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  • いつ,どこで問題は始まったか
    目ざめよ! 1975 | 1月8日
    • たのです。神は彼らに命を与え,地上で幸福に生活できるように必要な準備をすることによって愛を示されました。彼らが自動的に従い,他の行動は取れないように造られていたなら,創造者に純粋な愛を示すことによってその愛に答えることは決してできませんでした。その従順は機械的なものとなるからです。真の愛には,相手を喜ばせ,相手の益になる事をしたいという願いが伴います。(申命 30:15,16)そして,わたしたち自身としても,他の人のために何かをする場合,それから最大の喜びを得るのは,相手に対する配慮に基づいて心からそうしたいと思う時であることを知っています。また,他の人がしてくれたことで自分が心に幸福を覚えるのは,相手が惜しむことなく自発的にしてくれた場合だけです。

      聖書の記述が示すとおり,わたしたちの最初の親は,神に対する不従順の道を選びました。神が彼らのために行なわれたすべての事を考えると,彼らが神に逆らうことなど信じられないことと思えますか。人間が遠い昔から今日までやってきたほとんど信じられないほどの事柄を知らないとすれば,それは信じ難いことに思えるかもしれません。しかし,わたしたちは,人々が貞節で愛のある配偶者を裏切り,子どもが親に反抗し,親が子どもを裏切るのを見てきました。しかも,なんら健全な理由のない場合が多いのです。自分の隣人や仲間の市民に対して強い憎しみを示し,正当な理由もなしに迫害し,大量殺りくをさえ行なった人が多くの国にいるのを見てきました。たいていの場合,それは不信や憤激をあおり,利己的な欲望に働きかけようとする虚偽の宣伝にかきたてられたのです。

      聖書は,最初の女エバが,神に反逆した霊の子からの同様な宣伝の対象となったことを示しています。エバはこれに抵抗することができました。今日でもわたしたちが,たとえ不完全になっていても,そうした有害な宣伝に抵抗できるのと同じです。ところが,彼女は,神の愛と知恵また公正さに対する不信の念が自分のうちに育つのを許しました。神が人間から何か良いものを奪っているかのように考えたのです。彼女は,「善悪の知識の木」とその実に関する神の律法を破り,それによって神の所有権と主権を侵しました。そして彼女の説得のもとに夫もそれに加わりました。

      不忠節の結果

      わたしたちは,自分の時代の単純な行為が後に重大な結果をもたらし得ることを知っています。建物を建てるさい,比較的小さな安全要素を扱う一人の人の不注意の結果,幾十人もの人の命が犠牲となるような惨事に至ることがあります。ダムの場合,同様の点に注意しないなら,それは決壊して壊滅的な洪水を引き起こすことがあり得ます。一人の為政者による一回の不正や腐敗の行為が,政府部内における悪行の連鎖反応を導くこともあります。それは大きな不正へと発展し,幾万,いえ幾百幾千万の人に害を与えます。

      わたしたちの最初の父親の,神に対する不忠節は,人類家族を罪と不完全さの中に投げ込みました。神のことばの中に記される避けることのできない定めはこうです。「神は侮られるようなかたではありません。なんであれ,人は自分のまいているもの,それをまた刈り取ることになるのです。自分の肉のためにまいている者は自分の肉から腐敗を刈り取り,霊のためにまいている者は霊から永遠の命を刈り取ることになるからです」。(ガラテア 6:7,8)人類の父祖アダムは,霊的な関心事よりも肉の欲望を優先させました。今日,世界的な物質主義の波が,神の導きや霊的な物事に対する人々の関心をほとんど押し流してしまっているのと同じです。アダムは不完全さと腐敗を刈り取り,それが子孫に伝わることを避けられません。神の霊感のことばはローマ 5章12節でこう述べています。「それゆえ,ひとりの人を通して罪が世に入り,罪を通して死が入り,こうして死が,すべての人が罪を犯したがゆえにすべての人に広がった」。

      今日,不道徳な行為を自ら行なって性病になり,あるいは麻薬中毒の結果染色体を損傷する人は障害を持つ子どもを生み出すことになります。その人が子孫にもたらす苦しみに配慮を払わなかったからといって,そのゆえに神を責めることはできません。同じように,わたしたちの最初の父親の配慮の不足とその結果を神のせいにすることはできません。霊感を受けた記述者は,責任がどこにあるかを示してこう述べています。「見よ! ただわたしはこのことを見いだした。まことの神は人を方正な者に造られたが,人は自ら多くの計画を探り出した」― 伝道 7:29,新。

      しかし,人類の苦悩の始まりについて神に責任はないとはいえ,なぜ神はそれを今までに終わらせなかったのですか。今日に至るまで待ってこられたその理由は,配慮のない態度の表われではなく,人類の永遠の益に対する真の配慮の表われです。その理由とは何ですか。

  • 長い期間,しかし必要以上に長いわけではない
    目ざめよ! 1975 | 1月8日
    • 長い期間,しかし必要以上に長いわけではない

      人類が神から独立して歩み始めて以来約6,000年経過しました。その何千年という年月の間に多数の人々が,戦争,飢きん,犯罪,不正行為などのためにどれほどの苦しみを味わってきたかは,想像することさえ困難です。

      人類のたどってきた道が聖書に示されている神のご意志に反するものであることを認めるとしても,次の質問は残ります。なぜ神は問題をこんなにも長い間放置していたのか。人間の苦しみを終わらせるためになぜもっと早く手を下さなかったのか。神の意志を行なおうとする人々までがほかの人々とともに苦しむのをなぜ許したのか。それには非常に重要な理由があります。

      解決しなければならない問題

      その理由というのは,解決しなければならない一つの問題が生じていたということです。エホバ神の宇宙家族の中で生じた反逆は,神の支配の正しさ

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