運動が有酸素運動であるかどうかを定める際の鍵になります。年齢によって定められている一定の時間以上,休むことなく,十分の速さで心臓を拍動させなければなりません。さもなければ有益な変化は生じないのです。どんな変化がもたらされるかは,この次の2ページにわたる記事の中で説明されています。
ある運動を有酸素運動と呼ぶには,心臓はどれほどの速さで拍動しなければならないのでしょうか。提唱されている公式の一つは次のようなものです。紙にまず220という数字を書きます。そこから自分の年齢を引きます。この数があなたの毎分の心拍数の推定最高値となります。この数を0.7倍すれば,有酸素トレーニングのために心臓が毎分拍動しなければならない数が出ます。
さて,人々が走ることに難色を示す理由について考えてみましょう。激し過ぎますか。では歩いてみるとよいでしょう。これは大勢の人にとって,一番楽で,最も安全な有酸素運動になるでしょう。一生の間,老齢になっても安全に行なってゆける運動です。走ってみようと考えている人々でも,まず歩くことから始め,それから歩くことと走ることを織り交ぜ,最後に走るようにするのは賢明なことかもしれません。しかし,歩くことが有酸素運動になるには,きびきびした歩調で歩かなければならないことを忘れてはなりません。悠長な散歩はもちろん,普通のスピードで歩いたとしても,心拍数は十分に上がりません。ある調査で,40歳から57歳までの男子が週に四日間,40分ずつ早足で歩いたところ,週に三日間30分ずつジョギングした同年齢の人々と同じほどの良い結果が見られました。歩くと余計に時間はかかりますが,同じ成果が得られる上,多くの人にとってその方が安全です。
ジョギングをする場所がないとか,ジョギングには時間がかかり過ぎると思われますか。なわ跳びをしてみるとよいでしょう。なわ跳びなら屋内でも屋外でも行なえます。天候には左右されませんし,短い時間で同じほどの成果を上げられます。ノルウェーのオスロ市にある労働生理学研究所のカーレ・ロダール博士は,「最小限の時間で,最大限の健康を生み出すには,簡単ななわ跳びに勝るものはない」と語っています。アリゾナ州立大学では,体調を崩した学生92人の半数に,1日30分ずつのジョギング計画を課し,残りの半分には毎日10分間のなわ跳び計画を課しました。後で検査したところ,心臓や血管の働きはどちらのグループの場合にもほぼ同じであることが分かりました。
走るのではあまりにも単調ですか。ではサイクリングをしてみるとよいでしょう。しかし,車にはねられないように注意し,また歩行者をはね飛ばさないように注意しましょう。裏道があれば,そうした道を選ぶようにします。しかし,道端に自転車を止めてバラのにおいをかいでいたりしてはなりません。そのトレーニングを有酸素運動にするため必要とされる程度に心臓が拍動するよう,着実なペースを保ってください。
おもしろくありませんか。では,水泳を試してみるとよいでしょう。汗をかかずにすみますし,水に入ると身が引き締まる思いがします。力強く,規則的な泳法で水をかいていけば,一定のリズムができ上がります。水泳は全身の筋肉を動かす楽しい運動です。また,トレーニング期間中それを続ければ,心臓と肺が十分動き,有益な結果をもたらすことになります。
ほかにもまだできることがあります。現在,テニスが流行していますが,動きの早いシングルスをするとよいでしょう。ダブルスだと休んでいる時間が多くなります。フリースローが多過ぎて動きが中断されることがなければ,バスケットボールも有酸素運動になります。どんな形の運動をするにしても,有酸素運動としての成果を上げるためには,当人が絶えず動き,いつもハーハー息をしていなければなりません。心臓や肺に対する負荷は重くなければならず,ある一定の期間続くものでなければなりません。
また,言うまでもなく,医師の検査で定められた自分の体力の安全な限界内に,いつもとどまっていなければなりません。では,ページをめくって,有酸素運動の効能について考えてみましょう。
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走るのは心臓によいことですか目ざめよ! 1981 | 3月22日
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走るのは心臓によいことですか
よいことのように思われます。走ると,心臓の働きが活発になるからです。走ることは体の他の部分にも望ましいことです。
走ることが心臓に及ぼす影響
少ない動きでより多くのことが成し遂げられるようになります。運動をすると,心筋の線維が長く,強くなり,心臓の房室は大きくなって,収縮するたびにより多くの血液を押し出すことができるようになります。トレーニングを始める前には心臓の1回の拍動で送り出される血液の量は半カップ足らずですが,トレーニングの後には1度の拍動ごとにほぼ1カップ分の血液が送り出されるようになるでしょう。1度の拍動ごとにより多くの血液が送り出されて,心臓の拍動がゆっくりになり,収縮と収縮の間にもっと休めるようになります。このトレーニングを一定期間続けることにより,休んでいる時に測定した心臓の拍動数は1分間当たり10ないし20回減少することがあります。トレーニングを重ねるにつれて,心臓に血液を送る細い動脈は太くなり,酸素に富んだ血液をより多く心臓に供給できるようになります。また,トレーニングの結果,血圧も徐々に低下します。
走ることが肺に及ぼす影響
激しい運動をすると,筋肉の線維が多くの酸素を求めるようになります。筋肉線維は酸素を血液から得ますが,血液は二つの肺から酸素を取り入れます。肺には肺胞として知られる湿ったあわのような組織が無数にあり,肺の中を通る血液に効率よく酸素を供給しています。それらは非常に適応力に富んでおり,運動に応じてすぐに変化します。肺の血管は拡張し,酸素が血液の流れの中に入り込む部分が広がります。呼吸に使う腹腔,横隔膜,胸郭などの筋肉は強くなり,その効率が上がります。走るトレーニングを積んだ人の肺が取り入れる空気の量は著しく増大します。1分間当たりに取り入れる量が3倍になることもあります。
走ることが血液に及ぼす影響
有酸素運動をすると,フィブリノリジン(線維素溶解素)という酵素の生産量が多くなります。この酵素は凝固した血液を溶解させます。また,心臓発作を起こしかねない,冠状動脈内に長い間こびりついている血液の塊をも溶かすとの説も出されています。ある検査の結果によると,10週間にわたる運動計画に参加した人々の血液の凝血溶解能力は,始める前のほぼ4倍になりました。走るトレーニングを積んだ人の血液中では,リボ蛋白質(HDL)の濃度が高くなります。HDLは動脈壁から余分のコレステロールを運び去るので,血管を詰まらせて心臓発作を引き起こしかねない脂肪の沈着を減少させます。トレーニングで筋肉が強くなると,近くの動脈が枝分かれしてきて,毛細血管が一層密になり,筋肉の線維により多くの酸素を供給できるようになります。また運動をすると,酸素を運ぶ赤血球の数も増加します。
走ることが神経に及ぼす影響
電気化学的な衝撃<インパルス>を伝える神経の効率は毛先ほどの細かい神経に至るまで向上し,その結果より効率よく筋肉線維を活動させるので,耐久力が増し,ひいては力が増すことになります。トレーニングを重ね筋肉をよく使えば,意識的に行なっていた行動が反射的に行なえるようになり,動きは一層効率よくなります。使われていない筋肉の緊張は解け,エネルギーは節約されます。運動生理学の権威者であるルシエン・ブルーハ博士はこう語っています。「最終的には,ある行為を行なう際のエネルギー消費量が減少する。それは,トレーニングをする前に必要とされたエネルギー総量の4分の1にも達する場合がある」。もちろん人間はネズミではありませんが,運動した若いネズミの運動ノイロン(神経細胞の一種)は,運動しなかったネズミのものよりも大きくなった,ということは注目に値します。
走ることが精神に及ぼす影響
いつも走っている人は,走ることの喜びや“自然に味わえる最高の気分”について語ります。もっと具体的な例を挙げると,米国テネシー州ノックスビル市の一精神病院で,患者を走らせると患者の不安が少なくなることが明らかになりました。米国ジョージア州アトランタ市の聖ジョセフ病院のアラン・クラーク博士はこう語っています。「運動こそ最良の精神安定剤だということはよく知られている。ちょっとしたノイローゼの患者には,有酸素運動を十分試してみてからでなければ薬は与えない」。医学界ニューズ誌には,「ジョギングでうつ病患者が治療専門家に別れを告げられる可能性」という見出しの記事が載りました。そこには,ウイスコンシン大学とバージニア大学から寄せられた二つの研究結果が載せられており,それらはいずれもこの見解を裏付けるものでした。一つの研究結果によると,運動は神経細胞間に刺激を伝達する化学物質ノルエピネフリンの脳における生産を刺激し,そのノルエピネフリンが抑うつ感を解消するのです。
走ることが筋肉に及ぼす影響
筋肉にとって運動が必要なことは,だれの目にも明らかなはずです。運動をしないと筋肉は衰えてしまいます。しかし,筋肉の機能の詳細は実に驚くべきものです。その点は続く記事の中で詳しく説明することにしましょう。また,次の記事の中では,はるかに重大な意義のある訓練<トレーニング>についても検討します。
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筋肉にできることとできないこと目ざめよ! 1981 | 3月22日
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筋肉にできることとできないこと
わたしたちは当たり前のことのように考えていますが,筋肉の最も簡単な動きでさえ驚嘆すべきものです。トレーニングをすれば,筋肉は驚くべき力と耐久力の表われである離れ業をやってのけます。しかし,それよりもずっと重要な別の種類の訓練<トレーニング>があります。それは筋肉には決してできないことを可能にします。
羽がいっぱい入った箱があります。それを持ち上げたいと思います。そのために必要とされる幾つかの筋肉に脳が指示を与え,羽の入った箱を持ち上げます。今度は鉛の棒がたくさん入った箱があります。羽を持ち上げた時と同じ幾つかの筋肉に,今度は鉛を持ち上げるよう脳が指示を与えます。そしてその筋肉は指示通りのことを行ないますが,簡単ですか。とんでもありません。
骨格筋の筋線維は,物が重いか軽いかによって収縮の際に力を加減することはありません。神経終末が筋線維に収縮するよう命じると,それは完全に収縮します。収縮するときには,収縮し切ってしまうのです。では,ある命令が与えられると,筋肉の出す力が羽を持ち上げる程度にとどまり,別の命令で,その同じ筋肉が鉛を持ち上げられるほど大きな力を出すのはどうしてですか。
筋肉は数多くの細い筋線維の束の集まりで,その束は各々運動単位と呼ばれています。運動単位の各々に1本の運動神経が付いており,その先端は枝分かれして,筋線維一つ一つに刺激を与える神経終末を形成する仕組みになっています。電気化学的な衝撃<インパルス>は化学物質によって神経終末から筋線維に伝えられ,そこで再び電気化学的な衝撃<インパルス>に変わり,筋線維が収縮します。その束,つまり運動単位の中にある筋線維すべてが収縮します。
さて,ある筋肉が使われる場合,筋肉中の筋線維の束すべてが収縮するわけではありません。羽を持ち上げるだけだと分かっていれば,中枢神経は羽を持ち上げるのに必要とされるだけの,比較的わずかな数の束にしか信号を送りません。しかし,鉛を持ち上げる場合,収縮するようにという刺激がもっと多くの束に送られます。
脳が欺かれることもあります。箱に鉛が入っているのに,羽が詰まっていると考えれば,収縮するよう指令される筋線維の数が十分でないため,脳は驚きます。箱が床にくぎで打ちつけられたように思えるのです。一方,箱に鉛がたくさん入っていると思ったのに羽しか入っていないなら,多くの筋線維の束は鉛を持ち上げる態勢にあるため,箱は床から飛び上がりそうになります。
決定に次ぐ決定
要するに,中枢神経は,体中にある650余りの筋肉が行なう数々の仕事のために,どれほどの筋線維の束に収縮するよう信号を送らねばならないか,絶えず決定を下しているということです。筋紡錘と呼ばれる,筋線維の中にある感覚器官は,筋線維の状態を探知し,その報告を中枢神経に折り返し送ります。この自動制御の機能により,筋紡錘は決定を下すのに一役買っています。決定を下すのがあまり好きでなくても,人は無意識のうちに幾百万もの決定を絶えず下しているのです。
収縮する筋線維が多くなればなるほど,筋肉はより大きく,またより硬くなります。例えば,腕を上げて頭をかけば,上腕二頭筋が収縮します。収縮しなければならない筋線維の束の数はわずかで,二頭筋はそれほど硬くなっていません。しかし同じ動きをして,15㌔ほどの物を自分の肩まで持ち上げれば,より多くの筋線維が用いられるので,二頭筋はふくらみ,また硬くなります。
他の筋肉より張力をずっと繊細にコントロールする筋肉もあります。例えば,指を曲げて何かをしっかり握ることもできれば,同じ指で薄い卵のからを上手に扱うこともできます。そのような筋肉には,各々わずかな数の線維から成る束が数多くあり,10本足らずの筋線維で成る束もあります。脚にあるような他の大きな筋肉には繊細な動きは取れません。そうした筋肉の場合,筋線維の束の数は少なくても,各々に含まれる筋線維の数は多く,100本を超えることも珍しくありません。
骨格筋の線維には,基本的に言って二つの種類があります。ゆっくりした,むらのない運動に用いられる色の濃い線維と瞬間的に力を爆発させる動きに用いられる薄い色の線維です。(緩慢収縮線維および急速収縮線維と呼ばれる。)反応の遅い線維ばかりで成っているような筋肉もありますが,その他の筋肉には反応の遅い線維と速い線維が入り交じっています。動きがとび抜けて敏捷な人の場合,動きの鈍い人よりも白い,つまり反応の速い線維が多いことになります。例えば,身軽な体操選手は,人を魅了する,目の回るような大きな回転運動をするのに反応の速い筋線維を必要とします。また,傑出した短距離選手には,こうした反応の速い筋線維が長距離選手よりも多く備わっています。トレーニングにより変化は生じますが,幾らトレーニングを重ねても反応の速い筋線維と遅い筋線維の割合を変えることはできません。これは遺伝,つまり天分なのです。
エネルギーの出所
筋肉を動かすエネルギーの豊富な源は,ATP(アデノシン三燐酸)です。これはミトコンドリアという小器官により,筋線維の中で作り出されます。それには幾つかの方法があります。筋肉組織(脂肪組織)の脂肪が分解され,筋肉および血液中の遊離した脂肪酸になります。やがて,筋線維の中でそれが酸化し,ATPを作り出すエネルギーになります。血液中のブドウ糖もATPを形作るために,筋線維の中で酸化します。血液中のブドウ糖の幾らかは,グリコーゲンと呼ばれる炭水化物の形で筋肉内に蓄えられます。ATPが必要になると,このグリコーゲンがブドウ糖に分解され,酸素を使わずにATPを作り出します。
この幾つかの方法が同時に用いられてATPが作られますが,その程度は状況によって変化します。運動の種類,その程度や継続時間,当人の体調などはいずれも,ある時点においてどの方法で,どれほどのATPを供給するかを左右します。しかし,長時間激しい運動を行なう長距離走の場合,ATPの主な源はグリコーゲンです。
マラソン走者はしばしば,炭水化物の詰め込みなることを行ないます。競技前の数日間,炭水化物をたらふく食べるのです。こうして筋肉中に蓄えられているグリコーゲンの量を300%まで増やせます。しかし,グリコーゲンをこのように使うと,乳酸という副産物ができ,それが筋肉にたまって疲労が生じ,やがて筋肉痛が起こるのです。
筋肉とその造り主,いずれを崇拝するか
筋肉は多くの事柄を行なえます。ボールを投げ,カーブやドロップやスライダーなどの変化をつけられます。逆立ちをして,片手で体のバランスをとれます。筋肉を使って優美に跳び上がり,宙返りをして,空中で体をひねることもできます。片腕の筋肉だけで,何十㌔もある物を頭上に持ち上げることができます。足の筋肉を使って2㍍を超すバーを跳び越え,9㍍近くの距離を跳躍し,100㍍を10秒弱で,1マイル(約1,600㍍)を4分足らずで,42㌔を2時間そこそこで走れるのです。また,80㌔,あるいは160㌔の距離を走り続けることもできます。メキシコのタラウマーラ・インディアンは,320㌔走ります。“足の速さ”の点で特別に訓練された,マヘタングというチベットの僧侶たちは自分のペースと息づかいに合わせて聖なる呪を唱えながら,480㌔を30時間で走る,という怪しげな話もあります。
筋肉について考えると,畏怖の念に打たれます。しかし,筋肉は神ではありません。走る人の中にはそう考えている人もいるようです。もちろんそうした人は少数派にすぎません。ある人は,走ることを,騎士の最高の目的とされた聖杯の探求になぞらえます。別のランナーは,「身体による霊の探求が今まさに始まった」と断言しています。多くの人からジョギングの大祭司と言われるジョージ・シーハン博士は,「私が恐ろしいと思うのは,自分の限界に到達し損ない,神を見いだせなくなることである。しかし,そこで走ることが役に立つ」と語っています。ジョギングをしている一女性は,走るという体験を改宗になぞらえています。夫が走っているという一婦人は,「主人はかつてメソジスト派の信者でした。今では走ることに信仰を持っています」と語っています。ジョール・ヘニングは,走ることに関する著書の中で,「これは正に崇拝の一形式,神を見いだす一つの方法である」と述べています。「奔走」の編集者,ボブ・アンダーソンは,「かつて『人類が生き延びるには,新しい宗教を作り出さねばならない』と言われたが,その宗教が作り出された。走る者の宗教である」と言明しました。
しかし,早まってはなりません。筋肉が救いをもたらすことはありません。それができるのは筋肉の造り主だけです。筋肉はエホバの創造の知恵を反映しています。その敏捷さ,速さ,活力,耐久力に神の創意の才が見られます。複雑な電気化学的な仕組み,無数の筋線維の中で起こる無数の反応にもそれは見られます。意識的に指示を与えなくても,一日中,毎秒毎秒,その反応は監視され,調和よく働いているのです。意識的に指示を与えなくても,肺は呼吸し,心臓は拍動し,血液は循環し,消化器官は働き,種々の腺は様々な液を分泌し,電気刺激は体中を巡り,こうして人間は生きてゆけるのです。それだけではなく,わたしたちが全く気付かないようなことが体内ではもっともっと多く行なわれているのです。
筋肉を訓練するトレーニングにも益はありますが,それは敬神の専念の面での訓練とは比べものになりません。使徒パウロはこう書いています。「身体の訓練は少しの事には益がありますが,敬神の専念はすべての事に益があるからです。それは,今の命ときたるべき命との約束を保つのです」。(テモテ第一 4:8)どんな運動にしても,それを楽しむのは良いことです。その益を存分に味わってください。運動をすれば,気持ちがよくなります。しかし,敬神の専念は筋肉には決してできないことを成し遂げます。つまり,人を生き長らえさせ,永遠に生きる道をさえ開くのです。詩篇作者はそのことを次のように歌っています。
「主は馬の力を重んじられることなく,走る者の足を喜ばれない。主がその喜びとされるのはご自分を恐れる者たちである」― 詩 147:10,11,新英訳聖書。
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