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『命のことばをしっかりつかんでいる』ものみの塔 1977 | 9月15日
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内気な性質と恐れの気持ちに対処する
20,21 (イ)内気な人はモーセの経験から何を学べますか。(ロ)エレミヤの経験からは何が学べますか。(エレミヤ 1:5-8)
20 エホバ神に献身した人たちの中には,はにかみとか,内気,恐れなどの感情と相当強く闘わねばならなかった人たちがいます。ある人々は,ひどいはにかみ屋で,心の内に持つ信仰を言葉で言い表わすのに困難を覚えました。しかし,『命のことばをしっかりつかんだ』人々は,神のほかのしもべたちも自分たちと同じような問題に対処することに成功したのだ,ということに気づきました。
21 例えば預言者モーセは,自分の考えを言葉で表わすのが困難だったようです。イスラエル人を奴隷状態から導き出すためにモーセをエジプトに遣わすことについて神が話されたとき,モーセは非常に自信のない様子で,「恐れながら,エホバよ,私は流ちょうに話せる者ではございません。それは昨日からでも,その前からでも,あなたが僕に話されてからでもございません。私は口の重い,舌の重い者なのです」と言いました。それでもエホバは,アロンを彼の代弁者としてつけて,モーセをエジプトに遣わされました。しかしモーセは,いつもだれかに自分の代わりに話させて,断念しませんでした。そして後には,自分でイスラエル人に確信のある態度で語っています。―出エジプト 4:10-17。申命 1:1-5。
22 恐れの気持ちを持つことについて,パウロはどんな立派な助言をテモテに与えていますか。
22 使徒パウロがテモテに与えた助言も考えてみましょう。テモテがいくらか恐れの気持ちを持つようになっていたかどうかは,確信をもって言うことはできませんが,ともかくパウロはテモテにこう告げました。「神はわたしたちに,憶病の霊ではなく,力と愛と健全な思いとの霊を与えてくださったからです。ですから,わたしたちの主についての証しを恥じてはならず,また彼のために囚人となっているわたしのことを恥じてもなりません。むしろ神の力にしたがい,良いたよりのため,ともに苦しみを忍んでください」― テモテ第二 1:7,8。
23 どうすれば,はにかみ,内気,恐れの気持ちなどを追い払うことができますか。
23 クリスチャンも,モーセが直面したような問題に対処できます。また,はにかみ,内気,恐れの気持ちなども,エホバ神に力を熱心に祈り求めることによって,払いのけることが可能です。(フィリピ 4:6,7,13)エホバを愛する人々は,恐れや不安を持たずに,いつでもエホバのみ顔を祈りの中で求めることができ,そのために神の真理を他の人々に勇敢に語ることができます。「こうして,わたしたちについて愛は全うされました。それは,わたしたちが裁きの日に,はばかりのない言い方ができるためです。なぜなら,わたしたちはこの世にあっては,かのかたと全く同じようであるからです。愛には恐れがなく,完全な愛は恐れを外に追いやります。恐れは拘束となるからです」と使徒ヨハネは書きました。―ヨハネ第一 4:17,18。
不品行を避ける
24 (イ)「エホバへの恐れ」はどのように保護となりますか。(ロ)性の不道徳はどんな結果を招きますか。
24 一方,正しい恐れもあります。ですから聖書には「エホバへの恐れは清純で」あり,それは「悪を憎むことを意味する」とあります。(詩 19:9; 箴 8:13,新)それは病的な恐れではなくて,畏敬の念を含む,そしてエホバの怒りをこうむることを恐れる,健全な恐れです。これは悪い道に対する保護になります。当然のことですが,「命のことばをしっかりつかんで」いる人は,例えば,聖書が性の不道徳を非としていることを知っています。(申命 5:18。コリント第一 6:9,10)さらに聖書は,道徳的に腐敗したそういう行為が,非痛な結果を招く恐れのあることを示しています。ダビデ王の息子アムノンは,異母妹タマルを犯したあと,「激しい憎しみにかられて彼女を憎み始め」ました。アムノンは今やタマルをいとわしい者として自分の家から出させてしまいました。タマルの存在は彼に不潔感を抱かせたのかもしれません。―サムエル後 13:1-19,新。
25 誘惑されたとき,ヨセフの取った行動を思い起こすのはなぜ有益ですか。
25 それと対照的に,ヤコブの息子ヨセフはわたしたちにとってなんと立派な模範でしょう。ポテパルの妻に再三誘惑されたにもかかわらず,ヨセフは彼女と性関係を持つことを堅く拒絶しました。そのためにヨセフは偽りを言われて告訴され獄舎につながれましたが,神に対して罪を犯してはいませんでした。(創世 39:7-23)「命のことばをしっかりつかんで」いる人の生活の中で,もし性の不道徳への誘惑が生じたなら,ヨセフのとった行動を思い起こすと有益です。
「世を照らす者として輝く」
26-28 (イ)まとめて言えば,「命のことばをしっかりつかんで」いるなら,どんな面で助けになりますか。(ロ)わたしたちはどのように引き続き『光を照らす者として輝き』ますか。
26 したがって,「命のことばをしっかりつかんで」いる人々にとっては確かに,神の霊感によって書かれた聖書の66冊の文書を感謝する多くの理由があるわけです。なかでも,聖書の助言は,それに従うなら,クリスチャンが病気と圧力に対処する助けになります。クリスチャンは憂いに沈むとき,神の言葉に慰めを見いだします。聖書はまたクリスチャンが深い悲しみに耐え,内気や恐れを克服し,不品行を避けるよう助けます。
27 さらに,「命のことばをしっかりつかんで」いる人は,この「曲がってねじけた世代」,神から離れている人類の世の悪行に関して「とがめのない純真な者」でいることができます。彼らの中にあってクリスチャンは『光を照らす者として輝き』続けます。(フィリピ 2:14-16)そのような霊的な『光を輝らす者』として奉仕する主要な責任を持つイエス・キリストの油そそがれた追随者たちと交わっているのは,楽園の地上でとこしえの命を得る見込みを持つ「大群衆」です。―啓示 7:4-9。
28 忠実なクリスチャンはすべて,エホバ神により頼みつつ霊的光を反映し続けるでしょう。また神の助けによって,エホバ神を崇拝する者にふさわしい正しい動機もしくは霊を示し続けるでしょう。また,神の霊の実を培いかつ示すことに努め,初期クリスチャンや,世々エホバに仕えてきた他のクリスチャンたちの立派な特質を,賢明にも常に思いに留めているでしょう。そして主が,「命のことばを」本当に「しっかりつかんで」いる今日の敬虔な人すべてが示す霊と引き続き共におられることは確かです。あなたは正しいクリスチャンの霊を示している人の一人ですか。そして「命のことば」をしっかりつかんでいますか。
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賢人はどんな意味で述べたかものみの塔 1977 | 9月15日
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賢人はどんな意味で述べたか
良い名の価値
良い名,あるいは評判は,守るに値する貴重なものです。賢い王ソロモンはこう述べました。「名は良い油に,また死の日は人の生まれる日に勝る」。(伝道 7:1,新)昔,良い油は非常に尊ばれていました。良い油は快い香りを放ちました。しかし,良い油の芳香よりさらに快いのは,良い評判です。名前が真の意味を帯び,人がどんな種類の人間かを示すようになるのは,全生涯を通じてのことです。死に際して,その名,あるいは評判は定まり,最終的なものとなります。生まれたばかりの人には評判はありません。ですから,「死の日は人の生まれる日に勝る」と言えるのです。
良い名を保つには,人生について真剣に考えることが必要です。ソロモンは次のように勧めました。「嘆きの家に行くことは宴の家に行くことに勝る。それが全人類の終わりだからである。生きている者はそれを心に留めるべきである」― 伝道 7:2,新。
ある家族から死者が出るなら,その時は確か
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