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  • その2 小規模な開始(1879-1889年)
    ものみの塔 1955 | 7月15日
    • 寄せた。協会はこれらに衷心からの感謝をささげている。(他からも同様な申込をうけて迷惑をうけないように,我らはその新聞社の名前の発表を避ける)

      この驚くべき程大規模な業を,更に説明している言葉は次の通りです。

      『ほんの僅かな小規模な始まりを持つていた小冊子の仕事は,120万冊という尨大な規模にまで拡大した。……幾百という男,女が準備と配布に動員された。ロンドン(英国)では500の少年が,又ニューヨークでは300名が ― その他の都市ではそれぞれの数の者が,働いていた。この配布は大都市に於いて日曜日に教会の戸口で行われた。』

      また1881年には,欧洲へ伝道の業を押し進めるため二人の兄弟が英国に送られました。彼らはロンドンに於いて10万冊の小冊子を配布し,スコットランドのグラスゴウ,エデインバーグ,デユンデー,及びアバーデインでは6万5000冊が配布されました。(次号に続く)

  • 忠実を保つ
    ものみの塔 1955 | 7月15日
    • 忠実を保つ

      『ヱホバは磐であられ,彼の業は完全,彼の道はみな公正であられる。ヱホバは誠実の神であられ,悪いところなく,全く正義公正な方であられる。』― 申命 32:4,新世。

      1 何がヱホバを知る者を幸福にしますか? 彼らは何をしますか?

      全宇宙の最高主権者であるヱホバを正しく知る人々は,なんと幸福な者でしよう。生きているすべてのものは,ヱホバの完全な行に無条件の讃美を捧げるべきであります! その人々は,むかしの詩篇記者のごとく感動して,歌を歌います。『あたらしき歌をヱホバにむかいてうたい,歓喜の声をあげてたくみに琴をかきならせ。ヱホバのみことばは直く,そのすべて行いたもうところ真実なればなり。ヱホバは義と公平とをこのみたもう。その仁慈はあまねく,地にみつ。』(詩 33:3-5)感謝の念を持つこれらの人々は,よろこんで『ヱホバの直きものなることを示し』ます。それは,多くの友なる人々が,ヱホバの聖なる御名に仕えて崇拝するようになり,みな永遠の福利を得るためです。―詩 92:15。

      2 ヱホバの特質は何ですか? 理智を持つ被造物は,なぜヱホバにひきつけられますか?

      2 ダビデは別のところで『ヱホバはめぐみ深くして直くましませり。』と証しました。(詩 25:8)霊感をうけてダビデの書いたものは,他のすべての聖書の言葉とともに一致しつつ,ヱホバの完全無欠さを非常に良く,表し示しています。ヱホバは,まつたく清くて,汚れなく,朽ちることなく,不純を持たず,誠実にして変らず,本当に正義に専念しておられる聖なる神と示されています。ヱホバの優越された特質を正しく述べることは,人間の言葉には到底及ばぬことです。ヱホバの目に見えぬ栄光ある御稜威の前にあつて,謙遜な心を持つ人が畏れ敬うのは全く当然なことであります。ヱホバは,全宇宙の家族に行わせるため,すばらしい原則や律法を与えましたが,彼らがそれらの原則に生活を一致させようと努め,ヱホバの御前に近づきたいという気持の起るのは全く当然であります。ヱホバは非常な力を持つ磁石のようであり,ヱホバと同様な気持を持つ被造物は,否応なくそれに引きつけられて行きます。

      3 どんな重要な面で,ヱホバは他の通称の『神々』と違うのですか?

      3 また,ヱホバは他のすべての神々となんとちがうのでしよう! それらの神々を崇拝する人間は,自分の神々をこう述べています。すなわち,その神々は,孤立して離れた,利己的な尊厳を保とうと欲し,また神秘で身をつつみ,崇拝者たちをなるべく遠ざけて,その偽りを知らせず発かれないようにしているというのです。ヱホバはそれらの神々とはちがい,熱心な努力を払つてヱホバを知り,ヱホバの考えと行に倣う者たちをよろこばれます。ヱホバの子供たちになろうと欲するすべての者にむかい,ヱホバはこう命じています『私は聖い故に,あなた方は聖くなければならない。』(レビ 11:44,新世)つまり,ヱホバの真の崇拝者たちは,ヱホバの直きに倣うよう努め,ヱホバおよびその友なる人とのすべての関係で,忠実を保たねばならぬということです。

      4 『忠実』の言葉を説明しなさい。その言葉は,ヱホバとその子たちに,どのように適用しますか?

      4 しかし,忠実とは何ですか? そして,被造物で成り立つ神の宇宙家族に肝要なこの特質を,私たちはどのように得て保つことができますか? ウエブスター国際辞典は,史実を定義してこう説明しています。それは,行状の正しいこと,道徳原則の健全,正直,誠実,損傷がなく,破れていない全きの状態,完全ということです。忠実(インテグリテイ)という言葉の構成を深く調べてみると,その構成部分は,否定のインと,『触る』を意味するラテン語の動詞タンゲレであると知ります。それから,忠実とは分裂や腐敗の影響によつて触れない,腐敗もうけない,害せられない状態であると知ります。私たちの神ヱホバは,忠実の神として,なんとすばらしく表し示されるのでしよう! 私たちが,もしヱホバのようになり,その子になるのにふさわしい者になりたいならば,その特質を養うことは,なんと大切で重要なものなのでしよう!

      5 神は人間に何を与えましたか? 人間が神のようになろうと努めるのは,なぜ適当なことですか?

      5 人間の創造を初めて考えられたとき,恵み深い神は,御自分の正義を反映するというすばらしい力を人間に与えようと決められました。神はこう言われました『私たちの像のように,私たちの状にしたがつて人間をつくろう。そして,人間は海の魚と天の飛ぶものと,家畜と全地と,そして地の上を匍うあらゆる匍うものを服従させよう。』小さい範囲を支配する人間が,天の御父の完全な模範を自分の行の型として,それに従うのは全く適当なことであります。御父については,こう言われています『ヱホバはそのすべての途にただしく,そのすべての作為にめぐみふかし。』― 創世 1:26,新世。詩 145:17。

      6 なぜ多くの矛盾や悪鬼的影響があるのですか? そしてその源は何ですか?

      6 その大にして完全な安定者,統合者がいないならば,この宇宙はなんという混乱に落ちこみ,矛盾する利害や悪鬼的な影響の非常な混乱になるかを想像してごらんなさい! 現実実際のこの全世界の文明は,ひどく腐敗してその忠節は分裂し,その考えは混乱を極めたものである故に,忠実の至上の神御自身「かげ」に追いやられ,人々は結集して,自分たちの状態を改善しようと人間および悪鬼の鼓吹する計画を行います。自己欺瞞の誇りと貪欲を起し,ヱホバへの正しい忠節を腐敗した最初の反逆者が,蛇を用い,完全なエバにむかつて,その気に入るように話したとき,このすべてのことは始まりました。『園にあるすべての木から食べてはならないと神が言つたのは真であるか? ……あなたは決して死なないであろう。それを食べたその日に,あなたの目は必らず開き,また必らず神のようになつて善と悪とを知るようになると神は知つているからである。』― 創世 3:1-5,新世。

      7 エデンの時とヨブの時代の両方の時における反逆者ケルブの目的をかんたんに示しなさい。

      7 ここに,創造者に対する最初の夫婦の忠実を揺がせようとする熟慮された働きをはつきり見ます。それは,彼らをして別の知識の言葉,別の『権威ある』言葉を聴かせよう,そしてその忠節を分裂させてしまい,創造者への確信と信頼をすつかりなくさせてしまおうということでした。彼らはサタンの腐敗を及ぼす影響をうけて,それに負けましたか,あるいは勇気をもつてサタンに対抗し,その創造者および保護者である方への全き献身を保ちましたか? エデンで起された論争は,その時以来まだなくなつたわけでなく,解決されていません。いまから約35世紀前のヨブの時に,誇り高ぶつた反逆者は,正義の人をヱホバの御座の前で非難し,ヨブはただ恩恵を求める人,つまりヱホバが善いものを与えたから神の取り極めに従うのであると述べました。

      8,9 (イ)ヨブになされた試験は何でしたか?(ロ)彼はどのように,その試験に適いましたか?

      8 それで,ヨブの忠実は試験されました。その富と資産は取りさられ,子供や家の僕たちは殺され,いやな皮膚病は頭から爪先までヨブの体を覆い,その妻と3人の偽りの友人は企みを図つて,唯一つ真の神の崇拝を否認させようとしました。悪魔がこれら人間の口を用い,その亡びの宣伝の言葉を述べさせたことは明白です。「このすべての苦しみから離れるための易しい道は,ただ神を呪つて死ぬだけである。それに,崇拝と献身を捧げても,それをうけるだけの値打は神にないのである。神は自分の造つたものに真実の愛を持たない無分別な独裁者である。」

      9 ヨブの忠実について,どう考えますか? 彼はその忠節に分裂しましたか? またこの世の神の投げかけた疑惑,不信,そして賢明な詭弁のために腐敗しましたか? 否,ヨブは,固い信念をもつてこう言いました『死にいたるまで,忠実を止めない。』『彼われを殺すとも,我は彼に依り頼まん。』(ヨブ 27:5,ア訳; 13:15)このきびしい試験が課される以前,ヨブはすでにヱホバの忠実な僕として有名でありました。いまやその試錬に勝利を得たヨブは,あらゆる良い完全な賜物の大いなる与え主から非常な祝福をうけました。ヱホバは,御自身の御名および正義のために苦しむ人をたしかに愛し,またそれらの人の故に幸福を感ぜられます。忠実の道,全き献身,創造者への信頼と従順の智恵の道であり,子供たちにたいするヱホバの父親のごとき諭しの言葉は次のようです。『わが子よ,智恵を得てわが心を悦ばせよ,さらば我を謗る者に我こたうることを得ん。』― シンゲン 27:11。

      10 サタンの策略は何ですか?

      10 大いなる誹謗者サタンは,被造物が直き路から離れるのを絶えず見守り,待つております。それによつて創造者の御名に投げかける嘲笑と非難を増し加えるためです。サタン自身,被造物のうちでも一番卑しいもの,すなわち地表を滑る蛇によつて表わし示されており,そして神のすべての被造物を誘惑して,ヱホバの崇拝と奉仕の正しい状態から引き離させようとしています。それがサタンの計画です。それで,最高者の僕たちにむかつて,あらゆる陰険な武器を用い,油断している人の心に小さな疑を導き入れるのに成功さえすれば良いと知つています。その疑は楔のうすい端のような役目をし,遂には人の持つ全き献身をこなごなに破つてしまうでしよう。

      11 忠実の人にたいして,ヱホバは愛の御心から,どのように備えを与えますか?

      11 これとは別に,この世およびその神の投げかけるあらゆる非難と苦難をうけても忠実を守る人々を見て,ヱホバは非常なよろこびを感じます。彼らはいまでもヨブのごとく,宇宙主権者にたいして汚れのない全き忠節を保つて歩んでいます。ヱホバは完全な御父であり,そのすべての息子および娘たちに対し,忠実の模範を示されています。それだけに止まらず,ヱホバは御親切にも御自分の御言葉,聖書の中に,すばらしい原則と特質についての知識の倉を準備され,それにより神を敬う人が十分の備えをうけて敵の攻撃をかわし,正義と真理にかたく立てるようにしています。同じ目的のためになされた別のすばらしい御準備は,この地上における愛された御子の完全な肉と血の人間としての模範であります。ヨルダン河の水辺における比べ物のない洗礼の時,御父の確信がなんとはつきり示されたのでしよう!『これは私の愛する子,私の心にかなう者である。』(マタイ 3:17,新世)まつたく,その時より幾世紀も昔に,キリスト・イエスに与えられた忠実の報は,詩篇記者の確信の言葉の中に述べられていました。『なんぢは義をいくつしみ,悪をにくむ。このゆえに,神なんぢの神はよろこびの油をなんぢの侶よりまさりて汝にそそぎたまえり。』― 詩 45:7。

      現在の私たちに対する意味

      12 むかし忠実を保つた人々の記録を考慮することは,今日なぜ重要ですか?

      12 しかし,今日1955年に生存している私たちに対し,忠実を守るということは,どういう意味を持つものですか? この質問に対する答は,昔の忠実な人の記録を調べるとき,明白になつてきます。大危難の時である現在に住む私たちが学べるために,神はその記録を特別に保存されて来ました。いま,ゴグはこの地の近くに限定された暗い活動の場所から,ヱホバ神およびその王キリスト・イエスに忠実を守る人々に対して前例のない程の残酷な運動を準備し,かつ指示しております。それで,昔の人のうけた試錬を簡単に考えてみるとき,その状態は今日現在の状態とどれ程類似しているかを悟りましよう。

      13 アベルの時の論争の問題,およびどのようにアベルがヱホバの恵みをうけるようになつたかを説明しなさい。

      13 アベルの場合に,清い崇拝は危険な状態でありました。アベルは,ヱホバ神の御旨にかなう犠牲について,何が要求されているかを知つていました。後にカインも知りましたが,彼は自分の仕方を行うのを好みました。その母は神のごとく賢明になろうとの野心を持ちましたが,カインもこの正しい崇拝の事柄について神の判断よりも自分の判断を大事にしました。しかし,そのような家族の環境の中にいて,アベルはどうしたか? カインの我儘な孤立の態度も,アベルの全身を害さなかつたのです。彼は自分の生命を失つたにしても,正しい崇拝をしつかりと守りました。―創世 4:1-15。

      14 エノクの行の中に,何が際立つて強調されていますか?

      14 伝道も又,忠実という分野で特別な貢献をなし,最終の成功を得させました。そのことは,エノクについての記録の中に述べられております。ユダの霊感の言葉によると,エノクは神に反対したその時の時代の者たちにむかい大胆かつ恐れなく話しました。自分が地上の大多数の人と調和していないということについて,エノクは殆ど気にとめなかつたのです。正義と真理を愛する彼の愛により,人間にたいするすべての恐れはことごとく取り除かれ,神の割当てた仕事を行う際に彼は力を得ました。(創世 5:18-24。ユダ 14,15)私たちも嘲笑をうけて憎まれている少数者であり,エノクと同じく伝道という割当をうけているのです。

      15 ノアがどのようにその忠実を表明したかを示しなさい。彼は何によつて,そうすることができましたか?

      15 尊敬する友そして師として,ヱホバ神とともに謙遜に歩き,またいつもヱホバ神と交りを持ちヱホバ神の道を熱心に学ぶことは,忠実を守るときに,決しておろそかにできない別の面であります。ノアの例を考えてごらんなさい。ノアについては『神と共に歩んだ』と証しされています。そして,その時代の全部の者が腐敗している中にあつて「欠点のない者」と証明したこの忠実な者に対して,ヱホバは何とすばらしく報われたのでしよう! 大いなる先生とともに歩き,またその下で熱心に研究することによつて,ノアは備えをすることができ,その時代の急速な道徳の衰退に対抗することができました。なお,その道徳は大洪水により亡ぼされ,終つてしまつたのです。―創世 6:8より7:24まで。

      16 アブラハムの経験に見られるごとく,従順は,忠実とどんな関係を持つものですか?

      16 忠実を保つ人にとつて,従順は是非とも必要な別の事柄であります。この面で,アブラハムは際立つた模範であると,すぐ心に浮んで来ます。アブラハムがカルデヤの地の人口の多いウルのぜいたくや,たのしみを拒否したことは疑いありません。しかし,それはほんの始まりだけだつたのです。続いてなされた彼の旅は,神が示された旅程にまつたく従つたものです。その旅により,アブラハムは無神の種族や異教の国々と絶えず接しました。しかし,彼は自分の神への従順を固く守つて,決して背かず,その忠実に悪い影響をうけたということを全然見せなかつたのです。そして,極度の試験は,ただ神に対する彼の健全な気持をたしかに立証したのみです。親としてのすべての愛を注いだ自分のただ一人の子すらもよろこんで殺そうとしたのです。というのは,生命を与えるのも取り去るのも,また死人を復活させて永遠の生命を与えるのも,それは神の大権であり力であると謙遜な心から認めたためです。―ヘブル 11:19。創世 22:1-19。

      17 忠実という大きな劇の中で,サラはどんな役を果しましたか?

      17 サラの例も,忠実という宝玉の輝しい別の面を良く表しているものです。老年でも子供が産れるという約束が言われたとき,たしかにサラは初め笑いました。しかし,霊感をうけた聖書記者はこう証しています。すなわち,サラは夫にいつも正しく従い,それが約束に関する最高主権者の言葉であると悟つたとき,『彼女は恐れました。』サラは神を恐れ,その恐れは真の知恵の基礎となりました。人間の知恵や考え方は,取り除かれました。その信仰は,勝つ力となり,老年の不妊をうち負かしました。創世 18:1-15; 21:1-7。ペテロ前 3:6。

      18 ヤコブはヤコブ書 5章10,11節で,忠実を守ることについてのどんな特徴を,強調しましたか?

      18 忠実の別の特徴は,忍耐です。ヤコブが友のクリスチャンたちに送つた書簡の中で次のように述べたとき,忍耐ということはなんと良く強調されているのでしよう。『兄弟たちよ,悪に苦しみ忍耐をしたということについては,ヱホバの御名によつて語つた予言者たちを模範としなさい。……あなた方はヨブの忍耐について聞き知つている。』(ヤコブ 5:10,11,新世)ヨブは何から忍耐の力を得たか,はつきり確めることができますか? ヨブが神の豊かな約束の成就を待ち望んだのは,強い希望以外の何に基いたのですか? 例えば,堪えがたい苦悶をうけたヨブの唇から洩れた次の言葉を考えてごらんなさい。『願くば汝われを陰府に蔵し,汝の怒の息むまで我を掩い,我ために期を定め,而して我を念い給え。人もし死なばまた生んや』(ヨブ 14:13,14)復活によつて生命は必らず得られるとヨブはかたく期待したために,忍耐を生じ,そして良く忍耐したことは次に彼の希望を強めました。私たちは神の御旨にかなつた型として,ヨブを模範にすべきであります。

      19 これに関連して,モーセのどんな特別の態度に,特別の注意を払うべきですか?

      19 悪魔がヱホバの僕たちに働きかけ,すこしの妥協をさせたり,その言葉や音信を緩やかにさせるのは,さして難しいことでありません。しかし,そのことは,モーセにあてはまりません。彼は危険や非難にもかかわらず,自分の責任を免れるとか,放棄するということをしなかつたのです。モーセは目を眩惑させる程の誘惑を持つパロの王宮を棄てましたが,その理由として,その王宮にいることはモーセにとつて噓の生活をしていることになるというのでした。というのは,表面ではパロの政策と実践を支持しながら,内面では,けいべつを受けて,憎まれているヘブル人の少数者に属しているからという事でした。後日,神の音信を持つて,心のかたくなな君主の前に遣わされたときでも,モーセはその言葉を和らげず,口調を柔らかにせず,まつたく神と自分の任務に対して妥協を許さぬ忠実さを表したのでした。彼は正しいことに対するかたい立場を保ち守りました。エジプトの腐敗の影響から,害をうけることは決してなかつたのです。―ヘブル 11:23-29。

      20,21 (イ)どのように,イエスが,忠実を守つた抜群の人になつたかを述べなさい。(ロ)誰が彼から学びましたか? どんな結果をもたらしましたか?

      20 忠実を守つた人の前述の夫々の例とともに,ある一つの特徴または特質が輝いてまつたく私達の注意をひきつけます。それは不正に反対すると共に正義のためにかたく立つ方の要求しておられる多くの特質をつよく強調するようです。しかし,すべてのものは神の独り子のすばらしい模範の中にどのように一致するか,いま注意してごらんなさい。御子はヱホバ崇拝以外の他の崇拝を認めず,恐れを持たずにつねに伝道し,いつも御父より遣わされた謙遜な者であつて,刑柱の上での不名誉な死を遂げようと御父の指示に従い,かつ御父の力への不撓の信仰を示してあらゆる事に耐え忍び,忠実という論争については一瞬といえども悪魔の側に妥協しなかつたのです。その故に彼は「友にまさりてよろこびの油を注がれて」いるのです。―ヘブル 1:8,9,新世。

      21 御子が,地上に居られたときに,御子より正しく学んだ者たちは,同じ心構えを示しました。忠実を棄てることなどは絶対になく,彼らは慰めや,資産や,あらゆるもの,まつたく生命すらも進んで断念しました。パウロはヘブル書 10章34節(新世)で次のように私たちの注意をひき起しています。『あなた方は牢獄にいる者たちに同情を持ち,またより勝れた永続の富を持つていると知つて,自分たちの財産が奪われてもよろこんでいた。』またパウロ自身,キリストに従う者と呼ばれるのにふさわしい者と立証して,そのことを証しいたしました。『私はすべてのものを失つたが,それらのものを屑のように考える。』(ピリピ 3:8,新世)彼はすべての会衆のために心配しましたが,それには初期クリスチャン制度の忠実を破ろうとすでに働きを始めていた分裂と悪化をもたらす影響に対して,絶えず戦うことが必要だつたのです。―コリント後 11:28。

      22 忠実を守つたことは,第1世紀の世界をどれ程驚かしましたか?

      22 神はパウロおよびその友の使徒たちのなした無私の働きを豊かに祝福しました。正義を愛した幾千人という柔和な人々は,この第1世紀になされた恐れない御国宣明に,心を惹かれました。彼らは熱心に聖書を研究し,ヱホバを知るようになり,信仰に円熟し,伝道の活動に活潑となりました。当時の腐敗し,堕落した時代の者たちにとつて,彼らはなんという見ものだつたのでしよう! 彼らはひるむことなく野獣や,獣のような人間の迫害者に直面し,多くの者はその生命を失うにしても忠実の神への揺がざる忠節の証を立てました。彼らの全き献身は,この世の人々にとつて理解不可能なものであつても,それを目撃したすべての人にとつては驚嘆のものでありました。

      23 この危険の時代にいる私たちに,どんなきびしい質問が面していますか?

      23 今日も同様に,ヱホバの真の崇拝者は敵意を抱く時代,すなわちこの世の神によつて腐敗し,堕落した時代の中におります。今日でも,ヱホバの御前でその心の忠実を保つて歩く人々は,不思議に思われ,誤解され,憎々しく反対され,迫害され,そして地上のある国では死の脅威をうけています。ただ口で言うことのために,あなたはその一人ですか,それともはつきり識別させる忠実の道を取ることによりその一人ですか? 忠実は,気持と心の事柄であることを忘れないで下さい。あなたの気持は,神と正義にまつたく誠実を保つていますか? あなたの心は丈夫で清く,かつ永遠の生命の泉となる天的智恵をたえず体内に流していますか? もしそうであるならば,あなたは幸にも,神の忠実の人の中に数えられるでしよう。

      忠実を保つのに失敗したことへの警告

      24 ある人はどのように忠実を保つのに失敗したかを説明しなさい。

      24 一方,忠実を保ち得ずに失敗したことについての警告の例も,聖書の中に書かれています。そのどの場合も,神の被造物で成り立つ宇宙制度の他のすべての成員に対して,人が一致と福利を良く考えなかつたことから,その失敗は生じたようです。ただ自分自身のことのみに注意を向けました。失敗すると欺くという言葉のあいだの緊密な基礎の結びつきは,次の事実を良く強調しています。つまり,腐敗した各人は,自分自身を欺いて,分以上に自分のことをえらく考え,そして創造者や友なる者を分以下に低く考えるのです。自己欺瞞の道に一度入りこむと次は友である人を欺くことになります。

      25 最初の失敗者は誰でしたか? そしてなぜ?

      25 力のあるケルブの不当な野心は,彼を刺戟して造り主のお与えになつた自由と貴重な責任の安全な境界を踏み外させました。そして,天の法庭はその最初の失敗を目撃しました。そのケルブは,その道が宇宙家族の忠実を破つてこわしてしまつても,かまわないという態度を取りました。彼には智恵があつて,美しく,それに大きな力と権威を与えられていたではありませんか? それよりも偉大な者になれない理由があるでしようか? 最も偉大な者になれない理由がありますか? 自己欺瞞は彼の不法の欲望を強め,欲望はつぎに彼の気持をひきつけ,不法の行をさせました。彼は最高主権者と入れ代わろうという,大逆と謀反の罪を犯しました。―エゼキエル 28:13-18。

      26 忠実の論争で,アダムとエバはどのような立場をとりましたか?

      26 その同じ反逆者は,エデンの園で悪意の気持から,さらに忠実の失敗をそそのかしたのです。エバは,良い賜物でたえず祝福をお与えになつた方に反対する誹謗者の言葉を,愚にもすぐ聴きましたが,それに加えてアダムも,意識しつつその反逆に参加したのです。ふたりの完全な人間を,神の幸福な制度から引き離して,考え方を腐敗させようとした悪魔の目的は達成され,ふたりは,悪魔の悲惨な影響に屈してしまつたのです。特権を有していた人類の『最初の父親』は,忠実なアブラハムとはちがい,大いなる保護者より,すべての良いものを取つて,しかも何ひとつ捧げようとしなかつたのです。その天的御父の栄光の不滅性を,彼らがかくも早く見失つたとは,なんと腐敗していたのでしよう! ―創世 3:1-12。イザヤ 43:27。

      27 この論争に霊者たちは関係しましたか? そしてどんな環境の中でしたか?

      27 ノアの時に,神の多くの御使たちは忠実を保つことに失敗しました。彼らは天の場所の正しい奉仕の地位を棄てて,地に来り,人の娘との不正な関係に耽りました。天の制度内における割り当てられた義務よりも,自分自身の利己的な欲望の方がもつと重要に思えました。彼らはおそらく,人類種族を向上させて,その堕落の道を止めることができるという考えをいだき,ある種の自己弁護をつくつたかもしれません。そのように,正義そうに見える動機を,自分の心に持つことは,全くサタンの目的にかなうところです。地上における恐怖と暴力の統治が続いて起りました。その混血児である粗暴な巨人たちは,地上を支配し,あらゆる種類の無神の行をすすめました。ヱホバは恵みの心から,大洪水という手段を通してその悪夢のごとき時代を亡しさりました。そして,それら不正を愛する者たちをサタンの世の暗きに追いやりました。忠実を破るその行により,なんというすばらしい特権を失つたのでしよう! ―創世 6:1-6。ペテロ後 2:4,5。ユダ 6。

      28 何の原因で,サウルは亡びましたか?

      28 忠実を失つた別の著名な例は,サウルの場合です。自分を過少視し,謙虚であるかぎり彼は神から豊かな祝福をうけました。しかし,時が経つにつれて彼は自分のことを高く過大視するようになりました。彼はヱホバの判断よりも自分の判断を重んじるようになり,イスラエルの軍隊の王であり,指導者としての自分の行について指示を与える神の明白な言葉を無視する程のこともなし,しかも不正直にも,自分の行為を正当化しようと努めました。ヱホバの使により述べられた判決は,こうでした。『汝ヱホバの言葉を棄てたるにより,ヱホバもまた汝をすてて王たらざらしめ給う。』(サムエル前 15:23)真理の神,正しい神の明白な裁定は,サウルの逃げ口上をくつがえし,彼と彼を支持する人にその結果をはつきりと示しました。サタンの影響に触れて害を受けたため,イスラエルの最初の人間の王は腐敗しました。

      29 エレミヤの時代にどんな失敗の例がありますか?

      29 エレミヤと同時代の人ウリヤは,エルサレムおよびその悪しき王宮の亡びを告げる特別な業に参加しました。ウリヤに報復をしようという脅しの噂を聞いたとき,彼は神の力を信頼し,しつかりと恐れなく立ちましたか? エレミヤと同じく屈しない勇気を示しましたか? いいえ,彼は動揺しました。彼は人を恐れて,自分の忠実を弱めました。そして,エジプトに逃げました。しかし,エジプトでも安全ではなかつたのです。彼の敵はウリヤを引き出して,無残にも殺してしまいました。今日恐れを持つならば,自分自身の力に頼り,神の備える安全のための武具を着けない人々に同じ影響をもたらします。―エレミヤ 26:20-24。

      30 ユダおよびその最期についての記録の中に,どんな価値がありますか?

      30 ユダは,主イエスと交りを持つという貴重な特権を持つていましたが,彼もヱホバ神のすべての良いものをうけながら,感謝の念を持たないばかりでなく,更に悪いことは,全く親切で恵み深い御方に反逆した著しい別の例でありました。ユダのあらゆる利己的な性癖にサタンが憎しみの火を吹きこんだことは疑いありません。そして,ヱホバの忠実な人の中にあつて第1番の方を捉えて亡ぼそうとしたのです。ユダがすべての希望を失つて,悲惨な最期を遂げたことは,強い警めとして聖書の中に記録されています。『すべての守るべき物よりもまさりて汝の心を守れ。そは生命の流これよりいづればなり。』― シンゲン 4:23。マタイ 27:3-10。

  • 忠実を失わせないための助け
    ものみの塔 1955 | 7月15日
    • 忠実を失わせないための助け

      1 忠実をなくさせない助けとして,神の御言葉はどれ程重要なものですか?

      なぜ回復することの不可能なこれらの失敗があるのですか? サウルの場合に,彼は王に与えられている神の教えをしつかりと守らなかつたからです。その教については,申命記 17章18,19節(新世)にこう書かれています。『彼が国の王座に即くとき,祭司であるレビ人の持つものの中より,この律法を一つの本に自ら書き写し,その生涯のあいだ,自分の傍に置き,読まねばならぬ。』そのことからたとえ,年鑑の中の註解づきの日々の聖句であつても,祈りの気持の中に,神の真理の言葉の一部を毎日考慮する重要性を強く感ぜしめます。そうするならば,ヱホバへの感謝や,またヱホバへの恐れをなくすということはありません。それは私たちを謙遜にし,また私たちの制限された力や,あらゆる事を天的御父にお願いする全き依存ということを思い起させます。

      2 真の謙遜は,私たちにどのような有益な効果をもたらしますか?

      2 ヱホバは個人別に恵みと祝福の道を啓示されると愚かにも考えて,独り立ちして行こうとすることに対して,謙遜はそのことを阻止するものです。ヱホバのすばらしい目的についての知識の賜物は,御旨のままに非常な名誉を賜わつている『奴隷』制度を通して私たちに与えられたものです。(マタイ 24:45-47)そして,謙遜な気持をもつて御名の民と運命を共にし,彼らとの集まりにいそしみ,かつその交りより勇気と勇敢さを得て,そしてヱホバの証者をこの古い世界中に有名ならしめた伝道をする時だけ,私たちはますます輝く真理の光によろこびつづけることができます。

      3 忠実を保つときに,祈はどんな役目を果しますか?

      3 祈りも又,私たちの神より与えられた別の種類の備えです。祈りにより,私たちは助けをうけ,『(私たちの)心の忠実を保つて』歩み続けることができます。謙遜な者だけが,誠実な祈りを捧げます。他の者にとつて,自分の無力さと,強い保護者の必要を告白するのは,誇りを傷つけるものと感ずるでしよう。直き心を持つ者は,神の霊が自分たちの生活に充ち,たえず取巻く不法の影響から自分の心が害をうけず,健全なものであるようにと祈り,かつ神の祝福が僕たちの全制度の上に注がれるよう祈ります。私たちは,これらの良い事柄について祈りを捧げ,その祈りは答えられるということを一瞬といえど疑いません。これらの事柄は,神の御意と一致しているからです。熱心に祈りをし続ける,つまり祈りを続ける心持ちを持つことは,私たちを助けて,心を良く守ります。―ピリピ 4:6,7。コロサイ 4:2-4。

      4 愛はどのような仕方で私たちを助け,正義にかたく立たせますか?

      4 神と隣人への真正な愛を持つならば,私たちはウリヤの間違いを決してすることなく,敵の攻撃をうけても逃げることをしないでしよう。むしろ,神の愛は弱小な人間や処罰された悪鬼たちの恐れを取り除きます。隣人たちへの愛を持つとき,私たちは義務の地位をかたく保ち,危険の警告,および亡びから逃れる指示を伝えます。それで,愛を養いなさい。あらゆるあなたの行いに愛の心を持ち,思い遣りの心を持ち,憫み深く,恵みの心を持ちなさい。(ペテロ前 3:8,9)兄弟に対するあなたの関係は,兄弟に真実の益をもたらすようでなければなりません。『おたがいに従え』というのは,エペソ書 5章21節,(新世)で述べたパウロの言葉であります。

      5 テモテ後書 4章5節のパウロの言葉は今日の私たちにどのようにはてはまりますか?

      5 私たちはこの地上の多くの人々の中より選び出されて,神の御目的や,この古い世の組織制度の終り,そして新しい世の組織制度の来ることについて,特別の進歩した知識をうけた者であると言うことができましよう。それで,私たちに与えられている宣教をどのように見なしますか? この世での生活上の他の事柄,この世のたのしみ,野心,処世からほんの二,三分だけの余暇ができるときだけ,宣教をすべきですか? 忠実を失いたくないならば,そうであつてはなりません! テモテになされたパウロの助言は,今日の私たちに全くあてはまります。「すべての事に平衡を保ち,悪を堪えなさい。宣教の業をなし,あなたの宣教を全うしなさい。』(テモテ後 4:5,新世)今日の私たちは御国伝道者としての任務を全く真剣に取り上げねばならぬと,それは明白に意味しています。そうしていますか?

      忠実は表明される

      6 忠実を守る人々によつて,神とのどんな特別な関係が保たれますか?

      6 古い世の終りの時代にあつて,いくらかの忠実の証拠と結実についていま考えてごらんなさい。ヱホバの忠実な崇拝者たちは,人間のするあらゆるごまかしの計画や,安全と平和という偽りの感覚にその良心を誑されることはありません。むしろ,彼らは「善い良心を神に願い求めて」おり,神は御子キリスト・イエスへの知識と信仰により彼らの願いを許されています。キリストの犠牲の価値を通して,神への罪が許されたということがひとたび認識されると,彼らはつとめてその善い良心をしつかりと保つ,つまり宇宙の最高主権者と平和を保ち続けようとします。このことは,忠実を保つことによつてのみなされると彼らは知つています。彼らを支えるものは,ヱホバの清い崇拝を行う際の誠実であります。―ペテロ前 3:21,新世。

      7 兵士の生活の道は,私たちにとつての正しい道をどのように説明しますか?

      7 ヱホバの僕たちの強い,勇気を持ち,忍耐強い,兵士のごとき性質の中に,忠実についての別の強い証拠が今日見られます。その僕たちは,肉と血を持つ敵とではなく,いつも油断の時を見守つている賢い,超人間の,見えざる敵と戦をしているということを決して忘れません。神の備える武具は,現在の時の緊急,危険,そして,挑戦を十二分に認識する人々になんと良く合うのでしよう! 良い兵士は,いつも注意を払い,運に任せるという愚かなことをせず,つねに戦のことを思い,そして勝利の実に与るために全力を戦にかけます。ヱホバの兵士は決して後れをとるようなことはありません。

      8 サタンの世の汚れから離れるための私たちの努力に,他のどんな方法を取るべきですか?

      8 また,この古い世からまつたく分離するということに,忠実は示され,しかもそれは新しい世の社会の一員になつたすべての人の特徴であります。使徒パウロは,テモテに手紙を書いたとき,次のことをたしかに思い起させました。(テモテ後 2:20,21,新世)つまり,この腐敗した世のみが使うのにふさわしく,そしてこの世とともに亡ぼされてしまう汚れた器を清めることにより私たちは「ヱホバの大にして幸な家庭制度の中にあつて,ヱホバの用いる尊い清い器」であり得るということです。パウロがなんと明白に警告を述べているか,注意してごらんなさい。『大きな家には器がある。……そのあるものは,尊いことのために用いるものであるが,他のものは卑しいことに用いるためである。それで,人が卑しいことに用いる器を清めるならば,尊い器となり,主人の役に立つ潔められたものとなつて,すべての良い業をすることができる。』

      9 新しい世の福祉のために捧げる幸福な奉仕の状態に,私たちはどのように留まることができますか?

      9 この幸福な状態に留まるために,私たちは正を愛し,悪を憎み続けなければなりません。どんなことがあつても,神の御意と道に反対するものを黙認したり見過したり,守ることはできません。この世の風習,習慣,実践を言い張る人々より,『離れされ!』と使徒は言つています。不敬虔な人の助言に従わず,罪人の道を歩まず,嘲笑者たちの群に加らず,むしろ詩篇記者がすすめているように,ヱホバの律法によろこびを見出し,どの機会でもその律法を深く考えるならば,私たちは幸福な者です。ヱホバの清い崇拝に献身している人や,神の御目的をよろこんで聞いたり語つたりする善意者を私たちの友に選ぶならば,私たちの忠実を良く支えるものです。『惑わされてはいけない。悪い交りは,有益な習慣をこわす。」(コリント前 15:33,新世)研究すること,祈ること,伝道することという善い習慣をしつかり守つて行きなさい。

      10 忠実を働かせねばならぬ毎日の関係のいくらかを言いなさい。

      10 忠実の結ぶ実は,制度内の信仰を持つ,すべての人との関係の中に見られます。もし私たちが僕であるならば,羊のような従順な多くの人々を世話し,強めそして訓練する業に,耐え忍びます。善い牧者は,それらの者の監督の業を私たちに与えているのです。たとえ,失望や,後退や,越せそうにはとうてい見えない障害を持とうと,私たちは忍耐して善行を倦まず続けて行きます。「群に注意せよ!」と「神の会衆を牧せよ!」は,私たちのよろこんで従ういましめであります。(使行 20:28。ペテロ前 5:2)もし私たちが会衆内の伝道者であるならば,私たちの忠実は,よろこんで弱い者を助けること,そして会衆の一致,平和,および繁栄を促進させる行をなすことに表し示されます。―テサロニケ前 5:14,15。

      11 生活上のいろいろなどんな面で,忠実は表し示されますか?

      11 しかも,忠実は生活の他の多くの関係の中に表し示されます。忠実は,敬虔な夫の持つ智恵の中に見られます。その夫はクリスチャン原則に一致し,妻および家族の尊敬と愛を得ます。また,夫の助け手としての自分の地位を証ししようと努める妻の中に忠実は見られます。その妻は家の頭である夫の地位によろこんで服従します子供たちをじらさず,親切な心で,そしてヱホバの権威ある助言にもとづいてしつかりと子供たちを訓練しようと努める親たちの中に忠実は見出されます。そして,両親の要求に当惑することなく,謙遜な気持の中に,両親の長い経験と円熟した判断を思い,その監督に従う子供の中に忠実は見られます。しかし,私たちが夫の地位,妻の地位,子供の地位,主人の地位,僕の地位のどの地位にいようと,伝道者という共通な立場をみな楽しみます。自分の生命をヱホバの奉仕に献身しようとし熟慮して決定して後,その伝道者の地位を持つ私たちは高い誉を与えられたのです。この伝道者というところで,私たちの忠実はいちばん輝やかしいものです! この奉仕を行うとき,私たちは神に反対する全世界の憎しみ,暴力,嘲笑,そして不敬虔な論議をも忠実に耐え忍ぶよう要求せられているのです。しかし,私たちの指導者および指揮者,キリスト・イエスのごとく,私たちは前に置かれているよろこび,つまり試験されて動くことのない忠実にたいする報いを決して見失つてはなりません。―ヘブル 12:2,3。イザヤ 55:4。

      忠実を保つことへの報い

      12,13 忠実への報いは,聖書の中でどのように表し示されていますか?その意味は何ですか?

      12 そして,その報いとは何ですか? それは,ヱホバの山に登り,そこのヱホバの潔い宮の中で立つということで表し示されています。使徒の述べたごとく,今日『あなた方は手の触れることができ,火が燃えている(シナイ山)に近づいていない。』ヱホバの是認と恵みをうけないならば,生けるものはひとつとしてそこへ行くことができなかつたのです。しかし,『あなた方が近づいているのは,シオンの山,生ける神の都,天的エルサレム,集会中の無数の御使である。』(ヘブル 12:18,22,23,新世)栄光に輝くヱホバの宇宙制度は,ここに明示されています。それは,そこにはつきりと示され,主要な優越の地位を占めています。そして『ヱホバの聖都……神が霊によつて住むところ』であります。真実に,それは聖にして永遠の聖所であります。―エペソ 2:21,22,新世。

      13 それで,ヱホバの山に上り,そこでその聖なる宮に立つということは,新しい世に入り,そこで永遠に生きるのにふさわしいと証明されることと密接な関係を持つものです。その新しい世は,忠実の大いなる神,すなわち宇宙的な統合者の昔の目的が実現されるのを目撃するでしよう。なお,その目的はエペソ書 1章8-10節(新世)に述べられています。『神は善い御旨にしたがい,定めの時の充つるにおよんで,実現される御目的を立てられた,つまり天にあるものも,地にあるものも,すべてのものを,ふたたびキリストに集めることである。』その最終の統合のときには,あらゆる良き清き事の源であるヱホバと,正義に全く献身している健全で,汚れない,腐敗しないものたちだけが存在するでしよう。

      14 私たちが忠実をしつかり保つならば,私たちはどんな幸福の運命を持ち得ますか?

      14 ダビデのごとく,私たちが誠実な心から次のように祈り得るならば,本当に幸福であります。『ヱホバよ,ねがはくは,われを裁きたまえ。われわが完全によりてあゆみたり。しかのみならず,我たゆはずヱホバに依頼めり。ヱホバよわれを糺し,また試みたまへ。わが腎とこころとを錬きよめたまへ。されどわれはわが完全によりてあゆまん。願くはわれをあがない我をあわれみたまえ。』(詩 26:1,2,11)そのとき,私たちはヱホバに真の希望を持つことができ,同じ心を有する忠実の多くの人と共にヱホバの新しい世で永遠に住めるとたしかに期待することができます。『忠実を保て!』とは,今日の私たちすべてに対する助言であります。そして,忠実を保つことにより,私たちは汚れない聖なる神ヱホバの宇宙家族の中で幸福に,また永遠に住むことができます。

  • よろこびに充ちる聖なる大会
    ものみの塔 1955 | 7月15日
    • よろこびに充ちる聖なる大会

      今年の夏,幾万人のヱホバの証者は,聖なる大会に集まり,よろこびを表します。ヱホバの御手より注がれる祝福は,必らず得られす。ヱホバの御霊は,大会に臨み,天は大会に注意をはらいます。幾十万という多くの人は,『神の御国の世界支配は近し』の公開講演を聴き,多大の感銘をうけるでしよう。是非日本の国家大会に出席して下さい。この大会は,1955年8月11日-14日の4日間に亘り,大阪森の宮労働会館で開催されます。この4日間の大阪滞在の宿合を欲する人は,宿舎請求書を大阪市阿倍野区帝塚山中1-78志賀音吉方大会宿舎係りに直ちに送つて下さい。

  • 『ものみの塔』研究
    ものみの塔 1955 | 7月15日
    • 『ものみの塔』研究

      8月14日 忠実を保つ 1-23 271頁

      8月21日 同 24-30,及び忠実を失わないための助け 277頁

  • 読者よりの質問
    ものみの塔 1955 | 7月15日
    • 読者よりの質問

      ☆ ヱホバは,バラムに語つてバラクのところに行くようにと言われました。しかし,バラムが出発したとき,ヱホバはその行くことに怒りを発せられました。なぜですか? ―英国の一読者より

      モアブの王バラクは,現在のイラクの地にいた予言者バラムに使者をつかわしました。その使者は,予言者のところに礼物をたずさえ,予言者を用いてイスラエルを詛わせようとしました。バラムはその報酬を欲しましたが,しかしイスラエルの神ヱホバと関係を有していたため,イスラエルを詛うための神の許可を欲しました。しかし,ヱホバは『お前は彼らと共に行つてはならない。その民は祝福せられている故に,彼らを詛つてはならない。』と予言者に語りました。それで,バラムはモアブとミデアンから来た長老と共に行くことを断りました。バラクは多くの人をバラムに遣してお願いし,イスラエルを詛うために来てもらいたい,そして大きな尊敬と富を得て戴きたいと言いました。ヱホバはこの度バラムにむかいこう言いました。『起きて,彼らと共に行け。しかし,私の語る言葉のみを,お前は言わねばならない。』しかし,このすぐ後の聖書の記録には『彼が行つたため,ヱホバは怒りを発せられた。』と書かれています。ヱホバの御使は,道をさえぎり,バラムの乗つていた驢馬は立ち止つて遂には奇蹟にも人間の言葉を話し,そしてバラムも御使を見ました。バラムは恐しくなつて,引き返そうとし『いま来た道を戻ろう。』と言いました。しかし,ヱホバの『御使は彼らとともに行け。そして,私の語る言葉だけを語らねばならない。』と言いました。それで,バラムは旅を続け,バラクと一緒のとき,イスラエルを詛うかわりに祝福しました。―民数紀略 22:12,20,22,34,35,新世。

      イスラエルを詛いに来てもらいたいとバラムは頼まれたため,ヱホバは最初,行つてはならないと申しましたが,それはイスラエルが祝福をうけていたからでした。しかし,バラムは報酬を得たいために,イスラエルを詛いに行きたいと思い,再びヱホバに尋ねました。このとき,ヱホバは行つてもよいと言われましたが,それにはヱホバの語る言葉だけを話すという制限をつけられたのでした。しかし,イスラエルを詛わないならば,報酬は得られないことから,旅をしていた時に,バラムの心は報酬のことを思い,なんらかの方法で神の制限を取りのけてイスラエルを詛い,名誉と富を得たいものと考えていました。ヱホバはこのことを見抜き,バラムが貪欲とごまかしの気持ちを持つて出かけたのに怒りを発せられました。ヱホバは,驢馬に話をさせたり,また予言者バラムが音信を和らげて変えてしまい,バラクをよろこばせて報酬を得ようとするならば,即座に殺してしまおうと剣を引き抜いている御使を現わせることによつて,バラムを驚かし,正しい考え方を持たせました。このため,イスラエルを詛うなどという考えは,バラムの心から消え,恐れの気持から祝福を述べるだけになりました。

      バラムは報酬のことを心に考えて出かけ,そして報酬を得る唯一つの方法は詛うことであつたために,詛いを心に考えていました。そのことは,貪欲な者についてのペテロの次の言葉からも分ります。『彼らは道から外れて,ペオルの子バラムの道に従つた。バラムは悪行の報酬を愛し,そのため自分の不正に対するとがめをうけた。ものを言わない驢馬は,人間の言葉を話し,この予言者の狂気じみた道をさまたげたのである。』イスラエルを不正にも詛つて報酬を得ようという考えをバラムは,心に持つていて,ただ驢馬が奇蹟的に言葉を話し,御使の威嚇のために,その心が変つたということが明らかに分ります。バラムは不正にもイスラエルを詛つて,報酬を得ようと考えていたとユダは示し,同じく貪欲な心を持つ者は,『報酬を得ようとしたバラムの不正の道に進んだ』と言いました。―ペテロ後 2:15,16。ユダ 11,新世。

      ヱホバのこのすべてのいましめや,証示をうけた後でも,バラムの不正と,バラクの願に従つてイスラエルを害しようとするその決意はバラムに残つていました。心に思つていた詛が祝福に変つた後,バラムはバラクに助言し,イスラエルはどのように躓いて倒れ,自らヱホバの詛をうけるかを話しました。立ち去る前に,モアブとミデアンの娘でイスラエルを誘惑し,バアル崇拝に引き入れるようバラクに語つたようです。バラムの去つた後に記録されている次の出来事はこれらの女となされたイスラエルの不道徳であり,バアルの崇拝でした。そのため,イスラエルは,ヱホバの怒を招き,幾万人の悪い者たちは殺されました。(民数紀略 25:1-9)ミデアン人の女が生き残つていたとき,モーセはその背後にバラムのいることを示し,こう言いました。『見よ,それらはバラムの言葉に従つて,イスラエルの子らをまどわし,ペオルの事につきヱホバに罪を犯さしめ,遂にヱホバの会衆に罰をこうむらせたのである。』イスラエル人が,これらの女を捕えたとき,『ペオルの子であるバラムを剣で殺した。』― 民数紀略 31:16,8。新世。

      前述のことから,次のことがはつきりと分ります。つまり,イスラエルを祝福するために行つても良いとヱホバがバラムに言われた時,この予言者はイスラエルを詛おうという気持を持つて出かけました。それで,ヱホバはバラムに怒りを発せられた。

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