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何に動かされて決定を下しますかものみの塔 1969 | 7月1日
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が経験しているように,投獄や死に直面することがあっても,この体制下の政治問題で中立を保つ決意を守る覚悟がありますか。将来クリスチャンはみなこうした決定に迫られるでしょう。そしてそれは疑いもなく各人の永遠の福祉に影響するものとなるでしょう。
16 どうすれば,緊急の事態が生じた場合,まちがいなく正しい決定を下せるようになれますか。
16 そうした苦しい状況の下で,聖書に基づく賢明な決定を下す力と決意があるかどうかを疑問に思いますか。神のみことばをいま注意深く研究し,問題となる聖書の原則を識別して初めて,そうした危急の際に正しい決定を下せるのです。聖書はエホバの知恵の宝庫であり,また,常に正しい決定を下したかたであるキリスト・イエスの模範を学び,その影響に浴せる完全な資料です。また聖書には,初期クリスチャンが当時の諸問題に対処し,エホバ神の反対者からの影響に耐えた,励みを与える手本がしるされています。彼らはキリスト・イエスと同様,神の律法とご要求を事前に調べていたため,清い崇拝を守る正しい決定を下せました。問題が起きて決定を迫られた時,彼らはなすべきことを知っており,またエホバの霊に助けられ,信仰と勇気をもって事を運びました。―ルカ 4:1-12。
17 (イ)今日わたしたちが直面する諸問題は初期クリスチャンのそれとどのように似ていますか。(ロ)将来の決定に前もって備える人は,どのように正しい感化を得ることになりますか。
17 今日わたしたちが直面する諸問題,つまり家庭問題,中立や血の問題,そして文字になったみことばを人々が理解するのを助ける,神のわざに自分の時間をささげる際の問題などは,基本的に言って初期クリスチャンの直面したものと同じです。したがってその解決策も同じです。神のみことばは決して変わらず,またその原則も当時と同じだからです。それで聖書に収められているエホバの御心に関する正確で完全な知識を取り入れ,そうした知識を吟味し,かつ,生じ得る種々の状況の下で何をすべきかについて前もって決定しておけば,信仰をくつがえそうとしてわたしたちに及んでくるさまざまな影響力から自分の信仰を守れます。エホバは次のように述べて,この点を指摘しておられます。「将来,賢い者となるため,助言に耳を傾け,懲らしめを受け入れなさい」― 箴言 19:20,新。マルコ 1:17-21。ヨハネ 18:36。使行 15:28,29。
決定を下すのに益となる健全な影響
18 決定を下す際には,まずどんな段階を踏むべきですか。
18 重大な決定を下す場合にはたいてい事情を慎重に考慮する時間があります。それで重大な決定に直面したなら,問題を左右する聖書の原則が何かを,時間をかけて考え,またそれらの原則を現状にあてはめて考えてください。そして,「キリスト・イエスならこのような状況の下でどのように事を運ばれただろうか」と自問してごらんなさい。このように自問すれば,感情にとらわれずに事態を考慮でき,しばしば答えが明らかになります。このような仕方で考えれば,神のみことばと御子の忠実な模範に動かされて決定をすることがでます。
19 決定を下す際にエホバの組織はどのようにわたしたちの助けとなりますか
19 またわたしたちは,「忠実なさとい奴隷」級に導かれる,エホバの組織に動かされて,あらゆる決定を下すべきでしょう。ではどうすればその健全な影響を受けられますか。わたしたちの決定がどんな問題に関するものであれ,ものみの塔聖書冊子協会の聖書関係の出版物を個人的に調べることによって,そうすることができます。そうする人は,関係している聖書の原則が何か,またそれが生活にどうあてはまるかをいつでもよく理解できます。
20 人を動かして正しい決定をさせるようにするためエホバは会衆を通してどんな備えを設けておられますか。
20 助言と助けを求めることのできる別の源は仲間の円熟したクリスチャン兄弟たちです。監督や会衆内の任命された他のしもべたちは,エホバに対する崇拝でわたしたちを助けるためのエホバの備えです。最後の決定を下す責任はわたしたちにありますが,その助けを得て,関係している原則を見定め,またそれらの原則を守るのに必要な励みも得られます。それは良い影響になります。―ガラテヤ 6:5。
21 決定を下すのに祈りはなぜ肝要ですか。
21 また祈りを通してエホバ神に近づき,下さねばならない決定について祝福と導きを願い求めるのは肝要なことです。パウロはこう勧めています。「何事をも思ひ煩ふな,ただ事ごとに祈をなし願をなし,感謝して汝らの求を神に告げよ。さらばすべて人の思にすぐる神の平安は汝らの心と思とをキリスト・イエスによりて守らん」。(ピリピ 4:6,7)聖書はいろいろな問題に関するエホバのお考えを示し,わたしたちに必要な導きを与えますが,そのものずばりの“はい”あるいは“いいえ”式の答えをいつも与えるわけではありません。また,当面の問題に対する明快な答えに接して,正しく事を運ぶ以上の力を必要とする場合もあります。これは祈りをすべき時です。エホバはわたしたち各人に関心を持ち,祈りを通して願い求めるようにわたしたちを招いておられます。それでわたしたちがそうするとき,確かに『神の平安がわたしたちの心と思いとを守る』でしょう。そうです,わたしたちはエホバ神に動かされて正しい決定を下せるように祈り求めることができるのです。しかしそれとともに,神のみことばを調べることを忘れてはなりません。神の答えはたいていそこにあるからです。
22 わたしたちはどんな不健全な影響力から自分を守らねばなりませんか。なぜですか。
22 今は危急な時代であり,わたしたちはみなさまざまな決定を下さねばなりません。献身したわたしたちとエホバとの関係や,わたしたちの永遠の将来にかかわるむずかしい決定もあります。老若を問わず,この世の人々との不必要な交わりを退けてください。エホバの御心を行なうためのさまざまな決定をこの世とその精神に左右させてはなりません。ヨハネのしるした次のことばを心に留めてください。「おほよそ世にあるもの,すなはち肉の欲・眼の慾・所有の誇などは,御父より出づるにあらず,世より出づるなり。世と世の欲とは過ぎゆく,されど神の御意をおこなふ者はとこしへにとどまるなり」― ヨハネ第一 2:15-17。
23 何に動かされて生活上の決定を下すべきですか。
23 決定を下す必要に直面したなら,神のみことばに動かされるようにし,関係している原則を見分けるため,みことばを注意深く調べてください。また,当面の問題に関し神がご自分の組織を通して与えておられる助言を注意深く考慮し,円熟した兄弟たちの助けと感化とを求め,さらに祈りを通してエホバの影響を仰ぎ,そして献身した自分とエホバ神との関係をいつも考えてください。そうです。これらの事柄に動かされて生活上の決定を下すべきです
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偏見を取り除くものみの塔 1969 | 7月1日
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偏見を取り除く
★ アフリカのリオ・ムニでのこと,ある町の郵便局で一人の老人は封書を書留にしようとしていました。しかし彼は,用紙に記入することができなかったので,他の人々に助けてほしいと頼みました。しかしどの人も忙しいと言って断わりました。それで一兄弟はその老人に近づき,「お手伝いしましょうか」と言いました。助けてくれる人を見つけた老人はとても喜びました。その兄弟が記入し終えた時,窓にいた局員は,あなたはエホバの証人ではありませんかと尋ねました。それで兄弟は「このようなことをする人はエホバの証人だけですか」と言いました。その男の人は「そうです,実はここにいる私たち全部の者は老人の頼みを断わりましたが,あなただけが彼の頼みを聞き入れました。今の世の中でそのような態度を取るのはエホバの証人だけです」と答えました。「おっしゃるとおり,私はエホバの証人です」と兄弟は述べました。その老人は郵便局での用事をすませ。それから家に帰ってエホバの証人のりっぱなふるまいについて語りはじめました。それでこのことは,これまで伝道がむずかしかったこの地域内での偏見を取り除くのに大いに貢献しました。
― エホバの証人の1969年度年鑑より
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