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全人類のための書物ものみの塔 1975 | 6月1日
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指針を与える書物であるとの確信をいだいています。そのような人々の確信は正しいものでしょうか。聖書は単なる古代の賢人の創作にすぎないでしょうか。それとも,人間よりも高い源に由来する書物でしょうか。現在の生活から最善の益を享受し,またあなたご自身とあなたの愛しておられる人々の将来の安全を図るのに聖書は役だつでしょうか。
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聖書は単なる人知の所産ですかものみの塔 1975 | 6月1日
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聖書は単なる人知の所産ですか
多くの人々にとって聖書は単に昔の賢人が書き著わした書物にすぎません。しかし,それは聖書そのものが述べる事柄ではありません。聖書は神による霊感を受けて書き著わされた書物であることをはっきりと述べています。(サムエル後 23:2。テモテ第二 3:16。ペテロ第二 1:20,21)もしその主張が真実であれば,聖書は当時の賢人の単なる創作ではあり得ないことを納得させるに足る証拠が聖書の随所に見いだされてしかるべきでしょう。
そのような証拠がありますか。聖書に収められている知識は,古代の他の文献が同様の問題に関して述べている事柄と比べて勝っていますか。聖書はそのさまざまの部分が書き記された時代に支配的であった間違った見解の影響を免れているでしょうか。現代の知識に照らして調べるなら,聖書はどのように持ちこたえるでしょうか。
地球に関する知識
今日,わたしたちは地球が何ら物理的支えのない所に置かれていることを事実として知っています。しかし,聖書のより古い箇所が書かれていた当時の一般の人々は,このようなことを信じてはいませんでした。当時一般に受け入れられていたある考え方によれば,地球は巨大な海ガメの上に立っている四頭の象に支えられた円盤状のものとして描写されています。
聖書はそのような考え方の影響を受けましたか。いいえ,受けませんでした。ヨブ記 26章7節にはこう書かれています。「[神は]北の天を虚空に張り 地を物なき所に懸けたまふ」。この正確な陳述は,長いあいだ聖書学者たちに感銘を与えてきました。そのような学者の一人であるF・C・クックは19世紀に次のように書きました。「聖書はあらゆる異教徒の間に広く行き渡っている迷信に対して異様なまでに強力な抗議を行なっている……ヨブは広大な地球を支えている堅固な土台については何も知らない。ヨブが天文学によって証明された真理,つまり地球が無の空間に自然に釣合いを保ってかかっていることをどのようにして知り得たかは,聖書が霊感の所産であることを否定する人々にとって容易には解けない疑問である」。
聖書に収められている地球に関するこのような情報は,総合的な音信からすればごく付随的なものにすぎません。聖書のおもな目的は,神のご意志と調和した生活をするための健全な導きを与えることです。ですから,論理的に言って,聖書の述べる事柄は,聖書に従わない不完全な人間が指針としてこれまでに勧めてきた,また今後も勧めてゆく事柄よりはるかに優れているはずです。
医学的にも健全な事柄
一例として,約3,500年前にモーセを通してイスラエル国民に与えられた律法を取り上げてみましょう。その律法の目的の一つは,イスラエル国民の健康と福祉を守ることでした。律法を従順に守るなら,イスラエル国民は健康の面でも無事に過ごせることが約束されていました。(出エジプト 15:26,レビ 26:14-16と比較してください。)それは根拠のない約束でしたか。それとも,モーセの律法の定める処置は確かにその点で寄与するものでしたか。
律法がイスラエル民族に与えられた後でさえ,医学上の種々の概念に関しては当時の大文明国と言えどもさほど進歩してはいませんでした。フランスの医師で学者でもあるジョージ・ルーは,次のように書いています。「メソポタミアの医者の診断と予後は,迷信と正確な観察とを折衷させたものであった」。エジプトの医者とその治療法についてはこう記されています。「現存する古代医学に関するパピルス写本の最大のものはエベルズ写本であるが,それらの写本によれば,当時の医者の医学知識は純粋に経験に基づくもので,おおむね魔術的で,全く非科学的なものであることがわかる。十分の機会があったにもかかわらず,人体解剖学については無知同然であった」― 国際標準聖書百科事典,第4巻2393ページ。
エベルズ写本に収められている処方のほとんどが無価値であるばかりか,その多くはかなり危険なものです。人間や動物の排泄物の使用が関係する治療法については特にそう言えます。かさぶたがとれたのちの傷口を治療するのに,人間,それも写字生のふん便を新鮮な牛乳とよく混ぜ合わせたものが湿布剤として用いられました。とげを抜く手当ての一つとしてはこう記されています。「虫の血,それを煮て,油を入れてつぶす。モグラ,それを殺して煮て,その汁をこして油と混ぜる。ロバの糞,それを新鮮な牛乳と混ぜ合わせて傷口に塗る」。こうした糞の使用は,傷をいやすどころか,破傷風あるいは咬痙を含め,さまざまの危険な伝染病を引き起こす恐れがありました。
モーセの律法の規定は,エベルズ写本に見られるようなまちがった概念の影響を受けてはいません。たとえば,モーセの律法によると,人間の排泄物は汚れたもので,人の目につかないように埋めるよう指示されていました。軍隊の野営地に関する規定は次のように明確に述べています。「あなたはまた陣営の外に一つの所を設けておいて,用をたす時,そこに出て行かなければならない。また武器と共に,くわを備え,外に出て,かがむ時,それをもって土を掘り,向きをかえて,出た物をおおわなければならない」。(申命 23:12,13,口語)神はモーセを通して律法をイスラエル人にお与えになりましたが,そのモーセが「エジプト人の知恵をことごとく教授された」ことを考えると,モーセの律法とエジプト人の行なっていた事柄との相違には実に驚くべきものがあります。―使徒 7:22。
もしモーセの律法のある種の規定の背後にある優れた知恵が,もっと最近の何世紀間かに認められていたなら,一命を取り留め得た人は少なくなかったでしょう。わずか百年前のことですが,ヨーロッパの医学には健全な衛生水準が何もなかったため,死亡率は恐るべきものでした。多くの産科病棟では4人につきおよそ1人の産婦が産褥熱のために死亡しました。なぜですか。それは医学生たちが解剖室で死体を取り扱ったのち,手を洗わずにそのまま産科病棟に行き,種々の検査を行なったためでした。死体の病菌が生きている人に伝染したのです。この点に気づいたオーストリア,ウィーンの産科診療所のゼンメルワイス博士は,種々の検査を行なう学生に漂白粉の溶液で手を洗うよう指示したところ,産科病棟の死亡者は著しく減少し,4人につきおよそ1人であった死亡率が,80人につきおよそ1人の割合になりました。
後日,ゼンメルワイス博士は生まれ故郷のハンガリーで仕事をし,その消毒方法は政府によって認められました。とはいえ,全体としてヨーロッパ医学界は手を洗うことに反対でした。ウィーンの医学雑誌の編集者は,「漂白粉の溶液で手を洗うなどというこんなばかげたことはやめるべき」時が来たとまで酷評しました。1861年,ゼンメルワイス博士は自分が発見した事柄や消毒方法に関する記録を出版し,後にその書物を著名な産科医や医学協会に送りましたが,医学界は好意的な反応を示しませんでした。ドイツの医師や自然科学者の会議では大抵の講演者はゼンメルワイスの健全な医学上の意見を退けました。
19世紀のヨーロッパの医者や科学者たちは自らを学識ある者と考えていました。ところが,確かにそれとは気づかずに,何千年も前にモーセの律法の衛生に関する規定に明らかに示されている,優れた知恵を退けていたのです。その律法によれば,死人に触れた者はだれでも汚れた者となるので,その人は体や衣服を洗うことを含め,清めの処置を講じてもらわなければなりませんでした。汚れた状態の期間は七日間と定められており,その期間中汚れた人は他の人との身体的接触を避けなければなりませんでした。はからずもだれかに触ったなら,相手の人はその日の晩まで汚れた者とされました。こうした処置は,危険な病菌が死人から生きている人へ,またある人から別の人へと伝染するのを防ぐのに役立ちました。―民数 19:11-22。
もし前世紀の医学界がモーセの律法を神からのものと見なしていたなら,どれほど多くの人の命を救い得たかを考えてみてください。もしそのように見なしていたなら,生きている人や死んだ人を扱う際,医師ははるかに大きな注意を払っていたに違いありません。
ある分野では,聖書の述べる事柄の背後にある知恵が最近になってやっと認められるようになりました。その適例は,アブラハムに与えられ,後にモーセの律法の中で再び繰り返された割礼に関する命令です。それによると,生後八日目になるまでは男の赤子には割礼を施してはなりませんでした。(創世 17:12。レビ 12:2,3)しかし,八日目というのはどういうわけですか。
今では,八日目を最適とする医学上の確かな根拠のあることが知られています。生後五日ないし七日目になるまでは,赤子の体内では「ビタミンK」として知られる凝血素は正常な量に達しません。また,血液凝固に不可欠なもう一つの要素であるプロトロンビンの濃度が八日目には幼児期中のどの時期よりも高まるようです。こうした証拠に基づいて,ある大学の医師であるS・I・マクミランは,「割礼を施す理想的な日は八日目である」と結論しています。―「こんな病気はもうたくさん」,22,23ページ。
そのような理想的な日が選ばれたのは,単なる偶然ですか。他の民族も長いあいだ割礼を施してきましたが,聖書の影響を受けた人たちだけが男子の赤子に生後八日目に割礼を施したことで確かに知られているということは注目に価します。であってみれば,人間の創造者がその日を定められたとする聖書の説明を受け入れるのは理にかなったことではないでしょうか。それこそ,その律法を従順に守れば健康を維持するのに役立つと言われた方に期待してしかるべき事ではありませんか。
確かに聖書には目ざましい知恵の言葉が収められているということは否定できません。聖書が単なる人知の所産ではあり得ないことを示す明らかな証拠が確かにあります。聖書には,それが書かれた時代の世の賢人のあずかり知らない知恵を示す言葉が収められているのです。しかもなお,聖書が神からの書物であることを明らかにする,さらに強力な要素があります。それは何ですか。
[325ページの図版]
人間が宇宙空間から地球を眺めるよりもはるかに遠い昔に聖書は,『地は物なき所にかけられた』と述べていた
[327ページの図版]
医学界が聖書を信じていたなら,多数の母親は命を失わずにすんだであろう
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人間には知ることのできるはずがない知識ものみの塔 1975 | 6月1日
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人間には知ることのできるはずがない知識
「あなたがたは,あす自分の命がどうなるかも知らないのです。あなたがたは,少しのあいだ現われては消えてゆく霧のようなものだからです」。聖書にあるこのことばは否定することのできない事実を述べています。つまり,わたしたち人間には明日の事も確かにはわからないということです。―ヤコブ 4:14。
このことを考えれば,人間が将来の大きな出来事を誤ることなく正確に,しかも明白なことばで何世紀も前に予告するのははるかに難しい,いや不可能なことではないでしょうか。このような予告つまり預言が聖書にあるとすれば,聖書を神の霊感によるものとする聖書のことばは確かに裏づけられるのではありませんか。では,そのような預言が聖書にありますか。考えてみてください。
バビロンとニネベの滅び
ユーフラテス川の両岸に建てられたバビロンは,かつて大バビロニア帝国のみごとな首都でした。やしの木に囲まれたこの都は耐久的な水道を設備し,ペルシャ湾から地中海に至る通商路に位置していたので絶好の地の利を占めていました。それにもかかわらず,ヘブライ人の預言者イザヤは,バビロンがアッシリア帝国の単なる衛星国から,世界を征服したバビロニア帝国の首都へと発展を遂げる以前にさえ,すなわち西暦前8世紀に次のことを宣言しました。「国々の誉であり,カルデヤびとの誇である麗しいバビロンは,神に滅ぼされたソドム,ゴモラのようになる。ここにはながく住む者が絶え,世々にいたるまで住みつく者がなく,アラビヤびともそこに天幕を張らず,羊飼もそこに群れを伏させることがない」― イザヤ 13:19,20,口語。
今日このことばの成就はだれも否定できません。すでに何世紀もの間バビロンは廃虚となっています。春になっても羊ややぎの食む草はなく,したがって動物のそのような姿も見られません。バビロンの栄光は消えうせました。フランス国立博物館のアンドレ・パロ館長は次のように述べています。
「私がいつでもそれから受ける印象は,全くの荒廃というにつきる……[観光客は]たいていの場合すっかり失望し,ほとんど口をそろえて何も見るものがないと言う。彼らは宮殿や寺院そして『バベルの塔』が見られると期待しているのである。彼らが見せられるものは廃虚の山にすぎない。その大部分は焼いたれんが ― つまり天火で乾かした粘土のブロックである。灰色をしたそれらのれんがは朽ちてくずれかけており,とても感銘を与えるようなものではない。人間の手による破壊に自然界の力が加わって崩壊を完全なものにした。自然界の力は,発掘によって日の目を見たすべての物を今なお浸食しつつある。最もすぐれた遺物でさえも修理を怠るならば,風雨や霜などによって浸食されたり,徐々に破壊されたりして,それを掘り出したところにあった元の土にもどってしまうであろう……絶え間ないこの浸食を食いとめることは人間にはできない。バビロンの再建はもはや不可能である。その運命はすでに定まった……バビロンは完全に消滅した」―「バビロンと旧約聖書」,13,14ページ。
同様に,アッシリア帝国の首都ニネベも荒廃して廃虚と化しました。この事も聖書預言の正確な成就を証明しています。ニネベがどうなるかについて,預言者ゼパニヤは西暦前7世紀に次のことを述べました。「[神は]ニネベを荒して,荒野のような,かわいた地とされる。家畜の群れ……はその中に伏し……」― ゼパニヤ 2:13,14,口語。
この預言に表明された神のご意志が成し遂げられたことを示す証拠は,今なお存在しています。かつての誇り高いアッシリアの首都の跡を示しているのは,今日そこにある二つの大きな丘です。その一方は頂上に村があり,村には墓地と回教寺院があります。しかし他方には,いくらかの草とわずかな耕地のほかには何もありません。春になると,そこには草を食む羊とやぎの群れが見られます。
強大なバビロンとニネベが共にこのような終わりに至ることを人間が予見し得たでしょうか。古代ニネベの跡には草を食む羊とやぎの群れが見られ,荒廃したバビロンの跡にはそれが見られないのを人間が予見することなどあり得るでしょうか。イザヤにしてもゼパニヤにしても,その預言的音信が自分自身から出たものであるとは主張していません。彼らは,その語ったことがエホバというお名前を持たれる真の神の音信つまり「言葉」であると述べています。(イザヤ 1:1,2; ゼパニヤ 1:1,口語)彼らの預言がまさしく成就したのを見るとき,彼らの語った事を受け入れるのは理にかなっていないでしょうか。
書かれた時期あるいはそれに類する事柄の論議も,これら成就した預言の力を弱めるものではありません。昔の栄光を失ったとはいえ,バビロンは西暦前1世紀に至るまでもなお存在していました。そうであるのに,イザヤ書の死海写本(学者によれば西暦前2世紀の終わりか1世紀初めのものとされている)には,後代の写本と同様,バビロンに関するこの同じ預言が含まれています。ゆえにこれらの事をその起きたあとに記録して預言のように見せかけたという説には,全く根拠がありません。また,バビロンとニネベが荒廃に帰したことも,言い抜けることのできない事実です。
聖書預言は独特で,目的を持つもの
もちろん,ある人々は聖書預言の明白に示す事柄を正当に評価せず,昔の預言者のある者たちは聖書の神エホバの霊感を主張していないことを指摘します。しかしそのような他の預言者が予告したのはどんな事ですか。彼らの預言は実際にどんな価値がありましたか。アメリカナ百科事典(1956年版22巻664ページ)の述べる事柄に注目してください。「ヘブライ人のものを別にすれば,これら預言者たちのだれにしても,その語った事柄の,現存する記録に見るべきものはひとつもない。……ヘブライ人以外の諸民族に見られる預言は,個人の特定な質問に答えたもので,おおむね千里眼のたぐいのものである。したがって,一般的また永続的な価値を持たない」。それで他の預言者の存在にしても,ヘブライ人預言者が神からの霊感を受けたという事実をなんら疑わせるものではありません。むしろそれとは反対に,預言の内容が著しく対照的であることは,聖書がその述べるとおり神の音信であることをいっそう明らかに物語っています。
そのうえ聖書に記録された預言には,はっきりした目的がありました。道徳上の正しい道を乱した罰として滅びが臨むことを指摘している場合でさえ,神の霊感の預言は人々と国民がその道と行ないを反省して改め,災いをまぬかれる機会を与えています。これは,前もって公に告げられた神の裁きのすべてについて言えることです。神が預言者エレミヤによって言われたことばからもそれは明らかにわかります。「ある時には,わたしが民または国を抜く,破る,滅ぼすということがあるが,もしわたしの言った国がその悪を離れるならば,わたしはこれに災を下そうとしたことを思いかえす」― エレミヤ 18:7,8,口語。
西暦前9世紀のニネベに向けられたヨナの預言は,そのことを示す例です。彼は町中をめぐり,「四十日を経たらニネベは滅びる」と告げました。(ヨナ 3:4,口語)この音信はニネベの人々の心を強くうったので,彼らは自分たちの悪を悔い改めました。王はみずから荒布を着,すべての住民と家畜が断食して荒布を着るべきことを布告しました。ニネベ人は悔い改めたゆえに,さもなければ定められた40日の期間の終わりに臨んだはずの災いをまぬかれたのです。―ヨナ 3:5-10,口語。
この点を示す別の例は,エルサレムとその神殿が,イエスのことばを聞いた世代の人々の生涯中に滅びることを予告したイエス・キリストの預言です。その預言は,積極的に行動して逃れる道をはっきり指摘していました。イエスは弟子たちにこう告げました。「また,エルサレムが野営を張った軍隊に囲まれるのを見たなら,その時,その荒廃が近づいたことを知りなさい。その時,ユダヤにいる者は山に逃げはじめなさい。都の中にいる者はそこを出なさい。町外れにいる者は都の中に入ってはなりません」― ルカ 21:20,21。
イエスの弟子たちは,この預言的なことばに従って行動することがどうしてできましたか。人間の考えからすれば,いったん敵の軍勢に包囲されたエルサレムから逃げ出すことはとうてい危険で不可能だったでしょう。(しかし1世紀のユダヤ人の歴史家ヨセフスの著作からうかがわれるように,全く予期しない事態の発展によって逃れる道が開かれました。
ケスチウス・ガルスの率いるローマ軍がエルサレムに攻めて来たのは,西暦66年のことでした。都がローマ軍の手に陥ることは確かのように思われました。しかし不可解なことに,ガルスは都の陥落まで包囲を無理につづけませんでした。ヨセフスの伝えるところによれば,彼は「突然に攻撃を中止させ,なんらの敗退もこうむっていないのに攻略をあきらめた。そして全く理屈に合わないことに都から撤退した」のです。イエスの預言を信じた人々は,こうした形勢の異常な変化によって,エルサレムとユダヤを見捨て,ヨルダン川の東の山地に安全を見いだすのに必要な機会を与えられました。
しかし,イエスの預言に少しも注意しなかった人々はどうでしたか。彼らは重大な苦難の時を経験することになりました。西暦70年の過ぎ越しの時期に,このたびはティツスに率いられたローマ軍が再び来てエルサレムを包囲しました。攻囲の期間は5か月に満たなかったものの,その結果は恐るべきものでした。都は過ぎ越しを祝う人々でこみあっており,しかも食糧を町に持ち込む道が絶たれたので恐ろしい飢餓の状態が出現しました。攻囲の最中に死んだと伝えられるおよそ110万人のうち,その大多数は疫病と飢餓の犠牲者でした。(戦いが始まってから終わるまでに)捕虜となった9万7千人ははずかしめられました。多くの者はエジプトやローマで重労働に服させられ,他の者たちはローマ諸州の闘技場で死に渡されました。17歳以下の者は売られ,いちばん背が高く,また容ぼうの美しい若者たちは,ローマ人のがいせん行進のためにわけられました。
エルサレムとその神殿は灰じんに帰し,立っているものといえば西の城壁の一部と三つの塔を残すのみでした。「都を囲んでいた城壁の他の部分はすべて完全にくずされたので,その場所を訪れる人は,そこにかつて人が住んでいたことを信じられないであろう」とヨセフスは書いています。
都がそれほど完全に破壊されたことは注目に値します。なぜですか。なぜなら,それはティツス将軍の意図ではなかったからです。歴史家ヨセフスは,ティツスがユダヤ人に語った次のことばを引用しています。「全く不本意ながら私は城壁にまで兵器を進めた。私は血にうえかわく兵士たちをおさえた。勝利のたびごとに,私はそれが敗北であるかのように休戦を訴えた。神殿の近くにまで迫った時,私は勝者の権利をふたたび故意に放棄して,諸君に開城の自由と安全の保証を与え,あるいは諸君が望むならば他の場所で戦う機会を提供し,こうして諸君自身の聖域と聖所を救うように訴えた」。しかし,おそらくはティツスの初めの意図であった事に反するにもかかわらず,エルサレムとその神殿にかかわるイエスの預言は成就したのです。「彼らは……あなたの中で石を石の上に残したままにはしておかないでしょう」― ルカ 19:44; 21:6。
西暦70年にエルサレムの攻略に成功したことを記念するティツスの凱旋門は,今日に至るまでローマの都に見られます。聖書に記録された真の預言の警告を無視することが災いをもたらすことを,この門は無言のうちに思い起こさせてくれます。
イエス・キリストはその預言した事柄がご自分から出たものであるとは主張していないことにも注目してください。イエスは彼以前のヘブライ人預言者たちと同じく,霊感の真の源が神であることを認めていました。あるとき,イエスはユダヤ人たちにこう語られました。「わたしの教えはわたしのものではなく,わたしを遣わしたかたに属するものです。だれでもこのかたのご意志を行なおうと思うなら,この教えについて,それが神からのものか,それともわたしが独自の考えで話しているのかわかるでしょう」。(ヨハネ 7:16,17)イエスの預言的なことばの成就は,それが神の「言葉」であることの証拠と言えるでしょう。
聖書預言から今日,益を得る
過去において預言のことばに一致して行動したことが多くの場合,生命を救う結果になったという事実は,今日,預言を考慮することの重要さをたしかに強調しています。何世紀も前に記録されたとはいえ,これから成就する預言が数多くあり,したがって積極的な行動が必要です。それらの預言には,あらゆる腐敗,不正,圧制の終わりの近いことを告げる預言が含まれています。
エルサレムと荘厳なその神殿の滅びを預言したイエス・キリストこそ,現在の邪悪な事物の体制からの大いなる救い,すなわちキリストの弟子たちがこの時代に経験する救いについて預言したかたです。その救いが近いことを示す情勢の変化について言えば,イエスはきわめて暗い,荒涼とした時勢を暗示しています。それはあたかも太陽,月,星が光を放つのをやめ,暗やみにおき去りにされた人間が手さぐりするような状態です。(マタイ 24:29)イエスは言われました。「地上では,海のとどろきとその動揺のゆえに逃げ道を知らない諸国民の苦もんがあるでしょう。同時に人びとは,人の住む地に臨もうとする事がらへの恐れと予想から気を失います」― ルカ 21:25,26。
このすべての事が起きている最中にも,イエスの追随者は,希望を失いはて絶望してうなだれる必要を感じないでしょう。イエスは次のようにことばをつづけました。「しかし,これらの事が起こり始めたなら,あなたがたは身をまっすぐに起こし,頭を上げなさい。あなたがたの救出が近づいているからです」。ついでイエスはたとえによって論点を説明し,こう言われました。「いちじくの木やほかのすべての木をよく見なさい。それらがすでに芽ぐんでいれば,あなたがたはそれを観察して,もう夏の近いことを自分で知ります。このように,あなたがたはまた,これらの事が起きているのを見たなら,神の王国の近いことを知りなさい」― ルカ 21:28-31。
今日,世界の動きに気づいている人々が前途にあるものを非常に恐れているのは事実ではありませんか。人口過剰,食糧不足,犯罪と暴力,土地と空気と海洋の汚染そして経済の不安定は,人々と国家が首尾よく対処することのできない,ますます重大な問題となっていませんか。第1次世界大戦の勃発以前において,人類がこれほど多くの問題に直面した時がはたしてあったでしょうか。したがって,わたしたちの生きている時代は,イエスが預言した,みぞうの恐れと困難の時代であるに違いありません。そのことを示す明白なしるしがあると言えないでしょうか。確かに言えます!
これは,神の王国による大いなる救いがきわめて近いということです。聖書の預言によれば,その王国とは正義の政府であって,この地からあらゆる腐敗の源を除き去り,真の平和と安全の時代を招来します。―ダニエル 2:44。ペテロ第二 3:13。
あなたはこの王国のことをもっと学び,またどうすれば王国のもたらす大いなる解放にあずかる人のひとりになれるかを学ぶことができます。聖書はあなたがそうすることを可能にするでしょう。預言の正確な成就から明らかなように,聖書は全人類に対する神の音信として信用することのできるものです。もちろん,あなたはイエスの,不信仰な同国人のようになりたくはないでしょう。彼らは預言のことばに一致して行動しさえすれば,西暦1世紀に災いをまぬかれることができたのです。確かに,これはあなたご自身とあなたの愛する人々の安全かつ幸福な将来につながる事柄ですから,それについてよく知るためにいくらかの時間をとり,積極的に行動するならば,これにまさる時間の使い方はあり得ません。
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