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わたしはヒンズー教の女神の信者でした目ざめよ! 1972 | 4月8日
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よ,自ら守りて偶像に遠ざかれ」。(イザヤ 42:8。ヨハネ第一 5:21)長い間抱いていたわたしの疑問は答えられました。つまり,女神カーリの像を崇拝することは,最高の神の目から見て正しくないということです。
聖書の真理を他の人々に分け与える
おりにふれ,わたしは「ものみの塔」と「目ざめよ!」誌から,またものみの塔協会によって発行されている聖書研究の種々の手引き書から学んだ多くの喜ばしい事柄を父に話そうと試みました。しかし父は猛烈に反対し,危害を加えると言っておどしたことも再三ありました。その後,わたしの新しい崇拝の仕方への父の憎しみはしばらくの間和らぎ,ものみの塔協会の雑誌をいくらか読むようになりました。父も清い崇拝へ変わってくれたらと,希望しましたが,のちになって,父が占い師になり,神のみことば聖書の中で有罪とされている魔術に深入りしたとき,その望みはすっかり砕かれてしまいました。(申命 18:10-12。ガラテヤ 5:19-21)父はそのような魔術のあるものに参加するようにと,わたしに勧めることさえしましたが,わたしは断わって別の部屋へ行くか,家を出るかしました。
家庭聖書研究を続け,また集会に出席し,学んだ事柄を他の人々に語ることによって,次第に信仰は強められ,聖書の知識は増していきました。そこでわたしは,1954年にジョージタウンで開かれたエホバの証人の地域大会で,唯一の真の神への献身を水の浸礼によって表わすことを決意しました。
そのころわたしは結婚し,妻もその大会に同行しました。そのときガイアナを訪問していたものみの塔協会の会長による講演に妻は感銘を受けました。またエホバの証人の間に見られる愛と一致にも感心しました。かくして家に帰ったのち,妻は聖書を調べ始めました。ほどなくして妻はわたしとともに真の崇拝を行なうようになり,聖書の音信を学ぶよう他の人々を助けました。
のちに妻も真の神エホバに献身したとき,わたしはそのことを祝福であると思いました。
確かに,真の神について学ぶよう他の人々を援助するとき多くの祝福が与えられます。わたしの長女は,聖書から神の真理を全時間伝道するわざを楽しんでいます。そしてわたしはここガイアナの会衆ですぐれた特権を与えられています。エホバの真の崇拝を見い出し,カーリの崇拝者でなくなったことをわたしはたいへん感謝しています。
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あくびは抑えるべきですか目ざめよ! 1972 | 4月8日
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あくびは抑えるべきですか
● あくびは呼吸を助けるものであるということをご存じでしたか。それは,あくびをすると,肺の換気をいっそう十分に行なえるからです。普通の呼吸の場合には明らかに,肺胞と呼ばれる気嚢すべての換気が均等に行なわれるわけではありません。それら気嚢の中には実際には時として通気孔を閉じてしまうものもあります。その場合,そうした気嚢を通過した血液は十分に酸素を供給されないまま動脈にはいってしまいます。そのために,血液中の酸素の平均量は減少してしまいます。
長くて深いあくびをすると,肺の中のそれら閉じた気嚢が開かれるのです。それに,あくびをすると,からだのほとんどの筋肉も働くので,あくびは血液のたよっている血管からよどんだ血液を絞り出す働きもします。さらに,あくびをするさい,のどは広く開き,一瞬完全に弛緩します。これは声を出して話すのに益となります。
では,あくびがしたくなったら,どうすればよいでしょうか。たぶん,手を軽く当てて口をおおい,十分にあくびをして,その益にあずかれます。
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