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  • 人間関係において平衡を保つ
    ものみの塔 1969 | 1月15日
    • を示すべきではありませんか。イエスが追随者に努めて教え込もうとされたのは,この点に関する教訓でした。

      心を作り変える

      21 なぜクリスチャンは,心を作り変えて自分を新たにしなければなりませんか。

      21 仲間のクリスチャン兄弟との正しい関係を保つには,「この事物の体制にそって形造られるのをやめ……心を作り変えて,自分を新たにし」なければなりません。このことはなんと明白でしょう!(ロマ 12:2,新)クリスチャンの心構えは,世の人々のそれとは大いに異なります。牧師や医師,科学者や法律家などのように,特別な教育を受けた人々が,高慢な態度をとり,自分は他の人間よりもすぐれていると考えるのは,ごくありふれたことです! スポーツや映画界の有名人,あるいは見事な美しい容姿や,まれに見るすぐれた知性の持ち主のように,特別な才能を備えた人々についても同じことが言えます。そうした人々は,人から称賛されるために,しばしば尊大な態度を持つようになります。しかし,平衡のとれたクリスチャンの態度は,「謙遜をもて互に人を己に勝れり」とする態度であることを忘れないでください。―ピリピ 2:3。

      22 へりくだって,他の人を自分よりもすぐれた人と見なすことは,何を意味していますか。

      22 しかし,へりくだって他の人を自分よりもすぐれていると見なすとは,どういう意味ですか。それは,熟練したバイオリン奏者が,バイオリンを手にしたことのない友だちを,自分よりも上手な演奏家と見なすようなことではありません。それは明らかに真実に反しています。訓練を積み,あるいは才能に恵まれているため,同様な訓練を受けたことのない,あるいはそれほどの才能に恵まれていない他の人々より一芸にひいでている人はかなりいます。しかしそれだからといって,他の人よりすぐれているとは言えません。また,他の人を自分よりも劣った者と見なして,高慢になるべきではありません。聖書がここで言及しているのは,人間の心構えです。クリスチャンの誠実な態度は,他の人々を自分よりもすぐれた者と見なす態度です。とにかく自分はすぐれているのだから,他の人から世話され,仕えられるべきだと決して考えてはなりません。イエスの使徒たちが手をかけたり,意を用いたりしたわざで,イエスがはるかに上手に行なえないものは一つもありませんでした。ところがイエスは謙虚に彼らに仕え,身をかがめてその足を洗うことさえされたのです!

      23 平衡のとれた見方を持つクリスチャンは,この世の多くの人とどのように異なっていますか。

      23 こうした謙遜な心の態度を本当に表わす人は,なんと気持ちの良い楽しい人でしょう! また,仲間のクリスチャン兄弟に対して,なんと平衡のとれたすぐれた見方を持っているのでしょう! そうした人は,この事物の体制に属する人々とは全く異なっています。かなりのお金や資産を持つ人もいますが,単にそうした理由で,資産の少ない人以上に特別の敬意を自分が受けるべきだとは考えません。お金があるからといって自分がすぐれた者になるわけではないことを悟っており,分に応じて事を運びます。(テモテ前 6:17)同様に,特定の人種や国籍に属しているからといって,他の人よりすぐれているわけでないことも悟っています。ゆえに謙遜な心を保ち,あまり知られていない人種や国籍の人々をさえ,自分よりもすぐれた人であると誠実に考えます。―ロマ 10:12。

      24,25 愛とへりくだった態度を実際に表わすことで特に率先しなければならないのはだれですか。

      24 任命された監督,補佐のしもべ,その他,クリスチャンの組織内で特別の奉仕の特権にあずかる人は,特にこうした謙遜な心構えをいだくべきです。会衆内の他の人は,これらの人々と協力し,またその信仰に見習うようにと確かに勧められています。しかし,先頭に立って事を運ぶそうした人々が,集会を司会するとか,すぐれた話をする能力や組織力にひいでている,あるいはエホバへの奉仕により多くの時間をささげ得るからといって,自分はすぐれていると,決して考えてはなりません。(ヘブル 13:7,17)使徒ペテロは,神の羊の群れを牧する責任のある古い人々に従うことを,年若い人に勧めたのち,次のように命じたことばに注目してください。「皆たがひに謙遜をまとへ『神は高ぶる者を拒ぎ,へりくだる者にめぐみを与へ給ふ』」。(ペテロ前 5:5)だれひとり例外はありません。先頭に立って事を運ぶ者をも含めて,すべての人が謙遜を身につけるのです。「キリストを畏みて互にしたがへ」と聖書は命じています。―エペソ 5:21。

      25 実際のところ監督は,へりくだった謙遜な態度の手本を示す人であるべきです。これは正しい羊飼いイエス・キリストの行なわれたことです。イエスは,その追随者が愛と謙遜を身につけることの大切さを,手本を示して十分に銘記させました。ですから監督もそうすべきです。監督はかしらではなく,兄弟たちのしもべです。(マタイ 20:25-27)これは監督が心にとめるべき肝要な事柄です。そうです,それはすべてのクリスチャンが十分に学ぶべき事柄です。というのは,お互いの間の関係で平衡を保つには,兄弟たちを愛していなければならず,自分が兄弟たちよりすぐれていると決して考えてはならないからです。―ヨハネ第一 4:21。ピリピ 2:2-4。

      26 クリスチャンの平衡をいま保つべき,どんな真の励みがありますか。

      26 地上に住む人すべてが,こうした気持ちの良い心の態度を持つ時のことを考えてごらんなさい! この地はなんと楽しい住みかになるでしょう! そのとき,すべて人々は,「慈悲の心・仁慈・謙遜・柔和」,なかんずく愛を完全に身につけるのです。(コロサイ 3:12-14)そうです,自分たちの心と思い,魂と力のすべてをこめて,あらゆる人はエホバ神を愛し,兄弟たちに対しては,キリストのような愛を示すでしょう。その時代に生きられるよう,今,平衡を保つのに,これはなんというすばらしい励みでしよう!

  • 神はなぜカナン人の絶滅を命じられたか
    ものみの塔 1969 | 1月15日
    • 神はなぜカナン人の絶滅を命じられたか

      それは何と偉大な解放だったのでしょう! エホバ神は,忠実なアブラハムの子孫であるイスラエル民族を,エジプトの苛酷な奴隷の境遇から解放されました。奇跡的にも紅海の水が分かれ,イスラエル人は乾いた通路を通ってのがれましたが,追跡したエジプト人は,せき止められた水を神がその上にくずれ落とさせたため,滅び去りました。(出エジプト 14:1-31)神はイスラエル人にこう説明されました。「我は汝らの神エホバにしてカナンの地を汝らに与へ かつなんぢらの神とならんとて汝らをエジプトの国より導きいだせし者なり」― レビ 25:38。

      イスラエル民族は,その指揮者ヨシュアに率いられてその地にはいるに及んで,神のご命令にしたがいカナンの諸都市を征服し,徹底的に滅ぼしました。神はこう命じられました。「汝かれらをことごとく滅すべし彼らと何の契約をもなすべからず彼らを憫むべからず」。この命令に

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