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神の道は本当に効果的?目ざめよ! 1977 | 1月8日
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など,互いによく知り合っている人々の間で起きています。多くの場合,犠牲者の側の自制心のなさが,殺人者を憤激させています。しかし,聖書の原則で訓練されているクリスチャンは,悪に対して悪を返してはいけないこと,柔和な答えは人の憤りを和らげること,そして神のしもべとなるには柔和な気質を培うことに努めねばならないことを知っています。したがって,そのような聖書的原則に従って生活する人は,身に危害を加えられるほど相手を怒らせるようなことはまずありません。
性病を根絶する
神に仕えることが助けとなって神の民が避け得ている別の大きな問題は,ほとんどあらゆる国で野火のように広がりつつある性病という流行病と関係があります。医学専門家は,自分たちにそれを阻止する力がないことを認めています。
なぜなら世の人々は,姦淫,淫行,同性愛行為を禁ずる神の律法を無視するからです。それで性病はそうしたことによって広がります。しかし,神のしもべたちの間ではそれらの律法が実施されています。ですから神の民は清く保たれています。彼らは性関係をそのあるべき位置にとどめることを学びます。そして神は,それが結婚の取り決めの中においてのみ許されることを告げておられます。
恐ろしい病気,望まぬ妊娠,口論,家庭の破壊,心痛など,神のしもべたちが,この事柄に関し神の道に従うことによって完全に避け得ている問題を考えてみてください。
別の大きな問題は家族生活に関係したものです。神に仕えることは,この場合でも実際に役立つでしょうか。
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家族生活を改善する目ざめよ! 1977 | 1月8日
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家族生活を改善する
家族のきずなの崩壊がこの「終わりの日」の特徴となることを聖書預言は示しています。―ローマ 1:29-31。テモテ第二 3:1-4。
しかし神は,人間社会の基本単位として家族を創造されました。そのことは今も変わっていません。ですから神は,世界が家族の崩壊を経験しつつあっても,ご自分のしもべたちには家族を強化する方法を示されます。どうすればより良い夫また父親,より良い妻また母親,より良い息子また娘,より良い兄弟また姉妹となれるかを,神はわたしたちに教えてくださいます。完全になるということでではありません。より向上するということです。
夫に対する実際的な助言
結婚生活に関する問題でわたしたちの助けになる優れた聖書の原則はたくさんありますが,そのうちの幾つかを考えてみることにしましょう。一つはエフェソス 5章28節に記されています。ここでは神は家族の頭に助言しておられます。「夫は自分の体のように妻を愛すべきです」。
さてこの原則と,ペテロ第一 3章7節のさらに別の原則とを合わせてみてください。その原則によると,神に仕える夫は妻の身体や感情の構造を考慮し,そこに述べられているように,『彼女に誉れを』,つまり「弱い器である女性として」「誉れを配」さなければなりません。
もし本当に妻を自分の体のように愛し,尊敬する,つまり本当に妻に敬意を抱いているなら,あなたはどのように妻を扱うでしょうか。確かに,可能なかぎり妻を喜ばせようとするでしょう。自己中心的でなく,ほとんどの場合に最初の選択の機会を妻に与えることさえするでしょう。本当に尊敬していれば,妻にどなりつけたり,妻を侮辱したり,あるいはけなしたりすることも確かにしないでしょう。
これこそ神のしもべである夫が培わねばならない愛と思いやりであることを,聖書は示しています。それは培うものですか。そうです,努力と練習がいります。それらの特性は,不完全な人々に自然に備わっているものではありませんから,養う必要があります。
ある婦人は,あなたのご主人のどんな性質が一番好きですか,と聞かれて,「私に優しいところが好きです」と答えました。世の多くの男性が考えているのとは逆に,慎みのある女性は,威張り散らす専横な男性,自分を粗暴にそして不親切に扱う男性を好みません。
また夫は,自分が神を恐れる特質を培い,妻を扱う際にその特質を働かせるとき,次のことを発見します。つまり神が妻を精神的にも感情的にも,そういう思いやりのある扱いにこたえるように造られているということです。彼女は恐らくより良い妻になるでしょう。
もちろん,これは夫が家族の頭としての地位を放棄することではありません。夫には依然,先頭に立って事を行なう,また最終的決定を下す,神から与えられた責任があります。しかし結婚関係においては,夫が妻の意見や態度,希望,性格などを考慮に入れなければならない事柄があります。なぜなら,それは神がご自分のしもべたちに行なうように告げておられることだからです。
妻をそのように扱うなら,結婚生活は幸福なものになります。神のしもべである多数の夫は,そのことを証しすることができます。一例を挙げますと,ある男の人は最初の結婚に失敗し,離婚しました。その後,聖書の教える原則を勉強するようになり,結婚に関する神の道を受け入れました。後日その人は次のような手紙を書いてよこしました。「過去のわたしは女性に対し敬意を欠いていました。わたしはあのような生き方をして,自分自身と他の人々,特に最初の妻を不幸にしてしまいました。聖書に従って生きるようになってからは,聖書の原則に従うことこそ最善の生き方であることが分かりました。そして二番目の妻を自分自身のように愛し,クリスチャンにふさわしい仕方で扱うことによって,わたしは結婚の真のしあわせを知りました。わたしたちは結婚して10年になりますが,その間比較的平和に過ごしました。結婚に関する問題について兄弟たちから相談を持ちかけられる時,わたしは兄弟たちの注意を聖書の言葉に向けさせます。聖書の助言に従えば本当にうまくいくことをわたしは自分の経験から知っています。その反面,意識して,あるいは無意識に,聖書の原則を無視する人は,多くの不幸と心痛を経験します」。
妻に対する実際的な助言
聖書にはまた妻に対する優れた,実際的な助言があります。テトス 2章4,5節は妻たる者に対して,「夫を愛し,子どもを愛し,健全な思いを持ち,貞潔であり,家事にいそしみ,善良で,夫に柔順である」ようにと助言しています。
今日,多くの女性が,夫に従うという考えに憤慨するのは事実です。もちろん,夫が聖書の原則を実行せず妻をひどく扱うなら,服従はいやなものになります。
しかし,聖書の原則を守る,神のしもべである夫への服従は,妻にとって重荷とはなりません。かえって家族の和合を促進し,良くまとまった家族にします。そして妻が夫に愛を示し,エフェソス 5章33節が「深い敬意」と述べているものを示して自分の分を尽すなら,妻は大抵夫の一番良いところを引き出すことになります。夫は妻に一層よくするようになります。妻の愛と敬意にこたえるように神がお造りになっているからです。
しかし,夫が神のしもべでない場合でも,妻が従うことには良い報いがあります。使徒ペテロが助言しているとおりです。彼は次のように書きました。「妻たちよ,自分の夫に服しなさい。それは,みことばに従順でない者がいるとしても,ことばによらず,妻の行状によって,つまり,深い敬意のこもったあなたがたの貞潔な行状を実際に見て引き寄せられるためです」― ペテロ第一 3:1,2。
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