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謙遜さはあなたを守るものみの塔 1976 | 9月15日
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者はみな信仰が弱いかもしれませんが,わたしはそうではありません。主よ,わたしは決してあなたを捨てるようなことはしません』。しかし,この過信,彼らよりも忠実ですというその態度は,ペテロの激しい崩壊の一因となりました。謙遜さを学ぶのはなんと重要なことでしょう。使徒たちは最後にはそれを学んだのでしょうか。
19,20 (イ)使徒たちが謙遜さを学んだどんな証拠がありますか。(ロ)初期のクリスチャン会衆は明らかにどのように管理されましたか。このことは使徒たちの態度についてどんなことを示していますか。
19 確かに学びました。彼らに対するイエスの愛のこもった忍耐は豊かに報われました。その証拠に彼らは,謙遜に関するイエスの教えを率直に,正直に記録しています。彼らが自分たちの取った行動を回顧するとき,どんなにそれを悔いたか,わたしたちは想像することができます。それでも彼らは,自分たちの犯した間違いから,とりわけイエスが自分たちに与えてくださった優れた教訓から,他の人々が益を得ることを望みました。また,彼ら自身が,謙遜になることを勧める助言を与えていることも,彼らがその教訓をよく学んだ証拠です。例えば,使徒ペテロは後日,「あなたがたはみな同じ思いを持ち……謙遜な思いをいだきなさい」と書いています。―ペテロ第一 3:8。
20 彼らがついに謙遜を学んだことを示すさらに別の証拠は,聖書の「使徒たちの活動」という書に見られます。それを読むと,使徒たちが,クリスチャン会衆を築き上げるために一致協力して働いたことが分かります。名声や信望を熱心に追い求めたり,自分が彼らの中の主要人物であるかのように振る舞って,自分の言葉を絶対的なものとして従わせようとしたりした者は一人もいませんでした。むしろ,使徒以外の他の長老たちをも含む人々の一団が,クリスチャン会衆に影響する重要事項を決定したことは明らかです。イエスの異父兄弟で,使徒ではなかった弟子のヤコブは,割礼に関する決定が行なわれたとき,司会の役を務めたようです。(使徒 15:6-29; 12:1,2)このことは,長老たちが交替で司会を行ない,ある時にはある長老が,別の時には別の長老が司会者を務めたらしいことを示唆しています。使徒たちの間には,真にへりくだった精神が培われていました。
その教訓は強調された ― なぜか?
21 使徒ペテロは謙遜であることの大切さをどのように強調しましたか。
21 幾年か後,使徒ペテロは,謙遜であることの重要さを強調する必要を感じ,聖書の正典中に納められている,霊感によって書いた手紙の中の最初の手紙の中でそれを強調しています。その第4章の中で彼は,神に忠実であるためにクリスチャンが予期し得る苦しみについて述べ,次いでこう言っています。「それゆえ,あなたがたのうちの年長者に,わたしはこう勧めます。……あなたがたにゆだねられた神の羊の群れを牧しなさい。強いられてではなく,自らすすんで行ない……神の相続財産である人びとに対していばる者のようにではなく,かえって群れの模範となりなさい。……しかし,あなたがたはみな,互いに対してへりくだった思いを身につけなさい。神はごう慢な者に敵対し,謙遜な者に過分のご親切を施されるからです。それゆえ,神の力強いみ手のもとにあって謙遜な者となりなさい。……冷静を保ち,油断なく見張っていなさい。あなたがたの敵対者である悪魔がほえるししのように歩き回って,だれかをむさぼり食おうとしています」― ペテロ第一 5:1-8。
22 クリスチャンの苦しみについて述べたあと,ペテロはなぜ「それゆえ」という語を,長老たちへの訓戒の前置きとして用いましたか。
22 なぜペテロは,クリスチャンが苦しむことを述べた後,「それゆえ,あなたがたのうちの年長者に,わたしはこう勧めます」と言っているのでしょうか。それは次の理由によります。すなわち,もし長老たちに謙遜さが欠けているなら,その態度は,クリスチャンの兄弟たちがすでに負って労苦しているかもしれない苦しみや重荷を,一層大きくまた重くする恐れがあるからです。しかし,長老たちの謙遜な態度は心をさわやかにし,兄弟たちが耐え忍ぶのを容易にします。(イザヤ 32:1,2)それでペテロは長老たちに,『神の相続財産である人びとに対していばるのではなく,群れの模範となりなさい』と勧めます。
23 (イ)ペテロは,群れに対していばらないようにと長老たちを諭しましたが,それはイエスのどんな言葉の影響であったと思われますか。(ロ)長老は何を身につけるべきですか。そうすればどんな結果になりますか。
23 「人びとに対していばり」,「人びとに対して権威をふるう」世の支配者たちについてイエスが言われたこと,また「あなたがたの間ではそうではありません」とイエスが言われたのを,ペテロが思い出していたことは明らかです。(マルコ 10:42-44。ルカ 22:25-27)クリスチャンの長老たちは,誇り高ぶったパリサイ人のようであってはなりません。パリサイ人は他の人々になすべきことを告げますが,自分ではそうしたことをするために指一本上げることすらしませんでした。(マタイ 23:3,4)むしろ長老たちは模範を示すべきです。他の人たちにするように頼むことはどんなことであっても,自分も進んでするべきです。そして他のすべてのクリスチャンたちと同じように,「へりくだった思いを身につけ」なければなりません。ペテロ第一 5章5節で「身につける」と訳されているギリシャ語,エンコムブーマイの意味と一致して,この謙遜さをしっかりと『身にくくりつけるかのように』すべきです。その結果として,彼らは,王国会館の掃除など,召し使いがするような仕事をするのを恥ずかしいと思ったり,クリスチャン会衆の伝道活動のすべての面にあずかるのを恥ずかしいと思うことは決してないでしょう。
24 長老たちはどんな方法で群れに対していばることがあるかもしれませんか。
24 それと同時に,謙遜さを身につける人は,他の人々が受けるものよりも良いものを受けるに値する者であるかのように,特別の慰安や特権を私するようなことをしません。例えば,クリスチャンの大会で,もし長老たちが自分たちのために特別の食事や一番よい仕事を確保し,兄弟たちには劣ったものを分配したり割り当てたりするとすれば,それは事実上兄弟たちに対していばっていることになりませんか。あるいは,もし長老たちが,食事を待つ人々の列の一番前に行って,彼らよりも長く待っていた人たちより先に食物を受け取るとすれば,それは模範を示していることになりますか。割り当てられた仕事が急を要するために,食事を待つ人の列の一番前に行くとか,ほかの人たちとは別の時に,あるいは別の場所で食事をする,急ぎの場合もあることは事実です。それでも,こうしたことは真剣に考えなければならない事柄です。なぜですか。
25 (イ)特殊の能力または奉仕の特権を持つ人は,他の人々よりも上の人ですか。(ロ)ではクリスチャンはどんな助言に従うことが重要ですか。
25 一つには,人は権威を与えられると特に,自分は他より優れた,当然それに値する人間なのだ,と思いがちだからです。しかしそうでしょうか。その人には,クリスチャンの長老となって大会を運営するだけの特定の能力があるかもしれません。しかし,それらの能力があるからといってその人は他の人よりも上であるわけではありません。(テモテ第一 3:1-7)エホバ神は,長老であれ,あるいは特殊の能力を持つ他のどんな人間であれ,彼らが彼らの兄弟たちよりも上であるとはお考えになりません。ですから,「他の者が自分より上であると考えてへりくだった思い」を持ちなさい,という神の助言に注意を払うのはなんと重要なことでしょう!(フィリピ 2:3)このへりくだった気持ちは,誇りがもたらす激しい崩壊からクリスチャンを保護します。―箴 16:18; 18:12。
26 長老たちに謙遜さが欠けていると,群れをどんな危険にさらす恐れがありますか。
26 また,長老たちのこのへりくだった態度は,群れを保護することにもなるでしょう。もし長老たちが特別の特権を私し,名声や目立つことを追い求め,あるいは他の方法で誇り高ぶった高慢な精神を示すなら,「羊」はすぐにつまずき,クリスチャン会衆から離れていく恐れがあります。聖書は,「互いを敬う点で率先しなさい」と勧めています。(ローマ 12:10)しかし,もし模範となる者と考えられている長老たちが,最も良いものを自分たちに取り,高飛車に,横柄に振る舞うのを群れが見るなら,彼らはどんな影響を受けるでしょうか。彼らが害を受けることは間違いありません。クリスチャンであるが故に彼らが耐えている苦しみは一層大きくなり,そしてそれは災いを招くかもしれません。
27 どうすれば長老たちは,冷静を保ち,自分や群れが悪魔にむさぼり食われないようにすることができますか。
27 ですから使徒ペテロが,「冷静を保ち,油断なく見張っていなさい。あなたがたの敵対者である悪魔がほえるししのように歩き回って,だれかをむさぼり食おうとしています」と警告しているのは,少しも不思議ではありません。もしあるクリスチャンの長老が,誇り高ぶった尊大な精神を持つようになるなら,その長老は,悪魔がその長老を,また群れの成員たちをむさぼり食う道を開くことになるかもしれません。ですから長老の皆さん,高ぶったあるいは自分は上であるというような様子をすることさえ避けてください。謙遜さを身につけてください。乳をふくませる母親が自分の子供をかわいがるときのように,近づきやすく,親切で,優しく,同情心のある人であってください。(エフェソス 4:32。テサロニケ第一 2:7,8)イエス・キリストの模範と教えに常に目をとめ,イエスに見倣うことに最善の努力を払ってください。―フィリピ 2:5-8。
28 将来,どんなすばらしい見込みがありますか。わたしたちはどこでそれを前もって味わうことができますか。
28 生きている人すべてがへりくだった思いを示し,他の者が自分より上であると考える時が来たら,どんなにすばらしいか考えてみてください。そこにはどんなにか,さわやかさと安らぎがあることでしょう。わたしたちはクリスチャン会衆の中で今すでに,へりくだった,愛他的な男女子供と交わるこの祝福を,前もって味わっています。ですからわたしたちは,謙遜さを身につけるように励まされていないでしょうか。謙遜さは,悪魔にむさぼり食われないようわたしたちを保護し,また「大患難」を生き残って,足早に近づいている神の義の新秩序で永遠に生きるようわたしたちを助けることができるのです。―詩 133:1-3。啓示 7:9-14。
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ティルス ― 不信実な都市ものみの塔 1976 | 9月15日
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ティルス ― 不信実な都市
古代世界の諸都市の中でも,ティルスほど不信実な都市はまれです。イスラエルに近い都市の人々は,エホバ神の崇拝者に対して友好的な態度を示しませんでした。ところが,ティルスは,少なくとも一時期,近隣の他の諸都市とは大いに異なっていました。
例えば,ティルスの王ヒラムは,ユダヤの王ダビデおよびソロモンとの間に友好的な関係を築いていました。エルサレムの壮麗なエホバの神殿の建造にさいして,ヒラムはソロモンに資材や人員を提供しています。(列王上 5:2-6。歴代下 2:3-10)後に,ヒラムとソロモンは,共同で大規模な海運事業を行ないました。アカバ湾に面するエジオンゲベルで,ソロモンは船を建造して船団を組織し,これに自分のしもべたちと,ヒラムが遣わした熟練した船員たちを乗り組ませました。―列王上 9:26-28。
しかし,ティルスと神の契約の民イスラエルとの間の友好的な関係は長続きしませんでした。やがてティルスは,不信実にもイスラエルの敵たちと同盟を結ぶようになったのです。霊感を受けた詩篇作者は次のように書きました。「彼らはあなた[神]の民にむかって巧みなはかりごとをめぐらし,あなたの保護される者にむかって相ともに計ります。彼らは言います,『さあ,彼らを断ち滅ぼして国を立てさせず,イスラエルの名をふたたび思い出させないようにしよう』。彼らは心をひとつにして共にはかり,あなたに逆らって契約を結びます。すなわちエドムの天幕に住む者とイシマエルびと,モアブとハガルびと,ゲバルとアンモンとアマレク,ペリシテ
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