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  • 「わたしは集合した群衆の中でエホバをたたえます」
    ものみの塔 1972 | 10月1日
    • さまよい出て,集会中に,または集会後にしなければならないこと,たとえば研究の資料をしまったり,ある兄弟に会ったりすることや,家での問題などを考えますか。全宇宙の中で最も重要なかたであるエホバが祈りを聴いておられるのです。エホバはご自分に関係のある重大な問題があるにもかかわらず,言われるすべてのことに注意を払っておられます。わたしたちのためにささげられる祈りに,エホバがそれほど深い関心を示されるのであれば,祈りに同意して「アーメン」と言えるように注意を集中すべきではありませんか。わたしたちの心と思いがその祈りとともにあるなら,エホバはそれがわたしたちひとりひとりから来たものとして受け取ってくださいます。わたしたちはこのようにして,集会での祈りにおいて個人的に与えることができ,それはエホバをたたえる一致した祈りとなるのです。

      21 (イ)集合した群衆の中でエホバをたたえることのできるいろいろな方法をかいつまんで述べなさい。(ロ)ダビデが詩篇 27篇4節に述べているように,わたしたちの願いはどんなものであるべきですか。

      21 こうしてわたしたちは,集合した群衆の中でエホバをたたえるために,どれほど多くの肝要な理由があるかを考え,会衆として一致のうちにエホバをたたえるさい,どのようにして与えることに魂をこめることができるかを検討しました。わたしたちは,徹底的な準備をする,すべての人を集会に歓迎する,心をこめて注意深く聴く,注解に参加する,心と思いをもって歌と祈りに加わることによってそうします。これらすべての方法によって与えるとき,わたしたちは集合した群衆の中でエホバの美しさを味わい知ることができます。そうすれば,次のように言ったダビデと同じ気持ちを常にいだけるでしょう。「われ一事をエホバにこへり我これをもとむ われエホバの美しきを仰ぎその宮をみんがためにわが世にあらん限りはエホバの家にすまんとこそ願ふなれ」。(詩 27:4)そうです,集合した群衆の中でエホバをたたえ賛美することを,常にわたしたちの熱烈な願いとしましょう。

  • 自分の健康を管理する
    ものみの塔 1972 | 10月1日
    • 自分の健康を管理する

      若い人々が知りたいと願っている有益な事実

      賢人ソロモンはそれを窓や戸のある家になぞらえました。何世紀かのち,使徒パウロはそれを『住所』と呼びました。ふたりは何のことを言っていたのでしょうか。人体のことを言っていたのです。(伝道 12:3-7。コリント後 5:1,2)ですから,家と同様に,人がそれから十分の益を得るには,からだをふさわしく管理することが必要です。

      自分の健康の管理ということになると,あなたはどんな管理人ですか。あなたは自分のからだの真価を知っていますか。

      あなたはそれを知るべきです。なぜなら,人体は実に,地上のあらゆる創造物中の傑作だからです。からだはこれまでに発明されたどんなコンピューターや機械製品よりも複雑です。しかも,円滑に働き,すばらしい効果を発揮し,すぐれた適応性を備えています。206の骨(中には一平方㌢につき約1,400㌔㌘の圧力に耐える強さのものもある),600以上の筋肉,9万7,000㌔㍍ほどの血管,刺激を携えて毎秒100㍍以上の速さで脳を往復する,網の目のような神経組織 ― これらすべてがまとまった一つの単位として調和した働きをすることを考えると驚嘆させられます。使徒パウロが書いているとおり,たくさんの成員を持っていても「體は一つ」です。そのことを頭に入れ,さらに,「もし一つの肢苦しまば,もろもろの肢ともに苦し(む)」という彼のことばが真実であることを認識するのはよいことです。確かに,からだは幾十億もの細胞からなってはいても,一つのものです。人体に宿る命を最大限に活用したいなら,からだのどんな部分をも無視することはできません。―コリント前 12:12,14-26。

      自分のからだをできるだけよく管理したいと願うさらにすぐれた十分の理由があります。創造者ばかりでなく,ご両親にほまれをもたらすため,また,隣人に良いことをもたらすためにからだを用いることができるからです。管理の行き届いていない家は建築家,つまり家を建てた人にほまれをもたらしません。いたんでよごれている家や,いやなにおいのする家は,その近所全体に不快な感じを与えます。自分のからだを正しく管理しなければ,同じことがいえます。

      いうまでもなく,からだは多くの点で驚くほどよく自己管理をします。あなたが何も自覚しなくても,からだは食物を消化してそれをエネルギーに変えます。何の治療をしなくても,ちょっとした傷や病気なら自分で直します。ひどく酷使されても,不平を言わずにがまんします。

      それでもやはり,『自分がまく物は刈り取る』という聖書の原則は,からだの管理についても例外なく当てはまります。『収穫』はわたしたちしだいで良くも悪くもなります。しかも,刈り入れを始めるのに年を取るまで待つ必要はありません。刈り入れは非常にまじかに,しばしば人生のごく初期に始まるのです。

      それは,単に「病気になる」のを避けようとする問題ではありません。あなたは,からだの機能を「最高に発揮」させること,幸福や良い仕事や明析な思考を促進させる,あの快調感を味わうことを願うべきです。そうすれば,あなたはまわりの人に気持ちの良い印象を与える人となります。では,いつも注意をはらっていなくてはならない事柄にはどんなことがあるでしょうか。

      平衡の取れた食事の価値

      食物はエネルギーを供給する以上の働きをします。からだが自分を維持するのに必要な,いわば建築材料を供給します。砂糖とかパン,いも類に含まれているような炭水化物はエネルギーになります。しかし,食事がほとんどそうした物ばかりだったらどうでしょう。口あたりのよい飲み物とアメだけですまそうとしたらどうでしょうか。からだは毎日の修繕作業に必要な材料の不足をきたすことでしょう。

      牛乳やチーズ,肉とかさかなに含まれているようなたんぱく質を定期的に摂取しなければなりません。たんぱく質が欠けると,筋肉はやがて軟弱でしまりがなくなり,成長がおくれます。また,ミネラルも必要です。それが欠けると歯が悪くなり,骨ももろくなります。緑葉類はミネラルに富んでいます。ビタミンも必要です。ビタミンはからだを化学的に調整し,ある種の病気からからだを守るからです。くだものと穀類は主要なビタミン源です。それから水分もたくさん必要です。水は血液や組織液の土台となります。

      60歳とか70歳になってからではなく,十代の今,あなたは食事の良し悪しの結果を刈り取ることがあります。たとえば,ある研究によれば,食事の質を良くして学生に与えたところ,学生の学習能力も改善されました。貧弱な食事はたいてい良い働きを生まず,人は事故を起こしやすくなります。また,

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